勇者の記録(完結)   作:白井最強

60 / 119
三万文字越えです。



勇者と隠しダンジョン#18

 6人がゴール板を駆け抜けた後もレース場のざわめきと歓声は全く収まらない。

 凄まじいレースだった。誰もが歴史的レースの証人になったことを実感し、さらに着順掲示板に表示されるタイムを見て、ざわめきと歓声は膨れ上がる。

 

タイム 2:00.4 R

4F 46.7

3F 35.9

 

 まずある程度レースに詳しい者はそのタイムに驚き目を疑う。2000メートルをほぼ2分ジャスト、芝の2000メートルなら時々記録されるタイムだが、これは芝よりタイムが遅くなるダートである。

 そして地方のレースに詳しい者はさらに驚く。大井2000メートルのレコードは2:03.7、右回りと左回りの違いがあるにせよ、3.3秒もタイムを縮めるという驚異的なタイムだった。

 そして今日の大井レース場で走ったウマ娘はさらに驚いていた。

 タイムは確かに驚異的だがバ場次第でタイムは大きく変わり、時計が出るバ場ではあればレコードはあっさり塗り替えられる。

 レコードを出したウマ娘は能力を持っていることは確かだが、レコードを出した者が最強であると言えない理由はここにある。

 だが今日のバ場はレコードが出るほど時計が速くないことは身をもって実感している。同条件で行われたレースは2:06.5だ。もはや驚愕を通り越して笑うしかない。

 

 一方レースを終えた6人はどよめきと歓声を聞きながらダートに膝をつき、内ラチに背を預け、あるいは寝そべる。全ての力を使い果たし自力で立ち上がれずにいた。

 デジタルはコースに寝そべり東京の夜空を見上げる。心臓が激しく脈打ち視界がグニャグニャと歪み、頭がガンガンする。最悪の状態だ。だがその顔には弛緩した笑顔が浮かんでいた。

 思う存分に5人を感じられた最高のレースだった、何一つ後悔はない。余韻に浸らんと5人の荒い息遣いを堪能しながら最高の体験を反芻する。

 

「お~い、生きとるか?」

 

 デジタルは記憶を堪能している最中に声をかけられたのが不愉快だったのか、鋭い目つきで声がした方向を向く。そこにはトレーナーがいた。レースが終わった直後に即座にコースに向かっていた。

 

「そんな、親の仇みたいに睨むなや。とりあえず全力出して尽くして脳に酸素が回っとらんやろ。これでも吸っとけ。あとも水分も摂っておけ」

 

 トレーナーから酸素吸引機を受け取り口に当てる。酸素が供給され少しだけ頭の痛みが治まってきた。そして給水ボトルを受け取り1口飲む、僅かな水分が体中に染みわたり、そのまま勢いよく飲み干す。

 一方トレーナーはデジタルの様子を観察する。鼻血が出ているが外傷ではなく、トリップ走法で極度に脳を酷使した影響だろう。

 それ以外に軽度の酸欠や脱水症状が見られるが暫く安静にしていれば回復するだろう。脚は怪我していない。

 限界を超えた反動による故障を心配していたが、特に問題が無いようなので胸を撫で下ろす。

 

「この様子だと判定に時間が掛かるやろ。とりあえず、地下バ道降りて裁決室に行くぞ。ほれ肩に捕まれ」

 

 デジタルは無言で頷きトレーナーの肩に捕まり地下バ道に向かう。

 

「何も喋らんでええ、本当に凄いレースやった」

 

 トレーナーは何か喋ろうとしているのを察し、先に制する。この状態では喋るのも億劫だろう。何よりそのだらしない笑みを見れば何を喋ろうとしているかは分かる。

 

「極上の体験が出来てよかったな」

 

 デジタルはほんの僅かに頷いた。

 

「師匠大丈夫ですか?しっかりしてください」

 

 アジュディミツオーはセイシンフブキに水分を摂らせてから、酸素吸引機を渡す。

 今までトレーニングで同様に疲弊したことがあったが、それは何本も模擬レースを走った時だ。たった1レースでここまで体力を使い果たし疲弊する。改めてこのレースの壮絶さを認識する。

 物凄いレースだった。今すぐにでもその感動を伝えたかった。だが今の状態では伝えたとしても騒音にすぎない。この思いは後で伝えよう。

 セイシンフブキは酸素吸引機を外しアジュディミツオーに差し出すと顎でヒガシノコウテイを差す。その意味を察し、ヒガシノコウテイの元に向かい、給水ボトルを渡し酸素吸引機を与える。

 他のウマ娘達の元には人が駆け付け介護しているなか、ティズナウとヒガシノコウテイの元には誰も居なかった。

 アジュディミツオーは疲弊しボロボロになったヒガシノコウテイを見つめる。セイシンフブキの凄まじい走りに差が無くゴールした。

 お互い似たような境遇でありながら主義が違う2人、ヒガシノコウテイは地方を重視し、セイシンフブキはダートを重視する。

 正直に言えばセイシンフブキには勝てないと思っていた。いくらダートの正しい走り方を身に着けようが、真のダートプロフェッショナルの前には敵わない。だが結果は僅差の写真判定だ。

 セイシンフブキのダート練度が劣っているとは思わない。その練度不足を補う何かが有った。それはフィジカルではなく心の部分だろう。

 

 ヒガシノコウテイはマスクを外すと疲労で辛い状態ながら柔和な笑みを浮かべ礼を言う。アジュディミツオーは会釈すると再びセイシンフブキの元に向かい肩を貸し腰に手を回す。とりあえず裁決室に運んでゆっくりと休ませなければならない。

 

「アタシと……コウテイさんを運べ」

 

 ポツリと耳打ちするとアジュディミツオーはそのままヒガシノコウテイに肩を貸し、腰に手を回して歩き始める。

 

「クライ!大丈夫か!?どこか痛むところはないか!?」

 

 キャサリロは水分を与え酸素吸引機をストリートクライの口に当てながら、問いかける。その問いにストリートクライは問題ないと指で〇印を作る。

 

「クライは2人で1人だと言ってくれたけど、レースで苦しんで辛いのはいつもクライだ」

 

 キャサリロは思わず愚痴をこぼす。本来なら労い褒めるべきなのだが、極度に疲弊した姿を見てつい弱音を吐いてしまっていた。

 ストリートクライはキャサリロの顔に手を添えてゆっくりと語り掛ける。

 

「そんなことはない……レースでもキティはここに居てくれた……辛いのを苦しいのを肩代りしてくれた……でなければ5人に負けてた」

 

 右半身の勝負服を指さす。キャサリロの勝負服から受け取った想いと力が無ければここまで走り抜けなかった。それは偽りのない本心だった。

 

「とりあえず下で休もう。その後に祝勝会だ」

「うん」

 

 ストリートクライはこれ以上なく頑張った。後は自分の番だ。勝利に相応しい極上の祝勝会の準備する。それが今できること。

 2人は勝利を確信したかのように上を向き胸を張りながら地下バ道に向かう。

 

 サキーはデジタル達が関係者の肩を借りながら地下バ道に向かう姿をみて満足げな表情を浮かべる。

 それぞれが自力では歩けないほど力を出し尽くしてくれた。そしてレースは6人が同時に入線する大接戦、まさに理想とするレースだった。

 これが人々の心を最も震わせるレースだ。その証拠に未だに歓声が鳴りやまない。

 するとデジタル達と入れ替わるように殿下が給水ボトルや酸素吸引機を持ったスタッフを連れてやってくる。先にスタッフが来てサキーの世話する。

 

「立てるか?」

 

 サキーは水を一気に飲み干すと差し出された殿下の手を取って立ち上がろうとするが、疲労や倦怠感が体中に駆け巡る。

 だがそれに耐えながら平然とした表情を強引に作る。業界のアイコンを目指すものがいつまでも地面に伏すわけにはいかない。

 

「申し訳ありません」

「何がだ?」

「殿下はもっと圧倒的な勝利を望んでいたと思いますが、5人はとても強くこのような僅差でしか勝てませんでした」

「まだ結果は出ていないが勝ちを確信しているのか?」

「はい、勝ったのは私です」

 

 サキーは断言する。レースを通してティズナウの言う王者の魂を手に入れた。

 今まで積み重ねたものに王者の魂が加われば負けるわけがないという自負、何より業界のアイコンになるために負けられないという願望が含まれていた。

 水分と酸素を摂取した後地下バ道に引き上げようとするが激走の影響か膝から崩れ落ちそうになる。だがその前に殿下が抱き支える。

 

「お召し物が汚れます」

「ゴドルフィンのエースが、業界のアイコンがこれ以上地に伏すのはイメージダウンだ。肩を貸そう。這うより肩を借りながら退場する方がまだマシだ」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」

 

 サキーは恐縮そうにゆっくりと殿下の肩に手を回し、2人はスタッフと一緒に地下バ道に向かって行く。

 

 ティズナウは内ラチに背を預け、サキーの後ろ姿を見ながらほくそ笑む。

 勝者とは地面に伏すことなく、自分の足で退場する者だ。他の5人は地面に伏し倒れこみ他者の手を借りて退場した。つまり勝者の資格無しである。

 ゆっくりと内ラチから背を離し立つ。その瞬間立ち眩み膝をつきそうになるが歯を食いしばり堪える。自身も力を振り絞り限界を超えており、他の5人と同等に疲弊していた。

 今すぐに膝をつきたい、寝転がりたい。様々な弱音が過るが即座に握りつぶす。自分はレース最強国アメリカを代表するウマ娘であり、つまりアメリカそのものだ。最強が地に伏せることは許されない。

 そのままゆっくりと地下バ道に向かい、観客席の一部から歓声があがる。

 疲労のせいでゆっくりとしか歩けなかった。だがその体中から発せられる自信が威風堂々と歩く勝者の貫禄と思われていた。

 地下バ道まであと数メートルというところで、観客席から大きなざわめきがあがる。思わず後ろを振り向くとオーロラビジョンにゴールする瞬間がスローモーションで流れていた。

 

「私が勝者だ!」

 

 ティズナウは拳を天高く突きあげ高らかに叫ぶ。映像を見ても誰が勝ったか判別できなかった。

 だが王者の魂を持ったウマ娘がアメリカのウマ娘以外に負けるわけが無い。その絶対的な自信は一切揺るがない。

 

「誰が勝ったかと思います?」

「全く分かりません」

「ボクも現役時代はハナ差でも勝ったかどうかは分かったんだが、それは写真判定で判別できるレベルだ。これほどまでに僅差だと誰も勝利を確信できないだろう」

 

 エイシンプレストン達はオーロラビジョンに映る映像を見ながら話す。コマ送りの映像を見る限り誰が勝ったかまるで分からなかった。

 

「皆にボクの全盛期の姿で留まりたいと思って引退した。その決断に後悔は無い。だがこんなレースを見せられたら、引退を伸ばしてもう少し走れば良かったと後ろ髪引かれてしまう」

「私もです」

 

