勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と慈悲#6

 6月1週の日曜日、夏が近づいているのを実感させられるように気温が上がり、ほとんどの観客は薄着で額や腕にはうっすらと汗をかいていた。

 NHKマイルC、オークス、日本ダービー、春の東京開催で行われたGIレース、そこでも例年と同じように多くの名勝負が生まれた。そして東京開催のGIレースの最後を締めくくるのが安田記念である。

 春のマイル王を決めるレースこの1戦にはマイルの猛者はもちろん、スプリンターのウマ娘も果敢に挑み幾多の名勝負が生まれ、その熱戦を期待するように多くの観客が集まっていた。

 スタンドの3階にあるスペース、そこにはパドックの周りを囲むファンの姿が見下ろせると同時にパドックを歩くウマ娘の姿も見える場所であった。

 パドック最前列は取られたがせめてウマ娘を見たいというファン達が集まり、目を凝らし双眼鏡を構えながらパドックを待つ。そのファンの中にオペラオーとドトウが居た。

 あのオペラオーとドトウが何故こんな場所に居る?ファン達はチラチラと横目で見ながらもパドックに目線を向ける。

 声をかけたりサインを求めたい、だが彼女達はプライベートで来ているのであって、できる限り邪魔はしたくない。その奥ゆかしさが行動を踏みとどまらせていた。

 

「こっちこっち」

「お久しぶりです」

 

 2人は誰かの存在に気づいたのか手を振りその人物を招く。ファン達も手を振る方向を見て思わず目を見開く。

 アドマイヤベガ、テイエムオペラオーとナリタトップロードの3強対決と呼ばれた日本ダービーを制した世代の一等星、引退後はメディアにも顔を出すことがなかった。そのアドマイヤベガがオペラオーとドトウと一緒に居る。それはファンにとってたまらない光景だった。

 

「久しぶりだね。アヤベさん。元気にしてたかい」

「ええ、そっちも元気そうね。貴女が出演していたドラマ見たわよ。見事なコメディリリーフだった」

「当然、ボクほどの名女優ならなんでもできるのさ」

 

 オペラオーはハッハッハと胸を反りながら高笑いする。アドマイヤベガはその様子を呆れながら懐かしむように見つめる。

 

「ドトウも久しぶり、大学はどう?」

「課題や実習が大変ですけど、何とかやってます」

 

 ドトウとアドマイヤベガは軽く世間話をかわす。オペラオーの時とは違いアドマイヤベガは柔和な笑顔を浮かべていた。

 

「しかしこうしてレース場で顔を合わすなんていつ以来だろうね。アヤベさんはレース場には足を運んでいるのかい?」

「テレビでは見ているけどレース場にはそんなに、妹のレースは見に行くぐらいで、府中に来たのもフェブラリーステークス以来」

「ああ、アヤド君か。まさに砂の首領に相応しい活躍だね。姉として鼻高々じゃないのかい?」

「まあ今じゃドンがアドマイヤベガの妹じゃなくて、私がアドマイヤドンの姉になったけど」

 

 アドマイヤベガはフッと自虐的に笑みを浮かべるがどこか嬉しそうだった。

 

「それであとアヤコは」

「さっきまで一緒に居たからそろそろ来ると思うけど」

『ボクのことを呼んだかい?』

 

 背後からオペラオーの声が聞こえてくる。瞬間的に横を振り向くとオペラオーは隣に居る。なら後ろの声の主は誰だ?

 確認しようとする前にドトウとアドマイヤベガの肩に手が回る。2人は動揺しながらも後ろを向きながら姿を確認する。

 アドマイヤベガはあきれ顔でドトウは戸惑いの表情を浮かべる。後ろから手を回したのはアドマイヤコジーンだった。

 だが髪は灰色ではなく栗毛で、耳には黄色と緑色のイヤリングをやたら付け、頭には巨大なピンク色の王冠が乗っていた。

 

「コジーン、なにやってんの……」

「お久しぶりです。アヤコさん」

『ボクこそ絶対無敵空前絶後の世紀末覇王ことテイエムオペラオーさ!さあドトウ!首を垂れて敬いたまえ!ついでにジュースを買ってきたまえ!』

 

