出走していない者がレースに出走したり、勝ってないレースに勝ってたりしています。
午前6時、デジタルは軽く息を弾ませながら地元ケンタッキーのランニングコースを走っていた。気温は明朝だが18℃を超えて完全に夏の陽気で、額には汗が滴っている。
この時期の日本と比べて少し暑いが湿気が少ない。最初は日本の気候に体が慣れてしまったのか少し調子が悪かったが、生まれ故郷だけあって直ぐに順応した。
ランニングをしながら体の調子を確認する。足や腕もスムーズに出るし故郷に帰った当初の体の重さや倦怠感もそこまで感じない、順調に体が回復してきている。
このままトレーナーの指示通りに運動強度を徐々に高めれば完全に回復した状態で8月のアーリントン合宿に臨めるだろう。
ランニングを終えたデジタルはシャワーを済ますと朝食を摂る前に自室に向かうとPCを立ち上げ、アドレスを打ち込む。
【では、帝王賞のパドックです】
「よし、丁度いいタイミング」
今日は日本の地方の大井レース場でダート2000メートルGIレース帝王賞が行われ、そのレースにヒガシノコウテイとセイシンフブキが出走する。
日本に居る時はTVでパドックやレースを見られたが、アメリカでは日本のテレビ番組が見られるわけがない。レースの結果しか見られないと諦めていたが地方ウマ娘協会では何とレースのライブ配信を行っていて、今その恩恵を預かっていた。
【2番人気、ヒガシノコウテイ選手です】
パドックでは2番人気のヒガシノコウテイが登場し照明がその姿を照らし出す。
帝王賞は日本では珍しくドバイワールドカップと同じように陽が落ちてからレースを開始する。
画面越しで見ているので何とも言えないが調子も良さそうで表情も適度な緊張感を保っている。
フェブラリーステークスの後は名古屋レース場で行われたダート1900メートルGⅢ名古屋大賞典に勝利している。同じコースと距離の東京大賞典にも勝利し、臨戦過程や実績や実力を考えれば妥当な人気だ。
地方の総大将として、地方に光を与えたい。その目標の為に懸命に走るだろう、是非とも頑張って地方のウマ娘ちゃんの光になって希望を与えてもらいたい。
【1番人気、セイシンフブキ選手です】
そしてセイシンフブキが登場する。フェブラリーステークスのように不気味な静けさを保っている。だが気のせいか怒りの溜め具合が少ない気がする。
きっと走るコースのせいだろう。このレースはフェブラリーステークスと違ってスタート地点に芝は無く、最初から最後までダートだ。
そして大井の2000は逃げも先行も差しも追い込みも決まり、紛れが少なく実力差が分かりやすいチャンピオンコースだと以前のインタビューで力説していたのを思い出していた。
画面からセイシンフブキへの声援が聞こえてくる。フェブラリーステークスでビッグマウスを吐きながら芝も走るデジタルに負けたことでバッシングを受けたが、次走の地元船橋でおこなわれたダート1600GIかしわ記念では見事勝利し、船橋の至宝が中央に流出するのを防いだ。
セイシンフブキはダートプロフェッショナルとしてダートレースに勝っただけなのだが、近年中央に奪われていた至宝を守ってくれたことが船橋や地方ファンに好印象を与え、日々唱えているダートに対するプライドが少しずつ理解されてきていた。
少しずつだが報われ始めている。このまま徐々に理解され、ダートへの偏見を無くし地位を高めていき、いずれダートプロフェッショナル達が集まる最高のレース実現のために頑張って欲しいとデジタルは願っていた。
パドックが終わると本バ場入場が始まり、各ウマ娘がゲートに向かって行く。
「あ~緊張する」
デジタルは胸に手を当て思わず叫ぶ。ヒガシノコウテイとセイシンフブキにとって地方の総大将として、ダートプロフェッショナルとして絶対に勝ちたいレースだ、正直に言えばどちらにも勝ってほしい。
だがレースの勝者は1人だ、同着という例外中の例外があるが2人は納得しないだろう。
自分とプレストンのようにライバルだ。そんな分け合うような勝利は納得しないだろう。
【さあ、レースがスタートしました】
