『ゲートが開いてスタートを切りました。さあ、誰が行くのか?おっとこれはヒガシノコウテイがハナを切って先頭に立ちました。その2バ身後ろに岩手勢のバンケーティング、グローバルゴット、トーヨーデヘア、トーヨーリンカーン、その後ろ1バ身離れてアグネスデジタル、スターリングローズ、ノボトゥルーの中央勢です』
好スタートを切ったヒガシノコウテイがハナを主張し、先頭でレースを引っ張っていく。
普段は先行抜け出しを得意としているウマ娘で逃げはあまりしていない。この大一番で積極策に打って出たのを見て、スタンドからは歓声が上がる。
(コウテイちゃんは逃げに出たか、岩手のウマ娘ちゃんが壁になってちょっと見えにくいな。でもペースが速いしこのままでいいや)
デジタルはヒガシノコウテイへの追走を控える。マークするという意味ではもう少し近づいてもいいのだが、このペースは速く付いていくのは得策ではないと判断した。
『続いて3バ身離れて、マキバスナイパー、芝GI覇者でダートGI初挑戦のトロットスター、スターキングマン、エビスヤマト、そして1バ身セイシンフブキはここに居ます。スタートが上手くいかなかったか?その後ろフジノヤマト、タクラッシャー、イシヤクマッハ。やや縦長の展開になっております』
セイシンフブキの位置取りは予定通りである。末脚を生かすには後方で足を貯めなければならない。さらに前はハイペースでより末脚が生きる展開になっている。
流れが有利になっているのを感じながら、仕掛けどころを見極めるために神経を張り巡らせる。
『レースは依然とヒガシノコウテイが5バ身のリードをキープで3コーナーを通過しました、隊列はさほど変わりません』
レースは800メートルを通過した。先頭のヒガシノコウテイの前半3ハロンは34秒、これは例年の南部杯のペースと比べても速いペースである。
デジタルは前の岩手のウマ娘とスターリングローズとノボトゥルーに神経を向ける。
ハイペースで恐らく垂れてくるが万が一がある。それに3コーナーから4コーナーにかけては下り坂で、走るスピードでハイペースだと思っていたら実はそこまで無理していなく、力を温存していたという事態もある。そろそろ動くべきだ。
だが問題がとして、スターリングローズとノボトゥルーが一緒に動き外に並走された時、垂れてくるであろう岩手のウマ娘が壁になる可能性がある。
そうなれば減速して2人の外に進路を取らなければならない。それがレースを左右するロスになってしまう。動くならスターリングローズとノボトゥルーより速く。
『おっとアグネスデジタルが徐々にスピードを上げていく』
デジタルは2人の一瞬の隙をついてスピードをあげて追走する。デジタルをマークしていたのか即座に反応して追いかける。だが2人は横ではなく後ろにいる、これで岩手のウマ娘を利用して進路を塞がれることもない。
デジタルは難所をクリアしたことに一瞬安堵すると即座に意識を前に向ける、
まずは岩手の娘達を外から抜いてヒガシノコウテイを捉える。デジタルは岩手のウマ娘達まであと数メートルというところで予想外のことが起こる。
『そしてバンケーティング、グローバルゴット、トーヨーデヘア、トーヨーリンカーンもアグネスデジタルと同様に上がっていく』
デジタルは選択に迫られる。1つ目はこのまま並走して外側から岩手のウマ娘を抜き去る。だがこのまま抜きされなければ4人分外を走らされて遠心力で外に膨らみ距離ロスする可能性がある。
2つ目は一旦スピードを落とし内に進路をとる。このスピードでは岩手のウマ娘達は外に膨らみ、その分内が空く。
だが減速しなければならず、さらに内に進路をとればすぐ後ろにいるスターリングローズとノボトゥルーの進路を妨害したとして斜行失格になる可能性がある。
内か外か一瞬の判断の末外を選ぶ。自分の力なら横に並走されることなく抜きされると判断した。
デジタルはギアを上げてスピードを上げる。だがそれでもバンケーティング、グローバルゴット、トーヨーデヘア、トーヨーリンカーンは必死の形相で食らいつく。
