勇者の記録   作:白井最強

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勇者パーティー魔都香港へ#2

「オラオラオラ待てデジタル!」

「ちょっとキンイロリョテイちゃん怖い~」

「いつもそんな五月蝿いんですか?」

 

 ウッドチップコースで三バ身先を先行しているアグネスデジタルをキンイロリョテイは猛然と追走する。その様子はまるでサバンナで獲物を追い立てる肉食獣のようである。そしてデジタルは追い抜かられないように走る、いや逃げると表現したほうが適切かも知れない。その証拠にデジタルの表情が珍しく恐怖で少しばかり引き攣っていた。

 そしてエイシンプレストンはキンイロリョテイを並走しながらデジタルを追走する。感情を爆発させるリョテイとは対照的に体の細部に意識を配らせ最大限に力が出せるフォームを維持しながら走る。

 

 香港国際競争がおこなわれるシャティンレース場、一体はレース場だけではなく日本のウマ娘が生活するトレセン学園のようなものもあり、そこで生活するウマ娘達はすぐにレース場に向かうことができる。また海外から遠征にきたウマ娘達にもトレーニング場を開放しており三人も本番にむけて調整をおこなっていた。

 

 今はアグネスデジタルを先行させ、リョテイとプレストンが後から追走する追い切りメニューである。そしてこの一本はデジタルが半バ身ほどリードを保ちゴールした。

 

「ちくしょう差し損ねた!もう一本行くぞ」

「ねえプレちゃん、今度はプレちゃんが前走ってよ。怖いんだけど」

「先行するデジタルをあたし達が追走する。これはトレーナー達が本番を想定したメニューなんだから勝手に変えちゃだめよ。それに並走するこっちだって目をギラギラ光らせるキンイロリョテイさんを並走するの怖いし」

「ゴチャゴチャ言ってねえで行くぞ!」

 

 リョテイはデジタルを引きずるように追い切り開始地点に移動し、プレストンはその後をついていく。その様子をトレーナー達は専用のスペースで双眼鏡越しから真剣な眼差しで見つめていた。

 

「みんな調子はまずまずと言ったところやな。しかしリョテイはこんなに五月蝿いんか池さん?まあらしいといえばらしいが」

「すまんな、白。まあいつもこんな感じだ。最近じゃうちのチームの奴も怖がって前に置くことも並走させることもできず単走ばかりさせていたからな。久しぶりの並走追い切りできて楽しいのだろ」

 

 リョテイのトレーナーはデジタルのトレーナーの言葉に苦笑しながら謝る。二人は同じ年のトレーナーの試験に合格し比較的に年齢が近いこともありプライベートでも仲が良かった。

 

「しかし稽古でもこんな闘争心を見せるのだから大したものです。けどこの気性は苦労するでしょう」

「ええ本当ですよ北さん。いつも生傷が絶えません。その点エイシンプレストンは真面目で大人しくて羨ましいです」

「でも結構神経質なところがあって意外と苦労します、その点キンイロリョテイは無縁そうです」

「確かに。神経質という単語はあいつの辞書にはないですね」

 

 プレストンのトレーナーの言葉にリョテイのトレーナーはさらに苦笑いを浮かべた。プレストンのトレーナーは二人より年上で定年を間近に控えるベテラントレーナーである。

 

「しかしあのじゃじゃウマ娘との付き合いもあと少しだと思うと寂しくもありますけどね」

「本当にこれで最後なんか池さん?天皇賞秋のレースを見る限りまだまだやれそうだが」

「俺もそう思うのですけど、本人の意思は固いし尊重したいと思う」

 

 デジタルのトレーナーの言葉に物寂しそうに答える。キンイロリョテイは香港ヴァーズを最後にウマ娘レースからの引退を表明していた。

 

「そして香港ヴァーズがGIレースに勝つ最後のチャンスだ。ですから迷惑かけるかもしれないが協力頼む白、北さん」

「もちろん。チームジャパンですからお互い協力し合いましょう」

「名前に金がついているんだ。最後は金メダルで終わらせんといけないですね」

「うまいこと言うな白」

 

 デジタルのトレーナーの言葉に皆は笑みを浮かべる。そうしているうちに二本目の追い切りが始まりトレーナー達はウマ娘たちに目を向ける。一本目と同じようにデジタルを前に置きリョテイとプレストンが追走する。今度はゴール前でプレストンがデジタルを差し切っていた。

 

「エイシンプレストンが差し切ったか、強いですね」

「ええ、デジタルもいつもプレちゃんは凄いって言っていますし。俺もそう思います」

「ありがとう。私もプレストンの才能はトップどころに負けていないと思っています。本来ならもう一つ二つはGIを取れる才能があるのですが」

 

 プレストンのトレーナーは溜め息をもらす。エイシンプレストンはアグネスデジタルと同期でジュニアBレースのGIに勝利し将来が嘱望されていたウマ娘だった。だが骨折で半年間休養を余儀なくされる。そして復帰してもなかなか結果を出すことができず一年間勝利に見放された。だが陣営の努力もあり、夏のGⅢレース秋のGⅡに勝利し先のマイルチャンピオンシップでは勝ちウマ娘にコンマ一秒差という好走をみせていた。だがトレーナーとプレストンにとって喜べる結果でなかった。

 

「本人も理想が高いせいかマイルチャンピオンシップを落としてカリカリしているのが気がかりです。そういった意味で遠征先で友人のアグネスデジタルがいるのはありがたい」

 

