スペシャルウィークが踏みしめ蹴り上げるごとにウッドチップが舞っていく。
その勢いは同じコースでトレーニングをしている他のウマ娘とは違い、下手をすれば木片がジャージの繊維に刺さり、目に当れば怪我を負う。それは御免被りたいと他のウマ娘達は当たらないように距離を取っていく。
スペシャルウィークは天皇賞秋への出走を取りやめ、年が明けてから行われるWDTに向けて調整をおこなっていた。
今はチームスピカのメンバーはおらず1人で走っている。他のメンバーは其々のレースに向けてトレーニングに励み、トレーナーはレースが近い者に付いていっている。一見放任に見えるが経験と実績を持つウマ娘であれば、指示が無くとも調整は出来ると信頼しているからこその単走である。
ゴールまで300メートル、最後は少し追うと決めておりスピードを上げる。
3バ身ぐらい前に居るピンク髪のウマ娘を抜いてゴールといったところか。だが予想に反して差は縮まらず予定より力を出して走るが、差を1バ身縮めたところでゴール板を通過した。
余力を残したといえど差を縮ませないとは中々良い走りをするウマ娘だ、その正体が気になり流すスピードを僅かに速め顔を覗き見る。
「あっ、デジタルちゃんか」
「スぺちゃんもウッドで走ってたんだ。全然気づかなかった」
アグネスデジタルは視線が合うとパッと表情を明るくさせる。良い走りをするも何も相手がGIウマ娘であれば当然だと納得し、ジョギングをしながら話を続ける。
「他のチームメイトやトレーナーさんは?」
「アタシは単走で白ちゃんはレースが近い娘を見てる。まだ時間は有るし1人で走ってろって。スぺちゃんは?」
「私も同じかな」
「アタシはこれで終わりだけど、スぺちゃんはもう1本追うの?」
「私もこれで今日は終わり」
「じゃあ、一緒にクールダウンしない?」
「いいよ」
「ヤッター」
デジタルは嬉しそうに小さくガッツポーズを見せる。2人は軽く流しながら半周走るとコースから外れてクールダウンを開始する。
デジタルは開脚し身を屈め、スペシャルウィークは背中を押す。
「そういえばブリーダーズカップの動画見たよ」
「本当だよ。ディズナウちゃんが煽ってくれなかったらサキーちゃんの出走はなかったよ。正直諦めてたからさ、ティズナウちゃん様々だね」
デジタルの声が1オクターブほど高くなり意気揚々と喋る。ティズナウのBCクラシックのマイクパフォーマンスを見た後、嬉しさのあまりに深夜にもかかわらずチームメイトや友人達に連絡を入れて、その中にスペシャルウィークも居た。
最初はどういうことか分からなかったが翌日に調べてみると詳細が分かり始め、ネットでもその様子を動画などもあがっていた。
だが英語で喋っているので何を言っているのか理解できなかったので、友人のエルコンドルパサーやグラスワンダーに動画を見せて翻訳してもらった。それを見てエルコンドルパサーがえらく興奮していたのを覚えている。
日本ではあり得ないような光景の連続でまるで劇を見ているようで新鮮だった。
そしてティズナウの1件がサキーの出走の決定的な要因であり、デジタルの願望を叶えてくれたことには感謝している。だが個人的には気に入らなかった。
怪我をすることでレースに出ていれば勝てたという幻想を植え付け、勝者の名誉を貶めていると言った。
敬愛するサイレンススズカも同じように持ち上げられた。怪我をして競争中止になった天皇賞秋では完走していれば勝てたとマスコミは報じ、1着のオフサイドトラップも本当の勝者ではないと中傷され傷ついた。そして当人もレースに出ていたウマ娘の名誉を貶めたことに心を痛めた。
レースを走るならその苦しみを理解し言及しないのが優しさだ。それなのに公然の場で批判したことに怒りを覚えていた。
「ディズナウさんの言葉は少し思いやりが足りなかったね」
「サキーちゃんへのマイク?確かにそうだけどティズナウちゃんのおかげでサキーちゃんを引き釣り込めたし、あまり悪い感情は無いんだよね」
スペシャルウィークはデジタルの言葉に思わず手が止まる。ウマ娘が大好きでそのウマ娘が笑えば一緒に笑い、批判されれば腹を立てて発言の撤回を求めるような人物だ。意中のサキーならば怒りを露わにすると思っていただけに予想外の反応だ。
まるで自分の目的の為に働いてくれたからティズナウへの好感度が上がり、怒りが薄れたようだ。このような感情より実利を優先するような利己的な人物だったか?
