勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン#7

 駅構内から出ると手荒い歓迎のように秋風が吹き、思わず目を細め体をすぼめる。ドバイから来ただけあって寒暖差が激しく体にこたえる。後ろを振り返り『Morioka Station』の文字をまじまじと見つめる。ずいぶん遠くに来たものだと感慨にふけっていた。

 キャサリロはストリートクライと別れた後単身日本に向かった。目的はダートプライドに出走する。ヒガシノコウテイとセイシンフブキとアグネスデジタルをスカウティングするためである。

 ゴドルフィンも分析班が既にスカウティングをおこない出走メンバーを研究していた。本来ならキャサリロが出る幕は無い。

 だが自分にしかできないことがある。それが出来るかは分からないがやらなければ一生対等になれず、風下に立たなければならないと一念発起したのだった。

 キャサリロはリュックサックからノートを取り出しページを捲る。まずは盛岡レース場に向かってトレーニングしているヒガシノコウテイをスカウティングする。目的地までは直通バスが通っているらしく、停留所は東口8番というところらしい。

 案内板の案内図に書かれている英語と図を頼りに悪戦苦闘しながらも停留所に辿り着く、時刻表を見ると後15分で出るらしく、それまでの間秋風に耐えるように体を丸め左手をポケットに入れながら、右手で携帯電話を操作してバスが来るのを待った。

 そして25分経過するがバスは一向に来ない。キャサリロは何度も時刻表を確認するが、確かに10分前にはバスが来ているはずだった。何かしらの理由で遅れているのだろう。キャサリロは重く受け止めず、待ち続ける。だがバスはさらに10分経過しても来なかった。

 

「スミマセン、チョットイイデスカ」

 

 キャサリロは近くを通りかかった60代ぐらいの女性に声をかける。

 最初は出来る限り簡単な英語で尋ねたが理解できなかったようで、携帯の翻訳アプリを使いながら盛岡レース場に行きたいこととバスが来ないので困っていることを身振り手振りを交えながら伝えた。

 60代の女性はキャサリロの言葉を理解したのか手を叩くとレース、トゥデイ、ノーと簡単な単語と手を交差させてバツ印を作り、キャサリロは言葉の意味を理解して肩を落とす。

 

「ワイ、ドゥユウウォントゥゴウ、モリオカレースジョウ?」

 

 すると女性が拙い英語で尋ねてくる。何故盛岡レース場に行きたいのかと聞いているようで、彼女の英語能力に合わせて分かりやすい単語でヒガシノコウテイを見に来たと話す。すると女性は表情が一気に明るくなる。

 

「イエス!ヒガシノコウテイ、チャンピオン!ベリーストロング!OK!ミートゥー、ゴウ、モリオカレースジョウ。マイカーでトゥギャザー!」

 

 女性は身振り手振りを交えて話しかけてくる。どうやら彼女も盛岡レース場まで行くようで、ついでに連れて行ってくれるそうだ。

 キャサリロは逡巡する。いくら日本の治安がいいからと言って知らない人に付いていっていいのか?だが思考が纏まる前に女性が手を取ると強引に連れてかれ車に乗せられた。

 

「ヒガシノコウテイ、グッドレディ!ベリーカインドネス!」

 

 女性は車内で携帯電話を使ってレース映像を流しながらキャサリロに話しかけ続ける。

 日本人はシャイだと聞いていたが、この人は随分とお喋りのようだ。そしてヒガシノコウテイは随分と好かれているようで、言葉と話す時の表情と雰囲気で充分伝わってくる。

 そして流れている映像は最近行われた南部杯のようだ。レースはヒガシノコウテイが勝ち、強い勝ち方だったが、特筆すべきはアグネスデジタルとセイシンフブキにブーイングが飛んでいたということだ。日本ではブーイング文化は無く色々と物議を呼んだようだが、随分と甘っちょろいようだ。

 ストリートクライはBCマラソンでそれ以上のブーイングを浴び、放送禁止用語を交えた罵倒を浴びた。それでもレースでは完勝し、一方アグネスデジタルとセイシンフブキは負けた。日本のウマ娘はメンタルが弱いと評価を下していた。

