勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン#8

 キャサリロはアグネスデジタルに促されてベンチに座る。そこはコースに程近く、トレーニングをするウマ娘をよく見られるベストスポットと呼べる一帯だった。

 周囲のベンチには別のチームのトレーナーが険しい視線をコースに向けながらも、訝しむように2人をチラチラと向ける。

 キャサリロはウマ娘なのにトレセン学園の制服もジャージを着ておらず、普通のマスコミが居るより不自然であり、その相手とデジタルが会話を交わしていることが気になっていた。

 

『なにか欲しいものある?』

『いや、特には』

『分かった。何か必要だったら言ってね。じゃあね』

 

 アグネスデジタルは気さくに言葉を交わすとコースに戻っていく。余りに事が順調に進んでいることに拍子抜けしていた。

 

 キャサリロは日本に向かう前にスカウティングの件について悩んでいた。岩手でのスカウティングは難なく行えるだろうが、問題は日本の総本山である中央トレセン学園だ。

 そこは岩手と比べても遥かにガードが固く、ゴドルフィンスタッフですらスカウティングができなかった。そんな場所に行っても門前払いである。

 やるとしたら学園に忍び込んで隠し撮りをするという方法があるが、これは不法侵入と盗撮で立派な犯罪行為だ。

 もし見つかれば個人の問題では済まされず、ゴドルフィン全体の問題に発展する。ゴドルフィンはともかくストリートクライに影響が及ぶ可能性があり避けたかった。

 個人の力ではどうやってもスカウティングが出来ない。そこで藁をも縋る想いで頼ったのがサキーだった。

 サキーは全てのウマ娘と関係者の幸福を願い、特に身内に対しては親身になって相談にのり対応してくれる。何よりアグネスデジタルとは友人だ、その交友関係を利用して何かしら出来る可能性がある。

 サキーはキャサリロの相談に快く応じアグネスデジタルに連絡を取った。軽く世間話をした後にキャサリロがデジタルをスカウティングしたいのだが、トレセン学園に入れないので何とかならないかと一切オブラートに包まず相談した。

 キャサリロはそのド直球さに思わずに睨みつけてしまう。だがサキーは大丈夫だとジェスチャーをしながら会話を続け相槌を数回打って電話を切って伝える。

 トレセン学園に行く日時を伝えてくれれば、アグネスデジタルの方で手続きをしてくれるそうだ。

 キャサリロは思わず声を出す。頼んでおいて言うのは何だが、敵が偵察に行きますよと言って了承するだなんて、ストリートクライの事を舐めているのか。

 サキーは心中に気づいたのか、クスクスと笑いながら言う。困っているウマ娘がいれば助ける。それがアグネスデジタルというウマ娘だと。

 それから日本を発ち盛岡でのスカウティングが終わり、トレセン学園に行く日時をサキー経由で伝え、トレセン学園に向かい堂々と敷地内に入っていった。

 

 キャサリロは思う存分スカウティングした。走る姿を水平視点や俯瞰視点、上下前後左右ありとあらゆる角度から撮影する。これほどまでの詳細で映像記録はゴドルフィンのスカウティング部門で撮れていない。

 そして何本目かの追切りが始まる。坂路6ロンで5バ身前にウマ娘を置いておいてスタートする。残り2ハロンで追いつき、1ハロンで2バ身の差をつけた。

 今までの走りとは明らかにキレが違っていた。顔がにやけ恍惚とした表情を浮かべていた。デジタルはトリップ走法を使い、それはゴドルフィンではラフィング走法と呼ばれていた。

 それからデジタルはトレーナー元に駆け寄るとPC画面を見ながら何か話し込み、暫くすると他のウマ娘達がトレーニングしているなか、1人だけコースから離れてクールダウンを始める。キャサリロはその間に録画した映像をチェックする。

 

「おまたせ、じゃあ行こうかキャサリロちゃん」

 

 20分後にデジタルはキャサリロの元に来ると先導して歩き始める。

 暫く歩き誰も居ない夕暮れの教室に向かい、キャサリロを座席に座らせると近くにある机をくっつけて対面に座り、机の真ん中にレコーダーを置きスイッチを押した。

 

「さあ、ストリートクライちゃんの話しを聞かせて」

 

 デジタルはトレーニングを見せる手筈を整える条件としてあるお願いをした。それはキャサリロにストリートクライの話を聞かせてもらうことだ。

 以前にもトリップ走法の強化の為に船橋と盛岡に赴いて、ヒガシノコウテイとセイシンフブキに話を聞いたことがあった。

 今回もストリートクライについて知りたいと思っていたが、流石にドバイまでは話を聞けないと諦めていたところにサキーから依頼が有り、渡りに船と交換条件を提示し了承した。

