『第4コーナーに入るところでサキーがティズナウを捉えた!』
サキーは遠心力で体中が軋むなか内心で自嘲する。何て無様で不格好なコーナーリングだ、見事な高速コーナーリングを決めるティズナウとは段違いである。この映像だけ見ればデビュー戦を走っているウマ娘に見えるだろう。
だがこれで精いっぱいだ、全ての力を開放しての走りは自分の体で走っているように思えず、まるで圧倒的な力を持つモンスターバイクに乗っているようで、少しでも気を抜けばあっと言う間に外ラチに激突しそうだ。
そのモンスターバイクと化した体を懸命に操作し、高速コーナーリングを決めるティズナウとの距離を少しずつ詰めていき、ゴールまで残り500メートル、第3コーナーと第4コーナーの中間地点で捉える。
そのままティズナウを抜き去ろうとした瞬間、目に一層の闘志が漲るとともに一気にギアを上げてサキーより前に出て、それに応じるようにさらに力を振り絞る。
『さあ、先頭2名が4コーナーをカーブして、直線へ!』
直線に入りサキーの体が外に膨らみ、その分だけティズナウが半バ身差リードする。
だがすぐさま左に進路を取り体スレスレの位置に寄せる。これは根性勝負で叩き伏せるという挑戦状だった。
ふざけるのを大概にしろとばかりにティズナウが突き放しにかかる。ハイペースで飛ばしながらもこの加速力とスタミナ、サキーの脳裏にBCクラシックの光景が蘇る。
4コーナーからティズナウにぴったりと張り付いて直線に入った。逃げウマ娘を捕まえて抜け出しの王道の走り。相手は比類なき勝負根性を持っているが、凱旋門賞に5バ身差で勝ち夢の為に邁進する自分なら負けるはずがないと思っていた。
だが結果はハナ差での敗北、周囲はアウェーでの初ダート、さらにあそこまでのブーイングを受けてハナ差なら実質の勝利と言うが、本人は全くそう思えなかった。
直線でいくら抜け出そうと力を振り絞っても決して前に出ることを許さないと前に進む勝負根性、いくら力を振り絞っても出した分だけ奪われるような感覚に陥っていた。
その存在はまるでブラックホールだった。3000メートル走ろうが、4000メートル走ろうが決して縮まらないハナ差であることを痛感させられた。初めて味わう敗北感だった。
どうすればこの差が埋められる?このあまりにも大きいハナ差を埋められるかを考え続けた。ドバイでアグネスデジタルとストリートクライに追い詰められたことで自分でも知らない力を引き出せるようになった。
だがその力を駆使してもまだ前に抜け出せない。これがティズナウの言う王者の魂を持つ力か、その力の強大さを改めて実感する。
ならばどうすればこの力を持つ相手に勝てる?簡単だ、その力も自分も習得すればいい。
ティズナウの理屈で言えば王者の魂とは挑み続ける心を持ち、最高峰の舞台で挑み続けてきた者達と鎬を削ることで会得できる。
そしてヨーロッパの芝という低レベルで走り、その舞台で競い合ったサキーには王者の魂が宿らないということになる。理屈の是非は兎も角、全ての力を発揮しても前に抜け出せない現状だ。
だが今は違う。アメリカダートのトップであるティズナウが居る。
そのアメリカダートで走り続けた一線級のウマ娘に完勝したストリートクライが居る。
ダートプライドはBCクラシックにも劣らない最高峰の舞台だ、そして今こうして王者の魂を持つ相手と体を併せ根性勝負をして鎬を削っている。
条件は整った。ティズナウとの根性勝負に競り勝ち、レースに勝利することで王者の魂を獲得する。
相手の土俵で有る根性勝負に挑んだのは全ての出走ウマ娘が全力を出して欲しいという信念以外にも王者の魂を獲得するという目的があったからである。
王者の魂を獲得すれば益々強くなる。そして今年のドバイWC、キングジョージ、凱旋門賞、BCクラシックの世界4大タイトルに勝利しグランドスラムを達成し、業界のアイコンに上り詰める。
サキーは全ての細胞から力を振り絞る。以前と違い力が奪われるような感覚は無かった。
