勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン♯3

 ティズナウはソファーに座ると深く息を吐く。周囲にはトロフィーや優勝レイや優勝記念写真が飾られている。ショーケースの前には展示物の説明パネルが掲示され宛ら博物館のようだ。

 これらのトロフィーは全てティズナウが走ったレースに関連するもので、自らが作った展示室である。

 他にもレースで使ったシューズやレースで使用した勝負服、さらに全てのレースに関する記事もファイリングされ、ここに訪れればティズナウの大半が知ることが出来るといっても過言ではない。

 暫くすると徐に立ち上がりある展示物が飾られているショーケースに近づく、それはBCクラシックのトロフィーと優勝レイだった。

 アメリカの誇りであるBCクラシック、一昨年はジャイアンツコーズウェイから、去年はガリレオとサキーの外敵から守り抜いた証だ。

 これらを見ていると自分が成し遂げた勝利に誇りを抱くと同時に、不思議と身が引き締まり力が湧いてくる。

 

 ティズナウはアメリカレース協会に所属していることに絶対的な誇りと自信を抱いていた。アメリカこそ世界で1番優れているというのが持論だった。

 レース業界においてアメリカと欧州が双璧とされている。正確に言えば欧州はイギリス、フランス、アイルランド、ドイツ、イタリアの5か国を含んだ総称である。何故1つの国で比較しないのか?それは単純に1つの国ではアメリカに太刀打ちできないからである。

 アメリカでのレース数とそれを走るウマ娘の数と、5か国でレースを走るウマ娘の数でほぼ互角である。

 競技人口多さがその競技における底辺の高さになり、層の厚さとなり強さになる。現に欧州のビッグレースと呼ばれているキングジョージや凱旋門賞には何人ものアメリカで育ち欧州の各国でトレーニングしたウマ娘が勝利している。

 これはアメリカが築き上げてきた文化や環境が勝利したウマ娘を育てた証明である。

 一方BCクラシックは大半がアメリカで生まれアメリカでトレーニングをしたウマ娘が勝利している。

 例外はアイルランドで生まれアメリカでトレーニングを積んだブラックタイアフィアー、アメリカで生まれフランスでトレーニングを積んだアルカングのみである。これだけでもアメリカのウマ娘とアメリカレース界が優れていることが分かるはずだ。

 歴史としてウマ娘のレースを最初に行った国はイギリスと言われ、アメリカはそれを真似したにすぎない。だが徐々に独自の文化を形成し発展させていき、今では唯一無二の文化と世界最強の座を勝ち取った。

 世界最大のレース大国であるアメリカだが、それを脅かす存在が現れた。それがゴドルフィンだ。

 そしてゴドルフィンが気に入らなかった。

 

 ゴドルフィンの本拠地であるUAEの歴史は短く、レースを始めたのも近年になってからである。

 だが今では世界のレース業界において重要な位置を占め、ドバイワールドカップなどのビッグレースは世界レースランキングの上位に格付けされ、アメリカの主要レースより上に位置づけされているものも多い。

 レースの格とは紡がれた歴史と先人達が繰り広げてきた名勝負で作り上げられるものである。だが世間はそう思っていなかった。

 ゴドルフィンはレースに高額賞金をつけることで有力ウマ娘を集めレースレーティングを上げていく。そうやって自分達の国でやるレースは価値が有ると思わせる。その成金的発想が気に入らなかった。

 さらにゴドルフィンは金にものを言わせて最新鋭の設備があるトレーニング施設を作り上げ、優秀なスタッフを雇い、各国の才能あふれるウマ娘をスカウトする。

 メンバーの大半はアメリカや欧州で育ったウマ娘であり、UAEで育ったウマ娘は居ない。

 アメリカを筆頭に長年紡ぎあげてきた文化と土壌で育ったウマ娘をスカウトし、ゴドルフィンに所属させ、各国で活躍させることで自分達が優れていると思わせると同時にUAEのレース業界の功績と勘違いさせる。

 ティズナウは上澄みだけ掬って搾取するゴドルフィンのやり方を憎悪していた。

 元々UAEという国に対して良い感情を持っていないのも加わり、ゴドルフィンは不倶戴天の敵となっていた。

 そしてゴドルフィンはキングジョージや凱旋門賞など欧州のビッグタイトルを次々と制覇していく。各国で最も権威が有るレースを制覇する。それは最早文化侵略だ。

 欧州を堕としたゴドルフィンはアメリカにやってきた。目的はアメリカの至宝であるBCクラシックの奪取、BCクラシックはアメリカレース界の象徴であり、これを取られたらアメリカは失意のどん底に落ちる。