レースが始まり序盤はセイシンフブキが前から4人目の先行グループ、ヒガシノコウテイは中段グループにつける。中盤からヒガシノコウテイが徐々に捲り4コーナー手前でセイシンフブキの1バ身半ぐらい後ろにつける。
【最後の直線、カネツフルーヴが後続を突き放す】
直線に入り道中2番手につけていたカネツフルーヴが一気に後続を突き放す。
カネツフルーヴの後ろにつけていたセイシンフブキは着いていけず、ズルズルと下がっていきバ群に沈んでいく。ヒガシノコウテイも末脚にかけるが思った以上に伸びが無く、さらに後方から来たウマ娘に差されていた。
結果は1着カネツフルーヴ。ヒガシノコウテイは5着、セイシンフブキは8着に終わった。
「う~ん」
デジタルは思わず唸る。コウテイかフブキが勝つ結末を期待していただけに残念な結果に終わってしまった。
レースの結果は僅かな要因で大きく変わる。連戦連勝なんてオペラオーなどのほんの僅かのウマ娘にしかできない。
本人にも分からない不調で勝てないことも多くある。デジタルもジュニアC級でGIマイルチャンピオンシップに勝った後、明確にどこか悪いと言えるわけがないのに勝てない日々が続いた。それだけウマ娘は繊細である。
それにカネツフルーヴも強かった。今日はGI初勝利で喜ぶ尊い姿をオカズにして朝ごはんを食べよう。部屋から食卓に向かおうとするがふと足が止まる。
今日のヒガシノコウテイとセイシンフブキはどこか変だった。上手く言語化できないがフェブラリーステークスのような輝きがなかった気がした。
───
岩手山。岩手山の別名『岩鷲山』。春も進んで、頂上付近の雪が溶けていった形が羽を拡げた鷲に見えるからそう呼ばれている。
盛岡レース場の近くにあり、七つの登山道から山頂を目指すことが可能で、岩手山にはそれぞれ個性的な登山道が7本あり、様々な景色が登山客を楽しませる。
岩手の名所の1つであり、7月ということもあってか夏休みを利用して多くの登山客が訪れ、雄大な景色は日々の疲れを癒し明日への活力を生み出す。そんな雄大な光景に目もくれず一心不乱に走るウマ娘が居た。
ヒガシノコウテイである。3つ編みを揺らし汗だくになりながら鬼気迫る表情で走っている。夏の陽気が容赦なく体力を奪っていく。
岩手山の登山道を使ったトレイルランニングは岩手ウマ娘協会所属のウマ娘には伝統的なトレーニングだ。
レースで走らない山道を走る事で、普段では使わない筋肉を刺激しレースに必要な筋肉を鍛え上げている。
常人より身体能力が優れたウマ娘のスピードトレイルランニングをするのは危険であり、登山客への接触事故を考えれば普通ならできない。
だが普段の岩手ウマ娘協会の地域貢献と地域の理解もあって時間限定で一部のコースを貸し切りにしてもらっている。
ヒガシノコウテイは1人で一心不乱に走る。後続のウマ娘達はスタート早々に千切っていた。
コースを上りきり山頂に到着すると雄大な景色が目に飛び込んでくる。
盛岡の市街や北上山地などがはっきり見える。人の営みと自然の息吹を感じられるまさに絶景だ。だがその絶景を見ても心は晴れなかった。
帝王賞は中央のカネツフルーヴに持ってかれてしまった。地方の総大将を謳っておきながら何という体たらくだ。
夏を過ぎ秋になれば南部杯が行われる。帝王賞は100歩譲っても中央に取られてもいい。しかし南部杯だけは死守しなければならない。
南部杯は岩手ウマ娘協会の歴史と誇りだ。だがメイセイオペラが勝って以降は中央に負け続けていた。
メイセイオペラの活躍で岩手や地方に目を向けさせることができた。だがこのままではまた離れ岩手ウマ娘ファンの尊厳は踏みにじられ続ける。
ファン達に胸を張って地方を、岩手を応援していてよかったと誇りを胸に抱いてもらうために勝たなければならない。だが南部杯にはアグネスデジタルが出てくる。
フェブラリーステークスでは全てを掛けて挑んだつもりだが返り討ちにあった。
そしてドバイワールドカップやクイーンエリザベス二世カップを走り、さらに成長しているのは見ていて分かる。そしてヒガシノコウテイはある懸念を抱いていた。
このままでは頭打ちではないのか?