デジタルは訝しむように後ろを向き、それを誤魔化すように笑みを浮かべ背中を押し会話を続ける。
「それにしてもダートプライドの賞金12億円って凄いよね。にんじん何本分かな?」
「まあ参加費を引けば10億円だね、きっと部屋いっぱいでスぺちゃんが埋もれちゃうぐらいだよ」
「デジタルちゃんは10億円どう使う?」
「う~ん、そういえば全く考えてなかったな。別にお金なんてどうでもいいんだよね。サキーちゃんとフブキちゃんとコウテイちゃんにリベンジして勝てばそれでいいし」
デジタルはぼそりと呟く。いつもの明るい感じではなくほのかに暗く執念を感じるような声色だった。レースに向けて闘志を燃やしているようで、宝塚記念の時のグラスワンダーのようだった。
クールダウンが終わると役割を交代し、今度はデジタルがスペシャルウィークの背中を押す。
「デジタルちゃんもっと強く押していいよ」
「いや、今思うとスぺちゃんに触れるなんて恐れ多いというか、理性と欲望と葛藤しているというか」
スペシャルウィークは背中を押す力があまりにも弱弱しいので、訝しむように振り返ると何かを葛藤するようにおっかなびっくりしている姿が映る。
何を悩んでいるか分からないが普通にやっていいと言うと、少しずつ力を入れ始め数分後には普通の力になっていた。
「白ちゃんから聞いたよ。天皇賞秋を一緒に走ろうってアタシを誘ってくれたんだって」
最初は緊張していたデジタルだが徐々に緊張が解れ、話しかける余裕が出来ていた。
「でも余計な気遣いだったかな」
「そんなことないよ!アタシも少しだけ頭にあったけどさ、凱旋門から3週間ちょっとで体調を戻すのはいくらスぺちゃんでも無理だし、こっちから無茶言う訳にもいかないから除外してたんだよね。まさかスぺちゃんから提案してくれるだなんてね。嬉しくて涙が出ちゃうよ」
「でも体調を戻せなかったから白紙になっちゃった」
「残念、もし戻ってたらBCクラシックは流れたし、急ピッチで仕上げて走ったのに」
デジタルの大きなため息が背後から聞こえてくる。やはりプレアデスのトレーナーが言った通り、走りたい意中のウマ娘の全力全開を感じるというのが優先条件のようで、例え一緒に走れる条件でもコンディションを落としていれば優先順位は下がるようだ。
それからストレッチを続け、終了後はチームルームまで一緒に行き別れる。スペシャルウィークは手を振りながら別方向に向かう姿を見送りながら思考する。
今日のデジタルは何か違っていた。どこが違うかと言われると分からないがはっきりと違うのが分かった。きっと何かしら心境の変化が有ったのだろう。
スペシャルウィークはそれ以上深く考えず、サイレンススズカ達の姿が見えるとデジタルのことは頭から抜けていた。
──
「もうやるのね」
プレストンは部屋に戻り扉を開けてすぐに思わずため息が漏れる。視界に入ったのはPC前でレース映像を血眼にして見ているデジタルの姿だった。
レース前には推しウマ娘のレース映像や資料を漁る。それは相手を研究するわけではなく、相手の煌めく姿を網膜に焼き付け、生い立ちやパーソナルなエピソードを知る為である。
推しウマ娘をより知り好きになることで、トリップ走法に必要なイメージの構築をより強固にするためである。
デジタルもイヤホンをするなど最低限の配慮をしているが、流れる映像は嫌がおうにも目に飛び込んできて、夢に出るほど刻み込まれていた。
前回のドバイワールドカップの時は1カ月前から始まったが、今回のダートプライドまで3カ月以上はある。この時は狂気じみたものを感じ薄気味悪さを覚え、正直にいえば居心地が悪い。
