勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者の慈悲#3

 空は鈍色に染まり大粒の雨が降り注ぎコースを走るウマ娘達を打ち付ける。その衝撃は触覚ではなく痛覚に訴えかける強さだった。午後から天気が崩れるという予報が出ていたが大方の予想より大きく崩れていた。

 トゥインクルレースでは天候不良によるレースの中止は余程のことが無い限り起きない。起きる事例としては台風や大量の降雪などがあるが、雨が理由での中止はほぼ無い。

 大半のチームは雨でもトレーニングするが、この豪雨ではトレーニングにならないと室内練習に切り替えていく。だがチームプレアデスのメンバーはかまわずトレーニングを続ける。

 

「イタッ」

 

 黒鹿毛のウマ娘から思わず顔を顰め声が漏れる。彼女の名前はメイショウボーラー、デジタルが長期中休養中にチームプレアデスに加入し、デビュー戦までに向けてトレーニングを積んでいる。

 メイショウボーラーはチームに入る際に1つの誓いを立てていた。絶対に愚痴をこぼさない不平を漏らさない。だがその誓いは既に破れていた。

 普段は気にも留めない雨粒でもウマ娘の脚力で走っている最中に当れば無視できない衝撃になる。そして立っているだけでも痛覚に訴えかけるほどの大粒の雨、その雨粒が走っている最中に当れば痛みと衝撃はさらに増す。

 さらに今走っているダートコース、ダートコンディションが不良の状態で走ったことはあるがここまでグチャグチャな状態で走るのは初めであり、今までの経験が全く通用せず脚を取られ上手く走れない。

 雨による肉体的ダメージ、超不良と呼べるようなダートコンディションによる体力の消費により気力が奪われていく。

 なんでこんな苦しい思いしてんだろう。徐々にスピードは落ちていく。

 

「がんばれ!」

 

 すると後ろから声が聞こえる。思わず振り向こうとした瞬間声をかけたウマ娘は真横にいて目線が合い、そのウマ娘は満面の笑みを見せ抜き去っていく。

 メイショウボーラーは抜かれた相手の背中を見つめる。今日のトレーニングでは大分ハンデをもらっているはずなのに、もう追いついた!?しかもこの雨と超不良のダートを全く苦にせずいつも通り駆け抜けていった。

 これが世界のアグネスデジタルの力か、メイショウボーラーは感嘆するともに笑顔を思い出す。

 あのアグネスデジタルがデビュー前の新人に気をかけエールを送ってくれた。嬉しさと同時に頑張ろうとする気力が湧き上がる。

 メイショウボーラーは歯を食いしばり全力でダートコースを走り始める。

 

 デジタルがゴールしてから数秒後、メイショウボーラーは左右に蛇行しながらゴールし、思わず膝から崩れ落ちる。

 このトレーニングではレース形式でダート1200メートル走ったが、雨の痛みと超不良のダートによって思考力と体力が奪われペース配分は全くできなかった。

 ただ我武者羅に走り最後は気力で走る。まるで入学前の幼いウマ娘の草レースのようだ。

 

「よく頑張ったね!スゴイ!偉い!素敵!」

 

 疲労でうなだれるメイショウボーラーの元にデジタルが歩み寄り手を差し伸べる。その手をとり起き上がる。

 

「疲れました……」

「今日はこの1本で終わりだから、帰ってシャワー浴びてゆっくり休もう」

「はい……」

 

 億劫そうに相槌を打ち歩き始める。その足取りはかなり遅くデジタルもその歩調に合わせるようにゆっくりと歩きチームルームに向かう。

 

「もう雨が痛くて足が取られて仕掛けもペース配分もなかったです……」

「それはしょうがない。むしろデビュー前で走りぬいただけ凄いよ。大半のウマ娘ちゃんは気持ちが萎えて走るの止めちゃうからね。全く白……じゃなくてトレーナーはこんな悪天候で走らせるなんてどうかしてる!」

