勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と魔王#2

 その和室は10畳ほどのスペースで、壁際に本棚が数台と筆記用具と書類が広がっている机が有る。本棚の1つは食事栄養学やスポーツ医学などの専門的な本が収納され、もう1つはトゥインクルレースを専門に扱った週刊誌などが収納されている。

 本棚や机の種類はきちんと整頓され、部屋の主の几帳面さが伺える。

 その部屋の主は正座しながら机に向かってキーボードを打ち、男性は一段落着いたのか体を大きく伸ばし筋肉をほぐす。彼はエイシンプレストンが所属するチームプレセペのトレーナーである。

 トレーナーは何気なく部屋に置かれているレースカレンダーを見る。世間ではジュニアC級のクラシックが始まった。

 残念ながらチームでクラシック戦線を走っているものはいない。だがクラシックがトゥインクルレースの全てではない。

 クラシックに出るために無茶をして体を壊してしまっては元も子もない。焦らず体を作り、少しでも長く幸せな競走生活を送れるように育てるべきだ。

 クラシックという単語から連想が繋がり、エイシンプレストンのことについて考える。

 今頃アグネスデジタルに香港のクイーンエリザベスで走ろうと提案している頃だろう。デジタルが提案に承諾するか否か。これによって今後の行動が大きく変わってくる。

 長年チームで指導を行っているが、歴代の中でも1番の能力と言っていいほどの逸材だ。

 元々GI級の力を持っているが香港への適性が極めて高く、香港のマイルから中距離のレースであれば世界で1番強いのではという思いすら抱かせる。

 そのプレストンをしてもデジタルに勝てる保証は全くない。それほどまでに高く評価していた。

 本音を言えばプレストンには勝って欲しく、デジタルには出走してほしくはない。

 だがプレストンは勝利だけを望んでいるだけではなく、一緒に走ることが重要らしい。

 親友に自分のすべてを見せる。勝利以外の目標のために走るその心はデジタルに似ている。やはり2人は似たのも同士なのかもしれない。

 

 すると家のインターフォンが鳴る。トレーナーは立ち上がろうとするが、すぐに畳に座り直した。

 自分より台所で洗い物をしている妻のほうが近い、応対は妻に任せよう。

 しかし時刻は22時を回っている。宅配便にしては来るのが遅すぎるし、そもそも頼んではいない。近所の誰かだろうか?プレストンのことから謎の訪問者に思考を移していると足音が近づいてくる。

 

「お父さん、お客さん」

「私に?こんな遅くに誰だ?」

「エイシンプレストンさんよ」

「プレストン?」

 

 妻の言葉に思わず聞き返す。何故そこでプレストンが出てくる?予想外の言葉に動揺しつつ、部屋を出て玄関に向かう。すると本当に居た。

 服装は質素なTシャツとパンツで、遊びに出かけるというより近場のコンビニでも行くようなラフな格好だった。そして手には旅行で持っていくようなキャリーケースを持っていた。

 

「こんばんはトレーナー」

「こんばんはプレストン。どうしましたこんな遅くに?」

「不躾で申し訳ございませんが、暫くの間泊めて頂けませんか?」

 

 プレストンは恐縮そうに俯きながら要求を伝える。泊めてとはどういうことだ?寮の部屋が何かしらの理由で使えなくなったのか?それなら学園から理由の説明と来るという一報が届くはずだ。

 トレーナーは理由を思案するが、すぐに止めた。理由は本人の口から聞けばいい、それに娘が家を出て部屋も布団も空いているので、問題はない。

 

「わかりました。とりあえず中に入ってください」

 

 トレーナーは急な来訪に不快感を示すことなく家に招き入れ、プレストンは恐縮そうにしながら入っていく。  

 玄関を通り居間に通され、促されるまま食卓に座る。辺りを見渡すとこれといった特徴がない普通の家という印象を受ける。

 だが文化は違うが初めて他人の家に入るときの余所余所しさを感じず、実家や寮の部屋に居るときのような安心感がある。

 それに台所も食卓も綺麗に整頓されており、普段の指導通り几帳面さが伺える。

 するとトレーナーの妻が2人に麦茶を出し、プレストンは恐縮そうに会釈をする。妻もそれに応えるように笑みを浮かべながら会釈した。

 

「とりあえず、家に泊まるのは構いません。部屋も空いていますし」

「ありがとうございます」

「それで何が有ったのですか?」

 

 トレーナーはプレストンの対面に座り見据える。プレストンはお茶を一口飲み、深く息を吐いた後喋り始めた。

 

「なるほど、理由は分かりました」

 

