勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン#2

「クッ!」

 

 セイシンフブキは苦悶の声を思わず漏らし、夜空に吸い込まれる。全身から汗が滲み出てタンクトップには染みを作り、アスファルトに水滴を落としていく。

 筋トレや補強運動がここまでキツイものと思わなかった。誰よりもダートを走り耐えられると思っていたが、これは走り込みとは別種のキツさだ。

 今までのトレーニングで正しいダートの走り方を身に着けたことで、次の段階に移行することを決めた。それはフィジカル強化だ。

 ヒガシノコウテイには技術とフィジカルの総合力で負けた。だが自分はまだフィジカルをほぼ鍛えていない状態、これは伸びしろだ、鍛えた分だけフィジカルは強化され強くなる。

 フィジカル強化は身に着くのに時間が掛かると言われ、成果が出るのは3か月ぐらいだそうだ。今からやっても今年のレースには間に合わないが問題ない。

 今のままでもヒガシノコウテイや他のダートウマ娘には充分勝てる。そしてフィジカルを強化してドバイワールドカップに勝つ。

 

「10!」

 

 既定の回数のメニューをこなすと追わず仰向けになって寝そべる。秋風が熱くなった体を冷却し心地よい。

 セイシンフブキは寮から離れた空きスペースで筋トレを行っていた。船橋にもベンチプレスなどを行える筋トレルームがあるが使用していない。まずは自重で鍛えてから器具を使う。ゆっくり着実に行うべきだ。

 

「お疲れ様です師匠。スポドリです」

 

 空を遮るように視界にアジュディミツオーの姿が映りこむ。持ってきたスポーツドリンクを受け取り口に着ける。

 アジュディミツオーも自主練を終わり戻ってきたところだった。

 

「どうだ?」

「分かんないっす」

「それはそうだ。そんな早く理解出来たらアタシや姐さんの苦労は何なんだって話だよ。悩め悩め」

 

 セイシンフブキはアジュディミツオーがブツブツと何かを呟く様子を肴にして、スポーツドリンクを飲む。

 アジュディミツオーの練習メニューはひたすらコースを歩くだけである。それが課したメニューである。

 ダートを理解するには経験が必要だ。コースを走り込み歩き続け、夢でも鮮明にダートの感触を思い浮かべられるぐらい体に刻み込む。

 それぐらいにならなければ正しいダートの走り方は身に付かない。だがいずれ出来るだろうという予感はあった。

 

「師匠、携帯が鳴ってますよ」

 

 目が向けると近くに置いていた携帯電話が鳴動し、手に取ると訝しむような表情に変わる。電話をかけてきたのはアグネスデジタルだった。

 南部杯までは一緒のレースに走る敵であり、馴れ合いたくないと着信拒否にしていたが、それ以降は一緒のレースを走る機会は当分無いので、拒否を解除していた。

 

「もしもし、何の用だ?」

「もし地方でサキーちゃんと走れるなら走りたい?」

「当たり前だ」

 

 前置きも無くいきなり本題から切り込んだ質問に即答する。現状は日本のダートウマ娘がドバイやアメリカに挑まなければいけない立場だ。もしこちらに来るとなれば願ってもない展開だ。

 

「それには2億5000万円払わなきゃいけないけど、それでも走りたい?」

「走るに決まってるだろ」

 

 この問いにも即答する。以前にアブクマポーロはドバイに出る為ならどんなことをしても遠征費を稼げばよかったと嘆いていた。今がまさに同じ状況だ。現時点では2億5000万円を払うことはできない。

 だったら泥水を啜ってでもかき集める、サキーと走るということはそれ程の価値が有る。

 負けたら負債を抱えるということは一切考えず、ただサキーに勝ちダートの価値を高めることだけを考えていた。

 

「それで本当に走れるのか?」

 

 セイシンイブキの問いにデジタルは返答する。サキーと走る為に地方で新しいレースを作る。

 賞金は10億円、2着以下は文無しのウイナーテイクオール、そして走らせるために煽りまくる。その言葉を聞いて思わず大笑いする。

 

「面白い!実現できるか知らねえが、アタシはやるぞ」

「それで2000メートルで走るとしたらどこのレース場がいい?」

 

 コース形態やダートの質、どこが1番ふさわしい場所か?その問いに熟考し、数秒後答えを導き出した。

 

「大井レース場だ」

「理由は?」

「まず砂が1番軽い。こっちのダートでやるならせめてでも時計が出る場所でやるべきだろう。それに大井はどの枠順でもどの位置取りでも有利不利がないチャンピオンコースだ」

「でも大井は右回りでしょ。アメリカやドバイは全部左回りだよ」

「そうだ。だが昔の大井は左右両周りでレースをしていたから、実現可能だろう」

「へ~そうなんだ」

「もしできなかったら次点で盛岡だな。船橋や川崎や浦和も左回りだが、2000で走るとなるとどうしても内枠有利になる。内枠に入ったから勝ったとも言われたくないし、負けたともいちゃもんを付けられたくない。そして盛岡の2000メートルは枠の不利は無いし、どの位置取りからでも強い奴なら勝てる。砂が深いのが難点だがな」

 

 受話器越しからデジタルの感嘆の声が聞こえてくる。左右両回りをやらなかったのは何かしらの理由があるだろうが、やるとしたら是非大井2000の左回りでと思っていた。

 

「それでいつやるんだ?」

「まだ企画段階だから分からないよ」

「だとしたらWDTと同じ日だ。ダートと芝どっちがスゲエか決めるんだよ」

 

