勇者の記録(完結)   作:白井最強

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作中独自の設定があります


勇者の慈悲#4

 ウマ娘にはメジロ、サクラ、シンボリ、エア、ナリタ、ナムラ、マチカネなど苗字のように同じ名前を冠するウマ娘は多い。だが血縁関係があるわけではなく大概は赤の他人である。

 しかしそれらのウマ娘は自然と惹かれ合うように同じ名を者同士が集まり行動し、自然とメジロ軍団というように1つのコミュニティを形成する。

 そしてアドマイヤも軍団の1つであるが、他とは違うのはアドマイヤの名前を冠するウマ娘は高い確率である人物と血縁関係にあった。

 その人物は皆から親方と呼ばれており良くも悪くも注目を集める人物だった。元々トゥインクルレースを毛嫌いしていたが友人にレース場に誘われて生で見てからとても感銘を受けたようで、一気にのめり込むようになった。

 最新のトレーニング器具の贈与、日本では流通されていない栄養剤の提供、シューズの無料提供、腕の良い蹄鉄師と専属契約、トレーナー助手への留学費全額支給。私財を投げうって全面的にアドマイヤのウマ娘や懇意にしているトレーナーを前面的にパックアップした。

 トレーナーが懇意にしている人物に資金援助を受けることはあるが、ここまでスポンサーのように全面的にバックアップすることは業界では無かった。

 元々はとある建設会社の社長だったが需要の増加によって、急激に仕事が増え一気に業績をあげた。

 だが急激な業績成長は成金と揶揄され、資金に物言わせて援助する姿勢に対して否定的な意見が多く、一部の噂では将来有望なウマ娘を青田買いしたという黒い噂も流れていた。

 さらに現場に介入することが多く、トレーナーとの育成方針やレース選択の対立、レースを走ったウマ娘の判断ミスを公然の場で叱ることもあり、そういった面も業界では嫌われている。

 だが決して悪い人間ではなく、可能な限り時間を作っては懇意にしているチームのウマ娘やアドマイヤのウマ娘達の元に顔を出しては親身に相談に乗り、ウマ娘達からの信頼は厚い。

 関わるウマ娘は全て家族である。だからこそ親身にサポートし、レースで負ければ自分の事のように悔しがり、時にはレース内容を批判し叱責してしまうのだろう。

 そしてトゥインクルレースを走り重賞にも勝ったウマ娘の母と親方の孫である父、その間に生まれたのがアドマイヤマックスだった。

 

 アドマイヤマックスは生まれた瞬間からある程度人生が決められていた。

 決定事項のように幼い頃から曾祖父の援助の元にジムに通い、トレセン学園への入学に備えトゥインクルレースを目指すそれが一族の暗黙の了解だった。それに倣いジムに通い鍛えていく。

 

「アドマイヤマックスです!夢はチームルイを日本一にして、アドマイヤを日本一の軍団にすることです!」

 

 トレセン学園に入学しチームルイの新加入メンバーとしての自己紹介で堂々と宣言する。アドマイヤのウマ娘の大半はチームルイとチームルイデの2つのチームに所属している。

 

 チームルイにはかつて日本ダービーに勝利したアドマイヤベガが在籍し、現役にはアドマイヤベガと同世代で朝日杯FSに勝利したアドマイヤコジーンが居る。

 チームルイデにはかつてオークスに勝利したコスモドリーム、桜花賞とオークスに勝利したベガが在籍していた。

 どちらも曾祖父が懇意にしているトレーナーのチームであり、両チームともトレセン学園でも有数のチームである。

 

 アドマイヤマックスは親方を中心として纏まったアドマイヤというコミュニティが好きだった。

 ワンマンなところがあるがその剛腕と呼べるようなパワーで皆を引っ張る曾祖父を筆頭に、チームルイやチームルイデのトレーナーやスタッフや所属していたアドマイヤのウマ娘達、皆には幼い頃から可愛がってもらった。

 気が良くお互いを高め合えるチームのメンバーや同期のアドマイヤのウマ娘達、皆が纏まりとても居心地が良かった。

 トレセン学園から卒業したウマ娘達はアドマイヤのコミュニティから離れることなく、強い体を作るために必要な食料を提供したり、卒業したウマ娘の就職をサポートしたりと何かしらの形で後輩たちを支援する。それはまるで家族のようだった。   