 アドマイヤコジーンは大仰な動作を混じえながらオペラオーを真似し、ドトウは思わず吹き出す。

 これはアドマイヤコジーンの物まねネタの1つであり、ドドウはいつもこのネタで大笑いしていた。

 

「ハッハッハ、流石アヤコ、世代きってのエンターテイナーだね、いつでも場を和ませ賑やかにすることを忘れない。見習いたいものだ」

『ハッハッハ、ならボクの元で修行したまえ、当代きってのコメディアンにしてあげよう』

 

 オペラオーの賛辞にアドマイヤコジーンはオペラオーの物まねで応える。2人の高笑いは響き観客達は変人を見るような怪訝な顔でやり取りを見つめていた。

 

「ということで久しぶりオペラオー、元気にしてたか」

「久しぶり、その様子を見る限り元気そうだ。それは忘年会で使った小道具かい?」

「ああ、昔を懐かしんでもらおうと思って押し入れから引っ張ってきた」

 

 アドマイヤコジーンは巨大な王冠とかつらを外すと灰色の髪が現れる。

 自分達を楽しませる為に小道具を用意する。オペラオーは周りを楽しませようするその姿勢と行動には感銘を受けていた。

 

 4人はパドックにウマ娘が現れるまで旧交を温めるように雑談を交わす。集まったきっかけはアドマイヤコジーンだった。

 アドマイヤベガと2人で安田記念を見る約束を交わし、アグネスデジタルが出走するのであれば友人であるオペラオーとドトウも見に来るだろう予想し誘っていた。

 

「2人がこのレースを見に来たということはアドマイヤマックスさんの応援ですか。同じアドマイヤでチームの後輩ですからね」

 

 ドトウは何気なく口に出したその言葉を聞いた2人の表情に影が差す。

 

 突如豹変し、アドマイヤと離縁しチームを移籍した元後輩。アドマイヤベガの胸中に抱くのはチームとアドマイヤから離れたことに対する怒りと、チームとアドマイヤから離れてまで手に入れようとしたものが何かに対する興味。

 アドマイヤコジーンの胸中に抱くのは大切なものを捨ててまで進んだ道の先にあるものは何かという興味と、待ち受けているかもしれない不幸への不安と、自分を慕ってくれた後輩の幸福を願う祈りの心だった。

 

『間もなく安田記念のパドックを開始します』

 

 アナウンスが流れると同時に観客達はパドックに視線を向け、4人も同様に視線を向ける。

 オペラオーとドトウはふとアイドマイベガとアドマイヤコジーンを見る。その横顔は只レースを見に来たファンとは思えないような真剣な表情をしていた。

 パドックでは最低人気のウマ娘から順に入場していく。念願のGIに出走し初めて勝負服に袖を通す喜びを噛みしめているのか、感極まって涙を浮かべているウマ娘も居た。

 観客達はそんなウマ娘達に温かい目線と声援を送り和やかな雰囲気に包まれる。

 

『10番人気、8枠16番アドマイヤマックス選手です』

 

 アドマイヤマックスが現れる。勝負服は青と白を基調にした修道服のようなデザイン、心臓には杭のようなものがついて、ひまわりの花が貫かれている。

 姿を現した瞬間と和やかな雰囲気は掻き消される。虚ろでどこを見ているか分からない瞳でパドックを歩く。その発する空気は何故か人を不快にさせ不安を掻き立てる。

 気合が入っている、調子が悪そう、パドックを見れば心理状態や体の調子は観客でも最低限は分かる。

 だがアドマイヤマックスからは何も分からない。調子が良いのか悪いのかすら分からず、ただ気持ち悪い怖いという不快感が観客の心を満たしていた。

 

「オペラオー、ドトウ、マックスをどう見る?」

 

 アドマイヤコジーンは一挙手一投足を見逃さまいと目を見開き観察しながら質問する。その雰囲気は先程までお茶らけていたコジーンとは別人だった。

 

「ここから見ても異様だとは分かる。怒りや怨嗟とも違う感情が彼女に渦巻いている。勝ちたい負けたくないという感情でもない何かだ」

 

