勇者の記録   作:白井最強

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勇者と覇王と怒涛♯2

(眠れない!)

アグネスデジタルは目を開けベッドから上半身を起こした。

 

天皇賞秋前日、レースの前日はいつもより早めに寝るのが鉄則である。だがデジタルの意識は眠りに落ちることなく覚醒し続ける。

ついに!ついに!オペラオーとドトウと一緒に走れる!二人はどんな会話を交わす?どんな表情を向ける?二人のことが頭に浮かび全く眠れなかった。このままでは睡眠不足でレースを迎えてしまうことに若干の危機感を抱き始める。

 

気分転換に散歩でもするか。

 

デジタルは同室のエイシンプレストンを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出す。すると夜の学園は昼とは別の顔を見せていた。

日中は生徒の声で騒がしかった場所はまるで別世界のように静かだった。聞こえるのは風に揺れる紅葉や銀杏の葉の音と鈴虫の鳴き声ぐらいである。静かで心安らぐ音だ。そのかすかな音に耳を傾けながら当てもなく散歩する。

するといつの間にかチームプレアデスの部屋にたどり着き窓から光が漏れているのが目に入った。

テレビの消し忘れか?それとも誰かいるのか?

デジタルはチームルームの扉の前に立ちドアノブをまわすとドアノブはすんなりと回った。ということは誰かがいるのか?チームメイトかそれとも…

何が起きてもいいように警戒心を募らせながら入室する。そこには見知った後ろ姿があった。

トレーナーだ。モニターに映るレースを集中して見ており自分の存在に全く気付いていない。デジタルのなかにふとした悪戯心が芽生え、音をたてないように忍び足でトレーナーの背後に近づきいつもより少しだけ大きい声で呼びかけた。

 

「白ちゃん!」

「デジタルか、脅かすなや」

 

トレーナーは声をかけられた瞬間背中をビクりと震わせて慌てて映像を停止し、勢いよく後ろを振り向く。そしてデジタルの顔を確認すると安堵の表情を浮かべた。

 

「こんなところで何しているの?家に帰らないの?」

「今日は緊張して眠れそうにないからここで夜を過ごすことにした。ここなら東京レース場に近いし、朝になったら誰かしら来るから寝坊をする心配もない。デジタルは?」

「あたしも明日のことを考えると眠れなくて、学園を散歩していたらチームルームから明かりが漏れているのが見えたから来たの」

「そうか」

 

早く寝ろと小言を言おうと思ったがそれを止めた。

トレーナーは過去のことを思い出す。史上二人目の三冠ウマ娘のシンザン、その三冠がかかる菊花賞が行われる前日の夜、あの時も三冠達成の歴史的瞬間を生で見られると思うと楽しみと興奮で眠れなかった。

オペラオーとドトウと一緒に走れる明日はあの時の菊花賞以上に楽しみなのだろう。その興奮を抑えて寝ろというのは無理な話だ。

 

デジタルはトレーナーの真向かいに座ると何気なく喋り始める。

 

「もう明日なんだね。楽しみなイベント前は時間があっという間に過ぎちゃう」

「そうだな、それに色々あった。まさか出走するのにここまで言われるとは正直思っておらんかった」

「そうだね…そういえばチームのみんな何か言っていなかった?」

 

デジタルは声のトーンを少し落とし俯きかげんで質問した。

トレーナーは質問の意味を推察する。この質問の意味はチームメイトが自分のせいで迷惑がかかっていないかということだろう。

 

「心配するな。マスコミはお前が出走する件は全部俺のせいと信じているから、他の奴らに取材しに行っていない。それにお前が出ることに文句を言っている者はチームで一人もいない」

 

トレーナーは励ますように少し大きめな声でデジタルに伝える。

ウラガブラックの件でデジタルと一緒のチームだからと謂れの無い非難を受けているかもしれない。それを危惧してプレアデスのメンバー全員に聞き取り調査したところ、数人陰口を叩かれたと答えそのメンバー達はこう言った。

 

ほんのチョットはデジタルが出走しなければ陰口を叩かれないのにと思ったことはある。けどあれだけオペラオーとドトウと一緒に走るのを恋焦がれているのを見ているとそんな気持ち吹き飛んでしまう。

 

デジタルの情熱はチーム全員が知るところだった。デジタルにはオペラオーとドトウと一緒に走ることに集中してもらいたい。陰口を叩かれたメンバーはデジタルに心配かけまいとそんな様子を一切見せなかった。そしてチーム全員が天皇賞秋に向けてトレーニングなど献身的にサポートしてくれていた。