 トウィンクルレースにはメジロやサクラなどの名門軍団が居るが、それらを追い越しアドマイヤこそ日本一の軍団にするという夢を抱いていた。

 

「もう1本行きましょう!まだやれますよ!」

 

 アドマイヤマックスはへたり込んでいる年上のチームメイトに声をかける。つい先ほど千切られたのにキラキラとした目で語り掛けてくる。その視線にマックスには敵わないとチームメイト達は立ち上がり、スタート地点に戻っていく。

 

「どうだ、アドマイヤマックスの調子は?」

 

 スタンドで様子を見ていたトレーナーに親方が声をかける。

 

「良いですね。能力も同期の中では頭1つ抜けていますが、何よりも人間性です。皆がアドマイヤマックスに不思議と引っ張られて、既にチームの中心になりつつあります」

「そうか」

 

 親方は言葉を聞き満足げな表情を浮かべる。アドマイヤマックスが幼き頃から既に一目を置いていた。

 幼き頃から身体能力は高かったが、評価していたのはトレーナーと同じようにその人間性だった。

 周りに気を配り皆を引っ張るリーダーシップ、アドマイヤのウマ娘のなかでもトレーニングの厳しさや壁にぶつかり早々にレースの道を諦める者も少なくない。アドマイヤマックスはそんなウマ娘達に声をかけ励ましていく。

 マックスとなら頑張れる。マックスと一緒に走りたい。アドマイヤマックスの世代は落伍者が最も少ない世代となり、いつしかアドマイヤの同世代の中心的存在になり皆が慕っていた。

 

「みんな頑張っているか?」

 

 トレーニングが終わりチームルームに曾祖父が訪れる。するとチームメイト達の表情はパッと明るくなり挨拶する。曾祖父もそれぞれのウマ娘に声をかけていき、アドマイヤマックスに声をかける。

 

「どうだトレセン学園は?」

「凄い世界です。同期ではトップクラスでしたけど、チームの皆も信じられないぐらい速くて」

 

 アドマイヤマックスは弱気な言葉を吐く。だが表情は嬉しさを滲ませ生き生きとした表情をしていた。

 

「コジーンも前走は惜しかったな」

 

 曾祖父は最後に葦毛のウマ娘に声をかける。アドマイヤコジーン、チームルイの中で唯一GIに勝利しているウマ娘である。

 

「別に」

 

 和やかな雰囲気が一転凍り付く。アドマイヤコジーンは腕を組み明らかに不機嫌な表情を見せている。親方は全員が何らかしらの世話を受けて、頭が上がらない人物だ。

 特にアドマイヤコジーンはチームの中で1番付き合いが長く。決してこのような態度を取らないはずだった。親方は怪訝な表情を浮かべながら話を続ける。

 

「次は必ず勝てる」

「別に」

 

 再び拒絶するような言葉、チームメイト達は一斉に親方に視線を送る。この人は唐突にスイッチが入って激怒するタイプであり、青筋を立て明らかにスイッチが入る寸前だった。

 

「冗談だって、これはあのお騒がせ女優の真似だから、ワイドショーとか見てない?」

 

 アドマイヤコジーンは不機嫌な表情から一転、人懐っこい笑顔を見せ親方に近づき抱き着く。それを見て親方は呆れた様子を見せる

 

「冗談にしては笑えんし、それも知らん。あと1秒遅かったら説教喰らわしていたぞ」

「そう?もっとアンテナ張らないとダメだよ。皆は笑いを堪えるのに必死だったでしょ?」

 

 アドマイヤコジーンは親方の頬を人差し指で突きながら皆の方に向く。

 

「全く笑えないっすよ。険悪な雰囲気になって心臓がキュッと痛みましたし、その真似も面白くないっすよ。それに毎度毎度笑いを取りに行くの止めてください。いつもダダすべりじゃないですか。あとTVのインタビューの時にアブトニックつけて笑いをとろうとしてましたけど、スタジオはヒエッヒエでしたよ。オンエアー見ました?」