 オペラオーは感じたものをそのまま言葉にする。現役時代は勝ち続けたことで憎い妬ましいと負の感情をぶつけられることがあった。

 だが断言できる。アドマイヤマックスが抱いている感情はそれではない。遠くから離れたこの場所でもはっきりと分かる。今までに見たことが無いタイプのウマ娘だ。

 ドトウもオペラオーの意見に同調するように頷く。他のウマ娘とは明らかに違う何かを纏い、それに対する恐怖を感じ寒気が過る。

 もし同じレースに走るとしたら平常心を保てるだろうか。このレースを走るウマ娘達に同情する。

 その意見を聞きアドマイヤベガとアドマイヤコジーンの表情が僅かに歪む。

 最後に生で見たのは菊花賞だった。あの時は少しだけ気負いながらも真っすぐに向き目に光が宿っていた、その姿は自然に応援したくなる暖かさがあった。

 だが今は違う。光が宿っていない虚ろな目をして、異様な空気を纏い周囲の人々を慄かせる。かつての面影は欠片もなくもはや別人だった。

 

 アドマイヤコジーンは別人と化してしまった後輩を見つめているとあることに気づく。心臓部分に飾られている花が違う。

 以前走った菊花賞では紫の花と白い花が飾られていた。花については詳しくなく、マックスに何の花か聞いたが結局教えてくれなかった。

 これは何かの意味が有るのだろうか?コジーンは思考巡らすなかパドックは続いていく。

 

『4番人気、2枠3番アグネスデジタル選手です』

 

 デジタルが現れた瞬間大きな声援があがる。かきつばた記念に敗北し多くのファンを落胆させ、本来ならばもっと人気も落としても不思議では無かった。

 だが数々の常識を打ち破ってきた破天荒さと何かを起してくれるという期待感を抱いたファン達が4番人気迄押し上げていた。

 

「流石デジタルさんです。見事に仕上げてきました」

「ああ、太目残りも見られない。前走は余裕残しの仕上げだったのだろう。ベストな状態と見て間違いない」

 

 オペラオーとドトウはデジタルの姿を見て満足げに頷く。肌つやも良く動きもキビキビして、表情もレースが待ちきれないと生き生きしている。

 万全の仕上がりと言っていいだろう。だが無意識に物足りなさを感じていた。

 ダートプライドの時の締まりのない顔に覚束ない足取りでパドックを歩く姿、それはパドックで恥ずかしくない姿を見せるという意識すら忘れ、神経を研ぎ澄まし出走ウマ娘を感じようとした結果である。

 その姿は不安を掻き立てると同時に常識外れのスケールと期待感があった。だが今はその時に感じたものが無かった。

 その後は3番人気ダンツフレーム、2番人気テレグノシス、1番人気ローエングリンがパドックに登場する。古豪復活、ニューヒロイン誕生、遅れてきた天才の活躍。それぞれのファンが思いを乗せて声援を送る。その声援の大きさはデジタルに勝るにも劣らないものだった。

 

 パドックが終わり出走ウマ娘達はトレーナーの元に駆け寄り言葉を交わす。パドックで得た情報を元に作戦の変更、レースに向けて激励の言葉を送るなどこの僅かな時間でとった行動がレースの勝敗を左右することもある。

 

「アグネスウイングが言ったことは満更ウソやなさそうやな」

 

 トレーナーは苦笑交じりで思わず呟く。アグネスウイングの様子を見てある程度アドマイヤマックスについて予想していたが、その姿は予想を遥かに超えていた。

 あの心をかき乱す異様な雰囲気、アグネスウイングは妖怪や化け物と言っていたが思わず頷いてしまう程だ。

 このレースで1番の存在感を示したのは間違いなくアドマイヤマックスであり、各陣営にその存在は刻まれた。

 そして厄介なことに強いか弱いか分からないのだ。これ程の存在感を示すウマ娘が居れば普通なら強敵でありマークする対象になる。

 だがアドマイヤマックスに関しては強さというより異様さや不気味さに注意がいってしまう。

 各陣営がとる行動は2つ、その存在感を警戒してマークするか、異様さと不気味さを恐れて関わらないでレースを進めるかだ。

 

