例
テイエムオペラオーはリギル所属ではない
『さ~あ、直線に入りどのウマ娘が飛び出すのか!?』
6月最終週に行われるGIレース宝塚記念。
阪神レース場2200メートルで行われ、ファン投票で選ばれた精鋭ウマ娘が鎬を削る夏のグランプリ、この夢の舞台で数々の激闘が繰り広げられてきた。そして今日行われる激闘を見ようと多くのファンが阪神レース場に押し寄せる。ファンの熱気と初夏の熱気が合わさりレース場は圧倒的な熱を帯びていた。
『先頭に躍り出たのはメイショウドトウ!ドトウ先頭!ドトウ先頭!ドトウの執念が実るのか!?』
メイショウドトウ。
中長距離のレースを得意とし、GIIレースを複数勝利。GIも二着五回と誰もが認める実力者である。本来ならば間違いなく主役になれるはずだった。だがウマ娘の神様はそれを許さず彼女は準主役で甘んじ続けた。
彼女は後ろに一切目をくれずゴールを目指す。主役になるために、自分を負かし続けた相手に勝つ為に。
『だがテイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!冬のグランプリを彷彿とする末脚だ!』
テイエムオペラオー
GI7勝ウマ娘、一年間出るレースすべてに勝つという前人未到空前絶後の偉業を成し遂げたウマ娘。絶対王者にしてウマ娘界の主役。そしてメイショウドトウのGI二着五回のうちすべてのレースでオペラオーが一着だった。今日も勝利の凱歌を歌うためにメイショウドトウに襲い掛かる
『しかしメイショウドトウ依然先頭!ついに一矢を報いるのか!夢の一矢を報いるのか!』
ゴールまで残り200メートルまで迫るがオペラオーは依然捉えきれない。いつもと違う。オペラオーはドトウを抜き去ろうと歯を食いしばる力を振り絞る。またドトウもリードを守り切ろうと歯を食いしばり力を振り絞る。
ゴールまで100メートル、50メートル、10メートル、5メートル。0メートル
『メイショウドトウだ!やった~!やった!やった!メイショウドトウだ!ついにオペラオーを倒した!』
ゴールを最初に駆け抜けたのはメイショウドトウ。6度目の挑戦でついにオペラオーに先着する。ついにドトウがオペラオーを負かした。あの絶対王者のオペラオーが負けた。驚愕、喜び、困惑。様々な感情が渦巻き会場はざわついている。まるでどう反応してよいのか分からないようだった。
『あ~、ドトウが蹲っています!いったいどうしたのか!?』
ドトウがゴールを駆け抜け30メートルほど進んだところで両膝を地面につき顔を芝に埋めた。その様子を見て会場は一気にざわついた。会場の観客たちにある言葉が脳内に過る。
故障
宿敵オペラオーを倒すために100%以上出してしまった代償なのか?軽度の怪我ならまだいい、だが重度の怪我、まさか競争能力喪失するほどの怪我か、観客たちは祈りながら固唾を飲んで見守っていた。
するとオペラオーはドトウの様子に気づき踵を返し戻り心配そうにドトウの顔を覗き込む。その顔は最悪の状況を想像しているのか険しい、だが数秒すると表情は弛緩し笑みすら見せていた。その目に映ったのは泣きじゃくるドトウの姿だった。
勝てました。やっと勝てました。
ドトウはそう呟きながら芝を涙で濡らし続けていた。GI連勝記録をストップさせた相手が目の前にいる。恨み言の一つや二つでも言いたいところだが恨みや憎さはまるで湧かない。何度も負けても立ち向かい一矢報いた。その精神力その走りに敬意に似たような思いを抱いていた。
オペラオーは労うようにドトウの背中を優しく擦る。そして立つように促すとドトウの片手を掴みその手を高らかなに上げる。その行動は『ボクに勝ったのだから胸を張れ、そしてファンの声援に応えてやれ』と言っているようだった。
『ドトウ!ドトウ!ドトウ!』
その姿を見た観客たちは自然発生的に勝者の名を叫ぶ。ドトウの勝利を望んだ者も、それ以外のウマ娘の勝利を望んだ者も、オペラオーの勝利を望んだ者すらドトウの健闘を称え拍手を送っていた。先ほどまでの重たい空気は吹き飛び会場は興奮の坩堝と化した。
───
チームプレアデスのチームルームでも阪神レース場と同じような雰囲気に包まれていた。
レースを見ていたウマ娘達も感動を噛みしめるように画面を見つめてる。何回も敗れた相手に一矢報いる。
フィクションでも使い古されたシチュエーションだがそれ故に普遍的で心に響く。彼女たちはこの時はレースを走る競技者ではなくレースを愛する一ファンになっていた。皆が余韻に浸っているとそれをぶち壊すように一人のウマ娘が声を張り上げる。
「オペドトキテル!」
チームメイト達は一斉に声の主の方に首を向ける。栗毛の髪色に赤い大きなリボンをつけている小柄なウマ娘は興奮で息を弾ませ顔を紅潮させている。その姿を見たチームメイトはすぐにモニターに視線を向けた。彼女の奇行はいつものことだった。
彼女の名はアグネスデジタル、GIレースマイルCSに勝利しているチームプレアデスの看板ウマ娘だ。
「ねえ見た見た白ちゃん!ねえ見た白ちゃん!」
デジタルは幼子のように声をかける。白ちゃんと呼ばれる中年の男性はデジタルに首を向ける。彼はチームプレアデスのトレーナーだ。トレーナーは興奮状態のデジタルとは違い冷静に答える。
「ああ、あの先行策。ドトウの作戦勝ちやな。だがドトウの走りは見事だった」
勝利はカトンボを獅子に変える。ドトウの実力は元々認めているところだったがこの勝利で化けるかもしれない。
そしてオペラオーも久しぶりの負けという屈辱を味わいさらに強くなるだろう。秋での二人の対決が楽しみだ。トレーナーではなくウマ娘レースの1ファンとして思いをはせる。しかしその答えはデジタルが求めているものではなかった
「違う!あのオペドトの絡み!最初は自分の勝利を邪魔するナルシストのいけ好かない奴と思っていたドトウちゃん!でもワンツーフィニッシュを繰り返し心を通じ合わせていくうちにオペラオーちゃんに魅かれていくドトウちゃん!そんな時オペラオーちゃんは宝塚に勝ったら海外挑戦ということを知りショックを受けるドトウちゃん!もっとオペラオーちゃんと走りたい!掲示板の一着と二着は私とオペラオーの指定席!オペラオーを他のウマ娘に渡さない!そのためには自分が勝ちオペラオーの海外挑戦を白紙にさせるしかない!そして魂の激走!そして一方オペラオーちゃんは負けたショックで放心状態!それで……」
「わかった!わかったから」
先ほどよりさらに興奮状態で捲し立てるデジタルをトレーナーは手で制した。顔は数センチまで近づき興奮状態で話しているせいか唾が飛んできて汚い。
何回も負け続けた相手に雪辱を果たす。判官贔屓心を擽る状況であり、その相手が自分を倒した相手を讃えて大歓声に包まれる会場。確かに感動的な場面で確かに胸が熱くなる。だがここまで興奮できるものなのか?