「うるさい、それは周りがアタシの笑いを理解してないだけ」

「なに尖った腐り芸人みたいなこと言ってんですか」

 

 場の空気は一気に緩み皆がクスクスと笑い、トレーナーや親方すら威厳を保とうしながらも堪えきれず口角が上がっていた。

 アドマイヤコジーンは常におどけて空気を和やかにするチームのムードメイカーだ。だがトレーニングの時にはピリッと引き締まり、オンオフができる人間だった。

 暖かく尊敬できるトレーナー、普段は優しくて愉快だがトレーニングの時は厳しく切磋琢磨し合えるチームメイト達、そしてチームメイトやトレーナーを家族のように迎えて接してくれる曾祖父。改めてアドマイヤというコミュニティの素晴らしさを実感する。

 恵まれた環境でメイクデビューに向けてトレーニングをするなかで小さいなしこりのような不安が宿っていた。

 

 周りのアドマイヤのウマ娘達、そして1番の友達であるアドマイヤドンは持っていて、自分には持っていないものがあった。それは憧れである。

 1番多いのは日本ダービーに勝ったアドマイヤベガのようになりたいと憧れているウマ娘だった。アドマイヤドンも反発しながらも何だかんだ姉を尊敬している。

 他にはシンボリルドルフ、ナリタブライアンなど3冠ウマ娘など著名なウマ娘を憧れのウマ娘をあげていく。

 そのウマ娘達に共通するのは目の輝きだった。キラキラした目で憧れのウマ娘の名前をあげ語っていく。皆は憧れがあり自分には憧れる存在が居ない。憧れは人を強くして、それを持っていない自分は強くなれないかもしれない。その事に対して次第に不安が増していく。

 

 ある日曾祖父と顔を合わせたので思い切って相談した。自分には憧れのウマ娘が居なく、その気持ちがまるで分からない。すると曾祖父はこう答えた。

 憧れはその人物に成りたい近づきたいという願望であり、その願望は人にエネルギーを与え、その憧れが昇華し憧れを超えたいというエネルギーにもなる。

 また憧れは道しるべであり憧れを手本にして模倣しようと歩むことは成長を促す。憧れの存在はいたほうが良いかもしれない。

 それから多くのウマ娘の映像を見て調べ憧れのウマ娘を探した。周りの期待に応える為に強くなるために。だが誰1人とも心動かし憧れを抱かせることはなかった。

 

 夏が過ぎ秋を迎え憧れが無い不安は薄れ忘れかけた頃、アドマイヤマックスはメイクデビューを果たす。

 メイクデビュー戦では3番人気ながらも4バ身差と快勝、次のGⅢ東京スポーツジュニアステークスでは1着、次のGIホープフルステークスでは1着のメガスターダムから半バ身差の3着と来年のクラシックの有力候補として注目される。

 そしてチームルイデに所属している同い年のアドマイヤドンはGI朝日杯FSに勝利する。チームルイデは曾祖父が懇意にしているチームであり、スタッフや選手も顔見知りで、実質家族のようなものだ。

 それに一番付き合いの長い親友がGIに勝利した。その勝利に自分の事のように喜んでいた。

 レースに勝てないのは悔しかったが、来年のクラシックではアドマイヤドンと競い合い業界を盛り上げることでアドマイヤの名を世間に知らしめる。これでまた1歩日本一への道が近づく。

 アドマイヤマックスは希望溢れる未来しか見えていなかった。だが現実は決して希望に溢れていなかった。

 クラシック1冠目である皐月賞に向けてトレーニングしているなか故障してしまう。

 右第5中足骨骨折、全治3か月の診断が下され春のレースを全休することになる。つまり皐月賞もNHKマイルも日本ダービーも出走できない。

 

 その報せを受けて曾祖父はトレーナーの元に行き何をやっていると声を荒げる。

 レースに出るウマ娘と怪我は切っても切り離せないものである。どんな名選手も何かしらの怪我をして、引退するまで怪我をしたことが無いというウマ娘はほんの一握りだろう。だからこそ無事之名ウマ娘という言葉があり称賛されるのだ。