 

その言葉を聞きデジタルは安堵の表情を浮かべる。図太い神経の持ち主だと思っていたが人並みに周りのことを気にしていたのか。だがこれで少しは不安が和らぐだろう。

そしてデジタルの興味はテレビの映像に移っていた。

 

 

 

「それで何を見ていたの?」

「ああ、天皇賞秋に出る他のウマ娘のレースの最終確認だ。オペラオーやドトウの脅威になるとは思ないが癖とかを把握しておけば思わぬアクシデントも回避できる。まあそれをやらなきゃいけないのはお前やけどな」

「そういうのは白ちゃんに任せるよ。あたしは走るのが仕事、白ちゃんは考えるのが仕事」

 

トレーナーはデジタルの悪びれることない様子を見てオーバーリアクションでため息をつく。

まあ、全ウマ娘の動きを詳細に把握してレースを運ぶという離れ業は超一流と言われるウマ娘でなければできず、デジタルは明らかにそういうタイプではない。

逆に本来の力を発揮できなくなってしまう。調べてデジタルにもわかるように伝えるのが己の仕事だから問題ないが、せめて把握しようという努力は見せてほしいものだ。

 

「それよりオペラオーちゃんとドトウちゃんのレース映像ある?二人のレース見よ」

「近三走分の映像しかないぞ」

「え~何で二人の全レース持ってきてないの?まあいいや、とりあえずそれ流して」

「しゃあないな」

 

トレーナーはディスクを取り替えてとオペラオーとドトウのレース映像が入っているディスクを再生機に入れる。すると今年の天皇賞春のレース映像が流れた

 

『今年も覇王の強さは衰えない!テイエムオペラオー!春秋春の天皇賞3連覇達成!』

 

「はぁ~オペラオーちゃんはかっこいいな、泥まみれのこの姿がまた絵になる。それにドトウちゃんの2着になって、ほっとしたような嬉しいような悔しいような複雑な表情。いいよね~」

「オペラオーが完璧にレースを運んだな。あのレースをされたらどうしようもないわ。ドトウも中距離寄りのウマ娘だが3200でよく二着にきたな。やっぱり地力がある」

 

今年の天皇賞春のレースを見ながらデジタルはアイドルを見るファンのように、トレーナーは評論家のような顔をしながらそれぞれの見地でレースの感想を述べた。

 

「ねえ白ちゃん」

「なんや?」

 

デジタルはトレーナーに視線を向けず、画面から目を離さず質問する。トレーナーも同じように目を離さず相槌を打つ

 

「ねえ白ちゃん。そんなに緊張してるの?いつもだとそんな様子は無いのに」

 

トレーナーはデジタルの思わぬ質問に驚く。オペラオーとドトウにしか目が向いていないと思っていたが、こちらを気にかける余裕があったのか。

 

「チームのみんなが出るレースのたびにやり残しはないかって緊張しとる。だが明日は特別やな。何ていったってガキのころからの目標、いや夢が叶うかもしれないからな」

「夢?天皇賞が?」

「ああ、天皇賞はどうしても取りたいタイトルの一つで夢や」

「そうなの?白ちゃん海外かぶれだから取りたいのは凱旋門やブリーダーズカップとかで、国内のタイトルなんてどうでもいいと思っていた」

 

トレーナーはデジタルの反応に苦笑する。

確かに海外志向ではあるし、チームのウマ娘達に海外のレース事情などを語っていたりはしたが、そこまで国内のことを軽視していると思われていたのか。

 

「どうでもいいとはなんや。まあそこらへんも取りたいのは否定しないが、それ以上に欲しいのが天皇賞や」

「そんなに天皇賞が欲しいの?なんで?」

「それはGIレースのなかで一番古いからな、その分だけ歴史が積み重なり権威は増す。」

「へえ~そうなんだ」

 

トレーナーは感心している様子を見てデジタルの姿に思わずため息をつく。

おそらく授業で教えているはずだ、忘れているなこいつ。そんな様子を見ながら天皇賞に思いをはせる。

昔の天皇賞は日本で一番強いウマ娘を決めるレースだった。だが今は時が経つにつれ天皇賞の持つ意味も変わっていった。

最強ウマ娘を決めるレースは天皇賞ではなく、東京レース場でおこなわれる日本ダービーと同じ2400メートルのジャパンカップという認識になっており、注目度でも人気投票で出走ウマ娘を決める有マ記念のほうが天皇賞に比べて高い。

 

