勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と隠しダンジョン♯16

『さあ、各ウマ娘スタートを切りました。先頭を行くのはサキーか?いやティズナウです。ティズナウがグングンとポジションを上げてハナを主張します。その1バ身後ろにストリートクライ、サキー、ヒガシノコウテイ、後ろ1バ身にアグネスデジタル、さらに3バ身半後ろにセイシンフブキ、南部杯と同じように後方待機の構えか?』

 

 全てのレースで逃げを打ってきたティズナウがハナを主張し、先行脚質のサキー、ストリートクライ、ヒガシノコウテイが続き、差しも出来るアグネスデジタル、追い込みもできるセイシンフブキが殿という隊列、大方の予想通りの展開になる。

 

「ストリートクライが仕掛けたな」

「はい、ティズナウの出足を挫きました」

 

 関係者席から見ていたプレアデスのトレーナーの言葉にエイシンプレストンが返事する。

 スタート直後ティズナウが一瞬減速し、1ハロン目では好スタートを切ったサキーに先頭を奪われ、2ハロン目で何とか先頭に立った。

 一見スタートミスに見えたがストリートクライが近づいた際にティズナウは減速した。これは恐らくストリートクライが何か仕掛けた。

 この仕掛けを察知できたのはレース場において、寮でデジタルと一緒にレースを見続けたプレストン、出走相手を研究していたプレアデスのトレーナー、そしてゴドルフィンの最高責任者殿下と無二の親友であるキャサリロだけだった。

 元現役選手であるオペラオー達の目すら欺く妨害、だがトレーナー達も詳細は分からなかった。

 オーロラビジョンに映った映像を見る限り明らかな接触があったわけではない。だが減速した。2人はあらゆる可能性を考えるが答えは浮かばなかった。

 

 ストリートクライは自身が崩しと呼ぶ技術でティズナウの態勢を崩し減速させた。だが今回は肩などで体にぶつかるという分かりやすい崩しでは無く、より高度な崩しをしていた。

 接触したのは右の蹴り足、ダートを踏みしめ蹴り上げる瞬間に左足でバランスを崩すように接触して崩した。

 普通ならば蹴り脚に接触した程度ではバランスを崩し減速しない、だが天性の才覚で相手の重心や筋肉の動きや呼吸を見極められるストリートクライだからできる芸当である。

 そしてティズナウの隣の1枠のサキーはスタートセンスも良く、出足のテンも並の逃げウマ娘並に速い、崩されたティズナウでは先頭に立てるわけはなく、結果1ハロン目ではサキーが先頭に立つ。

 一方ティズナウは何としてでも逃げたいウマ娘であり、強引にでも先頭を立とうとし、結果無駄足を使うことになる。全てはストリートクライの作戦通りだった。

 だがこれはリスクがある作戦だった。崩しの技術には弱点が有り、相手の情報が無いと成功率が落ち、失敗してしまうと崩しをした分だけ自身が遅れてしまう。

 チームメイトのサキー、そしてキャサリロが必死に情報を集め、動きをコピーして練習をした日本勢の3人なら、比較的楽に崩せる。

 だがティズナウはキャサリロでも情報を得られず、今までのレースや前々日会見や直前のパドックや本バ場入場の歩き方や動きを見て、情報を得ることしかできず、成功する保証はなかった。

 リスクを背負ってまで崩したが結果は成功し、出足を使わせる。一見すれば充分取り返しのつく僅かなロスに見えるかもしれないが、世界最高峰の戦いではその僅かが勝負を左右する。

 そしてストリートクライにとって僅かなロスの為にリスクを背負わなければならないほどにティズナウは脅威だった。

 

『ティズナウ後続を従えてスタンド前を通過します。その差は2バ身です』

 

 ティズナウは指定席の先頭を走りながら思わず舌打ちをする。スタート直後にバランスを崩し行き足がつかず、先頭に立つのに遅れて無駄な脚を使わされた。

 別に馴れない砂に足を取られてバランスを崩したのではない、右足に何かが当った瞬間に不自然なまでにバランスを崩れた。そう考えると隣にいたストリートクライと接触したのが原因だろう。

 アメリカのレース場は直線が短く小回りで先行や逃げが有利であり、どのウマ娘も良いポジションを取ろうとペースが速くなりやすく、結果的に力尽きたものが先行争いから負けていくサバイバルレースになることが多い。

 

 ポジション取りは熾烈を極め日本のレースよりボディコンタクトが激しくなる。レースにおいて体が大きいウマ娘からタックルのような激しい接触や、スタート直後でハナを取らせまいと接触されたこともある。