 

 メイショウボーラーはプリプリと怒る様子を見て思わず吹き出す。今まで遠目で見るか挨拶を交わす程度だったが、こんな子供っぽい人だとは思わなかった。

 

「しかし凄いですね……あんな雨とダートのなかで平然と走ってピンピンしていて」

「それは楽してるから」

「楽?どんなふうに楽してるんですか」

「企業秘密、と言いたいところだけど特別に教えてあげる。例えば回転数の上げ具合にコツがあって……」

 

 デジタルはチームルームに行くまでの道中の間にダート不良での走り方のレクチャーを始める。メイショウボーラーは一言も聞き漏らさないと意識を集中させる。

 

「しかし意外でした。アグネスデジタルさんはもっと天才肌っていうか感覚派だと思っていたので」

「何?もっとガッとして歩幅をダダッて縮めて、膝をフワッて緩めるって言えばよかった?」

「すみません。それじゃあ意味が分かりません」

「うん、アタシも分からない」

「何ですかそれ」

 

 2人は思わず笑う。デジタルのイメージは先程の言葉みたいな天才言語で話すタイプだと思っていた。だがイメージとは裏腹に実に分かりやすく説明するタイプだった。

 

 それから2人はチームルームに着くまでアドバイスを受けるなど会話を弾ませ、デジタルと別れてシャワールームに向かった。

 トップ選手のアグネスデジタルに声をかけるのは恐れ多いと思っていた。だが意外にもフランクで親しみやすかった。今日1日で距離が近づき好感度が一気に上がっていた。

 

「いや~、初めての雨とこの不良のダートで心が挫けそうになりながら必死に走るメイショウボーラーちゃん!たまりませんね!あまりにも疲弊しているから手を貸そうとしましたがグッと堪えましたね!ここで手を貸せば自分で走ろうとする意志を蔑ろにしちゃいそうですからね!」

 

 デジタルはチームルーム内でシューズを手入れしながらトレーナーに話しかける。だがほぼ独り言のようなものなのでトレーナーも相槌を打たず、キーボードを打ち込む。

 

「でもこの雨で走ることもなかったんじゃない?この豪雨だったら普通なら中断レベルでしょ」

 

 デジタルは不満を零すように語り掛ける。今日のような豪雨でレースを走ったことはなかった。自分も余裕綽々で走った素振りを見せたが、内心ではかなりきつくトレーナーに対して不平不満を抱いていた。

 何年も走っている自分でもキツイのだからデビュー前のウマ娘にはさらにキツイ、もはや一種の体罰だ。

 

「まあ、中断になる可能性は高いな」

「じゃあ何で走らせたの?意味ないじゃん」

「まあしごきの一種や、こんな厳しい状況で走れば苦しい時にこれより辛くはなかったって、乗り越えられることもある」

「体育会系だな~。こんなことしてると新人ちゃんがチーム辞めちゃうかもしれないよ」

 

 デジタルはやれやれとため息を漏らす。トレーナーは他のトレーナーと比べて年配なせいか妙に体育会系なところがある。

 

「あと、メイショウボーラーちゃんにダート不良の時の走り方についてアドバイスしておいたから。歩幅とか回転数とか基本的なことしか言ってないけど」

 

 デジタルは話の流れで思い出したかのように話す。本当なら両手で足りない程の修正点が有ったが、それをいっぺんに伝えればまだ出来上がっていないランニングフォームが乱れる可能性があり逆効果だ。なので基礎中の基礎的なことをアドバイスしておいた。

 

「もしかして余計なお世話だった?白ちゃんのプランと違ったら申し訳ないけど」

「いや、明日伝えようと思ったところや。逆に手間が省けて助かる」

 

 トレーナーは丁度メイショウボーラーのトレーニング映像を見て修正点を纏めていたところで、デジタルがアドバイスしたことは重点項目として記載しているところだった。

 