 ティズナウは死力を尽くしてBCクラシックのタイトルを守り抜いた。欧州はゴドルフィンの文化侵略から誇りを守れなかった。だがアメリカは勝った。この勝利でアメリカの強さを証明した。

 だがゴドルフィンの脅威は続いていた。今年のBCクラシックにサキーが参戦を表明し、ティズナウは名誉の負傷によりBCクラシックの出走が危ぶまれていた。

 さらに今年はBCマラソンが新設され、そのBCマラソンをメインレースにしたほうがいいという論争が沸き起こった。

 

 ブリーダーズカップのメインレースはBCクラシックである。ティズナウにとってそれは絶対不変の現実であった。だが世論はそうではなかった。

 理由としてはBCマラソンに有力ウマ娘が集まり、BCクラシックよりレースレーティングが上だからである。

 高額賞金でレーティングを上げる。そのやり方はまさにゴドルフィンのやり方だ。

 BCクラシックではなく、BCマラソンをメインレースに昇格させゴドルフィンのウマ娘に勝たせる。BCクラシックに勝てなくてもブリーダーズカップのメインレースに勝たれれば、アメリカレース界の敗北で有りそのショックは計り知れない。

 ティズナウはゴドルフィンの仕業と断定し、メインレースはBCクラシックであるべきとメディアを通じて主張した。

 だが予想以上にレーティングを重視する声が大きかった。せめてゴドルフィンが関与していることが発覚すれば流れが変わるかと思ったが、証拠はつかめず結局メインレースはBCマラソンに決定した。

 

 BCクラシックとメインレースのBCマラソンをゴドルフィンが勝利する。それはティズナウにとってまさに悪夢であり、想像した瞬間全身に寒気が走る。

 アメリカの底力を信じつつも最悪の事態を想定しつつ善後策を考えながら、ブリーダーズカップまでの日を過ごした

 

 そしてレース当日を迎えた。BCクラシックは幸運にもサキーが出走を辞退し、ヴァルポニが欧州の強豪ホークウイングを6バ身半の大差で打ち破りアメリカの至宝を守ってくれた。だがBCマラソンはアメリカのウマ娘達は力を尽くしたがストリートクライに屈した。

 会場から落胆や怒りの感情が渦巻く、ティズナウはその空気を敏感に感じ取り即座に動いた。

 マイクパフォーマンスでストリートクライを挑発し、BCマラソンの勝ち鞍と優勝レイとトロフィーを賭けた勝負を申し出た。

 これに勝つことでストリートクライは公式の場でBCマラソンに勝利したと言えなくなる。そうなれば人々の記憶から薄れ無くなる。

 詭弁を弄しているのは分かっているが、メインレースに勝利されたという記録は消せない以上、記憶から消すという苦肉の策の以外アメリカの誇りを守る方法はなかった。

 会場も味方してくれたこともあり、ストリートクライはあっさり申し出に応じた。そしてサキーと殿下を挑発し、ダートプライドに参戦させた。

 ダートプライドについてはネット上で偶然知った。日本のウマ娘がゴドルフィンを煽り出走させようとしている。

 中々面白いことをしていると見ていたが、ふとアイディアが閃き、サキーとストリートクライをダートプライド参戦に誘導した。

 そしてティズナウもダートプライドに参戦するいくつかの理由があった。

 

 第1の理由としてティズナウはサキーが嫌いだった。アメリカ出身でありながらゴドルフィンに所属し、他国のビッグレースに勝利し象徴を堕としていく。そして厚顔無恥にBCクラシックまで堕とそうとした。その行為は同郷のウマ娘として絶対に許せなかった。

 まず4大レースに勝ってレース界のアイコンになるという発言が気に入らない。

 ドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞、BCクラシック。ダートの最高峰のドバイワールドカップとBCクラシック、芝の最高峰のキングジョージと凱旋門賞であるこの4レースが一般的にそう言われている。

 だがティズナウの考えは違った。アメリカのメインストリームであるBCクラシックこそ世界最高のレースで有り、アメリカより弱い欧州でおこなわれるレースと同列に扱われるのが気に食わなかった。