 キャサリロはストリートクライについて話し始めた。最初は好きな食べ物や趣味などある程度調べれば知れる情報から話し始めたが、そこから発展するエピソードは当事者同士でしか知り得ないものだった。

 

 それから過去のエピソードを話す。小学校のころ遅刻して怒られたなど些細なエピソードも多かったが、デジタルにとっては非常に満足できるものだった。

 デジタルはウマ娘のパーソナルな情報を求める。レースについては一切聞かず、そういった情報を知ることでより愛着が湧き、深く知ることができると考えている。

 キャサリロはヒガシノコウテイやセイシンフブキと違い、お喋りなせいか話題を提供しなくても自分から話してくれるので、聞き役に徹して目を輝かせながら話を楽しんだ。

 

「よし、ここまで。ありがとうキャサリロちゃん。話を聞けて楽しかった」

 

 レコーダーを切るり息を吐くと、キャサリロも喋り疲れたのか深く息を吐いた。もっと話を聞きたかったのだが、この後に予定が有るのでもっと話が聞きたいと後ろ髪を引かれながら席を立つ。それを見てキャサリロが話しかける。

 

「まだ話のストックは有りますが」

「そうなの?でも話を聞きたいけど明日ぐらいには帰るんでしょう」

「アグネスデジタルさんが聞きたければ帰国を延期できますが?」

「そうなの!?じゃあ話が尽きるまで聞いちゃおうかな?」

「アグネスデジタルさんが望むなら」

 

 デジタルは冗談ぽく言うとキャサリロは人当たりが良い笑顔を浮かべた。

 今日は貴重なデータを撮れたが、データは有れば有るほど良い。名残惜しそうにしているのを察知し、すかさず交渉に及んでいた。

 それから教室を出るとキャサリロを正門迄送り学園内に戻っていった。

 

 トレセン学園では日が落ちても照明が点灯し、一部のコース以外ではトレーニングが日中と同じように可能である。

 日中に比べると人は少ないがそれでも何人かのウマ娘達がトレーニングをしていた。そしてその中にデジタルとエイシンプレストンも居り、一緒にウォームアップをしていた。

 

「どうやった?」

「いや~良い話を聞けたよ。ストリートクライちゃんが益々好きになっちゃったよ。しかもまだ話のストックが有るからって、明日も話してくれるんだよ」

 

 トレーナーの問いにデジタルは満面の笑みで答える。思わぬおかわりが貰えて嬉しいと言ったところか、正直なところ好ましい展開では無く、相手に与えるデータは少なければ少ないほど良い。

 本当ならこの提案すら拒否したいところだが、優先するのはモチベーションであるので渋々了承した。

 

「じゃあ気分良いところで2部練習始めるか、ほれ」

 

 トレーナーはデジタルにハチマキを渡すとデジタルの走りを記録する為にスタンドに向かった。それを受け取り、ダートコースに入るとハチマキを額では無く目を隠すように巻いた。

 

「じゃあプレちゃん何か有ったらよろしく」

「はいはい」

 

 デジタルはそのままジョギングを始めプレストンは併走する。

 他のウマ娘達がデジタルを抜き去っていくなか、自分のペースを守ってゴール板を通過する。そして近くに置いておいたノートPCを開き映像データを再生する。

 画面には走っているデジタルとモデリングされた人型が重なり合って走っている映像が映っていた。

 

「う~ん、相変わらずバラバラだ」

「でも少しずつ合ってきてるよ、腕をもう少し振ったほうがいいんじゃない」

 

 デジタルとプレストンは映像を見ながら話し合う。人型の立体映像はトレーナーが研究して導き出したデジタルの理想的なフォームである。

 その映像と限りなく走れるようにするのがこの練習の目的であり、トリップ走法の強化に必要なことだった。

 

 レースに出るウマ娘達は力を出来る限りロスすることなく伝えられるランニングフォームを作っていく。

 人は全力を出せば出すほど精密な動作が出来なくなり、理想的なフォームが崩れていく。そして長年かけて全力で走っても崩れないフォームを構築していく。

 トリップ走法は脳のストッパーを外して余力を全て出し尽くす走りであり、出力が上がることで結果的に通常時より速くなる。だが精密な動作が出来ず、通常時より力をロスしている。

 もしトリップ走法を使いながら理想的なフォームで走る事ができれば更に速くなる。それがデジタルの伸びしろである。

 

 トレーナーはトリップ走法の改良に着手する。全力で走りながらウマ娘のイメージを作り上げることは脳を酷使している。例えるならPCの容量を大量に使うアプリのようなものだ。その状態でフォームに気を使う脳の容量はない。

