日曜の昼下がり、今日は出かけるには程よい陽気のせいか多くの人が繰り出し、府中駅周辺は賑わっていた。そんな中アグネスデジタルとエイシンプレストンは日の光が当たらないカラオケルームに居た。
プレストンが熱唱する隣でデジタルは独自の合いの手やコールを勝手に入れていた。
「はい、次デジタル」
「アタシはいいよ。プレちゃんが歌うのをずっと見ていたいし」
「それじゃあアタシが疲れるでしょ。何か歌って休憩時間作って」
「しょうがないな」
デジタルは気が乗らないという態度を見せながら、かつてトゥインクルレースで活躍したウマ娘達の曲を入れて歌い始める。
流石に現役選手というだけあって歌唱力は高く、踊りの振り付けを完璧に真似するどころか、ファンとのコール&レスポンスまで再現していた。
「悪いわね。アタシの気分転換に付き合ってもらって」
「こっちこそ、久しぶりに遊べて楽しかったよ」
プレストンはデジタルにお互いに礼を言うとソフトドリンクに口をつける。
かきつばた記念から翌日、プレストンから日曜に遊ばないかと誘われ二つ返事で了解し、向かった先がカラオケだった。
プレストンは熱唱する。音程を多少外しても気にすることなく気持ちを乗せるような歌い方、それは実にらしくない歌い方だった。
デジタルはプレストンを観察する。上は黒のワンピースに赤のシャツ、下は紺のデニムパンツ、いつもと変わらない感じの私服だが、化粧はいつもより濃い。自分と出かけるのにそこまで気合い入れることはないだろう。
「今日はとことん付き合うよ」
「お気遣いどうも。でも大丈夫、大分気が晴れたから。あと何曲か歌ったら帰る」
「まあ、ほんのちょっとの差だったしね」
「はぁ~。素人さんにはそう見えちゃうか~」
プレストンは小馬鹿にするように大げさにため息をつく。だがその仕草に不快感は無かった。
「あの試合はかなり運に恵まれたところがあったのよ。本来の実力差ならもっと早く負けてた。まあ、この傷を戒めにして精進するわ」
デジタルはプレストンは右瞼を指した場所を凝視する。確かに僅かに腫れている。そして厚化粧の理由は青あざか何かが出来ているのを隠す為だろう。
「折角だし、素人にも分かるようにその試合の解説してよ」
「負けた人に負けた試合の解説を頼む?まあ、振り返るという意味で悪くないか、特別に解説してあげるから有難く拝聴しなさい」
「あざっす」
プレストンはふざけながらお礼を言うデジタルにニヤケながら試合を撮った動画を見せる。
「まずここ、相手の攻撃が見えなくて完全に勘で防御した。勘が外れてたら試合終わってたわね。そしてここは完全に読まれてカウンター喰らって、傍から見るとバレバレだ」
プレストンは動画を見ながら解説していく。デジタルはその様子を見ながら安堵の表情を浮かべる。
現役を引退した選手は全てを燃やし走り続けた反動のせいか、燃え尽き症候群になるウマ娘は多い。暫くして新たな人生を歩めればいいのだが、中にはレースでの喝采や刺激が忘れられず身を滅ぼすウマ娘も居る。
プレストンは聡明で身を滅ぼすことはないだろうが、燃え尽き症候群はレース以外の目標がない人がなりやすく、レース以外の夢や目標を聞いたことが無い。無気力な日々を送るのではと心配していた。だがそれは全くの杞憂だった。
プレストンはトレーニングを兼ねて香港の武術を習っていた。そして現役を引退し、その道の頂点になろうと日々トレーニングしている。
「こんな感じ、わかった?」
「何となく、しかしプレちゃんがこの道を選ぶのは予想できなかったよ」
「今まではレースと片手間だったからね。それで現役を引退して、この道でどこまで行けるか試したくなったわけ」
「それで目標は?」
「世界一」
「もっと小さな目標を言うかと思った」
デジタルは意外そうな顔を浮かべる。プレストンは自己分析に長け、こんな大言を言うタイプではなかった。
「まだ解析度が低いから自惚れられる。でもこれから解析度が高くなればなるほど世界一なんて思えなくなると思うけど」
プレストンは複雑そうな表情を浮かべる。その道を進んだ初期は頂点との距離を掴めず、いずれ頂点に辿り着けると自惚れられる。
しかし自分が強くなればなるほど、頂点との距離がより鮮明になると同時に辿り着けないという事実を知ってしまう。トゥインクルレースで嫌というほど身に染みている。