 環境の変化に敏感なウマ娘にとって遠征先でいかに平常心でいられるかということは重要な要素である。その点同室のデジタルと一緒なのは幸運でだった。プレストンの話を聞く限りデジタルとは良い関係のようだし、気心知れた仲間と一緒というのはプレストンにとって好材料だ。現に追切を終えクールダウンしているプレストンの表情はどこか柔らかい。

 

「よし、そろそろあいつらを迎えに行こうか」

「そうですね」

 

三人は双眼鏡をしまいトレーナースペースからデジタル達がいるグランドに降りていく。

 

「あ~あ疲れた。早くホテル帰って肉食いてえ。ステーキ食いてえ」

「あたしもデザート食べた~い~。でも食べられな~い……」

「デジタルのトレーナーさんは体重管理に厳しいからね」

「本当だよ。やたら体重にうるさいの」

 

三人はクールダウンを終えトレーニング上からトレーナー達が待っている駐車場に向かっていた。するとリョテイが突如立ち止まり耳を立て辺りを見渡す。

 

「どうしたのキンイロリョテイちゃん?」

「誰かあたしの名前を呼んだような」

「それはあれだけ騒いで走っていたなら嫌でも注目されますよ」

 

 リョテイが立ち止まり聞き耳をたてる。それに続くようにデジタルとプレストンと立ち止まり聞き耳を立てる。すると自分たちの噂話している声が聞こえてきた。

 

「くそ!何言っているかわからねえ」

 

 リョテイは思わず舌打ちを打つ。このトレーニング場では香港国際競争に出る各国のウマ娘が集まっている。そして喋る言語も様々であり日本語では誰ひとりしゃべっていない。日本生まれ日本育ちで勉強の成績が悪いリョテイには何一つ聞き取れなかった。

 

「えっと。『あれがファンタスティックライトに勝ったキンイロリョテイか、強そうだ』ということを言っていますね」

「プレストン外国語わかるのか?」

「一応アメリカ生まれですから英語ならそれなりに」

 

 英語がわかるプレストンに感嘆しているリョテイ、そしてプレストンはデジタルにむけてリョテイに見えないように唇に人差し指を立てた。それにたいしデジタルは無言で頷いた。

 

 周りのウマ娘達は「あれがファンタスティックライトに勝ったキンイロリョテイか、なんか頭悪そうだな」と言っていた。だが正直に言えばあの気性からして喧嘩を売りに行く可能性が高い、なので少しだけ嘘を加えた。

 そしてデジタルもアメリカ生まれだけあって多少なり英語を聞き取ることができ、同じくケンカになりそうだと思っていたのでプレストンの意図を理解し黙っていた。

 

「しかしキンイロリョテイちゃんも有名なんだね」

「あのチームゴドルフィンのファンタスティックライトに勝ちましたからね」

 

デジタルとプレストンはリョテイに真意を知られないように持ち上げるように褒め、リョテイも満更でもないという具合に胸を張った。

 

チームゴドルフィン

 

 UAEに本拠地を置く世界でも有数のチームである。

 

 莫大な資金で作られたトレーニング施設とスタッフの元に世界中からスカウトされたウマ娘達がトレーニングで鍛えられ、所属しているウマ娘達はヨーロッパやアメリカのビッグレースに度々勝利している。そしてファンタスティックライトもゴドルフィンに所属していた。

 ファンタスティックライトは世界中をビッグレースに参戦しGI6勝した名ウマ娘である。かつてはジャパンカップに参戦しテイエムオペラオーとメイショウドトウと激戦を繰り広げた。直線での三人の叩き合いは凄まじく見る者の魂を震わせるもので今でもベストレースと語るものも少なくない。

 そしてキンイロリョテイはそのファンタスティックライトのホームで勝利した。環境の変化に敏感なウマ娘にとってホームとアウェイの差は大きい。そして有利なホームで走るファンタスティックライトを国内のGIにも勝っていないウマ娘が負かした。

 このニュースは世界中に衝撃を与えキンイロリョテイの名を世界中に轟かせた。その評価は高く先のアグネスデジタルが勝った天皇賞秋では国内ではテイエムオペラオーが一番人気だったが、海外ではキンイロリョテイが一番人気だったほどである。

 

――――そしてあれがファンタスティックライトを負かしたテイエムオペラオー、キンイロリョテイ両方に完勝したアグネスデジタルか、思ったより小さいな

 

「おっ、デジタルの噂もされているわね」

「なんか照れるね。でも今でも噂されているんだから、香港カップに勝ったら評価は爆上げ!そしてあたしの元にウマ娘ちゃんがやってくる~」

 

 デジタルは未来を想像し楽しげにニヤつき、プレストンはその様子を微笑ましそうに見つめる。しかし身近な友人がいつの間に世界のウマ娘に噂されるほどになったのか。誇らしくもあり、差をつけられてしまった悔しさと寂しさを感じていた。

 

――――それでキンイロリョテイとアグネスデジタルの隣にいるウマ娘は誰?

――――知らない。二人の帯同ウマ娘じゃないの

 

 プレストンはその話声に対して目を見開き反射的に振り向いた。

 

帯同ウマ娘

 

 環境の変化に敏感なウマ娘が海外遠征先で安心できるように仲の良いチームメイトを連れて行くことがある。そのついて行くウマ娘を帯同ウマ娘と呼んでいた。先のエルコンドルパサーの遠征においても帯同ウマ娘がついていった。

 帯同ウマ娘は基本的に遠征に向かうウマ娘より格下なものが多く、メインのビッグレースで走る一方、現地のOPクラスやGⅢのレースを走ることが大半である。

 

 あたしがデジタルとリョテイの帯同ウマ娘!?あたしが格下!?

