勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン#15

『只今より、第11レース、ダートプライドのパドックを開始します』

 

 アナウンスの声に、パドック広場に集まっていたファン達から自然に歓声があがる。そのファン達から少し離れた場所からプレアデスのトレーナー達はデジタルの登場を待っていた。

 

「こんな離れた場所からデジタルを見るのは初めてやな」

 

 トレーナーは感慨深げにつぶやく。今まではトレーナーとして間近で見ていたが、今はファンとして離れた場所で見ている。予定としては最前列でパドックを見るつもりでレース前の30分前ぐらいに行けばスペースを確保できるだろうと予想していたが、来た時は既に場所は埋まっていた。

 場所を確保していたダンスパートナー達に場所を分けてもらおうとしたが、分け与えるスペースがないということで、諦めて広場から離れた場所に陣取っていた。

 

「本日の6番人気、セイシンフブキ選手です」

 

 ランウェイからセイシンフブキが現れる。勝負服は上には白色の空手道着に下は緑のハーフパンツ、道着には桜吹雪がちりばめられている。姿を現した瞬間一斉に歓声があがる。

 

───待ってたぞセイシンフブキ!お前がダートのトップだ!ダートの底力を見せてくれ!

 

 セイシンフブキは次々にかけられる声援に特に応えることなく、悠然とランウェイを歩く。トレーナーはその姿を見た瞬間目を見開く。その気迫は遠く離れても伝わってきていた。

 そして南部杯と見間違えるように肉体改造されている。以前は線の細さが目立ったがその面影は欠片もない。何よりその体が光っていた。

 トレーナーは今まで何百、何万のウマ娘のパドックを見ており、その経験からごく稀にウマ娘が光って見えることがあり、そのウマ娘はほぼレースに勝利している。最近でいえば天皇賞秋の時のテイエムオペラオーとメイショウドトウ、ドバイワールドカップの時のサキーだ。オペラオーとドトウには勝てたが正攻法では分が悪かった。そしてサキーには負けた。

 普通のウマ娘にとって相手が絶好調なことを歓迎することはないだろう。だがデジタルにとっては諸手を挙げて喜ぶ出来事である。光るほど絶好調ということはより魅力的で煌めいているということだ。もし伝えれば満面の笑みを浮かべ喜ぶだろう。

 

「続いて本日の5番人気、ヒガシノコウテイ選手です」

 

 入れ替わるようにしてヒガシノコウテイが現れる。勝負服は赤色を基調にしたセーラー服に左右に濃紺の襷、青色に白の横一線が入ったマントはボタンで左肩に縫い付けられていおり、マントには何か文字が書かれていた。

 

───頼んだぞ地方総大将!俺達に夢を見せてくれ!頑張ってください!

 

 ヒガシノコウテイは声援が聞こえてきた方向に丁寧に応えていく。その声援の量はセイシンフブキと勝るとも劣らないほどの大歓声だった。

 セイシンフブキはピリつくような雰囲気を出していたが、ヒガシノコウテイはその空気を和らげるような柔らかな空気を醸し出していた。

 南部杯は何か追い詰められている感じが有ったが、今はごく自然体という印象を抱く。そしてその体は光輝いていた。

 

「続いて本日の4番人気、アグネスデジタル選手です」

 

 続いてデジタルが現れるが、その瞬間声援は騒めきに変わる。顔は半笑いで目線は定まらず、歩く姿はどこかフラフラしている。これがダートプライドに出走するウマ娘のパドックなのか。その姿は人々の不安をかきたてる

 

───デジ子頑張れ!レースを楽しんでこい!

 

 騒めきを掻き消すようにダンスパートナーやチームプレアデスのメンバーが懸命に声援を送るが、デジタルは一切応えることなくフラフラと歩いている。

 

「これはちょっとマズいんじゃないのか」

「デジタルさんもしかして調子悪いんじゃ」

「あんなデジタル見たことない」

 

 オペラオーとドトウとプレストンから不安の声があがる。同様にデジタルの両親達もお互いの手を握り不安そうに見つめている。トレーナーは皆の不安を振り払うようにはっきりとした口調で言い切る。

 

「問題ない、デジタルは絶好調や」

 

 締まりのない顔に覚束ない足取り、確かにトレーナーにも初めて見る姿であり不安を掻き立てられる。だがデジタルの姿は光っていた。そして光っているという事実からデジタルの変わりようも推測できる。