 そうしているうちに盛岡レース場に着いたようで車を降りて場内に向かう。

 そこでも女性が案内してくれて、トレーニングが見やすい場所に案内してくれた。盛岡ではトレーニングも一般開放しているようで、女性のような一般人でも見学が可能になっている。

 しかしヒガシノコウテイやセイシンフブキが所属している団体はアグネスデジタルが所属している中央という主流の団体とは違い資金力が乏しいようだ。

 中央にはゴドルフィンには劣るが充実した設備があり、ポリトラックやウッドチップや坂路コースが有るがここにはダートコースしかない。

 こんな劣悪な環境では碌な人材が集まらず、来たとしても才能が錆びついてしまう。

 現にコースを走っているウマ娘達は見ただけで低レベルだと分かる。現役時代では碌に活躍できなかった自分にすら勝てないだろう。

 キャサリロはヒガシノコウテイが出てくるまで岩手のウマ娘のトレーニングを見学しているがやたら目線があう。

 外国のウマ娘が珍しいのかと思ったがそうではなく、隣の女性を見たついでに存在に気付いているようだ。岩手のウマ娘はおばちゃんと手を振りながら声をかけたりしている。

 他にも何人かのギャラリーに声をかけたりしている。どういう関係なのかと推測しているとその目線で気づいたようで拙い英語で説明する。

 

「ウィー ジョブ リタイア アンド フリーマン。アイ ウォッチ イワテウマムスメ トレーニング ロング タイム。アイム フェイマス。」

 

 キャサリロは単語を聞き取り、意味を推理する。どうやらこの女性は岩手のウマ娘のトレーニングをずっと見ているようで、そのうちに岩手のウマ娘達も存在を知っているようだ。

 それで長く見ているのは仕事を定年で辞めた。または仕事が無い暇人だから来られるといったところか、女性の外見を見るに仕事を定年退職していてもおかしくない。

 さらに反応を見る限り好感を持たれているようだ。暫くトレーニングを眺めていると女性が質問してくる。

 

「モリオカレースジョウ ナイスプレイス?」

「YES」

 

 キャサリロは僅かな間を作ってから答える。岩手のウマ娘達は皆楽しそうで、トレーニング中でもいい意味で笑いが絶えていない。

 ゴドルフィンに居た時の最初は希望ある未来が有ると信じて笑っていたが、負け続けると何とか勝たないと切羽詰まって笑わなくなっていた。正直現役時代は良い思い出がない。だがここに居たなら弱くても楽しかったのかもしれない。

 しかしここにはストリートクライは居ない。ゴドルフィンで一緒になり上がろうと過ごした日々は何物にも代えがたかった。実力差とすれ違いによって道は違えたが今はこうして一緒に過ごし、2人で見た夢の続きを見られている。

 感傷にふけっているうちにコースにヒガシノコウテイの姿が現れる。即座にリュックからビデオカメラを取り出し録画ボタンを押そうとするが思わず手が止まる。

 ヒガシノコウテイの隣にいる茶髪のベリーショートのウマ娘、あれはセイシンフブキだ。何故船橋所属のウマ娘がここにいる?思わず女性に尋ねる。

 

「シー スタディ アブロード」

 

 女性は携帯電話を操作した後に喋る。留学か、同じレースに走る相手と一緒にトレーニングするなんて相手に手の内を明かすことになるのではないか、いや逆に相手の手の内を調べようとしているのか?

 だがキャサリロにとっては好都合だった。これでわざわざ船橋に行かなくて済む。ヒガシノコウテイは女性に向かって一礼し、セイシンフブキはちらりと一瞥してからジョギングし始めた。

 トレーニングメニューはジョギングで体を温めてから、ずっとコースを走り続けていた。

 どのようなトレーニングをしているか興味が有ったが、工夫もなく練習強度もごく普通と言った内容だった。本当に勝つ気があるのか?