そういった意味では天皇賞は最も重要視されるレースではないのかもしれない。

だが、生まれる前から行われたという歴史に対する敬意、そして天皇賞と取る為にトレーナーが心血を注ぎウマ娘を鍛え、そのウマ娘たちが全力を尽くしてレースの数々。それらを幼き頃に見てその姿は心に強く刻み込まれ、憧れと夢を生んだ。いつか天皇賞に勝ちたいと。

 

そしてその夢を叶えてくれるかもしれないウマ娘、アグネスデジタルが出走する。

天皇賞秋に出走登録した時はオペラオーとドトウ相手に勝ち一着をとるのは難しいと思っていた。

だが天皇賞にむけて稽古を積むごとにデジタルは成長し仕上がりも万全だ。これならば充分勝機はある思えるほど手ごたえがあった。

 

一方デジタルも天皇賞に思いをはせるトレーナーについて考えていた。

トレーナーの言葉の一つ一つに想いの重さが感じられた。年は確か50代後半ぐらい、それでトレーナー免許を取得してから20年近く、どれほど想いこがれてきたのだろう?正直想像もできない。

 

「ねえ、白ちゃん。あたし昨日オペラオーちゃんに勝つ気があるのかって聞かれたの」

「それで何て答えた?」

「あるって答えた。正直言えば最初は勝敗には興味なかったの。ただオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走れればそれでいいって。でも今はかなり勝つ気あるよ」

 

デジタルはテレビ画面から目線を外しはっきりとトレーナーに視線を向ける。それは一種の決意表明だった。その決意を察したのかトレーナーもデジタルに視線を向けた。

 

ただオペラオーとドトウと一緒に走り間近で二人を眺めたいと思って出走を決意した天皇賞秋。今ではその初志に多くの想いが加わった。

天皇賞秋に出走する事で向けられる非難を一心に受けてくれ、長年の夢を叶えたいトレーナーの為。

同じチームに所属しているがゆえに色々と言われていたかもしれない、それでもそんなそぶりを見せずに接してくれたチームメイトの為。

次第に芽生えてきたウマ娘の本能として勝ちたいという自分の為。

 

勝ちたい。二人に勝ちたい。

デジタルの胸中には初志と勝利への欲が加わった。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

「ふぁ~何だか眠くなってきちゃった。部屋に戻るね」

「ああ、気をつけて帰れよ」

「うん。白ちゃんも夜更かしはほどほどにね。じゃあお休み」

「お休み」

 

デジタルは30分ほどレース映像を見ながら雑談に興じると眠気が来たようで欠伸をかきながらチームルームを出て行った。

 

「かなり勝つ気があるか」

 

一人になったトレーナーはデジタルの言葉を自ら口にする。

デジタルの口からこのような言葉が出るとは思ってもいなかった。

勝利への執着が出てきたことはウマ娘として嬉しい変化だ。この言葉を聞いてデジタルの勝利が一歩近づいた気がした。

 

暫く映像を見ているとトレーナーに眠気がくる。

俺も寝るとするか。テレビの電源を切り、腕を枕代わりにして机に突っ伏し目を閉じた。

トレーナーは眠りに落ちる前に明日のレースを想像する。

思わぬ結果にどよめく東京レース場、そしてしばらくしてその走りを称えるように観客たちはその名を呼ぶ。

アグネスデジタルと

 

 

ピピピピ、ピピピピ

 

トレーナーは携帯電話から流れる電子音によって意識を強制的に覚醒させられる。その不快な音を止めようと半覚醒状態で携帯電話を手に取り音を止めた。

椅子に座った状態で体を大きく伸ばす、すると部屋が少し暗いことに気づく。

電気を消したが朝のこの時間ならもう少し明るいはずだ。トレーナーは窓を開けて目に飛び込んできた冷気と風景を見て思わず舌打ちをする。鈍色の空に地面を打つ水滴。外は雨だった。

天気予報では雨は18時過ぎと予想されていたが外れたか。この雨の勢いだと天皇賞秋がおこなわれる11レースではバ場状態は重だろう。

テイエムオペラオーは重バ場に強いウマ娘である。アグネスデジタルもダートGIに勝てるほどなので苦手というわけではないが芝で走るならキレを生かせる良バ場でやりたかったのが本音だ。これは天がオペラオーに勝てと言っているのか?そんなネガティブな思考が頭をよぎる。

 

「おはよう白ちゃん!」

 

すると笑顔を見せながらデジタルがチームルームに入室する。その笑顔は外の天気とは打って変わって快晴の様なニッコニッコの笑顔だった。

 