「ちょっとどいてよ!」
「どかねえよ!ここが私達の勝負どころだ!」
デジタルは事態の深刻さに思わず恫喝してしまう。だが岩手の4人は意に返さず並走し続けた。
「やめて!皆はそこまでしなくていい!」
トレーナーや出走ウマ娘が集まる関係者スペースにメイセイオペラの悲痛な声が響き渡る。
ヒガシノコウテイを勝たせるために鬼となる誓い、周囲と協力してデジタル達にブーイングを浴びせるというなりふり構わない手段をとったが、それでも躊躇してしまった作戦があった。それは岩手のウマ娘達でデジタルやセイシンフブキを妨害することだ。
妨害と判断されれば裁決委員によって失格の処分を下される。だが裁決委員が処分を下さなければ問題はない。レースでは常に処分が下されない程度に妨害し、それを回避する駆け引きが繰り広げられている。
だがそれは勝つためにやっているのであり、勝負度外視で相手を負かすためにやってはならないという暗黙のルールが有った。
何よりレースに走るウマ娘達は其々の目標に向けて全力で走っている。ウイニングライブに参加したい、掲示板に載りたい、その想いを邪魔する権利は誰にもない。
そして今の状況は逃げているヒガシノコウテイを捉えようと追走し、妨害する意志はないと説明すれば妨害と認めらない、だが見るものが見ればすぐに分かる。あれは玉砕覚悟の並走だと。
岩手のウマ娘達とアグネスデジタルの力は違いすぎる。ここで張り合って並走すれば潰れるのは岩手のウマ娘達で、その結果夢を叶える力を全ての力を使い果たしてしまい、1着から遥かに突き放されてゴールするという惨めな姿を晒してしまう。
メイセイオペラは声が届かないと分かりながらも叫ばずにいられなかった。
一方アブクマポーロはレース上の様子を静かに見つめる。
メイセイオペラとヒガシノコウテイは愛するものを守るとう断固たる決意を秘めた目をしていたが、他の岩手のウマ娘も同様の目をしていて、何かしら仕掛けてくると予想していた。
ダートレースで勝負を放棄してまで妨害する心境は理解しがたいが妨害のやり方は実に巧みである。その技術だけは賞賛できると思っていた。
2コーナーに入って100メートル通過し、一番外に居たトーヨーリンカーンが後ろに下がっていく。デジタルはその空いたスペース分だけ内に寄る。だがデジタルの横を必死にグローバルゴットが並走する。
この4人はレース前からチャンスが有れば自分の目的よりヒガシノコウテイをアシストすることを優先すると決めていた。
そしてヒガシノコウテイが逃げるという幾通りシミレーションしていた展開になり、実行した。
ヒガシノコウテイがゴドルフィンにトレーニングに行ったと聞いたときは激怒した。だがそれはヒガシノコウテイではなく、自分達の弱さだ。
ヒガシノコウテイが誰よりもこの岩手を愛していることを知っている、
岩手で生まれ岩手で育ち鍛え、他者の力を借りていない穢れなき岩手所属のウマ娘、『私達の』ヒガシノコウテイでありたいという願いがあることを知っていた。だが南部杯という岩手所属のウマ娘の誇りを守るために他者の力を借りた。
どれだけの苦悩と苦痛が有ったのかは計り知れない。だからせめてもの罪滅ぼしに勝たせようと誓った。
150メートルを通過しグローバルゴットがデジタルに抜かれ、200メートルを通過しトーヨーデヘアが抜かれる。
だが脱落した者は思いを託し、残った者はそれに答えるように力を振り絞りデジタルと並走する。
1メートルでも1センチでも長くアグネスデジタルに余分な距離を走らせて、ヒガシノコウテイをアシストする!ただその一心で走り続けた。
そして最後の1人であるバンケーティングが抜かれた。
『最終コーナーに入ってヒガシノコウテイが3バ身差をつけて先頭!やや外に膨れながらアグネスデジタルが2番手!その内からスターリングローズとノボトゥルーが襲いかかる!』
してやられた。どれだけ余分に走らされた1バ身か?2バ身か?このロスをカバーできるのか?