「分かんないよ。レースよりそっちのほうが才能有るかもしれないよ」
「その可能性もある。現に完敗だったけど、欠点を修正すれば差は縮まるはず、それで大会でもとんとん拍子に勝って世界一になれる根拠のない自信が湧いている」
「そうそう」
プレストンは意気揚々と語る。現役時代の自分が達成できるギリギリの目標を邁進する姿も素敵だったが、こうして幼子のように無限大の可能性を信じて邁進する姿も新たな一面も素敵だ。
「しかし、プレちゃんが楽しそうで良かったよ……あの時走れなかったからずっと悔やんでるかと思って……」
「だから気にしてないって、全くいつまで引きずってるのよ」
「でも……」
デジタルの突如感傷的になり声が沈んでいき、プレストンは慌てて慰める。
確かに走れなかったことは悔いが残ってないと言えば噓になる。だがデジタルだって自分と同じくレースに走りたく懸命に努力した。
責めることはできない。誰が悪いわけではない、レースに走れなかったのは運命だった。それにあの時に走ったクイーンエリザベスCで充分満足している。だが未だに引きずっているようで正直少し鬱陶しい。
「ところで、メディアは騒いでたね」
プレストンはこの話題を避けるように露骨に変える。
「何が?」
「それはアンタがかきつばた記念で負けたことよ。世間は世紀の大波乱みたいに騒いでるけど、アタシからみたら妥当ってところね」
「そんなに期待してなかったの?」
「だって皆忘れてるかもしれないけど、案外コロッと負けるじゃん。それに長期休み明けでレース勘もないし体も動かない。現に仕掛けも遅れて体も付いていかない感じだった。さらにトップハンデ、しかもビワシンセイキやうちのローズだからね」
プレストンはうちのにアクセントをつけながら予想していた不安要素を述べていく。
1年以上休んだウマ娘が勝てるほどレースは甘くない。元チームメイトのスターリングローズは不安要素がある相手に負けるほど弱くはない。
別にデジタルが負けて欲しいわけではなかったが、チームメイトがモブ扱いされるのは腹が立っていて、少しだけスカッとしたのは伏せておく。
「そしてあの我儘ボディ、それなら負けて当然でしょ」
プレストンは服越しにデジタルの腹の肉をつまむ。素人や初心者には分からないかもしれないが、長年付き合っていたプレストンにはテレビ越しでも太目残りであることはわかった。
自分ですら分かるのであればトレーナーは百も承知だろう。その状態で挑むということは勝敗を度外視して叩きであることは簡単に察せられる。
「ちょっとやめてよ、くすぐったいって。流石プレちゃん、的確な分析だね。相手関係、長期ブランクによる不調とレース勘不足と太目残り、これが敗因かな」
「本当にそれだけ?負けたのは今の理由だけでいいのね?」
デジタルはプレストンの言葉に露骨に不快感を示す。世間のいうデスレースの呪縛を信じているのか、いくら親友でもあのレースについてとやかく言うのは許せない。プレストンは気配の変化を察したのか慌てて訂正する。
「待って、別にダートプライドのことじゃない。デジタルも何だかんだで何年も走っているし現役の平均活動年齢を超えている。どう自覚はない?」
その言葉にデジタルは考えを改める。世間の下らない噂を信じているわけじゃない。ただ純粋に自分のことを心配してくれたのだ。
「それはない。逆に聞くけどプレちゃんに自覚はあった?」
プレストンはデジタルの質問を聞いた瞬間僅かに表情が険しくなる。ソフトドリンクを一口飲んだ後当時の心境を思い出すようにゆっくりと語り始める。
「何というか水風船にほんの小さな穴が空いている感じ、気が付くといつの間に水が漏れていて、どんどん穴が大きくっていく。必死に塞ごうとするけど水がどんどん抜けていって、最後は塞ぐ気力すら無くなって水が無くなる」
無意識に唇を噛みしめる。イメージ通りに体を動かせているのに前のウマ娘を捉えられない、後ろのウマ娘に差される。最初は気のせいかと思ったが日経つごとに衰えが現れていく。
香港ならこんなことはない。イメージ通り体を動かせばイメージ通り相手を抜けると言い聞かせ目を背けていた。
そして挑んだ香港カップでは惨敗、あれだけガッチリと嵌った歯車がバラバラに崩れる感覚、もう香港でも特別ではなくなった。この瞬間衰えを自覚し引退を決意した。
「まあ、デジタルならあと10年は走れるって」