だが友人がレースの為にやっているので邪魔するわけにはいかないと、デジタルの邪魔をしないように出来る限り存在感を消しながら、携帯電話をいじり始めた。
プレストンは何気なくデジタルに視線を向けると相変わらずPCに映る映像を見つめている。1時間ほど経過したが集中力は乱れていない、相変わらずの執着心だ。感心すると同時にある違和感を覚えていた。
ドバイの時のデジタルからは底なし沼に嵌った時や粘着質な視線を凝縮したような薄気味悪さや不快感があった。だが今は刺々しい息苦しさがある。この違いは何だ?原因を解明しようとデジタルとPCに映る映像を見つめる。
サキー、ストリートクライ、ティズナウ、セイシンフブキ、ヒガシノコウテイ。改めてレースを見るとこの5人の強さが実感できる。
南部杯ではブーイングと岩手のウマ娘のアシストが有ったとしてもハイペースで逃げてデジタルの追撃を振り切ったヒガシノコウテイ、砂塵を巻き上げまるで芝のレースのような末脚で突っ込んできたセイシンフブキ。帝王賞の走りが嘘のように強くなっている。これがマグレではなければ相当手ごわい。
サキーは確かな地力とレースセンスで盤石の強さを見せている。デジタルとのドバイワールドカップでさらに力を付けたのがキングジョージで分かる。
ストリートクライもサキーと同様の地力を持ち、かつ相手の力を削ぐセンスは世界一といっていいかもしれない。
例えば流れているレース映像でも2着になったウマ娘がスパートをかける瞬間に体をぶつけている。
トップレベルのウマ娘の体幹が強さであれば、この程度接触は問題ないはずなのだが何故かバランスを崩し僅かに反応が遅れている。それはゼロコンマ数秒の遅れだが、このレベルだとそれが勝敗を分ける。
そしてティズナウ、圧倒的な先行力で先頭に立ち比類なき勝負根性で他のウマ娘をねじ伏せていく。
レースでよく見る普通なら差される状況でも喰らいつき決して抜かせない。それは当事者達には悪夢そのものだろう。
「これはデジタルも相当骨が折れるわね」
「プレちゃんだったらどうする?」
プレストンの独り言に反応するようにデジタルが振り向き、身体がビクリと跳ねる。イヤホンをしていたのに聞こえていたのか。
「どうするもなにも、ダート走れないし」
「場所は香港で5人とも芝を走れるとして」
プレストンは仮定を加味して考える。他のレース場なら香港でなら勝機は有る。むしろ世界一だろうが負けられない。シャテンのコースレイアウトを思い出し思考する。
「ティズナウ先頭で後ろにサキー、ヒガシノコウテイ、ストリートクライ、少し離れてアタシで、後ろか同じぐらいの位置でセイシンフブキでしょ。とりあえずストリートクライの近くは邪魔されたくないから避ける。そして3コーナーちょっと手前で仕掛ける。多少膨らむかもしれないけどサキーやティズナウから離れられて勝負根性をすかせるしね。それで並ぶ間も与えず差し切る。ゴール手前でチョイ差しが理想かな」
多少都合の良い願望が入っているのを自覚しながら勝ち筋を導き出す。
これが考えうるなかで一番の理想的展開である。相手の動き次第で展開は大きく変わるが、ストリートクライの近くにいかない、ティズナウとは根性勝負をしないというのが基本方針になるだろう。
「そうだよね。ティズナウちゃんの根性勝負を避けつつ、前目につけて差し切るのがベストだよね…」
デジタルは独り言を呟きながら脳内シミュレーションを始める。その言葉にプレストンは思わる目を見開く。
避ける?今根性勝負を避けると言ったのか!?ウマ娘を感じる為の根性勝負をするためにレースを走っていると言っても過言でもないデジタルが!?