 ならば容量を限りなく小さく、無意識でも出来るように体にしみ込ませる。そのためのトレーニングの一環として目隠しでのジョギングである。

 人間は自身が思っているように正確に体を動かせてはいない。そのズレは視覚を遮断する事でより顕著になる。

 自分の全体像は見えなくとも、無意識ながら視野に入る腕の振りや上がった太腿を見ることで体の動きを修正している。

 作り出した理想のフォームと目を隠した状態で、走ったフォームと照らし合わせて修正する。それを続けることで体を精密に動かせる身体操作能力を養う。

 このトレーニング方法はまだ検証もしていない仮説に過ぎず効果が有るかどうかは分からず、それどころか通常時のフォームが崩れ逆効果になる可能性がある。

 そのことをデジタルに伝えたが二つ返事でトレーニングを実施すると言う。それを見てトレーナーも覚悟を決めた。

 

「じゃあ次はアタシの番、ハチマキ貸して」

「はい」

「じゃあ、スタート」

 

 2人はスタート地点に戻るとプレストンがハチマキで目隠しをして走り始め、デジタルが併走する。

 目隠しをした状態で走れば蛇行し、他のウマ娘が寄れるなどして接触して事故が起こる可能性が有る。それを防ぐ為に併走して事故を防ぐようにしている。

 トレーナーはこのトレーニングにおいてプレストンをコーチの役割として誘った。

 トリップ走法の改良の一環でデジタルにトリップ走法のようにリミッターを外す走りをしているウマ娘が居ないかと訊いた際に、香港クイーンエリザベスの時のプレストンがそうだったと答えた。

 そして映像を見ると有るポイントに注目した。プレストンのフォームが最後まで乱れていない。その言葉が本当ならプレストンはリミッターを外していた。

 流石にデジタルほどリミッターを外せていないだろうが、それでも比べると遥かに乱れていなかった。

 以前からプレストンのランニングフォームの精密さを評価し、ある意味デジタルの進化系であると考えていた。そのプレストンとトレーニングすればより成長できるかも知れないと考え、プレストンとトレーナーを説得して参加してもらった。

 トレーナーの予想通り、このトレーニングにおけるプレストンの熟練度はデジタルを上回っていた。

 デジタルはランニングでも通常時のフォームで走れていないが、プレストンは7割ほどの力なら目隠しでも通常時と同じフォームで走れる。恐らく体を精密に動かす身体操作能力が抜群に高いのだろう。

 デジタル達は目隠し状態で数回ほど走ってトレーニングを終える。始めた当初は数をこなしていたが、それだと集中力が散漫になり効果が薄いということが分かり、回数を絞っていた。

 

「お~い、そろそろレース始まるぞ」

 

 トレーナーはスタンドからコースに降りて雑談しているデジタル達に声をかける。3人はトレーナーの元に駆け寄りPCの画面を見つめる。

 画面にはレース場と各ウマ娘達がゲート入りしている姿が映り、実況は英語で喋っている。これはアメリカで行われているダート2000メートルGIクラークハンデである。

 本来ならばクラークハンデはダート1800メートルであった。

 だがティズナウがダートプライドの為の復帰戦として出走すると表明すると、レースを運営しているケンタッキーウマ娘協会が距離を2000メートルに変更すると発表していた。これは少しでもダートプライドと同じような条件にしようという運営側の配慮だった。

 アメリカはそれぞれの州にある組織が運営をして、日本と比べれば多少の融通は利くのだが、1人のウマ娘の為にレースの条件を変えるということはそうそう無い。

 だがティズナウというウマ娘というカリスマとゴドルフィンに勝利してもらいたいという想いからそうさせた。

 そして画面では出走ウマ娘の1人の蹄鉄が外れるトラブルが発生したようで打ち直しており、発走が遅れていた

 

「はい、発走までいつものやるよ」

「え?今やるの」

「時間を無駄にしない」

 

 デジタルは目を瞑ると腕を目一杯広げて、ゆっくりと閉じて手を合わせる。右手と左手はぴったりと合わず、数センチ指同士がズレていた。その動作を何回も繰り返し、プレストンは正面に移動して眺める。

 

「ダメだ。ズレまくりだよ」

「まあ、最初よりマシになったんじゃない。最初は手を合わせるとズレすぎて、指と指の間に挟まってたし」

「何でプレちゃんできるの?」

「日々の努力と才能かな」

 