「しかし変わったな。昔はアドバイスとかせえへんかったのに、今では積極的にアドバイスをしとる」

 

 デジタルはある日を境にチームメイト達にアドバイスしている姿を見かけるようになった。

 自分が言っても従わなくともチームメイトが言えば素直に受け取ることもある。デジタルはウマ娘好きが講じたのか観察眼は鋭く、聞いている限りでは適切なアドバイスしている。

 

「まあ心境の変化ってやつだね」

「よかったらその心境の変化を聞かせてもらってもええか?」

 

 トレーナーはキーボードを打つのを止め、視線を画面からデジタルに向ける。以前にもファンサービスしなかったが、するようになったのはオペラオーとドトウのアドバイスからだ。今度はどのような切っ掛けが有ったのか興味があった。

 デジタルはトレーナーの視線に気づいたのかシューズの手入れを止め、視線をトレーナーに向ける。

 

「ダートプライドの時は皆を感じるために自分勝手に好き勝手して、それなりに迷惑をかけたと思うんだよね。さらに皆への感謝も申し訳なさも隅に追いやって、皆を感じることに全力を注いだ。その結果最高の体験ができた。だから今度はアタシが返す番かなって」

「ほう、殊勝な心掛けやな」

「それにアタシもチーム最古参で学園でもキャリアが有る方でしょう。そうなるとベテランとしての自覚も芽生えるわけ、アタシもチームの皆やオペラオーちゃんやドトウちゃんの上の人達に色々教わったから、今度はアタシがやる番かなって」

 

 トレーナーは相槌を打ちながら真剣に聞く。好き勝手した分だけ周りに返す。自分がしたことを他人にしてやる。奉仕の心と言うべきその心のありようは成長といえるべきだろう。だがそれだけがこの心変わりの理由ではない気がする。

 トレーナーの言葉を促すような視線に気づいたのか、さらに言葉を続ける。

 

「フブキちゃんと会って話したんだけどさ、フブキちゃんはもう以前みたいに絶対に勝ってダートを盛り上げるって気持ちより、ダートを深く追求してそれを後輩に伝えることを優先するようになったみたい。それで後輩の成長を楽しそうに話している姿を見て、いいなって思った。それが1番の理由かも」

 

 デジタルは嬉しさと寂しさが綯交ぜになったような笑みを見せる。

 人に技術や心構えを教え感謝してくれるというのは思ったより嬉しかった。そして教えた事が成果を出し喜び感謝してくれたらさらに嬉しいだろう。セイシンフブキが別の道を歩んだ理由を体験することで実感できた。

 

「あと次走だけど、安田記念に出ることにしたから」

「そうか、かしわ記念はええんか?」

「最近はダートばっかり走ってたし、偶には芝でも走ろうかなってね。じゃあ登録よろしく」

 

 デジタルは用が済んだとばかりに手入れ道具とシューズをロッカーに仕舞うと立ち上がり、部屋の出口に向かって行く。ドアノブに手をかけた瞬間トレーナーに声を掛けられ思わず手を止める。

 

「デジタル、老け込むにはまだ早いぞ」

 

 トレーナーには懸念があった。ダートプライドは外から見ても凄まじいレースだった。多くの人の心に刻まれた。

 そしてこのレースのような感動と熱狂を求めるだろう。外から見ていたファンがそうであるなら、当事者であればさらに刻み込まれているだろう。

 今までで最も楽しみにして、そして期待を超えたレース、デジタルにとってダートプライドは麻薬のようなものだ。

 こらからもダートプライドと同等の刺激と興奮と快楽を求めるだろう。だがこれほどのレースはそうそう出会えないどころか、現役時代に出会える確率は0に等しいだろう。

 デジタルはウマ娘を感じたいという情熱は世界一だ、どんなレースでも楽しみを見出しウマ娘を感じ堪能する。

 それでもダートプライドは劇物であり他のレースやウマ娘が霞んでしまう可能性がある。そうなればモチベーションが下がり引退することもある。

 ダートプライドと同等の興奮と快楽を求め、セイシンフブキが走るかしわ記念に期待していた。

 だが心変わりしてしまい、ダートプライドの時のような興奮と快楽を提供できなくなった。その落胆がふと見せた寂しさを帯びた笑顔に表れている。

 