 パドックとはレース前にファン達に調子を見せるお披露目のようなものだ。ウマ娘達は調子のよさをアピールしよう、恥ずかしくない姿を見せようと体面を無意識に意識する。

 だがデジタルの頭にはそんな意識は欠片もない。考えていることは出走するウマ娘達のことだ。先程出た2人の姿を思い出し、これから出てくる3人の姿を想像することに全神経を傾けており、他のことへの意識が向いていないのだろう。それはデジタルが全てをウマ娘を感じることに意識を向けている証である。

 もし自分がトレーナーならレース前に説教しているだろう。ファンや観客にこんな醜態を晒すことは許されない。だが今日のレースはデジタルのものだ。どんな姿でいてもデジタルの自由だ。

 トレーナーの言葉に皆の不安が薄れていく。その言葉には有無を言わさない説得力があった。

 

「続いて本日の3番人気、ストリートクライ選手です」

 

 ストリートクライが現れるが周囲の騒めきは一向に収まらない、それはストリートクライの勝負服に原因があった。

 左半身はいつも来ている青の神官風の勝負服に手甲を装着していた。だが右半身は薄紫のワイシャツに革製のチョッキ、下はショートパンツサイズまで切り落としたGパンにガンベルトとウエスタンブーツを履いていた。

 ファッション性もなく関連性が全く見えず、まるで違う服を強引にパッチワークしたような異様さだった。勝負服の中には時には奇妙なものもあるが、ストリートクライの勝負服は群を抜いて奇妙であり、誰の美的感覚から見ても歪なものだった。

 周囲の全ての人間には意味が理解できないなか、キャサリロだけが勝負服の意味を理解していた。

 右半身のカウガール風の勝負服、これはキャサリロがイメージしデザインした勝負服だった。だがレースに勝てずゴドルフィンから去り着ることはなかった。その勝負服が今蘇りストリートクライが着ている。

 勝負服を着てレースを走るという過去に抱いた夢、その夢が世界最強を決める舞台で叶っている。キャサリロが思わず零れた涙を拭う。

 トレーナーは勝負服に戸惑いながらもストリートクライの姿を観察する。以前の淡泊さはまるでなくエネルギーが漲り、世界最強の一角に相応しい姿だった。その姿は他のウマ娘同様光り輝いていた。

 

「続いて本日の2番人気、サキー選手です」

 

 サキーが登場すると騒めきが治まりアラビア語で声援が送られる。その声量は地元のヒガシノコウテイやセイシンフブキと同等であり、外国のファンと考えればその人気の高さがうかがえる。

 勝負服だが上は臍が見えるタイプの白のインナーに、アラビア風の模様が描かれた青の上着を羽織り、下はジーンズのハーフパンツに、腰には青の腰布が巻かれている。そして手足には縄のような紐がバンテージのように巻かれている。

 姿を現すだけで会場の空気を変える華やかさと陽性、動作の全てが目を惹かせる。その太陽のような存在感はドバイで見た時と全く変わらず、同様にその体は光り輝いていた。

 

「最後は本日の1番人気、ティズナウ選手です」

 

 最後にティズナウが現れる。

 勝負服はピンクを基調にした軍服で青色の水玉模様に両肩には星のマークが描かれている。姿を現した瞬間、この日1番の歓声があがる。外国のウマ娘でありながらこの声援、それはファンの数と熱量の多さの証でもある。

 ティズナウは声援に応えながら胸を張ってランウェイを歩く。その姿はエネルギーに溢れ、見ているだけでエネルギーが分け与えられて元気がもらえるようだ。そして他のウマ娘と同様に光り輝いていた。

 パドックが終わると出走ウマ娘は地下バ道に向かって行き、観客達もスタンドに向かって行き、トレーナー達もチームプレアデスのメンバーと合流し関係者席に向かった。

 

───

 

「まだ始まらないのかい」

 

 オペラオーは関係者席からコースを眺めながら指でトントンと腕を叩き、苛立ちを露わにする。

 パドックが終わってから30分経過したが、一向に本バ場入場が始まる気配が無かった。中央のレースならパドック終了からすぐに本バ場入場が始まる。

 

「知らないんか?ダートプライドはドバイ式やから時間かかるぞ」

「ドバイ式?」

「レース前に1人ずつ入場曲をかけながら本バ場入場して、ド派手に演出するんや」

「それは随分エンターテイメントじゃないか!ボクも毎回その方式で入場したかったよ!」

 