 曾祖父もそんなことは分かっている。どんなに人事を尽くそうが怪我をする時はしてしまう。これは一種の天災だ。

 だがアドマイヤマックスがどれだけクラシックのGIに勝ちたいかということが分かっており、その悔しさや無念を思うと声を荒げ誰かに感情をぶつけなければ気がすまなかった。

 アドマイヤマックスは充分だと曾祖父をいさめる。その行動は嬉しく気持ちは伝わっていた。

 

 クラシックの主役候補のウマ娘が春シーズンを棒に振るとなれば大概は落ち込むだろう。だがは落ち込む暇がなかった。

 もし夢が日本ダービー制覇だったら落ち込んでいただろう。だが夢はチームとアドマイヤを日本一にすることだ。

 チームの日本一とはチームメンバーの獲得賞金と勝利数の総合評価であり、アドマイヤが日本一になるということは集団としての強さだ。

 いくら突出した個が居たとしてもチーム1位の勝利数を得ることは不可能であり、集団に属している突出した個が活躍しても集団の強さにはならない。

 マックスの夢を叶える為にはチームメンバーとアドマイヤのウマ娘の活躍が必要不可欠である。シューズ磨き、掃除洗濯、補給食作りの手伝い、トレーナーのデータ整理手伝いなど、出来ることは全ておこなった。

 チームメイトやアドマイヤのウマ娘がトレーニングに集中できる環境を作り、1つでも勝ち星を重ねるために。

 その成果が出たのかチームメイト達やアドマイヤのウマ娘達は勝ち星を重ねていく。

 重賞ではなく条件戦での勝利で世間からは評価されないが問題ない。強いチームとは突出した個が2人や3人居ることではない。多くのウマ娘が勝利を積み重ねるチームだ。

 そして親友のアドマイヤドンはOPレースの若葉OP3着、皐月賞7着、日本ダービー6着と芳しくはなかったが、チームメンバーのアドマイヤコジーンが安田記念を勝利した。

 ジュニア級で朝日杯FSには勝利するも、右足に大怪我を負いボルトを埋める大手術をおこない1年7カ月の休養を強いられ、復帰後も勝てない日々が続いたがそれでも諦めずに走り続け、ついにGIに勝利した。

 いつもはお茶らけている様子とは打って変わって号泣し、出迎えたトレーナーと親方も号泣し抱き合う。その姿を見て観客達は一斉にアドマイヤコジーンの名をコールする。

 1年半以上の長期休養、レースに出走し負けを重ね続けで出口の無いトンネルを彷徨うような日々、普通なら心が挫けてしまう。だがアドマイヤコジーンは耐えた。耐えて足掻きついに再び栄光を勝ち取った。

 不撓不屈のウマ娘アドマイヤコジーン、この日アドマイヤマックスにとって憧れのウマ娘となった。

 

 季節は春から秋に変る頃には骨折は完全に癒えリハビリを経て春先のベストな状態に戻る。

 そして秋初戦GⅡセントライト記念では2着に入り実力の高さを見せる。その走りが評価され菊花賞では2番人気に押される。

 アドマイヤに勲章を持ち帰るために、チームの成績を上げるために、けがの治療やリハビリに協力してくれたチームメイトや親方などの周りの人のために。必勝を誓って臨んだが11着と惨敗した。

 アドマイヤの世代筆頭格と目されたがクラシック無冠、周りは心情を悟らないようにしたが落胆を隠しきれず、アドマイヤマックスも期待に応えられなかったことに落胆した。

 そして次走は芝1800M、GⅢ京阪杯となった。GIに出走できなくもなかったがレベルが高いGIで負けるよりも、GⅢで勝利して落胆しているアドマイヤマックスに自信を着けてもらおうという陣営の狙いがあった。だが結果は3着に終わる。

 僅かに残っていたアドマイヤの世代筆頭格という自負は粉々に砕けた。それに追い打ちをかけるように左足に大怪我を負い、アドマイヤコジーンと同じようにボルトを埋める大手術を行った。

 

 アドマイヤマックスは失意のどん底に居た。自分もアドマイヤコジーンのように復帰できるのだろうか?復帰できたとしてもGIに勝つ力はなくアドマイヤに貢献できないかもしれない。様々な不安が押し寄せるが強引に押し込めて顔を上げる。