 だが気になるところがあるとすれば、セイシンフブキがヒガシノコウテイに向かって何度も叱責していることだ。

 ジョギングでも走りながら何かを話しかけ、トレーニングでも一本走るごとに話し続けている。まるでコーチと教え子のようだった。

 しかし何故ヒガシノコウテイが怒られているのかまるで分からなかった。ヒガシノコウテイの走りを見る限り悪い点は何もなかった。

 インターバルを挟んで2時間程度走るとトレーニングを終えて、コースから引き上げていく。キャサリロも引き上げようと席から立とうとすると女性が声をかけてくる。

 

「レッツ、スピーキング、ヒガシノコウテイ」

 

 そう言うと女性は半ば強引にキャサリロを連れていく。成すがままに連れていかれるとそこは駐車場でバスが停留し、岩手のウマ娘達が乗り込んでいる。このバスで此処に来たようだ。

 岩手のウマ娘はスタンド見ていたギャラリーと話したり、マスコミの質問に答えたりしていた。すると女性はヒガシノコウテイの元に真っすぐ向かって行き、ヒガシノコウテイも存在に気づく。

 

「今日もお疲れさまコウテイちゃん。フブキちゃんも今日もよくアドバイスしてたわね」

 

 女性は2人にフランクに話しかける。セイシンフブキはその馴れ馴れしさに戸惑い、ヒガシノコウテイは柔和な表情を浮かべながら対応する。

 

「こんにちは徳さん。今日も来てくれてありがとうございます」

「いいのよコウテイちゃん。それより今日偶然盛岡駅で出会ったの。どうやらコウテイちゃんのファンみたいで、わざわざアイルランドから来たのよ!えっと ワット ユア ネーム?」

「キャサリロ」

 

 キャサリロは咄嗟に名乗る。2人の会話は理解できていないが、ファンとアイルランドという単語から、どうやら自分はヒガシノコウテイのファンでアイルランドから来たということになっていることを理解した。

 

『お会いできて光栄です。ヒガシノコウテイです』

 

 ヒガシノコウテイは徳さんと呼ばれる女性より流ちょうな英語で話しながら手を差し伸ばし、キャサリロも手を握り返す。柔らかい雰囲気でファンサービスをおこなう。その姿はどことなくサキーの姿と重なっていた。

 

『どこで私のことを知ったのですか?』

『ネットの動画で、地方という弱い立場から強い中央を倒すのに感動しました』

 

 キャサリロは予め調べた情報からそれらしい理由を言う。その言葉にヒガシノコウテイの口角が僅かに上がる。

 

『トレーニングを見て岩手をどう思いました?』

『良い場所です。皆が笑顔で素敵だと思いました』

 

 その言葉にヒガシノコウテイは嬉しそうに微笑む。自分が褒められるより所属している場所を褒められることを喜んでいる。これだけでヒガシノコウテイという人間の一端が垣間見えた。

 

『貴方はどうして強いのですか?中央に居るウマ娘のほうが強いはずです』

 

 キャサリロは思わず尋ねる。これは純粋な疑問だった。トレーニングを見ただけでもヒガシノコウテイが身を置く環境が中央に劣っているのは分かった。

 施設もない他のウマ娘も弱い。何故ゴドルフィンという最高の環境に居た自分より明らかに強い。仮に資質が上だったらより良い環境に行けばいい。理屈が合わない。

 

『私は地方を愛しています。だからです』

 

 ヒガシノコウテイは即答する。その言葉はキャサリロにとって全く説明になっていなかった。すると黙って聞いていたセイシンフブキが不機嫌そうに急に話しかける。

 だが全てが日本語で全く理解できていなかった。するとヒガシノコウテイが自信なさげに通訳する。

 

『中央に居るから強いのではない。ダートに全てを捧げダートを理解したダートプロフェッショナルだから強いのだ』 

 

 キャサリロは首を傾げる。ダートプロフェッショナルが強いのと、中央に行かないのは関連性が見いだせない。仮にダートに全てを捧げた者が2人居たら設備や人材が充実している中央でトレーニングしたほうがいいのではないか?