 そして人に教える楽しさに気づいた。人に教え、教え子が成果を出し感謝される。

 自身の理論の正しさの証明であると同時に自分を信じてチームに入ったウマ娘の夢を叶える手助けになったという充実感と達成感、これはトレーナーとしての醍醐味であり充分に理解でき、現役に見切りをつけてトレーナーへの道に進むかもしれない。

 デジタルがどのような道に進んでも尊重するつもりだ、だがもっと現役で走って、ウマ娘を感じて楽しんでもらいたい、その姿を少しでも長く見たいという願望があった。

 

「なになに~?白ちゃんはまさかアタシが引退すると思った~?」

 

 デジタルは1秒ほど呆けるが質問の意図を察すると悪戯っぽい笑みを見せて、手をブンブンと振る。

 

「ああ、ダートプライドで燃え尽きて引退するかもってな。あれは傍から見ても劇物や」

「確かにあれは麻薬だね。あの興奮と快楽をもう一度って気持ちはあるよ。でもダートプライドの思い出は別名保存、思い出に浸るのは色々なレースを走った後でも遅くはない。それにアタシは新しい出会いにワクワクしているからね!」

 

 デジタルは目を意気揚々と語り掛ける。その姿を見てトレーナーは完全に杞憂だったと安心する。瞳に宿る生気と輝き、あれは輝かしい未来を信じ希望を抱いている者の瞳だ。

 

「今のマイル路線はデジタルが走っていた頃と比べて面子も変わったからな。生きのええのがおるし」

「そうそう。今までは安田記念とかしわ記念の両睨みだったから、調べきれなかったからね。でも安田に決めたからにはリサーチしまくって、存分に感じまくるぞ!」

 

 デジタルはテンションが上がったのか、鼻歌混じりで勢いよくドアを閉めて部屋から出て行く。

 

「老け込んだのは俺か、ついつい心配性になっとる」

 

 トレーナーはクックックと自虐的に笑う。選手である限り引退は避けられない。だがモチベーションに関する問題で引退することはないだろう。

 デジタルのウマ娘を感じたいという欲は底なしであり、衰えない限り自分が望むデジタルが見られそうだ。

 

──

 

 アグネスウイングは自室の扉の前で顔を青ざめさせながら決意を固め何度も深呼吸する。

 トレーニングを終えた後は部屋に向かわずトイレで私服に着替えた後に、食堂でご飯を食べ、お風呂に入って栗東寮の広間で同学年や友人と他愛のない時間を過ごす。

 だが消灯時間になると1人、また1人と自室に向かって行く。そして最後の1人になって寮長に注意されるまで広間に居続けた。

 そして重い足取りで自室に向かう。近づく度にお腹が痛む。このままではストレス性の胃炎か最悪どこかの臓器に穴が開くだろう。

 部屋に入った瞬間、腹の痛みは増し吐き気がこみ上げてくる。

 電気はいつも通り消えていた。だがお互いのスペースを区切るカーテンの向こう側から光が漏れる。その向こう側にこの不快感を生み出す主が居た。

 アグネスウイングは気にしないようにしながらベッドに向かい目を閉じる。だが一向に眠気はこない。どうせ朝まで眠れず不快感苛み続けさせられる。

 少し前まではこんな空気を発するウマ娘では無かった。それまでは過ごしやすい空間だった自室は地獄と化した。

 いったいこの地獄みたいな日々はいつまで続くのだ?むしろこの不快感を生み出すこのウマ娘は何者なのだ?ウマ娘では無く妖怪か何かの類なのではないか?