さらにデジタルは事実に有ることないこと自分の妄想を付け加える。カップリングがどうのこうのなど、攻めだの受けだの専門用語をよく聞かさられる。
最初はトレーナーはもちろん同じチームのウマ娘もそのデジタルの情熱、いや奇行に引いていたが、今ではすっかり慣れてデジタルがトレーナーに自分の妄想をぶつけるのは日常の光景になっていた。むしろデジタルに感化されたのか他のウマ娘がデジタルとカップリングについて話しているのもよく見かける。
「ほら、インターバル終了!宝塚記念見終ったならトレーニング再開や!」
デジタルの妄想トークから矛先を逸らそうとトレーニング再開を促す。チームメンバーはトレーナーの言葉に従いチームルームからトレーニング場に向かう。デジタルも妄想トークを止めトレーニング場に向かう。だが名残惜しそうに振り返りモニターに映るドトウとオペラオーの姿を見つめる。
「宝塚記念は録画予約しているから後で見ろ、さっさとトレーニング行って来い」
デジタルはその言葉に納得したのか渋々トレーニング場に向かう。チームルームから退出する際にデジタルは小声で呟いた。その言葉はトレーナーの耳に届かなかった。
「あたしもオペラオーちゃんとドトウちゃんの絡みをもっと近くで見たいな」
───
「突き抜けた!突き抜けた!アグネス!アグネス!アグネスデジタル完勝!」
盛岡レース場で行われるダート1600メートルのGIレース南部杯、デジタルなどの中央ウマ娘と各地にあるトレセン学園に似たような学園に所属している地方ウマ娘、その中央と地方のウマ娘が一緒に走る地方交流レースで、中央で行われるGIレースとはまた違った盛り上がりを見せるレースだ。
そしてデジタルはこのレースに出走して地元の強豪ヒガシノコウテイを抑え勝利した。
「ようやったなデジタル」
トレーナーはデジタルにタオルを渡し勝利をねぎらう、デジタルは他のウマ娘の返り砂を拭き満足げな表情を見せる。
「食べ物も美味しいし、レース場のロケーションも綺麗だし、いいところだね。何よりヒガシノコウテイちゃん!あの体つきは中央のウマ娘にないもので眼福!それにあの中央ウマ娘に絶対に勝つっていうあの眼!たまらない~!」
デジタルは満足なレースが出来たのか笑顔見せて相変わらず興奮気味に喋りかける。
トレーナーはデジタルの能力に少なからず感嘆していた。
デジタルは東京や京都など中央のウマ娘が走るレース場以外に、船橋、川崎、大井、名古屋などの地方ウマ娘協会が主催するレースに出走していた。
ウマ娘は人間と比べて多少神経質なところがあり、中央では実力が発揮できても地方の独特な環境に戸惑い力が発揮できないウマ娘も多い。
だがデジタルは地方でも変わらず実力を発揮している。精神力が強い、いやマイペースというべきか。環境の変化に戸惑うことなくただ一緒に走るウマ娘に関心を向けている。それがデジタルのマイペースの所以だろう。
「ねえ、次はどのレース出るの?」
「次はJBCの予定や。2000メートルは勝ったことがないが今のお前なら十分やれるやろ」
「白ちゃん。あたし秋の天皇賞に出たい!」
トレーナーはデジタルの思わぬ発言に目を見開く。
天皇賞秋。東京レース場で行われる芝2000メートルGI。秋の中距離GI三連戦の初戦のレースの最近のウマ娘界は中距離を重視する傾向があり、秋の天皇賞の価値は高まっている。
このレースにデジタルを走らせる選択肢は今までまるでなかった。
デジタルはかつて芝の1600メートルのGI、マイルCSで勝ったことがある。だがデジタルはマイルCSに勝ってから芝のレースで三回走ったがいずれも勝つことができなかった。
その敗戦もさることながらデジタルはダートの方に若干適正があると考えて、ダートで走らせていた。だが今なら良い戦いできるだろう。だが。
「けどオペラオーが出てくるからな」
天皇賞秋にはテイエムオペラオーが出走してくる。宝塚記念でドトウに負けたといえど中長距離NO1ウマ娘の座は揺るがない。比類なき勝負根性、ゴール前で計ったように差し切るレースセンスと瞬発力。その力は歴代ウマ娘の中でも屈指であると評価していた。
さらに2000メートルという距離。ありえない位置取りから差し切った皐月賞。他のウマ娘に完勝した去年の天皇賞秋。オペラオーのベスト距離は2000メートルであると考えていた。
やるからには目指すは勝利のみ、勝負を放棄しライブに出られる2着3着を狙うのは主義に反しチームのウマ娘にもそんなレースはしてもらいたくはなかった。
2着3着狙いなら可能だろう。だがオペラオーを倒して一着になるには少々分が悪い。
「お願い!あたしオペちゃんとドトウちゃんと一緒に走りたいの!」
いつものあっけらかんな態度と打って変わり真剣に頼み込む。デジタルは今までトレーナーが提案したレースに出走することに異議をとなえることがなかった。
他のウマ娘は憧れのこのレースに勝ちたい、あのウマ娘に勝ちたいとレースの変更を求めることがある。そんなウマ娘はトレーニングにいつも以上に力を入れている。だがデジタルは一切しない。ただ指定されたレースに出走し、普段通りトレーニングしていた。
だが今デジタルは初めて執着を見せた。その執着がデジタルを強くしオペラオーを打ち負かすかもしれない。トレーナーはデジタルの執着に可能性を賭けた。
「ちょっと待っていろ、今調べるから」
トレーナーは手持ちのタブレットを立ち上げる。天皇賞秋は外国で生まれたウマ娘、俗にいうマル外は二人しか出られない。そして出走を決めるのは各レースの着順で得られるポイントの多さで決まる。