 鍛え抜かれた肉体と体幹で大地に聳え立つ大樹のように激しい接触を耐えぬいた。それに比べればストリートクライとの接触はそよ風のようなものだった。しかしそよ風に大樹はグラつかされた。

 今までレースのポジション取りで一度たりとも不利を被ったことはなかった。だが今日初めて不利を被った。

 それは屈辱であると同時に脅威でもあった。脳内に浮かぶのはかつて映像で見た合気道の達人である小男が大男を木の葉のように投げるさまだ、ほんの僅かな力で自分のバランスを崩す。ストリートクライの崩しはティズナウのレース観を大いに揺るがした。

 

「デジタルさんどうしたんでしょう?」

「そんなに後ろのセイシンフブキが怖いのか?」

 

 オペラオーとドトウは思わず訝しむ。デジタルがしきりに後ろをチラチラと見ている。今までのレースでそのような仕草を一度も見せたことはなかった。

 確かに南部杯で見せたセイシンフブキの末脚は脅威だったが、後ろを気にしすぎると前のウマ娘達にやられてしまう。大事なのは冷静にペースを判断する事だ。

 一方デジタルはセイシンフブキを警戒しているから後ろをチラチラと見ているわけではない。考えていることはウマ娘を感じること、それ唯一つのみである。

 すでにトリップ走法で走る時並に脳内麻薬を出していた。トリップ走法では脳内麻薬に分泌による脳の活性化を利用して、意中の相手のイメージを想像し多幸感を得ることで身体能力と勝負根性の増加を図っていた。

 だが今はその活性化の力を5感の鋭敏化に回していた。相手の足音、息遣い、匂い、筋肉の動き、5感から得た情報を逃さずキャッチして堪能する。

 その為には先頭を走るティズナウから最後尾を走るセイシンフブキの丁度中間地点に居る必要が有った。

 前の距離を測ることはできるが、視覚情報が無い状態で測ることは難しくその為に何度か後ろを向いていた。そして何度か確認することで最後尾の位置を完全に把握する。

 デジタルは距離を測り中間地点を確保し続ける。頭の中には勝つためのペース配分や位置取りなどの計算は欠片も無かった。

 

『さあ、各ウマ娘第1コーナーに差し掛かります』

 

 ティズナウはストリートクライに対する不安を刹那で心に仕舞いこみ、第1コーナーに入る。並び立つ者を全て退ける比類なき勝負根性、そしてコーナーリングの上手さ。これがアメリカ最強を支える強さの要因である

 アメリカのレース場は小回りハイペースで進む。スピードが増せば増すほど遠心力で外に膨らみ距離をロスする。小回りになればさらに遠心力は増す。

 少しでも距離をロスすれば瞬く間に先頭を奪われるなか、常に先頭を走り続けた。その技術は世界一である。

 大井レース場はアメリカのレース場に比べれば大回りであり、難易度は低い。体重移動とピッチ走法で高速コーナーを決める。まるで峠の走り屋のようにコーナーを攻め、左肩は内ラチから数センチ近くまで迫っていた。

 その様子を見てセイシンフブキは思わず感嘆する。ジャパンダートダービーでは右回り左回りの違いはあるが同じ距離で逃げて勝利した。

 その時でもここまで攻めたコーナーリングはできなかった。そして正しいダートの走り方を身に着けた今でもこのスピードでは無理だろう。

 それを可能にしているのはフィジカルとセンス、これがアメリカダート最強の走りか。

 

『ティズナウの後ろに先行グループがピッタリくっついていく』

 

 サキーはティズナウのペースに付いていきながら今後の展開をイメージする。

 今はストリートクライとクビ差後ろ、この位置はよくない。彼女は相手の力を削ぐスペシャリストだ。本来ならば前に着きたかったが、思い通りに行かないことはよくある。大事なのはその後だ。

 注意するのは相手の減速によるこちらの反射的な減速、相手が減速することでぶつからないようにと反射的に減速させられる。自分の意志ではない減速は体力を消耗する。

 他にもドバイのダートなら土の塊によるキックバックを警戒する必要があるが、砂では意図的に後ろのウマ娘の顔に当てることはできない。

 それは検証済みであり、当たらない間合いを取れば問題ない。ここは減速に警戒し後ろに立たず横に移動して仕掛けに対応できる位置取りをとる。

 サキーが右に移動しようとした瞬間に右肩に衝撃が走る。横にはヒガシノコウテイが居た。

 