「そうしたいけど、流石に無理だよ」
「常識外れで妖怪じみているし、案外できるかもよ」
「常識外れは100歩譲って誉め言葉だけど、妖怪はディスリじゃない?」
「褒めてる褒めてる」
プレストンはおちょくるような口調で揶揄う。シリアスになりすぎた。デジタルだって衰えを意識しているかもしれないのに、これでは不安を煽ってしまう。
矛盾した思考だが元チームメイトのスターリングローズを舐めるなと思うと同時に、デジタルはあっさり勝つかもと思い、負けたのはダートプライドを走ったことによる衰えだと思ってしまっていた。
「そういえば、デジタルは次走どうするの?適性的に安田記念?」
「安田記念とかしわ記念の両睨み、白ちゃんに今週中に決めろって言われた」
「確か日程はほぼ同じか、どっちにするの?」
「悩んでるんだよね~。いっそのことコインで決めようかな~」
デジタルはテーブルに体を伸ばし気の抜けた声でプレストンに語り掛ける。だがその視線はデジタルではなく携帯電話に向けられていた。
「ちょっと、友達が悩んでいるんだから相談に乗ってよ。それで何見てたの?」
「ニュース、アイドルがファンに襲われたんだって」
「ふ~ん、どんな恨みを買ってたの?」
「そのアイドルが男と付き合っていたのが許せなかったからって」
「逆恨みじゃん」
「アンタも案外他人事じゃないかもよ」
デジタルは思わぬ話題の振り方に目が点になる。今の話題と自分には何一つ関連性が見いだせない。
「デジタルはダートプライドに勝ったでしょう。非公式ながらダート世界一、それで世間に広く認知され多くの新規がファンになった。でもGIどころか地方のGⅢに負けた。幻滅してその反動でアンチになるかもって話、流石に襲われることはないだろうけど」
「またその話題か」
デジタルはうんざりしたという具合に大きなため息をつく。
「またって?」
「白ちゃんも同じこと言ってた。それで言ってやったの。ちょっと勝手過ぎない。勝手に期待して勝手に幻滅してさ、それにファンなら勝っても負けてもありのままの姿の推しを応援して愛でるべきじゃないって」
「それはそうだけど、ファン側の心理も分かるって言えば分かるんだよね」
「襲う気持ちが分かるの?プレちゃんがそんな犯罪者予備軍だったなんて、友達止めようかな」
デジタルは演技がかった表情で嫌悪感を示す。プレストンは話を最後まで聞けと手で制し話を続ける
「覚えてる?デジタルとダートプライド前に喧嘩したの」
「勿論、あの時は勝利中毒で色々と我を失ってたからな。我ながら恥ずかしい」
「それでアタシはデジタルにらしくない、昔のアンタに戻ってよって言ったでしょ」
「あの時は自分を全否定されたみたいでマジでムカついたよ。今ではプレちゃんがそう思うのも納得だけど」
「アタシもデジタルに理想のデジタルを押し付けたんだよね。結局元に戻ったけど、もし元に戻らず勝利中毒のままだったら、デジタル風に言えばありのままの姿を受け止められたのかなって。理想との変わりようにショックを受けて嫌いになってたかも」
プレストンは自嘲的に口角を上げる。勝手に期待して勝手に幻滅するなんて勝手であり、デジタルの言うことはごもっともである。
しかし自分の理想が変化した姿を受け入れるのは中々に難しい。この感情は思ったより普遍的なのかもしれない。
「まあ、ようするに夜道には気を付けろってこと」
「まとめ方雑だな~」
デジタルはプレストンに思わず突っ込みを入れ、一瞬重苦しくなった空気は一気に和やかになった。
「じゃあね。安田記念かかしわ記念か分からないけど、予定空いていたら見に行くから」
「ちゃんと開門ダッシュして、パドック最前列に陣取って応援してね。そしたら投げキッスぐらしてあげるから」
「いやよ。どうせこっちなんて気にせずウマ娘を感じることに全神経を向けてるんでしょ。応援し甲斐が全くない」
2人は軽口を交わしながら別れ其々の家路に向かう。デジタルは考え事をしながら歩き続ける。
理想、幻滅、最近よく話題になる言葉だ。プレストンの言葉を聞いてファン側の思考を知れた。だが考えは変わらない。
期待するのは勝手だが、皆の想いを背負う気はない。オペラオー達に教えられたように有名選手としてそれ相応の振る舞いはするつもりだが、ファンの想う勝手な理想を演じるつもりはなく好き勝手に生きていく。
───