 オペラオーはトレーナーの答えに愉快そうに笑いながら、自分の入場演出をドトウ達に話しかける。

 ダートプライドの運営はよりエンターテイメント性を重視して、ドバイワールドカップの演出を模倣した。正直ドバイのように運営資金が有るわけでは無いのでロックバンドを呼ぶなどはできないだろう。

 するとレース場が暗転し、ある個所にスポットライトが当ると同時にオーロラビジョンに映像が映る。スポットライトに当るその人物はイナリワンだった。

 イナリワンもダートプライドを盛り上げるプレゼンターとして大井レース場に来ていた。

 

「じいちゃん、ばあちゃん、にいちゃん、ねえちゃん、今晩は!アタシはイナリワン!喧嘩と祭りは江戸の華!今日は祭りの匂いに釣られて駆けつけちまった。駆けつけついでにダートプライドの前説をやらせてもらうぜ!」

 

 イナリワンの小気味良い言葉を紡ぐ、レースを何回か見た者はレース前に前説という初めての経験に留まる一方、初めて来た観客達はイナリワンの陽気な雰囲気に当てられ拍手を送る。

 

「皆知ってるかもしれねえが、アタシみたいに祭りの空気に釣られた江戸っ子のために説明してやんぜ。きっかけはアグネスデジタル!サキーにリベンジしてぇ!でも一緒に走れるレースがねえ!なら作っちまえと創設されたのがダートプライドだ!」

 

 BGMに三味線が流れて徐々にテンポが速くなり観客達の高揚感を煽る。

 

「本当は各ウマ娘を紹介してえところだが、お偉いさんがささっと終わらせって急かしやがる!こんちきしょう!」

 

 イナリワンの内輪ネタにレース場から笑いがおこり、『レースを見たいから手短に』と囃してたるような声援が投げかけられる。

 

「分かった分かった。ささっと説明するぜ!じいちゃん、ばあちゃん、にいちゃん、ねえちゃん。喧嘩、かけっこ、何でもいい。一度は何かのてっぺんを目指して頑張ったよな。いっぱい汗を流して、いっぱい努力して、いっぱい涙を流して!」

 

 その言葉に観客達は自分の過去に想いを馳せる。様々なジャンルで一度は頂点を目指し挫折した記憶を懐かしみ、ある者は苦々しい記憶を思い出し表情が渋る。

 

「アタシもレースでてっぺん取りてえって頑張ったんだぜ。それでもてっぺんには届かなかった。でもレースに走る6人はべらぼおな障害に挫けず頑張り続けた!汗と涙の努力の頂点だ!そしててっぺん立ちてえと進むたびに色々と捨てて、人は離れていく、まさに孤独な挑戦だ。そんな奴らが世界一を決める為に戦うんだぜ?ワクワクしねえか?ウキウキしねえか!その気持ちをそのまま出しちまえ!何?恥ずかしい?ここは祭りの会場だぜ!祭りで騒がないなんて嘘ってもんだぜ、べらんめえ!それにここに来た奴らは黙っていられるほど大人じゃねだろう !」

 

 イナリワンの言葉にレース場の沸点は一気に上がる。それぞれの分野でどう足掻いても勝てないと思わせる者に出会い、自身の才能と実力の無さを痛感し頂点への道を諦める。

 自分にできないことを出来る。それをできるようになるために多くの努力を積んだ。道を諦めた者はその者にある種の尊敬の念を抱くと同時に憧れになる。

 その憧れも別の憧れによって頂点への道を諦める。それを繰り返して残ってきたトップオブトップがこのレース場に集まり頂点を決める。

 観客達はダートプライドに走る6人をそれぞれの憧れの頂点に置き換え、その憧れの戦いに心が躍っていた。

 

「それじゃあ、目一杯叫んで選手を迎えてやんな、選手入場でえい!まずは南関東の求道者!セイシンフブキ!」

 

 イナリワンの呼びかけとともに曲が流れ始め、地下バ道からセイシンフブキが現れる。

 手には羽田盃、東京王冠賞、東京ダービー、ジャパンダートダービー、かしわ記念のレイを持つ。普段とは全く異なる入場、数メートル先にはカメラマンが撮影しながら歩く。

 だが構わず歩き続ける。地下バ道を抜けると眩いばかりの照明と大歓声が出向かる。このナイターレース独特の雰囲気、地方独特の雰囲気に懐かしさと心地よさを覚えていた。

 