一人はメイショウドトウで決定的である。そしてアグネスデジタルが南部杯に勝ったことによりポイント数で二位になり出走が可能だ。
「デジタルは出走可能か、よし次は天皇賞秋や」
「ありがとう白ちゃん!」
「抱き着くなや!」
デジタルは喜びのあまりトレーナーに抱き着き、その様子を見たウマ娘や関係者が如何わしいものを見るような視線を向ける。
トレーナーはしっかりと抱き着くデジタルを必死に引きはがした。
───
「フェラーリちゃん今月号のユウシュン読んだ!?」
「読んでないけど。何か面白い記事でも有ったの?」
「面白いも何も、オペラオーちゃんとドトウちゃんの記事でしょ!やっぱりオペドトキテル!」
「へえ~。じゃあ次読むから貸してよ」
「いいよ。あたしがオペドトの素晴らしさをたっぷり解説してあげる」
「それはいいわ。しかし本当に楽しそうね」
「うん。早く天皇賞秋で生絡みを見たいな」
チームルームではメンバーがトレーニングの準備をしながらそれぞれ思い思いに雑談に興じる。昨日のTVの話題、今日の授業の内容について、来週のGIの予想。会話は弾みチームルームは和やかな雰囲気に包まれる。すると扉をノックする音が辺りに響く。
「お~い、着替え終わったか?」
トレーナーが来た。デジタルは皆が着替え終わっているのを確認すると入っていいよとドア越しに伝え、トレーナーは入室し後ろに設置されているホワイトボードの前に立つ。それに反応するようにウマ娘達は床に座り話を聞く体勢を作る。
トレーニング前だけあり先ほどまでの和やかな空気は薄れ真剣みが増していた。トレーナーは全員がいる事を確認し言葉を発しようとするが、それは思わぬ来訪者によって邪魔される。
「アグネスデジタルとそのトレーナーはいます!?」
扉を蹴破らん勢いで一人のウマ娘が鼻息荒く入室する。白髪のロングヘアー、肌も新雪のように白い。だがその肌は興奮で赤みを帯びていた。ある者は不安そうに、ある者は警戒心を募らせながら見つめる。誰しもが少なからずこの来訪者は友好的ではないことを理解していた。場は剣呑な雰囲気に変わっていく。
「私はチームリギルのウラガブラック。それでアグネスデジタルとトレーナーはどこです!」
「あたしだよ」
「俺がデジタルのトレーナーや」
デジタルとトレーナーはウラガブラックの敵意に満ちた空気にあてられることもなくいつも通り鷹揚と答える。
ウラガブラックは二人の姿を確認し、トレーナーの方にツカツカと歩み寄り顔を近づけ睨むように目線を定める。
「単刀直入に言います。アグネスデジタルを天皇賞秋から回避させてください」
トレーナーはその言葉を聞きすべてを理解した。
ウラガブラック。ジュニアクラスでGIレースNHKマイル一着などの輝かしい成績を誇る世代屈指の実力者。そしてマル外である
ウラガブラックは天皇賞秋に出走登録していがデジタルが出走登録したことでレースポイント所持数で登録から弾かれる。弾かれるウマ娘のことは考えていなかったがウラガブラックがそうだったのか。そして出走する為に直談判しに来た。
「私なら一着になって、テイエムオペラオーとメイショウドトウがいつも一二着の退屈で停滞した中長距離レースに風穴を開けられます。ファンもきっとそれを望んでいます。ですから回避してください!」
自分ならオペラオーとドトウに勝てる。その自信家ぶり、そしてわざわざ直談判しに来る心意気。トレーナーはその心意気を買っていた。
自分が出走登録し、デジタルが天皇賞秋への気持ちがいつもと同じ言われたから走る程度だったら譲ってやらないことはないが、このレースはあのデジタルが始めて自ら走りたいと志願したレースだ。譲ることは出来ない。
「すまんな。デジタルは天皇賞秋に出走させる。協会に枠を増やせと直談判するなら俺も少なからず協力する」
協会に頼み込めばマル外の枠が増えるかもしれない。だがそれは少なくとも来年のことだろう。天皇賞秋まで残り三週間弱。その期間でマル外の出走枠を増やせるほど協会のフットワークは軽くは無い。そしてウラガブラックもそれは重々承知していた。
視殺戦のようなにらみ合いが数秒続きウラガブラックのほうから目線を逸らす。トレーナーを説得するのは無理だと察した。
ウラガブラックはアグネスデジタルに向かって歩み寄りトレーナーの時と同じように目線を定める。ウラガブラックのほうがデジタルより身長が高く見下ろすようになっておりその場面だけを切り取れば上級生が下級生をカツアゲしているようだった。
「天皇賞秋を回避してください。貴女ではテイエムオペラオーには勝てません。ですからマイルCSに出走すればいい。マイルCS連覇。偉業じゃないですか」
「偉業?」
「そうです。偉業です。ですが天皇賞秋に出走すれば疲れが残りマイルCSに勝てないですよ」
「そんなの興味ない。あたしはマイルCSに勝つよりオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走ることのほうが重要だから」
ウラガブラックはデジタルの言葉に違和感を覚えた。一緒に走ることのほうが重要?何故天皇賞秋に勝つと言わないのか?すると脳内である結論に達しそして激怒した。
「何で私の夢を邪魔するの!一緒に走りたい!?そんな下らないことのために出るなら枠を譲りなさいよ!」
ウラガブラックはデジタルのトレーニングウェアの襟首を掴みヒステリックに叫ぶ。こいつは勝つ気がさほどない。そんな奴に私の夢を邪魔されるのか!