 そのことを伝えるとセイシンフブキはキャサリロに語気を荒げながら喋りかけ、ヒガシノコウテイが宥めながら頭を下げる。雰囲気を察したキャサリロと徳さんはその場から去っていった。

 

───

 

 セイシンフブキは深呼吸をしながら集中力を高め、バーベルを握り一気に持ち上げる。ベンチプレス、代表的な筋力トレーニングの1つである。バーベルは天井に向かうように上がっていくが徐々に勢いがなくなっていく。

 

「どうしたセイシンフブキ君!それじゃあヒガシノコウテイ君やダートプライドに勝てないよ!」

 

 隣で補助をしているインストラクターから檄が飛ぶ。それを起爆剤にするように力を振り絞り一気に持ち上げる。それを見てインストラクターは褒めながらバーベルを支えラックに誘導する。

 セイシンフブキとヒガシノコウテイは盛岡レース場でのトレーニングが終わった後トレーニングジムに向かい、フィジカル強化を行っていた。

 このジムは岩手ウマ娘協会と提携し、所属のウマ娘達もトレーニングをしている。そしてセイシンフブキもヒガシノコウテイに技術を教える見返りとして、このジムでトレーニングをしている。

 ヒガシノコウテイが学んだ知識や技術を基にインストラクターが組んだプログラム、フィジカル強化については専門外だが、我流でやっていたトレーニングより明らかに質が高かった。

 セイシンフブキは同じようにベンチプレスを行うヒガシノコウテイを横目に見る。

 自分より重い重量を持ち上げている。プログラムのメニューをこなしているが、全ての種目においてヒガシノコウテイの数値が高かった。

 日々のトレーニングでは技術習得に重きを置きフィジカル強化をしていなかったのである意味妥当なのだが、同じような環境で育ったウマ娘に負けるのは悔しかった。

 トレーニングはインターバルとなり、セイシンフブキとヒガシノコウテイは隣に座り休憩する。

 

「ヒガシノコウテイさんは英語できるんっすか?」

「ええ、ペラペラではないですが、授業で教わったことは話せます」

 

 セイシンフブキは何気なく話しかける。一昔前まではお互いの主張を認められず2人の関係は良好では無かった。今はお互いを認め合いあい態度を軟化させていた。

 

「そういえばダートプライドの方はどうなってるんっすか?そっちの広報が色々動いているって聞いてるけど」

「ええ、広報の吉田さんが色々動いてくれているようで、まずダートプライドの同日に地方の全てのレース場でレースを行うように調整して、メインレースでは新設の地方重賞をするそうです。さらに各地方協会ごとにイベントを行って人を集めるように呼び掛けているみたいです。」

「イベントって前の南部杯みたいにっすか」

「はい。様々なイベントをして、レースに興味がない人を呼ぶのが狙いみたいですね。今も吉田さんが音頭を取って各方面に交渉中みたいです」

「色々やってるっすね」

 

 セイシンフブキは感心そうに呟く。アジュディミツオーに南部杯では様々なイベントをして、客入りも地元の船橋で行ったGIかしわ記念より多かったと聞いていた。

 

「そして新設の地方重賞の後にダートプライドの映像を各レース場のオーロラビジョンで流すそうです」

「パブリックビューイング的なあれですか」

「はい。勝って皆さんを喜ばせてあげたいですね」

 

 ヒガシノコウテイはしみじみと答える。幼い頃サッカーの日本代表がワールドカップに初出場した時に近くの食堂で皆が集まり一緒に見たことを思い出す。

 サッカーには興味が無かったが友人に連れてかれて見たが、試合に勝利した時の喜びようと高揚感は今でも覚えている。

 それは一種の祭りのようだった。自分が勝てばその時と同じような歓喜を観客に体験させられ、レースに興味を持たせることができる。

 

「あとオフレコですが、テレ夕でダートプライドを生放送で流すみたいです」

「マジっすか?民放のゴールデンじゃないっすか。それもその吉田さんが?」

「みたいですよ」

「敏腕じゃないですか」

「テレビ業界でも色々あるみたいです。それでテレビ局とこちらにとっても利益があるということで、やるみたいです」

 

