勇者の記録   作:白井最強

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ドバイまでに終わらそう思っていましたが、構成の大幅な変更などが有り
いつの間に4月の下旬になってしまいました……



勇者と太陽と未完の大器#1

  メイダンレース場、1週間後にはドバイワールドカップ等多くのGIレースが行われる。当日は数多くの熱戦が繰り広げられ、レース場は興奮の坩堝に化すだろう。だが今現在は嘘のように静かだった。

 そのメイダンレース場で、トレーナーはコース前に待機しながら時計を見る。時刻は午前6時を回ろうとしている。日本ならば日が出ている時間だが、ドバイの地では日は出ておらず辺りは薄暗い。気温も日本ならこの時間では少し肌寒いが、ドバイは暖かく初夏のような気温で過ごしやすいと言える。

 するとトレーナーの元に、半袖のウエアとズボンを着たアグネスデジタルとスペシャルウィークが歩み寄ってくる。

 

「おはよう、デジタル、寝心地はどうや?」

「おはよう白ちゃん。バッチリだよ。ベッドはフカフカだし、内装もゴージャスで香港のホテルより上かな。何よりレース場と隣接しているのが凄いよね。あと意外に暑い」

 

 デジタルはホテルで快適に過ごせたのか、いつもより少しだけテンションが高い。

 三人が一週間宿泊予定のザ・メイダンホテル。ドバイミーティングを見に来る著名人やセレブを満足させるに充分なサービスと施設を誇る五つ星ホテルである、最大の特徴としてはレース場と隣接しているという立地であり、ホテルを出ればすぐにレース場足を運べ、それどころか部屋の窓からレースを見ることすら可能だ。

 

「おはようスペシャルウィーク君、体調はどうや?」

「飛行機から降りた時よりはマシになりました。あと豪華すぎて落ち着かなかったです……」

 

 一方スペシャルウィークは覇気が弱く若干億劫そうに歩いてくる。成田からドバイまで12時間に及ぶ飛行機での移動が体に堪えたようで、ホテルに着くとすぐにベッドに飛び込み就寝していた。

 デジタルはアメリカに里帰りする際に、トレーナーは各国のウマ娘レースを見るために長時間での飛行機での移動に慣れているが、スペシャルウィークにとっては初体験であり、体調を崩していた。一晩寝れば治るかと期待していたが、そうはいかなかった。

 スペシャルウィークは実家でも質素に暮らしていたのだろう。慎ましく暮らしていた人間が、豪華な場所に行くと戸惑うということはよく有る話だ。

 

「それで、こんな朝早くから何するの?」

「散歩がてらのスクーリングや、それで軽く食事をすませてトレーニング」

 

 スクーリングとは海外から来たウマ娘達が本番で走るコースの感触を確かめる為に、歩きでコースを回ることである。デジタルはその言葉に若干不満そうに異議を唱える。

 

「別にこんな朝早くじゃなくてもよくない?正直ちょっと眠いんだけど」

「日が出てくると気温が上がり始め、昼頃には真夏並みになるぞ。高校球児みたいに頑張りたいなら別やが」

「それは嫌」

 

 デジタルはその辛さを想像したのか、渋々と了承する。真夏並みとなると気温は30℃を超えてくる。そんな炎天下では歩いてコースを回るのもしんどい、トレーニングなど真っ平御免だ。三人はまずドバイシーマクラシックがおこなわれる芝コースを歩き始める。

 

「コースはコーナーに傾斜があるだけで、基本的に平坦や。芝も東京よりちょっと時間がかかるが、ほぼ東京の芝と同じ。スペシャルウィーク君に合うやろ。スタートからコーナーまで250しかなく、もし外枠で先行しようと思うなら、少し忙しくなる」

 

 トレーナーが先導しながら、コースについて説明する。デジタルとスペシャルウィークはその後ろを歩いている。

 

「スペシャルウィークちゃんは枕が変わると眠れないタイプ?」

「そうかもしれません」

「そっか。でも家から枕を持ってくるのも嵩張るし、難しいところだよね」

「そうですね」

「あと今日の自由時間どっか行かない?」

 