「おはよう。体調はどうだ?」

「ちゃんと眠れたし、絶好調!」

 

デジタルは鼻息荒く答える。様子からして言葉通りまさに絶好調なのだろう。仕上がりは完璧と言っていいだろう

しかしデジタルの様子はまるで遊園地にいく小学生のようだ。そしてこの姿を見ているとネガティブな思考が消し飛びポジティブ思考になっていく。

 

「よし、じゃあ行くか愛しいオペラオーとドトウが待つ東京レース場に!」

「うん!」

 

 

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「あ~疲れた」

 

一人のウマ娘が疲労困憊の様子で控室に入室し近くの椅子に腰をかけ息を吐いた。少女の服と体は泥でひどく汚れている。トレーナーは少女にタオルを渡し労いの言葉をかける。

 

「お疲れさんライブコンサート。厳しい展開だったがよう踏ん張った。」

「きつかったです。前の東京も重でしたけど前以上に足が止まりますね。まあ皆が勝っているしデジタルの前に負けられないですよ」

 

ライブコンサートは緊張感から解放されたのか、ホッと息を吐き笑顔を見せる。

 

ウマ娘のレースはメインレースの前に10個のレースが行われ、チームプレアデスのメンバーは2レース、3レース、9レース、そして天皇賞秋が行われる11レースにエントリーしていた。

そしてチームプレアデスは好調で2レース、3レースを勝利し、この9レースも勝利していた。

 

「おい、デジタル。チームメイトが勝ったんだから祝いの言葉でも言ったらどうや」

 

トレーナーは控室の隅でタブレットを凝視しているデジタルに声をかけるが反応は一切返ってこない。その態度を不満に思ったのか再度声をかけようとするがライブコンサートはそれを制止した。

 

「いいですよ。今のデジタルはオペラオーとドトウとのランデブーで頭がいっぱいみたいです。それに気に入ってくれて良かったです」

「どういうことや?」

「なんでもないです。じゃあシャワー浴びてきます。お疲れ様です」

「おう、お疲れさん」

 

ライブコンサートは一礼すると控室を後にしていく。トレーナーはその後姿を見送りデジタルに視線を移す。相変わらず脇目も振らずタブレットを凝視している。恐らくライブコンサートが来たことも気づいていないだろう。凄い集中力だ。

 

「11レースのパドックを開始します。関係者の皆様は準備してください」

 

すると控室のスピーカーからアナウンスが流れトレーナーは没入しているデジタルの肩を叩き大声で呼びかける。

 

「デジタル!デジタル!パドックが始まるぞ、準備しろ」

「え、もうそんな時間?」

「そんな時間だ。しかしそんな集中して何を見ていたんだ?」

「オペラオーちゃんとドトウちゃんの画像集。ライブちゃんやフェラーリちゃんが渡してくれたの。いや~見たことないものばっかりだよ」

 

デジタルのタブレットのなかにはレースやウイニングライブなどの公式な写真や、チームごとのブログに掲載されているオフショットのような日常の写真から学園の裏ルートで仕入れた盗撮まがいの写真まで様々なものが入っていた。

気に入ってくれて良かったとはそういうことか。デジタルのテンションをあげようと渡してくれたのだろう。トレーナーはチームメイト達の気遣いに感謝した

 

 

 

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「それでは第11レースのパドックを開始します」

 

場内アナウンスとともにウマ娘達の姿を写真に取ろうと集まったファン達がカメラや携帯電話を一斉に取り出し始める

 

パドックとはレース前のウマ娘たちが周回しながら準備運動などをする場所であり。パドックの中央にはランウェイが設置されており、ウマ娘たち一人ずつが姿を現し調子を確認するお披露目会のようなものである

パドックは第1レースから11レースまですべて行われ、第1レースはメイクデビュー戦や未勝利戦がおこなわれ余程熱心なファン以外はパドックには来ない、そして第2レース第3レースとレースのランクが高くなるごとにパドックを見に来るファンが増え、GIが行われるレースとなれば多くのファンが集まり人口密集度でいえば都心の満員電車と変わらないほどだ。

姿を見せる順番はファン投票数が少ないウマ娘から始まり、ファン投票数が一番多い者が最後に姿を現す。人気下位のウマ娘達から姿を現しそしてアグネスデジタルの名前が呼ばれる

 

「続いてアグネスデジタル選手です」

 

アナウンスとともにランウェイに姿を現すと歓声とシャッター音とフラッシュがデジタルを出迎えた。デジタルは最後から四番目、つまり四番人気である。過去数回GIには出走しているがここまで注目を受けるのは初めてだった。だがデジタルはそれらに動じることなく悠然とランウェイを歩く。その姿をトレーナーは関係者スペースでじっと見つめていた。