 さらに金で権威を買ったようなレースと同列に扱われるのも気に食わなかった。

 サキーの夢を成就させないように徹底的に邪魔をする。いくら他のレースで勝ってもBCクラシックに勝てず、ティズナウにも勝てなかったと未来永劫言わせ続ける。

 本来ならドバイワールドカップに参戦して完膚なきまでに叩きのめしたいのだが、世界最高のアメリカではなくドバイという舞台で走ることはプライドが許さなかった。

 さらに言えば日本で走る事も嫌なのだが、日本も弱いながら少しずつ文化を築き強くなろうとしている。

 さらに日本出身のウマ娘で世界に打って出ている。自国出身のウマ娘が居ないで強豪国面をしているUAEよりマシであり、自身のプライドよりサキーを負かすことを優先した。

 

 次にアグネスデジタルの存在である。先人たちは欧州に移籍してビッグタイトルを制覇しアメリカの力を証明した。それは有意義なことであったが同時に先人達を軽蔑していた。

 アメリカこそ最強であり、アメリカのメインストリームであるダートこそ最高のレースであり、それ以外は劣る。それが持論だった。

 アメリカのダートで走り続けたウマ娘には敬意を持ち、世界最高の舞台に挑み続けた挑戦心は賞賛されるべきであると考えていた。

 そしてアメリカの芝や欧州に行ったアメリカのウマ娘は自国の恥さらしであり、勝負から逃げた腰抜けである。それはいくらGIを勝とうがその勝利は無価値であり、ダートで1回も勝てなかった者以下である。

 ウマ娘には適性が有り、それぞれが活躍できる場を求めてそれぞれの舞台で走っている。それは決して間違ったことではないが、ティズナウにとっては唾棄すべき行為であった。

 

 アメリカダート至上主義、これがティズナウというウマ娘の本質である。

 

 そしてデジタルはアメリカから逃げた落伍者であり、それがサキーと同様にBCクラシックを走ることは万死に値する行為だった。

 サキーを叩きのめすついでにアグネスデジタルも叩きのめす。アメリカに残った者と逃げた者の差を骨の髄まで叩き込み、逃げたことを一生後悔させる。

 そして悔い改めさせ己の愚行を後世に伝えさせる。それがアメリカのトップの務め、これが第2の理由である。

 

 第3の理由としてはダートプライドの賞金額である。1着賞金12億円は世界最高額である。

 そしてドバイワールドカップと同じように金に引き寄せられて有力ウマ娘が集まり、レーティングが上がる可能性が有る。そして勝者が世界最強と称えられる可能性が有る。

 そのような勘違いをさせないために、サキーとデジタルを叩きのめすついでにレースに勝っておく。これらの理由がダートプライドに参戦した理由である。

 ストリートクライの勝ち鞍とトロフィーと優勝レイを奪い、サキーとデジタルを叩きのめし、高額賞金に釣られた有象無象を叩きのめす。一石四鳥だ。

 

 ティズナウは静かに笑った。

 

───

 

「どうぞ」

「どうも」

 

 セイシンフブキは目の前に置かれたカップに視線を向ける。カップに注がれた琥珀色の液体からほのかに湯気が立っている。何かは分からないが紅茶の類だろう。コーヒーよりはマシだが苦手だ。だが手を付けないのは心証を悪くする。

 対面にいるヒガシノコウテイに軽く会釈した後に顔に出さないように少しだけ飲む。そして部屋を一瞥する。

 中央なら上等な机にソファーみたいな椅子に座れるだろうが、貸し会議室にあるような机と椅子で壁紙から年季の古さが見て取れる。

 船橋も大した応接室を持っていないが、岩手はもっと質素だ。これだけで財政の芳しさが伺える。

 

「お越しくださって恐縮ですが、例の話はお断りさせていただきます。それ以外の要件なら誠意を持って対応させていただきます」

 

 ヒガシノコウテイは柔和な表情を浮かべながら喋りかける。セイシンフブキはその顔を見ながらカップに入っている紅茶を一気に飲み干し、カップを荒々しく机に置くとタンという小気味よい味音が応接間に響いた。

 

「アタシもはいそうですかと船橋に帰るわけにはいかなくてね。アンタが首を縦に振るまで居るつもりだ」

 

 セイシンフブキはダートプライドの開催が正式に開催されると報せを受けると、ヒガシノコウテイと連絡を取った。

 

 ダートプライドにはヒガシノコウテイとアグネスデジタルだけではなく、サキー、ティズナウ、ストリートクライが参戦する。

 外国勢3人は間違いなく世界ダート5指に入る実力者であり、このレースは海外でダート世界最強決定戦とも言われている。

 そんな大物が日本のしかもグレードもないレースに参戦することは奇跡と言っていいだろう。

 まさに千載一遇の好機だ。ダートプライドに勝利すればダート世界最強の座を勝ち取れ、日本におけるダートの注目度を上げる起爆剤になる。

 これは絶対に勝たなければいけない一世一代の勝負だ。そのためにはやれることは全てやる。

 