 デジタルはスペシャルウィークに気軽に話しかける。スクーリングはコースを知るために重要な作業なのだが、芝のレースには出ないのでそっちのけである。

 一方スペシャルウィークは若干の警戒心を持ちながら、会話に相槌を打つ。チームスピカ内でのデジタルは変態であるという、認識をスペシャルウィークも抱いていた。 体調不良も飛行機移動の疲れもあるが、そのデジタルと相部屋という緊張感からくる疲れも起因していた。

 トレーナーはその会話に聞き耳を立てる。どうやらスペシャルウィークは若干人見知りなのか緊張しているようだ。自分も会話に参加しようか考えるが、今は同世代のデジタルに任せようと静観する。二人の雑談しながら歩き続けコースを一周する。

 

「これでゴールと、どうだった?コースを歩いてみて」

「やっぱり芝が日本と違う感じがしました。あと平坦だからか、京都に似ているなと思いました」

「そうやな。走ったことあるレース場なら京都が似ているかもな、直線はメイダンのほうが長いから、ちょっと長い京都のイメージを持ったほうがいいかもしれん。次はダートを回るがどうだ?将来走るかもしれんから参考にはなるぞ」

「はい」

 

 芝を走らないデジタルが付き合ってくれたのだから、付き合わないわけにはいかない。スペシャルウィークは二人の後についていく。コースに入ろうとするとレース用のシューズを徐に脱ぎ始めるデジタルの姿があった。

 

「アグネスデジタルさん、靴を履かないのですか?」

「裸足のほうが色々とわかるでしょ。半分は裸足で歩いて、もう半分はシューズを履いて歩くっていうのをいつもやっているの」

 

 素足で歩けば、靴を履いて歩いていたら分からない何かが分かるかも知れない。そう考えていたデジタルは初めてのコースをスクーリングする際は、いつもこのようにしていた。

 その様子を不思議そうに見ながらコースに入る。するとスペシャルウィークの表情が変わる。

 

「え?固い!?」

 

 足を踏み入れるとダート特有の沈み込むような感覚はない、まるで芝のような硬さだ。スペシャルウィークが戸惑っていると、デジタルがしたり顔で説明する。

 

「スペシャルウィークちゃんも、ドバイのダートは日本のダートと一緒と思っていたタイプか。日本のダートは砂でサンド。ドバイやアメリカは土でダート。ドバイのダートは固いんだよ」

 

 デジタルは僅かばかり自慢げに説明し、スペシャルウィークは土の違いが興味深いのか何度も足踏みする。

 一丁前に説明しているが、自分も数ヶ月前まで知らない側だっただろう。トレーナーは内心でツッコミを入れながらダートコースを歩く。

 

「どうやデジタル、初めてドバイのダートを確かめた感触は?」

「う~ん、校庭より粘りっけがあるね。でも校庭より若干固いかな。まあ、感覚の調整はできそうかな」

 

デジタルの言葉はトレーナーの考えと同じだった。校庭とドバイの土の若干の違いは想定済みであり、デジタルも対応できると言ったので問題ないだろう。

 

「ダートは日本のダートと違って塊だからな、土のキックバックに気をつけろ。痛いぞ」

「そんなに?」

「ああ、ちょっと手を出せ」

トレーナーの指示に従うようにデジタルは手を広げる。するとトレーナーは土を掬うと手のひらめがけ全力で投げつける。

 

「イタッ」

「ウマ娘の脚力でのキックバックはもっと痛いぞ。位置取りはキックバックが来ない位置か、キックバックが弱まるように距離を開けろ」

「分かったけど、口で言えば分かるよ」

「口で聞くのと体験するのとでは違うもんや。この痛みを覚えておけ」

「ウマ娘に対する虐待だ、協会に言いつけてやる。スピカのトレーナーなら、そんなことしないんだろうな」

 