 

肌つやも良く、表情も過度な緊張も無くトレセン学園を出た時と同じくレースが待ちきれないといった表情である。いい状態だ。

 

デジタルのパドックが終わると交代するように三番人気のキンイロリョテイが現れた。このレースの3強と位置づけられるだけあって歓声とシャッター音とフラッシュの量はデジタルより多い。リョテイは気合満々といった具合にノッシノッシとランウェイを歩く。他のウマ娘なら入れ込んでいると判断されるところだがリョテイはいつもこんな感じである。

そしてキンイロリョテイと交代するようにメイショウドトウが現れた。

 

トレーナーは今まで何百、何万のウマ娘のパドックを見てきた。日本のレースだけではなく凱旋門賞やブリーダーズカップなどの世界のビックレースでのパドックも見てきた。その経験からごく稀にウマ娘から後光が差しているように光って見えることがある。そしてトレーナーの目にはドトウは光って見えていた。

光って見えるときはそのウマ娘が強いか調子がすこぶるいいときである。その感覚は100%正しいとは限らず光って見えていてもそのウマ娘がレースに勝たないこともしばしばある。だがトレーナーは楽観的に捉えることができなかった。

今日のドトウは強い、宝塚の時のオペラオーだったら完勝できるほどに。

オペラオーに勝つ事で成長すると思っていたがこれほどまでか。これはオペラオーよりドトウをマークしたほうがいいかもしれない。頭の中でレース展開をシミレーションしていくうちにパドックはドトウからテイエムオペラオーの番に変わっていた。そしてオペラオーの姿を見てドトウの出来のよさで険しくなったトレーナーの表情がさらに険しくなる。オペラオーの姿もまた光って見えていた。

 

昨日まで、いやパドックの姿を見るまでは正攻法で互角の勝負が出来ると思っていた。だがその認識は甘いことを思い知らされる。これはまともにいっては負ける。出し抜き奇襲奇策といわれる戦法をとらなければ勝てない。

 

トレーナーは脳細胞をフル稼働し勝利への道筋を探し始める。

相手、バ場状態、天候。様々や要素を考慮し思考する。パドックが終われば一旦控室に戻りそこからレース場に入る、それまでの時間は15分弱、それまでに見つけなければならない。

思考の海に没入する中トレーナーの脳内にある言葉が浮かび上がる

 

―――――重でしたけど前以上に足が止まりますね

 

ライブコンサートが何気なく言った言葉。確かに今日は普段の重と比べてタイムもいつも以上に時間がかかっている。コースの内側は相当荒れているのだろう。その瞬間ある一つの方法にたどり着く。まさに奇襲といえる方法だった。だがこれはデジタルに伝えるには躊躇してしまう作戦だった。これはデジタルの想いを踏みにじる方法だ。他に方法はないのか?残り少ない時間で必死に考えるが他の方法が思い浮かばず時間は無情に過ぎていく。そして選択肢は二つしか残されていなかった。伝えるか、否か。トレーナーの脳内では葛藤が渦巻いていた。

 

――――――――――

 

「デジタル、レースの作戦はどうするつもりだ」

 

控室に戻るとトレーナーが重々しく尋ねる。デジタルはレース前の高揚感からかその様子の変化を感じ取ることはできなかった。

 

「たぶんレースはドトウちゃんが宝塚みたいに抜け出してオペラオーちゃんがそれを捕らえる展開になると思う。だからオペラオーちゃんの後ろについて一緒に仕掛けようと思う。二人の叩きあいに加わって間近で見るの」

 

正攻法といえる戦術、それはトレーナーが数十分前まで考えていた戦術だったが今は状況が変わってしまった。トレーナーは一つ深呼吸をして苦々しい顔を作りながら言葉をつむいだ。

 

「デジタル…直線に入ったら…外埒に向かって走れ…」

「え?」

「オペラオーとドトウとの競り合いに参加したら勝てない。バ場状態が良い外に回ってお前の末脚のキレを生かしつつ二人の勝負根性をすかせ」

 

今日のバ場は予想以上に重い、だがすべての場所が重いとは限らない。それこそ誰もが通っていないルート、外埒付近ならまっさらな状態で走れる。デジタルは長く良い脚よりマイルCSに勝ったときのようにキレ味で勝負したほうがいい、そしてそのキレ味を生かせるのは荒れていないバ場だ。