「勝てると思っているのか!挑むことを忘れアメリカから逃げたお前が!王者の魂を持つ者達と鍛え上げ、その魂を得た私に!」
ティズナウは歯を食いしばると同時に怒りの感情が駆け巡る。もしレースに最も必要な要素は何かと聞かれれば勝負根性で有ると即答する。
誰よりも早く駆け抜けるスピード、坂を駆け上がり加速する為に必要なパワー、レースを走りきるスタミナ、展開を読み最大限の力を発揮できるようにするレースセンスやペース判断能力、世間的に言えばこれらの能力のほうが重要だという認識であり、それは正しい。
だがそれらの能力は備わっていて当然のものである。
レベルが低いレースならそれらの能力で勝敗が決まるが、世界最高峰の舞台であるアメリカダート中距離を走るウマ娘は、スピードもパワーもスタミナもレースセンスもペース判断能力も限界まで鍛え、それらの要素での優劣差はほぼ無い。ならば何が勝敗を左右するかといえば勝負根性である。
勝負根性が有るからと言って5バ身差や6バ身差もの差をつけられるものではない。
クビ差、アタマ差、精々半バ身差程度だろう。だがその僅かな差が頂点を決めるレースにおいて、山よりも高く海よりも深い差となる。
だからこそ勝負根性を得ようとアメリカダート中距離という世界最高峰の舞台に挑むことで鎬を削り高め合うことで精神は高みに登り、王者の魂と比類なき勝負根性を会得する。それがアメリカのトップが世界最強である所以だ。
逃げウマ娘を早めに捕まえて、自らが最も得意な根性勝負の土俵に立ち、真っ向勝負を挑む。
周りから王者に見えるだろう。だがそれは唾棄すべき行為であり、神経を大いに逆立てさせる。
サキーは偽物の王者だ、いくら王者らしい振る舞いをしようが永遠に王者の魂を得ることはできない。
王者の魂とは挑戦し続ける意志を持つ者に宿り、世界最高峰であるアメリカダート中距離で走り挑戦する者に宿る。それ以外は全てレベルが低いぬるま湯にすぎない。そんなぬるま湯につかった者に挑戦し続け王者の魂を獲得した自分が負けることはあってはならない。
己の負けは自分だけのものではない。歴史を築き上げてきた先人達と鎬を削り合ってきたライバル達の敗北で有り、すなわちアメリカの敗北である。
アメリカは常に最強であり、未来永劫最強でなければならない!この偽物の王者に負けることは天地がひっくり返ってもあってはならない!
「勝ちます!貴女との根性勝負に勝ち、王者の魂を獲得し、私は業界のアイコンとなり、自分の夢を叶えます!」
「なめるな!偽物が勝てるわけが無い!勝つのは本物の王者である私だ!偽物の夢は粉々に叩きのめす!」
お互いが力を振り絞り奪い取りながら前に進む。アメリカの王者とヨーロッパの王者による壮絶な叩き合いが繰り広げられていた
『逃げるサキーとティズナウ!それを外からストリートクライが追う!』
サキーとティズナウが根性勝負をする展開になってしまった。厄介な展開になってしまったが序盤ではティズナウの出足を挫き、道中でも言葉でペースを落とさせ思い通りのレースをさせなかった。
サキーにはキックバックの砂を当てリズムを狂わせた。条件は五分五分である。この展開に持ち込めたのは全てキャサリロのおかげだ。
後続に砂をかける技術もキャサリロが付き合ってくれなければ習得できなかった。
ティズナウのペースを落とすのもキャサリロが考えた言葉が無ければできなかった。
危険なヒガシノコウテイを崩せたのもキャサリロがスカウティングし、怪我してまで練習相手になってくれたから。キャサリロは十二分に仕事を果たしてくれた。後は自分の番だ。
───過去、現在、未来において私達は最強だ。
ストリートクライは心の中で呟くとそれがトリガーとなり一気に加速する。
ドバイワールドカップではサキーの真の力の前に為す術もなく屈した。そして今のサキーはその時より強いだろう。だがそれは自分も同じだ。
過去の自分とは鍛え方が違う!決意が違う!理想が違う!情熱が違う!何より自分達は2人で走っている!