 ダートのレースにおいて最も走りやすいゴールデンレーンというものが存在する。

 それは雨風による砂の流動や、バ場の渇き具合によって異なり、1レースごとに変化するといっても過言ではない。

 そのゴールデンレーンを見つけるにはダートを走った経験と深い知識が必要である。そしてヒガシノコウテイはその条件を満たしていた。

 直線でのゴールデンレーンを走り、第1コーナーに入ると位置取りを変える。

 ゴールデンレーンは円周上に繋がっているわけではない。場所ごとにレーンは変わり移動しなければならない。そしてレーンに移動した進行方向にサキーが居た。

 タイミングはほぼ同時で接触必至、バランスを崩せば不利は避けられない、レース序盤で不利を被りたくない、ここは譲り後ろについてゴールデンレーンを走るか。脳裏には数秒後の未来と取るべき選択肢が浮かび上がる。

 

 ヒガシノコウテイは歯を食いしばり体に力を込める。左肩に重い衝撃が走る。ここで臆してはダメだ。サキーの後ろについたことで負ける可能性だってある。良いポジションは奪う。少しの不利を受け入れるな。

 接触した際にイメージしたのは巨大なゴムタイヤ、一見柔らかいがとてつもなく重くビクともしない。その安定感は今まで走ったなかで文句なしに1位だった。

 これが世界一のウマ娘のフィジカルか、ここは妥協したほうがいいと弱気な考えが過る。だが刹那で打ち消す。

 こちらだって岩手の大雪や山を使って土台を鍛えてきた。その土台に同じゴドルフィンの理論と技術とセイシンフブキから学んだダートの走り方が乗っかった。決して世界一に劣らない。

 ヒガシノコウテイは押しのけゴールデンレーンに乗ることに成功し、サキーは元の位置に戻される。

 この結果においてサキーのフィジカルがヒガシノコウテイに比べて劣っていたわけではない。ポジションを取られた要因は2つある。

 

 1つは意識の差、サキーはポジションを取りに行った。ヒガシノコウテイはポジションを奪いに行った。

 大人しい性格のせいかレースにおいてもリスクを避ける傾向があった。だが地方の夢を背負った地方総大将としての覚悟がリスクをとった。もし僅かでも躊躇していればポジションは奪えなかった。

 2つは日本のダート、レースに向けて日本のゴドルフィンの外厩の設備を使用し準備することで、問題無く走れるようになった。

 相手はセイシンフブキからダートの正しい走り方を学んだダートプロフェッショナル、それはダートを速く走れるだけではなく、力を充分に発揮できることもできる。

 一方サキーは日本のダートでは本来のフィジカルを発揮できず押し負けた。もしこれがドバイのダートなら結果は変わっていただろう。

 

 サキーの心中に苛立ちと驚きが過る。ヨーロッパのレースもスローペースで一団になりやすいが、アメリカのレースと同様にポジション争いが過酷だった。

 激しい接触を厭わずポジションを奪い取る。レースにおいても良いポジションを奪い取りキングジョージや凱旋門賞に勝ってきた。一部の例外はポジションをせずに勝てるが、自分はそこまで怪物ではない。

 そしてヒガシノコウテイにポジション争いに負けた。侮っていないつもりだったが無意識で過小評価し、この驚きがその証拠だ。このレースに走るウマ娘全てが最強の相手だ。驕りを改め、気を引き締める。

 

(うひょ~!激しいぶつかり合い!アタシも間に挟まりたい~)

 

 飛び散る汗、肉と骨がぶつかり合う音、ヒガシノコウテイの鬼気迫る表情、サキーの感嘆と僅かに己の未熟に対する苛立ちが混ざった表情、ウマ娘ファンにとっては垂涎モノの光景が目の前に繰り広げられている。

 デジタルは鋭敏化された感覚はより濃密に5感情報を得て、相手の心理状態も読み取ることで、いつも以上に堪能し快感を得ていた。

 2人の体はきっと硬くて柔らかくて極上の肉体なのだろう。読み取った情報からイメージし興奮がさらに高まる。

 このやりとりを見られただけでもダートプライドに出走した価値が有った。そしてこれに匹敵するやり取りや快感が次々と現れるだろう。楽しみすぎる。

 そして今後訪れるであろう楽しみに無意識に舌なめずりする。

 

 サキーはコンマ数秒の反省をした直後、眼前に砂が飛んでくる。ストリートクライの蹴り足による砂、だがキックバックが飛んでこない位置取りのはず、何故だ?