ウラガブラックにはある夢がある。それは凱旋門賞に勝つこと。そして今年は国内で文句なしの実績を積み国内最強の座を勝ち取る、来年は同じチームのエルコンドルパサーのように長期遠征で凱旋門賞に望む。それが描いていた計画だった。
国内最強の座を得る為には秋の三冠。天皇賞秋、ジャパンカップ、有マ記念を全部勝つか、最低でも二つは勝たなければならないと考えていた。
一つ目のジャパンカップ。このレースには現時点では出走不可である。同チームから一レース四人まで出走可能と定められており、リギルからはシンボリルドルフ、ナリタブライアン、エルコンドルパサー、グラスワンダーが出走をきめている。四人のレースポイントはウラガブラックのポイントを遥かに上回っていた。
そして有マ記念はファン投票で出走ウマ娘を決めるレースである。このレースならポイント数の有無に関係なくファン投票が上位なら出られるが、NHKマイルしか勝っていないウラガブラックが選ばれることはほぼない。
このままでは天皇賞秋ではマル外の枠で弾かれ、ジャパンカップではポイント数で弾かれ、有マ記念では人気投票で弾かれ、秋の三冠レースに一つも出られない。
だが天皇賞秋に出走できれば道は開ける。天皇賞秋で一着か二着にならばジャパンカップへの優先出走権が与えられる。そうならばポイント数も関係ない。弾かれるのはリギルで一番ポイントが少ないウマ娘だ。出走さえできれば誰にも負けないという自負があった。
「下らないこと?」
デジタルはウラガブラックが発した言葉を鸚鵡返しし、その顔を見上げる。その表情と目つきはいつもの陽気で鷹揚とした雰囲気とはまるで違っていた。
「それが何よりも重要なの!あなたにはオペラオーちゃんとドトウちゃんの尊さが分からないの!?宝塚記念を経て二人の関係は変わっていく!ドトウちゃんはオペラオーちゃんが今まで勝利だけで自分事を見てくれなかったが今は自分を見てくれていることに気づく!それを喜ぶドトウちゃん!けど何故喜ぶの?それはライバルとして見てくれるから?それとも別の感情?いつの間にか芽生えていた恋心に無意識に蓋をして苦しむドトウちゃん!一方オペラオーちゃんも……」
デジタルは一方的に妄想トークを繰り広げる。極度に興奮しているせいか、目が血走り鼻血を出し口元から涎が出ている。それはまるで薬物中毒者のようだった。その姿にいつも見慣れているはずのチームメイトやトレーナーすら引いていた。
「躍動する肉体!弾む呼吸!滴る汗!歯を食いしばる表情!レースを通して心を通わせる二人!その極上の光景が特等席で見られるんだよ!それ以上に何が重要なの!?ジャパンカップは距離が長いから勝負所で千切られて二人の様子が見られない!でも天皇賞秋なら千切られないし二人の様子がよく見られる!ここを逃したら一年は待たなきゃいけないんだよ?待てるわけないよ!あなたの夢なんて知らない!知らない!知らない!」
この豹変に慣れているはずのチームメイトとトレーナーが引いているのであればウラガブラックはさらに引いていた。いや恐怖すら覚えていた。このウマ娘は何を喋っている。尊い?恋心?言っている事が何一つ理解できない。
そしてこの圧倒的熱意。自分には夢がありそれを叶えようとする情熱がある。だがデジタルはただ一緒に走るということに自分以上の熱量を注いでいるように感じた。
ウラガブラックは未知の恐怖と熱意の前に無意識に襟元から手を放し、後ずさっていた。
「マイルのダートウマ娘がオペラオーに勝てるわけ無いでしょ!この変態!」
ウラガブラックは涙ぐみながら脱兎のごとくチームルームを後にする。捨て台詞のように吐いた言葉は涙声でせめてもの抵抗だった。その様子をトレーナーとチームメイトは呆然と見つめていた。
「全く、オペドトの尊さがわからないなんて。でも顔を真っ赤にして詰め寄るウラガブラックちゃんも可愛かったな~あたしも大人気なかったし嫌われたくないから謝りに行ってこよう。白ちゃん、ちょっとウラガブラックちゃんのところ行ってくるね」
「待たんかいデジタル」
我に返ったトレーナーはデジタルに詰め寄り後ろから肩を掴み行動を阻止する。デジタルは何故止めるのかと振り返りながら不思議そうに見つめる
「大丈夫、トレーニングをサボるつもりはないから」
「いや、そういう問題じゃない。今のウラガブラックにお前みたいな変態が詰め寄ってきたらトラウマになる」
「変態?あたしが?」
「今の様子を見て確信した。お前変態やわ」
「白ちゃんヒドイ!あたしはウマ娘が大好きなだけだよ」
デジタルは賛同を求めるようにチームメイトに視線を向ける。だが向けられる視線の意味はトレーナーの意見への賛同だった。
「あたしもトレーナーと同じ意見」
「ちょっとこれから距離置いていい」
「女性同士でもセクハラは成立するから気をつけなよ」
「え~」
次々と投げつけられる手厳しい言葉にさすがに気落ちしたのか。その日のトレーニングは実が入らず時計は良くなかった。
──
「おはよう!」
デジタルは教室に入るといつもより元気よくクラスメイトにあいさつする。
天皇賞秋まで残り3週間、あと3週間でオペラオーとドトウの絡みが生で見られる。そう考えると自然とテンションが高まっていた。
だがクラスメイト達の反応が鈍い、それに何か視線が若干の敵意が含まれている。まあ月曜だから機嫌が悪いのだろう。デジタルは気に留めることなく授業を受ける。だが気のせいではなかった。
日に日にクラスメイトや他のウマ娘の敵意めいた視線は増していた。普通なら気づくだろう。しかしデジタルはオペラオーとドトウのことで頭がいっぱいな全く意に介してなかった。
「あんた本当に図太いというか鈍感ね」
デジタルが食堂で食事を摂っていると対面側に一人のウマ娘が座り込む。
エイシンプレストン。
クラスメイトの一人で同じマル外さらに同室ということもありデジタルとは親しい友人である。
「どういうこと?」
「あんた今陰口叩かれているのを知っている?」
「そうなの?」
「知らないってことは原因も知らないわね。ずばりあんたがウラガブラックを弾いて天皇賞秋に出走するからよ」
「ウラガブラックちゃんか、そういえば天皇賞秋に出たいってチームルームに来たっけ。で、それが何の関係があるの?」
プレストンは天皇賞秋に出ることと陰口を叩かれることの因果関係を説明する
中長距離路線はオペラオーとドトウが一二着を独占していた。同じような顔ぶれ、同じようなウイニングライブ。その現状にウマ娘ファン達は嫌気がさしていた。そしてファンは停滞した現状を壊すニューヒーローを待ち望んでいた。
それがウラガブラックだった。圧倒的なポテンシャルを持ちオペラオーとドトウとまだ戦っていない新勢力。ファンは二強を倒してくれることを期待した。