 プレストンはおどけるように言いながら、目を瞑りより速く同じ動作を繰り返す。指同士は数ミリの誤差もなくピッタリと合わさっていた。

 これはプレストンから教わった身体操作能力向上トレーニングの1つである。視覚を断った状態でイメージ通り体を動かす。今やっているトレーニングも目的と同じである。

 手を合わせるスピードが速ければ速いほど難易度が上がる。これだけでプレストンの身体操作能力が高い事が分かる。

 さらに腕を広げ人差し指だけ立てながら閉じる。左右の人差し指はぴったり合う。これはデジタルがやっている動作よりさらに難易度が高い。

 トレーナーはその様子を見て感心する。実際にやってみたが中々指がピッタリと合わさる事はない。それを苦も無くやっている。

 このトレーニングはプレストンが習っている武術の指導者が考案したらしい。このトレーニングを行えば身体操作能力は上がるだろう。改めて他のジャンルから何かを取り入れる重要性を実感していた。

 

「しかしGIでハンデ戦ていうのも面白いですね」

 

 プレストンは画面を見ながら率直に口に出す。ハンデ戦とはハンディキャップ競争の略称であり、そのレースに出走するウマ娘のなかで実績が優れていると判断されたウマ娘に斤量を課す。

 そうすることで能力が均等化され勝敗が読みづらくなり、興行としてのエンターテイメント性が上がる。日本にもGⅡやGⅢではハンデ戦のレースは有るがGIでは無い。

 

「そして凄い熱気、ブリーダーズカップ並」

 

 プレストンは画面に映る満員の観客席を見て思わず呟く。普通のハンデGIではここまで人が集まることはない。全てはティズナウの影響か。

 故郷のアメリカに帰った際にティズナウの人気ぶりは聞き、その人気は歴代最高という声も上がっていたが、この客入りを見れば納得である。

 実際昨年の数倍の観客が入場している。レースは興行でも有り、ティズナウが出走するとしないでは入場者数やグッズの売り上げなど収益が文字通り桁外れに違う。レースの距離を変えたのは出走してもらうためには少しでも好条件にしようという目論見もあった。

 

「でも他のウマ娘達はギラギラしてる」

 

 ティズナウは謂わば稀代のアイドルウマ娘だ。そのウマ娘と一緒に走ることになれば競技者ではなく、ファン目線になっても責めることはできない。だが憧れの感情は一切見られず全力で勝ちにいこうとしている目をしている。

 それには理由があった。ティズナウがクリークハンデに出走すると発表した際にある言葉を告げる。

 

───レースに出走するウマ娘達に頼みがある。レースに出る際は憧れなどの感情を一切捨て、全力で勝ちに行って欲しい。

 憎きゴドルフィンのウマ娘達に勝つためにはよりタフなレースをする必要がある。それにはキミ達の力が必要だ。全力で勝ちいく走りは100の応援の言葉より心に響くだろう。

 

 それは明らかに上から目線の言葉だった。絶対に勝つという前提で話し、他のウマ娘を練習相手としか考えていない。まさに唯我独尊、普通なら顰蹙を買うはずなのだがそうではなかった。

 BCクラシックというタイトルは他国のウマ娘が考えている以上に重いものであり、それを他国のウマ娘から守り抜いた功績は大きい。

 さらに去年のBCクラシックは走りもそうだが、アメリカが暗く沈んでいるなか、アメリカから敵視されているUAEに本拠地を持つゴドルフィンのウマ娘が来襲し、それを退ける。

 まるで神が書いたようなシナリオである。その1戦だけで伝説になるには充分であり、現役のウマ娘の多くが憧れを抱いていた。

 その憧れから全力で挑んで欲しい、そのほうが応援の言葉より嬉しいと言われたのだ。憧れを持っている者ほどやる気を漲らせた。

 

 レースは熾烈を極めた。ティズナウは逃げウマ娘であり、スタートからハナを主張し逃げを打つ。レースを走るウマ娘達には選択肢が2つあった。ティズナウに着いていくが控えるか。

 

 ペースに付いていけば逃げ先行グループが潰され、差しや追い込みのウマ娘達が有利になる。所謂前総崩れになりやすい。

 だが勝つにはティズナウを楽に逃げさせず常にプレッシャーを与え続けるしかない。だが力尽きれば待っているのは惨敗である。

 そして控えれば勝つ可能性は限り低くなるが、他のウマ娘達が潰れていくので2着になれる可能性が高まる。

 普段であればウイニングライブ圏内や掲示板圏内を狙う、着狙いを目論むウマ娘達も居ただろう。だがティズナウの言葉を聞いて全てのウマ娘達が勝ちを狙いに行った。

 レースは追い込みや差しが無い全員逃げ、ティズナウに着いていけなくなった者から脱落していくサバイバルレースと化した。

 ゴールに近づいていくにつれ1人、また1人と脱落していく。レースはティズナウが最後から最後まで先頭を譲らずハナ差で勝利した。

 レースは究極の消耗戦となり、ゴール板を駆け抜けたウマ娘達はフラフラと蛇行し、次々にその場に崩れ落ちる。まさに死屍累々だった。

 ティズナウはゴール板を駆け抜けてから勝利を誇示せず、踵を返すようにゴール板に戻り、倒れこんでいるウマ娘達を抱き着きながら言葉をかける。

 

