勇者の記録(完結)   作:白井最強

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本編の遥か先の話です


太陽への追憶

 サキーはゲートに入ると心臓に手を当てて逸る気持ちを抑える。

 凱旋門賞、欧州最高峰のレースであり世界4大レースの1つ、欧州で走る者は皆このレースに勝つことを目標に日々のトレーニングに励んでいる。そして今、1番人気としてこのレースを走る。

 己にある試練を課す。ただ勝つだけではダメだ。何かインパクトを残さなければならない。それは己の強さを証明するような圧勝劇か、有力ウマ娘達が鎬を削り人々が熱狂する好勝負を演じて勝つ。

 凱旋門賞は欧州ウマ娘によって最大の名誉だ。このレースに勝利する為なら選手生命の全てを賭ける意気込みで走る者も少なくない。

 だが勝つだけでは飽き足らず先を見ていた。本人にとって夢の為には必要な事だが、他のウマ娘にとっては傲慢だった。

 

 レースがスタートしサキーは5番手ぐらいの位置につけ、道中徐々にポジションを上げ直線に入る頃には先頭に立ち、スパートをかける。

 他のウマ娘達との差は1バ身、2バ身、3バ身差と広げていく。これは他のウマ娘達とは追いついてこない。僅かながらの落胆を覚えながら思考を切り替える。

 狙うは2着との歴代最大着差をつけての勝利だ。勝利を確信しながら妥協することなく全ての力を振り絞り、ゴール板を駆け抜ける。

 その瞬間大歓声があがる。だが気にすることなく掲示板に視線を向ける。2着との着差は6バ身、これは最大着差タイである。

 記録更新とはならなかったが歴代最強欧州ウマ娘と名高いリボーやシーバードと同じと考えれば及第点であり、充分なインパクトを与えられた。

 本音を言えば圧勝劇ではなく有力ウマ娘達と鎬を削る名勝負を演じたかった。その方がより人々の記憶に残り、業界外の人々を惹きつける。とりあえず目標は達成したがまだまだ満足するわけにはいかない。

 

 ドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞、BCクラシック

 

 この世界4大レースを制覇し、業界の象徴となり1人でも多くの人がレースに興味を持ち、関係者が幸せになる世界を作るまでは止まるわけにはいかない。

 決意を新たにし、観客達の声援に応える為に最大限に人に好まれる笑顔を作る。

 

───

 

 サキーはロッキングチェアに揺られながらゆっくりと意識を覚醒する。少し日光浴がてら微睡んでいたら眠ってしまった。しかし随分懐かしい夢を見たものだ。半世紀前の出来事に懐かしさを覚える。

 1人でも多くの人がレースに興味を持って、1人でも多くの関係者が幸せになる世界を作る。その一念で人生を駆け抜けていった。

 現役引退後もレースの布教活動に全てを注いだ。世界中を飛び回りレースが行われていない国でもレース協会発足に尽力し、世界一のエンターテインメントに発展させた。

 休みなく働き続け、過労で何回か入院したことがあった。友人達には過労死する気かと止められたが、それでも働き続けた。

 夢が体を突き動かし続けた。モチベーションというものは時間が経てば経つほど消費されいずれ燃え尽きる。だがモチベーションは年が経っても一向に燃え尽きることはなかった。

 その結果レースは世界中で行われるようになり、一部の国だけでは無く様々な国で発展し、ウルグアイで生まれ育ちBCクラシックとドバイワールドカップを勝ったインヴァソール、ブラジルで生まれ育ちドバイワールドカップに勝ったグロリアデカンペオンなど様々な名選手が活躍した。

 視聴数や市場規模も長年世界1位だったサッカーを超え、文字通り世界で最も多くの人が見るエンターテインメントになる。

 

 サキーは世界で1番のエンターテインメントになったと確信すると活動から身を引いて隠居した。世界中の全ての人間が見るわけでは無いが、幼き頃に描いた夢は充分に叶っただろう。そう実感した瞬間モチベーションが一気に無くなってしまった。