  デジタルはトレーナーの愚痴を言いながら、スピカのトレーナーの話題に移し、会話をしていく、芝のコースのスクーリングと同じようにコースの特徴を聞き、スペシャルウィークと会話をしながら回っていく。一周した頃にはいつも間に日が昇っており、トレーナーの体からうっすらと汗が浮かんでいた。

 

「これで終わりや、あ~しんどい」

「ちょっと歩いただけだよ」

「4.2kmは普通のオッサンには結構な距離や、ウマ娘の感覚と一緒にするな」

「だらしな~い」

 

 内側の埓に背中を預けぐったりとしているトレーナーをデジタルは誂い、スペシャルウィークは少し距離を置いて眺めていた。

 今まで他のトレーナーとウマ娘のやり取りを見たことは少なかった。だが僅かなやりとりでも、デジタルとトレーナーの間に確かな信頼関係が築けているのが分かる。デジタルのトレーナーは自分を気遣ってくれているのは分かる。しかし自分が二人の間に混ざっていいのだろうか?スペシャルウィークは二人と自分の間にある壁と疎外感を僅かに感じていた。

 

「よし、この後は軽く食事を取ってトレーニングだ」

「はいは~い。スペシャルウィークちゃん行こう」

 

デジタルは離れて見ていたスペシャルウィークに呼びかけ、それに応えるようにスペシャルウィークは二人の元に駆け寄った。

 

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 メイダンレース場に隣接するトレーニング施設、普段はゴドルフィンなどが使用しているが、ドバイ国際競走が開催する際には、各国から集まる出走ウマ娘も使用することができる。そのトレーニング施設を使い、スペシャルウィークとデジタルはトレーニングを終えると、日本や現地のメディア取材を受けていた。

 ウマ娘たちのインタビューや取材に立ち会うのも、トレーナーの仕事だ。主にウマ娘達が過激な発言をしないか、または記者たちがウマ娘たちの害になるような質問をしないかなどをチェックする。取材が終わったのは午後三時を過ぎたころだった。

 

この時間から気温も下がってくる。スペシャルウィークとデジタルは来て二日目ということで、トレーニングは行わないが、ゴドルフィンや早めにドバイ入りしているウマ娘たちはトレーニングをおこなっているだろう。

 

 

 トレーナーは二人が走る相手の様子を見ようと、ホテルからトーニング施設に向かう。するとデジタルに声をかけられる。

 

「白ちゃんはこれからトレーニング施設に行くの?だったら一緒に行かない?」

「なんや。スペシャルウィーク君と一緒にどこか行くんじゃなかったのか?」

「そうだったけど、フラれちゃった」

 

 デジタルはため息を吐いて肩を落とす。予定としては取材が終わったら、ホテルなり近くを散策するつもりだったが、スペシャルウィークの体調が優れず休みたいということでホテルの自室で休憩をとっていた。 溜息を吐き落ち込んでいたが、すぐに顔を上げる。

 

「まあ、まだ時間が有るし、これから仲良くなっていけばいいや」

「そういえば随分と積極的に話しかけているな、スペシャルウィーク君にご執心か?」

「うん、前々から気になっていたしお近づきになりたかったんだよね。でもチームスピカのメンバーや、グラスワンダーちゃんとかの同級生との絆が深そうで、ちょっと気が引けるというか」

「出来上がったグループに入っていくのは難しいからな」

「でも、今のスペシャルウィークちゃんは一人、しかも初めての海外遠征で心細くて、それを利用すれば仲良くなれるはず」

 

 デジタルはスペシャルウィークと仲良くなった明るい未来を想像しているのか、グフフフと不気味に笑っていた。

 

「相手が心理的に不安定なところを狙うというのは、何だか詐欺師みたいな手口だな」

「詐欺師ってヒドくない。というのは冗談で、あたしは初めての海外遠征では仲が良いプレちゃんが居たし、ついでに白ちゃんも居た。けどスペシャルウィークちゃんは仲が良いウマ娘ちゃんも居ないし、トレーナーも居ない。だから少しでも不安を和らげてあげたいかなって」

「そうだな」

 