───全力で勝ちにきてくれて、ありがとう。最高にタフなレースだった。キミの走りが私をさらに強くしてくれた。ゴドルフィンには必ず勝つ。そしてキミがアメリカを勝たせたんだ。

 

 勝者が敗者を讃えるスポーツマンシップ溢れる姿にレース場の観客たちはスタンディングオベーションで賞賛した。

 

「なんか、こう思ったより普通」

 

 エイシンプレストンは拍子抜けといった具合に息を吐く。レース内容は逃げウマ娘にとって厳しい展開だった。だがアメリカダート最強のウマ娘という特別ならならもっと差をつけて勝つと思っていた。

 

「どう思うデジタル?」

 

 デジタルに話を振ろうと視線を向けるが興奮状態なせいか息を切らし、『マジ尊い』『アタシもティズナウちゃんに抱かれたい』とレース内容そっちのけで見つめ、妄想を捗らせていた。その様子を見てトレーナーに視線を向ける。

 

「いや充分凄いぞ、ブリーダーズカップの後やし、1線級は出走しとらんが大半のウマ娘はこのレースを目標にしとる。一方ティズナウは復帰戦でダートプライドに向けての叩きや。しかも2着のウマ娘とのハンデ差5での勝利は凄いで」

「5!?」

 

 プレストンはトレーナーの言葉に思わずオウム返しする。ハンデ1ごとに1バ身の差がつくと言われ、単純計算すれば5バ身差のハンデを覆しての勝利になる。GIで5バ身差は中々つかない。これは普通という前言を撤回しなければならない。

 

「それに復帰明けでさらに調子を…」

 

 トレーナーは喋るのを辞めて映像を巻き戻すと、頭を画面に近づけてレースを見始める。

 それはレース内容を見ると言うより、何かを凝視しているようだった。確認が終わると頭を画面から話すと顔が若干引き攣っていた。

 

「どうしたのですか?」

「ティズナウは充分凄いと言ったがそんなもんやない。かなりエグい。正直ここまでとは思わんかった」

「何がエグいんですか?」

「ティズナウはスパイク蹄鉄を履いておらん」

 

 ふとレース映像を見た際にティズナウの靴裏の蹄鉄が他のウマ娘と異なっていた。何となく気になったので、靴裏をずっと凝視することでその事実に気づけた。

 

「それが?」

「アメリカのダートをウマ娘は皆スパイク蹄鉄を履く、エイシンプレストン君はピンと来ないかもしれんが、そのほうがグリップが利いて速くなるからな。だがティズナウは日本のウマ娘が履くような普通の蹄鉄で走っとる。つまりダブルハンデ戦やな」

「それでスパイク蹄鉄が有るのと無いのではどれぐらい違うんですか?」

「およそ5バ身差やな」

 

 その言葉を聞いてエイシンプレストンは乾いた笑いを出す。

 GIのレベルの高さは知っている。その最高峰の舞台においてハンデで5バ身差、スパイク蹄鉄で5バ身差、つまり10バ身差のハンデを課した状態で勝利したのだ。あまりのスケール大きさに戦慄は走るとともに世界の広さを実感していた。

 トレーナーは映像を巻き戻して、レースを何回も見直しながらティズナウについて考える。

 スパイク蹄鉄をつけなかった理由は日本のダート対策か?ダートプライドのレギュレーションでは日本のダートレースと同じようにスパイク蹄鉄は禁止になっている。だから普通の蹄鉄に馴れるためにレースで走った。そう考えるのが妥当だろう。

 そしてゴドルフィンもこの事実に気づくだろう。この事実はアメリカのダートをスパイク蹄鉄で走った者ほど重くのしかかる。今頃戦々恐々しているだろう。

 

 トレーナーの心中に不安が広がっていく。これほどの強さならばトリップ走法の改良の完成は必須条件だ。

 トレーニングの第1目標が目隠しをした状態でランニングしても理想的なフォームで走れる。第2目標が普通に走った状態で、最終目標がトリップ走法で理想的なフォームで走ることだ。

 そして今現在は第1目標すらクリアできていない。最初に比べて成長しているのは分かるが、最終目標に向かうにつれて格段に難易度が上がっていく。果たして本番までに間に合うのか?