 セイシンフブキは感嘆の声を上げる。国民的エンターテイメントにまで成長したトゥインクルレースだが、地上波で放送している局は国営放送とテレビ夕日とテレビ東都の3局のみである。

 これは発足当時に中央ウマ娘協会とこの民放2社と国営放送が独占契約を交わした影響である。

 放送すれば高視聴率を出すトゥインクルレースはまさにドル箱であり、他の民放局も何として参入したいと考えていた。

 一時期は地方を放送しようと考えていたが中央と比べると人気が無いので、他の放送局は特に参入せずテレビ夕日もその1つだった。

 そんなおり広報の吉田はコネを最大限に駆使してダートプライドを売り込んだ。そしてテレビ夕日の上層部が興味を示す。

 レースが開催されるまでの過程がエンターテイメント性が富み、参戦メンバーも世界的な視点で見ればWDTより豪華と言える。この面を押し出せば高視聴率を狙えると踏んでいた。

 

「まあ、注目されることは悪いことじゃない。注目される分だけ勝てばダートの価値が上がる」

「ええ、そして地方の価値が上がります。そのためにトレーニングに励みましょう」

「そうっすね」

 

 2人は話を切り上げると立ち上がり、トレーナーの元に向かった。

 

───

 

「しかし、あの外人はまるで分かってねえ。ダートが強いのに中央かどうかは関係ねえんだよ」

 

 2人はウォームアップのランニングをしながら会話する。今日もキャサリロはスタンドから双眼鏡を使いながら真剣に2人を眺めていた。それを確認したヒガシノコウテイは思い出したかのように不満を漏らす。

 

「そうですね」

 

 ヒガシノコウテイはしっかりした声色で相槌を打つ。常識的に考えれば環境が良い中央でトレーニングしたほうが強くなれる。

 だがメイセイオペラやアブクマポーロのように中央を打ち負かすウマ娘も出てくる。世間一般は突然変異の一言で片づけるだろうが、そうではないと考えていた。

 ヒガシノコウテイとメイセイオペラは地方の為にという強い愛着で強くなった。そしてセイシンフブキは別の要素で強くなった。

 

 セイシンフブキがよく口にするダートプロフェッショナルという言葉、一緒にトレーニングをすることで徐々にその言葉の意味が分かってきた。

 フィジカルは自分より劣り、中央のGIウマ娘より劣っているかもしれない。だがそれらの相手に対等に渡り合っている。それは技術の高さ、セイシンフブキの言う正しいダートの走り方を習得しているからだろう。

 コースでのトレーニングでセイシンフブキからアドバイスを受けてきた。その言動は荒々しいがアドバイスは的確で、時には深すぎて意味を理解できないこともある。

 ヒガシノコウテイもダートを主戦場とし、ダートについては分かっているつもりだったが、比べるとダートへの理解が浅いことを理解した。

 これがダートに全てを捧げた者の領域、以前この領域にはたどり着けないと言われ怒りを覚えたがあながち間違ってはいなかったのかもしれない。アドバイスが無ければダートプロフェッショナルという領域に踏み入れることができなかった。

 ヒガシノコウテイにも領域に踏み入れたことでダートプロフェッショナルであるという誇りが徐々に芽生えていた。

 そして理由は分からないがセイシンフブキがこの領域に辿り着けたのは地方に在籍していることと無関係ではないと考えていた。

 

 中央は全てが与えられる。充実した設備、難関試験を突破した優秀なトレーナー、レースを走る者にとっては最高の環境だ。

 一方地方は設備が乏しく、トレーナーも給与が高い中央に人が集まるのでレベルも低い。そしてそこに集まるのは中央の試験に弾かれ、劣っている者である。

 地方は何も与えられない環境である言っていい、そして地方はウマ娘達に劣等感、怒り、嫉妬、屈辱と呼ばれる負の感情を与える。大半のウマ娘は負の感情に耐えられず自身を悲観し諦念する。だが一部の者は負の感情を反骨心に変える。