 春の時と同じように笑顔を作りチームの為にアドマイヤの為に貢献しなければならないと献身的にサポートを続けた。だが心は確実に軋んでいた。

 それを癒してくれたのは親友のアドマイヤドンであり、憧れの先輩であるアドマイヤコジーンであり、チームメイトやアドマイヤのウマ娘達だった。

 

 アドマイヤコジーンはいつも通りお茶らけて気を紛らわしながらも真剣に親身に相談に乗ってくれ、アドマイヤドンは自分のことで忙しいなか、気分転換として色々な場所に遊びに連れていき、チームメイトやアドマイヤのウマ娘達は無理するな、自分のことを考えろ。今度は皆でマックスを支えると言ってくれた。

 チームルイとアドマイヤのウマ娘達、何て固い絆で結ばれた集団なのだろう。皆で日本一になりたい。いやなってやると改めて決意を固める。

 

 治療に専念し、無理ない程度にチームとアドマイヤのウマ娘を支える日々が続くなか、アドマイヤマックスにとって重大な転機となった1日が訪れる。

 

 年が明け2月になりアドマイヤドンが気分転換にとあるレースを見に行った。そのレース名はダートプライドである。

 アドマイヤドンは菊花賞を走った後ダートに路線変更し才能を一気に開花させ、盛岡で行われたJBCでは8バ身差で大楽勝し、ダート界のホープとして注目を浴びていた。

 今後走る相手の偵察を兼ねて、同日府中レース場のWDTD(ウインタードリームトロフィーダート)でなく大井レース場のダートプライドを見に来ていた。

 

「なんかムカつくんだよな。何か勝手にダート最強を銘打って。アタシ出て無いじゃん」

「じゃあ、出れば?」

「アタシは段取りを踏むタイプなの。しっかり国内統一で誰も文句言えない状態にしてから出るつもりだったのに。まあ海外勢が勝つだろうし、フェブラリーに勝った後にドバイやアメリカに乗り込めばいいか」

 

 アドマイヤドンは未来の栄光を想像しながら意気揚々と語る。ダートプライドは2億円を支払えば誰でも参加できる。参加しなかったのは2億円を惜しんだわけではなく、言葉通り順序をしっかり踏んでから物事をするタイプだから出なかっただけである。

 2人は大井レース場の指定席に移動する。ダートプライドは事前の派手なパフォーマンスで注目を集めており、指定席も倍率もかなり高い。

 だが親方のコネで指定席を確保していて恩恵に預かっていた。そして時間が経ちダートプライドが始まる。

 

「スゲエな……」

 

 アドマイヤドンは出走ウマ娘6人がゴール板を一斉に駆け抜ける姿を見て思わず呟く。

 6人が生み出す熱と想像以上のレベルの高さ、確かにダート最強を決めるレースに相応しいものだった。思わず興奮し周りの迷惑を顧みず立ち上がり無意識に感嘆していた。一方アドマイヤマックスは大粒の涙を流していた。

 直線に入り鼻血を吹き出し涎を垂らしながらアグネスデジタル、その姿は容姿端麗なウマ娘とかけ離れた醜い姿かもしれない。だがあまりにも美しく神々しかった。

 

 アドマイヤコジーンは憧れだ。その不屈の精神と周りを笑顔にする陽気な性格、まさに太陽だ。だがその太陽をアグネスデジタルが塗りつぶそうとしている。

 一言で表現すれば魔性というべきだろう。人を惑わし狂わすような形容しがたい魅力を発し虜にする。

 アドマイヤコジーンとは長い時間を共にした。だがアグネスデジタルは面識も接点もなく赤の他人だ。そんな他人よりアドマイヤマックスのほうが憧れのはずだと理性が叫ぶ。だが本能がアグネスデジタルの存在は肥大化していく。

 

 アドマイヤマックスはレースを終わった直後アグネスデジタルについて調べ尽くす。幸か不幸か怪我はまだ治らず。リハビリも開始してないので時間はたっぷりあった。ツイッターをフォローし、レース映像やインタビュー映像や雑誌の記事等手に入る限りの情報を入手した。