 前走の南部杯は正しいダートの走り方をしながらも負け、絶対的な力ではないと思い知った。敗因はヒガシノコウテイとの心技体の総合力の差だ。

 技はヒガシノコウテイも正しいダートの走り方を実施していたが、練度はセイシンフブキの方が上だった。

 心は地方の為にと走っているが、こちらもダートの為に走っており想いの強さは負けていない。

 ならば体、フィジカルの部分で劣っていたということになる。確かに技に重点を置いていて体はおざなりだった。

 ヒガシノコウテイはゴドルフィンの門を叩きフィジカルを鍛え上げ、そのノウハウを岩手のウマ娘達に教えていると聞いている。ならばそのノウハウを教えてもらいフィジカルを鍛え上げる。

 早速ノウハウを教えてくれと交渉したが拒否され、業を煮やして直接岩手に訪れていた。

 

「アンタがゴドルフィンで教わったトレーニングのノウハウを教える。アタシはダートの正しい走り方を教える。アンタなら言葉の意味が分かるだろう?ギブアンドテイクだ。決して悪い話ではないだろ?地方ウマ娘同士仲良くしようぜ」

 

 セイシンフブキは自分が考えうる限りの優し気な声で語り掛ける。ただで教えてくれないなら。交換条件でノウハウをもらう。

 アブクマポーロとアジュディミツオーと作り上げたダートの正しい走り方、これは門外不出の技術だ。

 誰にも伝授したくないが勝つためには必要な犠牲、2人も理解してくれるだろう。

 一方ヒガシノコウテイは紅茶を飲みながらセイシンフブキの言葉の意味を考える。

 前走でのセイシンフブキの走りは朧げながら理想に描いていた走りだ。それが正しいダートの走り方だろう。もしその走りが出来るならばさらに強くなれる。

 

「魅力的な提案ですが、お断りさせていただきます。南部杯での走りは素晴らしいものでした。その技術はセイシンフブキさんの手を借りず、自力で習得してみせます」

「無理だね。これはダートに全てを捧げた者だけがたどり着ける境地だ。地方の為とか言って邪念を持っている奴が1人ではたどり着けない」

 

 思わず挑発的に言い放ち、ヒガシノコウテイも反応するように鋭い目つきを見せる。

 

「悪い、言葉が過ぎた」

 

 頭を軽く下げて謝罪する。勝つためにここに来たのだ、熱くなって相手の気分を損ねても何も意味がない。個人的な感情を一旦仕舞いこむ。

 

「とりあえず提案に応じないのは分かった。せめて理由だけでも聞かせてくれないか?でないと納得して帰れない」

 

 落ち着いた口調で問いかける。言葉では諦めた素振りを見せているが、そんな気は無く理由を聞きだしそこから切り崩そうと考えていた。

 

「提案を受け入れないのは私が『私達の』ヒガシノコウテイだからです」

 

 ヒガシノコウテイはぽつりと呟く。一方セイシンフブキは言葉の意味が理解できずぽかんと口を開けていた。それに構わず言葉を続ける。

 

「地元で生まれ育ち、他所からの力を借りず、地元の皆の為にと力を振り絞り声援や想いを力に変えることができる限りなく純度が高い存在、それが『私達の』ウマ娘です。セイシンフブキさんには理解出来ないと思いますが」

 

 ヒガシノコウテイは最後の言葉を強調する。地方の為にという想いを邪念と言って挑発した意趣返しである。

 

「私はその力を信じきれずゴドルフィンの力を貸りてしまいました。でも南部杯で改めて皆の走りを見て、その力の凄さを実感し、そうなりたいと願いました。そして岩手の皆はこんな私でも認めてくれました。だからもう裏切れません」

「つまり、岩手の人間ではないアタシの力は借りれば裏切りになりになると」

「そういうことです」

 

 穏やかな口調と声色で言うが、その言葉にはこれ以上の会話は余地がないという意志が込められていた。

 裏切れない、純度が低くなる。まるで宗教だなと胸中で一笑する。まるで理解できない理屈だが、その理解不能な理屈が自分を破った要因の1つでもある。

 それを認めなければならず、ヒガシノコウテイが重要視しているのも分かった。

 