デジタルの頭の中で不安や怒りや敗北の二文字が駆け巡るが即座に打ち消し脳のスイッチを切り替え、トリップ走法の為のイメージを数コンマで構築する。
好きなウマ娘と走っていると脳を勘違いさせ、その存在を感じ取って得た多幸感によりエンドルフィンなどの脳内麻薬を分泌させて力を引き出す。これがアグネスデジタルのトリップ走法である。
今のデジタルには前方にサキー、左右にはメイショウドトウとテイエムオペラオー、後ろにはエイシンプレストンが居ると錯覚していた。
『アグネスデジタルがその差を2バ身から1バ身と詰めていく!』
トレーニングを積んで底上げされた身体で使用するトリップ走法、その切れ味はフェブラリーステークスで見せた末脚より勝り、岩手のウマ娘達や中央のスターリングローズやノボトゥルーは遥か後方に置き去りにされていた。
『残り300メートル!ヒガシノコウテイ先頭!アグネスデジタルを寄せ付けない!岩手の至宝はすぐそこだ!』
デジタルは困惑する。サキーとテイエムオペラオーとメイショウドトウとエイシンプレストンと一緒に走り、4人は言葉を交わし尊い関係を見せてくれて、励ましてくれる。
それは至福の時間であり、それを感じているだけで無限大の力を得ているはずだ。だが差が詰まらない。
そんな訳が無い!皆の存在を力に変えるこの走りは無敵なんだ!必死に力を振り絞り徐々にヒガシノコウテイとの差を縮めていく。
すると後ろから誰かの走る音が聞こえてくる、その音は今まで聞いたことのない走行音だった。
その音はどんどん近づいていた。その音に惹きつけられるように思わず後方に意識を向ける。そこには見知った姿があった。
『セイシンフブキが物凄い足で突っ込んでくる!』
アグネスデジタルが思い出したのはサキーの姿だった。
ドバイワールドカップでサキーが見せたラスト100メートルでの加速、あれは未だに鮮明に焼き付いている。デジタルの視界からサキーなどのウマ娘の姿は消え、セイシンフブキに全ての意識を向けていた。
セイシンフブキは3コーナーの下り坂を利用して仕掛けを始めていた。
徐々にスピードを上げ直線に入ったところで加速を終わらせ一気に末脚を爆発させる。道中は前にいたアグネスデジタルと岩手のウマ娘達が外に膨らんだことで、ゴールまでのルートはパッカリと空いていた。
船橋で刻み込んだ正しいダートの走り方を元に砂厚や覆水率などを計算して、今の状況での正しいダートの走り方を導き出す。ダートを踏みしめるたびに慎重に力配分を調整して走る。
ダートに挑む芝ウマ娘、芝をダートの2軍と呼ぶ世間の認識、ここで負ければ芝より下だと認められてしまうという焦り。それらは確かに胸に抱いているが、そこまででは無かった。
今はアブクマポーロが目指しともに完成させたこの走りを観客達に見せつけたい、弟子に勝利するカッコイイ姿を見せたい。
そしてこの走りを見せ感動させ、未来のダートプロフェッショナルを生み出したい。それだけだった。
『残り200メートル!がんばれヒガシノコウテイ!がんばれ!』
ふくらはぎやふとももが痛みで悲鳴を上げている。頭は酸素が回っていなのかクラクラして視界が歪む。
心臓は破裂しそうだ。何でこんな辛い目にあっているんだろう。今すぐにでも止まりたい。
ヒガシノコウテイの頭の中に弱音や諦めが次々と浮かび上がる。だがそのネガティブな感情は観客からの声援が届くたびにかき消されていく。
勝ってくれ、負けないで、岩手の誇りを守って、聞こえてくる歓声や悲鳴に込められている様々な思いを汲み取り力に変える。
地元の皆が応援してくれて、それを力に変えられる。それが地方で生まれ地方で育ち、極めて純度の高い穢れなき存在が『私達の』ウマ娘だと思っていた。
だがその力を信じきれず外部の力に頼った。そんな者に望む力は手には入れないと思っていた。
でもどうだ?今はこの瞬間、皆が応援してくれて、その応援を力に変えられている。まるで『私達の』ウマ娘のようだ。これならば南部杯に勝ち岩手の誇りを守り皆を笑顔にできるかもしれない。
レースに勝ったら聞いてみよう。自分は『私達の』ヒガシノコウテイですかと。
『残り100メートル!追うセイシンフブキとアグネスデジタル!逃げるヒガシノコウテイ!』
「勝ってテイちゃん!バンケーティングの!グローバルゴットの!トーヨーデヘアの!トーヨーリンカーンの頑張りを無駄にしないで!」
「勝てフブキ!ダートプロフェッショナルの力を見せつけるんだ!」