戸惑うのをよそにデジタルは自分の世界に入り込み思考を続けていた。
───
11月初旬の日曜日、その日は寒波が来ており平均の月気温より寒く、多くの者が冬物をタンスやクローゼットを取り出し、身に着け外に出ていた。
東京都渋谷駅。
東京屈指の繁華街であり、多くの観光客や若者たちが訪れ、浮世の苦しみやうっ憤を晴らし明日の活力を得ようと足を運ぶ。その例に漏れず4人のウマ娘が渋谷に訪れていた。
「今日は日常のことは一旦忘れて、全力で楽しもうじゃないか」
「お~!」
「お~」
「お~…」
テイエムオペラオーの仰々しい掛け声に号令にデジタルとプレストンはややハイテンションで、メイショウドトウは弱弱しく返事した。
前々からオペラオー主導のもと4人でどこかで遊ぼうと企画していた。だが中々予定が合わず、4人のオフが被ったのが今日だった。
それぞれは寒色で地味目なコートとニット帽とマスクという、周囲に溶け込むように目立たない服装だった。
「アタシとデジタルは実は渋谷に来るのは初めてなんです。ちょっとワクワクしてます」
プレストンは周りをキョロキョロと見渡し、テレビで見た映像と同じ建物があることにテンションを上げていた。
休みの日は友達とでかける日もあるが大概は近場で遊ぶことが多く、原宿や渋谷などは敷居が高く行きづらいと思っていた。交流のある友人達も同様の気持ちを抱き、日本に来てから一回も無かった。
「渋谷はどうでもいいけど、オペラオーちゃんとドトウちゃんに久しぶり会えて遊べることにワクワクしてるよ!」
「そんな…私と一緒に遊んでもデジタルさんが楽しんでもらえるかどうか…」
デジタルは目を輝かせながらドトウに視線を向ける。ドトウはその視線から避けようと猫背気味に体を丸め視線が泳ぐ。
「心配するなドトウ、キミがいようがいまいが関係ない。ボクがいればどんな田舎でもワンダーランドさ!そしてボクにとって渋谷や原宿なんて庭だよ。キミ達には最高の体験をプレゼントしよう」
オペラオーはドトウの肩を叩きながら劇団員のように大きな動作で語り掛ける。
その姿にデジタルはさらに目を輝かせ、プレストンは目立つのを嫌ってか静かにしろと人差し指を立てる。
「オペラオーさん静かにしましょう。私は兎も角オペラオーさんは大スターですから、ここで正体がバレたら大混乱になっちゃいます」
「む、それもそうだ。ここでサイン会を開いても一向にかまわないが遊ぶ時間が減ってしまう。今日は大スター休業だ。まあ!滲み出るオーラで気づかれてしまうかもしれないが、その時は悪く思わないでくれ」
オペラオーはドトウの言葉に素直に応じ、ニット帽を深く被る。プレストンはドトウに頭を下げ、ドトウも恐縮そうに頭を下げる。
ここで騒がれたら自分達の存在が気づかれてしまう。現役を退いたといえど一世を風靡した覇王オペラオーと偉大なるナンバー2ドトウ、そして現役の香港マスタープレストンに勇者アグネスデジタル、合計でGI10勝以上の名ウマ娘達が集まれば騒ぎになり多くの人の通行を妨げるだろう。
他人に迷惑をかけたくなしオフに疲れたくもない。プレストン達もキャップを深く被りながら、先導するオペラオーに着いていく。
SHIBUYA109 渋谷ヒカリエ 渋谷センター街 キャットストリート
観光ガイドブックに載っている主だった名所には全て足を運んだ。
キャットストリートでは辺りを散策し、古着屋で試着してオペラオーコーディネートの服を3人が買った。
ドトウとプレストンの趣味ではないが折角だということで購入し、デジタルは2人が試着した姿を興奮気味に写真に撮り自身のツイッターにあげていた。
渋谷ヒカリエではオペラオーおススメのミュージカルを鑑賞した。
3人とも渋谷とミュージカルのイメージが結びつかず意外そうにしていた。オペラオーとドトウは素直に楽しみ、プレストンはライブに使えそうだなと感心しながら楽しみ、デジタルは出演者の1人であるウマ娘を注視し続け楽しんでいた。