 サキーが走るとなればダート世界一決定戦と言ってもいいだろう。そしてWDTは花形である冬の芝中長距離の日本一を決めるレースだ。そのレースが同日に行われればどちらがより魅力的かがハッキリする。

 

「じゃあ、暫定的にその日ってことで。色々と決まり次第連絡するよ」

「わかった。お前がどうだが知らねえが、アタシはかなりやる気だからな。サキーとアタシとデジタルの3人だけになっても絶対走るぞ」

 

 セイシンフブキは電話を切ると肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべる。最大目標はジャパンカップダートに定めていたが、変更しなければならない。このレースに比べたらどうしても劣る。

 WDTは年を明けてから行われる。それに合わせれば11月の下旬に行われるジャパンカップダートには仕上がり切れない。

 とりあえずはそのレースを目標にして、企画の進行段階次第でジャパンカップダートに切り替えるといったところか。楽しくなりそうだ。

 ワクワクが堪えきれないという具合にもう一度笑った。

 

 ───

 

 コースから見える山の木々は緑から赤や黄色を帯び始めていた。

 その景色は見れば行楽に来たような気分になり、レース観戦も中央や他のレース場では味わえない情景が見られる。だが今コースで走っているウマ娘を見れば、行楽気分は吹き飛ぶだろう。

 

 盛岡レース場ではバンケーティングが走っていた。地面を踏みしめるたびに砂は高く舞い上がる。

 歯を食いしばり、前を走るヒガシノコウテイを猛追する。その鬼気迫る表情はレース本番さながらだ。

 バンケーティングはヒガシノコウテイまであと1バ身と迫る、その時進路上を塞ぐようにヒガシノコウテイが右に寄れる。

 接触の危機を感じたバンケーティングは一瞬減速する。その減速が響いたのか、最後まで躱すことができずゴール板を通過した。

 

「ゴール前は苦しいけど出来るだけ視野を広く持って、偶然でも故意でも進路を塞がれることがあるから。相手の動きを視界に入れておけば減速せずに最小限の動きで避けられるから」

「はい」

 

 バンケーティングは歩きながら酸素不足で上手く働かない脳に喝を入れ、アドバイスを記憶していく。

 

 南部杯から数日後、各ウマ娘達は次の目標に向かって動き始めていた。地方の祭典JBC(ジャパン・ブリーダーズ・カップ)、毎年各レース場の持ち回りで開催され、今年は盛岡で開催される。

 ダートGI2000メートルのJBCクラシック、ダートGI1200のJBCスプリントが行われクラシックには南部杯4着のバンケーティングなど、何人かの岩手所属のウマ娘が出走する。その中にヒガシノコウテイの名は無かった。

 南部杯では渾身の仕上げで臨み、レースでも全ての力を使い果たした結果調子を落としてしまっていた。

 出走するだけなら可能だがこの調子で勝てるほど甘いメンバーではなく、今後の事を考慮して出走を見送った。

 バンケーティングを筆頭に南部杯に出走したメンバーはレースを通して一皮剥けた。ヒガシノコウテイもいずれは引退し、代わりに中央を迎え撃つウマ娘を育てなければならない。

 そこでバンケーティング達に出走してもらい、大きな舞台で走る事で大きく成長してもらいたいという狙いがあった。

 

「あとトーヨーデヘアはコーナーリングの時に突っ込みすぎだから、もう少し体重を右にかけて、あと歩幅をもう少しピッチにしたほうが曲がりやすいよ」

 

 ヒガシノコウテイはその場で見本を見せながらトレーニングで走っていたウマ娘達にアドバイスをする。

 これらのアドバイスは全てゴドルフィンでのトレーニングで盗み吸収した技術だ。

 気の迷いで裏切った末に手に入れた力であり、そんな技術でも1つでも多くの事を仲間たちに残すのが使命だ。少しでも役に立てるようにと言葉を吟味し懸命に伝えていた。

 

「いや~皆さんお疲れ様です。これ差し入れです、後で飲んでください」

 

 ヒガシノコウテイ達の元に岩手ウマ娘協会の職員である最上が近づいてくる。

 紙袋から飲み物を見えるように掲げた後地面に置き、連れ添っていたカメラマン達と一言二言会話をすると、カメラマン達はトレーニングを再開したバンケーティング達の写真を撮り始める。

 そして近くのベンチに座りトレーニングの様子を眺めていた。

 

「ヒガシノコウテイ選手、今日はもう終わりですか?」

 

 トレーニングを終えたヒガシノコウテイに最上が声をかけ、ベンチに座らずそ立ったままで世間話を始めた。

 

「はい、まだジャパンカップダートまで時間が有りますので」

「そうですか、しかし素人目ながら、他のメンバーは調子が良さそうですね。次も好走を期待できそうですね」

「はい、岩手はヒガシノコウテイだけじゃない、私達の力を見せてやると頑張っています。ですが中央も強いですから、現実を見せつけられるかもしれません」

「その時は皆で励まし考え協力し合って、少しずつ強くなっていきましょう」

「はい、岩手の皆全員の力で強くなりましょう」

 

 南部杯の後、岩手ウマ娘協会所属のウマ娘とそれを取り巻く人々の意識が大きく変わった。

 ウマ娘達はヒガシノコウテイに重責を押し付けた責任を感じ、いつまでもおんぶにだっこのままではいられないと前より一層真剣にトレーニングを行うようになった。

 周りの人々もある者は農作物を協会に寄付し、ある者はトレーニングジムと交渉しウマ娘達に格安で利用できるように交渉を行い、ある者は空いている土地に中央のような坂路を作ろうと有志を集い工事に着手している。