 その後はイギリスに別荘を建てると今までの仕事の疲労を癒すように静かに暮らしていた。

 今1人で暮らしている。業界の発展に捧げた日々を過ごしているうちは結婚をする暇もなく、両親も他界し肉親は誰もいない。

 だがレースや仕事を通してできた友人もいて、時折連絡して交流しているので寂しくはない。先日はアグネスデジタルとビジネスパートナーだったフランキーと一緒にイギリスダービーを観戦し楽しい時間を過ごした。

 ロッキングチェアの台の上にある本を手に取り読み始める。今読んでいるのは日本のウマ娘サンオブターフオーの競争生活を綴ったものである。

 日本の地方の最底辺と言われる高知から中央や世界の強豪と繰り広げる名勝負は読んでいて心が躍る。

 隠居する前は業界の情報を把握していたが表面上のもので、アグネスデジタルが好むようなパーソナルな情報は全く把握できていなかった。だがこうして知ると面白く改めてレースの魅力に気づく。

 今は過去のレースを見てその当時の記事や本を読んで歴史を振り返っている。幸いにも時間は有り余っているので調べれば調べるほど新しい情報が有って楽しい。

 読書に熱中していると植え込みからガサゴソと音がする同時にサッカーボールが飛び出し庭の芝に転がる。すると同じ場所から金色の頭がヒョッコリ出てくる。頭から体が出てきて幼い少女は体に着いた葉っぱをパンパンと払う。

 

「おばあちゃん!お庭貸して!」

 

 金髪の少女が元気よくお願いし、サキーは快く了承する。それを見た少女は二ヒヒと満面な笑みを浮かべながらボールを蹴り始める。

 少女の名前はユリィカ、近所に住んでいる子供でどこかボールが蹴られる場所は無いかと探しているうちにここを見つけた。

 別荘の庭は正直に言えば無駄に広く、子供がサッカーをする分には一向に問題ない。ユリィカは独り言を呟きながらドリブルをしている。

 しかし本当に楽しそうだ。本を台に置きユリィカの姿を眺める。ユリィカの動作1つ1つには人を惹きつける華やかさがある。理屈が説明できない天性の才能、神からのギフテット。

 かつて現役時代は人から好かれその華やかさから太陽のエースと呼ばれていた。

 だがあれは全て計算し尽くしたものであり、偽物の太陽だ。そしてユリィカは正真正銘の太陽だ。その陽性は眩しくすらあり、もしあれが備わっていれば、もっと楽に業界を発展させられたのだろう。

 椅子から立ち上がり台所に向かうとユリィカの為に買っておいたクッキーを取り出し、紅茶を淹れ始める。

 

「美味しい?」

「うん!」

 

 サキーは疲れ始めた頃合いを見計らって休憩を提案する。クッキーを目ざとく発見したユリィカはサキーの元に駆け寄りクッキーをほうばる。

 

「おばあちゃん、あのね」

 

 ユリィカはソワソワとしながら話を切り出す。その声のトーンからしてそれなりに深刻な悩みなのだろう。何と相槌を打ち話し始めるまでゆっくりと待つ。

 

「ユリィはサッカー大好きで大好きで、みんなにも大好きになってもらいたいの。でも……皆レースばっかり見て、サッカーをちっとも見たりやったりしないの……だからそんなつまらないものよりサッカー見ようっていったら皆怒って……どうしたら皆が見たりやったりしてくれるのかな?」

 

 ユリィカは感情が溢れだしたのか、大粒の涙を流しながら大声で泣き始める。その瞬間脳裏に幼き日の記憶が蘇る。

 

―――皆どうしてレースの話をしないのだろう?

―――ねえ、そんなのものより、ウマ娘のレースを見ようよ

 

 レースを愛し皆もレースを愛して欲しいと思いながら、誰もが目を向けないことに苛立ち怒り発した一言、ユリィカはあの日と自分と同じ言葉を発していた。

 サキーはハンカチを差し出し感情が落ち着くのを待ち、頃合いを見計らって話を切り出す。

 

「ユリィカちゃんがサッカーが大好きなのは知ってる。でも皆も同じぐらいレースが好きなんだよ。もしユリィカちゃんがサッカーなんかよりレースの方が楽しいって言われたどう思う?」

「怒る!」

 