「勝って師匠!」
「ここで勝たなサキーへの挑戦権なんて無いぞデジタル!」
レース場に繰り広げられる激闘の熱に当てられるように関係者達は伝わらないと分かっていながらも声を荒らげ想いを伝える。
その想いが伝わったかのようにヒガシノコウテイとセイシンフブキとアグネスデジタルは力を振り絞る。
『セイシンフブキがアグネスデジタルを交わして2番手に躍り出る!アグネスデジタルはここまでだ!』
デジタルのトレーナーは静かに目を伏せる。もしかすればドバイワールドカップの時のサキーのように差し返すかもしれないという一縷の望みを抱いた。
だがターフビジョンに映ったデジタルの目を見て望みは絶たれる。目に力が宿っていない。足も心ももう完全に使い切っている。
残り50メートルでデジタルを交わしたセイシンフブキが猛然と迫る。完全に脚色は上だがゴール板はすぐそこまで迫っていた
『これはどっちだ~!!!?1着はヒガシノコウテイかセイシンフブキか分かりません!3着はアグネスデジタル!』
セイシンフブキはアグネスデジタルを振り切り、ヒガシノコウテイを交わすかという所でゴール板を通過した。
観客席からはザワザワと騒めく、結果は肉眼では分からないほど微妙な差であった。皆は固唾を飲んで電光掲示板の着順表示を見守る。
一方その激闘を演じたヒガシノコウテイとセイシンフブキはゴール板を通過してから内ラチにもたれ掛かるように停止する。
暫くするとヒガシノコウテイが重い体を引きずるようにしてコースを逆走してゴール板に向かう。内ラチの奥には岩手所属のウマ娘が倒れ込んでいた。
「バンケーティング!トーヨーリンカーン!トーヨーデヘア!グローバルゴットさん!」
普通の状態ならゴドルフィンに行った負い目もあり駆け寄るか悩んでいただろうが、気がつけば駆け寄っていた。
「どうも…結果はどうです?」
「1着か2着、写真判定しているけど、結果は分からない」
「相手は?」
「セイシンフブキ」
「あいつか…とりあえずアグネスデジタル潰しは成功したみたいですね…」
「苦労した甲斐があったな…」
岩手のウマ娘達は遂行した仕事を賞賛するようにお互いを労う。
ヒガシノコウテイはその様子を見て悟る。この4人は自分を犠牲にしてアグネスデジタルを妨害した。
全ては自分を勝たせるためだ。あまりの居たたまれなさに下を向く。
「下向かないでくださいよ…掲示板見てください。4着ですよ…中央に勝ちました…」
「そして私は5着」
「6着だけど中央に勝った」
「7着」
バンケーティングとトーヨーリンカーンは其々誇らしげに掲示板を指差し笑みをこぼし、トーヨーデヘアとグローバルゴットも自慢げに喋る。
「正直自分でも驚いている。アグネスデジタルの邪魔して…最下位とかになったらヒガシノコウテイの勝ちにいちゃもん付けられる……だから1つでも順位をあげなきゃって走ってたらこれだよ……私達も捨てたもんじゃないよ……」
グローバルゴットが皆を代表して語る、其々がヒガシノコウテイの勝利を汚さないためにと死力を尽くした結果、中央所属で重賞やGIに勝っているスターリングローズやノボトゥルーに先着する快挙を達成した。
「私は…岩手に所属して…本当によかった…」
「泣くな。泣くのは勝ってからにしな」
「はい」
ヒガシノコウテイは涙を堪えながら首を縦にふる。自分のために身を犠牲にして有力ウマ娘を妨害し、尚且つ中央のウマ娘に先着した。
地元やそこに所属するウマ娘のために信じられない力を発揮する。これこそが追い求めていた力、彼女達こそ『私達の』ウマ娘だ。
ヒガシノコウテイは肩を貸しながら5人一緒に地下バ道に向かっていく、その姿に観客たちはスタンディングオベーションで万雷の拍手を浴びせた。
ヒガシノコウテイ達は地下バ道を通り、走り終わったウマ娘が待機する待機所に向かう。
そこにはアグネスデジタルとセイシンフブキが既に居て、指定された場所に座りトレーナーや関係者と言葉を交わしていた。ヒガシノコウテイも指定された場所に座る。
それから5分が経過したころ、係員が待機所に勢いよく入室し着順決定板にマグネットを貼っていく。それから数秒後レース場から大きな歓声が上がる。
1着 ヒガシノコウテイ
2着 セイシンフブキ
南部杯の正式に着順が決まった。
───
「では勝利者インタビューです。南部杯を制し岩手の至宝を守り抜いたヒガシノコウテイ選手です」
インタビュアーが名前を呼ぶと、その姿を一目見ようと押し寄せていたファンの歓声とカメラのフラッシュが出迎える。