 オペラオーの言葉にドトウは頷く。レースを走った6人は最高の興奮と充実感を味わっただろう。レースを見て興奮を味わったがやはりレースで実際に走って味わうのには敵わない。少しだけ現役選手が羨ましかった。

 プレストンは手を強く握りながら誰も居なくなったコースを見つめる。

 凄いレースだった。レベルもさることながら人々の心を惹きつける熱量、何よりデジタルの表情を見ればどれだけ楽しかったのか分かる。

 ならばこれ以上にレベルが高く人々の心を惹きつけるレースでデジタルに勝つ。香港のシャテンならばそれが可能だ。

 プレストンは今すぐにでも走りたいという衝動を必死に抑え込み、クイーンエリザベスcに向けて最高の調整を送るプロセスに思考を巡らす。

 

「1人のスポーツ選手としてレース場に集まった多くの観客を熱狂させた。わが娘ながら嫉妬してしまう」

 

 デジタルの父親はポツリと呟く。スポーツをする者は誰しもが多くの人が見られるなか、人々を熱狂させるプレイをしたいと思う。

 父親も例外では無く、いずれプロになって人々を熱狂させたいと願いながら夢は果たせなかったが、その夢を娘が果たしてくれた。嬉しさと誇らしさとほんの僅かの嫉妬の念を抱いていた。

 

「本当ですね」

 

 デジタルの母親は頷く。人は誰しも生を望む。人の生とは肉体を残しながら生き続けることだけではない。その人物の記憶や思想や考えが伝わることも生である。

 だからこそ人は人と交流し繋がりを持っていくというのが自身の考えだった。

 今日のデジタルの姿は多くの人の心に刻まれ記憶されて語り継がれるだろう。きっと自分より長い年月覚えてもらえるだろう。それが少しだけ羨ましかった。

 

「さて、デジタルの様子でも見に行きますか。ご両親もどうですか」

 

 プレストン達がデジタルの両親に話しかける。2人はその提案に応じデジタルの元に向かった。

 

 

 ダートプライドが終わってから20分が経過した、オーラビジョンの着順掲示板の1着から5着の表示はない。

 他者の進路を妨害して降着かどうか判断する審議の際には時間がかかることがあるが、審議のランプは表示されていない。これはただ着順を決定するのに時間が掛かっていた。

 あまりの判定の長さに一旦収まったざわめきがどんどん大きくなる。そしてレースを走った当事者達も固唾を飲んで結果を見守っていた。1人を除いて。

 

 トレーナーはニヤついているデジタルを見て苦笑する。これでダートプライドの記憶を反芻しているのは何度目だ?地下バ道を降りて裁決室で結果を待っている間ずっと目を瞑ってニヤニヤしていた。

 まるでこの世で最も美味く味が永遠に続くガムを噛んでいる子供のようだ。

 恐らく負けたらレースに勝利した時の記憶を封印することも忘れているだろう。しかしその数々の煌めく思い出を補って余りある記憶を手に入れた。きっと何とかなるだろうと楽観的に考えていた。

 すると裁決室が慌ただしくなる。これは着順が決まったか、トレーナーの心臓の鼓動が一気に高まる。そしてホワイトボードに着順が記載される。

 

第11レース ダートプライド 2000メートル 左回り

 

Ⅰ 4

   >ハナ

Ⅱ 1

   >同着

Ⅲ 2

   >同着

Ⅳ 3

   >ハナ

Ⅴ 5

   >同着

Ⅵ 6

 

 

 裁決室から、そして観客席から悲喜こもごもの声があがる。

 

「ヤッター!!!デジタルが勝った!!!」

「シャアアアア!!!」

「おめでとうデジタル!キミは真の勇者になった!」

「おめでとうございますデジタルさん!」

 

 トレーナーは天高く拳を突き上げ、プレストンがドトウがオペラオーが祝福の言葉をかけながら勢いよく抱き着きデジタルを揉みくちゃにする。

 

 ヒガシノコウテイは信じられないと膝から崩れ落ち。

 セイシンフブキは大泣きするアジュディミツオーの頭を胸で抱き。

 ストリートクライはキャサリロと悲しみを分かち合うように抱き合い。

 サキーは現実を受け止めるようにホワイトボードをじっと見つめ。

 ティズナウは声を荒げ物に当たり散らす。

 

1着 アグネスデジタル

2着 ティズナウ、サキー、ストリートクライ

3着 ヒガシノコウテイ、セイシンフブキ

 

 ダートプライドの着順が正式に決まる。

 

 アグネスデジタルと2着との差は1センチ、2着と3着との差は1センチ、1着と6着の差は僅か2センチ、まさに空前絶後の死闘である。

 この6人に差は無かった。100回レースをやれば全て結果が違うほど実力は拮抗していた。全員同着という結果でも決して不思議ではない。だがレースの神様はそのような優しくも美しい結末を与えず、非情なまでの残酷な結末を与えた。

 ウイナーテイクオール、オールオアナッシング、その言葉通り勝者に全てを与え、敗者から全てを奪った。

 デジタルは勝利に全く執着していなかった。ただウマ娘を感じたいという一心で力を振り絞り限界を超え勝利した。

 レース展開の利か?ウマ娘の本能が勝利を求めたのか?はっきりした勝因は分からない。だがレースの神様はデジタルの育んだ心が、生き様が、技術が、肉体が勝利に相応しいと判断した。 

 

 

『それでは表彰式を行います。まずはレイの授与です』

 

 デジタルはコース上に設置された表彰台に立ちながら、レイを運ぶスタッフを見る。

 

 羽田盃、東京王冠賞、東京ダービー、ジャパンダートダービー、かしわ記念、東京大賞典、南部杯、BCマラソン、ドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞、BCクラシック。そしてダートプライド。

 

 それぞれの誇りや夢や思い出が詰まったレイを受け取る。皆納得の上で献上したのは分かっているが大切な物を奪い取るようで胸がチクりと痛む。

 するとコース上にセイシンフブキ、ヒガシノコウテイ、ストリートクライ、サキー、ティズナウが現れ、それぞれがスタッフからレイを取る。

 まさかレイを与えるのが惜しくなって奪ったのか?レース場に剣呑な空気が立ちこめる。

 皆が5人の様子に注目するなか、セイシンフブキが羽田盃、東京王冠賞、東京ダービー、ジャパンダートダービー、かしわ記念のレイを携えながら近づき、レイを肩に乗せ、己の魂を乗せるように拳をデジタルの心臓に当てる。

 勝者を讃え自らの手でレイを与える。勝者への敬意とスポーツマンシップ溢れる行動にスタンドから歓声があがる。

 

「ダートウマ娘の代表として挑んで負けた。もう芝ウマ娘なんてバカにしねえよ。アンタは立派なダートウマ娘だ。そしてダートウマ娘として芝のレースに出ても芝ウマ娘に負けるなよ」

「任せて、フブキちゃんをガッカリなんてさせないから」

「それからまた日本のダートで走れよ。もしくはドバイかアメリカのダートだ。挑戦者として挑みに行く」

「分かった」

 

 セイシンフブキは清々しい表情を浮かべながら立ち去る。それは今まで見たことが無い一面で心をときめかせていた。

 すれ違うようにヒガシノコウテイが南部杯と東京大賞典のレイを与える。その表情は暗く今にも涙を流すのを堪えているようだった。思わず声をかける。

 

「コウテイちゃんどうしたの?大切なものを貰ってごめんね。何ならこっそり返そうか?」

「いえ、これはケジメですから……それにもう必要ないですから……」

 

 ヒガシノコウテイはそそくさと背を向け離れていく、今にも消えてしまいそうな儚さに思わず手を伸ばしていた。

 そして入れ替わるようにストリートクライがBCマラソンのレイを与える。

 

「次はドバイで……」

「うん、ドバイで」

 

 ストリートクライは歯を食いしばりそっぽを向きながらレイを渡す。

 その子供っぽい仕草さに微笑ましさを覚えながら受け取る。次はドバイワールドカップで走ろうということだろう。キャサリロと2人の世界を作っているストリートクライが自分を注目していることであり、嬉しかった。

 次にサキーがドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞のレイをデジタルに与える。

 

「私はこれで業界のアイコンになる道が遠ざかりました。代わりにデジタルさんがアイコンになってくれませんか?」

「それはちょっと……」

 

 サキーはデジタルが言いよどむ様子を見てクスクスと笑う。

 

「冗談です。デジタルさんは自由に気軽に好きなレースを走ってください。堅苦しい役割は私が引き受けます。それに道は途絶えていません。今年の4大タイトルを全部取れば道は開きます。それは険しい道になると思いますが、これぐらいで諦められる夢ではありません」

「うん、サキーちゃんの夢を応援しているから」

「そしてBCクラシックで走りましょう。生まれ故郷でダートプライド勝者とグランドスラムをかけてのレース、きっとダートプライドと同じぐらい盛り上がります。私の夢の為に、そして友人として心待ちにしています。デジタルさんと走るのは本当に楽しいですから」

「アタシも!」

 

 サキーはデジタルにレイを与えた後ハグを交わす。

 負けた直後でお茶目に爽やかに接し心を温かくしてくれる。本当に太陽のような存在だ。きっと業界のアイコンとなって、ウマ娘達をサキーが照らしてくれるという予感を抱きながら見送る。

 最後にティズナウがBCクラシックのレイを2枚携えながら向かってくる。怒りで目を見開き殺気を全身に迸らせており、思わず身構える。

 

「アタシはティズナウちゃんの言う通りアメリカから逃げた軟弱者のチキンかもしれないけど、このBCクラシックのレイに相応しいウマ娘になるから」

「勝手にしろ」

 

 ティズナウは睨みつけながらレイを渡すと何も言わず踵を返す。そのダートに残る足跡を見れば、どれほど怒っているかは充分に感じ取れた。

 レイの授与が終わるとインタビュアーがデジタルの元に来て優勝インタビューが始まる。

 

「アグネスデジタル選手、優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「史上稀に見るレースでしたが、ゴールした瞬間は勝利の手ごたえはありましたか?」

「よく覚えていないです」

 

 デジタルは質問に淡々と答えていく。体調は最悪でトリップ走法の影響で頭痛も酷く。今すぐにでも帰りたかった。

 レイを授与された時は皆が渡してくれるというサプライズでテンションが上がり、ウマ娘を存分に感じられた幸福感で倦怠感や頭痛が治まっていた。

 だがインタビューに対してテンションが上がらず倦怠感や頭痛がぶり返していた。

 機械的に答える様にインタビュアーは戸惑い、何とか盛り上げようとするが空回りを繰り返し、スタンドからも白けた空気が伝わってくる。

 

「最後に何かありますか?」

 

 インタビュアーは若干投げやりに形式通りの質問して、デジタルは答え始める。

 

「アタシは今日のレースは楽しみで楽しみで仕方が無かった。きっと人生で1番素敵な体験になるってワクワクしてたけど、期待以上になった。フブキちゃんが、コウテイちゃんが、ストリートクライちゃんが、サキーちゃんが、ティズナウちゃんが、一生懸命全力で煌めいてくれたから。

 コウテイちゃんはどんな時でも諦めず心が折れなくて、あの3コーナーと4コーナーの様子見た?あれだけ外に膨らまされたら絶対に諦めちゃうよ!でも諦めなかった!本当に尊いよね!それに最初のサキーちゃんとのポジション争いも激熱!お互いの意地と培ったものがぶつかり合った。飛び散る汗!体がぶつかり合う音!たまらない。それにマントに書かれている文字見た!?きっと過去にあった地方のレース場の名前が書かれていたんじゃないかな?過去の地方のウマ娘達の想いを背負って走る!エモすぎだって!」

 

 インタビュアーからマイクを奪い取り喋り続ける。本当ならトレーナーや両親や友人達など、支えてくれた人や応援してくれた人に感謝の言葉を言わなければならない。

 しかし気が付けばダートプライドの事ばかり喋っており、テンションは加速度的に上がっていく。

 

「フブキちゃんのあの追い込み!まず足音が違うよね!ズドン!ズドンって感じでさ!流石ダートプロフェッショナル!あのハンターに狙われるようなゾクゾク感!あれは病みつきになっちゃう!それに今日は何かウキウキ感的なものがあったな。まるでずっと小さいウマ娘ちゃんが走るのが楽しくてたまらないって感じ!また新たな一面を見られてキュンときちゃった!