 1人1人が意識を変え出来ることを探して強くなる。ヒガシノコウテイの苦渋決断は結果的に意識変革をもたらしていた。

 

「すみません。電話が来たみたいですので」

 

 ヒガシノコウテイは着信が来ているのを確認し離席する。相手はアグネスデジタルだ。深呼吸を1回し電話に出る。

 

「もしもし」

「もしもし、今大丈夫?」

「はい、大丈夫です。どうしたんですか?」

「サキーちゃんって知ってる?ドバイワールドカップに勝った」

「知っていますが」 

「そのサキーちゃんと日本で走れるとしたら走りたい?」

「走りたいです」

 

 突然の質問に数秒ほど考えた後に答える。

 サキーといえば今年のドバイワールドカップに勝利したダート世界最強のウマ娘だ。走るとしたら何個かのGIに勝って、ドバイワールドカップの出走メンバーに選出されるぐらいだろう。

 そんな先のことまでは頭に回っていなかった。だが地方所属など関係なく個人として世界一にどこまで通用するか試したいという欲求が芽生えていた。

 

「その為には2億5000万払わなきゃいけなかったらどうする?」

「2億5000万円!?」

 

 思わず声を上げる。走るのに金銭を支払うのも驚きだが、問題はその額だ。あまりにも大きすぎる。

 中央の1着最高賞金と同程度ではないか。ヒガシノコウテイが困惑しているなか、アグネスデジタルは自身の計画を喋った。

 

「それで2億5000万ですか」

「まあ、額が額だけに無理強いはできないよね。でもアタシとセイシンフブキちゃんはやる気だから」

「少しだけ考えさせてもらいますか」

「分かった。考えが決まったら電話して」

「分かりました」

「じゃあね」

 

 ヒガシノコウテイは通話が終わった携帯電話を神妙な顔を浮かべながら見続ける。その様子が心配になったのか最上は思わず声をかける。

 

「どうしました?」

「いや、アグネスデジタルが大井でサキーという世界王者のようなウマ娘、前に来たブロワイエ級のビッグネームと走る計画を立てていて、そのレースに誘われまして」

「そうですか、それで何と返事を?」

「まだ保留しています。個人的には走りたいのですが、金銭を支払わなければならず、その額が……」

「何円なんですか?」

「2億5000万円」

「2億5000万!?」

 

 最上もヒガシノコウテイと同じように思わず声を上げる。その様子に親近感を覚えつつ、デジタルが語った計画を話す。

 

「勝者総取りですか、企画としては話題性が有って面白そうですね。不躾ですが仮に走るとしたら払えるのですか?」

 

 ヒガシノコウテイは最上の質問に即座に答えられず沈黙する。2億5000万円はなら今まで獲得した賞金でギリギリ支払える。

 しかし負けたら一気に2億5000万円を失う。葛藤を続けるなか、最上にポツリと問いかける。

 

「最上さん、もし私が勝てば岩手は盛り上がりますか?オグリブームのようなムーブメントを引き起こせますか?」

 

 地方の笠松から来たオグリキャップが中央に参戦し、様々なライバルと激闘を繰り広げ日本中が熱狂した。

 通称オグリブーム、オグリキャップの存在によって地方が注目され活気に沸いた。今はブームが去り、日の目が当たることがなくなっているのが現状である。

 だがオグリキャップでも成し遂げられなかった世界一になれば、あの時以上のムーブメントを巻き起こせるかもしれない。そうなれば岩手は注目され、皆が幸せになれると考えていた。

 

「起こせます。いやあらゆる手を尽くして起こさせて見せます」

 

 最上は決断的に言い放つ。個人でムーブメントは起こせない。様々な力と偶然が重なり合って起こるのがムーブメントだ。だがこのレースにはそのポテンシャルが有ると確信していた。

 

「分かりました。当面の目標はジャパンカップダートではなく、このサキーと走るレースにします」

 

 ヒガシノコウテイは自分自身に誓うようにゆっくりと力強く呟いた。

 

───

 

 サキーが扉を開けると埃が舞い上がり思わず咳き込む。

 この埃からして何年も掃除していなかったようだ、数日間の滞在ですぐに出ていくが掃除しておくべきか。両親から掃除用具を借り汚れてもいいようにジャージを着てから掃除を始めた。

 怪我をして凱旋門賞とブリーダーズカップクラシックへの出走回避を正式に発表した直後、フランスからアメリカに渡った。

 今後の目標はドバイワールドカップと定め、暫くの間はオフとなった。その余暇を利用してブリーダーズカップ観戦を兼ねて帰郷した。

 タンスの上などの埃をふき取り掃除機で床のゴミやほこりを取っていく。順調に掃除していくが何個もの穴がある淡いピンクの壁を見て手が止まる。

 懐かしい、これはポスターを何度も張り替えた跡だ。通常は部屋には憧れのウマ娘のポスターやグッズが貼られていた。

 だがホームパーティーを開いた時はそれらが人目に見えないところに隠し、流行りの歌手など一般受けの良い人物のポスターに張り替えていた。

 そしてこの壁紙の色も好みではないが、人が来たように白からこの色に変えたのだった。

 サキーは本棚の掃除にとりかかるが再びその手が止まる。小学校当時のファッション雑誌にクラスメイトがどんなものが好きかなどの情報が書かれたノート、懐かしくもあり辛かった体験が蘇る。