 

 確かに二人より世界での名声はない。だがそれでも帯同ウマ娘に見えるほど弱く見えるのか!

 デジタルにはその声は聞こえていなかったのかリョテイと雑談しながら歩いている。その後ろでプレストンは歯を食いしばり手のひらを力いっぱい握る。勝つ!必ず勝って周りを見返してやる!プレストンは静かにそして激しく怒りを燃やしていた。

 

 

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「プレちゃんどうしちゃんだろう……」

「どうしたものか」

 

午前11時過ぎ

 

ホテルのロビーのソファーに座りながら宿泊客は地図を広げ今日の観光予定や旅先で食べる食べ物の美味しさを想像し胸を膨らませ楽しげに喋っているなか、その一席のスペースの空気はひどく重かった。

 

香港に着いてから数日後、調整は順調に進んでいた。ひとりを除いて。

 

「プレちゃん落ち着いて」

「おとなしくしろガキ!」

「離してデジタル!キンイロリョテイさん!あたしはトレーニング場に行くの!」

 

キンイロリョテイはプレストンを羽交い締めし、デジタルが前から抱きつくようにして必死に動きを抑える。それでもなおプレストンは拘束から脱出しようともがき続ける。

 

それは香港から来て数日が経った頃だった。

ホテルのロビーでデジタルとリョテイとそのトレーナー達が雑談していると聞き覚えがある声が響き渡る。

それはプレストンの声だった。どうやらトレーナーと練習に行く行かないで口論となっているようだった。あの真面目なプレストンが声を荒げながらトレーナーと口論している。それは長い付き合いのデジタルにとっても初めて見る光景だった。

とりあえず傍観していたが口論はヒートアップし、プレストンが立ちふさがるトレーナーを押しのけて出口に向かう。これは何かまずいと感じたデジタルとリョテイはプレストンの動きを拘束した。

 

「プレストン落ち着きなさい、今日は疲れを取りなさい」

「追い込まなきゃ…もっと追い込まなきゃ勝てない!」

 

トレナーの言葉に対してプレストンのヒステリックな声がロビーに響き渡る。

 

 初日のトレーニング以降プレストンは明らかなオーバーワークだった。リョテイの闘争心が伝播し、友人のデジタルに張り合おうと気合が入ってしまったのだろう。プレストンのトレーナーはそう考え、二日目から単独でトレーニングさせることにした。

だが一人でトレーニングしていても必要以上にトレーニングをおこない、時には自ら隠れて斤量を装着し負担を増やしていた。その結果体に負荷がかかりすぎて調子を落としていた。そして今もトレーニングを休みと言われてもホテルを抜け出してでもトレーニングを行おうとしていた。

そしてプレストンは拘束されても尚強引に練習場に向かおうとしたため、リョテイが実力行使でプレストンを無力化し自室に拘束していた。

 

「どうしよう……」

 

デジタルは深くため息を吐き、デジタルのトレーナーは眉間に皺を寄せながら天を仰ぐ。

 場の空気はことを大きく左右する。

 

場の空気が良ければ練習にも身が入り試合でも実力以上の結果を出せることもある。そして逆もしかりである。

 プレストンが抱いている負の感情は二人に伝播していた。友達であるプレストンが追い詰められている姿はマイペースで図太いデジタルにも悪影響を与え、図太く友人と言える間柄でもないリョテイにも僅かばかしの影響を与えていた。

 このままではレースに向けて無視できない悪影響を与えることになってしまう。そのことをトレーナーは充分に理解しており、何とかしたいという思いはある。だが何をすればいいのか思いつかなかった。

 二人の間に重い空気が流れる。だがその重い空気を一人の能天気な声が切り裂いた。

 

「あっやっぱりここに居た!白先生見っけ~!」

 

 一人のウマ娘が二人のもとにやってくる。そのウマ娘は小柄で薄暗い茶髪にショートヘア、赤黄黒のトリコロールカラーのヘアピンで前髪がまとめられている。トレーナーはそのウマ娘に見覚えがあった

 

「おお!?ダンスやないか!何でここに!?」

「旅行。先生も元気そうだね」

「まあ、ぼちぼちと言ったところや」

 

 ダンスパートナーはトレーナーの手を取りぶんぶんと振り回す。トレーナーも思わぬ再会に自然と笑みをこぼしていた。

 

ダンスパートナー

 

 かつてデジタルが所属しているチームプレアデスに在籍し、オークスとエリザベス女王杯に勝利し当時では珍しく海外GIにも果敢に挑戦した名ウマ娘であり、トレーナーに初めてのGI勝利をもたらしたウマ娘でもある。今は現役を引退している。

 

「何でここに居るのがわかった?情報は公開していないはずだぞ」

「前に香港に走りに来た時はここに泊まったし、もしかして居るかな~って寄ってみた。そしたら本当に居るなんて!いやーラッキーラッキー!」

 

 ダンスパートナーはガハハとテンション高く笑うと座っているデジタルに目線を定める。

 

「これが噂のデジ子か、小さくてめんこいな~ヨーシヨシヨシヨシ」

 

 ダンスパートナーはデジタルをに抱きつき顎と頭を撫でる。デジタルも一瞬と惑ったが合法的にウマ娘ちゃんにお触りできる好機と身を委ねる。

 冬の厚着でもわかる肉感、案外着痩せするタイプだ。それに漂う石鹸の匂いは香水とは違う自然な香りで落ち着く。デジタルは五感を集中させ臭いや体の感触を味わっていた。

 