中央のように充実した設備が無くても、創意工夫と中央に負けてはなるものかという反骨心があれば勝てるという信念でトレーニングを積み、交流重賞でも中央のウマ娘に勝てるようになった。
だがアグネスデジタルという天性の才覚でダートと芝の垣根を越えていく異能の勇者には勝てなかった。
このまま現状維持では勝てない。その焦りと不安が無意識に心をかき乱し帝王賞での敗北に繋がっていた。
何かしなければならないが、何をすればいいか分からない。その焦りと不安は日が経つごとに心の中で膨らんでいた。
思考にふけっていると後続のウマ娘達が遅れてやってくる。思考を打ち切ると焦りと不安を悟られないように笑顔を作り労った。
「ではしっかりクールダウンをしましょう」
「分かりました」
トレイルランニングを終えたヒガシノコウテイ達はトレーニング場を兼用している盛岡レース場に戻り、実戦形式のメニューをこなし今日のトレーニングを終える。
ヒガシノコウテイは入念にクールダウンをする。元々体は頑丈な方でもなく、足を痛めているのでいつ再発するか分からない。
少しでも長く走る為に人一倍クールダウンと体のケアをおこなっていた。
「そういえばゴドルフィンが日本に支部を作るんだって」
「ゴドルフィンって、あのアラブの金持ちの?私達に関係なくない」
「それが有るんだよ。最初は中央に息がかかったトレーナーを送り込んで、そのチームにゴドルフィンの施設で鍛えたウマ娘を入れようとしたけど、ダメだったんだって。それで南関にトレーナーを送り込んで、そこから中央のクラシックに参戦したり、地方のダートクラシックを取ろうとするらしいよ」
「だからどこが関係あるの?」
「もしかして私達もゴドルフィンの日本支部にスカウトされるかもって話」
「それこそ関係ないっしょ。スカウトされるとしたらヒガシノコウテイさんぐらいでしょ」
クールダウンついでに雑談に興じるウマ娘の話に耳を傾ける。世間ではそんな動きがあるのか、南部杯のことで頭がいっぱいで全く知らなかった。
ゴドルフィンの日本進出。それ自体はどうでもいいが、勘違いを生む可能性がある。ゴドルフィンで育てられたウマ娘が居ても地方に所属してデビューから地方で走れば、それは立派な地方ウマ娘だ。
それでも地方のトレーナー達と一緒に鍛え成長すればいい。
最悪なのは大半をゴドルフィンの施設で鍛え、名義貸しの状態で出走して地方ウマ娘と名乗ることだ。定義としては間違ってはいない。だがヒガシノコウテイに言わせれば地方ウマ娘ではない。
地方ウマ娘とは自分を含め、トウケイニセイ、メイセイオペラ、アブクマポーロ、セイシンフブキなど、地方の文化に触れ地方のトレーナーから教わり、地方で鍛えられたウマ娘の事だ。
ふとその時ヒガシノコウテイの脳裏にある考えが浮かぶ。それは悪魔の囁きだった。
もし実行すれば自分のアイデンティティの崩壊を招いてしまう。だがこれをすればアグネスデジタルに勝って南部杯の中央流出を防ぐことができる。
ヒガシノコウテイはクールダウンをするのも忘れ、考え込んでいた。
───
「よし、これで準備は万端」
メイセイオペラは掃除機をかけ終えると部屋全体を見渡し確認する。
床も机もしっかり掃除した。お茶請けも好みの物を買ってきた。いつでも来客をもてなせる。といっても1人暮らしのアパートの1室で元々定期的に掃除をしていたので、掃除と準備はすぐに終わった。
7月のある日、ヒガシノコウテイから相談したいことが有るから家に来ていいかと連絡が来た。
ここ数日は仕事で忙しいので少し時間が空いてしまうと返信すると、出来るだけ早く話したいと返事が返ってくる。
ヒガシノコウテイはそこまで我を押し通すタイプではない、それでも何とかして時間を作ってくれと頼んできた。これは只事ではないと会社の上司に頼み込み急遽休みをとっていた。
すると呼び鈴が鳴り、扉のドアアイから外を覗き込むと思わず目を見開き勢いよく扉を開ける。
「テイちゃんどうしたの!?」
「ごめんね時間作ってもらって…」
目の前に立つヒガシノコウテイは目にクマができて顔色が悪く生気がない。まるで何日も連続で徹夜したようだった。
「とりあえず中に入って」