時間は瞬く間に過ぎ、気づけばデジタル達の門限に迫っていた。4人は別れを惜しむようにカフェでゆったりとした時間を過ごしていた。
「ここはボクのおススメさ。ゆっくりしたい時には丁度良い」
オペラオーは椅子に深く腰掛けながらコーヒーを口につける。
店内の外装の石造は所々黒ずみ長い年月の経過を想像させる。内装は床が板張りで電球はLEDではなく蛍光灯の間接照明で店内ではレコードの古い歌謡曲が流れている。ここの店だけ昭和にタイムスリップしたようにレトロな雰囲気である。客層も中年が多く渋谷にあるとは思えない店舗だった。
そのなかでデジタル達は浮いていて、客の中では正体に気づいたのかヒソヒソと喋っている。だが遠巻きで見ているだけでデジタル達のことを思いやったのか特に声をかけてこない。オペラオーはこれらのことも想定済みで入店していた。
「ドトウちゃんはどう勉強は?」
「色々と課題やレポートが有ってそこは大変です。でも現役時代のようにトレーニングしなくていいので、そこは楽ですよ」
「でも現役時代からさほど体型が変わってないみたいですね」
「現役時代の習慣が抜けないというか、運動しないと調子が悪くなるので程々にやってます」
「でも運動強度が足りないのか少し太ったね」
「オペラオーさん一言余計です」
「いいです、事実ですから」
プレストンの小言にドトウは笑みを浮かべながら肯定する。その笑顔を肴にデジタルはケーキを味わう。ドトウの雰囲気は現役時代と良い意味で変わってなかった。奥ゆかしくて大らかで、見ているだけで何だか心がほんわかする。
「そういえばオペラオーさんが出ていたドラマ見ましたよ。素敵でしたよ」
「全く不本意だ。本来ボクは衆目美麗な主役をやるべきなのに、演じる役は脇役で3枚目やコメディリリーフ的な役ばかりだ」
「でもこういう下積みも重要だと思いますよ。それに幅広い役をやっていたほうが演技の幅が広がると思いますよ。素人意見ですが」
「まあドトウの意見も一理あるか、完全無欠な主役を目指すにはあえて道化を演じることも必要さ。サーカスでも花形は必ずピエロになるというからね」
オペラオーは日頃のうっ憤をぶちまけるように語気を強めていたがドトウのフォローに次第にいつもの調子に戻っていく。
確かに本人の希望とは裏腹にコメディリリーフを演じることが多かった。だが現役時代もそのナルシストぶりはある意味コメディリリーフとして扱われ、適材適所といえた。
そしてその大げさな演技は一定の定評があり、それなりに人気を博し、デジタルもプレストンもその演技は好きだった。
「そういえばオペラオーさんはトゥインクルレース関係の仕事は受けないんですか?取材とかタレントとか来てますけど、オペラオーさんがやっても問題ないと思うんですけど」
プレストンはオペラオーに問いかける。クイーンエリザベスカップに勝った後マスコミから取材が来たことが有った。専門誌や専門番組の取材も有ったがバラエティ番組の取材も有り、どこぞの女性タレントからインタビューを受けた。
専門外で致し方が無いのは重々承知だが、知識不足やピントが外れた質問が多く正直苛立ったのを覚えている。このタレントがオペラオーだったら的確な質問を投げかけてくれてやりやすかっただろう。
「その手のオファーは確かにあった。だがレース関係の仕事を受けるのは親の七光りのようなで気が引けてね。ボクは自分の演技や歌唱力で目立ちたいのさ」
オペラオーは胸を張りながら堂々と宣言し、デジタルはその姿を尊敬の眼差しで見つめる。
現役時代で築き上げた名誉と功績は正真正銘自分のものだ。他の舞台で駆使するのは恥ではない。トレーナーになれば現役時代の活躍を存分にアピールするつもりだ。だがオペラオーは良しとしなかった。それはかつての誇り高き覇王の姿だった。
「ところで南部杯は惜しかったね。レース展開が向かなかったところも有ったが…」
「オペラオーさん」
ドトウが諫めるような目線を送り、オペラオーは咄嗟に口を噤む。