「部屋でもあんな感じだったのか?」

「流石にあそこまでビンビンじゃないけど、だいたいあんな感じかな」

「よう一緒に暮らせたな。あんなのが一緒の部屋だったら俺なら逃げるぞ」

「分かってないな。あの雰囲気が良いんだよ」

 

 デジタルはグフフフと顔をニヤつかせる。相変わらずウマ娘に対する執着と嗜好の広さと受け入れられるキャパシティの広さだ。改めて畏敬の念を抱く。

 

「それで白ちゃんのパドック診断でのおススメは?」

「良い意味でも悪い意味でもアドマイヤマックスやろ。あんな存在感あるウマ娘はそうはおらん」

 

 トレーナーはアドマイヤマックスの存在感に引きつられるように視線を向ける。あれは他のウマ娘とは見ているものや目指しているものが違う。

 勝ちたい。3着以内に入りたい、掲示板に入りたい、自分が持てる精一杯を出せればいい等の一般的なものを目指していない。もっと独自で周りが理解できないものを見て目指している。

 それが異様さを醸し出している1つの要因なのだろう。だがその異様さはどこか既視感があった。トレーナーは記憶を掘り起こし思い出す。するとあるシーンが浮かび上がる。

 ダートプライドのパドックで顔は半笑いで目線は定まらず、歩く姿はどこかフラフラと歩く姿、あれはダートプライドに出走するウマ娘に向けて感じようとした結果で、全ての意識を向けパドックでの見栄えなどの外聞を完全に忘れていた。

 その時はデジタルの心理を理解しながらもどこか異様さを感じていた。その異様さはアドマイヤマックスに通ずるものがあった。

 

「どうしたの?アドマイヤマックスちゃんに熱視線送って」

「いや、デジタルとアドマイヤマックスが似ているなって思ってな」

「そう?あんなに可愛くないし、ゾクゾクさせてくれるような感じもないけどな」

「相変わらず自己評価低いな。それで今日の推しは誰や?アドマイヤマックスか?」

「アドマイヤマックスちゃんも良いけど、ローエングリーンちゃんやテレグノシスちゃんやダンツフレームちゃんとかも良い。強いて言うなら皆かな」

 

 デジタルは今までは対象を決め深く感じようとした。今日のレースでは感覚を目一杯広げ、より多くのウマ娘を感じようと思っていた。

 

「なら道中は内にポジションを取れ、今日は内が思ったより荒れとらんから他のウマ娘も集まるはずや。道中はロスなく内を回って直線は4分どころに出ろ」

 

 トレーナーの指示はデジタルが勝利するためのものではない。密集すれば他のウマ娘を感じやすく。4分どころを通るのが最も速く、前を行くウマ娘にも追いつける可能性が増えるからである。

 

「なるほど、でも白ちゃんが考えるってことは他のウマ娘ちゃんも同じこと考えてるかもしれない。それだと密集して前が開かない可能性もあるんじゃない」

「前が開くのを祈るんやな。開かなかったら諦めろと言いたいところだが、そこは自分の引き出しを開けまくってなんとかしろ。ベテランなら色々あるやろ」

 

 1つのレースを通して数多くの駆け引きや攻防が行われる。より良いポジションを取る。直線で蓋をして相手を閉じ込める。それはレースを走った者だけが体験し会得できるもので、レースを走らないトレーナーには習得できない。

 つまりトレーナーには今日のレースで直線に入り蓋をされないように走る技術や駆け引きの方法を教えられない。そのことに歯がゆさを覚えていた。

 

「そこは人任せなんだ。まあ何とかするよ」

「何とかすると言ってもトリップ走法使って外ぶん回すとかは無しやぞ。もしやったら即引退させる」

 

 トレーナーは険しい表情を見せながら入念に釘を刺す。トリップ走法は医者からするなと通告されている。

 デジタルは我欲の為なら自分の身など顧みず、いざとなったら躊躇なく使おうとするだろう。それは何としてでも止めなければならない。

 デジタルの現役生活を無事に全うさせ、両親の元に無事に帰す。それがトレーナーとしての責務である。

 デジタルもトレーナーの心中を察したのか真面目な表情で返事した。

 