「アンタはダートプライドに勝ちたいか?」

「はい、世界中から注目されるレースに勝てば地方の、岩手の力を知らしめることができます。皆を誇らしい気分にさせたいです」

「だったら猶更アタシの技術が必要だろう?サキーはドバイでアグネスデジタルに完勝と言っていい内容で勝った。そしてティズナウとストリートクライも同等と考えてもいい」

「私はアグネスデジタルさんにそれ以上の着差をつけました」

「そうだな。でもブーイングが効いたか知らないが本調子でなかった。アンタなら何となく分かるだろう?」

 

 ヒガシノコウテイは沈黙する。レースの時は感じなかったが改めて振り返ると、デジタルは僅かに本調子ではなかったという疑念が芽生えていた。そしてドバイワールドカップでは全ての力を出していたように見えた。

 着差はレース展開によって大きく変わり、そこまで絶対視するものではない。

 だが自分は南部杯では全ての力を出せていた。一方サキーにはまだ底が有ったように見えた。内容が違う。

 ホームで『私達の』ヒガシノコウテイとして走っても勝てるという保証は全く無かった。  

 勝つためにはセイシンフブキの力が必要だろう。だがそれでは『私達の』ウマ娘としての純度が鈍る。

 信じるんだ。岩手の皆が見せた走りを、声援を力に変えたあの感覚を。邪念を振り払うように南部杯の時の記憶をプレイバックさせていた。

 

「アタシはアブクマポーロへの個人的な憎しみを抱いていた」

 

 セイシンフブキが突如語り始める。ヒガシノコウテイはプレイバックを中断し思わず言葉に耳を傾ける。その様子を確認すると言葉を続けた。

 

「そのせいで本来の力を発揮できていなかった。でも憎しみや確執というこだわりを捨てた。だから正しいダートの走り方を習得できたし、南部杯であそこまで迫れた。アンタもそうだ。勝つためにこだわりを捨ててゴドルフィンに行った。南部杯ではその『私達の』ウマ娘の力で勝ったと言ったが、ゴドルフィンで鍛えたフィジカルに上乗せしたから勝てた。その行動は無駄じゃなかった」

「違います!」

 

 声を荒げて否定する。その言葉と口調は今までの大人びたものとは違い、幼さのようなものを帯びていた。

 

「本音を言うよ。正直地方や中央とかはどうでもいい、このレースに勝つべきなのはダートプロフェッショナルであるべきだ。それがアタシとアンタだ。アンタはアタシが認める数少ないダートプロフェッショナルだ」

 

 セイシンフブキにとってこの言葉は最大級の誉め言葉だった。

 思想は相容れないが南部杯である程度正しいダートの走り方ができていた。それはダートに情熱を捧げるプロフェッショナルでなければできない。

 この走りをある程度できるものは少ない。メイセイオペラやアブクマポーロ、そして現役で出来ているのはヒガシノコウテイだけであり、少なからず敬意を抱いていた。

 

「日本のダートは特殊だよ。アメリカやドバイでは使われず、欧州では存在すらしない。勝ったって世界的には何の価値もないガラパゴスレースの小さな争いだ。でもそんな小さなものにアブクマ姐さんやアタシは全てを懸けてきた。そしてこれからダートに全てを捧げようとしている奴も居る。これで専門外のサキーや海外勢に負けたらアタシ達のダートがちっぽけで下らないものだってバカにされる!姐さんやミツオーが愛したものがバカにされるんだ!そんなことはさせない!だからアンタとアタシで1着と2着をとってダートの誇りと尊厳を守るんだ!だから力を貸してくれ!」

 

 セイシンフブキは椅子から立ち上がると床に正座し手と額をつけた。ヒガシノコウテイはその動作に思わず立ち上がった。

 土下座をしたのは人生で初めてだった。腹の内から屈辱感と溢れだし体中を掻きむしる。以前の自分ならやらなかっただろう。

 だがアブクマポーロと確執から和解を経てこだわりを捨てることで得られる強さを知った。だから耐えられる。土下座1つで勝てるなら何度でもやってやる。

 一方ヒガシノコウテイは手を伸ばしたりひっこめたりしながら困惑していた。人生において土下座をされるのは初めてだ。

 困惑しながら思考を展開する。相手はは自分の事を嫌っているのは分かっている。その相手に見栄を捨て土下座をしてまで頼み込むとは余程の覚悟だろう。同じような立場だったら自分は出来るだろうか?