 

「ちょっと白ちゃん!レースは良いから、早くティズナウちゃんの勝利インタビューを見せてよ」

 

 デジタルが頬を振らませながらトレーナーに抗議する。その勢いに押されマウスを手渡すと早送りをし始めた。

 

「ちょっとデジタル、10バ身差だよ!叩きのGIで10バ身差!サキーよりヤバイって!」

「ならアタシのティズナウちゃんへの愛は20バ身差だよ」

 

 デジタルはそう言い放つと画面に映るティズナウの姿に集中する。その様子にトレーナー達は毒気が抜かれて笑みを零す。

 トレーナー達は強さに戦慄を覚えているなか、レースを走る当の本人がそんなの関係ないとばかりにティズナウの他の部分に夢中になっている。これでは自分達がバカみたいだ。

 そしてデジタルの言葉はティズナウとの差はレースを通してその存在を感じたいという愛と情念で埋めるということだろうか?その言葉には何一つ根拠が無いが不思議と説得力が有った。

 好きなウマ娘に近づく為ならどんな相手だろうが喰らいつき近づく、それが日本最強の呼び声高いシンザンだろうが、欧州最高レーティング保持者ダンシングブレーヴだろうが、伝説のマンノウォーだろうが、そんな妙な信頼感が有った。

 過去のデジタルだったらこのような感情は湧かない。勝利中毒に罹り道を見失い、そして解毒してより一層ウマ娘愛を強固にしたデジタルなら。

 

───

 

「よし、もう一本だ」

 

 ストリートクライは髪から伝う雨粒を拭いトレーナーの合図と同時に走り出す。

 一歩踏み出すごとに足がポリトラックに深く沈みこみ、蹴り上げるごとにポリトラックが宙に舞う。その力強さはサキーを上回っていると評価する専門家が居るほどである。この力強さはフィジカルに加えてメンタルの要素も大きい。

 キャサリロがドバイに帰ってくる。その朗報を聞いて自然と気分が高揚し力が湧いていた。

 キャサリロが居ない日々は楽では無かった。トレーナー等の他人との意思疎通も上手く翻訳しているキャサリロが居ないので上手く意思疎通ができず、フラストレーションが溜まり、それを癒そうにも居ないので解消できない。

 何よりゴドルフィンを去ってから目的も無く何となく走っていた虚無感が漂っていた日々を思い出していた。

 キャサリロは必ず何かを掴んで帰ってくる。それを生かせるように力を付ける。

 その一念でモチベーションを保ちトレーニングに励んだ。そしてキャサリロは何かを掴んだ。それは電話越しに伝わっていた。

 トレーニングはインターバルに入り、コース外の屋内に向かいベンチに腰を下ろし、何となく入り口に視線を向けて一目散に駆けていく。

 

「お帰りキティ」

「元気にしてたかクライ」

 

 キャサリロはストリートクライの顔を見て破顔する。日本には2週間程度の滞在だったが何カ月も離れたような感覚を受けていた。

 最初は寂しがっているのではないかと心配していたが、想像以上に顔を合わせられないことが心理的ストレスになっていたようだ。

 

「それより今は休憩だろう。土産と土産話は夜にするから、しっかり休め」

「分かった」

 

 ストリートクライは足取り軽くベンチに向かい腰を下ろす。その間にキャサリロはトレーナーと打ち合わせをし、ジャージに着替えるとウォームアップを始める。その様子を不思議そうに見ていた。

 インターバルが終わりトレーニングが始まってもキャサリロはウォームアップを続け、その様子をチラチラと眺める。

 キャサリロがストリートクライの専属スタッフになってもトレーニングに参加することは無かった。だが今こうしてウォームアップしているということは走るのか?

 ストリートクライとの胸中にキャサリロが現役を辞める前に一緒に併走トレーニングをした日々が蘇り、心躍っていた。

 そしてキャサリロはウォームアップが終わるとトレーニングに参加すると伝える。自然と笑みを浮かべていた。

 

「それで何をするの?」

「とりあえず2本ぐらい走るから、1本目は普通に走って2本目は崩してくれ」

 

 レースの際には不慮の接触により転倒事故が起こることがあり、それは時に大怪我を招くことがある。

 そうならないようにウマ娘達は体を鍛え、トップクラスに近い者ほど体が強く接触してもバランスを崩れない強さを持っている。

 それでも限界が有り、要素が重なれば接触されることでバランスを崩し、減速やスパートのタイミングが遅れてしまうことがある。

 