 デジタルの言葉にトレーナーも同意する。確かにスペシャルウィークが置かれている環境は苛酷だ。それだけに大人である自分がケアしなければならない、そのことに気づかされていた。

 するとデジタルは真面目に話したことが気恥ずかしかったのか、おどける様に喋る。

 

「で、スペシャルウィークちゃんの寝顔を観察するプランもあったけど、さすがにダメだと思って外に出て、それで夕食までの暇つぶしで各国のウマ娘ちゃんを見ようと思ったわけ」

「そうか、じゃあ一緒に行くか」

「うん。しかし、スペシャルウィークちゃんは良いよね。間近で見れる機会はそうそう無いから、トレーニング中ガン見しちゃったよ」

「そういうのほんまにやめとけ、何れセクハラで訴えられるぞ」

 

 二人は肩を並べトレーニング施設に向かっていく。その道中の会話でスペシャルウィークの話題になると、ふと思い出したかのように、トレーナーが語り始めた。

 

「スペシャルウィーク君はもしかしたら、ウチのチームに入っていた可能性があったんや」

「え?初耳。どういうこと?」

 

 思わぬ発言にデジタルは驚きの声を上げ、トレーナーを凝視する。トレーナーは懐かしむように過去を振り返っていく。

 

「いつも通り電車でトレセン学園に向かおうとしたら、一人のウマ娘がおった。それがスペシャルウィーク君だった」

 

 スペシャルウィークの姿は一目で分かるほど、お上りさん感丸出しだった。トレセン学園に向かおうとしていたが、降りる駅を間違えたらしく、駅員に道を教えられると小走りで駅構内を出て行く。

 その姿は強く印象に残っていた。時期はずれの編入生で、お上りさんということもあるが、その立ち姿と小走りするのを見て、このウマ娘は走るという漠然とした予感を感じていた。

 

「次に見たのがリギルの選考レースやった。レースでもポテンシャルを秘めた走りを見せ、予感は確信に変わった。レースが終わり、すぐに口説きに行った」

「で、フラれたと」

「いや、口説く前にスペシャルウィーク君が拉致られた」

「それはヨハネスブルグの話?トレセン学園は日本だよ、白ちゃん」

 

 デジタルはボケた老人の戯言を聞くような生暖かい目線を送る。だがそれは事実であり、目の前でゴールドシップとダイワスカーレットとウオッカにより、袋詰めにされている姿を目撃した。

 

「その翌日、スペシャルウィークはチームスピカに所属していた。あれは勿体無かったな、もう少し早く声をかけていれば、ウチのチームに所属していたかもしれん」

「本当だよ、白ちゃん行動が遅い。駅で見かけた時にスカウトするぐらいのアグレッシブさで行かなきゃ」

「かもな」

 

 トレーナーはデジタルの言葉に自虐的に笑う。もし新人のころだったら真っ先に声をかけていただろう。だが自分の直感を信じきれず、もうレースなどを見て、もう少し確証がほしいと先送りにしてしまった。

 その結果スペシャルウィークをスカウトできず、トレーナーなら誰しもが憧れるダービートレーナーの称号を逃した。選考レースが終わった後に数分速く声をかけていれば、それ以前に直感を信じきれていれば。

 だが所詮過程の話だ。それにウマ娘とトレーナーには相性がある。自分のチームにいたらダービーに勝てなかったかもしれない。スペシャルウィークというウマ娘は、チームスピカのトレーナーが育てたウマ娘だ。

 

「でもこうして、一時期的でもスペシャルウィークのトレーナーになれた。それだけで充分や」

「それもこれも、ドバイワールドカップに出るあたしのおかげだよ。お礼の言葉は?」

「まあ、風が吹けば桶屋が儲かるしな」

 

 デジタルはニヤニヤしながらお礼を要求するが、トレーナーははぐらかす。そんな会話をしているうちに、トレーニング施設にたどり着く。

 

「サキーちゃん走っているかな~」

 