ヒガシノコウテイは周りに視線を配り観客達の顔を確認する。
みんな喜んでいる。南部杯を取るために自分の信条を曲げてまでゴドルフィンに行ってトレーニングした甲斐があった。辛いこともあったが皆の笑顔が最高の報酬だった。
「レースが始まって逃げの戦法をとりましたが、これは最初から狙っていたのですか」
「いえ、最高のスタートが切れて誰もハナを主張しなかったので、このまま逃げたほうがいいと思いました」
インタビュアーはレースを振り返るように質問し答えていく。一見淀みなく答えているが直線に入ってからは記憶があやふやだったので、それっぽい答えを言っていた。
「では最後に一言お願いします」
インタビューにおけるお決まりのセリフ、普通なら当たり障りのない言葉を言うべきだろう。だがヒガシノコウテイは感情が赴くままに喋っていた。
「私はトウケイニセイさんやメイセイオペラさんのように岩手で生まれ、岩手で育ち、設備が充実していなくても環境が悪くても地元に残り続け戦い続ける。『私達の』トウケイニセイ、『私達の』メイセイオペラ、私はその姿に憧れて、そうなりたいと思いました」
お決まりのヒガシノコウテイらしい感謝の言葉を言うと思っていたが突然の独白、いつもと違う様子にファン達は固唾を飲んで見守る。
「でも私は弱くてこのままで岩手の誇りである南部杯を守れないと思いました。何としても守りたいと思い悩み抜いた末ゴドルフィンの門を叩きました。そこでのトレーニングは素晴らしく強くなれたと思います。でも同時に大切な物を失いました。それは『私達』のヒガシノコウテイになる資格です」
ヒガシノコウテイのトーンは一段と下がる。本当はしたくなかった。でも南部杯に勝ち岩手の誇りを守るためには苦渋の決断だった。
「地元の為に走る『私達の』ウマ娘は地元の声援や仲間の想いを力に変えられると信じています。そしてバンケーティング、トーヨーリンカーン、トーヨーデヘア、グローバルゴットは岩手の力を見せつけるために必死に走り、中央の強豪ウマ娘に先着しました。これは紛れもない『私達の』ウマ娘が持つ力です」
アグネスデジタルを妨害するために力を使ったと補足すれば、その凄さが分かるのだが、本人達の思いを受け取り伏せておく。
「そして、私も応援する岩手の皆様や、岩手ウマ娘協会に所属するウマ娘を想いながら走り、皆様の応援や想いを力に出来ました。でなければアグネスデジタル選手やセイシンフブキ選手に勝てなかった。私は『私達の』ウマ娘の力を信じきれず外部の力に頼った裏切り者です。それは分かっています」
ヒガシノコウテイは言葉を区切り深く深呼吸し、言葉を発する。
「でも私は『私達の』ウマ娘で居たい!皆様が宜しければ私を『私達の』ヒガシノコウテイと認めてくれますか?」
涙声で振り絞ると今まで押し留めていた感情が爆発し、その場に泣き崩れた。
ゴドルフィンに行った時点で『私達の』ウマ娘にはなれないと覚悟を決めたつもりだった。
だがレースを通してファンからの声援を力に変えて走り、仲間達の自分を犠牲にして有力ウマ娘を妨害し、自分の勝利にいちゃもんをつけられないようにと中央のウマ娘に先着し掲示板に入った姿を見て、押さえ込んだ気持ちが膨れ上がる。
『私達の』ヒガシノコウテイとして今後も走りたい!
もう二度と岩手を離れない、他者の力も借りない『私達の』ウマ娘の力も疑わないと心の中で強く誓った。
だがそれを決めるのは自分ではなく岩手のファンだ。だからこうして醜態を晒してでも頼み込んでいた。
一方ファン達は突然の出来事に困惑しアクションを起こせなかった。パドックでは嗚咽と観客達のどよめきが響いていた。
「テイちゃんは誰が言おうと『私達の』ヒガシノコウテイだよ!」
その響めきをかき消すように鶴の一声が響き渡る。その声の主はメイセイオペラでパドック後ろの建物から出てきて、ヒガシノコウテイに近づきながら喋り始める。
「テイちゃんは私達が岩手の誇りである南部杯を取って欲しいという願いの為に、悩んで!苦しんで!傷ついて!それでも私達のために勝ってくれた!それにゴドルフィンの力を借りたからって何!?テイちゃんの心はずっと岩手にある!それに教わった技術もこれからの後輩の為に伝えてくれるはずだよ!だから裏切り者じゃない!何度だって言ってあげる!テイちゃんは『私達の』ヒガシノコウテイだよ!」