 トレーナーも麦茶を1口飲み、息を吐いた。家に泊まりたい理由は何らかしらのアクシデントで部屋に住めなくなったか、アグネスデジタルと喧嘩して気まずい等の私生活の悩みかと思っていたが、まさかレースのことだとは思わなかった。

 そして部屋を出た理由はある程度共感できるが、競技者ではない自分には完全には理解できない。だが本人がそうしたいのならさせるのがトレーナーの努めだろう。

 

「学園と寮の責任者には連絡し、暫くこちらで暮らせるように手続きをしておきます」

「ありがとうございます」

 

 プレストンは深々と頭を下げ、トレーナーはその姿を見据える。情が移り手を抜いてしまう可能性がは限りなく低い。

 だが少しでも起こる可能性を低くするために、部屋を離れこの家に来た。まだ若いプレストンが1番の友人の元を離れ、意図的に接触を断つということは辛いはずだ。

 その辛さを耐え忍んでまで勝負に徹する。プレストンとは2回り以上歳が離れているが、その姿勢と精神力に尊敬の念を抱いていた。

 

「それにしても貴女らしくないですね。事前に話をつけず来るなんて」

「すみません……見切り発車で行動してしまいました」

 

 赤面しながら顔を俯かせる。勢いよく部屋から出て行ったものはいいものも、行く宛は全くなかった。

 チームメイト達の寮の部屋も自分達の部屋と間取りは同じであり、もう一人も泊まるほどのスペースはない。

 だが自分たちの部屋に戻ってくるは格好がつかない。そして唯一の当てがトレーナーの家だった。

 

「しかし、困難な道を選びましたね」

「はい、我ながらそう思います」

 

 トレーナーの困難という言葉にプレストンは自虐的な笑みを浮かべる。1つは自分が取った行動と、もう1つはデジタルのことを指していた。

 

「アグネスデジタルはドバイワールドカップを経て、以前より強くなったことでしょう」

「はい、サキーとの走りで自分の力を限界まで出し尽くしていました。その経験から力の出し方を学び強くなっています」

「個人的には香港2000でなら、現役では1番の強敵と言ってもいいでしょう」

 

 プレストンはトレーナーの言葉を聞き思わず笑みを浮かべる。

 サイレンススズカ、スペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサー、現役には数多くの実力者がいる。

 その中でもトレーナーはデジタルが1番の強敵と言った。親友をそこまで評価してくれていることが嬉しかった。

 

「本音としては教え子には勝利してもらいたいですし、アグネスデジタルという強敵と走るリスクは避けてもらいたかったです」

「すみません。でもデジタルも走るつもりみたいでしたし、避けては通れなかったです」

「まあ、前向きに考えましょう。ここでアグネスデジタルという強敵に勝てれば、特別になれます」

 

 プレストンは特別という言葉を聞いた瞬間、手を強く握り締め心が激しく揺れ動いた。

 

───

 

 エイシンプレストンは比較的に高い能力を持つウマ娘だった。

 勉学でも平均より少ない勉強時間で、平均より高い点数を取れ、運動能力も同世代のウマ娘の平均より高い。そんなプレストンには誰しもが一度は想う夢があった。

 

―――特別になりたい

 

 人は誰にでも特別になれる。トゥインクルレースでも重賞どころか、条件戦のウイニングライブに出られないウマ娘でも、その走りを見た誰かが感動し、その人にとって特別になることもある。

 だがプレストンが思う特別はこれではなく、もっと絶対的で不変的で多くの人が思い、賞賛する特別になりたかった。

 どうすれば特別になれるのか?それは誰もが注目するレースで勝ち続けること。つまりナンバーワンになることだ。

 

 故郷アメリカで史上初の無敗で三冠ウマ娘になったシアトルスルー。その偉業を達成した強さはまさに特別である。

 プレストンも彼女のように特別になりたいと思ったが、生来の見切りの良さと速さから自分にはダートの適性はないと見切りをつけた。

 何より自分より素晴らしい才能の持ち主が何人もいて、シアトルスルーのような特別になれない理解していた。

 アメリカのレースではダートの他に芝もあり、そこで勝ち続け特別になろうと考えたが、当時の芝のレースの立ち位置は現在の日本におけるダート以上に冷遇され、2軍以下の扱いだった。そこで勝利を重ねたとしても望む特別はない。

 次に考えたのは欧州で走ることだった。欧州では芝がメインストリームであり、そこで活躍すれば世界に認められ、望む特別になれる。だがその考えを実行することはなかった。

 欧州でチームに加入してする前に、現地のウマ娘達と模擬レースをしたことがあった。

 そこでもアメリカのトップレベルと変わらない怪物のようなウマ娘が何人かいた。何より欧州の芝は長く、密度も高いため足にまとわりつく。この芝は自分には合っていない。欧州でも特別にはなれない。