 トゥインクルレースの魅力を布教する為の努力としての一環であったスクールカースト向上、やりたくはなかったが当時はそれしか方法が無いと思って必死に頑張った。

 今思えば何とも効率が悪い努力だったが、その努力が今の自分を形成している。サキーはそれらの雑誌を本棚に戻し掃除を再開した。

 2時間程度で部屋の掃除は完了する。窓を見ると夕焼けが色鮮やかに大地を照らしておりノスタルジーを誘う。その感情に誘導されたように本棚に向かい過去の日記帳を目に通す。

 ジュニアC級で無敗の3冠ウマ娘になり、翌年は無敗でキングジョージと凱旋門に勝つ。

 ノートには今後の将来設計図が書かれ、最終目標は歴史上最も有名なウマ娘となり、レースの素晴らしさを伝えると書かれていた。

 今の自分は将来設計図とは大分変わってしまった。だが最終目標は依然変わらない。

 ウマ娘界のアイコンとなり、1人でも多くレースの素晴らしさを伝え、関係者を幸せにする。

 そして過去の自分よ、今からするのは夢の実現とはさほど関係ないレースを走ることになる。許してくれ。

 サキーはベッドに腰掛け携帯電話を手に取るとボタンを押し電話をかけた。相手は通称殿下と呼ばれるゴドルフィンの最高責任者である。

 

「もしもし殿下ですか?サキーです。私が添付した動画はもう見ましたか?これはゴドルフィンへの挑戦です。私をそのレースに走らせてください」

 

 サキーがジャパンカップダートを走れないと伝えて暫くしてある動画がネットで拡散し、業界はもちろんそれ以外の人々にも周知される。俗に言うバズっていた。

 発信源はセイシンフブキとヒガシノコウテイとアグネスデジタルだった。ある日新設されたセイシンフブキとヒガシノコウテイのツイッターアカウントからある動画が投稿された。

 

──おいサキー!日時はWDTと同日!場所は大井レース場!距離はダート2000!出走メンバーはアタシ!ヒガシノコウテイ!アグネスデジタルの4人!賞金はそれぞれ2億5000万円を出し合い、勝者総取りで負ければ文無しのウイナーテイクオールだ!そのレースで勝負しろ!

 来年のドバイワールドカップに向けて丁度良いステップレースだ、最強集団ゴドルフィンのエースなら楽勝だろ?日本観光してお小遣いで7億5000万円ゲット、こんな美味しい話はない!

 もちろん出るよな?それとも負けるのが怖いのか?レーティングが碌にもらえないジャパンのウマ娘の挑戦が受けられないのか?サキーは王者として受けて立つつもりらしいけど、ゴドルフィンが逃げ腰らしいな?

 ゴドルフィンは世界最強のウマ娘集団なんだろう?その最強集団が逃げるのか?だったら今すぐ最強の看板を下ろして、『ジャパンのウマ娘が怖くて逃げた腰抜けの弱小集団です』ってホームページに付け加えておけよ!

 

───こんにちは、私は岩手ウマ娘協会所属のヒガシノコウテイと申します。

 日本にはファンタスティックライトさんが走ったジャパンカップ等のレースを開催している中央と私達岩手ウマ娘協会らが所属している地方が有ります。簡単に言えば中央がメジャーリーグ、地方がマイナーリーグのようなものです。

 そして地方は今苦境に立たせています。世間では中央に脚光が浴び、人々は中央のレース会場に足を運んでいます。

 その結果多くの地方のウマ娘協会が収益を上げられず解散しました。自然淘汰と言われてしまえば、その通りだと思います。それでも地方の関係者は懸命に努力し創意工夫を行って地方を盛り上げています。

 そしてゴドルフィンのサキー選手が地方で走るという話を聞きました。これほどのビッグネームが走ることになれば地方は一気に注目を浴び、地方が活性化する起爆剤になりえるでしょう。

 ゴドルフィンにとっては走る価値がないレースかもしれません。ですが地方にとっては千載一遇のチャンスなのです。ノブレスオブリージュという言葉がありますが、どうか地方という弱者をお救いください。

 

───アタシとサキーちゃんはドバイワールドカップの後にBCクラシックで走ろうと約束しました。ですがサキーちゃんは残念ながら怪我で走れなくなりました。でもサキーちゃんは誠実な人ですので、ジャパンカップダートで走りましょうと言ってくれました。

 ですが!ゴドルフィンがそんな賞金も少なくレーティングも加算されない一地方の田舎レースに出さないと邪魔してきます!ヒドイ!ヒドすぎるよ……アタシとサキーちゃんは相思相愛、ゴドルフィンがその仲を切り裂きます…それが大人のやることですか?

 それでもアタシはサキーちゃんへの愛は失いません。四方八方手を尽くして、せめて賞金でもと10億円ウイナーテイクオール方式のレースを大井で行えるようにセッティングするつもりです。

 それすら出してくれないんですか?優先されるのはお金や名誉やレーティングじゃない!本人達の意志じゃないんですか!?