 ユリィカは頬を膨らませながら怒りを露わにする。その仕草がとても可愛らしく思わず顔がニヤケながら話を続ける。

 

「ユリィカちゃんが言ったことはそれと同じなの」

「そうなの?」

 

 ユリィカは自分の状況に置き換えて考え始め、自分がやったことのマズさに気づき始めバツが悪そうな顔を見せる

 

「後でみんなにごめんさいしないとね」

「うん……でもユリィはみんなにサッカーを見てもらって、みんなとサッカーの話をして、みんなとサッカーをやりたい!ねえおばあちゃん!どうしたら皆がサッカーを好きになってもらえるかな?」

 

 ユリィカは穢れの無い瞳でかつての幼き自分が抱いた疑問をぶつけてくる。

 

 幸福の総量は一定数である、それが持論だった。誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。幼き頃は誰もレースに興味が持たない不幸に苦しんだ。

 そして月日が経ち多くの人々がレースに興味を持つようになったことで、サッカーに興味を持たないという不幸がユリィカにおとずれていた。

 

「それはユリィカちゃんが業界の象徴になればいいんだよ」

 

 サキーは頭を撫でながら幼き頃に導き出した結論を告げる。

 

「業界のしょうちょう?」

「ユリィカちゃんがサッカーはレースよりも楽しくて、世界で1番楽しいって伝えるの」

「どうやったらできるの?」

「皆に大好きと思われる人になって、世界一凄いサッカー選手になるの」

「でも……ユリィはサッカー上手じゃないし、世界一なんて無理だよ」

「無理じゃない。なるんだよ。ユリィカちゃんはサッカーが大好きなんでしょう。このままじゃユリィカちゃんが望む世界は作れないよ」

 

 サキーは諭すような優し気な声に僅かに厳しさが籠る。世界一になると口には軽々しく言葉にできるが、達成することがどれだけ大変か身を持って知っている。

 愛するものを守る為に伝える為には世界一になるという覚悟が無ければ成し遂げられない。

 

「うん!なるよ!ユリィは世界一のサッカー選手になって、みんながサッカーを見てやってくれる世界を作る」

 

 ユリィカは自分に言い聞かせるように何度もつぶやく。その様子にサキーはかつての自分を重ねていた。

 

「でも大変だよ。私の世界は強いからユリィカちゃんに打ち破れるかな?」

「どういうこと?」

「私もユリィカちゃんぐらいの時にね、レースが好きだったけど皆が他のスポーツやエンターテインメントに夢中で、ちっとも見てくれなかったの。だからユリィカちゃんに言ったようにレースが世界で一番楽しいって伝えるために業界の象徴になろうって頑張った。そして私が望む私の世界になった」

 

 サキーは意地悪っぽく言う。自分が世界に作り上げたというのは事実では無いが、望む世界を作るために誰よりも尽力した自負がある。結果望む世界になったのだから間違いないではない。

 

「じゃあ、おばあちゃんのせいだ!返して!皆がサッカーが大好きな世界を返して!」

「ダメだよ。だっておばあちゃんはユリィカちゃんがサッカーが大好きと思う気持ちと同じぐらいに、いやそれ以上にレースが大好きだから」

「ユリィのほうがおばあちゃんより、ずっとずっと大好きだもん!」

「私のほうがずっとずっとずっと大好きだよ」

 

 サキーとユリィカはお互いの言葉に張り合う。言い争いの内容は幼子が言う内容であり、サキーも引き釣られるように雰囲気や言葉遣いが幼くなっていた。

 

「ユリィ帰る!」

 

 ユリィカはサキーが自分が好きなものを衰退させた張本人と知り、頬を膨らませながら歩き始める。サキーは手を振りながら見送る。

 ユリィカの人を惹きつける天性は本物だ。将来において自分が尽力したレース界の繁栄を脅かす最大の脅威になるかもしれない。

 ならば何故アドバイスをしたかのか?それはユリィカが過去の自分だったからだ。もし自分と同じ道を目指すなら途方もない苦労と困難が待っているだろう。だがその愛が本物なら成し遂げられるかもしれない。