 疑問と動揺が浮かぶが即座に目を瞑る。砂のキックバックは土と違って塊では無く粒だ。放射線状に広がる粒を躱すことは不可能である。

 僅かに間に合わなかったのか砂が目に入り反射的に怯むスピードを落としてしまう。目を拭い視界を戻すとほぼ差がなかったはずのヒガシノコウテイが半バ身ほど前に進んでいた。

 セイシンフブキは一連の様子を見て内心でニヤリと笑みを浮かべる。

 意図的に後ろを走るウマ娘に砂をかける。これは相手の距離を正確に測り、距離によって走り方を変えなければならない高等技術だ。

 弟子であるアジュディミツオーでも未だにできない、それを初ダートのウマ娘がレース本番で実行できるとは恐れ入る。その気があればダートの正しい走り方を習得できる逸材だ。

 ストリートクライは後ろに居る2人に砂を当て、サキーを怯ませたことに成功したが、ヒガシノコウテイは平然と走っている。

 確かにヒガシノコウテイの目に砂は当った。だがダートプロフェッショナルにはそんなものは通用しない。

 数多くのトレーニングで何百回も目に砂が入り苦しんできた。

 大半のものは目を閉じて防ぐがそれでは甘い。目を閉じた瞬間ポジションを奪われるかもしれない、相手の動きを見逃すかもしれない。

 最善は目に砂が入っても問題ないように耐性を作ること。それがダートプロフェッショナルだ。砂を恐れて目を閉じたり、逃げたりする腰抜けはいない。

 それに砂を相手にかける走りは自分の体力を消費し、通用しない相手には無意味である。

 

『ティズナウとその後ろのストリートクライが3番手を3バ身から4バ身と離していく。3番手はヒガシノコウテイ、サキーは少し位置を下げてこの位置、1バ身半差でアグネスデジタル、4馬身差でセイシンフブキ。先頭から後ろまで8バ身差といったところか?』

 

 セイシンフブキは最後尾から状況を分析する。サキーは砂に当てられて後退、素人にはあれは厳しく、回復するのには少し時間が掛かるだろう。

 ヒガシノコウテイはティズナウとストリートクライを追走しない。先行としてはもう少し差を詰めたいところだがペースが速いということだろう。アグネスデジタルは特に動きはない。

 そしてダートでの走り方、ヒガシノコウテイは95点だ、走り方もほぼ完ぺきで自分が選んだゴールデンレーンと同じレーンを走っている。

 アグネスデジタルの走り方は85点だ。オールラウンダーにしては堂に入っている。だがコース選びは間違っている。

 ストリートクライは80点、サキーは75点、走り方とコース選びは同レベルだが、砂をかける技術分だけポイントが高い。

 そしてティズナウは70点、走り方も5人の中では1番未熟で何よりコース取りが悪い、算数としては最内を回れば最短距離で走れるので正しい。

 だがコース外側から内側に傾斜しているため内の砂は深く走りにくい、距離と砂の深さを加味して進路を取るのは常識なのだが全く知らないようだ。

 これがダート世界一を決めるレースかと僅かに落胆する。最低限でもアグネスデジタルぐらいの点数で走ってもらいたいものだ。

 今後のダートGIは全出走ウマ娘が実力は兎も角、アグネスデジタルを上回るダートの熟練度で走るだろう。その未来を創る為に負けるわけにはいかないと今一度決意を固める。

 

『第2コーナーを抜けて先頭はティズナウ、クビ身差後ろにストリートクライ、その後ろ5バ身にヒガシノコウテイ、これは前2人のペースが速いか?半バ身差にサキー、アグネスデジタル、その後ろ6バ身差にセイシンフブキ、これは縦長の展開になりました』

 

 ティズナウの3F通過タイム11.3秒、4F通過タイム12秒。左回りと右回りの違いやバ場状態を加味しても、近年に行われた同条件の帝王賞や東京大賞典のレースと比べても明らかにハイペースだった。

 これがアメリカのハイペースを勝ち抜いてきたティズナウが刻むペース、それについてくことは相当厳しく。僅か後ろに居るストリートクライもかなり脚を使わされていた。

 

「あれ私……スタートでのあれ……」

 

 ストリートクライがティズナウの横に並ぶとボソリと呟く。その言葉に思わず反応しストリートクライに視線を向ける。疑惑が確信に変わる。やはり妨害したのはストリートクライだった。

 