それを証明するかのように2人との差を1歩ずつ縮めていた。
勝負服とはウマ娘の力を最大限引き出し時にはそれ以上の力を与えると言われ、明らかに走るのに不向きだと思われる勝負服でも練習着を着て走るより速くなる。現時点において科学的に理屈は完全に解き明かされていない。
そして1つの仮説があった。勝負服において引き出し与えてくれる力の総量は決まっている。
他の5人は1つの勝負服を身に纏っているのに対してストリートクライは左半身に自分の勝負服、右半身にキャサリロの勝負服を身に纏っている。
自分の勝負服の力に加えてキャサリロの勝負服の力が加わる。負ける道理がない。
自分以外の勝負服を纏い力を上乗せする。この考えに至ったのは歴史上においてストリートクライだけではなかった。何人ものウマ娘が試し断念した。
勝負服とはそのウマ娘の魂そのものだ。他人の魂が入ればそれだけで拒絶反応を起こし体も心も乱れてしまい、自分の勝負服の力も発揮できない。
キャサリロは無二の親友という言葉で語りつくせないほど信頼し、通じ合っており特別な存在だ。
一緒に成り上がろうと決意した瞬間ストリートクライというウマ娘は自分だけではなくなっていた。キャサリロの思考や技術や精神が混じり合った存在だと心の底から信じていた。まさに一心同体である。
その在りようが2つの勝負服を身に纏いながら能力を削ぐことなく、さらに上乗せするという離れ業を可能にさせた。
世界屈指の実力にもう1つの勝負服の力を上乗せされる。
鬼に金棒、虎に翼、今のストリートクライを状態は様々な言葉で表現されるが、この瞬間絶対的な力を持った唯一無二の存在になっていた。
『ストリートクライと……大外からヒガシノコウテイがジリジリと迫っている!』
ストリートクライは実況の声とリンクするように右に意識を向ける。そこには崩しで完全に潰したはずのヒガシノコウテイが迫っていた。
ヒガシノコウテイはストリートクライの崩しによって、外に大きく外に膨らまされた瞬間に強大なネガティブな感情が駆け巡る。
不安、焦燥、絶望、諦め
だがそれらの感情を刹那で掻き消し前を向き走り続ける。
かつてフェブラリーステークスでデジタルに交わされた際に、その末脚のキレ味の前に一瞬心が挫けた。その後に心に活を入れ盛り返したが、その一瞬が無ければ勝てたかもしれないと今でも後悔する。
同じ失敗は2度と起こさない。力を入れろ、足を動かせ。ネガティブな感情という不必要なものを削ぎ落し、ゴールに向かうことのみに全ての思考と神経を向ける。レース展開、ペース配分、コース取り、それらの要素も意識から消える。だがダートの正しい走り方は出来ていた。
砂質、含水率、砂厚、気温、様々な要素を加味し最も速く最適な走りを実践する。それがダートの正しい走り方だ。
それを実施するにはダートに対する深い知識と様々な要素を瞬時に把握する鋭敏な感覚が必要であり、その2つが備わっていたとしても意識しなければ直ぐに乱れてしまう。
コウテイはフブキからダートの正しい走り方について教わり、1人になっても研鑽を続けてきた。そして意識せずとも実施できるほどに極めていた。
そのまま外に大きく膨らみながら直線に入る。崩しによって大きなロスを被ったが思わぬ幸運が訪れる。
ヒガシノコウテイが走っているルートはこの直線で最も速く走れるゴールデンレーンだった。だがそれは今の技量では見つけられないものであった。
そのままゴールデンレーンに乗って先頭との差を縮めていく。確かにゴールデンレーンに乗れたのは幸福だった。だが乗れたとしても、今までなら諦めた分だけ届かなかった。これは諦めない心が生んだ必然である。
だが残り300メートルを切るが先頭との差が思ったより縮まらない。
レースに向けてフィジカルを鍛え正しいダートの走り方を極め、レースでもゴールデンレーンに乗り、無駄な思考を削ぎ落し追走しても、逃げるサキーとティズナウとそれを追うストリートクライを捉えらない。
これが世界最強クラスの実力か、それでもネガティブな感情を刹那で消し去り脚を動かす。体中が悲鳴をあげ脳が止まれと命令を出しアラートが鳴り続けるが、無視し体を酷使する。
勝利は決して楽に手に入らない。苦しみぬいた先にある。この痛みや苦しみは勝利に近づいている証だ。受け入れろ!むしろ喜べ!