「ところでデジ子、私のこと知っているか~?」

「うん、知っているよ。ゲートに括りつけられた話は皆から聞かされた」

「やっぱり、その話か。酷いよね~うら若き乙女をゲートに括りつけるなんて」

「いや……あれはすまんかった……」

 

 大根役者のような嘘泣きをみせるダンスパートナーにトレーナーは申し訳なさそうに謝る。

 かつてダンスパートナーはゲートが下手で何回もレースで出遅れ、重要なレースを何度か落としていた。

 このままではGIに勝てないと思ったトレーナーは対策としてダンスパートナーを長時間ゲートに括り付ける事にした。これによりゲートに慣れてスタートの出が良くなることを期待していた。しかしこれは荒療治である。

 ウマ娘は基本的にゲートのような閉所に閉じ込められることを嫌う。さらにダンスパートナーのようなゲートが嫌いなウマ娘にとってはかなりのストレスである。

 現にゲートに括り付けられた際は暴れ叫んだ。だがトレーナーは心を鬼にして括りつける。その結果オークスに勝つことが出来たが、その荒療治は物議を呼び上層部から叱責を受けていた。

 そしてその時の壮絶な光景はチームプレアデスのメンバーに脈々と伝えられ、ヤンチャな後輩には『言う事聞かないとトレーナーがゲートに括り付けるぞ』と言えば、恐怖で震え上がり誰もが言うことを聞き、今ではチームの伝統的教育方法になっていた。

 

「しかし秋天は凄かったなデジ子。大外をビューッと駆け抜けてテイエムオペラオーとメイショウドトウを倒しちゃうんだもんな。うちの上司も記念出走で走るなよとか散々文句言っていてさ、勝った時は嘘~って感じで驚いていたよ。あれは傑作だった」

 

 ダンスパートナーはその上司の顔を思い出し笑う。上司に対して強く言えないが後輩のデジタルが文句言われていたのには相当腹に据えかねていた。それだけにデジタルの勝利は痛快だった。

 

「ダンスはいつまで香港にいる予定や?」

「月曜の昼には帰るよ」

「それだったらシャティンにレース見に来いや」

「当然。旅行の主目的はそれだもん。チームの後輩がレースは違えど私が走った同じ場所、同じ距離のレースに出るなら応援しに行かなきゃ嘘でしょ」

 

ダンスパートナーの言葉にトレーナーとデジタルは思い出す。春に行われるシャティンレース場でおこなわれる芝2000メートルのGIレース、クイーンエリザベスカップに出走していた。

 

「私の敵をとってよデジ子」

「でもレースが違うよ」

「細かいことは気にしない気にしない。…どうした?何か悩み事でもある?」

 

 ダンスパートナーはデジタルに何気なく言葉をかける、じゃれあいながらもデジタルの様子を観察していた。意外と目ざといところがあり現役時代もチームメイトの様子の違いには敏感だった。

 

「うん…まあね…」

「まあこの年頃の乙女には悩みは沢山有るもんね。でもそういう時は美味しいもの食べて遊べば大抵は解決する。今日のトレーニングは終わった?」

「うん、今日はもうオフだよ」

「じゃあこれから遊ぼうか、私が連れて行ってあげる」

「それもいいな。デジタル行ってこい」

 

 ダンスパートナーの提案にトレーナーが賛同する。その意外な賛同にデジタルは驚く。

 

「え?いいの白ちゃん?あんな観光気分じゃないんだぞって言ってたのに」

「どうせ今日はやることはないし、せっかく香港に来たのだから遊んで来い。ほれ小遣い、あまり暴飲暴食するなよ」

「サンキュー白先生!それじゃ行くぞデジ子!」

 

 ダンスパートナーはデジタルの手をとり半ば強引にホテルから連れ出して行きトレーナーはその後姿を静かに見送った。

 デジタルはエイシンプレストンのことで気を病んでおり、このままではふさぎ込んでしまう。ならば強引に息抜きさせたほうが良い、ダンスパートナーの明るさと強引さならデジタルを程よく息抜きさせてくれるだろう。問題の根本的な解決にはなっていないがしないよりマシだ。

 

「さて俺はデータでも調べなおすか」

 

トレーナーは椅子から立ち上がりホテルの自室に戻っていった。

 

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「いいよ!いいよ!もっと大胆なポーズとってダンスパートナーちゃん!艶かしく色気たっぷりに!」

「それより別の服にしない?ミニはさすがにちょっと…」

 

 ダンスパートナーは恥ずかしそうに提案する。彼女は今黒のチャイナドレスを身に纏っておりそれは伝統的なものではなく、いかがわしい店の店員が着ているような丈が短くスカートのスリットが深いタイプだった。

 

「大丈夫!似合っているから!はやく!」

「こう?」

 

 デジタルはダンスパートナーの提案を取り付く暇も無く却下する。それに観念したのか少しばかり顔を赤くしながら生脚を強調したポーズをとる。デジタルをその姿にウフフと興奮しながら自前の携帯で一心不乱に激写していく。

 

 ホテルを出ていった二人はショッピングや食べ歩きをしながら過ごしていく。

 デジタルは表面上楽しそうにしていたが目の光がくすんでいるのをダンスパートナーは見逃さなかった。どうすれば楽しんでもらえるだろうかと悩んでいるとデジタルがある店の前で止まり陳列されているチャイナドレスに目を輝かせて見つめていた。