『日本のレースは欧州の模倣から始まりました。桜花賞、オークス等のティアラ路線、皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック路線を整備し、天皇賞春、天皇賞秋、有マ記念を開催しシニア路線を整備しました。芝を走る者がスポットライトを浴びるなか、ダートは日陰を歩み続けました。かつての中央にはダートのクラシック路線も無く、シニア路線にはGIすらありませんでした。ウマ娘達はダートを避け芝に集まるなか、皆が囁きます。ダートは芝の2軍だと』

 

 セイシンフブキはゆっくり歩きダートコンディションを確かめながら、場内実況の口上に耳を傾ける。

 砂塵を巻き上げ砂まみれになりながら走るウマ娘の姿に初めて見た瞬間から虜になっていた。

 だがダートが置かれている環境に愕然とした。世間はダートに全く興味を持っていなかった。メディアも周りの人間も話すのは芝の話。まるでダートは無価値だと言われているようで嘆くと同時に怒りを覚えていた。

 

『それに待ったをかけたのがセイシンフブキでした。ダートは芝より劣っていない。ダートは芝より凄い。しかし世間は声高に叫び続けたセイシンフブキに冷ややかでした。そして去年の2月、アグネスデジタルとの相まみえました』

 

 ダートの地位を高め世間の目を向かせてやるという野心と反骨心を胸に日々を過ごした。だがいくら勝利を重ねてもダートは芝の2軍という論調は変るどころかオールラウンダーの存在で拍車がかかる。

 近年ではダートGIが増えたことで、芝で活躍できなくなったものが活躍の場を求めてダートに参戦してきた。多くの芝ウマ娘は敗れ去ったが一部のウマ娘は勝利していく。

 それを見て周囲はこぞって言った。芝で成績を残せない者がダートでは勝てる。ダートはレベルが低く芝の2軍であると。

 そんな矢先フェブラリーステークスでアグネスデジタルと走る機会を得た。芝でもトップレベルのアグネスデジタルに勝てばダートは2軍と言う論調を止められる。

 

『結果は無残に返り討ち。ますます拍車がかかるダートは芝の2軍扱い。それでも屈辱に耐え抜き先にある道を信じ歩み続けた!』

 

 そして敗れた。これでダートが芝に劣っているとますます言われる。失意のどん底のなかに出会ったのがアジュディミツオーだった。セイシンフブキはアジュディミツオーが居る関係者席に視線を向ける。

 アジュディミツオーはレースを見てダートの魅力を知りダートは凄いと言った。その一言が野心と反骨心に火を灯した。トレーニングを重ね、袂をかかったアブクマポーロと和解しダートの頂を目指し続けた。

 

「愚直に道を究め続ける姿に人々は少しずつ注目し声援を送りました。そんな矢先でのダートプライド開催。ティズナウ、ストリートクライ、サキー、ジャパンカップでも集まらないビッグネームが集まりました」

 

 前走の南部杯ではアグネスデジタルに先着し、借りを返した。世間は称賛の声をかけ少しずつダートに目を向けるようになった。そしてアグネスデジタルが企画したダートプライド、世界的なビッグネームが集まり今まで以上に注目されていく。

 何が何でも勝たなければならない。その為に地方の為ならダートより芝を走る事を選ぶと言った、価値観が相容れないヒガシノコウテイに土下座して勝つ術を学んだ。

 

『そして今この瞬間日本だけでは無く世界中が見ています。向かい風は今追い風に変っている!スポットライトを浴びているのは芝のWDTターフではない!砂のダートプライドだ!』

 

 スタンドを改めて見渡すと今まで以上に多くの客が入っていた。その中の何割かはダートファンだろう。

 アグネスデジタルに負けた自分に落胆した者も多いだろう。それでもダートに対する情熱を感じ取り、声援を送り続けた者が居てくれた。

 安心しろ、このレースに勝って胸張ってダートファンだと言わせてやる。ダートレースに勝つ者はダートに対して最も情熱を注いでいる者だ。ならば勝つのは自分以外あり得ない!