ゴールに近づくために痛みと苦しみが増え続け、脳が苦痛から逃れようと強制的に意識を飛ばす。
───●●●●●●だ!●●●●●●だ!地方で育んだ力が世界に届いた!
───●●●●●―●だ!ついにやった地方所属初のJBCスプリント制覇!大井の夜空に白き星が輝いた!
───●●●―●!得意の舞台で中央勢をねじ伏せました!
───●●●―●●●!笠松の快速ウマ娘がやりました!
───●●●●●●●!地元大井のJBCスプリントで鮮やかに差し切りました!
───●●●●●●●●!先代のトレーナーと母の夢をついに叶えた!
見覚えがある地方のレース場や見たこともないレース場で見たことのないウマ娘が勝利し、喜びを爆発させ、その映像をパブリックビューイングで見た人たちが抱き合い歓喜の声をあげている。
だが突如勝利したウマ娘達の映像が1つ1つ黒く塗りつぶされていき、全てが暗黒に染まっていく。
意識がレースに戻ると同時に痛みと苦しみが襲い掛かる。今のは何だ?まるで白昼夢だ。困惑するなか即座に映像の意味を理解する。
これは未来の出来事だ。地方が生み出すロマンと幻想に魅かれたウマ娘達が紡ぎあげた輝かしい未来。そして未来が黒く塗りつぶされていった。
これは分岐点だ。勝てば地方ウマ娘達によって作り上げるロマンと幻想に魅了され地方は守られ繁栄する。一方負ければロマンと幻想は砕かれ失望され地方は衰退していく。
もし他人、いやメイセイオペラに言っても信じてもらえないだろう。レース中に意識が飛んで妄想めいた夢を見るなんて荒唐無稽すぎる。だがそれを信じていた。
未来が閉ざされる危機感、明るい未来を見たことへの喜びと守らなければならないという使命感、それらが体をつき動かし限界を超えていき、縮まらなかった差を少しずつ縮めていく。
『そしてセイシンフブキがもんのすんごい脚でやってくる!大井の真冬の空にブリザード!』
この位置から差し切れるのか?差し切れる!もう少し仕掛けを早めれば良かったか?このタイミングがベストだ!
直線に入って先頭まで約11バ身差、セイシンフブキは自問自答を繰り返す。脚質を逃げ先行から差し追い込みに転換し、幾度も模擬レースをして実戦でも走ったがこの不安を完全に打ち消せない。
逃げ先行で走っている時はいつ後ろから差されるかという恐怖が付きまとっていた。
だが差し追い込みもこの位置から届くのかという恐怖が付きまとう。追われる者より追う者のほうが強いと言われるがどちらも苦しいことを改めて実感する。
道中溜めていた脚を直線に入った瞬間爆発させ、先頭との差を縮めていくが焦りは拭いきれない。
直線に入って乗るはずだったゴールデンレーンはヒガシノコウテイに取られた。即座にヒガシノコウテイとストリートクライの間にある次点のゴールデンレーンに乗っかる。
セイシンフブキが選んだ戦法は直線一気、ロングスパートの後方捲りとは違い、長く良い脚を使うのではなく、一瞬のキレで相手を抜き去る。
イメージとして長い時間全力を出す方が辛いと思うかもしれないが、短時間で一気に溜め込んだ力を使い果たすのも同様に辛い。
3F上がり自身最速の末脚を繰り出すがまだ先頭どころか、追っているヒガシノコウテイすら捉えきれない。
ダートを愛した先人の為に、ダートを志すアジュディミツオー達のような未来のウマ娘の為に、ダートの魅力を世間に知らしめるという自分のために。
様々な勝ちたい理由を燃料として消費し走り続ける。体には想像以上の負荷がかかり、体が悲鳴を上げるが構わず突き進む。
───何でこんな苦しい思いをしてダートを走るのだろう?