 こういうものが好きなのか。値段さえ手ごろなら買ってもいいと思っていたが価格は予想を遥かに超えていた。あきらめかけたその時店員からあるサービスを薦められた。

 

 どうやら低価格でチャイナドレスが試着でき写真が取れるらしい。それを薦めるとデジタルは自分ではなくダンスパートナーに着てもらいたいと言ってくる。まあ後輩の頼みならと気軽に受け最初は露出が少ない伝統的なチャイナドレスを着る。

 デジタルはカワイイー!と言いながら喜びながら写真を取りその様子を微笑ましく見ていた。だが次第に要求はエスカレートし、服はどんどん露出度が高いものになりポージングまで要求するようになっていた。

 

「ウフフフ~良いものが撮れた」

 

 二人は撮影会が終わるとオープンカフェでお茶を飲みながら休憩する。デジタルはダンスパートナーお勧めのエッグタルトに口をつけず写真に収めたチャイナドレス姿を満足げに眺めていた。

 

「デジ子は着なくてよかったの?」

「あたしはいいの。あたしは着るより、着ているウマ娘ちゃんの姿を見たいの。本当は買って帰ってオペラオーちゃんやドトウちゃんとかに着せさせたかったな~」

 

デジタルは二人がチャイナドレスを着る姿を妄想し笑みを浮かべる。その楽しげな姿にダンスパートナーは笑みをこぼす。

 

「やっと楽しそうに笑ったな」

「あたし、そんなつまんなさそうにしていた?」

「うん。雑誌の写真や映像で見た楽しそうな大分印象が違って、写真撮る前までは思いつめている顔してた。デジ子の悩みはそんなに深刻なの?」

「うん…」

「もし良かったら相談に乗ろうか、先生にも話せないことはあるだろうし」

「…あのね」

 

 デジタルはダンスパートナーに悩みを打ち明けるか迷っていた。プレストンの悩みを解消する為にはネコの手でも借りたかったが、友人のプレストンの苦しんでいる姿を今日初めて会った人間に知られたくもなかった。だが短い時間だが接することでこの人になら打ち明けても大丈夫だという安心感があった。

 

「なるほど」

 

 ダンスパートナーは注文していたコーヒーを飲み干し静かに深く息を吐いた。

 

「デジ子、この一件私に預けてくれない」

 

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シンフォニーライツ

 

 香港島、九龍半島の主要な高層ビルから放たれる色とりどりのレーザーが加わり、世界中から訪れる観光客を魅了し続ける香港が誇るナイトイベントである。その夜景の美しさはまさに百万ドルの価値があるといえるだろう。

 この景色を見るためにダンスパートナーはトレーナー達の許可を得てアグネスデジタルとエイシンプレストンとキンイロリョテイを連れ出し、公園側から湖をはさんでライトアップされるビル群を眺めていた。

 

「うわ~キレイ」

「これはすげえな」

 

 その夜景の美しさにデジタルとリョテイは目を奪われている。よく例えで夜景を宝石箱と表現するが今見える景色は本当に夜空に宝石箱をばら撒いたようだった。だがエイシンプレストンは目を奪われることなく虚空を見るように漠然と眺めていた。

 

「どうしたの?楽しくない?」

 

 景色をボーっと見ているエイシンプレストンの後ろからダンスパートナーが現れホットの缶コーヒーを手渡した。

 

「ありがとうございます。いやつまらなくはないのですが…あたしの今の気分じゃ楽しめないというか…」

 

 プレストンはコーヒーを受け取ると言葉を選びながら返答する。せっかく誘ってくれた先輩の気分を害さないようにと考えているのだろう。真面目な娘だ。

 

「この景色を見ても悩みは晴れないか」

「ええ……」

「ずばり、デジ子に追いつこうと焦っているね」

 

 プレストンは目を開きダンスパートナーを凝視する。その顔には「何故分かった!?」と書いてあるようにわかりやすかった。

 

「ちょっとだけ昔話を聞いてもらえるかな?」

 

 プレストンは無言で頷くとポツリポツリと語り始める。

 ダンスパートナーが現役のころ、かつてはトレセン学園の寮で生活しており同室には同学年のあるウマ娘がいた。そのウマ娘は明るくお茶目で多くの人に好かれており、ダンスパートナーも彼女のことが好きだった。

 

 また能力も素晴らしく、ダンスパートナーがメイクデビューに向けてトレーニングを続けていくなか、ジュニアB級の重賞に連戦連勝しクラシック最有力とも言われていた。

 しかしジュニアC級に昇格すると二人の立場は逆転した。ダンスパートナーはメキメキと実力をつけクラシック戦線をGI桜花賞2着、GIオークス一着という好成績を挙げる。一方同室のウマ娘はクラシックを走り掲示板にのることができない凡走続きだった。

 その後もダンスパートナーはコンスタントに重賞を好走しGIエリザベス女王杯に勝利するが、そのウマ娘は重賞で掲示板に載る事はできなかった。

 

「世間はあの娘がただの早熟だったというけど、それは違うと断言できる。才能は私以上だった」

 

 ダンスパートナーの手には無意識に力が入り持っていた缶がベコベコと音を立てて凹む。

 

 ある一つの負けが彼女の歯車を狂わせる。そのレースはダンスパートナーと一緒に走ったレースでダンスパートナーが2着、彼女は6着だった。

 レースに負けた彼女は次のレースには絶対に勝つんだと入れ込み、ハードトレーニングをおこない体調を崩し、その体調不良が原因で負ける。そして入れ込みハードトレーニングをして体調を崩して負けるか、怪我をするかという悪循環の繰り返しで最後まで抜け出すことができなかった。