 アメリカでも欧州でも特別にはなれない。ならばどこで走れば特別になれる?プレストンは世界各国を調べていくなか、日本を見つける。

 日本はアメリカや欧州と比べレベルは発展途上であるが、ウマ娘レースの人気はアメリカや欧州より人気が高いと言われている。

 そしてレースで勝って得る賞金も世界で1番高額とも言われている。ここでなら自分が満足する特別になれるかもしれない。

 

 トレセン学園では毎年マル外と呼ばれる外国のウマ娘が何名か入学する。

 方法は2つで、1つはトレーナー個人が直接スカウトされ、入学する方法。

 もう1つは希望者を招き入れトライアウトのように実技と面接試験をおこない、基準に満たした者や試験に立ち会ったトレーナー達の目に適った者が入学する方法がある。

 プレストンは早速日本トレセン学園に申し込み、トライアウトを受けた。

 そこではアメリカや欧州のように、一生勝てないと思わせるような才能の持ち主もおらず、芝も欧州と比べて軽く、自分の適性に合っていた。

 ここでなら望む特別になれると確かな手応えを感じていた。その後現在所属しているチームプレセペのトレーナーにスカウトされ、トゥインクルレースで走る事になる。

 ジュニアB級ではGI朝日杯を勝利し、このまま勝利を重ねGIを勝利し特別になれるという自信を抱いていた。

 だが、それ以降は特別とは遠い苦難の日々が続く。ジュニアC級に上がり重賞レースを2勝したが、目標であるNHKマイルC前に骨折し半年の休養、休養明けも勝利に見放され、時にはダートのレースを走るなどして試行錯誤の日々が続いた。

 夏のレースで勝利してから復調し、秋のGⅡ毎日王冠に勝利、GIマイルCSで2着。そして暮れの香港マイルで朝日杯以来のGI勝利をあげる。

 GIを2勝したウマ娘は、歴代のすべてを含めても1%にも満たないだろう。一般的に見ればプレストンは特別なウマ娘といえる。だが満足していなかった。

 

 シニア中長距離路線を年間無敗で駆け抜けた覇王。

 その覇王に何度も挑み続け、遂に勝利した偉大なる挑戦者。

 中央、地方、海外、芝、ダート。すべてが不問の異能の勇者。

 

 テイエムオペラオー、メイショウドトウ、アグネスデジタル。

 

 プレストンの周りには特別なウマ娘がいた。

 特別になるために簡単な手段と要素はGI勝利数と強さだ。オペラオーはGI7勝、デジタルはGI5勝とプレストン基準での特別なウマ娘の条件を満たしていた。

 だがドトウはGI1勝でしかしていないが、特別なウマ娘であると認識している。

 

 特別なウマ娘になるために必要なのは強さ、そして個性である。

 ドトウはオペラオーに挑み続け、GIで5連続2着になり、6度目のGIでついにオペラオーに勝った。

 そのライバルストーリーと、判官贔屓心を擽るシチュエーションは多くの人の心を掴み、それは唯一無二の個性となる。

 他にも10度の敗北を乗り越えて、念願のGIを奪取した不屈のエリート、キングヘイロー。

 破天荒な性格で人々を魅了し、最後のGIで劇的に勝利したシルバーコレクター、キンイロリョテイ。

 

 プレストンにとって彼女たちは特別なウマ娘だった。彼女たちの特別はナンバーワンの強さではなく、オンリーワンの個性によるものだ。そして自分には個性がないと認識していた。

 個性がないちょっと速いだけのウマ娘。それが自分自身への評価だった。だが香港で走り勝利したことで特別になるための、道筋が見える。

 

―――香港マスター

 

 香港では抜群の適性の高さを見せるというオンリーワンの個性と、香港では誰にも負けないというナンバーワンの強さ。これが自分の特別。

 そのためにはデジタルに勝たなければならない。トレーナーが言うとおり芝2000ならデジタルが1番強いと思っている。そのデジタルに勝てば特別になれる。

 自分のすべてを見てもらいたい。香港で勝って特別になりたい。それが走る理由だった。

 

───

 

 時刻は23時を回り、トレーナーは布団の中で今日の出来事を振り返っていた。

 まさかプレストンが家に泊まることになるなんて、昨日の自分では夢にも思わなかっただろう。

 その当人は娘の部屋で寝ている。自身が言うように見切り発車だったようで、妻が風呂に入るように勧めたら、自前のバスタオルを忘れたと、遠慮がちに貸してくれるように言ってきた。

 普段のプレストンなら泊まるとならば自前のタオルどころか、ボディーソープやシャンプーも持ってきたはずだ。それほどまでに突発的な行動だったのだろう。

 それ故に決心が固まらず、今後決心が揺らぐかもしれない。その機微を見逃さないようにしなければ。

 そして自ら出た特別という言葉、お互い口にはしなかったが、この言葉がプレストンの走る原動力になり、トライアウトでお互いを引き合わせた。

 

―――特別になりたいから、このトレセン学園に入学希望します

―――貴女が考える特別とはどのような意味ですか?