 そしてストリートクライちゃんはまずは勝負服!エモすぎ!アタシを尊死させる気なの!あれはキャサリロちゃんの勝負服だよ!でなければダートプライドに着てくるわけないよ!苦しいときに友達が力を貸すって友情パワーじゃん!アタシもオペラオーちゃんやドトウちゃんやプレちゃんの勝負服を着ければ、友情パワー使えるのかな?今度聞いてみよう!

 サキーちゃんはやっぱり最終直線での根性勝負だよね。BCクラシックでティズナウちゃんに同じような展開になって叩き伏せられた。普通なら同じ展開を絶対に避けると思うけどサキーちゃんは過去を払拭しようって再び挑んだ!主人公じゃん!お互いが己の意地とプライドを証明するかごとくの叩き合い!これだけでご飯3杯いけるって!グフフフ、後で映像見直そうっと。

 そしてティズナウちゃんもアメリカのライバル達と鍛えぬいた王者の魂を証明しようとサキーちゃんとの根性勝負に真っ向からぶつかり合う!ここでも友情パワーですか!?王者に最も必要なのは勝負根性って言うだけあって負けられないよね!」

 

 

「まるで暴走機関車やな。もし俺のチームに在籍してたら謹慎やぞ」

「テンション上がりすぎ、まるで遊園地に行って楽しかったことを延々と喋る子供みたい」

「ケンタッキーダービーを見た後はいつもこんな感じだったな」

「ああ、懐かしい。その翌日は寝不足だったわ」

「まあ、こんな最高のレースと体験をしたんだ。少しぐらい羽目を外してもバチは当らないさ」

「羽目を外しすぎな気がしますが、でも本当に楽しそうで嬉しそうです」

 

 トレーナー達は好き勝手喋り続けるデジタルに生暖かい目線を送る。

 様々な困難を乗り越えて辿り着いた末隠しダンジョンをクリアしたのだ。これぐらい喜ぶぐらい許されるだろう。そして流石に喋りすぎとインタビュアーが何とか終わらせようとデジタルに呼びかける。

 

「え?もう終わりにしろ?もっと喋れるけど、まあいいや。最後に一言、アタシは最高の体験だったけど、皆はどうだった?最高だったでしょう。それはあれだけ素敵なウマ娘ちゃんが最高に煌めいたんだから当然だよ。初めて見た人も楽しかったでしょう。何て言ったってレースは最高のエンタメだからね!

 そしてそんな最高のエンタメはここ以外でもやってます。土日祝日では中央でレースがやっていて、それ以外でも地方でレースやってるし、日本以外でもアメリカやヨーロッパとかいろんな国でやってる。つまりその気になれば毎日レースが見られます!毎日が日曜日!世界はシャングリラ!

 あとレースを見てワクワクして感動してエモい尊いと思ったウマ娘ちゃん達!レースを見てウマ娘ちゃんを調べて尊みを感じるのもいいけど、やっぱりレースを走って1番近くでウマ娘ちゃんを感じられるのが一番だよ!でも私なんて才能が無いからって弱気になっちゃダメ!懸命に走るウマ娘ちゃんを感じれば沼に嵌っちゃうよ!だからレースを走ろう!地方も中央も芝もダートも海外のレースを見て走って!皆でもっともっと楽しもうよ!」

 

 デジタルは知っている。ヒガシノコウテイが地方に目を向け差す為に、セイシンフブキがダートに目を向けさせる為に、サキーが1人でも多くの人にレースを見てもらい、レースに携わるウマ娘と関係者を幸せにするためにダートプライドに挑んだことを知っている。

 全員の願いは叶えられないが少しでも叶える為に、自分なりの言葉でレースの素晴らしさやダートや地方に目を向けさせようとした。

 何より自分が好きなものを他人伝え知ってもらいたいという欲はオタクの性だ。

 

「それで次はウイニングライブだっけ?アタシの持ち歌は中央が権利を持っているので、使えないみたい。なので代わりにアタシが好きな曲を歌います。レースを知っている人もなじみがあると思うし、世間的にも有名みたいだから知っていると思うよ。レースがある日は毎日が楽しくて祝日気分で大好き、いや、愛してま~す。ということでlove holiday! 」

 

 デジタルが曲名を言うとイントロが流れ始め手拍子を促す、馴染みの名曲のリズムは殆どの人間は知っていて、手拍子を送る。

 段取り無視で突如ウイニングライブが始まり、インタビュアーは困惑の表情を見せながら責任者に視線を送る、責任者はGOサインを出し、観念したようにコースから掃けていく。

 

 

───love holiday

 

 中央ウマ娘協会のCMで使われた曲で、バンドの代表曲であり世間にはそれなりに知られている。

 デジタルも聞いた時からレースを見に行く、あるいは走りに行くワクワク感を見事に表現して、お気に入りの曲だ。

 

『なんか気持ちいいね今日は

 超キミと出掛けたい気分だ』

 

 レースを走る日は祝日気分で常に気持ちがいい。今日のダートプライドもスキップ交じりでこの歌を口ずさんでいた。

 レース場はさながら遊園地かデートスポット、レースは意中のウマ娘とのデートかもしれない。

 

『難しいことは一掃 後回しで

 ユラユラ車でロングタイム』

 

 名誉、地位、金銭、未来、難しいことは後回しでダートプライドに臨んだ。レースを走るまで長い道のりだった。その道はデコボコで、ユラユラと心地よく行けるものではなかったが、最高の体験をするためのスパイスとして利いていた。

 

『じっくりゆっくり話したい

 あの橋超えたら君と

 いつもより大きな声で唄おうかな』

 

 レースを通してじっくり存分に感じたいが、レースの時間は長くはない。だから5感を研ぎ澄ます。

 ゴール板を超えてレースが終わったら、ヒガシノコウテイとセイシンフブキとストリートクライとサキーとティズナウと存分に語り合って笑い合いたい。それぞれ住んでいるところが違うので厳しいが、いつかできる日が来るといいな。

 

『Wow Wow Wo Ho Ho♪Wow Wow Wo Ho Ho~♪

Wow Wow Wo Ho Ho♪Wow Wow Wo Ho Ho~♪』

 

 今日は本当に楽しかった。感情を乗せて歌いあげる。その感情が伝わったのか、観客達も楽し気に口づさむ。

 歓喜の歌は東京の空に高らかに響き渡った。

 

 

───

 

「オイいい加減に泣き止め、鬱陶しい」

「だって、師匠が負けるなんておかしいですよ。ダートを1番愛して極めているのは師匠じゃないですか」

 

 控室内にアジュディミツオーの涙声が響き、セイシンフブキは思わず舌打ちする。背後でグズグズと泣かれるのは不快だ。

 だが涙を止められず、泣きながらセイシンフブキの背中を押してクールダウンを手伝う。

 たった2センチ、たった2センチで全てを失った。これからは南関東4冠ウマ娘と名乗るどころかGI未勝利、いや重賞未勝利ウマ娘となってしまった。

 死に物狂いで積み上げた勲章と名誉が消え去った。これが泣かずにいられるか。

 

「アタシが負けたのはダートへの理解と熟練度が足りなかったからだ。技術の向上に到達点はないってアブクマ姐さんが言ってたけど、正直うぬぼれてた」

 

 セイシンフブキは自らの認識を自嘲する。ダートを極めたつもりはないが、山の8合目までは登っていると思っていた。だがその認識は甚だ甘くまだまだ麓に居たにすぎなかった。

 直線では何もかも忘れダートを探求したいという一心で走っていた。その結果少しだけ極められた。でなければ今日のダートコンディションでこのタイムは出ない。  

だがダートという山をほんの僅かに登ったにすぎない。

 ダートは果てしなく高く深く、恐らく生涯かけても頂点に登ることはできない、いや誰1人登ることはできないだろう。

 近づけば近づくだけ、目標の深さと高さがより詳細になっていく。ある者はその深さと高さに絶望し足を止めるかもしれない。

 だがセイシンフブキは違う。足を止めることなくダートを探求し続けるだろう。一生かけて夢中になり探求できるものがあることへの幸せを噛みしめていた。

 

「よし、クールダウン終わり。行くぞミツオー」

「どこにですか?」

「コウテイさんのところだ。ダートプライドについて検討会をする。あの人の意見も聞きたい」

 

 勢いよく立ち上がると部屋を出て、ヒガシノコウテイの控室に向かう。

 ダートプライドの敗戦から既に切り替え前を向いていた。より極める為に他者の意見を聞くことが重要だ、ならば自分の次にダートを知るヒガシノコウテイだ。自分には無い視点で意見を言ってくれるかもしれない。

 2人はヒガシノコウテイの控室に向かいノックする。反応は返ってこなく数回ノックしても同じだった。

 もしかしたら帰ってしまったか、そうなると連絡をとって落ち合わなければならない。面倒くささを感じながら確認のために扉を開ける。

 

「ヒィ……」

 

 アジュディミツオーは悲鳴をあげ、セイシンフブキも思わず唾を飲み込む。ヒガシノコウテイは部屋に居た。

 勝負服を着たまま椅子に座って虚空を見つめ続ける。それだけならボーッとしているだけにも思えるが、特質すべきはその陰気さだ。大人しい性格でどちらかといえば陰気だが、この陰気さは異常だ。

 ダートプライドへの意気込みと熱意は知っているが、負けただけではこの状態は説明できない。

 

「どうしたっすか?」

 

 セイシンフブキは思わず声をかける。このまま放っておいたら自殺でもしかねないと思わせるほどの危うさがあった。

 

「もう終わりです……私のせいだ……」

「何がですか?」

「もう終わりなんです!私が負けたら!地方の輝かしい未来は潰えて!地方は次々と潰れる!」

 