そしてこの作戦の利点はオペラオーとドトウの勝負根性を最大限発揮できないことである。外埒付近を走るということは内側を走る二人から十数メートル離れることになる。内側ならデジタルの末脚で抜き去ろうとしても勝負根性を発揮し食らいつき抜き去ろうとするが、外ならデジタルが離れており、その比類なき勝負根性を持つ二人でもどうして弱くなってしまう。

 

その言葉を聞きデジタルの高揚感は急降下し、楽しみで待ちきれないという笑顔は真顔になっていた。

 

「やだ。それじゃあオペラオーちゃんとドトウちゃんの近くで一緒に走れないってことでしょ」

 

外埒に向かって走るということはまさに二人から離れるということである。仮にドトウが外埒に向かえばオペラオーがマークする為に外埒に向かうことがあるかもしれない。だが伏兵扱いのデジタルをマークする為にオペラオーかドトウが来ることはありえない。オペラオーとドトウの近くで走り二人の様子を観察する。それがデジタルにとっての大前提だった。

 

「大丈夫だよ!二人の勝負根性が凄いなら、あたしの勝負根性だって凄いもん!二人の近くで走れば二人以上に勝負根性を出せる!あたしを信じてよ!」

 

デジタルは懇願するがトレーナーは決して首を縦に振らなかった。デジタルが言うように二人以上の勝負根性を発揮するかもしれない。だがそのイメージを持つことができなかった。勝つためには叩きあいの勝負に持ち込むより外に出してのキレ味勝負しか考えられなかった。

 

「もういい、わかった……」

 

デジタルは観念したように呟く。そしてその表情はいつもアッケラカンとして朗らかなデジタルが見せたことが無いような冷たい表情をしていた。

 

「今日ばかりは白ちゃんの言うことは聞けない。あたしの好きなように走らせてもらうから」

 

デジタルの胸中は深い失望に満ちていた。トレーナーなら自分がどれだけ二人と走るのを待ち望んでいたか知っているはずだ。だからこそ負い目を感じないようにマスコミからの非難を庇ってくれた。そんなトレーナーを心から信頼していた。それなのに!トレーナーは二人の近くで走るなと言った!

今日ばかりは好きに走らせてもらう。例え指示に背いた事でチームをクビにされたとしてもかまわない。

デジタルはトレーナーと目線を合わせず控室を出ようとする。だがトレーナーはそれを止めるように両肩を握りしめ強引に目線が合うように振り向かせた。

 

「デジタル!お前はルール上問題ないにせよウラガブラックの夢を摘み取った!お前には勝利を目指す義務がある!自分の力を最大限発揮するのが勝利を目指すことやない!自分の力を削いでも相手の力をそれ以上に削ぎ上回ることが勝利を目指すことや!」

「そんなこと知らない。あたしはあたしの好きなようにするから」

「ならお前を応援し勝利を望むファン達、何よりチームのみんなを裏切るんか!」

「あたしだって!」

 

デジタルはトレーナーを睨むように顔を上げる。その目にはうっすらと涙を浮かんでいた。

 

「あたしだって勝ちたいし白ちゃんやみんなの期待に応えたいよ!でも……それ以上にオペラオーちゃんとドトウちゃんの近くで走りたいの……」

 

デジタルにも皆への感謝の念やその期待に応えたいという気持ちは充分にある。だがそれ以上に二人を感じたいという願望が強かった。なんて自己中心的なのだろう。それでもあふれ出す衝動を抑えることができない。デジタルの願いとレースへの勝利を計りにかけ苦しみ選択したトレーナーと同じようにデジタルも苦しんでいた。

 

デジタルの悲痛な顔を見てトレーナーの決意が揺らぐ、本当に、本当にこれ以外方法はないのか?考えろ!脳細胞が焼ききれるまで!トレーナーは必死に考える。人生でこれほど脳細胞を酷使したのは初めてかもしれない。そしてあるアイディアが脳内に閃く。

このアイディアを浮かんだときは自らの正気を疑った。だが勝利とデジタルの願いを叶えるためには常識はずれ奇想天外と言われるような方法をとるしかない。

 

「デジタル、勝利とデジタルの願いを叶える方法を思いついた」

「本当?」

「今から言うことはかなりアホで突拍子もない方法だ、いや方法とすらいえないもんや。こいつ頭イカれたかと思ってもとりあえず聞いてくれ」

「うん」

「この方法はルドルフでもブライアンでも出来ない。日本中、いや世界中探してもお前にしか出来ない方法だ」

「わかった」

「じゃあ言うぞ」

 