 

「顔をあげてください」

 

 セイシンフブキはゆっくりと顔を上げる。その視界には何か覚悟を決めたような表情を浮かべるヒガシノコウテイの姿があった。

 

「私はセイシンフブキさんの熱意に感動してトレーニング方法を教えます。一方セイシンフブキさんもお礼とばかりに技術を教えようとします。私は断ろうと思いましたが、厚意を無下にするのは失礼に値すると判断し、その技術を伝授してもらいます」

 

 独り言のように一方的に喋り始め、セイシンフブキは状況を理解できず黙って見つめる。だが言葉を聞き理解するとニヤリとした笑みを浮かべながら立ち上がり手を差し伸ばす。

 ヒガシノコウテイは考える。自分はどうしたいのか?メイセイオペラのように岩手の皆を笑顔にし、希望を与える『私達の』ウマ娘になりたいのか?

 確かにメイセイオペラはそんなウマ娘だった。だがその姿は岩手だけではなく地方のファンにとっても『私達の』ウマ娘であって多くの希望を与えたはずだ。

 地方は差があれど岩手と同じように貧しい環境で創意工夫を凝らし懸命に頑張っている。

 そんな地方を守りたいと思っていた。だがゴドルフィンに行ったことへの罪悪感が考えを過激化させて、岩手以外の力を借りること拒絶してしまっていた。

 

 地方のウマ娘は謂わば同志のようなものだ。そして同志が力を貸してくれと頭を下げた。それを見捨てるのは『私達の』ウマ娘ではない。

 船橋からの技術を岩手に取り入れる。それは岩手にとっての『私達の』ウマ娘であれば純性が失わる行為だ。 

 だが地方にとっての『私達の』ウマ娘であれば問題ない。そしてセイシンフブキがこだわりを捨てる覚悟と強さを見せてくれた。その意志は尊敬に値する。

 ヒガシノコウテイはセイシンフブキを好きでは無かった。

 地方に居ながら地方への帰属意識も誇りも持たず。荒々しい言動で地方の品性を落としていく。似たような境遇ながら別の思想を持つ。似ているようで別人、それがセイシンフブキに抱く印象だった。

 だがダートを愛する気持ちは本物だ。それは自分が地方を愛する気持ちと変わらないだろう。案外似た者同士かもしれない。

 

「そうだ、失礼はいけないよな。アタシから厚意を存分に受け取ってくれよ」

 

 ヒガシノコウテイはその手をしっかりと握った。

 

───

 

「あと3セット!ダウンするにはまだ早いぞ」

 

 室内練習場に男性トレーナーの声にサキーとストリートクライは苦悶の声をあげながら立ち上がりプログラムをこなす。

 2人の辺りには大量の水分が飛び散っている。これは汗である。これだけでトレーニングの過酷さが読み取れるだろう。

 ダートプライドの開催が正式に決定してからサキーとストリートクライはゴドルフィンの本拠地があるドバイに向かった。そこで待っていたのは過酷なトレーニングの日々だった。

 ゴドルフィンが誇る世界最高峰の設備とスタッフによって行われるトレーニング、個人ごとの限界を厳密に見極め、壊れない1歩手前まで追い込む。

 凱旋門賞やドバイワールドカップ前のトレーニングより厳しく、アスリートにとっては地獄の責め苦と言っていい内容で、並のウマ娘、いやGIを勝った1流と呼ばれるウマ娘でも逃げだすような苛烈さだった。

 だが2人に逃げるという選択肢はなかった。ダートプライドに勝つことはゴドルフィン最高責任者の殿下からの勅命だった。

 ティズナウにコケにされたことに激怒しているのか、ゴドルフィンにおける最大プロジェクトとして2人のトレーニングが行われている。

 他のウマ娘に向けなければならない人材リソースを大幅に割いている。他のウマ娘達は抗議したが殿下の有無を言わさない説得で黙らせていた。

 

「よしサキーはこっちに来い。ストリートクライはあっちだ」

 

 メニューを終わらせた2人は覚束ない足取りで指示された方向に向かう。まだ地獄は終わらない。

 

 

「サキー選手、今日はありがとうございました」

「はい、今後もよろしくお願いします」

 

 サキーは記者たちが部屋から出た瞬間体を弛緩させ背もたれに背を預けた。

 トレーニングのせいで体中が悲鳴をあげている。笑顔という仮面で懸命に隠したつもりだが勘づかれたり、変な写真を撮られていないだろうか。思考は体の痛みから取材の出来について移っていた。

 ゴドルフィンは情報流出を懸念してサキーやストリートクライへの取材を拒否するつもりだった。だがそれに待ったをかけたのがサキーだった。結局厳重な検閲を行うという条件の元で取材は許可された。