 トレーニング施設入口につくと、デジタルは待ちきれないと言わんばかりに小走りで中に入っていき、トレーナーはその後をゆっくりと追っていく。

 トレーナーはスペシャルウィークのことを考えていた。スペシャルウィークのことは、スピカのトレーナーの次に評価しているという自負がある。その存在は日本ウマ娘界の宝であり、実力は日本一、いや世界一になれると思っていた。それだけにドバイシーマクラシックにも勝てる実力があり、負ければ自分の責任だ。

 デジタルと一緒に、ドバイワールドカップとドバイシーマクラシックを走るウマ娘の様子を観察したが、頭の片隅には常にスペシャルウィークのことがあった。

 

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 部屋は金色を基調にしていた。カーペットも机も壁紙もすべて金色であり、ベッドのファブリックに金色の唐草模様を使われている。空間全てが金色であれば派手派手しく落ち着かなそうだが、調度品の金色も彩度が薄く、間接照明に上手く照らされ派手派手しさは薄れどことなく落ち着いてたラグジュアリーな空間になっている。

 ここはザ・メイダンホテルのデジタルとスペシャルウィークが宿泊している部屋である。風呂からあがったデジタルは部屋のクローゼットにあったバスローブを着ていた。着たのはドラマのセレブみたいで、一度は着てみたかったという単純な理由だった。

 

 デジタルは部屋にあるグラスに紫色の飲料を注ぎ、バルコニーの椅子に腰掛け景色を眺める。そこからは薄暗いがメイダンレース場が見えた。ドバイミーティング当日はライトに照らされ幻想的な風景を楽しめるらしい。当日はレースに出ているのでその風景は楽しめないが。デジタルは暫く薄暗いメイダンレース場を眺めるが、すぐに部屋に戻った。砂漠地方特有の昼は熱く夜は寒いという気温は健在であり、バスローブ一枚では寒かった。

 そして徐にベッドに身を投げる。高級な品を使っているのかクッションがよく、デジタルの体は数回ほど跳ね上がる。跳ね上がりが治まると、うつ伏せになりながら布団の生地の柔らかさを堪能する。だがすぐに意識は浴槽から聞こえるシャワーの音、正確に言えばシャワーを浴びるスペシャルウィークに思考が移る。

 

 トレーニング施設でトレーナーと他のウマ娘の様子を見た後、部屋で休んでいたスペシャルウィークと合流し夕食を食べて、トレーナーの部屋で簡単なミーティングをした。だがその間どこか余所余所しかった。

 まだ緊張しているのか?こちらとしてはフレンドリーに話しかけているつもりだが、警戒心が強いのか心を開いてくれない気がする。まあ、時間はたっぷりあるし、このまま話しかけていればいずれ心開いてくれるだろう。

 デジタルは楽観的な結論を導くと、ベッドの上であぐらをかき、目を閉じる。今から行うのはトリップ走法のためのイメージトレーニングである。

 

 まずはドバイワールドカップで走るコースを再現する。スクーリングでコースを回った事で砂質、コーナーの角度などが今までより鮮明に再現できていた。

 レースが始まり、サキーがスタートよく飛び出し前目につける。自分もサキーの後ろにつけて様子を伺う。道中は土のキックバックが飛んでくるが、対処できる位置に着け最低限の動作で回避する。

 直線に入りサキーが抜け出しその差は5バ身。自分も直線に入りトリップ走法を使う。最初は逃げるイメージ、そして追うイメージ。代わる代わるイメージする相手を切り替えて差を縮めていく。残り100メートルでサキーと並び、根性勝負。躍動する肉体、弾む息、飛び散る汗を堪能し、最後は差しきる。

 

 その瞬間、意識は現実世界に帰還する。デジタルの口元から涎がたれており、表情も弛緩しきっていた。

 想像といえど、サキーとの体を併せて走るのは至福の時間だった。これが現実ならさらに凄いのだろう。デジタルは本番の幸福感を想像しベッドでグルグルと転がり、身を悶えていた。すると視界に風呂上りのスペシャルウィークの姿が入る

 