―――はい、私が考える特別はレースで勝ち続け、GIを多く取ることです

―――アメリカで走って、特別になろうとは思わなかったのですか?

―――アメリカではレベルが高くて、特別にはなれません。ですが、日本でなら特別になれます。

 

 外国からのトレセン学園入学者を決めるトライアウト、模擬レースなどの体力テストが終わると、次に面接試験が行われる。

 面接官は各チームのトレーナーが行い、面接官以外にもその様子を別室でトレーナーが観察していた。

 プレストンの言葉にトレーナー達は表情や呼吸など、其々の反応を示す。すべての反応は好意的なものではなく、嫌悪や怒りだった。

 日本のウマ娘レースは欧州やアメリカなどのトップレベルと呼ばれる国と比べ劣っている。それは事実だった。

 だからこそトレーナーを始め、関係者は1日でも早く追いつこうと努力を重ねた。

 そんな中での発言。プレストンの言葉は『日本レベルなら簡単にトップになれる』と解釈されていた。

 本音では認めていたが、ここまではっきりと言われてしまったらトレーナー達が腹に立つのは必然だった。面接が終わり、口々に呟く。

 

───都落ち、アメリカから逃げてきた、ああいう輩はすぐに挫折する。

 

 そんな中チームプレセペのトレーナーは面接終わりのプレストンを見つけ、声をかけた。

 

「日本でなら、簡単に勝てる、貴女の言う特別になれますか?」

「簡単ではありません。アメリカやヨーロッパにはどうやっても勝てない怪物がいましたが、日本にはいません。でも勝てる確率があるというだけで、同じ怪物であることには変わりありません。それに日本の芝は合いますが、アメリカのダートや、ヨーロッパの芝は合いませんし」

 

 その言葉にプレストンの真意を理解する。日本のレースを舐めているわけではない。ただ冷静にアメリカや欧州と比べて、どちらのほうが活躍できるか判断しただけなのだ。

 

「人には相応のステージが有ると思うんです。分不相応のステージを目指しても不幸になるだけです。あたしはアメリカのメインストリームや欧州では特別なれない。でも日本なら困難ではありますが、相応のステージであり、最善を尽くして運に恵まれれば特別になれると思うんです」

 

 プレストンは少し悲しげに1人呟く。その言葉にトレーナーも大きく賛同していた。

 トレーナーも指導していく上の信条は分相応である。トゥインクルレースを走るウマ娘たちには無限の可能性がある。だがその可能性を盲信し、無茶をすれば必ず不幸な目にあってしまう。

 大切なのは見極めること。そのウマ娘に実現可能な範囲を見極め、達成できるギリギリの目標を提示し、一緒に進んでいく。

 世の中には突然変異か狂気じみた修練で、分不相応なステージに上り詰め活躍する者もいる。

 だがそれは例外であり、その者が幸福になるとは限らない。現にそういった者達を見てきた。

 その言葉を聞いたとき、言語化できない何かが感覚を訴えてきた。その感覚に従い何となく声をかけたが、その何かが今では分かる。

 これは共感だ。プレストンとは似たような考え方であり、それを感じ取ったのだろう。

 彼女は逃げたのではない。冷静に自分を客観視し現実と向き合い、夢を達成しようとしている。

 

 プレストンの心象は悪い。積極的にチームに入れようとする者はいないだろう。

 ならば今のうちにチームに入れる。エイシンプレストンというウマ娘を育て、彼女が特別になれるかを見届け、夢の成就の手助けをしたい。

 

「私はチームプレセペのトレーナーをしております。私のチームに入りませんか、エイシンプレストンさん」

 

 そんなことがあったな。トレーナーは布団に入りながら数年前の出来事を懐かしむ。

 特別という言葉を出した時の反応を見る限り、まだ自分が望む特別になれていないようだ。

 だがトレーナー生活で、初めてGI勝利を与えてくれたウマ娘であり、自分にとっては既に特別だ。そう言ったらどのような反応を示すだろう。

 トレーナーはプレストンの様子を考えながら、眠りに就いた

 


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