 取材を通して情報を発信する。それはファン達を楽しませ、それ以外の人間に興味を持たせる切っ掛けになる。それを欠かす事はあってはならないというのが考えだった。

 地獄とも呼べるトレーニングの合間を縫って広報活動、本人も苦しいはずだが本音を隠し精力的に行う。全ては1人でもレースについて知ってもらい、世界中のウマ娘とその関係者を幸せにするために。

 辛い、疲れた、楽をしたいなどの弱音を全く見せず活動する姿は常軌を逸しているともいえる。だが理想の為にと自分を犠牲にできる献身性とバイタリティーを持ち合わせていた。

 

 賞金総額12億円のウイナーテイクオール方式、さらにBCクラシックでのティズナウのマイクパフォーマンス、こららの要素は世間の関心を惹き、レースまで数カ月はあるが業界内外の様々な場所で話題に上がり、世界全体の注目度でいえば凱旋門賞やBCクラシックやドバイワールドカップを凌いでいる。

 やはりこういったエンターテイメント性に富み刺激的なものは注目を浴びやすい。

 凱旋門賞とBCクラシックに出走できず、グランドスラムを達成できず伝説のウマ娘となり業界のアイコンになる道が絶たれた。だが神は道を示してくれた。

 このレース形式と発足経緯、そしてこの出走メンバー、レース内容次第で永遠に語り継がれる伝説のレースになる予感がある。

 本来なら自分がやらなければならないのだが発想がなかった。レースを企画したアグネスデジタル、殿下を煽って参戦させてくれたティズナウには感謝しなければならない。

 そして場所に日本の大井という場所もいい。デジタルから日本の地方所属のウマ娘の境遇は聞いている。世界中から注目されるレースが行われれば地方に注目の目が集まるだろう。

 だがこのレースに対する日本における関心度が低いらしい。聞いた情報によると中央と呼ばれる別の組織が絶大な人気を持ち、中央で行われるレースに日本国民の興味が向かれているそうだ。

 暫くすれば日本の外厩に移動する。その時にメディアに露出してレースをアピールして少しでも関心を向けるようにしよう。

 心苦しいがこのレースは勝たせてもらう。願わくば全力を尽くし、引き離されることなく出来る限り追い詰めて地方の力を知らしめて欲しい。

 サキーは地方勢を見下し憐れんでいるわけではない。純粋にそれが多くのウマ娘と関係者が幸せになる結果であると信じ願っているだけである。

 

 

 ストリートクライの顔がタオルに沈み込み、マッサージ師が体を押すごとにリラックスし弛緩した体が上下する。

 暫くしてうつぶせの状態から顔を上げる。一般的にいえば無表情だが、見る者が見れば緩んでいるのが分かるだろう。

 それはタブレットの画面に映る映像によるものだった。画面には子ネコとウマ娘のあかちゃんが仲睦まじくじゃれ合っている映像が映っていた。

 

「癒されるよな~」

 

 ストリートクライは親友であるキャサリロの言葉にうなずき、それを見てキャサリロは天然パーマが入った僅かに緑色が入った黒髪をクシャクシャと撫でながら破顔する。

 

「大丈夫録画しておいたぞ、ついでにツイッターの情報見られないようにしてネタバレ対策ばっちりだ」

「どうだろうな。私はフィンが勝つと思うな」

「あと第3試合が気になるな。あの2人は手が合うと思うんだけどな」

 

 マッサージ師は訝しむ。一方的にキャサリロが喋り、まるで独り言だ。

 だがストリートクライとのコミュニケーションが成り立っている。まるでテレパシーで会話しているようだ。   

 キャサリロは画面が見えるようにタブレットを眼前に掲げていた。

 

「ありがとうございました。よし行くぞクライ、ああ、あれは買ってるよ。それ食べながら見るか」

 

 キャサリロが声を出して、ストリートクライは頭だけ下げて礼を述べるとマッサージ室を出ていく。今の会話もストリートクライは全く喋っていなかった。

 

「いや~ラストに向けての攻防は凄かったな、でもあれはヤバかったな。死んだかと思った」

 

 キャサリロは興奮冷めやらぬといった具合に語り掛ける。ストリートクライはコクコクと首を頷き、それを見てされに興奮気味で喋る。

 部屋に帰った後ストリートクライとキャサリロは試合を見た。

 観戦中はキャサリロが騒がしく。うお~すげ~人間じゃねえ~と声にあげながら見ていた。試合も良かったがキャサリロの様子もオモシロく、満足感に満ちていた。

 