 ヒガシノコウテイはヒステリックに大きな声を叫び、その声量と形相にアジュディミツオーはヒィと悲鳴を上げセイシンフブキに思わず抱き着く。

 

「それはダートプライドに勝てれば地方の力を示せましたけど、世界屈指の相手にこれだけのレースをすれば世間も注目しますって」

「そういう問題じゃない!私が!先人たちの!関係者の努力を無駄にして!後輩達の未来を断った!終わらせた!」

 

 ヒガシノコウテイは髪を掻きむしりながら叫び散らす。その声量に2人は思わず耳を塞ぐ。

 普段ならこうはならなかった。負けたことを悔しがながらも前を向き、みんなで一丸となって地方を盛り上げるというだろう。そんなヒガシノコウテイを変えてしまったのはレース中に見た光景だった。

 トランス状態に入った際に見た未来の地方ウマ娘達が様々なレース場でGIを勝利する映像と、その輝かしい光景が次々と黒く塗りつぶされて閉鎖していく地方レース場という光景、それを見てレースに勝てば輝かしい未来が訪れて、負ければレース場が次々と閉鎖される暗黒の未来が訪れると確信した。

 決して神でもなく未来予知ができるわけではない、見た光景はトランス状態に入った際に見える幻覚にすぎない。それに未来は不確定であり行動次第でいくらでも変えられる。

 だが初めてトランス状態に入ってみた幻覚はあまりにも神秘的だったがゆえに強烈な印象を与え、絶対的な真実であると認識させてしまった。

 

「そんなことないでしょう。これからアンタが地方のGIで勝ち続け中央の奴らを倒せばいいでしょう。そうすれば人も集まる」

「うるさい!うるさい!うるさい!もう終わりなんだ!私のせいで!ああああ!!!」

 

 セイシンフブキの慰めの言葉に絶叫をもって拒絶し涙を流す。今は誰の言葉を届かない。例えメイセイオペラの声であっても。

 

「どうするんですか師匠?」

 

 アジュディミツオーはセイシンフブキを見つめる。その目にはこれ以上関わりたくないとありありと語っていた。

 一方セイシンフブキも対応に窮していた。これ以上関わりたくないが、あまりの情緒不安さで放っておいたら何をするか分からない。

 

「失礼します!」

 

 返事を待たず勢いよく扉が開くと人が雪崩れ込んでくる。それは6人のウマ娘だった。

 アジュディミツオーと同世代ぐらいで緑と赤に宇宙と書かれたシャツを着たウマ娘。

 小学校6年ぐらいで青地に赤い星が鏤められたコートを着ているウマ娘と、その右手は幼稚園児ぐらいの紫と黄色のコートを着た栗毛のウマ娘の手を握っていた。

 小学校3年ぐらいで左耳に黄色と赤のリボン飾りをつけているウマ娘。

 アジュディミツオーと同世代ぐらいの葦毛の少女は右手に、小学1年生ぐらいの赤と白のダイヤモンド柄の服を着たウマ娘。

 

 突然の来訪者、ヒガシノコウテイに反応は無く、アジュディミツオーとセイシンフブキはお互いの反応を見て知り合いではないと確認する。

 一方6人のウマ娘達もセイシンフブキの姿を見て騒いでいる。すると緑と赤に宇宙と書かれたシャツを着たウマ娘が一歩前に出る。

 

「今日のレース凄く感動しました!どうせ地方出身はダメなんだ、世界のウマ娘に勝てるわけがないって思ってました!でもあとちょっとってところまで追い詰めて、凄く凄く感動して!それをどうしても伝えたくて。私もあんな風になりたいって!だから私は地元の北海道ウマ娘協会に所属して!岡田のおっさんと五十嵐兄ちゃんと一緒にクラシック3冠をとります!」

 

 突然の告白、ヒガシノコウテイの体がピクリと動き、セイシンフブキはニヤニヤと眺める。そしてアジュディミツオーは不機嫌そうな顔を浮かべながら近づく。

 

「あっ?クラシック?ダート見下してんのか?師匠の走りを見てダート凄えってなんねえのか?地方はダートプロフェッショナルが集まる場所なんだよ。芝好きのゴボウは中央に行ってろよ」

「アタシはダートの才能が絶望的にありません。でも地方で走りたいんです!だから地方在籍で芝GIをとります!」

「この…」

 

 アジュディミツオーは思わぬ反論を受けて、さらに言い返そうとするがセイシンフブキが制する。

 

「ガキ、本当にダートの才能が無いと自覚したんだな。芝のほうが注目を集めるからってわけじゃないよな」

「本当です!」

「なら地方で芝を走り続けろ、万が一未練タラタラでダートに来たら、アタシとコイツが一緒に走って2度と走りたくなくなるぐらいに心をバキバキに折る」

 

 セイシンフブキは指でアジュディミツオーを差しながら凄む。一方少女もセイシンフブキの目をじっと見つめ返事する。その目には強固な意志があった。

 

「アタシもヒガシノコウテイさんとセイシンフブキさんの走りに感動して、地方で走ることに決めました!ヒガシノコウテイさんみたいに地方のファンに夢を与えて、セイシンフブキさんみたいにダートをカッコよく走るウマ娘になりたいです!まずは2代目南関4冠王者になります!」

「アタシだってタメにサバトンやアンパが居るけど、2人に全部勝って南関4冠王者になります!」

「何言ってんだ!師匠の後を継いで2代目南関4冠王者になるのはアタシだ!」

 

 葦毛のウマ娘と青地に赤い星が散りばめられたコートを着ているウマ娘の言葉に、アジュディミツオーに反応し、睨みつける。

 目の前で南関4冠奪取宣言は宣戦布告に相応しかった。その様子を見てセイシンフブキはクスクスと愉快そうに笑う。

 

「どいつもこいつもビッグマウスだ。せいぜい頑張れ。あと全部勝った奴は初代南関4冠だからな」

「でもセイシンフブキさんは勝ったはず……」

「今は違う。あとダチとかと話す時はアタシが南関4冠王者とか絶対に言うなよ」

 

 セイシンフブキは釘を刺し、その迫力の前に3人は思わずうなずいていた。

 ダートプライドに負けたものはレイを献上すると同時に、勝ち鞍を可能な限り抹消しなければならない。

 この3人の認識を訂正しても何も変わらないかもしれないが、可能な限りと言われている以上、最大限やるのは敗者としての義務だ。

 一方ヒガシノコウテイは2人のやりとりに目を背け下を向く。すると人の気配を察し思わず顔を上げる。

 そこには左耳に黄色と赤のリボン飾りをつけているウマ娘が顔を紅潮させながら、たどたどしく喋り始める。

 

「ヒガシノコウテイさん!ミーチャンは地元の笠松が嫌いでした。周りの人はオグリを目指せ、オグリみたいになれって、昔のことをいつまでも、だから絶対地方には行かず中央で走るって決めてました。けど!今日のレースを見て、凄くキラキラしていて!感動して!だからミーチャンは笠松で走る。オグリじゃない、笠松のヒガシノコウテイさんになります!」

 

 少女は言い終わるとさらに顔が紅潮し、手で顔を覆いながらしゃがみ込む。

 これだけで周りには少女がどれだけシャイであり、勇気を持って想いを伝えたのかが伝わっていた。

 ヒガシノコウテイは顔を歪めながら再び目を背け下を向く。その視線の先に小学1年生ぐらいの赤と白のダイヤモンド柄の服を着たウマ娘と、紫と黄色のコートを着た栗毛の幼きウマ娘2人がスカートの袖を引っ張っていた。

 

「おねえちゃん、かっこよかった!」

「かっこよかった!」

「あの……その……」

 

 ヒガシノコウテイは幼きウマ娘達の無垢な瞳に耐えらないと再び視線を外す。だが幼きウマ娘達は構わず話し続ける。

 

「ジュニアもお姉ちゃんみたいにピューッてはやく走りたい!それでクロおねえちゃんに勝って、ジーワンに勝つの!」

「フォンちゃんもおねえちゃんみたいにカッコよくなって、パパとママの代わりにかわさききねんに勝つの!」

 

 幼きウマ娘は尊敬や憧れの眼差しで見つめる。他の4人も同じような瞳で見つめる。

 止めて、止めてくれ。自分にはそんな目線を向けられる価値は無い。賞賛の言葉を聞く資格は無い。全てを拒絶するように背を向けると目を瞑り耳を伏せる。

 ヒガシノコウテイの仕草に若いウマ娘達は不穏さを感じ、耳は伏せ尻尾がせわしなく動く。

 

「いい加減にしろ!ヒガシノコウテイ!」

 

 セイシンフブキは声を張り上げヒガシノコウテイを強引に振り向かせると、襟を掴み睨みつける。

 

「いつまで不貞腐れてんだ!あんたに憧れたガキに、そんなダセえ姿を見せるな!」

 

 ヒガシノコウテイは目を開け思わず体をビクリと震わせる。まるで死人みたいな目だ。一発ぶん殴ってやろうと思ったが、懸命に堪える。

 セイシンフブキはアブクマポーロに憧れていた。常に聡明で思慮深くカッコいいアブクマポーロで居てくれた。だからこそ憧れを幻滅させるような態度が許せなかった。

 

「うるさい!うるさい!うるさい!本来の私なんてこんなもん!レースに負けて地方を潰した最低のウマ娘!それが私だ!」

「なんでアンタが負けたら地方が終わるんだよ!」

「私は天啓を見た!勝てば地方に訪れる輝かしい未来!負ければ地方が衰退する映像を!これは絶対的な真実で私は負けた!」

「うぬぼれんな!」

 

 ヒガシノコウテイの慟哭を掻き消すようなセイシンフブキの一喝、あまりの声量に2人以外のウマ娘は反射的に耳を塞ぐ。

 

「ダートプライドに負けただけで地方が終わるのか!?アンタが愛した地方はそんなに弱いのか!?違うだろう!天啓だが知らねえが、そんな未来なんてアタシ達が簡単に覆してやる!」

 

 ヒガシノコウテイの心臓がドクンと大きく脈打つ。地方は苦しい時期でも耐え忍んできた。その逞しさがあればもしかすると、だが暗黒の未来が脳内を覆う。

 

「それにこいつらが走る前に地方を終わらせんのか!?このガキ共みたいにダートプライドでのアンタを見て憧れて、地方を志す奴が必ず居る!ラリッて何を見たか知らねえが、そんな幻覚1つでそいつらの夢を奪うのか!?そんなの知るかって未来を変えるのが地方総大将の役目だろうが!」

 

 その瞬間ヒガシノコウテイに覆っていた暗黒の未来が一気に晴れる。自分の走りに憧れ、ロマンと幻想を抱いてくれた者が現れた。

 これは自分が蒔いた種だ。種を蒔いた者は芽が出て花を咲かせるまで土地を守り世話する義務がある。

 ダートプライドに負けて地方のファンに夢を見せられなかった。だが次世代なら、それが出来なくても次の世代が必ず夢を見せてくれる。かつての先人がそうしてくれたように。それが地方総大将の役目だ。