「スペシャルウィークちゃんお風呂上がったんだ。どうしたの?」

 

 だがその姿には違和感があった。風呂に入れば体が温まり顔色も良くなるはずなのだが、その顔は青ざめて引き攣っている。

 

「もしかして霊感体質!?お化けでも見たのスペシャルウィークちゃん!よしホテルに言って、今から部屋を変えてもらおう!」

 

 デジタルは勝手に結論を出しホテルの受付に直行しようとするが、スペシャルウィークが慌ててとめる。

 

「大丈夫です。問題有りません」

「でも、顔色真っ青だよ。何かあったんじゃないの?」

「これは……あれです。最後に水のシャワーを浴びたからです。知っていました?お風呂の最後に冷たい水を浴びると健康に良いんですよ」

「へえ~そうなんだ」

 

 スペシャルウィークは捲し立てるように弁明し、デジタルは特に疑うことなく信じる。すると、まだ疲れが取れていないのでと、スペシャルウィークはデジタルから逃げるようにベッドに入っていく。その迅速さは寝る前におしゃべりしようとしたデジタルに取り付く島すら与えなかった。

 夜更けのガールズトークをしたかったなと、残念がりながらデジタルもベッドに入り就寝した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「すみません。相談が有るのですが」

 

 午前7時、昨日と同じように朝のトレーニングを始めようとするトレーナーの前に、スペシャルウィークが声を掛けてきた。トレセン学園から成田空港に向かう間から行動を共にしてきたが、スペシャルウィークから声を掛けてきたのは初めてであった。少しは打ち解けてくれたようだ。

 

「どうした、スペシャルウィーク君?」

「トレーニングのことなのですが……一人のほうが集中できるというか……入れ込まないというか……」

 

 スペシャルウィークは手を弄り、しどろもどろで喋り続ける。トレーナーも言葉の真意を計ろうとするが要領が得ず、もう少し情報が欲しいと言葉に耳を傾ける。

 スペシャルウィークも直球で言うのも憚られるので、察して欲しいという期待を込めて主題をぼやかした感じで喋ったが、言葉を待つトレーナーの視線に耐えかねたのか本題を切り出した。

 

「これからは、アグネスデジタルさんと離れてトレーニングさせてください」

 

 一呼吸で言い切り頭を下げる。そして数秒後頭を上げると、思わぬ言葉に面食らったトレーナーの表情があった。いきなりデジタルを近づけさせるなと言ったのだ。当然の反応だ。

 さすがに直球過ぎた、これでは相手を怒らせてしまう。スペシャルウィークは固唾を呑んで見ていると、トレーナーが見せた反応は予想に反したものだった。

 

「すまない!配慮が足りなかった!」

 

 トレーナーは自分の失態に気付いたかのように、スペシャルウィークに頭を下げる。

 

「トレーニング中にペチャクチャ喋り掛けられたら集中できへんもんな。昨日のうちに釘を刺しておけばよかった。後で言っておく」

「えっと……その……」

「言いづらいことを言ってくれて、ありがとう。今後もデジタルや俺への苦情は遠慮なく言ってくれ」

 

 トレーナーは再び頭を下げると、デジタルの元へ向かっていく。

 これで真意を悟られず、デジタルと離れるという目的は達成できそうだ。スペシャルウィークは胸をなでおろす。だがスペシャルウィークの言葉を伝え、不満そうにデジタルと軽い説教をするトレーナーの姿は罪悪感を刺激する。だが自身にとっても抜き差しなら無い状況だった。

 

 昨日、スペシャルウィークがホテルの部屋の風呂に浸かっていると、浴室に着信音が響く。携帯電話を手に取った瞬間、表情は明るくなった。

 

「もしもし」

「もしもし、スペ先輩ですか。スカーレットです。聞こえますか?」

「うん、スカーレットさん、聞こえるよ」

 

 電話の相手はダイワスカーレットだった。すると電話先から複数の声が聞こえ、聞き覚えのある声だった。

 ウオッカ、ゴールドシップ、メジロマックイーン、トウカイテイオー。そしてサイレンスズカだ。

 