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各レース場には観客席の最上段のさらに上に関係者スペースが設けられている。レースではゴール版近くで観戦する者もいるが、大半のトレーナーやチームメイトや親族はこの関係者スペースで観戦する。そしてこのスペースにはトレセン学園所属のウマ娘及びトレーナーなら出入りは可能である。

 

「どうやら間に合ったみたいね」

 

その者達がスペースに入った瞬間周囲がざわめく、入ってきたのはトレセン学園ナンバーワンのチームリギルのトレーナー東条ハナ、そしてそのメンバーのシンボリルドルフ、ナリタブライアン、エルコンドルパサー、グラスワンダー、ウラガブラックだった。

六人は空いている観覧席に座りガラス越しにレース場を見下ろす。

 

「それぞれこのレースに出たならどこに位置取りどこで仕掛けるか、シミレーションしながら観戦しろ」

「はい!」

 

メンバーはハナの言葉にしっかりと返答する。ウラガブラック以外は全員オペラオーとドトウが出走予定のジャパンカップに出走するメンバーだった。ここにきたのもテレビ観戦以上にレースを俯瞰的視点で見られるからだった。

 

「ちなみに誰が勝つと思う?」

「オペラオーが勝つと思います」

「同じくオペラオー」

「私は同じマル外としてドトウに期待しています」

「あたしもデース」

 

ハナの質問にそれぞれが答える。ルドルフとブライアンはテイエムオペラオー。グラスワンダーとエルコンドルパサーはメイショウドトウと答える。

 

「ウラガブラックは?」

「アグネスデジタルが負ければ何でもいいです……」

 

そしてウラガブラックは若干ふてくされ気味で答えた

 

「いつまでふてくされているんデス。じゃあ何で来たのデスか?」

「分不相応に出たアグネスデジタルが負けるところを見に来ただけです。というより痛いですエルコンドルパサー先輩」

 

エルコンドルパサーはヘッドロックを極めながら人差し指でウラガの頬をつついていた。

 

「でもそのおかげでダートの素質が分かって良かったじゃないデスカ。え~っと日本でいう~」

「怪我の功名?」

「それデス、グラス。怪我の功名デス」

「そうだな。せっかく仕上げからとためしに出したがあそこまで適正が有るとは思わなかった。私の見る目のなさで危うくウラガの才能を潰すところだった。まさに怪我の功名だ」

 

エルコンドルパサーの言葉にハナは賛同する

天皇賞秋に出走できなかったウラガは天皇賞の前日に開催されるダート1600メートルのGⅢレース、武蔵野ステークスに出走する。すると圧倒的なパフォーマンスを見せ一着になった。

 

「あっ、入場が始まりますよ」

グラスの言葉を聞きメンバーはレース場に注目を向けた。

 

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「お~いこっちだこっち!」

 

東京レース場ゴール板付近、男性が手を振るとそれに気づいたウマ娘二名が男性の下に駆け寄る。

 

「間に合ったな。傘をしまってこれを着ろ。ゴール前は傘を差さないのがマナーだ」

 

男性はレインコートを渡し、二人のウマ娘はそれを着用する。二人のうち一人はスペシャルウィーク、もう一人はサイレンススズカ、そして男性はチームスピカのトレーナーである。

サイレンススズカ、スペシャルウィークの二名もリギルの四人と同じくジャパンカップに出走予定しており、テイエムオペラオーやメイショウドトウの敵情視察も兼ねて東京レース場に訪れていた。

 

 

「トレーナーさん。わざわざ雨にぬれなくても関係者スペースで見ればよかったでは?」

「まあ、そうだがレース映像は後で見られるし、近くでしかわからないことも有るからな。何よりレースを見るならガラス越しじゃなく生で見るゴール前だろ」

「そうですね。皆が走るドッドッドッドって音の迫力は興奮します」

 

『各ウマ娘の入場です』

 

アナウンスが流れると観客達の歓声が上がり会場の興奮と緊張が高まっていく。それに呼応するように三人の鼓動が少しだけ速くなった。

入場はゲートの若い順番が行われ、一番のウマ娘が入場してくる。そして二番のウマ娘が入場すると歓声は大きくなった。

 

『今日も勝って政権交代なるか!?覇王の宿敵!二枠二番メイショウドトウ!』

 

メイショウドトウは体を小さくしながら入場するが、観客席を見ると何かを決意したかのように背筋を伸ばしその雄大な体をファンに見せる

 

『潜在能力はメンバー屈指!その情熱を解き放て!四枠四番キンイロリョテイ!』

 