 そんな空想で不快感を紛らせ、せめてもの抵抗にと聞こえるように舌打ちをするが反応は返ってこなかった。

 

──

 トレーナーは坂路を駆け上がるチームのウマ娘達に視線を向ける。

 デジタルが数々のGIに勝利し少しは名が上がったが、することは変わらない。

 様々な巡り合わせでチームに入団したウマ娘の夢や目標を達成するために力を注ぐ、そこにはGIウマ娘でも未勝利ウマ娘でも変わらない。等しく平等に情熱を注がなければならず、デジタルだけを特別扱いするわけにはいかない。

 デジタルは数々のレースを走りトレーニングを積んだことで、悪く言えば上積みが無い。良く言えば完成しているウマ娘であり、トレーニングについて口を出すことが無くなった。

 逆に指導しなければならず目が届かないウマ娘にアドバイスを送っているので、とても助かっている。

 トレーナーの目下の悩みの種はデジタルではなくアグネスウイングだった。

 資質としては重賞に勝てるほどだ、今のトレーニングでも1勝クラスのウマ娘を前に置いて後ろから抜き去るメニューなのだが、明らかに動きが悪く前のウマ娘を抜き去るところか追いつくことすらできなかった。

 

「最近のTVはオモロイからな。何見とるか教えてくれや」

 

 トレーナーは坂路を上がったアグネスウイングを出迎えるように声をかける。教諭や周りのウマ娘の話を聞いて不調の原因は調べてある。

 ずばり寝不足だ。寮の自室で碌に眠れず教室で睡眠を補っている。だが机で寝るのとベッドで寝るのでは睡眠の質は段違いで、疲れや眠気が取れず生活習慣は乱れていく。それが蓄積して不調になっている。

 まずは頭ごなしに叱らず共感を示し自室で眠れない理由を訊き、そこから徐々に改善していく。この年頃の少女と接するにあたっては繊細に対応しなければならない。

 

「何も見てないですよ」

 

 アグネスウイングはぶっきらぼうに答える。比較的におとなしめな性格だが、ここまで不機嫌さを露わにするのは初めてのことだった。

 

「ならなんで寝不足なんや?」

「それは……ルームメイトが……」

 

 アグネスウイングは歯切れ悪く答える。どうやら原因はルームメイトに関することのようだ。いびき、それか関係が険悪になったことによる精神不安か。

 

「なら一旦距離を取ったらどうや?例えば誰かと交換して別のルームメイトと生活するとか、寮長も詳しく話せば何とかしてくれるかもしれんぞ」

「ダメです!あの娘の被害に遭うのは私だけで充分!他の娘に迷惑はかけられない!」

 

 アグネスウイングはヒステリックに叫びその場に膝を抱えて座り込む。

 トレーナーは予想外の反応に右往左往してしまう。単純な寝不足かと思っていたが事は予想以上に複雑で相当参っているようだ。するとその様子を見ていたデジタルが2人の元に駆け寄り声をかける。

 

「どうしたの?」

「いや、アグネスウイングに寝不足の原因を聞いてな、どうやらルームメイトに原因があるみたいで、誰かと部屋を交換することを勧めたんやが、他のウマ娘に迷惑はかけられないって声を荒げてな」

 

 デジタルはアグネスウイングの様子を観察すると近寄ると隣に座り込み、優し気な声色で声をかける。

 

「アグネスウイングちゃんは優しいね。いつも周りを気にして他の人の幸せを願っている。そんな優しさは大好きだよ。でもその優しさでアグネスウイングちゃんが傷ついたらアタシは悲しい。だから皆が幸せになれる解決策を考えよう。話してくれない?」

 

 その言葉に心を開いたのかアグネスウイングは頷き、ポツリポツリと状況を説明していく。所々言葉詰まり焦らされるがデジタルは相槌を打ち、耳を傾ける。

 

「つまりルームメイトの様子が急におかしくなって、その空気に耐えられなくなって眠れなくなったことによる寝不足っちゅうことやな」

「はい」

 

 トレーナーが要約した言葉にアグネスウイングはコクリと頷く。チームメンバーの言うことは信じたい。だがトレーナーはアグネスウイングの言葉に懐疑的だった。

 そのルームメイトは暴力を振るったり暴言を吐いたりと態度を悪く接したわけでもない。ただそこに居るだけである。それだけで寝不足になるまで精神が追い詰められるものなのか?