「うん」
メイセイオペラは中に招くと部屋の中央の座布団にヒガシノコウテイ座らせると、台所に向かい飲み物とお茶請けを用意し始める。
「飲み物は紅茶でいい?」
「何でもいいよ」
ヒガシノコウテイはポツリと呟くように返事する。声まで生気がない、以前会った時は南部杯勝利を掲げ生気に満ち溢れていた。だが今では引退間近の燃え尽きたウマ娘のようだ。
メイセイオペラは2人分の紅茶とお茶請けを置いて対面に座る。
「それで相談したいことって何?」
ゆっくりとした口調で質問する。ヒガシノコウテイは言葉を纏めているのか十数秒ほど沈黙するが、焦れることなく待ち続けた。するとゆっくりと口を開き始めた。
「オペラお姉ちゃんはゴドルフィンって知っている?」
「ごめんね、詳しくは知らない」
「まあウマ娘のチーム、中東のビッグチームで、それが日本に支部を置くんだって」
「そうなんだ」
「それで私は……ゴドルフィンの力を借りようか迷っているの……」
ヒガシノコウテイは唇を噛みしめ絞り出すように言葉を紡ぐ。こんな悲痛な表情は長い付き合いだが初めて見るものだった。
「私は……地方ウマ娘であることを誇り思いトレーニングを積んできた。施設が良くなくても創意工夫して頑張ればオペラお姉ちゃんみたいになれると思った……でもこのままじゃアグネスデジタルには勝てない!勝てないの!」
ヒガシノコウテイはヒステリックに叫ぶ。地方と中央の環境の違いは現役時代に痛感していた。
ウマ娘にとって少しでも速くなりたいという気持ちは本能のようなものだ。その為に施設と人材が充実している中央に移籍するのは責められることではない。
メイセイオペラも何度も中央に移籍するべきかと悩み、地方への愛と地方に居た方が強くなれると信じて残った。そして目の前の後輩も同じ悩みを抱えている。
「そのゴドルフィンに移籍しようと悩んでいるの?」
「違う!ゴドルフィンは日本に自分達の力を示したい、だから私がゴドルフィンに短期留学して南部杯に勝って『ゴドルフィンのトレーニングで勝てました』と宣伝する。ストリートクライに先着し、世界最強のサキーを追い詰めたアグネスデジタルに勝てば宣伝効果は絶大で門を叩くウマ娘が増える。この提案を飲んでくれる可能性は充分に有ると思うの!」
「そうなんだ。岩手から移籍する気はないんだね。だったらすればいいんじゃない?」
「それをしてしまったら……私は……『私達の』ヒガシノコウテイじゃなくなっちゃう!」
───私達の
以前にオグリキャップを罵倒した際に使った言葉だ。ヒガシノコウテイは誰よりも地方を愛し、誰よりも地方のファン心理を理解できている。
地方から中央に出て活躍するのはなく、地方でいる不利を抱えながらそれでもファンの為に地方に残り『私達の』ウマ娘でありたいと思い続けている。
その信念がタブーとされている稀代のアイドルウマ娘への罵倒にも繋がった。
「私はオグリキャップさんに『私達の』オグリキャップでないって悪口を言った!オグリキャップさんはフェブラリーステークスを見て『私達の』ヒガシノコウテイの強さを見たと褒めてくれた。でもそれだけじゃ南部杯に勝てない!でも『私達の』ヒガシノコウテイで居たいよ!ねえどうすればいい?どうすればいいのオペラお姉ちゃん!?」
ヒガシノコウテイはメイセイオペラに掴みかかりその衝撃でカップから紅茶が零れカーペットを濡らす。
どこまでが『私達の』ウマ娘になるのか?それは完全に個人の価値観だ。
ゴドルフィンで鍛え育てられても地方に籍を置いていれば『私達の』ウマ娘と認めてくれる人もいる。
地方所属で民間のトレーニング施設、通称外厩と呼ばれる中央や地方でもないトレーニング施設を利用しても『私達の』ウマ娘と認めてくれる人もいる。
そしてヒガシノコウテイの『私達の』基準はとても厳しい。
他者の力を借りず、地方の人間と地方の施設を使って鍛え育てられた極めて純度が高い存在が『私達』のウマ娘の条件だった。
メイセイオペラは思わず答えに詰まる。
例えば岩手県代表で甲子園に出場した高校のスタメンとベンチメンバーが全員中学まで大阪で野球をしていたとしたら、このチームは岩手県の代表と認められるか?