 ゴドルフィンの皆さまがもしこの動画を見たら、考え直してくれることを願っています。

 

 セイシンフブキは挑発的に、ヒガシノコウテイは懇願し、アグネスデジタルは涙混じりで、それぞれゴドルフィンにサキーの出走を訴えた。

 この3つの動画はバズり、ゴドルフィンやサキーのツイッターアカウントに挑戦を受けないのかというメッセージが連日押し寄せていた。

 デジタルのメッセージは一部事実と異なる点はあるが、その点はサキーに了承をとっている。寧ろサキーも積極的に関わりデジタルやヒガシノコウテイやセイシンフブキのメッセージの監修をおこなった。

 手前味噌だが結構人気があるので自分への批判中傷は得策ではない。

 相手をゴドルフィンに定め、大人に振り回せられる若者、組織の都合で意志を出せない個人という対立構造を作ったほうがいい。そのアドバイスを受け動画を作成していた。

 

「ジャパンカップダート出走拒否も遠征のリスクや私の将来を慮り、熟考に熟考を重ねた結果の判断です。ですがこれだと私達が金や名誉欲に執着し、社会的義務を果たさない薄汚い集団と勘違いされてしまいます!そしてこの3名は日本ダートでも屈指の実力者です。それを私が打ち破ればゴドルフィンの力を示し、今後の日本進出もやりやすくなると思います」

 

 サキーは熱を込めながら訴える。走る事で3人の要求を叶え幸せにすることができ、日本の地方も注目され関わる多くの人が幸せになる。

 そして勝てばさらなる名声を得られてゴドルフィンの利益になる。このレースが実現できれば関わった全ての人が幸せになれる。

 

「確かにサキーの言う通りだろう。だが責任者としてはリスクとリターンを吟味しなければならない。分かるか?」

「はい」

 

 殿下は落ち着いた口調で語り掛け、その存在感と圧力にサキーは思わず背筋を正す。

 

「南部杯は私も見た。アグネスデジタルは勿論、ヒガシノコウテイもセイシンフブキも強い。そこは君と同じように評価している。そして君が負ける可能性も十分に考慮している」

「私は負けません。ドバイワールドカップでは完勝したつもりです。そして相手が成長しても私も同じ程度に成長し、差は縮まっていません」

 

 サキーは力強く話す。ドバイワールドカップでアグネスデジタルに追い詰められた事で、さらなる成長が出来た。

 そして最高の環境でトレーニングを続け成長している。その言葉は大言ではなく、冷静な分析で導き出した事実だった。

 

「君の強さは疑っていない。だが日本のダートはアメリカやドバイとは違う特殊なものだ。彼女たちは馴れていて、キミは走ったことが無くダートに適応できない可能性がある。その状態で勝てる相手ではないと思っている」

「その通りです」

 

 どんなに強いウマ娘でも向き不向きがある。凱旋門賞に勝ったウマ娘でもダートではまるで通用しないという事は多い。欧州の芝とアメリカとドバイのダートは適応できたが、日本のダートに適応できるという保証はない。

 

「勝って当然といわれるレースで勝てば7億5000万、負ければ世界から見ればまだまだ途上国である日本のウマ娘に負けたという事実により、ゴドルフィンと君の名誉を失う。あまりにも釣り合わない。ゴドルフィンに属している以上個人の意志より組織の意志を尊重してもらう。いいね?」

「はい」

 

 殿下の有無を言わさない言葉に頷いてしまう。サキー以上にデジタル達の力を把握し分析し、リスクとリターンを吟味した決断を下した。それらの言葉はぐうの音が出ない正論だった。

 

「そもそも挑戦者が王者の舞台に挑むのが礼儀というもので、彼女たちがドバイワールドカップに来るのが筋だということに世間もいずれ気づくだろう。そして民衆という者は熱しやすく冷めやすい。ブリーダーズカップが迫れば徐々に忘れていくだろう。だが君がゴドルフィンを思って提案してくれたことは嬉しく思う」

 

 通話が切れツーツーという音が部屋に響く。アグネスデジタルは諦めずレースを作りゴドルフィンを煽って参加させようとした。

 その行動力は賞賛されるものであり、煽り動画も予想以上にバズった。もしかしてと思ったが甘かった。

 ゴドルフィン、いや殿下は揺るがない。驕らず相手を分析し冷徹といえるほどの計算高さで判断を下す。その判断は覆らない。

 可能性があるとすれば殿下すら予想しないムーブメントだが、それを起せというのは余りにも難しい。

 

「アグネスデジタルさん、日本で走れなさそうです」

 

 サキーの呟きが空しく響いた。

 

───

 深夜1時、寮に居るウマ娘達の大半が寝ているなか、アグネスデジタルとエイシンプレストンはPCでレースを見ていた。そのレースはBCクラシックである。

 

「あ~あ、始まっちゃうよ」

「まあ、アンタも頑張ったよ。でも今回はしょうがないって諦めてさ、ジャパンカップダートには地方の2人も出るんでしょ?それに向けてさ?」

 

 デジタルは虚ろな目で画面に映るレースを見つめ、プレストンは何とか元気を出すように励ましていた。

 ライブコンサートやフェラーリピサ脚本、サキー監修のゴドルフィンへの煽り&泣き落とし動画は渾身の出来だった。

 デジタルもサキー走らせないゴドルフィンへの怒りをぶつけるように本気で泣き、女優顔負けの演技を見せた。そして動画も予想以上に拡散し話題になった。

 これならばイケるかもしれないと期待に胸を膨らませるが事は上手くは行かなかった。

 ゴドルフィンは動画に対して沈黙を貫いた。一時はゴドルフィンへの不満で盛り上がったが、次第に熱は冷め忘れ去られていく。

 