 

『勝利の先にある道を掴み取れ!史上初の無敗の南関4冠ウマ娘!セイシンフブキ出陣!』

 

 セイシンフブキはレイを重ねるようにコースに置くとダートに耳を当てながら手で砂を叩き、次に砂を手で掬うと鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。その砂を口に入れて味を確かめ、手に砂を吐き出しそれを絵の具のようにして頬に1本の横線を描いた。

 その光景を見てスタンドの一部が湧く、5感でその日のダートコンディションを確かめる。南部杯から始めた動作だった。

 セイシンフブキは自分が来た方向を見つめる。

 

『続いて、ヒガシノコウテイ選手の本バ場入場です』

 

 アナウンサーの掛け声とともに入場曲が変わり、オーロラビジョンにはヒガシノコウテイの姿が映し出される。

 

『かつてオグリキャップという眩いばかりの星がありました。彼女の走りは世間を沸かすと同時にロマンと幻想を与えました。中央の2軍と呼ばれる場所から這い上がり、強者を倒すというロマン、そして地方にはまだ見ぬ強豪がいるかもしれないという幻想を作り上げました』

 

 オグリキャップ、かつて地方の笠松ウマ娘協会から中央に殴り込み、数多くの名選手と激闘を繰り広げ、トゥインクルレースブームを引き起こした稀代のアイドルウマ娘、彼女はブームを引き起こすともに地方に光を与えた。

 だがその光は一瞬のものだった。第2のオグリキャップは一向に現れず多くの人は地方から足を遠ざける。だがそれでもオグリキャップが与えたロマンと幻想を求め僅かな客が留まった。

 

『しかし交流重賞元年、中央に蹂躙されていく地方ウマ娘達、そのなかには当時地方最強と言われた東北の怪物トウケイニセイもいました。ロマンは消え失せ幻想は砕け散り、多くの地方ファンは嘆き悲しみました』

 

 脳裏にあの日の光景が浮かび上がる。鈍色の空、嘆くでもなく悲しむでもなく、ただ茫然と虚空を見る観客達、トウケイニセイが中央のウマ娘に勝ち続ける。永遠に続くと思っていた勧善懲悪の夢物語は終わり、非情なまでの現実を知った。

 

『夢から覚めた地方ファン達は次々と地方から離れていきます。それに連動していくように遠のく客足、閉鎖していく地方レース場』

 

 その日以降、地方の人気は加速度的に落ち次々とレース場が閉鎖していった。

 1一番愛着を持っているのは岩手ウマ娘協会だったが、他の地方も同様に愛着を持っていた。その仲間たちが次々と居なくなる。もしかしたら岩手ウマ娘協会もなくなってしまうかもしれない。

 地方のウマ娘が中央に蹂躙され、その姿を見て悲しむファン、人気低迷で閉鎖していくレース場。その恐怖に体を震わせる日々が続いていた。

 

『それを食い止めたのがメイセイオペラでした。同じ地方のアブクマポーロとの名勝負、史上初地方所属での中央GI制覇!人々は再びロマンと幻想を抱きました』

 

 幼馴染で姉のような存在であるメイセイオペラ、彼女が恐怖を取り除いてくれた。オグリキャップを彷彿とさせる活躍で地方に関心を向け客の足を運ばせた。

 だがそれはオグリキャップブームに比べれば微々たるものだった。依然として切迫した状況が続いており、少しでも抗おうと地方のウマ娘と関係者が尽力している。

 

『そしてヒガシノコウテイが道を継ぐように中央のウマ娘を倒してきました!そして前走の南部杯では一昨年破れたアグネスデジタルを倒し、岩手の至宝を奪還!』

 

 地方を守りたい、地方の愛する者を喜ばせたい、メイセイオペラのようになりたい。時が過ぎ成長していく過程でその気持ちは膨れ上がり、メイセイオペラと同じように岩手ウマ娘協会の門を叩いた。

 岩手で様々な経験を重ね強くなった。そして前走での南部杯ではアグネスデジタルを倒して一昨年奪われた岩手の至宝を奪還した。あの日の光景は一生忘れない。

 

『機は熟した!ダート世界一になって地方のファンにオグリキャップ以上のロマンと幻想を見せてくれ!』

 

 肩に縫い付けられたマントに視線を向ける。そこには今ある地方レース場と閉鎖したレース場の名前が書かれていた。

 今は無きレース場で走ったウマ娘と今いる地方ウマ娘の想いを背負い、地方を守る為に走り勝利する。そしてオグリキャップブーム以上のブームを巻き起こす。

 このレースは世界的に注目され、これに勝てば地方の名が世界に知れ渡り、多くのファンが地方に足を運ぶ。願望交じりの楽観的思考だがそうなる未来を信じていた。

 レースに勝利し、地方のロマンと幻想を生み出す。そして次なるロマンと幻想を生み出せる者が現れるまで、生み出し続ける!