デジタルは店に入ると一番奥の窓際に座り、帽子とマスクを外して店員に注文する。店員がデジタルの姿を見ると一瞬ハッと目を見開く。恐らく自分の存在に気が付いたか?だが店員はサインや握手を求めずオーダーをとりカウンターに向かう。
単純に知っているが興味が無かったのか、それとも仕事中なので控えたのか。
前者なら問題無いが後者なら少し申し訳ない。オペラオーなら帰る際にサインを書いたり握手するのだろうが、もし前者だった場合自意識過剰で恥ずかしいのでやめておく。
今デジタルは船橋駅近くにあるチェーン喫茶店に居た。遅れてはならないと早めに来たのだが、1時間前に到着し周辺に疎く時間を潰す場所も思いつかないので、待ち合わせ場所に来ていた。
他のウマ娘のツイッターやインスタグラムなどを見れば1時間程度はあっという間に過ぎていく。待ち時間は特に苦にはならない。
すると入り口に見慣れた姿が現れる。セイシンフブキだ、ポロシャツとチノパンの飾り気のない恰好でデジタルの元に近づき対面に座る。
「今日は来てくれてありがとう」
「アタシは近くだからいいけど、アンタは態々船橋くんだりまで来てご苦労だな」
「用が有るのはアタシだから当然だよ。店員さん注文お願いします」
デジタルは店員を呼び自分とフブキのオーダーを頼む。店員はデジタルを見た時と同様の反応をフブキに見せる。これでレースファンで有る可能性が高まった。少し恥ずかしいが言葉をかけてみよう。
「さて、色々お喋りしたいところだけどフブキちゃんは前置きは無い方が好きそうだから、本題から言うね」
「そうだな、そっちのほうが助かる。それで何だ?」
「フブキちゃんはもうあの頃に戻れないの?」
デジタルは単刀直入に切り出した。
セイシンフブキはダートプライド以降は長期休養に入り昨年末に復帰を果たしたが、それ以降のレースには一度も勝利していない。
デジタルもその様子が心配になり東京大賞典を現地で見たが、あることに気づいてしまう。セイシンフブキに一緒に走ったレースのような輝きがなかった。
安田記念とかしわ記念のどちらを走ろうか悩み、セイシンフブキの状態が選択する上で重要になっていく。
「あの頃って?」
「今のフブキちゃんはダートプライドを走った時とどこか違う。競争能力じゃなくて、もっと芯となっているものが変わった」
デジタルは自分の感情を必死に言語化する。どこが違うとはハッキリとは断言できない。しかし変化があったことは感覚で分かった。そしてその変化は望むものではなかった。
「して欲しいことがあったら何でも言って。何だってするから。アタシはあの頃のフブキちゃんともう一度走って感じたい」
語気を僅かに強くしながら訴える。全てのウマ娘を愛しており尊いと思っている。だが人で有る以上好き嫌いの区分はどうしても出来てしまう。そういった意味ではセイシンフブキは特別だった。
ダートプライドで味わったあの感覚を何度でも味わいたい。その為にはかつての姿に戻ることは必要不可欠だった。
「芯となる部分か、なるほど、良い線いってる」
セイシンフブキは関心そうな素振りを見せ口角を上げる。
マスコミ達は最近の成績不振をデスレースに走った影響と決めつけている。その可能性は否定できないが、今の状態はデジタルの言う芯となる部分が変化したからだ。
「そこまで見抜いているならいいだろう。アンタになら話してやる」
デジタルはその言葉に思わず息をのむ。もしかしたら自分で何とかできる要素かもしれない。聞き漏らさないようにと意識を集中させる。
「簡単に言えばダートへの探求にのめり込んだからだ」
「え?」
思わず聞き返す。ダートへの探求はダートプライド前にもしていただろう。何が違う。セイシンフブキはデジタルの反応は予想通りとばかりに言葉を続ける。
「ダートプライドを走って、奥深さと高さを知った。極めたと思ったダートにはさらなる未知と未発見の鉱脈がある。それに心躍り生涯ダートを探求しようと誓った」
「それは前からじゃないの?」
「まあそうだが、さらにダートへの探求に重点を置き始めた。例えばだが、このまま既存の技術を使えば1着になれる場合と、失敗する可能性が限りなく高いが未知の技術を発見できる場合がある。以前のアタシなら前者を選んだ。だが今は躊躇なく後者を選ぶようになった」
「つまり勝ちにこだわらなくなった?」