 チームメイト達も諦め、セイシンフブキ達ももジャパンカップダートに照準を絞るとトレーニングを始めた。その諦めムードがデジタルを挫いていた。

 今頃アーリントンでサキーと走っていたのにと深くため息をつく。

 プレストンもその様子を心配そうに見つめる。デジタルの雄姿を見るためにレース映像が見られるサイトに登録したのに、まさか一緒にレースを見るとは夢にも思ってもいなかった。

 レースは内をスルスルと進んだ最低人気のヴォルポニが6バ身半の大差で1着となる。

 画面越しにも分かるほどに会場がどよめいている。一方ヴォルポニはそんなの関係ないと言わんばかりに涙を流し喜びを爆発させる。その様子を見て観客たちは声援を送る。

 解説曰くトレーナーはヴォルポニデビュー前から癌に侵されながら指導にあたり、今日も手術を受けたばかりで週に4日間の放射線治療を受けていたためにレース場に行けなかったそうだ。

 闘病生活に苦しむ恩師に向けて最高の恩返し、その光景にプレストンも思わず涙ぐむ。だがデジタルは無反応だった。普段だったら興奮気味に尊いエモいと騒ぎ立ているところで相当こたえているようだ。

 去年までならこれでブリーダーズカップが終わるのだが今年は違っていた。

 新設されたダート2400BCマラソン。そのレースの1着賞金はBCクラシックを上回り、それに釣られるように出走メンバーが集まり、明らかにBCクラシックより豪華なメンバーになっていた。それを見てある意見が出始める。

 

 BCクラシックではなく、BCマラソンをメインレースにすべきではないのか

 

 それは全米を巻き込む大論争を巻き起こし、どちらがメインレースにしたほうがいいかとファン投票まで行われ、その結果BCマラソンがBCクラシックより投票数を上回り、メインレースに昇格する。

 一応形式上はBCクラシックがダブルメインレース第1レース、BCマラソンがダブルメインレース第2レースとなった。

 そしてメインレースのBCマラソンの1番人気はストリートクライである。

 ストリートクライがパドックに現れた瞬間怒号のようなブーイングを浴びせられていた。それは明らかに盛岡でデジタルが浴びたブーイングより大きかった。

 大本命だったサキーが回避したことでBCクラシックに勝利される事態は回避できた。

 だがアメリカの権威であるブリーダーズカップのメインレースをゴドルフィンのウマ娘に勝利する。それはアメリカのファンにとってBCクラシックをサキーに勝たれると同等に最悪のシナリオだった。

 プレストンはストリートクライのパートナーのキャサリロが必死に鼓舞する様子を見て同情する。ゴドルフィンはアメリカで人気が無く悪役だと聞いていたがこれほどなのか。

 これではイジメではないか。同意を求めるように視線を向けるが、相変わらず虚ろな目で画面を見ていた。

 レースはストリートクライがブーイングを物ともせず3バ身差の完勝で初代王者に輝く。ゴール板を通過した瞬間今日1番のブーイングが起こり、場内は剣呑な空気に包まる。

 モニターで見ているプレストンも殺気が伝わったように思わず身震いしていた。

 その後勝利者インタビューが始まるがブーイングは鳴りやまず、レポーターが何を言っているのかモニター越しでも聞き取れない。

 このままでは暴動が起きるぞ。最悪の想像を思い浮かべ目を細めながら見ていた。

 

─ WOW! WOW! WOW! Hold on a minute!

 

 突如謎の声が響き渡り、金髪長髪のスーツを着たウマ娘がストリートクライに近づく。スーツ越しでも鍛えられているのが分かるほどの肉体で、立ち姿だけで自信とエネルギーに満ち満ちているのが分かる。

 暫くすると会場から割れんばかりの大歓声が上がる。その歓声から数秒後にプレストンはこのウマ娘が何者か思い出す。

 

 ティズナウだ。史上初のBCクラシック連覇ウマ娘であり、そのレースは語り継がれるほどの激戦である。

 日本で言うオグリキャップ、いや人気で言えばそれ以上だ。現役ながらリビングレジェンドであり、国民的英雄、アメリカのウマ娘、賞賛する言葉は両手では足りない。

 今は身を挺して幼き少女を救った際の負傷というマンガみたいな出来事が起こり休養中のはずだ。

 会場はティズナウの名が響き渡る。するとティズナウが静かにするようにとジェスチャーをすると声援はどんどん小さくなる。それを確認するとインタビュアーからマイクを受け取る。会場の観客は固唾を飲んで見守る。

 

『コングラチュレーション、ストリートクライ。素晴らしいレースだったよ』

 

 ティズナウは拍手をしながら喋る。一見友好的に見えるが腹に一物を抱えているのは明らかだった

 

『だがそれは真の勝利ではない、フェイクだ。何故なら私が出ていなかったからだ!』

 

 その一言に会場湧き上がる。そうだティズナウが出ていない。出ていればゴドルフィンのウマ娘に勝たれることはなかった。そう代弁するように観客たちは声を張り上げる。

 

『だから私と勝負してもらう。勝てば真のBCマラソンウィナーだ。賭けるものはそのレイとトロフィーと勝ち鞍だ。負ければ勝ち鞍からBCマラソンの存在を消せ。私はBCクラシックのレイとトロフィーと勝ち鞍を賭けよう!』

 

 BCクラシックのレイは勝者の証であり、アメリカの誇りだ。

 それを賭けてでもアメリカの誇りを守ろうとしている。その心意気に心打たれ観客は涙を流し、会場にはUSAコールが響く。

 

『そしてサキー!この会場に居るんだろう!言いたい事がある!』

 