「すまない、今日は日常のことを忘れようと自分で言っておきながら話題に出してしまった。レースに話せる機会が無くて、その手の話題に飢えていてね」
「いいよ、別に。オペラオーちゃんが話したいならいっぱい話そうよ。いいでしょプレちゃん?」
「アタシは構わないわよ」
それからの話題はレース中心になり、2人が走ったクイーンエリザベスや南部杯に始まり、それ以外のレースについてもデジタルの携帯から流れるレース映像を肩を寄せ合って見て語り合っていた。
「デジタルの次走はダートプライドだっけかい?総額12億円のウイナーテイクオール、こんな舞台が現役時代にあればボクもダートを走れたら出ていたよ」
「出たいレースが無ければ、作ればいい。デジタルさんらしい発想です」
「海外だとかなり盛り上がってるらしいですよ。サキーとストリートクライとティズナウが出るならダート世界一決定戦と言っても過言じゃないですからね。それにティズナウ劇場が盛り上がりましたからね」
「本当にティズナウちゃん様様だよ」
話題はダートプライドに移る。オペラオーとドトウはデジタルから開催の経緯を知った。ティズナウのマイクパフォーマンスから開催決定は目立ちたがり屋のオペラオーが嫉妬するほど劇的なものだった。
だが意外にも周囲では話題にはなっていなく、原因としてはWDTと同日開催することだった。参戦メンバーは凱旋門賞を勝ったブロワイエが参戦したジャパンカップ以上と言えるが、中央が関わっていないレースだけに宣伝がされていなかった。
「ティズナウはともかく、サキーにストリートクライにセイシンフブキにヒガシノコウテイはデジタルとは縁が深いウマ娘達だね」
「素敵なウマ娘ばかりですね。思う存分感じて楽しんでください」
この4人はデジタルのお気に入りのウマ娘であることをオペラオーとドトウは知っていた。
デジタルにとってダートプライドは存分に楽しめるワンダーランドだろう。これも本人の行動がきっかけで実現できたレースだ。結果はともかく存分に堪能してもらいたいと願っていた。
「うん、サキーちゃんとコウテイちゃんとフブキちゃんに一斉にリベンジできる最高の舞台だよ。絶対に勝つよ。勝って最高の気分を味わうよ」
デジタルは静かに呟く。その答えはオペラオーとドトウにとって予想外だった。てっきり子供のように無邪気にウマ娘ちゃんを感じると言うと思っていた。
そして纏う雰囲気が今までの知るものとは明らかに異なっていた。その様子をオペラオーとドトウは訝しみ、プレストンは厳しい目線で送っていた。
「あ~あ、楽しかった」
「そうね。久しぶりに存分に遊んだわ」
部屋に帰ったデジタルとプレストンは部屋着に着替えるとベッドに飛び込んだ。喫茶店で過ごした後は駅に向かい、それぞれ帰路についた。
「ところでデジタルのトレーナーは学園に居る?」
「どうしたの急に?」
「ちょっとね」
「待ってね…今トレーナー室に居るって」
「そう、ちょっと出かけてくる」
「うん、いってらっしゃい」
デジタルは訝しみながらプレストンを見送る。急にトレーナーの所在を聞いたり、所在を聞くと出かけたりと不可解な行動を取っている。
一抹の不安を覚えながらもPCを立ち上げダートプライドの出走メンバーのレース映像を見始めた。
プレストンは寮の玄関を出るとトレーナー室に向かう。トレセン学園にはトレーナー棟と呼ばれる建物があり、各トレーナー室はそこにある。
プレストンはトレーナー棟の玄関前に着き見上げる。そして右を向くとオペラオーとドトウが向かってきていた。2人はプレストンが玄関に入ると黙って後についていく。
3人は一切言葉を交わさず黙って歩きチームプレアデスと書かれた標識のある扉の前で止まるとプレストンはノックして許可を得てから入室した。
部屋に入るとトレーナーの驚いた表情が飛び込んでくる。それに構わずオペラオーが厳しい目線を向けながら代表して要件を伝えた。
デジタルの様子がおかしいのを気づいているか?