 ストリートクライは力の流れや人の重心が見えるという才能があった。

 その才能を駆使し最小限の力による接触で相手のバランスを崩せる。バランスを崩すといっても格闘技のように相手を倒す必要はなく、崩されたバランスを立て直すゼロコンマ数秒のロスがあれば充分であった。この接触による相手への妨害を2人は崩しと呼んでいた。

 ストリートクライの崩しの技術は世界1である。例えサキーであってもストリートクライにかかれば簡単に崩すことができる。

 この技術の高さは業界に知れ渡り、レースを走るウマ娘達は崩されないようにストリートクライから距離を取る。そしてそれを利用する。

 ある時はペースを上げて逃げ先行グループを煽りスタミナを削る。

 ある時はペースを下げて差し追い込みグループのペースを上げて離れるか下げて離れるかの2択を迫る。直線でも近づくことによって崩されたくないと外に回させる。

 だが必要以上に警戒しロスを覚悟して離れても世界屈指の地力でねじ伏せられる。これがストリートクライのレーススタイルであり、崩しは生命線でもあった。

 

 1本目はキャサリロの言葉通り普通に走り横一線でゴールする。トレーニングで疲労している一方キャサリロは全く疲労しておらず、通常時では大きく開く力関係も互角になっていた。

 ストリートクライは流して走る姿をまじまじと見つめる。今の走りは記憶には全くないものだった。走り方や力の流れや重心の位置がまるで違う。いうならば別人と走っているようだった。

 キャサリロはその戸惑いに満足げな表情を浮かべながら話しかける。

 

「今のがヒガシノコウテイの走り方だ。まるで別人だろ?」

「驚いた。いつから出来るようになったの?」

「物まねが得意だったろう。それの応用だよ」

 

 キャサリロは人の動作を正確に覚える観察力、そしてそれをトレースする身体操作能力が人より優れていた。その能力で物まねなどをしてストリートクライを楽しませていた。だがある一言で、この能力の真の使い道を見つけ出す。

 

──初めて走る相手は崩しにくいな

 

 ストリートクライの崩しは相手の情報が有れば有るほど精度が上がる。サキーでも難なく崩せるのは能力の他に相手の事を知っているという側面も有った。

 レース前に映像を見て情報を集めるが、それでも上手く崩せなかった。崩せたがこちらも必要以上に力を入れてロスをしてしまったということが有った。

 ならば自分が相手になればいい。そうすれば何度でも予行練習が出来て崩しの精度が上がる。

 日ごろからもっとストリートクライの役に立ちたいと思っていたがまさに天啓だった。

 それから訓練が始まった。まずはデータの多いゴドルフィンの選手のコピーから始まり、映像を脳内で刷り込ませ反復練習を繰り返す。

 幸いにも環境に恵まれていて、データも豊富で自分がどれだけトレースできているかを可視化できる機械も有ったので、より良い訓練ができた。

 その結果、サキーを始めゴドルフィンのトップクラスの選手のコピーはできるようになった。この訓練はストリートクライにバレないように陰でしていた。

 そして同時期にダートプライドが開催されることが決定し、日本に飛んでヒガシノコウテイやセイシンフブキやアグネスデジタルのデータを集めた。

 本当なら最大の強敵であるティズナウを調査しコピーしたいところだが、アメリカ以外の外部は完全にシャットアウトされており、調査する事できなかった。

 

「よし、じゃあ2本目から崩しな、スパートの瞬間を崩してくれ」

「分かった」

 

 2本目が始まり、ストリートクライはキャサリロをクビ差前に置いて併走する。

 見れば見るほど別人だ。ストリートクライはその技術に感嘆しながら崩しのタイミングを見極める。そして体に予兆が現れる。

 仕掛けの際には全く同じではないがある程度共通して予兆が現れる。ストリートクライはそれを見逃さず即座に距離を詰めて相手の力の流れと重心を読み体を当てて崩す。すると一瞬減速し、それが影響したのかストリートクライが1バ身差をつけてゴールした。

 ストリートクライは流しながら後ろを振り向きキャサリロを見る。その表情は不満げだった。

 

「加減したな?次はもっと攻めろ」

「でも……それだと……」

 

 ストリートクライはそ言葉に言いよどみ目を背ける。

 レース中に転倒すれば転倒した本人はもちろん、後続にいた選手も巻き込まれて大事故になる可能性がある。

 その危険性を十分に理解していた。崩しをおこなっても絶対に転倒しないように手加減していた。それは時に崩しの効果を弱めてしまうことがあった。

 だがその欠点は相手を知ることで解消される。何回も試みることで、より安全に効果的に崩せる境界線を理解することが出来る。

 しかし境界線を探る過程で転倒させてしまったら、大怪我をしてしまったら、頭を打ってしまったら、意識が戻らなかったら、死んでしまったら。

 時速60キロで走るレースにおいてそれらの可能性は常に付きまとう。最悪の事態が脳内に浮かび上がり背筋が凍り体が震える。

 