だがそこにアグネスデジタルが出走を決め、マル外の二人の枠から弾かれてしまった
それが片や数々のGIウマ娘が所属している最強のチームのリギルに所属し、チームの期待のルーキーであるウラガブラック。
片や全体で見て中位ぐらいの成績のパッとしないチームプレアデスに所属し、GIは勝っているもの抜群の成績をあげているわけではなく、芝よりランクが低いと認知されているダートで走り、2000メートルのレースで実績がないアグネスデジタル。
両者ともオペラオーとドトウとは初対決であるが、ファンとマスコミがどちらに期待するかは一目瞭然だった。
「であんたは『ダートのマイラーが勝てるわけない』『ウラガブラックの可能性を摘んだ』『ウラガブラックのレースが見たいんだよ!空気読めよ』とファンに思われて、そして少なからず同じ気持ちのウマ娘がいるわけ。わかった?」
「ふ~ん」
あの視線はそういう意味だったのか。しかしどうでもいい。その程度の敵意でオペラオーとドトウの生絡みが見られる特等席を退くほど二人に対する想いは安くない。プレストンの説明はさらに続ける。
「それにリギルやスピカのメンバーが海外挑戦しているなか、オペラオーさんとドトウさんは国内でずっと走っているのも気にいらないみたい。弱い者イジメするなよってさ。まあヒール的な扱いをされちゃっているわけよ」
「オペラオーちゃんとドトウちゃんのどこがヒールなの!」
デジタルは食卓を全力で叩き激昂し食堂の視線は二人に集まる。プレストンは注目が集まるのが耐え切れなかったのかデジタルを宥め席につかせる。一方デジタルの胸の中には怒りが渦巻いていた。
何故オペラオーとドトウの美しいライバル関係に心惹かれない。この関係はウマ娘史上でも最も素晴らしい関係だ。自分達は歴史の証人なのだ。それなのに何故嫌気がさす?何故関係が壊れることを望む?自分ならこの関係がいつまでも続いてほしいとすら願っている。デジタルは世間の感性がまるで理解できなかった。
そして翌日からデジタルを取り巻く空気が変わる。
デジタルを見る視線は敵意から憐れみに変わっていた。時には「かわいそうだね」と直接声すらかけられた。さすがに鈍感なデジタルも空気の変化を感じ取った。何かが起きている。
周囲の変化に目敏いプレストンなら何か知っているかもしれない。デジタルは授業とトレーニングが終わるとすぐさま自室に向かう。すると一足先にトレーニングが終わったのか部屋着でくつろいでいるプレストンの姿があった。
「どうしたのデジタル?」
「最近あたしに対して、こう……優しいというか憐れんでいる感じがするけど何か知らない?」
「ああ、きっとこのことだよ。というよりあたしも事の真相をデジタルに聞こうと思っていたんだよ」
プレストンは携帯端末を操作し画面を見せる。画面に映っているのはウマ娘について意見を交わしている掲示板だった。
『プレアデスのトレーナーまじムカつく!』
『ウラガブラックの枠つぶしの真の犯人はデジタルじゃなくてトレーナー』
『記念出走のためにデジタルを利用した無能トレーナー』
目に飛び込んでくるのはトレーナーに対する罵詈雑言だった。
「ある雑誌でデジタルの天皇賞秋出走を決めたのは自分だ。デジタルは出たくないと言ったが強制的に登録したってインタビューで語っていたの」
「こんなのデタラメだよ!」
「あたしもそう思うけどトレーナーさんは一切否定しないし。それを信じたファン達がこうやって掲示板でああだこうだ言っているわけ」
デジタルはすぐさま部屋を飛び出し書店に向かいその記事が掲載されている雑誌を購入し内容を確認する。
確かにそのようなことが書かれていた。だがそれでも記事の内容を信じられなかった。トレーナーは出走レースを指定するが自分やチームメイトにレースに強制的に出走させることは一度もなかった。
何故こんな嘘をつく?デジタルは脳細胞を最大限働かし考えるが答えは出ない。答えが出ないなら答えを聞けばいい。それが脳細胞の導き出した答えだった。
デジタルは全速力でトレーナーの家に向った。
───
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。ピンポーン
「何やこんな夜に」
時刻は22時をまわっているこんな時間に訪問販売か、というよりどれだけチャイム鳴らしている。トレーナーは機嫌を一気に悪くさせながら扉を開け。、
「呼び鈴は一回押せば充分って……デジタル!」
「白ちゃん説明!」
扉の前にはまるでレース後のように息を乱しているデジタルが立っていた。なんでいる?格好も外用の服というより近場のコンビニに行くようなラフな格好である。この息の乱れ具合とこの格好。まさか寮から来たのか?
「お前寮から来たのか?」
「白ちゃん説明して!」
デジタルはトレーナーの言葉を一切聞かず大声で説明を求める。このままでは近所迷惑だ。トレーナーは半ば強引に家に入れた。
「まあ、とりあえず飲め」
「ありがとう」
ちゃぶ台に座ったデジタルは差し出された麦茶を口につける。寮からここまで数十キロの道のりを給水無しで走った体は水分を欲していたのか瞬く間に飲み干す。
水分を摂取し人心地つき余裕が生まれたのか辺りを見渡す。アパートの間取りだった。普通のちゃぶ台、普通のテレビ、普通の座布団、だが普通のものではないもあった。
ちゃぶ台の横にある積み重なった雑誌や紙束、それらは全部ウマ娘についてのもので中には英語で書かれているものもあった。そして壁に飾られている数々の写真、それらも被写体はすべてウマ娘だった。
写真の中にはチームメイトや自分自身、中には見知らぬ者の写真もあった。
「で、なんの用や」
対面に座ったトレーナーはデジタルに質問する。その声色には夜分遅くに訪れたことやチャイムを連打したことへの怒りはなく、ただ何故ここに来たかという疑問が含まれていた。
「これはどういうこと?」
デジタルは有無を言わさず例のインタビューが掲載されている雑誌に投げる。トレーナーはその雑誌を眼で確認すると気づいたかとバツの悪そうな顔を見せた。
「何であんな嘘つくの?天皇賞秋に出るって言ったのはあたしだよ。それなのに雑誌では『俺が無理やり天皇賞秋に登録した』なんて。ねえ何で?」
デジタルは身を乗り出し額と額がくっつきそうなほどに顔を近づける。一方トレーナーは目線を一瞬逸らす、嘘で煙巻くか、それとも真実を言うか。数秒間の沈黙の後話を切り出すように息を吐く。
「デジタル、ウラガブラックが天皇賞秋に出走できなかったことでファンやマスコミの間で騒ぎになっているのは知っているか?」
「うん、プレちゃんから聞いた」
「そうか、それでウラガブラックが出走できなかった不満や怒りがどこに向かうと思う?」
「あたし」