 ヒガシノコウテイの目に生気と熱が宿る。

 

「フブキさんありがとうございます。お陰で目が覚めました」

「そりゃよかった。地方総大将がしっかりしてくれないと、実力的にアタシが代りを務めないといけなくなる。そんなのまっぴらごめんだ。アタシは地方とか関係なく好き勝手ダート探求したいだけなんで」

 

 セイシンフブキは世話が焼けると悪態をつく一方笑みを浮かべ、ヒガシノコウテイは会釈を向けながら、幼いウマ娘達のほうに向かう。

 

「見苦しいところを見せてすみません。北海道所属でクラシックを走るということは外厩でのトレーニングを主体に?」

「はい」

「周りからは貴女を地方ウマ娘では無いと言ってくるかもしれません。ですが北海道を愛し、地方としての誇りを胸に抱き続ければ、立派な地方ウマ娘です。地方の新たな可能性を切り開いてくれることを心から期待しています」

 

 ヒガシノコウテイは言葉を交わし握手をする。僅かな会話を交わしただけだが、緑と赤に宇宙と書かれたシャツを着たウマ娘に渦巻いていたヒガシノコウテイへの恐怖は消え去り、温もりと優しさが心を包む。

 会話の中で心の底から思いやり、可能性を期待しているのを感じ取っていた。

 

「頑張って南関東4冠を勝ち取ってください。そして取れなくても落ち込まず頑張ってください。中距離で勝てなくてもマイルやスプリントに適性が有るかもしれません。そして地方には多くのマイルや地方重賞があり活躍の場があります」

「同世代に競い合えるライバルが居る。それは素晴らしく素敵な事です。いつか貴女達が南関東3強と呼ばれ地方のファンに夢を与えてくれることを期待しています」

 

 ヒガシノコウテイは青地に赤い星が散りばめられたコートを着ているウマ娘と葦毛のウマ娘に声をかけて握手を交わす。

 彼女達なら地方にロマンを与えてくれる。それができなくても次世代に種を蒔いてくれる。2人にその想いが伝わったのか、力強く頷いた。

 

「私に憧れてくれてありがとうございます。そして笠松のファンを怒らないでください。オグリキャップさんが与えてくれたロマンと幻想はあまりにも眩しすぎました。私に憧れて走ってくれてかまいません。ですがいずれ笠松のファンを想いを背負い、笠松のファンにとっての私達のウマ娘になってください」

 

 次に左耳に黄色と赤のリボン飾りをつけているウマ娘に声をかけ握手を交わす。

 笠松で走るウマ娘はある意味1番厳しい環境に有るかもしれない。強いウマ娘は必ずオグリキャップと比較され弱ければ落胆される。

 それは辛いことだが、それでも笠松のファンの想いを背負って走り続ければ目を向けて、オグリキャップの代わりではなくありのままを見て応援してくれる。

 

「ジュニアちゃんは元気いっぱいだね。お姉ちゃんが貴女達ぐらいの頃はそんなに元気がなかったよ。そんなに元気いっぱいならクロおねえちゃんよりも速くなって、ジーワンにも勝てるよ」

「フォンちゃんならおねえちゃんよりずっとカッコよくなれるよ。川崎記念に勝てばおとうさんやおかあさんや周りの皆はいっぱいいっぱい喜んでくれるよ」

 

 ヒガシノコウテイは大きな動作をつけて、赤と白のダイヤモンド柄の服を着たウマ娘と紫と黄色のコートを着た栗毛の幼きウマ娘に話しかける。

 2人は褒められて嬉しかったのかピョンピョンと嬉しそうに跳ねる。

 

「ありがとうございました!」

 

 ウマ娘の少女達は満面の笑みを浮かべながら控室を去っていく。それぞれの手にはヒガシノコウテイとセイシンフブキ勝負服の一部の装飾が握られていた。

 

「さて、この後は反省会だ、コウテイさんも強制参加ですよ。あんだけ迷惑かけたんだから当然ですよね」

「はい、返す言葉も無いです。今日はとことん付き合います」

 

 セイシンフブキはニヤニヤと恩着せがましく肩を叩き、ヒガシノコウテイは深々と頭を下げる。

 暫くすると勝負服を脱ぎ帰り支度を始め、2人は外に待機する。

 

「師匠、あのガキ共はヒガシノコウテイさんみたいになりたいって言ってましたけど、師匠の走りも充分刺さってましたよ。今まででベストでした」

「ほぅ、少しは見る目ができてきたな」

「あざっす」

 

 セイシンフブキはアジュディミツオーの頭をクシャクシャとかき乱す。決してお世辞ではないことは声を聞けば伝わってくる。

 

「そして、今日のレースでアタシが目指す道が見えました」

「それは何だ?」

「師匠のダートプロフェッショナルとしての強さ、そしてヒガシノコウテイさんの地方総大将としての強さ、この2つを兼ね備えたウマ娘になりたい」

 

 アジュディミツオーははっきりと言い放つ。ヒガシノコウテイとセイシンフブキは同着だった。ダートプロフェッショナルと地方総大将では優劣はない、ならばお互いの強さを身に着ければさらに強くなれる。

 未だにヒガシノコウテイの強さの詳細は分からないが、地方所属の自分なら身に着けられる条件は整っているはずだ。

 

「好きにしろ」

「怒らないっすか。そんな中途半端なことするなって」

「お前の目的は勝つことだろう、強くなる道は1つじゃないんだ。お前が信じる道を進めばいい」

 

 セイシンフブキはあっさりと言い放つ。アジュディミツオーには自分と同じ道をついてきてもらいたい気持ちもある。

 だが自身で悩み考え選び抜いた道なら仕方がない。そして現時点で地方最強の2人の強さを合わせたウマ娘がどこまで強くなれるか、少し楽しみだ。

 

「お待たせしました」

「よし、行くか。今日オールだな、聞きたい事が山ほどある。そしてミツオー、アタシ達からしっかり学べよ」

「もちろんです!」

 

 3人は東京の夜に消えていく。

 ダートプロフェッショナルと地方総大将は敗れ去り、世界の頂には届かなかった。だが2人の走りは多くの人の心を震わせる。

 そして2人が残したものは種として蒔かれ、次世代のウマ娘が育み花を咲かせる。

 

 クラシック路線を皆勤し皐月賞では2着、ジャパンカップ2着、そして地方所属で初めて海外GⅠ勝利の偉業を達成した、北の大地が生んだ偉大なる挑戦者コスモバルク。

 

 地方所属で史上初のJBCスプリント制覇、前人未踏の東京スプリング盃4連覇、長きに渡り地方ダートスプリントを牽引し続けた白き流星フジノウェーブ。

 

 ダート戦国時代と呼ばれた世代に生まれ、ジュニアB級から数々のダート名ウマ娘と鎬を削りGI6勝、史上初地方年度代表ウマ娘4回受賞した南関東の守護神フリオーソ。

 

 オグリキャップの幻影と期待を背負い続け、ジュニアB級でGI全日本ジュニア優駿を制覇、その後も重賞3勝し、人々に夢を与えた笠松の快速娘ラブミーチャン。

 

 デビューからスプリント路線を歩み続け、JBCスプリントでは乾坤一擲の末脚で撫で切り、姉が届かなった悲願のGI制覇した大器晩成のスプリンター、サブノジュニア。

 

 船橋所属だったトレーナーの父と同じく船橋所属の母ジーナフォンテンが挑み破れた川崎記念に勝利し、両親の無念を晴らした。地方が育んだ純血種エース、カジノフォンテン。

 

 GI5勝、南関東GI完全制覇、そしてダート歴代最強と呼び声もある雷神カネヒキリが全盛期時の帝王賞、地方の代表として迎え撃ち、2段ロケットと呼ばれた逃げで真っ向から撃破。アブクマポーロの想いを受け継ぐように地方所属で初めてドバイワールドカップに出走。

 多くの地方のファンの想いを継ぎながら走り、地方の力を示し威信を守り道を切り開いてきた。南関東の哲学者と南関東の求道者の魂を受け継いだ南関東の大エース、アジュディミツオー。

 

 それ以外にも数多くの次世代の地方ウマ娘が力を示し、ファン達に夢を与えていく。そのウマ娘の多くはこう語る。

 

───ダートプライドでのセイシンフブキとヒガシノコウテイのように、人々に夢とロマンを与えたい

 

 

───

 

「負けちゃった……」

「ああ、負けたな」

 

 ゴドルフィン専用の送迎バス内、最後尾の席に座っているストリートクライとキャサリロの声が空しく響く。

 ストリートクライ達はデジタルにBCマラソンのレイを渡した後、クールダウンを済ませ、サキーや他のゴドルフィンのスタッフに先駆けバスに乗り込んでいた。

 

「私達は過去、現在、未来において最強のはずなのに、たった1センチの差で負けた……もっと私が頑張ってれば……」

 

 ストリートクライの独白は次第に嗚咽が混じる。レースにおいて1センチなんてゼロコンマ数秒で通過できる距離だ。

 そのゼロコンマ数秒分の距離を埋められなかった。ゴール前でもっと体を伸ばせていたら、もっとコーナーを速く回れたら、今頃2人で最高の喜びを味わっていたのに、もっと自分が頑張っていれば。あまりの申し訳なさにキャサリロと目を合わせられず下を向き続ける。

 

「0.5センチだ」

 

 キャサリロはストリートクライの肩に手を回し呟く。

 

「アタシ達は一心同体、2人で1人だろ。勝利の喜びも敗北の悔しさと責任も全て2等分だ。だからクライが頑張るのは0.5センチ分だ、残りの0.5センチはアタシが頑張る」

 

 ストリートクライはその言葉にハッとすると同時に、重荷がスッと消えたような感覚を覚える。

 一心同体と言っておきながらどこかでレースを走っているのは自分であり、責任は全て自分に有ると思っていた。

 それはキャサリロに責任を背負わせたくないというストリートクライの優しさだったが、それは真の一心同体ではないことに気づく、良いことも悪いことも全て分かち合うのが一心同体だ。

 

「そうだね。私が0.5センチ、キティが0.5センチ頑張れなかったから負けた」

「そうだよ。この根性なし」

「キティが考えたティズナウ用のセリフ長すぎ……喋るのに疲れた……」

 

 2人はじゃれ合いながら悪態をつき文句を言い合う。お互い決して本心では無いが、少しでも悲しみを癒そうと意図しておどけていた。

 一頻りじゃれ合いお互いの乱れた息遣いが車内に響く中、ストリートクライがポツリと呟く。

 

「あんなに大口叩いて負けたから……、周りから色々言われそう……」

 

 強い言葉を吐けばその分世間から注目を集めると同時に反感を買う。

 過去、現在、未来において私達は最強のウマ娘、このセリフはレースの歴史においても最も大きいビッグマウスであった。ファンを挑発する意図はなかったが、世間はそう捉えていなかった。

 