「クライ!2人で勝つんだろ!」

 

 キャサリロはストリートクライの震える肩に手を置き、目をじっと見つめる。一方ストリートクライはキャサリロの手の握る強さや体温を通して心情を察していた。

 

「分かった。全力で崩すから」

 

 ストリートクライは肩に置かれた手を力強く握り、同じように目をじっと見つめた。

 レースを走るウマ娘であれば世界中の誰でも転倒を恐れ、キャサリロも決して例外では無かった。

 恐怖を感じながら必死に抑え込み自分の為に尽力してくれようとしてくれる。それを断れば、決意も努力も覚悟も全て無駄にしてしまう。

 キャサリロは怪我をする恐怖を抱え、ストリートクライは怪我をさせてしまうという恐怖を抱えていた。ならば2人で恐怖を抱えて共に歩み、そして世界一になる。

 ストリートクライは言葉を発していなかった。だがその動作はどの言葉よりも雄弁に語りかけ、その決意と覚悟はしっかりと伝わっていた。

 

───

「もう1本」

 

 ストリートクライは10バ身ほど離され、息も絶え絶えでゴールしたキャサリロに淡々と言い、喋るのも億劫だとばかりに首だけ縦に振る。

 キャサリロとの崩しのトレーニングは過酷であった。より精度の高い崩しを体得するために、相手が転倒する可能性が高い崩しをする。

 その結果何度も転倒した。その度にダートに体を打ち付け打撲や裂傷などの細かい傷が体中に負っていた。そして負ったダメージはそれだけではなかった。

 崩されたウマ娘は体勢を立て直そうと力を入れて踏ん張ろうとする。その結果不自然に力を入れて怪我を負ってしまうことがある。

 キャサリロは膝を痛めていた。本来なら安静にしなければならないのだが、痛み止めを打って無理やり走っていた。

 周りから見ても疲弊具合は明らかだった。このままでは最悪の事故が起こってしまう。だがストリートクライはキャサリロをトレーニングに付き合わせる。その姿は酷く冷酷に見えた。

 ストリートクライは依存しているのではないのかと思うほどキャサリロと仲が良かった。  それなのに何故このような仕打ちをするのか?周りにはその感情が理解できなかった。

 無論ストリートクライはそのことを知っていた。周りの視線も陰口も膝を怪我して痛み止めを打っていることも。本人は秘密にしているようだが、日常生活の動作で即座に見抜いていた。だが何も言わずトレーニングに付き合わせた。

 キャサリロは2人で勝つと言った。そしてトレーニングを辞めたいとは口に出さない。ならばやり続ける。

 キャサリロが転倒し痛みに堪えながら走る姿を見るだけで心が軋む。だがそれに耐え続けた。その努力を報いる術は完璧な崩しを身に着けるのみだ。

 一刻も早く痛みや苦しみから解放する為にとストリートクライの集中力はかつてないほど研ぎ澄まされていた。

 

 2人はスタート地点に戻りトレーニングを開始する。今回はセイシンフブキの走りを実践し、第3コーナーから捲り気味にペースを上げていく。キャサリロがストリートクライの横を通過しようとする瞬間、横に移動してキャサリロの体に触れる。

 キャサリロにとってそれは現役時代に何度も体験したレース中に起こりうる軽い接触だった。

 だがその接触エネルギーでは考えられないほどバランスを崩され、態勢を立て直そうとし減速してしまう。

 その間にストリートクライは一気に突き放しゴール板を通過し、大きく離されたキャサリロはゴール板を通過した瞬間に思わず膝をつく。

 

「キティ!やった!やったよ!」

 

 ストリートクライはキャサリロを抱きかかえると、今までの寡黙さが嘘のように感情を爆発させ、その温もりを感じながら、己の努力が報われたのを理解した。

 崩しの技術は相手に接触しなければならない。その動作はゴールを最速で通過するというエネルギーを他者に向けることになりタイムが落ちる。その分だけ相手の力を削げばいいというのが崩し理念である。

 そして今の崩しは文字通り必要最小限の力で行った。その結果相手を崩しながらもタイムは自己ベストを更新していた。ここに完全な崩しが完成した。

 

「痛かったよね!苦しかったよね!でももう走らなくていいから!」

 

 ストリートクライの声はいつの間に涙声に変っており、その表情は懸命に涙を堪えているのかクシャクシャになっていた。

 キャサリロは母親のように優しく撫でた。

 


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