「そう、それでマスコミがそのことについてインタビューしにくるだろう。それでお前がウラガブラックを押しのけたことについて聞かれたら『知らない、あたしはオペドトが見たいだけだから』とか言ってファンやマスコミを逆撫でするのは目に見えていた。お前は空気読まないというか周りに目を向けないからな」
デジタルは思わず頷いてしまう。図星だった。もしそんなことをインタビューされていたらまさにトレーナーが言ったようなことを答えるだろう。
オペラオーとドトウの生絡みを見ることが最優先で、他のウマ娘のこと、ましてやファンのことなど欠片も考えてなかった。
「いくら鈍感でマイペースなお前も世論で悪役にされたらさすがにキツイやろ。だから俺が天皇賞秋に無理やり出させたということにした。それならファンやマスコミの怒りは俺に向くし、お前はトレーナーの被害者ということでいろいろと言われることもないだろう。というわけや、だから記事のことが本当か聞かれたらそうだと答えるんや」
まさにトレーナーの読みどおりだった。ある日を境に周囲に向けられていた怒りや不満は哀れみに変わる。あの変化は自分がトレーナーの被害者と認知されたからだったのか。
説明を聞き理屈はわかったし、その効果もわかった。だが納得はいかなかった。
「嫌!おかしいよ!何で白ちゃんが悪口言われなきゃいけないの?まずあたし達がなんで悪口を言われなきゃならないの?そもそもオペラオーちゃんとドトウちゃんが悪者扱いなのがおかしい!」
デジタルは不満をぶつけるように声を張り上げる。
何故やりたいことをしようとしただけで文句を言われる。それにこの騒動の原因はオペラオーとドトウという憎まれ役を倒すウラガブラックというヒーロー候補が出られなくなったということだ。まずその前提自体がおかしい。
デジタルに対しトレーナーは教え子に対する教師のように諭すように話した
「デジタル、ファンは常に刺激を求めて停滞を拒む。絶対王者、オペラオーとドトウのワンツーフィニッシュはファンにとってまさに停滞の象徴なんや。人気があればここまで打倒オペラオードトウの空気にはならないだろうが、如何せんあの二人は人気がない。勝ち方は地味で着差も少ないし」
仮にメイショウドトウがサイレンススズカのような逃げウマ娘、テイエムオペラオーがミスターシービーのような追い込みウマ娘ならもう少し人気が出ていただろう。だが二人は先行抜け出しか好位差しという面白みのないレーススタイルである、しかもぶっちぎって勝つというわけではなく、ハナ差やクビ差、開いても一バ身差という地味なものだった。
「俺みたいな関係者、お前みたいなプレイヤーには二人がいかに凄いか分かる。だがファンにはあの凄さは伝わりにくい。この流れはある意味必然なのかもしれん」
トレーナーはウマ娘の関係者であると同時にウマ娘レースのファンでもあった。だからこそファンの主張も理解できる。もしトレーナーではなく1ファンだったら同じような気持ちを抱いていだきデジタルが出ることに文句を言っていたかもしれない。
「だから世間の不満は俺がすべて受け止める。デジタルは何も気にせずオペラオーとドトウのことを妄想してグフフと気色悪く笑いながら、指折り数えて天皇賞秋まで待っていればええんや」
トレーナーは笑顔をつくりながらデジタルの髪をクシャクシャと撫で、それを無言でうつむきながら受け入れる。
なんて不器用な人なのだろう。自らが盾になり誹謗中傷を受け止めるなんて。そんなやり方ではなく自分が傷つかないもっとかしこいやり方があったはずだ。それに気にするなと言っているが誹謗中傷を受ければつらいに決まっている。それなのに。
今まで好きなことをやって好きなように生きていたつもりだった。だがそれは周りにいる人々がフォローしてくれたからできたことなのかもしれない。デジタルはトレーナーの不器用な思いやりに嬉しさと感謝の念を抱く。そしてその気持ちを言葉に出した。
「わかった。ありがとう白ちゃん」
───
レース前々日の金曜日。GIレースが行われる日はレース場近くの会場を借りて枠順決定の抽選と記者会見を行われる。ウマ娘達は豪華絢爛なドレスに身を包み場の雰囲気はGIレースに相応しく華やかだ。
「テイエムオペラオー選手くじを引いてください」
司会の声に促されピンクと黄色を基調としたドレスを身につけたオペラオーが壇上に上がりくじを引く。抽選方法は今までのレースで獲得したレースポイントが多いものからくじを引いていき、オペラオーは獲得レースポイントが一位なので最初にくじを引く。
「テイエムオペラオー選手。5枠6番です」
周りから儀式的な拍手が起こる、枠としては可もなく不可もないポディションだ。
「メイショウドトウ選手。くじを引いてください」
青とピンクを基調にしたドレスを身に纏ったメイショウドトウが猫背気味に壇上に上がる。すると壇上から降りるオペラオーとすれ違いざまに視線を合わせ、くじを引いた。
「メイショウドトウ選手。2枠2番です」
次々とウマ娘達がくじを引いていきデジタルの番が回ってくる。しかしデジタルは一向に壇上に上がる気配を見せない。
「おいデジタル!呼ばれとるぞ。早ようくじを引いてこい」
デジタルはトレーナーに促されて赤青黄の色を散りばめたドレスをはためかせ小走りで壇上に向かう。オペラオーとドトウが一瞬交わした視線。あの視線で多くを語ったのだろう。さすがオペドト。ウマ娘史上最高のカップリングだけある。
「アグネスデジタル選手。7枠10番です」
デジタルは壇上に上がりオペラオーとドトウに視線を配らせながらくじを引き、そそくさと自分の席に戻った。
「7枠か、もう少し内枠が良かったんだがな。て聴いてんのかデジタル」
「オペラオーちゃんと目が合っちゃったよ白ちゃん。あの紫にキリリとした瞳、それにこっちが目線を外すまで視線を晒さなかったよ。あの勝気なところがいいよね~。ドトウちゃんは一瞬あったけどすぐ逸らしちゃった。そのぶんいっぱい見れたけどグフフ」
気味が悪い笑みをこぼすデジタルを見てトレーナーは思わず笑みをこぼす。自分の枠よりオペラオーとドトウの様子が気になるか。相変わらずの平常運転だ。
そうこうしているうちに出走ウマ娘の枠順が決まり、記者会見に移り始めウマ娘達は再び壇上に上がるように促される。
「デジタル、不用意なことを喋らないように気を付けろよ」
「大丈夫大丈夫」
トレーナーはデジタルが少しスキップ混じりで壇上に上がって行く後ろ姿を不安そうに見つめる。
会見でファンやマスコミ受けが悪い、煽るようなことは言わない様に打ち合わせをしたが全く安心できない。頼むから余計な事を言うなよ。祈るように記者会見を見つめる。
流れとしては全員が一言二言喋り、その後は記者たちが質疑応答に移り、全員が無難に答えていくなか、一人だけ空気を読まず喋るウマ娘がいた。