「それは言われるだろう。口だけ野郎、嘘つき、ゴドルフィンの恥さらし、今までの勝ちは弱メンツに勝っただけ、ストリートクライとは何だったのか?さっさと引退しろ。思いつくだけでこれだけ文句が出てくる」

「そうだよね……」

 

 ストリートクライの表情が曇る。瞬間的に思いついただけでも心に結構くる言葉だ、時が経てばもっと心を抉る文句を言ってくるだろう。

 自分だけなら耐えられるがキャサリロにも範囲が及ぶかもしれない。全てを分かち合うと誓ったが、それでも心苦しい。

 心配を察したのか意図的に歯を見せるような笑みを見せ、明るい声色でストリートクライを励ます。

 

「心配するな。言われるのはほんの暫くだ。次のドバイワールドカップでは今日走った5人が出てくるから、そこで勝てばいい。世界4大レースの1つだし、こっちで勝った方がインパクトは強い。そしてプラン通り勝ち続ければ周囲も黙って、アグネスデジタルに負けたことなんて忘れる」

「でもアグネスデジタルがドバイに出なかったら?」

「そしたらBCクラシックに出てこいって煽りまくる。流石にダートプライドに勝ったウマ娘がダートの2大レースに出ない訳にはいかないだろう」

 

 まあ、煽るなんてことをしなくても出走しないと困ると言えば、喜んで馳せ参じてきそうだがな。キャサリロはデジタルの様子を思い浮かべ口角が上がる。

 

「それでもアグネスデジタルが日本に引き籠ったら?やっぱり直接勝たないと世間は納得しない」

「それならアタシ達が日本のレースに走ればいい。予定のレースを1つ削らないといけないけどな」

「走るならどのレースになるの?」

「えっと……2月下旬のダート1600フェブラリーステークス、11月下旬のダート2100ジャパンカップダートだな、他にもダートGIはあるが外国ウマ娘は出られない」

「じゃあ、フェブラリーステークスに出走しよう」

「相変わらず生き急いでるな、アグネスデジタルが出走するか分からないぞ。焦るな焦るな」

 

 キャサリロは落ち着けとストリートクライの肩を揉む。少しでも自分の汚名を返上しよう焦っているのだろう。その気持ちは有難いがそれで無理して故障したら元も子もない。ゆっくり少しずつ道を歩めばいい。

 

「そうだね……私達は過去現在未来において最強のウマ娘……でもまだ発展途上、伸びしろはたくさんある……最終的に最強になれば問題ない」

「そうだ。それにアタシ達は2人だから他の負けたウマ娘より有利だ。2人なら勝利の喜びが2倍になるからより一層頑張れる。2人だから悲しみを半分に……あれ?」

 

 キャサリロは言葉を詰まらせその頬には涙が流れ落ち、思わず下を向く。励まそうとかつて聞いた言葉を話していると突如悲しさや悔しさが一気に肥大化し襲い掛かる。

 その悔しさ悲しさは現役時代に負けた時よりも、連敗続きでゴドルフィンから除籍になった時より遥かに大きい。

 

「キティ……どうしたの?」

 

 ストリートクライは顔を覗き込み思わず訝しむ。泣いたと思ったら妙な笑みを浮かべており少し不気味だった。

 

「いや……こんなに悔しいのは初めてでさ……その分だけクライの悔しさを分け合ったと思うと嬉しくて」

 

 ストリートクライが勝利するたびに嬉しかった。だが今思えば本心で喜んでおらず、無意識にどこか他人事だと思っていたのかもしれない。だが今は他人事では無く当事者として個々の底から悔しがれ、正真正銘の一心同体になれたと実感していた。

 ストリートクライはポンポンと肩を叩く。今日は自分達が最強であると示すために極めて重要なレースで有り、負ければ悔しさで身悶えると思っていたが想像以上に悔しさはない。

 実はそこまで勝負に気持ちを掛けていなかったのではないかと思ったが違う。キャサリロが悔しさを請け負ってくれた。

 

「うん……私達は一心同体だから他の人より早く立ち直れて前を向ける……」

「そして喜びは2倍になる。次は勝とうぜクライ」

「うん」

「さあ、今日は存分に騒ぐぞ!実は勝ったつもりで祝勝会のジュースとかケーキとか頼んじゃってさ」

「分かった。今日は騒いで明日から頑張ろう」

 

──喜びを人に分かつと喜びは2倍になり、苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。

 

 ドイツの詩人ティートゲの言葉である。

 

 互いの勝負服を纏って2人分の力を発揮できる強固な信頼関係を持つ2人なら、どんな苦しみも2人で分かち合いながら耐え、耐えた先に訪れた喜びも倍増して楽しむだろう。

 

 ストリートクライとキャサリロが歩む道は極めて明るい。

 

───

 

『惜しかったぞ!』

『次はドバイでアグネスデジタルにリベンジだ!』

 

 サキーはデジタルのライブが終わっても居残るファンの前に駆けつけ、感謝の言葉を述べる。

 ファン達はサキーに向けて暖かい言葉をかける。初めての来る国で初めてのダート、一方アグネスデジタルは慣れ親しんだ国とダート、それでわずか1センチ差の2着である。決して敗者ではない。もう1人の勝者だ。

 サキーは笑顔を作りながらファンの前から姿を消して歩き始める。すれ違うたびにゴドルフィンのスタッフや関係者は惜しかったと労いの言葉をかけ、笑顔でありがとうと言葉を返す。そしてサキーは早足で控室に駆け込む。

 

「ああああああ!!!」

 

 腹の底から吐き出される絶叫が控室に響き渡る。負けた!負けてしまった!このレースは絶対に勝たなければならなかった。

 全員が全ての力を出し尽くし、大井レース場では驚異的なコースレコード、1着から6着までの差は2センチという世界的にも類を見ない大接戦、まさに伝説のレースだ。

 これに勝てば業界はもちろん、業界外からも注目を浴びる象徴になれるはずだった。だが勝てなかった。

 業界のアイコンとなるには完璧で居なければならない。品行方正で業界の人々から信頼を勝ち取り、言葉や行動で業界外の人間の注目を集める人気と華やかさ。そして何よりも強さだ。人格も人気も華も強さがあって初めて認められる。  

 だが世間は常に勝利に対し文句をつける。コースレコードが出ればバ場が速いだけ、着差をつけ勝利し、勝ち続けても相手が弱かったと過去の名ウマ娘と比較する。

 目指すのは歴史上のどのウマ娘より輝くアイコンとなること、でなければ世界中のウマ娘と関係者を幸せにするという夢は叶えられない。その為に必要なのは偉業である。

 

 サキーはアメリカ3冠ウマ娘でも欧州3冠ウマ娘でもない。3冠ウマ娘という称号は外部に与えるインパクトとして最上級のものであり、取れなかった時点で理想とする業界のアイコンとなる道は遠ざかった。

 3冠ウマ娘以上にインパクトがある偉業、それは世界4大GI制覇のグランドスラムである。これを達成できれば業界のアイコンとなれる。

 4大GI制覇を目標し、さらなるインパクトを与えるためにGI連勝記録達成も誓っていた。世間はいくら認めなくても4大GIを勝利し、GI連勝記録を樹立すれば否が応でも認める。

 エクリプスSと凱旋門賞を勝ち挑んだBCクラシック、そこでティズナウに負けた。GI連勝記録が途絶え世界4大GIの獲得に失敗、己の価値が落ちアイコンへの道が一気に狭まった感覚に陥る。

 己の価値を落とさない為、世界4大GI勝利とGI連勝記録を伸ばすためにこれ以上負けられない。常に背水の陣で臨んでいた。

 そしてダートプライドに負けた。ファン達は慰めや励ましの声援を送ってくれた。だが明日になれば分からない、期待された分だけ弱さに落胆し失望し離れていく。業界のアイコンになるためにはそういったライト層を掴み続けなければならない。

 負けるたびに完全性は失われ傷は深まっていく。この敗戦は既に致命傷であり、これから勝ち続けてもダートプライドで日本のウマ娘に負けたと言われケチをつけられる。

 

──もはや取り返しがつかず。業界のアイコンへの道を閉ざされたのでは?

 

 そう考えた瞬間目の前が真っ暗になったような錯覚に陥ると同時に寒気が過り、無意識に両腕で二の腕を抱きかかえる。

 レースの道中、ストリートクライとティズナウがペースを落とした際に一気にペースを上げず、徐々にペースを上げて後続に知らせなければ。脳裏にレースの光景と心境が蘇る。

 レースには勝たなければ意味がない。それなのに勝ち方や過程に拘ってしまった。何故そんなことをしてしまった。胸中に後悔の念と自己嫌悪が渦巻き苛み続ける。

 

「サキー、居るか?入るぞ?」

「どうぞ」

 

 サキーの意識は部屋の外から聞こえてくる殿下の声で現実に引き戻され、何とか返事する。緊張で胸が締め付けられる。この敗戦でゴドルフィンの名誉を著しく貶めてしまった。自分の我儘で負けたことに相当腹を据えているだろう。

 殿下はゆったりとした足取りで近づき、サキーは椅子から立ち上がり直立不動の姿勢をとり言葉を待つ。

 

「今日のレースは確かに心が震えて熱くなった。だがそれはレースに勝ったらの話だ。絶対に勝たなければならないレースに負けた。両者とも許されないがストリートクライは勝利の為に全力を尽くした。だがお前はどうだ?主義主張のために勝つチャンスを逃した。これは到底許されない。今日限りでゴドルフィンから除籍だ」

 

 サキーは思わず身震いし顔を伏せる。殿下の言葉には明確に怒気が籠っていた。ここまで怒っているのは初めてだ。

 そしてゴドルフィンからの除籍処分、自分が行った行為はある意味勝負を穢したようなものだ。ゴドルフィンとしては許されるものではなく極めて妥当な処分だ。だがそれを受け入れることはできない。

 

「殿下、もう一度チャンスをください。もう誰にも負けません。必ずやゴドルフィンに栄光と繁栄をもたらします」

 

 顔を上げ殿下を睨みつけるように目を見開き喋る。この敗戦で業界のアイコンとなる道は途絶えたかもしれない。

 だが全てのウマ娘と関係者の為に、何より自分の夢のために立ち止まることは許されない。可能な限り足掻き続ける責務がある。その為にはゴドルフィンの力が必要不可欠だ。

 

「ならばこの場で勝利至上主義になると誓え」

 

 殿下は冷たい目線を向けながら粛々と言い放つ。

 極端な事をいえば今日のレースにおいてサキーが道中で急に先頭との差を詰めなければ、アグネスデジタル達はペースが落ちたことに気づかず負けることはなく、ティズナウとストリートクライの同着でレースは終わっていた可能性は有った。

 殿下は自分の主義主張の為にアグネスデジタル達にペースが落とされていることを報せるように動いたことを見抜いていた。

 

「はい、私は……」

 

 これ以上負けることは許されない。自分の考えは勝負に対する冒涜だった。相手の事を考える余裕などない。自分が勝たなければ他の者達を幸せにできない。脳内に様々な言葉が浮かび上がる。

 

「勝利至上主義になるつもりはありません」

 