「まあ、そういうことだ。勝利よりダートの探求とそれを後輩たちに伝えたいと思っている」
ダートを盛り上げるために、地位を向上させるためには自分が勝たなければならない。その情熱を燃やし今までのレースは走ってきた。だがダートプライドで深淵の一部を覗いて虜になってしまった。
今までは勝つためにダートを探求していた。だが今はレースで勝つことよりダートを探求するほうを優先するようになっていた。
そして得たものを後輩たちに伝え成長させ、自分が求めるダートと芝の立場が対等になる世界を作り上げてくれることを願っている
この心境の変化を知っているのは独自で見抜いたアブクマポーロとヒガシノコウテイ、そして自らの心境の変化を伝えたアジュディミツオーだけである。
「じゃあ、もう以前には戻れないってことだね」
「ああ、残念ながらな」
「そっか」
デジタルは天井を仰ぎながらポツリと呟く。自分も勝利中毒から抜け出し、レースを通してウマ娘を感じることに全てを注ぎ結果について気にしないようになった。
ダートプライドでは皆に少しでも近づいて感じたい一心で走った。この考えを変えるつもりは今のところない。
それはセイシンフブキも同じだろう。感じたかったのはダートを探求する情熱でなく、ダートを盛り上げようと勝利を目指す情熱だった。
「もし以前のアタシを感じたいというのなら諦めろ。もう昔には戻らない」
「うん、残念だけどそうみたい」
「アタシとアンタの道は違えてもう交わることはない」
「そうだね。今までありがとう。一緒に走れてとっても楽しかった」
「何だか別れ話みたいだな」
「プッ!」
セイシンフブキの言葉にデジタルは思わず吹き出す。別れ話とは言い得て妙だ。
「次走は安田記念とかしわ記念どちらかにするか悩んでたけど、決心がついたよ。アタシは新たな出会いを求めて安田記念を走る」
「勝手にしろ。精々新しい恋人でも見つけるんだな」
フブキの軽口にデジタルは笑みを浮かべる。これで迷いなく安田記念を走れる。
あの頃のセイシンフブキを感じられないのは残念だが、この思い出を胸に仕舞い次に進もう。女の恋は上書き保存、男の恋は別名保存と言われるが、セイシンフブキとの思い出は上書きすることなく、何度でもフォルダを開いて楽しもう。
「あと新しい恋人なら紹介するぞ」
「そのネタ引っ張るね。それで誰?」
「アジュディミツオー、アイツは強くなるし、昔のアタシと同じぐらいにダートで勝つって闘志をメラメラ燃やしている」
セイシンフブキが饒舌に語る姿を見て思わずニヤける。辛口そうなセイシンフブキがここまで弟子であるアジュディミツオーを褒めるとは意外だ。
その後2人は雑談に興じる。レースやウマ娘について語るが、大半はダートについての話だった。
フブキは語るつもりはなかったがデジタルが促し仕方がなく話したら、興が乗り一方的に喋っていた。
内容は高度で理解できないものも有ったが、参考になるものも多く何より生き生きと喋る姿が見られただけで満足だった。
キリが良いところで2人は店を出る。デジタルは店を出る前にオーダーを取った店員に話しかけ、レースやウマ娘が好きだと分かると一通りのファンサービスしておいた。
「ねえフブキちゃん、フブキちゃんはその道を引退まで進むの?」
「勿論」
「辛くないの?」
別れ際にデジタルは問いかける。最近の成績不振によって様々な陰口を叩かれている。
終わったウマ娘、ダートプライドも実はレベルが低かった。見苦しい、さっさと引退しろ。
セイシンフブキが勝利よりダートを探求し後輩に伝える道を選んだ。そしてもうレースに勝利する可能性は低い。
もしダートプライドで引退すればファン達はセイシンフブキの強さに幻想を抱くだろう。だが走り続ける道を選び、レースに負け続けることでその強さの価値は疑われ貶められるだろう。
その選択の尊さを知らずに言われることが悔しくもあり心苦しくもあった。
「全く、アタシが好きで楽しくてやりたくてやってることだ。外野が何を言おうが関係ない」
セイシンフブキが心配を断ち切るように断言する。それを聞いて要らぬ世話であったと反省する。自分も同じ立場だったら外野の言葉に耳を傾けず道を突き進む。
デジタルにとってセイシンフブキはレースを通して感じたい相手ではなくなってしまった。だが道を進む誇り高さは全く失わず、1人の人間として魅力的で煌めいていた。