「降着にされたがオペラオーに先着したのは紛れもない事実。オペラオーの底は見えたし、宝塚でオペラオーにまぐれで勝ったドトウ、その他は問題なし!このレースを勝つのはあたしだ!」
喋り終ると椅子にもたれ掛るように行儀悪く座る。黒と黄色のドレスは明らかに着崩している
キンイロリョテイ
中長距離のGIレースで三着以内に何回も入っている実力者。潜在能力はオペラオーすら凌ぐとも言われているがこの気性の荒さ故にレースで実力を発揮できていなかった。だが今年になって海外で行われたGIレース級のメンバーが集まったGⅡに勝利するなど本格化の兆しを見せて、トレーナーも警戒していた。
しかしプロレスラーのマイクみたいだな。協会からは煙たがれ注意を受けているがファンの受けは意外と良いらしい。まあ興行という意味ではこういう者が一人ぐらいいたほうがオモシロい。
キンイロリョテイのコメントが終わりデジタルの番が回ってくる。
「テイエムオペラオー選手やメイショウドトウ選手などの一流の選手と走れて光栄です。GIレースに恥じない走りをしたいと思います」
トレーナーは胸をなで下ろす。打ち合わせ通りのコメントだ。さすがのデジタルもここではアドリブを入れてこないか。
だが次の記者質問がやっかいだ。打ち合わせはしたが、こちらが想定していない質問をしてきてデジタルが不用意なことを言うかもしれない。そして質疑応答に移った。
「オペラオー選手、前哨戦では勝利しましたが降着繰上りでした。去年より不安要素が有るように見受けられますが?」
「問題ないね。調子も好調を維持している。宝塚では足元をすくわれてしまったが、もう一つも落とさない。秋のGIは全部勝ち、来年の春のGIも全部勝ち、文句なくキングジョージ、そして凱旋門に行かせてもらうよ」
オペラオーのコメントに会場がどよめく。国内のレースに全勝して世界最高峰のレースに挑むと言い放ったのだ。ビックマウスだがもしかするとオペラオーなら。場の空気はそんな期待感に包まれる。そのコメントにキンイロリョテイがすかさず反応を見せる
「無理無理、ドトウ程度に負けるような奴に勝てねえ。というよりあたしがお前らを負して国内に引きこもらせてやるよ」
「相変わらずのビックマウスだねリョテイ。だがドトウはキミより強いよ。第一キミはボクとドトウに一度も先着していないじゃないか。いつになったら本格化するのかな?」
売り言葉に買い言葉。キンイロリョテイは椅子から立ち上がりオペラオーに詰め寄り睨みつける。場は一触即発の空気に包まれる。数秒間両者の睨みあいが続きリョテイが視線を逸らし自分の席に座った。
「え~質疑応答を再開します」
ザワザワと周囲がざわめくが司会が何事もなかったように進行する。
「ドトウ選手ははれてGIウマ娘になりましたが、何か心境の変化はありましたか?」
先ほどの剣呑な雰囲気に委縮しているのかドトウはいつも以上にビクりと体を震わせ、いつも以上に恐る恐る口を開く。
「私がGIウマ娘なんて信じられないです。いまだに夢なんじゃないかって思っています。でも……でも……まぐれでもオペラオーさんに勝てましたのでそれに恥じないレースをして……また勝てたら嬉しいです」
ドトウの丸まった背中が少しだけ伸びている。そのコメントにオペラオーの発言とは別の意味で会場がどよめく。インタビューでも会見でもつねにネガティブな発言しかしなかったドトウがオペラオーに勝ちたいと言った。この心境の変化に記者たちは驚いていた。
質疑応答はオペラオー、ドトウ、キンイロリョテイの有力ウマ娘を中心に進んでいく。キンイロリョテイも言葉遣いは荒いものも比較的に大人しく質問に応えつつがなく進み、ついにデジタルに質問が回る。
「デジタル選手は久しぶりの芝ですが不安はありませんか?」
「……あっ、はい、すみませんもう一度お願いします」
「デジタル選手は久しぶりの芝ですが不安はありませんか?」
「えっと。芝のGIも勝っていますし、芝に対して違和感はありません。大丈夫です」
デジタルは急に振られたせいか慌てながらも質問に答える。これはトレーナーが想定した質問であり答えをあらかじめ考えていたおかげで何とか答えられた。
「ウラガブラック選手を押しのけて天皇賞秋に出走するということは、余程自信がおありですか?」
やはり来たか。トレーナーは内心舌打ちをする。デジタルとウラガブラックのことは切っても切れない話題だ。ゆえにこの質問にたいする答えも想定している。頼むぞデジタル。余計な事を言うなよ。トレーナーは祈るように見守る。
「レースに絶対はありませんので確実に勝てるという保証はありません。そしてウラガブラック選手が出走できないことは心を痛めております。ですが私も勝算を持ってこのレースに臨んでおりますのでご理解いただきたいとしか申し上げることができません。これ以上このようなことが起こらないようにマル外の出走枠拡大について協会の皆さまが御検討していただければ幸いです」
よし練習通り、トレーナーは思わずガッツポーズをした。
デジタルのこの応答に対しこれ以上突っ込めないと察したのか記者は質問を止め、ウラガブラックについての質問はされなかった。そして質疑応答は終了した。
「お疲れさん。ちゃんと答えられたな。あとオペラオーとドトウの妄想していただろう。だから最初の質問の時に聞き返した。違うか?」
「あれ分かる?いや~生オペドトでこんな濃密な絡みが見られるなんて!ドトウちゃん…」
「言うな。お前の妄想はだいたい分かる。」
「じゃあ言ってみて」
「リョテイにドトウを侮辱されたことに反応したオペラオー、そしてドトウがオペラオーに勝ちたいといったところから妄想してたんやろ」
「うん、だいたい正解。白ちゃんもわかってきたね」
「散々妄想トークを聞かされたから嫌でもわかるわ。よし帰るぞ」
「ちょっと待って、あと白ちゃん預けたスマホ貸して」
「何するんや?」
「オペラオーちゃんとドトウちゃんと話してくる!」
デジタルはトレーナーからスマホを受け取るとそそくさと2人のもとに向っていく。
周りを見渡すと雑談している二人の姿を発見した。二人の世界に割って入るのは大分気が引けるがチャンスは今しかない。意を決して二人に話しかけた。
「オペラオーちゃん、レースではよろしくね」
「ああ、ボクのレースを盛り上げてくれるように期待しているよ」
デジタルは笑顔見せながら手を差し出す。オペラオーも一瞬デジタルを見るとにこやかに笑みを見せて手を握り返す。サラサラとして余分な脂肪がなく見た目通りのさわり心地だ。
「ドトウちゃんもよろしくね」
「GI二勝のアグネスデジタルさんによろしくなんて恐縮です……」
ドトウも背中を丸めて恐る恐るデジタルの手を握る。プニプニとして肉感が良い、これまた見た目と同じような感触だ。