 はっきりとした口調で拒絶した。

 

「理由は?」

 

 殿下は平静を保ちながら問いただす。だがこめかみの血管は浮き出て声には隠しきれない怒気が籠っていた。

 ゴドルフィンに甚大な損害を与えながらも在籍することを許可するという寛大な恩赦、それを拒否したことは到底信じられるものではなかった。

 

「アイコン、それは象徴であり偶像でもあります。偶像は清く正しく穢れてはならない。だからこそ皆に好かれるように振舞ってきました。そしてレースでは相手の力を削ぐことなく100%引き出す。それが私の考える清らかさと正しさです」

 

 全ての出走ウマ娘が全力を出し切るレースこそ人の心を震わせる。それが業界のアイコンとなり全ての関係者を幸せにできると信じてレースを走り続けた。もしその主義を覆したら穢れてしまう。

 相手の力を削いで全力を出させないで勝つことを否定するつもりは毛頭ない。だが業界のアイコンを目指す者には相応しくない。

 もし自分の主義を曲げ勝利を重ねてもアイコンになることはできない。例え世間がアイコンと認めようと穢れたという負い目が必ず行動に出てしまう。そんな者が人や自分を幸せにできるわけがない。

 

「勝利を目指すことは穢れか?それは全てのウマ娘を否定だ」

「違います。ただ私が思う業界のアイコンには相応しくないと思っただけです」

「業界の象徴は強さの象徴だ。お前の考えでは必ずどこかで勝利を逃す。勝たなければ意味が無い」

「業界のアイコンになるのが目的で、勝利はそのための手段にすぎません。勝利を目的にはしたくありません」

 

 サキーは毅然とした態度で言い放つ。今日のレースでアグネスデジタルに負けて道が閉ざされたと思った。だが今ならはっきり違うと言える。

 アイコンになる道が途絶える瞬間は負けることではない。主義主張を曲げ自分でなくなる瞬間だ。

 お互いの目を見据えながら沈黙し、重苦しい空気が控室に充満する。

 

「いいだろう。もう一度だけチャンスをやる」

 

 殿下はポツリと呟くと足早に控室を後にする。その表情は僅かに口角が上がっていた。

 業界の象徴になるためには清く正しく穢れてはならない。レースを見る前の自分ならその言葉は夢見る少女の戯言だと一蹴していた。だが今日のレースは心を躍らせたのは事実であり、それはまるで1つの優れた芸術作品のようだった。

 全てのウマ娘が力を削がれず100%の力を出し切ることで作り出される熱と熱狂、これが穢れなさが生み出したのかもしれない。ならば何度でも見てみたい。

 

 負けたことで業界のアイコンになる道が狭まった。だが彼女が尽力し生み出した物が多くの人を惹きつけ心に刻み込んだ。

 今日のレースが作り出した熱と熱狂、それはそれぞれが死力を尽くした結果である。だがここまで熱を帯びたのは間違いなく彼女の行動によるものでもある。

 勝利を重ね偉業を成し遂げることは業界のアイコンになるために重要である。だが最も重要な事は人々の心を揺さぶり刻まれる存在になることかもしれない。

 彼女が業界のアイコンになれるかは分からない。だがダートプライドは業界のベストレース候補として多くの人々に語り継がれるだろう。

 趣向を凝らし完成度が高いウイニングライブも人々を魅了する。しかしトゥインクルレースの主役はあくまでもレースである。

 そのレースにおいて多くの人々に語り継がれるレースを作り上げたサキーはある意味業界の象徴たりえる存在なのかもしれない。

 

───

 

 ティズナウはアグネスデジタルのウイニングライブを眺める。だがその目は虚ろでアグネスデジタルに視線は向いていたがその姿は映っていなく、虚空を眺めているようだった。何より体中に満ちていたエネルギーは嘘のように消え失せていた。

 

 負けた?アメリカのウマ娘以外に負けた?

 

 レースの結果を見た瞬間わが目を疑った。そんなことがあるわけがない、何かの間違いだ、係員に詰め寄り映像を見せるように強要した。

 これは八百長か係員のミスに違いない。自身の敗北を全く受け入れられなかった。だが説明を受けるにつれ自信に満ち溢れていた表情が崩れていく。

 アグネスデジタルの体の一部が確かに5人よりほんの僅かに前に出ていた。2着との差は1センチ、これは明確な敗北である。

 ティズナウは激しい怒りを燃え上がらせる。それはレースにアグネスデジタルにではなく自分自身に向けたものだった。そうしなければ自分という存在が霧散してしまいそうだった。

 

 アメリカで生まれアメリカのダート中距離という舞台で走る者が最も強く、それ以外は挑戦から逃げた弱者である。

 そして最高の舞台で競い合い高め合った者だけが宿る王者の魂、数々のレースで競い合い、アメリカダート中距離最高峰であるBCクラシックに勝った自分こそ世界最強である。それがティズナウというウマ娘を形成する骨子となり背骨となる。

 自分の主義を微塵も疑うことなく、正しさを証明する為にトレーニングを重ね続け、アメリカ最高峰のBCクラシックに勝つまでに成長する。

 アメリカ出身ではないウマ娘、アメリカでも他国のチームに所属し他国で走るウマ娘を破っていく。その度に自己を確立していき、勝利こそが存在証明だった。だがアメリカ出身でありながら他国で走るアグネスデジタルに負けた。

 

 自分の主義は間違っていたのか?自分とはいったい何なのか?

 

 ティズナウというウマ娘の存在が激しく揺れ動いていた。そしてレース内容が揺らぎに拍車をかける。

 最高の舞台で競い合い高め合う者だけ宿す王者の魂、それは相手より僅かでも前に出るという勝負根性であり、僅差であればあるほど真価を発揮するはずだった。だが結果は1センチ差という僅差での負け。

 自分は王者の魂は持ち合わせていなかった。それか王者の魂そのものがまやかしだった。

 

 ティズナウというウマ娘を形成していた骨子は今大きく揺れ動き、アイデンティティ崩壊の危機が迫っていた。

 脳内で幾度も自問自答を繰り返す。自分の主義主張は正しかったのか?王者の魂は存在するのか?今まで絶対真理と思っていた事に目を向け見つめなおす。それは苦痛を伴う作業だが今向き合わなければならない重要な事だった。

 もはやアグネスデジタルの姿も歌声も聞こえない。全ての意識を自問自答に向ける。そして1つの答えを導き出す。

 

「アメリカの放送局のスタッフだな?」

「はい、そうですが」

「ファン達に伝えなければならないことがある。すまないが一緒に来て私を撮ってくれ」

 

 突然の頼みにスタッフは戸惑いながら着いていく。その言葉と雰囲気には有無を言わさないものが有り、エネルギーが満ち溢れていた。

 ティズナウはライブが終わったのを見計らって、スタンドの一団に居るアメリカファンの元に駆け寄る。

 

『ティズナウよくやったぞ!次はドバイでまとめて倒してくれ!』

『日本のダートなんて参考記録だって、気にするな!』

 

 ファン達は次々と励ましの言葉を送る。本心を言えば未だに敗北のショックを隠し切れず動揺しており、どのような言葉を掛ければいいか戸惑っていた。だが姿を見てファン達の気持ちは1つに固まる。

 アメリカの威信を守る為に己の誇りと勲章を賭けて異国の地で戦った。例え敗れ去っても勇気ある行動に敬意を表し、敗北を非難することは誰もしない。

 ティズナウはファン達の声援が止むのを待つが一向に止まないので、少しだけ静かにしてくれとジェスチャーを見せ声援を止ませる。

 

『私はアメリカの代表としてこのレースを走り敗北した。それはアメリカそのものの敗北に等しく、世界中に醜態を晒してしまった。その責任をとってこのレースをもって現役を引退する』

 

 アメリカは最強のレース大国であり、その代表として走る限り負けることは許されない。この敗北で著しくアメリカの名誉を貶めた。これは一生かけて償わなければならないものである。

 現役を辞める程度で償える罪ではないのは重々承知であるが、せめてものケジメだった。何よりアグネスデジタルに負けたことによって己の価値観が揺さぶられたことで、これ以上走る気力が湧いてこなかった。

 突然の発表にファン達のどよめきと悲鳴が響き渡る。ティズナウはその声を受け止めながらファンやカメラに向かって大声で訴えかける

 

『皆に!映像を見ている関係者に頼みがある!光栄な事にアメリカの威信を守る為に勝負に挑んだ勇敢な者として美談にしてくれるかもしれない。だがそんなことは決してせずに、今後一切私のことを讃えないでくれ!BCクラシックのレイを流出させ、アメリカで走らなかった者に負けた最低の弱者として中指を立て唾を吐きかけろ!そして現役、今後アメリカのレースで走るアメリカ出身のウマ娘達!この屈辱を胸に刻み込み、絶対にこんなクソ野郎みたいになるものかと反面教師にしてくれ!』

 

 自問自答の末に1つの結論に至る。ダートプライドに負けたのはアメリカで培った王者の魂が偽りであったからではない。自分自身が魂を継承できなかった偽物だったからにすぎないからだ。

 いずれ自分の姿に感動したとレースの道を志すウマ娘が居るかもしれない。それでは最強にはなれない。

    自身はアメリカの汚点であり、絶対にこうはならないと思わなければ強くなれず、また同じ悲劇を繰り返す。そうならないために自分は恥さらしの弱者でなければならない。

 

 ティズナウの衝撃的な言葉にファン達は言葉を失う。できるわけがない。

 当時の欧州最強の一角であり鋼の女と呼ばれたジャイアンツコーズウェイからアメリカの誇りであるBCクラシックを守ってくれた。

 そしてあの事件で失意のどん底に落ち込んだアメリカをゴドルフィンのサキーから、BCクラシックを死守してくれた。

 あの壮絶な叩き合いの末サキーを退けたレースは多くのアメリカ国民に勇気と感動を与えてくれた。ティズナウは正真正銘のアメリカンヒーローだ。そのヒーローを罵倒するだなんて到底できない。

 ティズナウは戸惑うファンたちの反応に苛立ちを募らせ声を荒げた。

 

『どうした?何故罵らない!?それで良いのか!?想像するんだ!BCクラシックで他国のウマ娘が誇らしげに国旗を広げレース場を歩く姿を!私程度のウマ娘を褒めたたえているようでは、近い未来に現実になってしまうぞ!そんな悲劇が訪れないように皆で強くなるんだ!』

 

 ティズナウには人を惹きつけるカリスマ性があった。だが天性のものではなく声のトーンや仕草には1つ1つが計算されており、人工的なものだった。

 だが今は一切の計算が無く、自分の感情や衝動が赴くままに言葉を発していた。その言葉は真剣で切実で真摯だった。その言葉に反応するように黄色と緑のひし形模様のコートを着たウマ娘の少女が声を張り上げる。

 

『何がアメリカ代表だ!日本のウマ娘に負けるなんてクソ雑魚じゃん!アタシはあんたみたいな負け犬になんて絶対に……ならないからな!』

 