「何かデジタルさん変じゃなかったですか?」
「ドトウもそう思うかい。ボクもそう思う」
2人はプレストンとデジタルと別れて開口一番で確認した。デジタルとは連絡を取り合っていたが直接を会うのは卒業以来だった。駅前に現れたのはいつもの明るく人懐っこい姿だった。それは古着を物色し演劇を鑑賞した時は変らなかった。
だがダートプライドの話題になり、存分にレースを楽しんでくれと言葉をかけたときだった。
── リベンジできる最高の舞台だよ。絶対に勝つよ。勝って最高の気分を味わうよ
デジタルらしからぬ言葉の連続だった。その一瞬は雰囲気が一変し、まるで人が変わったようだった。
アグネスデジタルはウマ娘をこよなく愛し、独自の価値観で動き予想外の行動を起こすウマ娘だ。そういったパーソナリティを気に入っていた。
だがあの瞬間それらが消え失せ無味無臭のつまらないウマ娘に思えていた。
そのことについてプレストンに尋ねると『お二人もそう感じたんですね。アタシも同感です』と返事が返ってきた。暫く何が変わったのかと検討したがまるで分からず、ならば最も把握しているトレーナーに問い詰めてみようと、オペラオーとドトウは電車を乗り換えトレセン学園に向かっていた。
「デジタルさんがどこかおかしいです。このままだとデジタルさんにとってきっとマズいです。何か知りませんか?」
「アタシも同じです。上手く説明できませんがデジタルはマズい意味で昔と変わってきています。対処しないと取り返しのつかないことになります」
プレストンとドトウは真剣な眼差しでトレーナーを見つめ問いかける。トレーナーは3人に視線を向けると深く息を吐いた。
「デジタルはある種の心の病気に罹っとる。それがプレストン君達が感じとる違和感やおかしさや」
「それは何だい?」
「勝利中毒や」
勝利中毒、初めて聞く言葉だ。それがデジタルの変調にどう関係する。3人が思考しているのをよそに説明を続ける。
「デジタルは連勝は去年の今頃から始まった。日本テレビ盃、南部杯、天皇賞秋、香港カップ、フェブラリーステークスの5連勝。楽しくてたまらんかったやろうな」
この時のデジタルはまさに絶頂期だろう。レースごとに好きなウマ娘を堪能できてレースにも勝つ。
そしてオペラオーとドトウを失ったが、サキーという意中のウマ娘を見つけ、目標に向かって邁進する。それは充実した日々だっただろう。
「そしてドバイワールドカップで2着、クイーンエリザベスで2着。そして南部杯では3着。その結果で無意識でくすぶり続けてきた火種、勝ちたいという欲求が膨れ上がっていった」
「でも勝利を求めるなんて誰でもそうですよ。それが悪いことなんですか?」
プレストンが思わず反論する。この学園にいるウマ娘は誰しもが多かれ少なかれ勝利を目指し望んでいる。それは本能のようなものだ。何が悪いのか全くわからなかった。
「普通なら良いことや。勝ちたいという意志は力を生む。だがデジタルは特殊なウマ娘や。キミ達は知っとるかもしれんが、デジタルは勝つことに対してそこまで執着していない。レースを通してウマ娘を感じ堪能する。それが第一前提だ」
「そうだろうね。でなければトリップ走法なんて奇想天外な事はできない」
オペラオーは代表して答える。トリップ走法が生まれた経緯は知っている。
オペラオーやドトウを離れながらも感じ堪能しようとして考案したものだ。それをできるのはウマ娘を愛し執着するデジタルだけだ。
「デジタルはドバイではサキーに負けて、クイーンエリザベスではプレストン君に負けた。だがレース内容は2人を思う存分堪能しての2着や。存分に堪能できたから満足しとったと思ったが、あいつも人の子やったということか」