 

『ホームでは絶対に負けられない!まごうことなき地方の総大将!東北の皇帝!ヒガシノコウテイ!』

 

 ヒガシノコウテイはセイシンフブキを一瞥し、東京大賞典のレイと南部杯のレイをセイシンフブキが置いたレイに重ねるように置いた。

 

『続いてアグネスデジタル選手の入場です』

 

 ヒガシノコウテイの本バ場入場が終わるとレース場の照明が最低限のものを残して一気に落ちる。レース場全体が騒めきに包まれるなか、オーロラビジョンに映像が映る。

 それはドット絵グラフィックのゲーム画面のようで、見ている者はドラグーンクエスト、通称ドラクエのようだと思っていた。

 画面に居るのはドット絵グラフィックになった勝負服を着たアグネスデジタル、そのデジタルはザッザッザとSEを鳴らしながら暗闇の中を歩き続ける。

 すると画面は暗闇から石畳の部屋に変り、中央には巨大な穴と黒いフードを被ったキャラクターが居た。

 

───この先に行くには200000000ガルド払う必要がある。どうする?

 

 ピピピピというSEが鳴り、フードのキャラクターが喋る。

 

 →はい

 

 いいえ

 

 メニューバーに表示されていた所持金が0になる。

 

──この先に行くには友人や師と別れ、勇者の称号を捨てなければならない。どうする?

 

 →はい

 

 いいえ

 

 メニューバーにあった勇者の称号が消える。

 

──この先に行くにはレイと記憶を差し出さなければならない。どうする?

 

 矢印はアイテムの欄に移動し、マイルCS、南部杯、天皇賞秋、香港カップ、フェブラリーステークスを選択し、SEが鳴るとともに次々とアイテムは消えていく。最後は記憶に矢印が移動しSEが鳴ると記憶も消えた。

 

──条件はクリアした

 

 画面のデジタルは巨大な穴に飛び込む。それと同時にレース場の照明は点灯し曲が流れるともに本バ場入場が始り、両肩には勝ち取ったレイ5枚を携えて入場する。

 

『全ての始まりはこのウマ娘からでした。走れるレースが無ければレースを作ればいい。友やライバルに声をかけ、様々な手段を講じました。その熱意が様々な人を惹きつけダートプライドの開催にこぎつけました。通常では絶対に開催されることが無かったレース、まさに隠しダンジョンです』

 

 サキーに勝ちたい、セイシンフブキに勝ちたい。ヒガシノコウテイに勝ちたい。今考えれば実に不純な動機から始まった。デジタルは過去を思い出し自嘲する。何故そんなことに囚われていたのだろう。

 

『だがアグネスデジタルに待ち受けていたのは困難の連続でした。世間からの批判、地方への移籍、友人やトレーナーとの別れ、称号と思い出の献上、数々の犠牲を払いこの場に立っています。それだけの価値がこの舞台には有る!』

 

 我を通すにあたって様々な障害が待ち受け、払う必要がないとい思っていた犠牲まで払ってしまった。脳裏にチームメイトやトレーナーの姿が浮かび上がる。だが刹那で消え去り、意識を目の前にいるヒガシノコウテイとセイシンフブキに向ける。

 

『勇者の称号をつけたのは中央ウマ娘協会でした。そして中央ではないアグネスデジタルは勇者ではないかもしれません。ですが犠牲を払い前に進み続けるその姿は紛れもない勇者です!真の勇者は所属すら選ばない!勇者アグネスデジタル推参!」

 

 デジタルは2人が置いたレイの上に自分のレイを重ねる。その際に過去のレースの思い出が蘇るがこれも刹那に打ち消す。今考えることはこの5人のウマ娘を感じることのみ、それ以外は邪念である。

 2人を一瞥した後に地下バ道に視線を向け、残り3人の入場を待つ。

 

『続いて、ストリートクライ選手の本バ場入場です』

 

 入場曲はアイリッシュロックのメロディーに変る。かつて故郷でキャサリロと一緒に聞いた思い出の曲を背に入場する。

 