 容姿、言動、考え方、走り方、調べれば調べるほどアグネスデジタルというウマ娘に魅了されていく。 

 人は誰かに憧れると憧れの存在に近づきたい、憧れの存在を超えたいという気持ちが湧いてくる。アドマイヤコジーンには同様の気持ちを抱いていた。だがデジタルに対してはそんな気持ちは欠片も抱かなかった。

 

 超えたい?烏滸がましい。近づきたい?穢れてしまう。

 

 アグネスデジタルに向ける感情は憧れを通り越して崇拝となり、その存在はもはやアイドル、偶像と化していた。

 

 アドマイヤマックスがレースを走る動機はレースに勝ってチームとアドマイヤを日本一にしたいというものだった。だがそこにもう一つの動機が加わる。

 

 アグネスデジタルを感じたい。

 

 崇拝しているが恐れ多くて友達になりたいとも思わないし、話しかけたいとも思わない。トレーニングし友人と語り合う姿を見るだけで充分だ。だがレースを通してその存在を感じるのは許されるだろう。

 スタンドで感じただけで虜にされた魔性の魅力、もっと近くで感じたらどれだけ凄いのだろう?感じたい!味わいたい!

 マックスはアグネスデジタルと言う存在に狂信的に加速度的にのめり込んでいた。

 

 ダートプライドから暫くしてアグネスデジタルが長期休養を発表したが全く落ち込んでいなかった。1流のウマ娘が怪我から復帰したら別人のようになってしまったという事はよく有る事だ。

 だが彼女は違うという確信があった。その魅力は未来永劫であり、魅了されたのはレース中に見せる姿や抱く感情であり、競争能力ではない。

 怪我が癒えはじめリハビリ段階に入ると精力的にメニューに取り込む。アグネスデジタルに相応しいウマ娘になるにはもっと強くならなければならない。周りはチームの為にアドマイヤの為に1日でも早く復帰して活躍しようと意気込んでいると思っていると、その変化に気づいていない。

 マックスはアグネスデジタルへの信仰心を胸に秘め続け誰にも打ち明けなかった。打ち明ければ途端に魅力と神性が失われるような気がした。

 誰にも悟られないようにレース映像やインタビュー記事やメディアに露出した映像を集める。その様子は隠れキリシタンのようだった。

 

 リハビリに励み復帰の目途がたつなかアグネスデジタルがレースに復帰するという報せが届く。かきつばた記念から、かしわ記念か安田記念のどちらかというローテーションを発表した。

 その報せを受けトレーナーに安田記念を走りたいと打ち明ける。過去のレースとトレーニングを通して中距離よりマイルやスプリントの方に適性が有ると感じていた。

 アグネスデジタルは2000メートルを走れ、その舞台で走れば感じることなく千切られるだろう。だがマイルならまだ可能性がある。問題はかしわ記念に行く場合だ。ダートの適性はまるで無く2000メートルで走るより絶望的である。

 そして問題としてデジタルが安田記念に出走したとしても自分が出走できない可能性がある。

 1年以上の長期休養していたせいでポイントが加算できず弾かれる可能性があった。それならばレースに走りポイントを加算すればいいのだが、トレーナーや医者の見立てでは本調子に戻るのは安田記念頃である。

 そこで安田記念を走らず別のレースを走り次に備えるという考えもあるが、アグネスデジタルがマイルのレースに走るという保証はない。何より1秒でも早く一緒に走りたいという気持ちが抑えきれず安田記念という選択肢以外なかった。

 

 どうか!どうか安田記念に出走してください!安田記念に走らせてください

 

 アドマイヤマックスは今まで見向きもしなかった神に毎日祈り続け、誰にもバレないように水垢離もおこない、マイル路線を走るウマ娘の動向を見守る日々が続く。

 復帰に向けてのトレーニングと祈りの日々が続くなか、かきつばた記念の日を迎える。

 生で見られる機会を逃すわけにはいかない。授業をサボり外泊申請を出さず無断で学園を出て徹夜で名古屋レース場に並び、開門ダッシュでパドックが一番よく見られる最前列を確保し、他のレースやウマ娘達のパドックに目をくれずデジタルの登場を待ち続けた。

 初めてアグネスデジタルの姿が生で見られる。さあダートプライドと同様の煌めきと神々しさを見せてくれ。心臓がバクバクと脈打ち期待感で息は弾む。

 そして姿を現し、他の客達は一斉に写真を撮り歓声を上げる。だがアドマイヤマックスは愕然としていた。

 

 何だこれは?これがアグネスデジタルか?