メイセイオペラは大声で感情を込めたその言葉、それはテレビで見たイメージとは大きく異なっていた。だがいつも以上に惹きつけられるものがあり、観客達は耳を傾けていた。
「私もヒガシノコウテイは『私達の』ヒガシノコウテイだと思う」
今度はメイセイオペラが出てきた方向とは真逆の観客スタンド側からの声だった。
その声の主はトウケイニセイで、思わぬ人物の登場に観客の一部から歓声が上がる。
「覚えている人も居るかもしれないが、交流重賞元年、私は南部杯でライブリラブリイに負けた」
トウケイニセイの言葉に一部のファンの顔に影が落ちる。
当時の連勝記録を樹立していたトウケイニセイを中央所属のライブリラブリイが打ち負かした。その強さを全幅の信頼を置き、中央を負かしてくれると信じていた岩手ファンは深い絶望を味わった。
「私が不甲斐ないばかりに多くのファンを悲しませた。だがヒガシノコウテイは南部杯に勝ち、絶望ではなく希望を与えた。例え外部の力を借りようとも負けて絶望を与えるより遥かにマシだ。自分の信条を曲げてでも私達に絶望を与えない為に行動した。そんな彼女が『私達の』ウマ娘でなければ、誰がそうだと言うんだ!」
ヒガシノコウテイはトウケイニセイの言葉を聞いて顔を覆う。
憧れの英雄が認めてくれた。それはある意味姉のような存在であるメイセイオペラに認められるより嬉しかった。
─そうだ!ヒガシノコウテイは最初から岩手のウマ娘だろう
─ゴドルフィンでトレーニングしたからって、別に気にしてないぞ
─お前は『俺達の』ヒガシノコウテイだ
パドック観客席からは次々とヒガシノコウテイを肯定し賞賛する声が上がり始める。
それはヒガシノコウテイコールに変化し、いつまでも響き続ける。ヒガシノコウテイはその歓声に立ちがり深々と頭を下げて答えた。
この瞬間、ヒガシノコウテイは『私達の』ヒガシノコウテイになった。
──
「間もなく発車します」
アナウンスが流れると扉が閉まり新幹線は発車する。そのスピードはどんどん上がり車窓から見える景色は高速で流れていく。セイシンフブキはその景色を見つめ続ける。
セイシンフブキはレースの結果が発表されると、即座にクールダウンをして東京行きの新幹線に飛び乗った。
「師匠、足は大丈夫なんですか?」
「ああ、あれは嘘だよ。ライブに出たくないから仮病使った」
1つ後ろの席に座るアジュディミツオーが身を乗り出しながら問いかけ、セイシンフブキは振り返らず悪びれもなく言い放つ。
ウイニングライブへの参加は義務ではないが、怪我をしているなど不調がある時以外は参加することを推奨されている。それを仮病で休むなどもっての他である。
「しかし、珍しいね。負けたレースでも何だかんだでライブには参加したのに」
「まあ、アタシなりのヒガシノコウテイへのご褒美ですよ」
隣に座っていたアブクマポーロの言葉にセイシンフブキはそっけなく答える。
2着のウマ娘がライブに参加しなければ1着と3着の2人で行うか、代わりに4着のウマ娘が行うかの2択だ。
GIでのライブとなれば大概のウマ娘は参加したがる。それに4着は岩手のウマ娘だ。その方がヒガシノコウテイも喜ぶし盛り上がるだろう。
「姐さん、アジュディミツオー、ヒガシノコウテイの走りはどうだった?」
「それはクソみたいな走りでした!あんなのマグレです!次は師匠は勝ちます」
「あ!?じゃあアタシの正しいダートの走りはそのクソのマグレに負けたのか!?」
セイシンフブキはアジュディミツオーの言葉を聞き、睨みつけ恫喝する。その凄みに最初の勢いが嘘のように大人しくなる。
「2度とおべんちゃらは言うな、次言ったら破門だ。お前が感じたままに言え」
「はい…スゲエと思いました。ハイペースでの逃げ切り、あんなペースで走ったら直線は痛くて苦しくて辛いはずなのに、全く垂れなかった。あと何か師匠に似ていると思いました」
アジュディミツオーは素直に賞賛を述べる。経験上あのペースで逃げれば直線は垂れる。
痛くて苦しくて辛くて、あれは走ったことがある者しか分からない。
だがヒガシノコウテイは苦しみに耐え、2段ロケットのように加速した。その逃げはある種の理想の走りだった。そしてフォームは違うのにどこかセイシンフブキの走りと同じような気がした。
セイシンフブキはその答えに少し感心するような素振りを見せ、アブクマポーロに話をふる。
「姐さんはどう思いました?」
「ヒガシノコウテイの走りはダートの正しい走りにかなり近づいていた。レース参加者でフブキの次に近いだろう」