 ストリートクライはドバイワールドカップの後正式にキャサリロを自身のスタッフとして雇った。

 専門的な技術を持っていないキャサリロを雇うのをゴドルフィンのスタッフは難色を示したが、自分で給与を払い意見を吞まなければゴドルフィンを辞めると、半ば脅迫のように要求した。

 結果意見は通り、晴れてスタッフになったキャサリロは常にストリートクライと一緒に居た。

 

「何だよそんなに見つめるなよ」

 

 キャサリロはじっと見つめる視線に耐えきれないのか下を向く。それに構わず見つめる。

 ストリートクライはドバイでの敗北以降負けなしだった。本人は否定するが間違いなくキャサリロのおかげであると思っていた。

 口下手な自分の代わりに意志や細かいニュアンスを汲み取りトレーナーやスタッフに伝えてくれる。一緒にいて何気ない会話で日々のストレスや疲労が癒される。

 世間はキャサリロは居るだけで賞金を得ている寄生虫と陰口をいう者も居る。確かにトレーナーのように技術を教えられない。心技体の技と体では役に立っていない。だがそれを補って余りあるものがある。

 それは心だ。今はキャサリロの為に走っている。負ければ責任が追及され、ゴドルフィンに居づらくなるだろう。

 そんな目を親友に逢わせるわけにはいかない。勝ち続けてキャサリロのおかげで勝てたと言い続ける。そして一緒に成り上がり世界一になる。これは自分の夢ではなくキティと2人の夢だ。その想いだけでいくらでも力が湧いてくる。

 サキーは全てのウマ娘と関係者の幸せの為に走っている。大層な理想だ。だがその全てに自分とキャサリロを入れないでくれ。手を借りずとも勝ち続けてキャサリロと自分は幸せになる。

 サキーの理想に伴う行動の数々は正直常軌を逸している。自分では到底できない。これも理想を実現しようという想いの力だろう。

 だが自分もキャサリロと成り上がり幸せにするという気持ちは負けていない。

 想いの量は同じだとしたら優劣を分けるなら深さだ。不特定多数に向けるのと1人に向けるのでは深さが違う。それを証明する為に絶対に勝たなけければならない。

 

「なあクライ、相談が有るんだけど」

 

 キャサリロは目線をストリートクライに戻し話しかける。雰囲気から真面目な話になるのを察し、いつもよりシリアスな表情で頷く。それを了承の合図として続けた。

 

「1ヶ月かな、いや期間はわからないけど、ちょっとここを離れる」

「どこに行くの…?」

「日本とアメリカかな」

「いやだ…ダメ…行かないでキティ…」

 

 ストリートクライはキャサリロの二の腕を即座に掴み弱弱しい目で懇願するように見つめる。

 以前行き違いによって喧嘩別れのように袂を分かったことがあった。今では一緒に過ごせているが、その件があってもう2度と帰ってこないという恐怖を常に抱き、病的に恐れていた。

 

「何で行くの…?」

「偵察だ。必ずクライの役に立つ情報を手に入れてくる」

「周りの言う事を気にしてるの…?そんなことしなくても大丈夫…私は勝つから…信じて…キティがいれば私達は最強だから…」

 

 振り絞るように言葉を紡ぎ、握る手が強くなる。キャサリロの脳内では幼い頃と同じように止めようとした状況が浮かび上がっていた。

 

「クライが私のために頑張ってくれるのは知っている。私の勝ちはキティの勝ちと言ってくれて本当に嬉しい。でもこのままクライが世界一になっても喜べないんだよ。何かしら形に残る結果でクライの役に立ちたい」

 

 キャサリロは諭すように優し気な声で語り掛ける。親友であり、必要としてくれることは分かっている。

 だがストリートクライが勝つたびに心のしこりが大きくなっていった。

これでは一生負い目を感じて生きていかなければならない。そして負い目に耐えきれずまた離れてしまう。そうならない為に風下ではなく、隣に居なければならない。

 キャサリロの言葉を聞き、ストリートクライの握る力が徐々に弱くなり完全に手を離した。

 苦しんでいるなら助けるのが親友だ、それが黙って見送ることなら、しなければならない。キャサリロが居ない無味乾燥な日々が戻ってくる。その恐怖に体が竦むが強引に抑え込む。

 

「分かった…絶対に役に立って…でないとクビにするから…」

「それはコワイ、これは何としてでも役に立たないとな」

 

 キャサリロはストリートクライの精一杯の虚勢に応じるように軽口で応えた。

 


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