 貪欲に強さを得ようとするハングリー精神、その反骨心を作る土壌が地方には有る。そしてメイセイオペラもヒガシノコウテイも尊敬するトウケイニセイが中央に負かされた怒り、岩手のタイトルを取られ続ける屈辱、それらの負の感情を力に変えていた。

 

「そこは盛岡なら5センチ歩幅を広げろ」

 

 セイシンフブキは淡々と指示を送り、ヒガシノコウテイは黙って頷き指示に従う。修正箇所を見つけるごとに指示を送り続ける。纏わりつく緊迫感に他のウマ娘達は2人から距離を離してトレーニングしている。

 セイシンフブキは並走しながら様子を確認する。他の者から見れば指示は嫌がらせのいちゃもんに聞こえるだろう。だが本人としては真っ当な指示を出していた。

 ヒガシノコウテイの走りは一般的に見れば充分に完成している、だがセイシンフブキから見ればダートプロフェッショナルという山の5合目に入っているに過ぎない。それほどまでにダートは高く深い。

 2人でトレーニングを始めたが指示は一向に減らない。だがこれは欠点を修正できていなのではなく、指摘された欠点はしっかりと修正している。これはセイシンフブキがより細かく指摘しているからである。

 他のダートウマ娘ならここまで細かい欠点を指摘しても修正できないが、ヒガシノコウテイほどにダートを理解しているなら修正できると分かっているからである。

 ダートプロフェッショナルの端くれとして一目置いていたが、ここまでとは思っていなかった。これなら本番までに高いレベルまで理解できるだろう。

 そして走りを確認しながら肉体を確認する。バランスよく鍛えられた肉体だ。フィジカルは明らかに上だ。

 このフィジカルにダートへの理解度が加わる。自分は敵に塩を送りすぎたのではという危惧が頭に過る。だがそれをすぐに打ち消した。

 こちらもフィジカルは向上している。何よりダートへの探求に底は無い。相手がが理解した分、こちらもまたダートを理解する。

 その差は縮まらない、いやダートへの情熱が上の分差が開いていく。ならば問題ない、勝つのは自分だ。

 

「そこのカーブは2°体を左に傾けろ」

 

 指示を出しながら思考を続ける。ダートレースに勝つためには中央か否かではなく、どれだけダートを理解したプロフェッショナルであるかどうかが重要である。今ではフィジカルなどの他の要素を鍛えているが、考えの根幹は変っていなかった。

 セイシンフブキはキャサリロにダートプロフェッショナルに中央や地方は関係ないと言ったが、少しだけ考えを改めていた。地方のほうがダートプロフェッショナルを育てやすい環境にある。

 中央には多くの選択肢がある。トレーニングでも充実した設備を駆使したフィジカル強化、コースも坂路、芝、ウッドチップ、ポリトラックなど多種にわたる。レースもダートだけではなく芝を走るという選択肢もある。

 一方地方には選択肢が無い。ジムの設備も質が悪く、トレーニングもレース場のダートコースを走るしかない。その選択の無さがダートに深化させる。   

 選択肢がないから没頭し道を究められ強くなれる、逆転の発想だ。地方に行ったのは芝至上主義に嫌悪したからだが、無意識にこの要素を感じ取ったのかもしれない。

 ダートプライドに勝つために貪欲に強さを求め、ヒガシノコウテイの地方の為に走る強さに着目していたが未だに理解できていなかった。

 しかし今なら少しだけ理解できていた。地方の為ではない、地方というダートプロフェッショナルを育む文化のために走る。

 今後も自分と同じように考え、中央では無く地方に身を投じる者がいるかもしれない。だが結果が出ていなければ考えを改めるだろう。

 その者のために間違っていないと証明する。これがセイシンフブキの地方の為という理由であるという考えに至っていた。

 

 ヒガシノコウテイとセイシンフブキは互いの主張を理解し感化され、それらを力に変える術を身に着けつつあった。

 


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