 

 ダートプライドの時や画面越しで伝わったドバイワールドカップやクイーンエリザベスCの時のような魅力も煌めきも神々しさもまるでない。目の錯覚だと激しく目を擦った後見てもその姿は同じだった。

 アドマイヤマックスはパドックから即座にレース場の最前列に向かう。陣取ってカメラを構えていた男性を押しのける。その無法さにカメラを構えていた男性は勿論周りの人間も非難の目線を向けるが思わず即座に目を逸らす。

 その目は血走り明らかに関わってはいけない雰囲気を醸し出し文句を言えば何をされるか分からない危うさがあった。

 あれは自分の錯覚だ。もしくはレースに入れば一気に変わり身し輝きと神々しさを見せてくれるはずだ。神様どうかお願いします。私のアイドルを、偶像を奪わないでください。

 アドマイヤマックスは手を組んで何度も神に祈る。だがその祈りは届かなかった。

 レースを走る姿はあまりにも凡庸だった。そこに居たのは理想の偶像ではなく取るに足らないウマ娘だった。

 その場で崩れ落ち涙を流す。アグネスデジタルはもう2度と輝きと神々しさを取り戻せない。彼女は偶像ではなくなった。

 周囲の目を憚らず大声で泣く異様さに周りの人は誰も声をかけることができなかった。それは大怪我をした時以上の絶望と落胆だった。

 

 レースが終わった後の記憶はまるでなく気が付けば電車に乗ってトレセン学園に帰っていた。

 死んだような目で車窓の景色を眺め続ける。アグネスデジタルという偶像は死んだ。もうトレセン学園に戻って練習風景やツイッターやインタビューを見て何も感じない。

 今やアドマイヤマックスにとって走る目的はアグネスデジタルを感じることが最も大きく占めていた。

 確かに以前のようにチームとアドマイヤを日本一にしたいという感情はあるが、以前より萎んでいた。厳しいトレーニングに耐えられたのもアグネスデジタルを感じたいという一念が大きかった。

 以前のようにチームの為にアドマイヤの為に走るか?その動機で走れることは走れるがレースに勝つことはできず目的は達成できないだろう。

 目標が見いだせない。いっそのこと引退して学園を去るか?半ば自暴自棄に陥っていり始めていたがふとあるアイディアが思い浮かぶ。

 アグネスデジタルという偶像は死んだ。だが偶像は確かに存在した。ダートプライドで見せた輝きと神々しさは本物だった。あれこそまさに理想の偶像だ。

 ならば死んだ本物ではなく、その理想を再生させ感じればいい。名づけてアグネスデジタル再生計画。

 アドマイヤマックスの目に強大で妖しい生命力が宿った。

 

 学園に帰るとトレーナー等からの叱責が待っていた。授業とトレーニングの無断欠席に無断外泊、これだけで停学になってもおかしくはなかった。

 説教を受けるが完全に心ここにあらずだった。頭にあるのは理想の偶像を再生することのみで、反省も後悔も申し訳なさも欠片もなかった。

 

 そしてアグネスデジタル再生計画が始まった。この計画は現実のアグネスデジタルに輝きを取り戻させるのではない。自分の脳内で理想のアグネスデジタルを作り上げることだった。

 アドマイヤマックスは早速揃えるだけの映像や情報をかき集める。絶望の淵から見えた光明、その先には輝かしい未来が有ると信じて疑わず計画を進めていく。だがこの計画は想像以上に困難を極めた。