これがあのオペラオーとドトウの手の感触。デジタルは憧れのアイドルの手を握ったファンのように舞い上がっていた。そしてその高揚した気分のままに今思っている率直な気持ちを二人に伝えた。
「外野が色々と言っているけど気にしないでね!あたしはオペラオーちゃんとドトウちゃんが好きだし、二人が一二着なのをつまらないと思っていないから!むしろずっとそうであってほしいと思っているから!」
二人は予想外の発言に目を点にする。初対面の相手に好きと恥ずかしげもなく言い放った。それに二日後には一緒に走る相手に一二着であって欲しいと言うだなんて。変なウマ娘だ。
だがその直球に伝えられた想いは嬉しくもあった。
オペラオーとドトウはそれぞれリギルやスピカといったような有力チームに所属していない。それぞれ若手のトレーナーが率いているチームに所属していた。
出る杭は打たれる。有力チームなら勝ち続けるのは仕方がないことだと済まされ周囲からの不満は軽減される。だが若手であるトレーナーは勝ち続けることで募ってしまう不満を軽減させる、トレセン内での地位もパワーも無かった。そしてそれは少なからずオペラオーとドトウにも影響を与える。
超がつくほどのナルシストのオペラオー、引っ込み思案でネガティブ思考のドトウ。その性格ゆえにオペラオーは反感を買いやすく、ドトウは非難の的にされやすい。二人はそれなりに陰口や不満をぶつけられた。
一二着を独占し続けることで外のマスコミからも中のトレセンからも不満をぶつけられる。それだけにデジタルの純度100%の好意は二人の心に響く。
「ふふふ、ありがとう。しかし質疑応答の時とは大分印象が違うのね。もう少し大人びた印象も抱いていたのだが、随分フランクだね」
「あれはマスコミにネチネチ言われない様の外面。普段はこんな感じだよ」
デジタルはあっけらかんと喋るがその苦労はオペラオーとドトウにとって推し量れるものがある。
リギルのウラガブラックを押しのけたことで物議を呼び、空気を読めと陰口を叩かれている場面を見ていた。マスコミからもトレセン内でも不満をぶつけられている、その環境に多少なりのシンパシーを感じていた。
「デジタルさんごめんなさい。私がマル外だったばかりに……私が出なければウラガブラックさんも出走できてデジタルさんとそのトレーナーさんも非難されなく……」
「それはダメ!ドトウちゃんはオペラオーちゃんと一緒に走らなきゃいけないの!それにあたしは平気だし二人が一緒に走るレースに出られるだけで充分だから」
「あ…はい」
デジタルの勢いにドトウは思わず後ずさる。その姿を見てオペラオーは思わず笑みをこぼした。
本当におかしなウマ娘だ。
「ところでデジタル。キミはレースに勝つ気はあるのかい?キミの気持ちは嬉しいが、ただ賑やかしで出走するのならそれはそれで不快だ。去年のドトウだって一応ボクに勝つ気でいたからね」
和やかな雰囲気が急激に引き締まる。その雰囲気に反応してかドトウがオペラオーとデジタルに交互に視線を配る。
デジタルの言動から今一勝つ気が感じられない。去年散々負かし続けたドトウも言動はネガティブだが勝つ意志は感じられた。勝つ気がないウマ娘がいられては自分の勝利で終わる美しいレースが汚される。
「あたしは…あたしは…」
デジタルの脳内ではオペラオーの質問がリフレインする。
天皇賞秋に出走しようと思ったのはオペラオーとドトウのレースを、二人の絡みを生で間近で見たいからだ。そして…
「あたしはオペラオーちゃんとドトウちゃんと一緒に走って、そして二人に勝ちたい!」
デジタルはオペラオーの目を見据えて決断的に言い放つ。
オペラオーとドトウと一緒に走る天皇賞秋を存分に楽しめと周りの非難を一身に引き受けてくれたトレーナーのために。そしてレースに勝ちたいというウマ娘の本能が勝利への渇望を呼び起こした。
「そうか、これならボクの勝利で終わるレースが美しいものになりそうだ」
オペラオーは満足げに笑った。デジタルの目に闘志が宿った。これはドトウとキンイロリョテイと同じぐらいの脅威になるかもしれない。
「ドトウもウカウカしていられないぞ。二着はデジタルになるかもしれないな」
「はい……いや、いいえ……私が一着でオペラオーさんが二着です……生意気言ってすみません」
ドトウは気恥ずかしさからか二人から背を向けていつも以上に背を丸める。オペラオーはその様子を見てクスりと笑い、デジタルは鼻を抑えながら急に背を向けた。
オペラオーが二着はデジタルと言った時にドトウはすぐに反応し、いつもと違うビックマウスを言った。そして思わず言ったビックマウスに気付き恥ずかしさで身を丸めた。一二着は自分とオペラオーのものであり、泥棒猫は引っ込んでいろということだろう。
これが生のオペドト!何て破壊力だ!デジタルは鼻血が出ないように必死に興奮を抑える。
「ハァ…ハァ…ところで二人の写真を撮っていい?」
「ああ、かまわないよ。だがスマホのカメラじゃボクの美しさが伝わらないな」
「ごめんね。ちゃんとしたカメラ持ってないの」
「しょうがない。ほらドトウ」
「私はいいです……」
オペラオーは座って丸まっているドトウを無理やり立たせる。
「じゃあ撮るよ。はいチーズ」
デジタルは声をかけてシャッターボタンを押す。画面に映るのは俯き加減で猫背気味のドトウと、ビシッとポージングしているオペラオーの姿だった。何とも二人らしい姿だ。
すると後方からオペラオーとドトウを呼ぶ声が聞こえてくる。それぞれのトレーナーが二人に会場から出るように催促していた。
「トレーナーが呼んでいる。じゃあデジタル、東京レース場で」
「デジタルさん、さようなら」
「じゃあ~ね~」
デジタルはブンブンと手を振りながら二人の姿を見送る。するとトレーナーがデジタルの肩をぽんと叩いた。
「終わったか?」
「うん!生のオペドト、いやドトオペを見ちゃったよ!もう最高!それに二人のツーショットも撮っちゃった!見る!?見る!?グフフフ…」
「お…おう…」
トレーナーは若干デジタルのハイテンションに引き気味になりながらスマホの画面を覗き込む。二人と会話できたことが相当嬉しいようだ。これなら良いテンションで天皇賞に臨めそうだ。いや逆に入れ込みに注意しなければならないな。
写真をみると不思議なことに気付く。デジタルが映っていない、普通なら憧れの人と写りたいとオペラオーとドトウのスリーショットで撮ってもらうはずだが。そのことを尋ねるとデジタルは『こいつ何もわかってないな』と大きなため息をついた。
「白ちゃんは何もわかっていない!オペドトにあたしはいらないの!二人のツーショットにあたしが写ったら穢れちゃうでしょ」
めんどくさいというか拗れている。
トレーナーは半ばあきれながら、デジタルはプンプンと擬音がつきそうな怒り具合で会場をあとにした。
想定より文量が多くなってしまったのでレースは次になります