 ユリィカが望む世界と自分が望んだ世界、きっと勝つのは自分の世界だ。何故なら世界で誰よりも深くレースを愛しているから。

 

───

 

「おばあちゃん!今日も借りるよ!ユリィは世界一サッカーが上手くなって、おばあちゃんの世界を壊してやるんだから!おばあちゃん?おばあちゃん!おばあちゃん!」

 

8月20日、サキーが自宅で死亡したのが確認される。

死因は老衰と診断され、その顔は驚くほど穏やかだった。

 

───

 

「ここは?」

 

 サキーは意識を覚醒させると目を開けてそこに映ったのはレース場だった。

 どこのレース場だ?現役時代、そして引退して仕事で訪れた様々なレース場の記憶を思い出し検索する。ここはベルモントレース場、かつてBCクラシックで走ったレース場だ。

 

「サキー様、間もなくレースは始まりますので、出走準備をお願いします」

 

 するとレース場の係員らしき男性が声をかけてくる。

 

「出走準備?私がレースを走るんですか?」

「そうです」

 

 係員の言葉に自分の体の変化に気づく、身体は10代の現役全盛期に戻り、服も当時の勝負服を着ていた。

 

「えっと距離とかコースとかメンバーは?」

「こちらのレーシングプログラムに記載されております」

 

 サキーはレーシングプログラムに目を通す。ダート2000メートル、出走メンバーはシアトルスルー、セクレタリアト、アファームド、アーリダー、シガー、サンデーサイレンス、スキップアウェイ等歴史的ウマ娘が多数居た。これではまるで夢の11レースではないか。むしろこれが夢の11レースか。

 かつてティズナウに負けたBCクラシックと同じコース、そして出走メンバーはティズナウと同等の強さのウマ娘が多数、これに勝利すればあの時のリベンジが果たせる。はるか昔に消えたと思った競技者としての熱が沸々と燃え上がっていた。

 他にはどんな名選手が出走するかとワクワクしながら目を通すと、思わぬウマ娘を見て声をあげる。

 ストリートクライ、同じゴドルフィンとしてダートプライドに走ったウマ娘、引退後も交友があり大切な友人だった。

 セイシンフブキ、ダートに全てを捧げたダートの求道者、目指す目的は違えどその情熱は尊敬に値する。そして本当に強かった。日本出身ながら選ばれるのは妥当だ。

 

「セイシンフブキさんはもう来てますか?」

「いえ、まだです」

「だったら迎えに行きます。初めてのベルモントで迷っているかもしれませんから」

 

 サキーは感情が抑えきれないと小走りで正門に向かう。

 ストリートクライ、セイシンフブキ、ダートプライドで走ったウマ娘達と再び走れる。あのレースは生涯のベストレースと断言できるほど素晴らしいものだった。

 そしてヒガシノコウテイ、アグネスデジタル、ティズナウは居ないが勝るとも劣らないウマ娘が出走する。これなら人々が熱狂し心躍るレースができる。

 そしてこのレースに勝ち、業界の象徴としてこの世界の全ての人々がレースを見る私の世界を作ってみせる。

 サキーは新たな夢を抱きながら歩み始めた。

 




8月20日、サキー号が死去しました。

トーシンブリザードに続いての訃報、登場人物のモデルになった競走馬が連日亡くなり、何とも言えない悲しい気分です。

サキーもこの小説を書くにあたって調べているうちに知りました。
白井調教師が香港カップに勝った後のインタビューで、サキーとドバイワールドカップで一緒に走ったら5馬身差千切られると言っているのを見て、なん……だと……と絶望感を味わいまし。
ドバイのダートに最も合うと関係者に評価されていたデジタルが5馬身差、その世界の広さに驚愕を覚えました。

凱旋門賞1着で次走のBCクラシックではハナ差の2着、中3週アメリカの地でダートレース、しかも当時のアメリカではテロがあったせいでUAEのゴドルフィンは完全アウェイでした。
そんな厳しい条件でハナ差の2着は本当に凄いと思います。

この小説を読んでサキーの事を知り、興味を持ってくれる方が1人でもいてくだされば幸いです。

サキー号のご冥福をお祈りいたします。

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