「やはりお前か、卑しいゴドルフィン所属のウマ娘に相応しい技だ」

「崩すのは簡単だった……これがアメリカ最強のウマ娘のフィジカル?……おクスリのやりすぎでスカスカ……張りぼてみたい……」

 

 ティズナウは怒りで目を見開き血流が逆流する。妨害したのを悪びれず煽ってきた。さらに自分を煽るのではなく、アメリカ最強という単語まで付け加えた。これはアメリカも侮辱しているのと同じだ。

 妨害してまで勝とうというその精神、それは王者の魂とは真逆である。

 王者の魂とは挑戦心を持つ者、挑戦とはぬるま湯につからず楽をしないということだ。だが妨害という楽な手段をとって勝利を得ようとしている。

 ティズナウは汚らわしいといわんばかりにペースを上げて離れようとするがその足は止まる。

 

「そしてBCマラソンは相手を崩す必要すらなかった……弱かった……」

「もう一度言ってみろ」

 

 ストリートクライは嘲笑の笑みを浮かべながら呟く。BCマラソンには一緒のレースで走ったウマ娘も居た。

 アメリカのダート中距離を走るウマ娘達は全て挑戦心を持つ王者の魂を持った仲間であり、その言葉は到底聞き逃せるものではなかった。

 

「何度でも言う……弱かった……私はずっとアメリカのダート中距離のレースに勝ってる……卑しいゴドルフィンのウマ娘に負ける……おかしいね……世界最高の舞台で走っているウマ娘は強いはずなのに……王者の魂なんて役に立たない……」

「キサマ!」

 

 ティズナウは殺さんとばかりに敵意を向ける。王者の魂はこの世で最も崇高なものだ。今の言葉はそれに唾を吐いたに等しい。

 こんな奴にブリーダーズカップのメインレースに勝たれたのか。絶対にこのレースに勝ちBCマラソンのレイと勝ち鞍を奪い取り、記録から抹消してやる。

 

『先頭の2人はレース半分前半1000メートルの標識を通過、タイムは59秒、ややハイペースか?そしてサキーがヒガシノコウテイを追い抜きポジションを上げる』

 

 よくあるレースとして人気薄の逃げウマ娘を泳がしすぎたことによる逃げ切り勝ち。それならば逃げウマ娘に逃げきられないように追走すればいいと思うが、事は単純ではない。

 逃げウマを追走する、俗に言う鈴をつけるという行為は急激にペースを上げることでペースが乱れ、最後の直線で差し切られることが多く、あまりやりたがらない。

 

 ペースが乱れる。誰かがやってくれる。自分がやる仕事ではない。

 

 集団がお互いをけん制し押し付け合うことで鈴をつける役が居なくなり、逃げられてしまう。これが人気薄の逃げウマ娘が勝つパターンである。

 サキーはそういったことが起こらないようにペースを乱れても自らが動いて鈴をつけにいく。

 1コーナーから2コーナーを走る前の2人を見てハイペースだと判断した。2コーナーを抜けたところで差は6バ身差、いくらなんでもこのペースで鈴をつけるのは自殺行為だ。自然にペースが落ち差が縮まるとふんだ。

 そして向こう正面の直線に入った瞬間その判断が間違いであると気づく。前の2人はどこかで後ろの集団に気づかれないようにペースを巧妙に落としている。

 前半飛ばして、中間で徐々にペースを落として息を入れる。そして後続グループはペースを落としていることを知らず、鈴をつけると力尽きてしまうと騙される。よくある逃げの方法だ。

 ティズナウはそんな小細工をせず、常に先頭を走りついていけなかった者から脱落するサバイバルレースに持ち込む。

 そんな先入観が目を曇らせた。やるとしたらストリートクライだ、何らかの方法でペースを落とさせた。

 

 レース前のイメージトレーニングでその可能性は思いついていたがやるわけが無いと脳の片隅においやった想定だった。

 もしイメージしなければ策に嵌って逃げ切られていただろう。このまま鈴をつけなければ逃げ切られてしまう。それが導き出した結果だった。

 サキーはペースを急激に上げる。普通のウマ娘ならばこの事実に気づいたとすれば、勝つためにさりげなくペースを上げ後ろに居る相手をハメようとするだろう。ここで急いでペースを上げればこのままでは逃げ切られますよと教えるものだ。

 だが敢えて急激にペースを上げる。そして心中で祈りながら呟く。どうかペースを上げなければ逃げ切られると気づいてください。

 

 ヒガシノコウテイは横を通り過ぎるサキーを見ながら思考を巡らせる。

 この急激なペースアップ、前は明らかにハイペースなのに追走、ペースを読み間違えたか?