バ場に入場すると観客席に向かって雄叫びのようにシャアッと叫ぶ。その後返し運動をしながらゲートに向かう途中に突然サイレンススズカ達のほうに近づき何かを叫び、再び返し運動に戻った。

 

『府中に覇王が帰ってきた!前人未到の天皇賞四連覇へ!五枠六番テイエムオペラオー!』

 

オペラオーが入場するとこの日一番の声援が出迎える。オペラオーはその声援に舞い上がることなく動じることなく淡々と返し運動をしながらゲートに向かう。その風格はまさに王に相応しいものだった。

 

『物議を呼んだ出走、黙らせるには勝つしかない!七枠十番アグネスデジタル』

 

アグネスデジタルの表情は真剣みを帯びて険しく、一歩一歩踏みしめるごとに何か覚悟を決めるようだ。バ場の真ん中に立つと観客席、そして上部にある関係者席に目線を向ける。数秒ほど見つめるとゲートに向かった。

 

そして全ウマ娘が入場し、あとは発走まで待つのみになる。その間ファン達の予想や希望を話す声でレース場は騒がしくなりスペシャルウィーク達もその例に漏れなかった。

 

「ドキドキしますね!スズカさん!トレーナーさん!」

「そうねスペちゃん」

「そうだな。お前達が走るレースの時のこの時間は緊張で胃が痛むが、ファンとして迎えるこの時間はワクワクで楽しみだ。しかしリョテイがこっちに来たときは驚いたな」

「急に来てびっくりしました。何か怒らせたかと思いました」

「ごめんねスペちゃん。リョテイも悪気があったわけじゃないと思う。ただ感情が高まっているところに私を見つけたからそれをぶつけただけだと思う」

 

リョテイが迫り来る形相を思い出し少し怖がっているスペシャルウィークをサイレンススズカはあやすように声をかける。

リョテイの闘争心、いや気性の荒さは同期でもずば抜けていた。その気性の荒さゆえに様々なトラブルを招いていたな。スズカは数々の気性難エピソードを思い出し懐かしむように笑った。

 

「スペとスズカは誰が勝つと思う?」

「う~ん。メイショウドトウさんかテイエムオペラオーさんだと思います」

「私も無難ですがその両者だと。あとは同期の縁でキイイロリョテイにもがんばって欲しいです。トレーナーさんは?」

「まあ、その三強だろうな。あと個人的にアグネスデジタルを期待している」

「アグネスデジタルですか?」

「というよりトレーナーの白さんにかな」

 

デジタルじゃなくトレーナー。二人は思わぬ答えに驚きの表情を作る。

あの人の考えは破天荒で予測不能だ。

例えばアグネスデジタルがマイルCSを勝ったとき。芝では結果が出ずダートで結果を出していた。このままダート路線をいくと思いきやのことだった。関係者がその出走に戸惑っているなか勝利した。大半のトレーナーはマイルCSには出さないだろう。それほどまでに意外なことだった。

そしてこの天皇賞秋もダートを走ってから芝のレースに出走。マイルCSと同じ状況だ。何かしら勝算があるのだろう。だがアグネスデジタルは三強より劣っている。それがトレーナーの見立てだった。そうなるときっと奇襲や奇策をしかけてくるだろう。何を仕掛けてくる?トレーナーは作戦を予想しながら発走を待つ。

 

 

 

各ウマ娘がゲートに入る前に準備運動を行いながら集中力を高めていく。キンイロリョテイは内にある闘志を抑えきれないとばかりに他者を威嚇している。メイショウドトウはテイエムオペラオーを見つめながら何回も深呼吸を繰り返している。テイエムオペラオーは悠然と自然体に準備運動をおこない集中力を高めていく。そしてアグネスデジタルはメイショウドトウとテイエムオペラオーの様子を凝視していた。

二人の表情、呼吸、すべての要素を観察する。このときは観客の声も他のウマ娘の存在もデジタルの世界には存在しない。存在するのはドトウとオペラオーだけだった。

 

暫くするとファンファーレが鳴り響き観客席から地鳴りのような歓声が上がり、各ウマ娘達がゲート入りしていく。汚名返上、リベンジ、実力の証明、葛藤。様々な思いと願いを秘めながらゲートを開く瞬間を待ち続ける。その時間は長かったのか短かったのか?それぞれの体感時間とは裏腹に時間は過ぎてゲートが開く。

 

天皇賞秋が始まった。

 




この話で終わらせるつもりでしたが思った以上に長くなったので
レースは次の話になってます

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