『未完の大器、かつてのストリートクライはそう揶揄されていました。殻を破れば世界の頂点に立てる。関係者は信じ続けましたが何をしても殻を破れませんでした。それを破ったのは無名で未勝利のウマ娘でした』

 

 キャサリロがゴドルフィンを辞めてからの日々は虚無だった。居なくなった悲しみに耐える為走る理由を忘れ、心を鈍化させ日々を過ごし何となくで走っていた。そんな日々はキャサリロが再び現れたことで日々の世界に色がついた。

 

『殻を破ったストリートクライは連勝街道を突き進み、ブリーダーズカップのメインレースに勝利するまでになりました』

 

 キャサリロと一緒になってからの日々は充実し、人生で1番楽しい日々だった。勝つごとに2人で祝杯をあげた。その時に呑んだ人参ジュースの味は今でも思い出せる。

 勝つごとに部屋に積み重なっていくトロフィーとレイ、2人で勝ち取った勲章を見るたびに誇らしくなった。

 

『だがストリートクライは満足しません!過去!現在!未来において最強であることを証明する為に、芝ダート短距離マイル中距離長距離全てのレースに勝つと宣言しました。皆は笑うがストリートクライは欠片も疑っていません。何故なら殻を破ってくれた親友がいるからだ!』

 

 誰から見ても無謀な目標、フィクションの登場人物すら思わない荒唐無稽な妄想である。

 1人ではこんな目標を抱くことすらなかっただろう、だがキャサリロが居れば達成できる。2人は1+1=2ではない。1+1=∞だ!

 

『自分1人では大したことはない、だが2人なら最強だ!どこまで行ける!どこまでも高く飛べる!その名を刻め、ストリートクライとキャサリロという最強のウマ娘達を!伝説の幕開けなるか?大器ストリートクライ!』

 

 ストリートクライはBCマラソンのレイを重ねるとキャサリロがいる関係者席を指さし、その手を自分の心臓に当てる。自分達は2人で1人、常に一心同体であるとキャサリロだけに分かるようにジェスチャーで示した。

 

『続いて、サキー選手の本バ場入場です』

 

 持ち歌をアレンジした入場曲とともに姿を現す。その太陽のような陽性にあてられたのかパドックの時と同様の大歓声はあがり、会場の空気はサキーの物となる。

 勝負服の上にオレンジ色の派手なガウンに太陽のシンボルマーク、これは凱旋門賞やブリーダーズカップクラシックなどのビッグレースの時に着用するガウンである。

 それだけでサキーを知る者達にはこのレースのかける意気込みが伝わってくる。

 

『かつて日本には多くのビッグネームが来日しました。中には芝の頂点と言われる凱旋門賞に勝ったブロワイエもいました。だがサキーは芝の頂点とダートの頂点を取った唯一無二のウマ娘です。その格は史上最高だ!』

 

 コースに入ると歩みを止め振り返りスタンドを見つめる。素晴らしい熱狂だ、会場の規模はドバイよりは小さい、だが感じる熱はドバイの時と同様である。皆がダートプライドに期待し、刺激を求め心に刻まれる何かを求めている。

 

『そのウマ娘が極東のエキビションにやってきました。参加費2億円、総額賞金12億円のウイナーテイクオール方式、盤外での挑発合戦、レイと勝ち鞍を賭ける。次々に起る刺激的な展開に世間の注目と期待は一気に高まります』

 

 アグネスデジタルのアイディア、ティズナウの挑発、ティズナウとストリートクライの間に交わされたレイと勝ち鞍の賭けに便乗したセイシンフブキとヒガシノコウテイ、皆が居なければここまで盛り上がらなかった。今世界中の多くの人がレースに興味を持ち心躍らせている。

 

『負ければ世界4大タイトルの内の3つ、ドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞のタイトルを失い、太陽は沈む事になります。だがそれでもサキーは己のレイと勝ち鞍を賭けた!それほどまでにこのレースは価値が有る!』

 

 レースまでの過程、出走メンバー、このレースは間違いなく今後語り継がれることになるだろう。

 業界の全てのウマ娘と関係者の幸せと1人でも多くの人にレースを見てもらうという夢の為には業界のアイコンにならなければならない。そしてこの伝説のレースに勝てばより業界のアイコンとしての高みに登れる。

 

『太陽のエース!日出る国に初上陸だ!』

 

 

 