 

 そして敗北の連続は彼女の性格まで変えてしまった。明るくお茶目だった性格はすっかり荒み友人も徐々に減っていった。

 何故彼女があそこまで入れ込んでしまったのか?当時は理解できなかったが今では理解できる。それは自分への対抗心だ。

 初めての敗北、そして格下だと思っていた自分に先着されその相手がどんどん先に行く。それが彼女のプライドを傷つけられ、焦りを生み出した。

 

「あの娘は自分ことを信じ切れなくて自滅した…私になんかに一回ぐらい先着されたぐらいであんなに焦んなくたっていいのにね…。そしてその娘とエイシンプレストンちゃんがダブるの。だからエイシンプレストンちゃん、もっと自分を信じたほうがいいよ。そんなに自分を追い詰めなくたって大丈夫だよ」

 

 ダンスパートナーは諭すようにプレストンの肩に手を置き、プレストンは地面を見るように俯く。分かってくれたか。だがプレストンは顔を上げ睨みつけるようにダンスパートナーを見つめた。

 

「そんな、分かったようなこと言わないでください!デジタルは才能も有って凄く強い。そんなデジタルに追いつくにはあたしはもっと練習しなきゃダメなんです!」

 

その言葉と声量にダンスパートナーはハッと驚き、そして優しく笑った。

 

「そうだよね。部外者が知った口利いてもしょうがないよね。じゃあ部外者じゃない人に説得してもらおう」

「プレちゃん!」

 

 するとデジタルが二人の後ろから声をかける。その顔は不安で今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「プレちゃんは強いよ!可愛くてかっこよくて速くて憧れで、それは今でも変わらない!今はあたしのほうがGI勝っているけどそれはプレちゃんの調子がちょっと悪いだけでプレちゃんを超えたと思っていない!そんなに追い詰めなくてもあたしより強いよ!嫌味に聞こえるかもしれないけどこれは本心だから。だから自分を信じて!それでもダメならあたしが信じるプレちゃんを信じて!」

 

 デジタルは自分の思いを赤裸々に告白する。ダンスパートナーはデジタルにたいしてプレストンが強いと思っているということをストレートに伝えろとアドバイスをする。

 そのアドバイスに対して嫌味に聞こえるかもしれないと難色を示した。そんなデジタルに対してこう告げた。

 

想いというのは想っているだけでは伝わらない、口に出して初めて相手に伝わると。

 

 

 かつての自分もデジタルと同じようなことを想っていた。だが嫌味や憐れみと捉えられるかもしれないと思い彼女に自分の気持ちを伝えられなかった。

 だが今思えば自分の思いを伝えるべきだった。そうすれば彼女はその言葉を糧に自分を信じられたかもしれない。彼女とプレストンのケースが同じとは限らない、だが後輩のには自分と同じ悔いをして欲しくなかった。

 

「デジタル…」

 

 プレストンはデジタルをじっと見つめる。高い自分への理想。自身のマイルチャンピオンシップでの敗北。香港での格下扱い。そしてデジタルのここ最近の活躍。

 早く勝ってデジタルに追いつきたい、早く負けを払拭したい。早く見返してやりたい。それらがプレストンの焦りを生み出す。GIを勝てない自分から速く脱却したいという弱さがハードワークをすればGIに勝てるという安直な思考に結びつき練習に逃げ込ませた。

 今自分に足りないのは練習することではなく、自分の現状から目を晒さず、自分を信じる強さだったのだ。

 

「わかった…あたしはあたしを、そしてデジタルが信じるあたしを信じる」

「プレちゃん!」

 

 デジタルはプレストンの元に駆け寄り抱きつく。

 想いが伝わってくれた。日々追い詰められていくプレストンを見ているのは辛かった。そして何もできないのはもっと辛かった。でもこれでいつものプレストンに戻ってくれる。

 

 プレストンも不安から解放されたかのか安堵した表情を見せる。

こんなにも心配かけていたのか、いつもはデジタルの心配をしていたのに立場が逆ではないか。デジタルには後で謝らなければならない、そしてトレーナーにも。

 自分の弱さのせいでトレーナーが考えに考えてくれた最善を信じることができなかった。

 

「おうおう学園青春ストーリーだな。ドラマだったら『エンダ~』ってボーカルをBGMにバックから湖の水が噴水みたいに噴射しそうだ」

 

 すると近くの屋台で買ってきた焼き鳥をつまみながらリョテイがダンスパートナーの元に近づいてくる。リョテイはプレストンと二人で話し合っているのを見てデジタルに気づかれないように場を離れていた。

 

「キンイロリョテイちゃんも空気が読めるんだね。そんな乙女思考が有ったとは思わなかったよ。メディアの印象とは違うね」

「プレストンが立ち直るのは香港三タテには必要不可欠だからな。それにウジウジされると部屋での居心地が悪い。おいプレストン!」

「はい…なんですかキンイロリョテイさん」

 

 プレストンはデジタルを引き剥がすと姿勢を正しリョテイの方を向いた。

 

 

「あたしもついでに言っておいてやる。トレーニングは地続きなんだよ。そんなマンガじゃあるまいし二日三日猛練習したって必殺技を覚えて強くなるわけねえんだよ。やるんだったらレース前の三ヶ月からその猛練習をしろ、それぐらいでやっと力になるんだよ。ジュニアクラスのガキじゃねえんだからそれぐらい気づけ」