アブクマポーロは正直驚いていた。参考として1年前のレースを見たが、その時と比べかなり良くなっていた。
だがあれはセイシンフブキのように全てのダートで出来るわけではない。雨が降ろうが雪が降ろうがコースを走り続けた結果で身につけた技術、いわば盛岡限定だ。
「その走りに加えて、ゴドルフィンで鍛えたフィジカルと技術、そしてメイセイオペラや彼女が持つ、地方の為に絶対に勝つという心が加わった。総合的に考えればフブキが負けても不思議ではない」
セイシンフブキはアブクマポーロの分析を聞き、小さく頷く。写真判定の間何度もレースの映像が流れているのを見て気がつく。
ヒガシノコウテイも正しいダートの走りを身につけているのではないか?もしかして気のせいかもしれないので、2人に意見を求めた。
未熟ながらダートのセンスが有るアジュディミツオーが似ていると言い、自分と同等の知識と見る目を持つアブクマポーロがそう言うのなら間違いない。
「今から寝るから東京についたら起こしてくれ」
セイシンフブキは背もたれに寄りかかると最大限までシートを下げ目を閉じる。
負けたのは悔しいがヒガシノコウテイに負けたのならば少しだけマシだ。
ダートを軽視し地方を重視するその考えは反りが合わない。だがヒガシノコウテイなりにトレーニングを積み、正しいダートの走りがある程度できるぐらいにダートプロフェッショナルになっていた。
結果的にはダートプロフェッショナルの2人が芝ウマ娘のアグネスデジタルを打ち破った。これで最悪のシナリオは回避でき、ダートの力を証明できた。
だが次は勝つ。心の中でリベンジを誓いながら眠りについた。
──
「いや~ライブ最高だったね!」
デジタルは宿泊施設に帰るやいなや興奮冷めやらぬといった状態でトレーナーに話しかける。
ライブが始まると固定曲の後はヒガシノコウテイの曲が歌われ、2番に入るとメイセイオペラとトウケイニセイがデュエットするという心憎い演出があり、レース場は過去最高の盛り上がりを見せていた。
「そうやな、でもライブに参加しなくてよかったんか?」
「今回は参加しないほうが良かったよ。見たでしょ?ヒガシノコウテイちゃんとバンケーティングちゃんとトーヨーリンカーンちゃんのライブ!マジ尊すぎ!」
「よかったな。だが仮病で休んだんやから、二三日は怪我しているふりせえよ」
「分かってるって」
デジタルもセイシンフブキと同様に仮病を使ってライブに参加していなかった。
理由はトーヨーリンカーンをライブの舞台に上げたかったからだ。セイシンフブキがライブに参加せず、バンケーティングがライブに繰り上げ参加すると聞いて、あるアイディアが浮かぶ。
これはいっそのこと同じ岩手出身のトーヨーリンカーンを上がらせて、全て岩手所属のウマ娘にしたほうがエモいのではないか?
トーヨーリンカーンもGIでウイニングライブが出来れば喜ぶし、ヒガシノコウテイも地元のGIで長年付き添ったメンバーとライブが出来れば嬉しいだろうし、ついでに観客も喜ぶ。
デジタルは即座に泣き落しのように頼み込み、要求に折れたトレーナーが協会の人間に足に違和感が有るのでライブを辞退したいと伝えた。そのお願いに協会の人間は喜んで応じていた。
「明日はオフやからいくら寝てもかまわんぞ」
「うん、ぐっすり寝かしてもらうよ」
トレーナーは万が一ということも有るのでデジタルが自分の部屋に着いたのを確認し、それから自分の部屋に向かう。
だが足を止めて部屋に入ろうとするデジタルに喋りかける。
「ヒガシノコウテイの走りは見事やったが、デジタルも決して劣っとらん。負けたのはヒガシノコウテイやない、岩手に負けたんや。だから気にするな」
トレーナーは言い放つと自室に戻っていく。ブーイングで動揺させられ、3コーナーから最終コーナー前にかけての岩手のウマ娘の競り合い、今日は常にデジタルの力を削ぎ落とされていった。
欧米では有力ウマ娘を勝たせるために同チームのウマ娘を勝敗度外視でペースメーカーにさせ、有力ウマ娘が逃げだったら息を入れさせないように玉砕覚悟で逃げさせるなど、ロードレースのようにチームとして戦うことがある。
今日のレースはまさにそれだった。これをされたらいくらデジタルでも勝つのは容易ではない。
「あ~ライブ最高だったな」
デジタルは独り言を呟きながら寝巻きに着替え、トレードマークとも言える赤のリボンを外すと旅館の従業員が用意したであろう布団に乱雑に投げつけた。
なんだこのモヤモヤは!?