 レイと丁寧に重ねながら各ウマ娘を見つめる。ストリートクライは今まで最も気力が充実している。

 ヒガシノコウテイとセイシンフブキも断固たる決意を秘めているのが伝わってくる。

 デジタルは全てを見透かそうとする粘着質な目線を向ける。

 

 ドバイの直線での感覚を思い出す。あの時のデジタルは本当に強く、彼女のお陰で自分の底力をさらに引き出せた。この感じならドバイの時と同様、いやそれ以上に追い詰めてくれるだろう。

 

 サキーはこのレースが伝説になると確信した。

 

『続いて、ティズナウ選手の本バ場入場です』

 

 ティズナウがその姿を現す。両肩にはBCクラシックのレイ、背中には星条旗を背負っていた。その瞬間スタンドの一部から熱狂的な声援とティズナウコールが起こる。

 その姿に漲る圧倒的な自信、彼女はアメリカの英雄であり、このレースに勝利しストリートクライからアメリカの誇りを取り戻し、アメリカの強さを証明してくれると確信していた。

 一方他の客もその姿に感嘆する。自信を服に纏ったような威風堂々とした姿、海外からの名選手を見てきた客もその発せられる圧倒的なエネルギーに心が躍る

 ティズナウは観客席にもっと声をあげろとジェスチャーを見せ煽り、その煽りに応じるようにさらに声援が大きくなる。

 サキーの入場によって流れていた空気をそのカリスマ性で奪い返していた。

 

『レース大国アメリカ、その中でも最強のウマ娘がやってきました。アメリカ最強を決めるBCクラシックを史上初の2連覇のリビングレジェンド!ティズナウです!』

 

 レース場を一瞥する。アメリカ以外のレース場で走ることはないと思っていた。だが偶然の重なりによって日本のレース場に来ている。だが悪くはない。

 その熱気とエネルギーはアメリカで走った時に感じたものと勝るとも劣らない。

 この熱気を浴びて走る日本のウマ娘は強くなるだろう。そして王者の魂を持った者の走りを目を背けず感じ取ればさらに強くなれる。

 

『ゴドルフィンに所属するストリートクライとサキーをどちらのホームでもない日本で叩きのめし!アメリカ出身でありながら他国に逃げた軟弱者に真の王者の力を見せ!レース途上国日本のウマ娘に真の王者の力を知らしめる!』

 

 世界は勘違いをしている。世界のトップはアメリカだ。このレースを見ている世界中の多くの人々はこの揺るがない事実を知ることになる。そういった意味で話題を提供し人を集めた5人には感謝しなければならない。

 

『世界中のウマ娘は刮目せよ!アメリカ出身のマル外は悔い改めよ!戦いのど真ん中はいつだってアメリカだ!トップオブトップ!ティズナウ!』

 

 BCクラシックのレイを重ねることなく、出走ウマ娘達の前に立ち眼前にレイを掲げてアピールする。そのパフォーマンスにレース場から歓声が上がり、最後にレイに口づけを交わして置いた。

 

『間もなく発走いたします、今暫しお待ちください』

 

 全ウマ娘の本バ場入場が終わり、ゲートを運ぶ車がダートコースにスタート地点を設営する。

 その間ウマ娘たちはウォームアップをしながら、スタートに向けて集中力を高めていく。レース場では興奮を抑えきれないといわんばかりにざわめきが起こり続ける。

 トレーナーは心臓に手を当てながら興奮を抑え込む。そうしなければ口から心臓が吐き出そうだ。この一戦でデジタルの人生は大きく左右すると言っても過言ではない。そう考えると平常心でいられなかった。

 そして周りも同様だった。セイシンフブキの弟子であるアジュディミツオーは力いっぱい握りこぶしを作りながら出走ウマ娘達を見つめ、キャサリロは目を瞑りながら手を合わせ、ゴドルフィンのトップである殿下は平静を装っているように見えるが無意識に貧乏ゆすりをしている。

 ここにいない出走ウマ娘の関係者も同様の心境だろう。勝者は全てを得て、敗者は全てを失う。まさにウイナーテイクオール、オールオアナッシングだ。

 気が付けば次々と出走ウマ娘達がゲートに入っていき、最後に大外のセイシンフブキがゲートに入っていく。

 

『金、名誉、夢、欲望、プライド、信念。奪う為、守る為、証明する為に全てを投げ打ちやってきた誇り高き6人による夢の競演ダートプライド、左回り2000メートル、ダートコンディション良、片時たりとも目を離すな!今スタートしました』

 

 


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