脳内で唐突な疑問が浮かび上がる。
ダートの未来のために、地位を上げるために、価値を認めさせるために、即座に答えが浮かび上がる。
確かにこれは明確な動機だ。だがもっと根本的で芯となる理由があったはずだ。1着になる為に雑念を捨てなければならないのに纏わりつく。
そんな状態でもダートの正しい走り方を実行する。右足がダートを踏みしめ感触が足裏から脳に信号として伝わる。その瞬間脳が一気に弾け何故ダートを走るのかを思い出す。
──ダートを走るのが楽しいから
アブクマポーロに教わったダートの正しい走り方という技術、アブクマポーロが離れても一人で試行錯誤を繰り返し探求してきた。
明確な答えは知らないなか答えを求め毎日走り続け考え続けた。その日々の中で少しずつ答えに近づいている実感があり、その充実感や達成感はとても心地よかった。
技術に終わりはない。もっと先があるはずだ。歩幅、体重移動、蹴り足の力の入れ具合と角度、もっと最適なやり方が有るはずだ。溢れ出るアイディアを厳選し実施する。
ダートの未来の為に、地位を上げるために、価値を認めさせるために、そういった感情を忘れて、ただダートを極めることに没頭する。
これは95点、これは100点、これは105点、これは105点、これは120点
1歩ずつ踏みしめるごとにどれだけダートの正しい走り方ができているか、自己採点していき、一歩ごとに精度は上がり記録を更新していく。
勝敗すら忘れ只管道を求め究めようと邁進する。それはまさに求道者そのものだった。
デビューからセイシンフブキを追っていたファンは目を見開く。かつてジャパンダートダービーで見せた走り、着差は無かったものも圧倒的な凄味を感じ真夏なのに寒気を感じた。だがそれ以降はあの時の凄味は無かった。
逃げと追い込みで脚質もレース内容も違うがあの時と凄味と寒気が蘇る。あの時のセイシンフブキが帰ってきた。ファンはあらん限りの声援を送った。
セイシンフブキがダートの探求に没頭しているなかノイズが走る。粘着質でまるで底なし沼に入り全身に蛭が這うような嫌悪感、他の4人も同様の嫌悪感を抱いていた。
『そしてアグネスデジタルもやってきた!』
デジタルの脳内麻薬を分泌させイメージを作り上げる。テイエムオペラオー、メイショウドトウ、エイシンプレストン、スペシャルウィーク、いずれも心をときめかせる大好きなウマ娘達、そのウマ娘達が前後左右を囲んでいる。
表情、躍動する筋肉、とびちる汗、呼吸音、ダートを踏みしめる足音、汗の匂い。脳内ではかつてないほど鮮明にイメージが構築されていた。
デジタルは恍惚の表情を浮かべながら走る。だがそれでは足りないとレースを走るウマ娘達を感じようと感覚を研ぎ澄ますがイメージにノイズが走る。
レース中において意中のウマ娘をイメージして走るトリップ走法をしていた。だが今までは同時にイメージする人数は最大2人、ドバイワールドカップでは6人のウマ娘をイメージしたことがあるが、1人イメージし暫くしたらイメージを消して、別のウマ娘のイメージを構築するという作業を繰り返した。そうしなければ脳にイメージすることへの負荷に耐えられないからだ。
だが今現時点で4人を同時にイメージし、さらに5人を感じようとすれば既に脳に多大な負荷をかかり脳へのダメージは計り知れない。この頭痛は脳からの危険信号だった。
(((気合い入れなさい!でないと皆を味わえないわよ!)))
(((頑張ってデジタルちゃん!デジタルちゃんのにんじんはすぐそこだよ!)))
(((さあ!理想郷までの試練は続くが安心したまえ!ボクがついている!)))
(((役に立たないかもしれませんが、私がデジタルさんの痛みを和らげます)))
イメージのプレストン達がデジタルに手を伸ばし顔や頭に触れていく。それぞれの体温や肉感がデジタルに伝わり頭痛が和らいでいく。
人が持つ痛みを伝える神経は細く、それより神経が太い圧覚や触覚の刺激を与えると痛みの信号が伝わらず弱まる。これをゲートコントロールと呼び、負傷箇所を無意識に触るのはゲートコントロールで痛みを和らげようとしているからである。
ゲートコントロールについては知らなかった。体が痛みから和らげると同時にプレストン達の肉体の感触を味わいという願望がゲートコントロールをしていた。イメージの皆に感謝しながら感覚を研ぎ澄ます。
(((アメリカが!王者の魂を持った私が最強だ!)))
(((私が勝って業界のアイコンになって、皆を幸せにして!もっとレースの素晴らしさを伝えるんだ!)))
(((キティと2人ならどんな相手にも負けない!)))