 突然の呼びかけに会場の歓声はどよめきに変る。暫くどよめきが続くが構わず話を続けた。

 

『BCクラシックはサキーが居れば勝っていた。サキーこそ真の王者だ。そんな声が巷で聞かれている。だが今日の走りを見たか!?最低人気でありながら闘病中の恩師のために!ホークウイングという外敵からアメリカを守るために!ヴァルポニは全てを懸けて勝利した!私をアメリカのウマ娘と言うが、彼女こそアメリカのウマ娘だ……』

 

 ティズナウは目頭を押さえ涙をこぼしながら喋る。それに釣られるように涙を流す客も現れ、ティズナウコールの代わりにヴォルポニコールとUSAコールが響き渡る。

 

『サキーは出走していてもヴォルポニには勝てなかった!絶対にだ!だが怪我を盾に真実を捻じ曲げ、ヴォルポニの勝利を汚した。私は絶対に許さない!』

「何でサキーちゃんが文句言われなきゃいけないの!」

 

 興奮の坩堝と化している会場に文句を言うように、デジタルが画面に食いつくように声を出す。その一言でプレストンは我に返る。

 ストリートクライには自分が怪我で出ていなかったから勝ちではないと言っておきながら、怪我で出なかったサキーには勝利を汚したと文句を言っている。これでは自分が勝利を汚したということになるのではないか。

 危うく場の空気で騙されるところだった。デジタルの一言で気づけたが、それが無ければサキーを卑怯者と罵っていただろう。

 画面で見ている自分ですらこれでは、会場に居る観客は正常な判断が出来ていないだろう。

 元々ゴドルフィンの2人にヘイトが向く環境といえど、ここまで熱狂させるのはティズナウの力だ。身振りや声のトーンや喋り方で場の空気を支配する。これが絶大な人気を得ている理由の1つだろう。

 

『本来ならヴォルポニがドバイワールドカップでサキーと走り、勝てないと証明するだろう。だが残念ながら彼女は全ての力を使い果たしドバイまでに復帰できないだろ。だから私がヴォルポニの代わりにBCクラシックに勝てなかったと証明する!』

 

 その1言でこの日1番の盛り上がりを見せる。ヒール集団の両巨頭をアメリカンヒーローが成敗する。コテコテのエンタメだ。だがプレストンもアメリカ出身であり血が騒ぐのか心躍っていた。

 どこで走るのか?やはりドバイワールドカップか?プレストンと観客の感情がシンクロするように静まり返りティズナウの言葉を待つ。

 

『日時はWDTの同日、場所は日本のオオイ、距離はダート2000、そこで走ってもらう!』

「え?」

「は?」

 

 デジタルとプレストンは思わず声を上げる。何故この話の流れでデジタルが企画したレースが出てくる。あまりにも予想外の展開に混乱する頭を落ち着かせながら言葉を待つ。

 

『知っている者かもしれないが、ジャパンのあるウマ娘がサキーに向けて挑戦状を叩きつけた。それぞれが2億5000万を支払い、勝者は総額10億を総取り、負ければ何も得ないウイナーテイクオール方式のレースを提案した。大金を支払っても己の強さを証明しようという心意気に胸を打たれた。だが卑劣にもサキーとゴドルフィンは挑戦を受けなかった!何てへなちょこなんだ!』

 

 ティズナウはへなちょこと何回も連呼する。それに呼応するようにへなちょこコールが始まる。会場は既に手のひらであり、まさにティズナウ劇場と化していた。

 

『私は日本のウマ娘の願いを叶えるともにアメリカの強さをゴドルフィンに証明する。お互いアウェーでホームアドバンテージは無いフェアな舞台だ。さあ!返答はこの場でして貰おう。ゴドルフィンのパパに相談するのは無しだ。あとお友達にもだ、それともお友達に相談しないと何も決められないのか?1人のウマ娘として答えてくれ。答えはYESかOKだ』

 

 ティズナウは喋り終わるとストリートクライにマイクを突き渡す。その様子をデジタルとプレストンは目を見開いて見ていた。

 会場を完全に掌握しての問いかけ、ここまで場が盛り上がっている状態で断れば暴動が起きる。これは最早脅迫だ、選択の余地がない。

 途絶えかけていたサキーとの走る道、それを思わぬ第3者が強引にこじ開けようとしている。

 

「デジタル、あるよ!奇跡の差し切りが!」

「うん」

 

 デジタルもその可能性に気づいたのか、興奮を抑えきれないといった具合に画面を見つめる。

 画面ではマイクを持つストリートクライにティズナウが観客に気づかれないように何かを言った。

 

『やる』

 

 ストリートクライは端的に意志を伝え、その言葉にこの日何度目からの大歓声が上がる。その目は会場の雰囲気に呑まれた目ではなく、明確な意志を持って言った者の目だった。

 しばらくするとスタンドの観客席はモーゼが割った海のように割れていく。そこにはガードマンに囲まれたサキーがいた。観客席からコースに入っていきストリートクライからマイクを受け取る。

 

『やりましょう』

 

 サキーもストリートクライと同じ明確な意志を持った目をしながら答えた。

 

「ヤッター!」

「差し切ったよ!」

 

 デジタルとプレストンは思わず手を取り合い感情が赴くままに叫ぶ。デジタルはサキーと走れるという喜びから、プレストンは劇的なエンターテイメントを見た興奮からだった。

 

「どんだけエンタメなのよ!まるでドラマのワンシーンじゃん!」

「早くセイシンフブキちゃんとヒガシノコウテイちゃんに報せなきゃ!」

「いや待って!」

 