 その罵倒は普段であれば少女と言えど袋たたきに合っても仕方がないものだった。その言葉を聞いたファンも思わず掴みかかろうとするが少女の顔を見て堪える。少女の顔は涙と鼻水でグシャグシャになっていた。

 

『ヴァルポニが代わりに走れば良かったよ!』

『国辱ウマ娘め!2度とアメリカに帰ってくるな!』

『根性なし!ノロマ!』

 

 少女の言葉を皮切りに次々と罵詈雑言が浴びせられる。その言葉は辛辣かつ過激でとても公共の電波に乗せられるものではなかった。罵詈雑言は一向に止むことなく、次第に1つの罵倒の大合唱となる。

 

 駄ウマ娘

 

 ウマ娘に対する最大級の罵倒の言葉である。その言葉にティズナウは満足げな表情を浮かべていた。

 

『そうだ!それでいい!ではアメリカ史上最低の駄ウマ娘は表舞台から去るとしよう!願わくはこの醜態が皆の心に刻み込まれ、アメリカの強さの礎にならんことを!」

 

 高らかに言い放つとファン達から背を向けて歩き始める。

 アメリカダート中距離という最高の舞台でしのぎを削り合った者だけが宿す王者の魂と勝負根性、自分は宿すことはできなかったがそれは確かに存在する。

 それを未来のウマ娘達は宿してくれるだろう。そして次々と来る外国のウマ娘達をアメリカのレースで撃退し、この敗北はアメリカでは無くティズナウという1人の弱者によるものだと証明してくれる。

 

『ナナナ~ナナナ~ヘイヘイヘイ~グッバ~イ』

 

 ファン達はあるチャントを口ずさむ。これはアイスホッケーで退場した選手や野球でノックアウトされた選手に向けるチャントとなり、アメリカスポーツ界では1種の煽りとなっていた。

 ファン達は言葉通り最後まで罵倒しコキおろす。だがそのチャントの多くに涙声が混じっていた。

 これはファン達からの讃美歌だった。その想いに応えるようにティズナウは右手を空高く突きあげた。

 

 未来のある話、BCクラシックに勝ち、黄色と緑のひし形模様にマッチョという文字がプリントされているタンクトップの勝負服を着たウマ娘がインタビューでこう答えた。

 

『見てるか?とあるクソ雑魚!これが王者の魂を持った者の走りだ!アンタがダートプライドで負けたのはアメリカが弱かったからじゃない!アンタが弱かったからだ!』

 

 ティズナウはTV画面に向かってそのウマ娘に称賛の拍手を送った。

 

 

ダートプライド 大井レース場 ダート 良 左回り2000メートル

 

 

 

着順 番号     名前        タイム    着差    人気

 

 

1   4  大井 アグネスデジタル  2:00.4 R        4       

 

 

2   1  UAE サキー        2:00.4   ハナ     2

 

 

2   2  米 ティズナウ       2:00.4   同着     1

 

 

2   3  UAE ストリートクライ    2:00.4   同着     3

 

 

3   5  盛岡 ヒガシノコウテイ  2:00.4   ハナ     5

 

 

3   6  船橋 セイシンフブキ   2:00.4   同着     6

 

 

───

 

 年1回レース発祥の地イギリスで行われる世界ウマ娘協会主催のワールドレーシングアワード。そこには世界中のウマ娘や関係者が集まり、その年に活躍したウマ娘やトレーナーや業界に貢献した人物を表彰する。

 その華やかさと煌びやかさは日本の年始で行われるURA賞の授与式より規模も華やかさも段違いである。

 表彰式が行われメインイベントとも呼べる。ワールドベストウマ娘とワールドベストレースの表彰が始まる。

 ワールドベストウマ娘はG1ロッキンジSで11馬身差のレコードで勝ったホークウイング、レーティングは133とかなりの高評価を得た。

 そしてワールドベストレースは上位4人のレーティングを元に選定し、好メンバーが集まった凱旋門賞が選ばれ、勝者のダラカニがトロフィーを受け取る。

 

『本来であれば表彰は以上になるのですが、今年は特例としてもう1つのレースを紹介致します』

 

 司会の言葉に会場に来ていた人々は騒めく。権威あるワールドレーシングアワードにおいて特例はあり得ず異常事態だった。会場は司会の言葉を待とうと会話を止め静寂が訪れる。

 

『このレースはグレードがない選考対象外のレースです。だが世間の注目を大いに集め、レース結果も非常にエキサイティングであり、何よりレースのレベルは非常に高いものでした。選考員会でも賛否が別れましたが、このレースが記録に残らないのは業界の損失であり、表彰に値するという判断し表彰することになりました』

 

 視界の言葉に周囲は再び騒めく。関係者のなかであるレースが浮かび上がっていた。

 しかし今までの歴史背景を考えるとあり得ない選出だった。司会は周囲を焦らすように一呼吸おいて発表する。

 

「では皆さん盛大な拍手でお出迎えください。もう1つのワールドベストレースは!日本の大井レース場で行われたダートプライドです!」

 

 司会の言葉とともにドレスに身を包んだアグネスデジタルが登壇する。会場からは歓声が上がり、現役の選手はスタンディングオベーションで出迎えた。

 

『コングラチュレーション、アグネスデジタル。ダートプライドがグレードレースだったら受賞できてなかったわね』

『そんなことないよ。凱旋門賞は凄く良いレースだった』

 

 ダラカニはハグを交わしデジタルを祝福する。その言葉は嘘偽りなく心から賞賛していた。

 正直に言えば日本のダートのレースレベルはまるで分からず。日本のウマ娘がどんなレースをしても自分が走った凱旋門賞がベストレースである自信があった。だがあのレースにはサキーが居た。

 欧州で走るウマ娘としてサキーについては知っている。その強さやレースに取組む姿勢やメンタリティは尊敬に値する。

 サキーはドバイワールドカップ、キングジョージ、凱旋門賞のレイを賭けてレースに挑んだ。欧州で走り凱旋門賞に勝った者として、行動の重さは理解している。日本のレースといえど万全を期さないわけがない。万全の調整で臨み全力を尽くしたはずだ。

 その結果1着から6着までの差2センチという大接戦だ。そんなレースのレベルが低いわけがない。それは欧州を走るウマ娘の総意であった。

 またアメリカのウマ娘達も同じ、いやそれ以上に同じ考えだった。あのティズナウがBCクラシックのレイを賭けてレースに挑んだ。そんなレースのレベルが低いわけがない。

 

 現役ウマ娘達はダートプライドがベストレースであるというのが大半の意見だったが、選考員会は大いに意見が割れた。

 単純なレーティングでいえばダートプライド前にはドバイワールドカップ、キングジョージに勝利し当時の最高レーティング保持者だったサキー、去年のベストレースの凱旋門賞に匹敵するメンバーに勝ったストリートクライ、2人に劣るものの高レーティング保持者だったティズナウが集まっており充分だった。

 だが強豪国と認められていないパート2で行われたレースを受賞させていいものか、賞の権威が落ちてしまうという否定的な意見も多く出た。

 日本ダートに詳しい専門家などの意見を聞き、レースレベルの協議など入念な調査が行われた。その専門家のなかにはアブクマポーロやメイセイオペラもいて、調査員にこう告げた。

 

 ダートコンディションや他の出走ウマ娘のタイム差から比較してもダートレース史上一二を争うほどのハイレベルのレースであったことを保証する。

 

 さらに援護射撃としてゴドルフィンやアメリカからのフォローもあった。

 アメリカの英雄の価値を下げてはならない。ゴドルフィンの名誉を守る為に受賞してもらいたい。そういった政治的背景も含まれていた。

 レースレベルの高さ、各組織からの擁護、それらの要素も有ったことで選出されるか否かは5分5分に別れていた。そして最後の決め手になったのはエンターテイメント性だった。

 レースはスポーツであり興行でもある。凱旋門賞とダートプライドを比べるとレース開催決定前のパフォーマンス、最高賞金12億円勝者総取りのウイナーテイクオール方式、お互いの勝ち鞍とレイを賭けるなど明らかにダートプライドの方がエンターテイメント性に富んでおり、多くの業界外の人やメディアの注目を集めていた。

 何より6人のウマ娘が作り上げた熱は審査委員にも確かに届いていた。

 

 ダートプライドはその後も形式を変えながらレースが開催され、グレードは設定されないものも多くの有力ダートウマ娘が参戦し、勝者には多大な名誉がもたらされた。

 歴史が紡がれていくにつれ、この6人は最初のレースを走った者、オリジナル6として尊敬を集め歴史に名を刻んだ。

 

 ヒガシノコウテイはダートプライドの善戦が評価されたことで国内や海外からも注目を集め、地方の門を叩くウマ娘も増え、海外から地方のレースを一目見ようと多くの観光客が訪れた。

 

 セイシンフブキも同じように評価される。そして中央でもダートを走る者が増え始め、ダートレースでも芝のレースとの観客動員数の差は縮まりつつあった。

 

 サキーも引退後はダートプライドを走った者として注目を集め、様々なメディアに露出する後押しとなり、世界におけるレースの観客動員数も増え始め環境も改善されていく。

 

 ストリートクライは引退後もダートプライドに走った者として評価され、パートナーのキャサリロも脚光を浴びる切っ掛けとなる。また、過去現在未来において最強のウマ娘という評価は与えられないが、ダート歴代最強の一角としてノミネートされていた。

 

 ティズナウはダートプライドからレースの舞台から完全に姿を消す。

 それと前後するようにアメリカレース界のレベルは上昇していき、一部の例外を除いて外国から来るウマ娘を返り討ちにしていく。

 一部の専門家はティズナウ以前以降と呼べるほど全体のレベルの向上が見られると評した。そのウマ娘達に共通するのは僅かでも前に出るという決断的な意志を持った比類なき勝負根性だった。

 

 アグネスデジタルの個人的欲望が切っ掛けで始まったダートプライド、それは多くの人を巻き込み様々な人を熱狂させる。出走ウマ娘に幸福をもたらした。

 そして当の本人は極上のウマ娘達を感じられ、最高の体験ができた。

 

 隠しダンジョンをクリアした結末はハッピーエンドである。

 




最初は構想ではデジタルはダートプライドではなく天皇賞秋に出走する予定でした。

出走メンバーはサイレンススズカ、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサーにオリジナルキャラとしてシンボリクリスエスを加えた完全なIFレースで、其々のファンに角が立たないように全員が勝利した結末を書こうとしていましたが、あまりにもめんどくさいので没になりました。

ではデジタルはどのレースを走るかと考えていたところ、どうせなら完全オリジナルレースを走らせようというアイディアが思いつき、どうせなら今までのキャラを再利用しようとヒガシノコウテイ、セイシンフブキ、サキー、ストリートクライに新キャラのティズナウを加えて、今の形になりました。

あとデジタルが歌った曲はJRA60周年記念CMの曲でTOKIOのlove holidayという曲です。
競馬場に行くワクワク感が搔き立てられて、JRAのCMで一番好きな曲です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。