トレーナーは悔しそうに呟く。勝利中毒の症状は南部杯前に見られていた。
まずレースに向けて勝つという単語をいつもより口に出していた。それは闘争心の現れであり成長だと思っていた。だが実際は勝利中毒の症状が進行していただけにすぎなかった
そしてセイシンイブキとヒガシノコウテイについて意識がそこまで向かれていなく、サキーのことばかり気にしていた。
1度勝った相手より1回負けた相手の方に興味が向きやすく、リベンジに燃えていると思っていたがそれは普通の人間の尺度だ。自分で約束して日程を決めた相手に注目が向かないわけがない。
さらに2人は帝王賞で惨敗してレースでは堪能できないと興味が薄れていた。以前2人にインタビューをして人となりや背景を知り、いつもなら感情移入して絶対に復活すると信じていただろう。
「でもデジタルのウマ娘愛は筋金入りです。以前だって負けてましたし、いまさら3回負けたぐらいでその勝利中毒になんてなるとは思えません」
プレストンは強く反論する。だが実際はダートプライドの話でデジタルはティズナウと根性勝負を避けると言っていたことを思い出し、トレーナーの説に説得力が帯びていた。
「大敗していたらまだよかったかもしれんが、僅差だったのが悪かった。勝利に近づいた分だけより求めてしまう。そしてオペラオー君ならこの感覚がこの場で誰よりも理解できるやろ」
「ああ、デジタルの気持ちは痛いほど理解できるよ」
オペラオーは悲しげに呟く。年間無敗8走8勝という前人未到の記録を打ち立てたが、勝つことに対する虚しさや敗北に対するプレッシャーはなかった。
勝利とは自身の努力が報われる達成感、大衆に認められる自己肯定感、他人を否定する優越感、様々なものが交じり合う極上の一品だ。それは勝利すればするほど欲してしまう謂わば麻薬のようなものだ。
現にドトウに負けてからGIに勝てなかったが、その間勝利に対する欲求でもがき苦しむほどだった。
デジタルならばそれに抗えると期待していたが、生粋のウマ娘愛すら飲み込んでしまった。
「だとすればマズい、デジタルの強さはその特殊さだ、これではトリップ走法ができなくなる。あれはウマ娘への執着が薄まればできない」
「それだけやない。周囲の環境変化の強さもデジタルの強みやが、あれもウマ娘に対する執着で自分の世界を形成してガードしているだけや。南部杯でブーイングに動揺したが、あれも勝利中毒によるものかもしれん」
「そんなのどうでもいいんです!」
プレストンが声を張り上げ、思わず全員が振り向く。いつも冷静でそこまで感情を露わにすることがないだけに予想外のことだった。
「このままじゃデジタルがやりたいことを忘れて、つまらなくてきっと後悔する選手生活を送ることになっちゃうんですよ!」
勝利より自分の欲望を優先する考え方は理解しがたいが同時に尊敬もしていた。常識に囚われない生き方は羨ましかった。だが今デジタルの生き方が変わろうとしている。
このままでは勝てないどころか、レースにおける最大の楽しみを味わえなくなる。それでは可哀そうすぎる。何より自分のような普通のウマ娘になって欲しくなかった。
「そうです。これだとデジタルさんが可哀そうですし、そんなデジタルさんは見たくないです。何か手は無いのですかプレアデスのトレーナーさん」
ドトウは懇願するように声を出す。だがトレーナーは静かに首を横に振った。
「残念ながら打つ手はない。今のデジタルに初心に戻れと言っても聞く耳もたんやろ。かと言って勝つために初心に戻れと言ってもトリップ走法はできない。デジタル自ら何のために走っていたか思い出すしかない」
「そんな…救いはないのですか…」
ドトウの悲し気な声が部屋に響き、トレーナー達は黙って項垂れていた。