岩手の高校に入って指導を受けたので岩手代表と認める人もいる一方で、中学まで大阪で育ったのならばそれはもはや大阪のチームと言う人もいる。それと同じように非常にデリケートな問題だ。
「オペラお姉ちゃんも外厩を使ったでしょ。その時はどう思った?『私達の』メイセイオペラじゃなくなると思った?」
確かに現役時代に福島の民間のトレーニング施設を使った。
その時はヒガシノコウテイほど純性に拘りはなく、地方ウマ娘としての純性が損なわれると思っていなかった。ただ強くなり、アブクマポーロに勝ちたい、南部杯に勝ちたいと思っていただけだった。
「逆に聞くけどテイちゃんは私が外厩を使った時はどう思った?」
「それはどうして外厩を使うのって怒ったよ。でもオペラお姉ちゃんは岩手のウマ娘だよ。地方のために残って、地方の為に戦った私やファンに希望を与えてくれた。そんな人が『私達の』メイセイオペラじゃないわけじゃない!」
「じゃあ答えは出てるよ」
「どういうこと?」
「ようは気の持ちよう、ゴドルフィンの施設でトレーニングしてもテイちゃんが『私達の』ヒガシノコウテイだと思えば、外野が何と言おうとテイちゃんは『私達の』ヒガシノコウテイだよ」
「そうかな…でも…」
ヒガシノコウテイはブツブツと呟きながら俯く。メイセイオペラは呟きが治まるのを待ってしっかりと目を見据えて語り掛ける。
「辛い事を言うけど、これはとっても難しい問題でテイちゃんが答えを出さなきゃいけないの。だから考えて考えていっぱい悩んで。そしてどんな答えが出ても私は支持するから。ごめんね力になれなくて」
「そんなことない、ありがとう。これからいっぱい考えて悩むよ」
「そういえば仕事場でこんなことが有ったんだよ」
メイセイオペラは話題を強引にかえる。職場で起こった事、友人の話、最近ハマっている食べ物やドラマの話、愛おしい後輩が一時でも悩みを忘れ解放されるようにといつも以上に饒舌に喋った。
───
ヒガシノコウテイは何一つ光が無く暗黒空間と化した自室で座り込み思考に没頭する。
どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?
メイセイオペラに相談した後、トレーニングをせず最低限の生命活動以外はひたすら思考していた。トレーナーに考えたい事があるから数日トレーニングを休むと伝えると何も言わず了承してくれた。
自信の信念とプライド、ファン達の幸せ、考えられる全ての様子を吟味し考える。そして時間感覚が失われるほどの思考の果てに結論が出た。
ゴドルフィンの力を借りる。
重要なのは南部杯に勝ち岩手の皆に希望を与え、誇りを取り戻すことだ。そのために自分が定義した『私達の』ウマ娘から外れる。
何かを得るためには何かを手放さなければならない。それが『私達の』ウマ娘だ。
ある者は手放す事は弱さだと言うかもしれないが、それは強者の理論だ。弱者は多くの物を差し出してやっと手に入れられる資格を得る。
自身が定義した『私達の』ヒガシノコウテイの定義からは外れる。だが心は『私達の』ウマ娘であるつもりだ。そして願わくば岩手の皆が『私達の』ヒガシノコウテイと呼んでくることを願うばかりだ。
「弱いって辛いな…」
ヒガシノコウテイはポツリと呟く。強ければゴドルフィンの力を借りず正真正銘の『私達の』ヒガシノコウテイとして南部杯に勝利し、幸せの絶頂で居られただろう。
だがそれは夢だ。もう夢見る少女ではいられない。