 そうなれば前総崩れで一番前に居る自分が有利である。勝利が転がり込んできたと一瞬浮かれるがすぐさま思考を続ける。

 相手は世界一のウマ娘だ。そんな凡ミスするか?もし急激にペースを上げる理由が有るとすれば、今差を詰めないと手遅れになるという事態だ。ということは前のペースが想像以上に遅い?次々と仮説が浮かび上がりピースが嵌っていく。

 だがこれは自分で出した結論ではない。サキーの実力を前提にした結論、つまり他人に判断を委ねていると同じだ。もし単純にペースを見誤っていたとしたら共倒れだ。

 ヒガシノコウテイは後ろを向きアグネスデジタルとセイシンフブキの動きを見るが変化はない。行くべきか控えるべきか?一瞬と呼べる時間でいくつもの葛藤が繰り広げられる。そして足に力を込めてペースを上げた。

 サキーはこの中で唯一ストリートクライとティズナウとレースで一緒に走っている。レースを通して肌で感じることしかできない情報というものがある。

 何よりここは地方で行われるレースだ、地方の総大将が逃げウマ娘を見くびって負けるなんて出来ない。

 そしてそんな無様なレースを地方のファンに見せられない。勝利とは転がり込んでくるものではない。積極的に動いて勝ち取るものだ

 ヒガシノコウテイの動きに呼応するようにアグネスデジタルとセイシンフブキもペースを上げる。

 セイシンフブキも直感としてもう少し差を詰めないとマズい察し、アグネスデジタルはウマ娘達との中間距離を取りたいと機械的に動いたに過ぎなかった。

 

 サキー達の判断は正しかった。向こう正面直線に入っての1Fは12.3秒、帝王賞や東京大賞典では4Fから5Fの秒差は平均-0.3秒、このレースでは+0.3秒、明らかに息を入れていた。そしてこのまま息を入れ続けられれば逃げ切りは必至だった。

 

『おっと後方集団が一気に先頭との差を詰める。レースは一気に動き始めた』

 

 気づかれたか、このまま騙され続ければクライの勝ちだったのに。関係者席で見ていたキャサリロは思わず歯を噛みしめる。

 レース前々日、レースに向けての作戦会議をおこなっている際にストリートクライが唐突に問いかける。

 

───ティズナウが気になってしょうがない言葉って何?

 

 質問の意味が分からなかったが、たどたどしい説明で真意と作戦の全容が見えてきた。

 まずスタートでティズナウを崩して無駄足を使わせる。それでもいつも通り飛ばすだろうがそれに着いていき、サキーなどの後続集団は妨害して切り離す。

 向こうハイペースにより正面の直線に入るまでにある程度差がつく。そしてバレないようにペースを落として、後ろを騙しティズナウに集中して勝つというシナリオだった。

 その為にはペースを落とさせる。だが共謀してペースを落とそうと言っても聞く耳持たないのは分かり切っている。だから思わず引き留められるような言葉が必要ということか。

 気になる言葉は知らないが、引き留められる言葉は分かる。それは相手を怒らせる言葉だ、そうなれば意識を向けストリートクライの動きに連動してしまう。

 そしてティズナウを調べ、感情を逆撫でする言葉をピックアップしてストリートクライに伝えた。

 

「恥知らずが!ヨーロッパ出身なら大人しくヨーロッパの芝で走っていろ!」

 

 ストリートクライは罵倒されるが一切無視する。観客のどよめきや足音や雰囲気で後方集団が差を詰めているのには気づいていた。

 策は看破されたが必要最低限の役割は果たした。想定の範囲内である。あとは予定しているタスクをこなすのみ。

 ストリートクライは口を閉ざすと同時に僅かにペースを下げ、後方をチラリと見て意識を集中する。

 

『ティズナウが2番手に2バ身差をつけて第3コーナーに入る。そして2番手がストリートクライからサキーに……』

 

 ストリートクライの右目はサキーを視界に捉える。その走りはいつもの完璧と呼べる美しいフォームではなく、まるでデビューしたウマ娘のような汚く乱れたフォームだった。

 これはドバイワールドカップのラスト100メートルでストリートクライとアグネスデジタルを瞬く間に差し返した時の走りである。

 2人に土壇場まで追い込まれたことで引き出された走り、このフォームになったサキーは今までより数段階速くなる。

 ドバイの時はラスト100メートルで発動させたが、それが限界でそれ以上の距離は持たなかった。だがその後の鍛錬と経験により、より長く走れることが可能になった。

 だが最終直線に入る前でのスパート、大井2000メートルの常識では考えられないロングスパートであり、脚が持つという保証は無かった。だがここで仕掛けなければティズナウを逃してしまうと瞬時に判断した。