ウイニングライブを辞退したのはトーヨーリンカーンも喜び、ヒガシノコウテイも喜ぶだろうという気遣いだった面もある。だが別の感情も抱いていた。
今の精神状態ではライブに参加しても素直にヒガシノコウテイを祝えない。だからライブを辞退していた。
以前のインタビューで岩手についての愛と南部杯に勝つ重要性を聞いていた。
本来ならサキーやプレストンが勝ったときのライブのように、その喜ぶ姿に心が満たされ素直に祝福できるはずだった。だが今日はそんな気分になれなかった。
デジタルは寝てこの謎のモヤモヤを忘れようとするが、一向に寝付けなかった。
南部杯 盛岡レース場 GIダート 良 1600メートル
着順 番号 名前 タイム 着差 人気
1 10 盛岡 ヒガシノコウテイ 1:38.7 1
2 4 船橋 セイシンフブキ 1:38.7 ハナ 5
3 8 中央 アグネスデジタル 1:38.9 2 2
4 9 盛岡 バンケーティング 1:39.9 5 13
5 12 盛岡 トーヨーリンカーン 1:40.0 1/2 12
──
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南部杯での観客の反応の是非。
南部杯でのデジタルとセイシンフブキにおこなったブーイング、また岩手所属のウマ娘以外への意図的な無反応の是非について書かれた記事だった。
内容は当たり障りのないことを書かれていたが、コメント欄は大いに荒れていた。
論調としては否定派が多く、これではレースの公正性が保たれない。レース出走者が可哀そう。品がなくトゥインクルレースを行う組織としての資格を疑問視せざるを得ないなどの意見が書かれていた。
さらに岩手ウマ娘協会のツイッターや電話などで抗議を行い俗に言う炎上状態になっている。これでイメージダウンは避けられないだろう。
だが思わぬ者の発言で炎上は治まりつつあった。その人物はセイシンフブキである。『南部杯ではブーイングの影響はなかった。実力が出せなかったらそいつの問題だ』という声明を出していた。
その乱暴な意見で最初は荒れていたが、被害を受けた当人が2着という結果を出しているという事実から、意見に賛同するものも増え始めていた。納得しかねるところもあるが一理ある。
レース直後は頭に血が上り腹に据えかねていたが、時間たって改めて岩手と自分達とは認識の違いが有ったことに気づく。
地方で行われるレースは外国で行われるレースとは違い、明確なアウェイではないと思っていた。
だが岩手にとっては中央や他の地方のウマ娘はアウェイであり外国のウマ娘なのだ。
ならば話が違ってくる。他のスポーツでも外国に行けば宿舎の周りで騒がれ睡眠妨害をされたという話を聞いたこともある。
それにかつてダンスパートナーでフランス遠征に行った際には色々と嫌がらせめいた妨害を受けた。そう考えればブーイング程度ならマシなのかもしれない。
何より改めてレースを見てヒガシノコウテイとセイシンフブキの強さを実感した。フェブラリーステークスの時とは別人といえるほど強く、もしブーイングが無くともデジタルが勝てたとは言い切れない。
今後はブーイングの文化は根付くのかどうかは今のところは分からない。だが今は過去の事より未来の事が重要だ。トレーナーは別の記事を開いて深くため息をついた。
──サキーがトレーニング中の怪我により凱旋門賞出走辞退、次走のブリーダーズカップクラシックも辞退か!?
実際の南部杯ではヒガシノコウテイのモデルの馬が勝利し、デジタルもセイシンフブキのモデルの馬は出走していません。
今まで史実に基づいて書いてきましたが、そろそろ史実で走っていないレースを走ってもらってもいいかなと思い南部杯編を書きました。
次の話は史実には全くない架空のレースの話になります。
2月21日にアブクマポーロが死去しました。
現役時代の姿は見た事はなく、競馬について調べていくうちに知りました。
メイセイオペラと鎬を削り、レースでは中央の馬を打ち負かしていたました。
マキバオーで競馬を知り、サトミアマゾンが好きだった自分としては地方の二頭の活躍はロマンに溢れ、胸がときめきました。
セイシンフブキというキャラクターはアブクマポーロという競走馬が居たからこそ、生まれました。
願わくばこの作品を読んでくれた方が少しでもアブクマポーロという競走馬に興味を抱き、覚えてくだされば幸いです。
アブクマポーロ号のご冥福をお祈りいたします