 

 プレストンはリョテイの言葉に深々と礼をしてリョテイは鼻を鳴らし見つめる。

全く世話のかかる後輩だ、これだから真面目ちゃんは。リョテイも現役生活のなかでそうやって潰れたウマ娘たちを多く見ていた。

 

「よし問題ごとは解決したし!何か美味しいもの食べに行こうか!今日は私の奢りだ!」

「そんなの当然だろ!とりあえず肉!」

「あたしはウマ娘ちゃん喫茶!」

「あたしはエッグタルトを……」

 

ダンスパートナーの呼びかけとともに三人は歓声を上げ夜の繁華街に消えていった。

 

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「明日の健闘を祝して乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯!」

 

 

 ホテルの部屋にグラス同士がぶつかった際に生じる澄んだ音が響き渡り、三人はグラス注がれていた野菜ジュースを一気に飲み干した。

 

「しかし野菜ジュースにつまみがスティック人参ってしけてるな、肉もってこいよ肉」

「レース前にそんなもの食べてどうするんですか、明日のレースに勝ってから食べればいいじゃないですか」

「そうだよリョテイちゃん。ご馳走は明日までとっておこうよ」

 

 キンイロリョテイはTシャツ短パンのラフな格好ベッドに腰掛ける、エイシンプレストンとアグネスデジタルもパジャマ姿で部屋にある椅子を移動させて三角形を作るように座っている。

 リョテイが中心に置かれている机からスティック人参をつまむとデジタルとプレストンもそれに倣う様に人参をつまんだ。

 

 レース前日の夜。トレーナー達が作戦会議と言いながらも酒を持っている姿を目的したアグネスデジタルはならばあたし達もと女子会を開催することを提案する。

 キンイロリョテイは乗り気で、エイシンプレストンは満更でもないといった具合に了承した。本来ならばジュースやお菓子などをつまみながらするものだが、レース前に暴飲暴食はよろくないということで自粛し健康的な野菜ジュースとスティック人参に変わっていた。

 

「なんか夜のホテルでお喋りするなんて修学旅行みたいだね」

「じゃあ修学旅行名物の猥談でもするか、どキツイのを聞かせてやるよ」

「レース前夜に何話そうとしているんですか、やめてください」

 

 顔を赤らめながら拒否するプレストンに対してリョテイを冗談だよと笑いながら話を流す。

 

 香港ウマ娘協会から用意されたのはホテルの三人部屋だった。キンイロリョテイは個室を用意しろと駄々をこねたがそれは叶わなかった。そして三人はトレーニングや寝食を共にすることで互いを知り距離が近づいていた。

 

 アグネスデジタルとエイシンプレストンが抱いた第一印象は恐怖だった。

 

 初遭遇ではチンピラファッションで登場し、二人に啖呵をきるその姿はヤクザのようだった。だが一緒にいるうちにつれキンイロリョテイに対してのイメージは変わっていく。

 キンイロリョテイとは良くも悪くも姉御肌だった。ガサツで時々奇行に走る面もあるが、情熱的で血気盛んで面倒見もよく、プレストンとデジタルが他の国のウマ娘に絡まれているときは即座に駆け寄ると二人を庇い喧嘩寸前までの言い争いを巻き起こしていた。ウマ娘界きっての気性難と言われ、本来なら近寄りたくない人物である。

 だが何故かファンにもウマ娘達にも愛されているのが不思議だったがこの性格故にということを理解できた。

 

リョテイはデジタルとは天皇賞秋で一緒に走ったが特に接点はなく、香港に来るということで最近デジタルと一緒いるオペラオーとドトウからデジタルのことを聞いていた。 二人いわくウマ娘マニア、ウマ娘大好きっ娘。聞いたときは何だそれは思っていたが、一緒に行動する事でその言葉を理解することはできた。

 練習中でも他の国のウマ娘を粘着質な目線で凝視し、部屋ではウマ娘の画像を見ながらグフグフと気色悪い笑みを浮かべ、毎晩毎晩一緒に走ったウマ娘について聞いてくる。

 好きなものに夢中になり、他人の迷惑を顧みずそのことに聞いてくる。まるで無邪気なガキのようだ。そしてプレストンから天皇賞秋でオペラオーとドトウの妄想を具現化させながら走っていた聞いたときは大笑いした。なんて気色悪さだ。完全な変態の所業だ。だがそこまでの突き抜け具合はリョテイに好印象をもたらせていた。

 

そしてリョテイはプレストンに抱いた印象はくそ真面目だった。他のウマ娘に余所見するデジタルや時々手を抜いている自分と違い、二人を注意しつつ必死にトレーニングしていた。その真面目さゆえに香港に入ってからオーバーワーク気味であったがあの夜からオーバーワークをやめて、今は万全の状態だそうだ。本当に迷惑をかけるやつだ。

 

「キンイロリョテイさん。一つ聞いていいですか?」

「ん?何だ?」

「明日のレースで本当に引退するのですか?」

 

 プレストンの言葉に和やかな空気がピリつく。リョテイは香港ヴァーズを最後に引退を表明している。トレーナーもデジタルもそのことに触れずにこの日まで過ごしてきた。

 個人的な理由があるのだろう、だがプレストンは気になっていた。

 

「ああ、どんな結果になっても明日で引退だ」

「何故ですか、トレーニングで一緒に走っている限りまだまだやれると思います。力があるのに引退しても悔いはないのですか?」

「それはだな。これから衰えるからだよ」

「はい?」

 