 

「あれはもうウマ娘じゃない……そばに居るだけでおかしくなりそう……誰もあの娘が発する空気に耐えられない。かといって隔離するわけにもいかない、だったら私が犠牲になれば……」

 

 だが現実にアグネスウイングは相当追い詰められている様子を見る限り、事実として認めなければならない。

 

「それでそのルームメイトは誰なんや?」

「アドマイヤマックス」

 

 デジタルとトレーナーの体がピクリと動く。アドマイヤマックスは確か安田記念に出走登録しているウマ娘だ。

 日本ダービーを制覇したアドマイヤベガや朝日杯FSと安田記念を制覇したアドマイヤコジーンがかつて在籍し、今はティアラ路線の主役候補のアドマイヤグルーヴが居るチームルイ、アドマイヤマックスもチームルイに在籍し、チームのリーダー的存在としてトレーナーやチームメイトの信頼が厚く、品行方正と聞いている。

 そんなウマ娘がアグネスウイングをここまで追い詰めるほどの空気を出すとは思わない。

 

「よし、じゃあアタシと交換しよう。アタシがアグネスウイングちゃんの部屋に暫く住むから、アグネスウイングちゃんはアタシの部屋で住んで。大丈夫ルームメイトのタップダンスシチーちゃんは良い子だから安心して」

 

 デジタルの突如の提案にアグネスウイングは思わず目を点にする。

 

「ダメです!あれはウマ娘の皮を被った妖怪か何かです!一緒に居れば確実に精神が病みます。GI前に調子を崩されたら皆が悲しみます!」

「大丈夫。無関心以外だったらウマ娘ちゃんの感情は何だって受け止められるから。アタシもアドマイヤマックスちゃんを感じられて嬉しい。アグネスウイングちゃんも距離を置けてホッとする。これで問題解決!」

 

 アグネスウイングは抗議するがデジタルは心配するなと明るい声色で強引に押し切り、その勢いに押されたのか渋々と了承する。

 デジタルはウマ娘の感情に対する懐の深さは学園一であり、負の感情を向けられたらそれを感じ楽しめられる変わった嗜好の持ち主である。そういった意味ではデジタルが適任である。

 

「本当にええんか?以前の時みたいにアグネスウイングを家に住ませる方法もあったぞ」

 

 トレーナーはアグネスウイングが準備のために離れたのを確認して問いかける。

 以前プレストンとケンカした際には一緒の部屋に居られないということで、トレーナーの部屋で一時的に生活していた。今回も申請さえすれば同じ方法をとれた。

 

「それはプランBってことで、アグネスウイングちゃんもオッサンと暮らすより、近い年頃のウマ娘ちゃんと暮らしたいでしょう」

「それもそうやな。だがキツかったら即プランBに移行するぞ」

「了解」

 

 トレーナーはデジタルに言葉に納得し引き下がる。 

 デジタルは部屋を交換する動機は今言った理由だけではない。まずはアドマイヤマックスというウマ娘に対する興味、物の怪と呼ばれるほどの豹変に対して純粋に興味があり感じたかった。

 そしてそこまで豹変したということは俗に言う闇落ちという類かもしれない。

 チームメイト達も色々やっているだろうし、余計なお世話かもしれない。しかしウマ娘が悲しんでいる姿を何もせず黙って見過ごすわけにはいかない。やはりウマ娘には笑顔で居て欲しい。

 


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