(((地方の未来は私が守り抜く!)))
(((やっぱりダートを走るのは楽しい!)))
(うひょ~!みんな素敵すぎ!尊すぎ!エモすぎ!最高かよ!!!)
5感で感じ取った情報を元にイメージを構築され其々の心情がナレーションとして聞こえてくる。
類まれなる想像力と各ウマ娘への調査の結果、限りなく本人に近いイメージが構築され、その心の声はほぼ今現時点で当人達が思っていることに相違は無かった。
自分を取り囲むように走るウマ娘達、そこはまさに桃源郷だった。
イメージのウマ娘はペースを上げ、デジタルも釣られるようにスパートをかける。いくらデジタルが精巧にイメージを作ろうとも所詮はイメージで有り本物には敵わない。
レースを走る5人は最高にきらめき、その輝きに優劣はない。
逃げるティズナウとサキーを、後ろから来るストリートクライとヒガシノコウテイとセイシンフブキが捉える。ゴール前は大接戦になるだろう。
ゴール板前は数センチの距離でウマ娘達が密集する絶好のウマ娘体感スポットと化す。そこに辿り着くには力の全てを振り絞らなければならない。
今のデジタルは9人分のイメージを同時に構築し、出力が上がると同時に脳がパンク寸前だった。以前であれば走りのフォームが乱れていただろう。
だが走りのフォームは乱れず最もスピードが出せる理想のフォームを維持していた。
ウマ娘は最大出力を上げれば上げるほど、自身で作り上げた最も速く走れる理想のフォームが乱れ、力をロスしていく。
その一例がサキーであり、結果的には速くなり出力が上がった分フォームが乱れ、力のロスを生んでいる。出力が上がった状態で理想のフォームを維持するには体を精密に動かせる身体操作能力が必要である。
トレセン学園で、そして地方に移籍して1人になっても理想的なフォームを維持する身体操作能力を磨き続けてきた。その努力は実を結び、肉体は主の願いを叶えるべく理想的なフォームを維持し続ける。
鼻血を垂らし涎をまき散らしながら大井の直線を駆け抜ける。その姿は異様であり醜いかもしれない。だが全ての意識を向け没頭する姿は美しくもあった。
「いけー!差せ!差せ!」
「そのまま!そのまま!」
「残れ!残れ!残れ!」
トレーナーが居る関係者席ではそれぞれの関係者から声を張り上げ各ウマ娘を応援する声が飛び交う。スタンドで見ている観客も声を張り上げ、トレーナーの目の前にあるガラスが振動で震えていた。
皆が熱狂に当てられているなか、トレーナーは涙を堪えながらデジタルの姿を見つめる。
本当に幸せそうだ。
ゴールに向かっているデジタルの表情はこの世で最上級の幸福を得たようで、ここまで幸せそうな人間を見たことはない。
この幸福を得るまでは決して楽な道のりではなかった。もがき苦しみ様々な障害を乗りこえ、時に道を見失いながら掴み取った。
自分より遥かに年下の少女を心から尊敬する。もう何もいらない。あとは無事にこの幸せな時を味わってくれ。トレーナーは心の中で祈り続ける。
『残り100メートル!粘るティズナウとサキー!伸びてくるストリートクライとヒガシノコウテイ!追い込んでくるアグネスデジタルとヒガシノコウテイ!』
それぞれが死力を出し尽くしてゴールを目指す。明日なんていらない。このレースに勝てるなら全てを捧げてやる。全てのエネルギーを燃やし尽くさんとばかりに走る6人の姿に観客達はさらに声援をあげる。
ゴール板に近づくごとに6人は1つに重なるかのように差を縮めていく。その様子はシナリオで決まっているようだった。
金、名誉、夢、欲望、プライド、信念。奪う為、守る為、証明する為に全てを投げ打ちやってきた誇り高き6人による夢の競演ダートプライド、それぞれが持つ理想や思想や矜持に優劣はない。
だがレースは残酷であり1着以外は勝ち取れず守れず証明できず終わる。
ついに終幕を迎え、審判が下された。
『6人が全く並んでゴール!ティズナウか?サキーか?ストリートクライか?ヒガシノコウテイか?アグネスデジタルか?セイシンフブキか?これは大接戦だ!6人とも全く譲りませんでした!』