 アグネスデジタル再生計画は意中のウマ娘を想像し感じるというアグネスデジタルのトリップ走法と一緒の原理だった。

 姿形、匂い、触感、思考、それらを完全に想像し精巧なイメージを作り上げるということは並大抵なことではない。

 さらにレース中という体力や思考能力を極限まで駆使するなかでイメージを作り上げる。それはもはや人間業ではなく、世界中のどんな名選手と呼ばれたウマ娘でも出来ない。

 あるTV番組の企画でアグネスデジタルの体を調べるとある結果が出た。姿をイメージする想像力の中枢である前頭葉が他の1流と呼ばれるウマ娘より明らかに発達していたのだ。

 だがトリップ走法はそれだけでは完成しない。圧倒的なウマ娘への執着とそこから生まれる観察能力もなければならない。

 そういった意味でアグネスデジタルというウマ娘は天才であり怪物であった。そしてアドマイヤマックスは異常な執着もなく、前頭葉も人並みだった。

 ダートプライドの時のアグネスデジタルをイメージしようとも姿ぼやけていく。

 そんなはずはないと何度も映像や情報を集めイメージするが、蜃気楼のようにぼやけていく。平常時でこれならばレースの時では到底イメージを構築することができない。

 

 もう理想の偶像には2度と会えないのか?

 

 アドマイヤマックスは自分の不甲斐なさと理想の偶像に会えない事実を突きつけられ、部屋の中で1人大粒の涙を流した。そして絶望に沈む中もう1人の自分が語り掛ける。

 

 お前のアグネスデジタルに対する執着や愛はその程度なのか?できるまでやり続けろ。

 

 その言葉に従うように涙を拭き再びイメージの構築作業を始める。

 その日からアグネスデジタルに全ての時間を注いだ。授業やチームのトレーニングに参加せず、部屋に引き籠り寝食を忘れアグネスデジタルを想いイメージを構築し続ける。途中で意識を失っても起きれば再び繰り返す。

 確かにマックスにはデジタルのようなウマ娘への執着はない。だがデジタルに対する執着があった。

 デジタルは複数のウマ娘に執着しイメージを構築する。だがマックスはデジタルだけに全ての執着を注ぎ込んだ。

 そして1週間が経ち現実と想像の境界線が曖昧になり始めたころ、理想のデジタルが完成する。姿形、匂い、触感、思考、全てが鮮明に再現されていた。

 人にはどう鍛えても超えられないものがある。いくら努力しても身長が2メートルになれないように、デジタルのように前頭葉を発達させイメージを構築するのは無理だった。それは無慈悲なまでの残酷さだ。

 だがマックスの妄信的とも呼べる執着と情熱が不可能を可能にした。情熱が残酷を超えた瞬間だった。

 理想のイメージに満足するなか、すぐに気を引き締め部屋から出てコースに向かう。これはまだ第1段階を達成したに過ぎない。真の目的は走っている最中に理想の偶像を再現し感じることだ。

 

 久しぶりに姿を現したアドマイヤマックスにチームメイトやトレーナーは声を掛けようとするが、思わず声を失う。

 アドマイヤマックスはどんな時でも周りを引き上げるリーダーシップの持ち主だった。先輩や同級生に声をかけ励まし、真剣にトレーニングに打ち込む姿にチームを引っ張られていく、その姿はチームのリーダーだった。

 だが今はその面影は欠片もない。目が虚ろで何か妄執に囚われているような狂気を帯びていた。

 マックスはトレーナーの指示を無視して1人で走り続けた。目的はどんな状態でもダートプライドの時のデジタルをイメージし追いつくこと。ウッドチップ、坂路、芝コース、あらゆる場所で走った。

 そして走った後はシャワーすら浴びず部屋に直行してイメージの構築作業に移る。

 平常時にイメージを構築できたとしても油断してはならない。アグネスデジタルのような天才ならともかく、アドマイヤマックスでは少しでも想像しなければ忽ちイメージは霧散してしまう、日に6時間以上のイメージ構築は欠かせなかった。

 部屋でイメージ構築してその後トレーニングをする。日々はそれの繰り返しだった。

 もう何もいらない。理想の偶像さえあればそれでいい、全てを捧げるように日が経つごとに人間性を削ぎ落していく。その姿は神に全てを捧げる殉教者のようだった。

 




登場人物にアドマイヤマックスを追加しました

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