プレストンは思わず聞き返す。衰えたじゃなくてこれから衰える?言葉の意味がまるでわからない。そんなプレストンにリョテイはめんどくさそうに説明する。

 

「お前らウマ娘の身体能力がある日に急激に衰えるのは知っているよな?」

「はい」

「うん」

 

 二人はリョテイの言葉に頷く。

 ウマ娘は人間のように老いで徐々に身体能力が衰えるのではなく、ある日を境に急激に身体能力が落ちていく。その原因は未だに解明されておらず、いつ衰えが始まるのかも個人差があり、長年衰えず走るものもいれば、すぐに衰えるが者もいる。

 

「それでたぶんあたしの衰えはそろそろ始まる。もって来年の4月ぐらいまでだろう」

「何でそんなことが分かるんですか?」

「勘」

 

 リョテイはきっぱりと答える。

 生来から動物的勘が鋭く、他の人物にはわからないことも未来予知めいて予想できることがある。そして多少の誤差はあれどこの予想は外れないだろう。

 

「それだったら結論を急がず衰えが確認できるまで走ればいいのではないですか?キンイロリョテイさんもGIが欲しいんですよね?昨年勝ったドバイシーマクラシックもGIに昇格しましたし、4月の1週にある大阪杯もGIに昇格しました。香港ヴァーズで引退しなくてもそのどちらかを走ってから引退しても遅くはないはずです」

「まあ普通ならそうだろうな」

 

 プレストンは言うことはごもっともであり合理的だ。だがそれではダメなのだ。リョテイは野菜ジュースを一気に飲み干しグラスを叩きつけた。

 

「あたしはGIを何が何でも取りたい。だから退路を断つ!香港ヴァーズにすべてを掛けて真っ白に燃え尽きるまで力を出し尽くす!出し尽くして衰えが来てもかまわない!」

 

 リョテイは頑丈なゆえに何回もGIに出走できた。それ故に今回負けても次が有ると無意識に思っていた。

 だが衰えという唐突な終わりを予知したことで自分は何故今までGIを取れなかったのかに気づいた、覚悟が足りなかったのだ。必要なのはすべてを掛ける捨て身の精神だ。

 

 二人はリョテイの雰囲気に身震いする。

 プレストンもGIを取りたいという気持ちは負けてないつもりだった。だがリョテイのほうが遥かにその気持ちが強かった。もし自分が同じ立場だったらリョテイと同じ覚悟できるだろうか?恐らくできない。一回より二回とチャンスの多さという合理的考えを選択してしまうだろう。

 

 デジタルもリョテイがそこまでの覚悟を持っていることは気付けなかった。明日を捨て今日に全てを賭ける。滅びの美学だろうか、その覚悟を持ったリョテイのその姿に美しさすら感じていた。

 

「なあ、GIを取るってどんな気分だ?」

 

 リョテイは唐突に二人に質問を投げかける。二人は思案し答え始める。

 

「あたしの場合は人気薄で気楽に走っていたから、勝ったというより勝てちゃった感じで実感が沸かなかった。でも白ちゃんもチームの皆も喜んでくれて、パパとママも国際電話でお祝いしてくれて、凄く嬉しかった」

「そうですね見える景色が変わった感じです。上手く言えないのですが勝ったあとだと見えるものがすべて違って見えました」

「凄く嬉しいに、見える景色が変わるね」

 

 嬉しいとはどれぐらいだろう?宝くじで一等が当たったぐらいか?景色が変わる?どんな風にすべてがピカピカに輝くのか?

 リョテイは想像するがすぐに辞めた。明日GIを取ればわかることだ。

 

「オペラオーちゃんがあのバカは潜在能力なら物凄いって言ってたし。そのキンイロリョテイちゃんが本気の本気で走れば楽勝だよ」

「そうです。貴女ほどの人がこれほどの覚悟で臨むのですから、それで取れなきゃウマ娘の神様はとんだ三流作家です。そんな脚本速攻で焼却炉行きです」

 

 明日はGI取りたいな。

 そう口から出かかった刹那の二人の言葉にリョテイは自身を自嘲する。何弱気になっている。何センチメンタルになっている。取りたいじゃない。取る!奪い取るんだよ!

 

「よし、前夜祭はこれで終わりだ!万全を期すために少し早いが寝るぞ」

「りょうか~い」

「はい」

 

キンイロリョテイの言葉とともに三人はグラスや飲み物を片付け寝床につく。

デジタルもベッドに行き目をつぶる。いつもなら寝る前は自分がグッとくるシュチュレーションなどを妄想して楽しむのだが今日は別のことを考えていた。

 

引退

 

 今までそんなことを考えたことはなかったが、キンイロリョテイがその言葉を口にしたことで今は意識していた。

 能力が衰え引退する日が必ずやってくる。そうなれば二度とレースで大好きなウマ娘達と走れなくなる。感じたのは幼い頃死について考えたときのような得体の知らない恐怖だった。

 デジタルは思わず背筋を震わせる。このままではダメだ。恐怖を取り除こうと強引に脳内妄想に没頭する。そして気づけば意識は途絶え眠りに落ちていた。

 




アニメなどのメディア作品では引退について触れられておりませんが、この世界観では引退します。
やはり競馬には引退要素はなくてはならないと思っていますので、引退要素を入れました。

設定としてはウマ娘に宿ったモデルの競走馬の魂、ウマ娘ソウル(勝手に命名)が徐々に衰えていき、その結果身体能力が衰えていきます。その衰えは人間の老いによる衰えとは違い短期間で衰えていきます。


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