 プレストンが興奮気味に声をかける。画面上ではまだティズナウ劇場は続いていた。

 

『待てよ。当人達が言ってもひっくり返されるかもしれない。責任者の口から答えを聞かないとな!殿下!今のこの場に来て返答してください!』

 

 ティズナウはその場に胡坐で座り込んで手招きのジェスチャーを見せる。プレストンは興奮とワクワクで自然と笑みがこぼれていた。

 当人が言ってもゴドルフィンの責任者がNOと言えばそれまでだ、ならばこの空気を利用して表舞台に引き釣り出し、完全に言質を取って逃げ場を防ぐつもりだ。そうなれば弁解のしようがない。

 暫くすると。アラブ風の服装の男がサキー以上のガードマンを連れて観客席から現れたコースに入りそれに応じてティズナウは立ち上がる。

 そして殿下はサキーからマイクを受け取り、マイクを通して息を吸い込む音が聞こえ、デジタルと観客達はシンクロするように固唾を飲んで見守る。

 

「ゴドルフィンとし…」

『あんたの意見など聞いてない!聞きたいのは『はい』か『OK』か『了解しました』か『やります』の言葉だけだ!』

 

 会場が湧き上がると同時に思わず笑い声をあげる。自分から呼んでおきながらて喋るのを邪魔して一方的に意見を押し付ける。その理不尽さが2人のツボに入っていた。

 レースが始まる前はあんな興味なさそうにしていたデジタルだったが、今はティズナウに夢中になっていた。

 

『やろう』

 

 殿下は一瞬表情が歪むが直ぐに柔和な笑みを浮かべて手を差し出す。ティズナウもその手を握り返した。

 

『では勇気ある決断をした殿下とサキーとストリートクライに温かい声援を送ろうじゃないか!ナナナ~ナナナ~ヘイヘイヘイ~グッバ~イ』

 

 その言葉の後にディズナウはあるチャントを口ずさむ。これはアイスホッケーで退場した選手や野球でノックアウトされた選手に向けるチャントとなり、アメリカスポーツ界では一種の煽りとなっていた。

 アメリカ出身のデジタル達も意味を理解し、その徹頭徹尾の煽りに腹を抱えていた。一方会場は1つとなってチャントを口ずさみ殿下たちを見送った。

 

「何勝手にOKしているんだ!お前はいつからゴドルフィンの代表になったんだ!お前が返事をするから殿下も出るはめになって」

「申し訳ありませんでした」

 

 ゴドルフィンの関係者部屋に戻ったサキーとストリートクライが待っていたのは烈火のような叱責だった。

 スーツを着た中年男性の言葉にサキーは頭を深く下げ真摯に謝り、ストリートクライは頭を浅く下げ形式的に謝っていた。

 

「いや、ストリートクライとサキーの判断は正しい。あれで断れば暴動になり命の危機にすら晒されていたかもしれない」

「殿下」

 

 殿下の言葉にスーツの男は勢いよく頭を下げ横に移動した。

 

「こうなっては出ないデメリットのほうが遥かに大きい。あの空気と場を作り私達を引きずり込んだティズナウの手腕を褒めるべきか、実はああいったショーは嫌いじゃない」

 

 殿下はクスクスと笑みを浮かべる、だがすぐに真顔になり厳しい眼光を見せる。

 

「丁度良い機会と捉えよう。このレースに勝てば日本進出とアメリカ進出も容易になる。ゴドルフィンのワンツーフィニッシュだ。頼んだぞ、サキー、ストリートクライ」

 

 サキー達は殿下の発する威圧感に身を震わせる。これは激励ではなく脅迫だ。ワンツーフィニッシュしか認めないと暗に言っている。一方殿下はアメリカと日本進出のプランを脳内で練っていた

 ある分野を手に入れるにはどうすればいいか?それはその分野のアイコンを潰すことだ。アイコンは光であり、それが無くなればその分野は衰退し、その隙に入り込むこみ自らで盛り上げる。

 ティズナウはまさにアメリカのアイコンだ。それを日本というお互いアウェーという言い訳が出来ない場所で叩きのめせば、ファン達は離れていく。

 挑発しなければアメリカの英雄として余生を送れ、どこで走ってもゴドルフィンに勝てたという幻想で身を守れただろう。

 だが弓を引いたからには容赦しない。去年のBCクラシックは圧倒的なアドバンテージを利用したに過ぎない。2度目はない。日本で徹底的に打ちのめしアメリカの英雄は地に堕ちてもらう。

 日本も同じだ。ダートの強豪が圧倒的有利な場所で負ければファンは失望する。

 そして次はドリームシリーズというレースにゴドルフィンを出られるようにし、そこで勝利する。日本では芝のドリームトロフィーがアイコンであり、尊厳を砕く。こうなれば日本進出は容易い。

 

 後日ゴドルフィンから改めてサキーとストリートクライを出走させると発表され、レースが行われることが正式に決まった。

 

 参加者は6人

 

 アグネスデジタル

 ヒガシノコウテイ

 セイシンフブキ

 サキー

 ストリートクライ

 ティズナウ

 

 大井レース場ダート左周り2000メートル。参加費2億円に変更され、1着賞金12億円、2着以下は0円のウイナーテイクオール方式。

 

 レース名はダートプライド。

 

 これが伝説の一戦と呼ばれるレースの始まりである

 

 




登場人物にティズナウの項目を追加しました

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