 ストリートクライは全神経を集中させ通り過ぎようとしているサキーの重心や体重移動や呼吸を見極めると近づき崩しを仕掛ける。

 サキーの性格からしてティズナウと体を併せ根性勝負に挑むだろう。

 それは好ましい展開ではなかった。大まかな見立てでサキーとティズナウはほぼ互角、そんなサキーがくればティズナウにとって餌に過ぎない、

 競り合うことでより速くなる。それにサキーもティズナウと競り合うことでさらに力を引き出してしまうかもしれない。

 ならば根性勝負に持ち込ませない、できるだけ併走しながらティズナウと距離を取り、サキーがスパートした瞬間崩して抜け出す。こうすればお互いの勝負根性を封じられる。これがストリートクライのプランだった。

 

 直線までは併走する予定だったが予想外のロングスパート、だがストリートクライは動揺しない。ここで崩してティズナウに追いつけない程のロスを与えると同時に体を併せさせるのを防ぐ。

 ストリートクライのレースは勝ってもコースレコードが出ず、レース内容が低い凡戦と言われることが多い。

 相手の力を100%引き出すレースをする必要はない。自分が実力の10%しか出せなくとも相手の力を5%に抑えればいい。

 例えコースレコードに程遠く低レベルと言われようがレーティング上がらなくても関係ない。勝てばいい、それがレーススタイルだった。

 

『変わった!サキーが2番手に上がりティズナウに迫る』

 

 ストリートクライに動揺が走る。サキーの今のフォームは力が増す分動きの制御がしづらいという欠点があり、より崩しやすい状態だった。

 その体は崩しとコーナーの遠心力によって大きく膨らむはずだったが、やや膨らんだだけだった。

 サキーはストリートクライからティズナウに意識を向けて距離を詰めていく。

 崩しに来るのは予見していた。だがその技術は脅威であり、無策で挑めばあっさりと崩されるのは目に見えていた。

 サキーもスタッフ達も崩しに対抗すべく研究した結果、全貌の一部を知れた。

 人は息を止めたり吐いたりする際は体を瞬時に動かせるが息を吸う瞬間無防備になり反応が遅くなる。それを利用して崩していると推察した。

 普通なら酸素を吸うタイミングを狙って行動することは極めて難しい、だがレースは頭を動かし強い強度の有酸素運動を続け、激しい呼吸を強いられることでより呼吸の仕草を見極めやすくなる。

 サキーがしたことは単純である。息を吸うと見せかけ止めた。それにより崩しの効果を軽減することに成功していた。

 

 サキーの動きによってレースの流れは一気に激流となり、その激流は出走ウマ娘達に選択を迫る。

 ヒガシノコウテイが判断に迫られる。向こう正面直線で番手を上げたサキーが一気にスパートをかけた。残り800メートルでのスパート、明らかにセオリー無視の早仕掛だ。

 このままでは垂れるに決まっている。だが内なる自分が語り掛ける。周りのウマ娘達はセオリーが通じる相手か?

 ヒガシノコウテイは世界で走ったことはなく、その頂点の高さを知らない。だがそれは果てしなく高いことは想像できる。

 大井2000メートルではメイセイオペラやアブクマポーロなどの多くの名選手が走ってきた。

 だが彼女らも世界一ではない。そして目の前を走るのは紛れもなく世界一のウマ娘達だ。想定の常に上を考えるべきである。

 早目に動いて逃げを捉えて直線で抜け出す。まさに先行脚質における横綱レース、王者の走りだ。王道こそが最も辛く、その苦しみの先に勝利がある。このレースは徹頭徹尾積極策でいく。サキーを追走し、逃げるティズナウを捉え直線で抜け出す。

 自分の格は海外勢やアグネスデジタルと比べ低く、とても王者の立場とは言えない。それでも世間がどう見ても自分の心だけは風下に立ってはいけない。

 相手がどうであろうと地方で走る限り、地方の総大将であり地方の皇帝だ。皇帝が臆するわけにはいかない。

 ヒガシノコウテイは自らも常識破りのロングスパートをかけることを選択した。

 