「スペ先輩が寂しがっていると思うので、毎日この時間に電話させてもらいます」

 

 すると電話越しに『寂しがっているのはスカーレットのほうだろう』とウオッカの声が聞こえ、スカーレットとウオッカのいつもの小競り合いが始まったようだ。その姿を想像して思わず表情が緩む。

 初めての海外で親しい人は一人も居ない。そんな緊張の日々の中で、電話越しに繰り広げられている光景は、いつもの日常が戻ってきたようでスペシャルウィークの心を癒した。

 スピカのメンバーが交代交代で会話していく。今日のトレーニングでスカーレットに勝ち越した。ゴールドシップがまたやらかした。テストが返って来て、予想以上に点数が良かった。そんな取り止めの無い内容だったが、どれも聞いているだけで、心地よいものだった。

 

「もしもし、スペちゃん。元気?」

「スズカさん!はい、元気です!」

 

 スペシャルウィークの声と表情が一段階明るくなり、その威勢の良い声を聞いて電話越しのサイレンスズカが笑みをこぼす。 会話はスペシャルウィークが話し手となる。

 天気は日本と違い暑かった。部屋が豪華だった。ホテルには日本食の店があり、美味しかったなど、ドバイで体験したことを話しスズカは聞き手となり相槌を打つ。 いつものような会話だが、それがとても愛おしかった。

 

「そう、今のところで何か不安なことや、嫌なことはある?」

 

 その質問を聞いた瞬間、わずかな空白が生まれる。

 

「ありません。アグネスデジタルさんもプレアデスのトレーナーさんも良くしてくれています!」

 

 懸念、不安材料、そういった言葉でくくれることは有る。だがスズカに心配掛けてはならないと嘘をつく、そのせいか無意識に声が高くなっていた。

 

「そう……じゃあスペちゃん明日ね。お休みなさい」

 

 スペシャルウィークは電話が切れると、深く息を吐いた。 懸念、不安材料。それはアグネスデジタルのことだった。

 スピカメンバーでの会話でデジタル=変態という認識を植えつけられており、トレセン学園から成田空港の道のり、ドバイに着いてからの時間は警戒しながら接しており、スペシャルウィークの精神を多少疲弊させていた。

 だが共に過ごしていくうちに初めての海外遠征の自分を和ませようと、積極的に話しかけるデジタルに対して評価を改め始めていた。

 

 しかし、それはすぐに払拭されてしまう。

 

 トレーニング中、やけに視線を感じていた。最初は気のせいかと思っていたが、その纏わりつくような視線は無くならない。その発生源を探しているとすぐにアグネスデジタルだと分かった。 スペシャルウィークの中でデジタル=変態説が脳裏に浮上するが、すぐに否定する。

 

――――きっと親切心から、自分に何か不調がきたしていないか観察していただけだ。

 

 そう言い聞かせ、強引に好意的解釈していた。でなければ変態と1週間近く過ごすことになり、耐えられなくなってしまうから。だがその精神の防衛機構は崩れ去る。

 

 風呂から出て寝室でデジタルの姿を見た瞬間、全身に悪寒が走った。

 

 デジタルの顔は弛緩し、口元から涎がたれている。それだけでも恐怖だが、何より怖かったのはその目だった。

 見たことはないが、まるで麻薬中毒者のようだ。あの目はどう考えても常人がする目じゃない。

 スペシャルウィークの中でデジタルは変態ではなく、おぞましい何かに変貌した瞬間だった。 そして逃げるようにしてベッドに飛び込んだ。

 

 印象は固定されてしまうと覆すことは難しい。デジタルの印象が定まってしまったことで、好意はすべて悪意に転換されてしまう。

 デジタルの思いやりと気遣いの行動は、すべて下心がある悪意有る行動に返還されてしまった。

 

ーーーーーーこのままではマズイ!何とかしてこの変態から離れなければ!

 

 スペシャルウィークはベッドの中でデジタルの脅威に怯えていた。

 


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