 ストリートクライは横から抜き去ろうとするヒガシノコウテイを察知し選択を迫られる。サキーと同じタイミングでスパートを仕掛けてきた。

 このウマ娘はサキーではない、サキーでも保つか分からないロングスパートに耐えられるわけが無い。所詮小さな島国の地方というグループの王者に過ぎない。

 だが脳内で警鐘が鳴る。このウマ娘は並々ならぬ覚悟でこのレースに挑んでいるのは前々日会見と今日の姿で十二分に伝わってきた。

 ヒガシノコウテイは心を燃やし全身全霊で挑んでいる。以前の自分は心が無く空っぽで勝ちきれなかった。だがキャサリロと再会したことで心を燃やし始め勝ち続け、誰よりも心の重要性を知っていた。このウマ娘を放っておいてはいけない、崩して相手の力を削ぐ。

 崩しを仕掛けようとするが逡巡する。完全なタイミングでサキーを崩したが殆ど効果が無かった。もしかするとこのウマ娘相手にも効果が無いかもしれない。一度の失敗で自信は揺らいでいた。

 その瞬間、キャサリロとのトレーニングの日々が頭に過る。懸命なスカウティングでヒガシノコウテイの走りをコピーし、より完璧な崩しを会得させるために体を痛めながら練習相手になってくれた。

 その日々が無駄なわけが無い。自分を信じられなければ親友と築き上げたものを信じろ。一切の迷いを断ち切り、崩しを仕掛ける。

 

 一方ヒガシノコウテイもストリートクライが崩しを仕掛けにいくのを察するが回避行動はとらない。

 ここで崩しから回避すればゴールデンレーンから外れることになる。ゴールデンレーンを走るのは勝つための必須条件、ここで迎え撃つ。今まで築き上げたものは世界一にも屈しない。

 地方で磨き上げた地方総大将の心技体と親友と磨き上げたゴドルフィンの大器の心技体がぶつかり合う。その結果は。

 

『おっと、ヒガシノコウテイが大きく外に寄れた!』

 

 ストリートクライに軍配が上がった。そしてストリートクライはそのまま前の2人を捉えるためにペースを上げた。

 

(これはペースが速い、まだ我慢だ)

 

 セイシンフブキは前に行きたいという衝動を懸命に抑え、心を平静に保つ。

 ティズナウは相変わらずハイペースで飛ばしている。サキーはティズナウを捕まえようとロングスパートをかけ、ヒガシノコウテイも同様にロングスパートを仕掛けた。ストリートクライもペースを上げた。アグネスデジタルも釣られるように動く。レースの重心は完全に前にいっている。

 普通のレースなら完全に前が止まるレースだが、全員並ではない。ある程度前は止まらないと考えるべきだ。

 現時点で先頭との差は11バ身、世界最高峰のウマ娘相手にこの差は心持たないと過るがアブクマポーロの言葉を思い出す。

 

 追い込みはより仕掛けるタイミングがシビアになる。相手と競り合う勝負根性すら沸かさず切り伏せるスピードでゴール板を駆け抜ける。それが仕掛けのイメージだ。大事なのは力を溜めて爆発させる。心と体の瞬発力だ。

 差し追い込みへの脚質転換のトレーニングの際についつい前との距離を詰めたがり、散々注意されたことだ。

 その教えを守るように意識的に心に凪を生み出す。冷静に仕掛どころを見極め爆発させるために。

 

(これまたエモすぎ~)

 

 ストリートクライとヒガシノコウテイが鎬を削る様子を4バ身後ろから観察し、映像を脳に刻み込む。

 ヒガシノコウテイとサキーの激しいぶつかり合いと違い、僅かな接触による静かな攻防だった、

 だがレース前に知り得た両者のバックボーンとパーソナルな情報と鋭敏化した感覚から両者の心情を導き出し想像する。

 ヒガシノコウテイと今まで地元の皆と築き上げた努力への信頼と自信、ストリートクライの崩しを失敗したことへの自信喪失、そこから友とのトレーニングを思い出し自信を取り戻しての崩し。脳内では止めどなく妄想が浮かび上がる。そして妄想はある程度両者の心情を捉えていた。

 結果ストリートクライが崩しによってヒガシノコウテイは外に膨らまされたが結果は二の次である。

 一瞬の接触でお互いの信念や想いや生き様が交錯する。見ているだけで感情が揺さぶられ涙が出そうだ。

 レースは終盤に入る。レースが動き出走ウマ娘の感情が揺れ動くのは最後の直線だ。そのために少しでも皆に近づかなければ、デジタルは分泌させた脳内麻薬物質で向上した集中力をウマ娘達の観察から、スパートの為のイメージ構築に向け始める。

 


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