「よし!レースを楽しんでこい!」

 

 トレーナーは険しい表情から一転して明朗な笑顔を浮かべながら送り出す。デジタルも行ってきますと告げながらスキップ交じりで地下バ道に向かう。

 願わくはデジタルがウマ娘を存分に感じ、プレストン達のように興味を抱くウマ娘が現れるようにと祈った。

 

 アドマイヤマックスは地下バ道を歩いていく。緊張も不安も何もなく心が実に軽い、こんな感覚はレースを通して初めてだ。実に清々しい気分だ。

 マックスの前には其々の想いを秘めながらコースに向かうウマ娘が居る。だが視界にも意識にも入っていなかった。いよいよ今日この場でアグネスデジタルという理想の偶像が再生する。

 さあどんな興奮と快感を与えてくれる。訪れるであろう歓喜の瞬間を想い浮かべ無意識に笑みを零していた。

 

 

「よしスタンドに戻るか、早く行かないと開門ダッシュしてまで取った席に座れなくなるぞ」

 

 コジーンが先導し4人はスタンドの観客席に向かう。観客はパドックが終わるとスタンドの通路で立ち見のスペースを確保や自分の席に向かうと一斉に移動する。

 そうなると人口密度は一気に増し通路も人で一杯になり、かき分けながら移動しなければならず4人もすみませんと声をかけながら席に向かう。

 

「これがあるからパドックを見るのを躊躇うんだよな」

 

 コジーンは席に着くとため息交じりで愚痴をこぼす。今日は何とか席に戻れたがダービーや有マ記念だともっと観客が多い。

 その結果席に戻れず、現地に居ながら自分の目ではなくパドックの近くにあるモニターでレースを見なければならないという悲しい出来事も起こる。マックスもかつて同じ経験をしたことがあった。

 

「ドトウ、オペラオー、ベガ、この花は何か分かる?」

 

 コジーンは携帯電話の画面を2人に見せる。そこには勝負服を着たマックスの心臓部分が拡大された画像が映っていた。

 菊花賞の時と今日の勝負服に飾れている花の違いが妙に引っかかる。花の種類が分かれば何か分かるかもしれないという期待があった。

 

「これは、紫陽花とカスミソウだと思います」

「その紫陽花とカスミソウがどうしたんだい?」

「前回のマックスは菊花賞の時に心臓部分に紫陽花とカスミソウを飾っていた。でも今日はヒマワリを飾っていた。何か意味があると思ってさ」

「コーディネートの一種じゃないか?紫陽花とカスミソウは丁度その時期に咲いて、今は時期じゃないからとか」

「紫陽花は6月~7月でカスミソウは5月~7月みたいです」

「それだと今日のレースにつけてないとおかしい」

 

 4人は意見を出し合うがマックスが花を変えた理由を導き出せなかった。

 

『東京レース場、今日のメインレース、11レースは安田記念GI、芝1600メートル、芝コンディションは良です。春のマイル王を決める戦いに挑む優駿18人が入場してきます』

 

 場内実況の声が聞こえると同時に観客達から声が上がる。4人も思考を一旦やめコースに入る出走ウマ娘に視線を向ける。

 

『GI5勝馬にして初代ダートプライド覇者、芝砂不問の帰ってきた豪傑、さあ!もう一度皆を驚かせてくれ!常識外れの勇者!2枠3番アグネスデジタル!』

 

 デジタルがコースに現れると一段と大きな歓声が上がる。だが観客に視線を向けることなく前後左右に首を振りウマ娘を見つめる。その様子にオペラオーとドトウは相変わらずだと笑みを零す。

 

『長いトンネルからついに脱出しました。皐月とダービーで2着にして宝塚記念優勝ウマ娘!前回2着の借りは今年で返す!復活の古豪!4枠7番ダンツフレーム!』

 

 アドマイヤコジーンは闘志を漲らせながら駆けるダンツフレームにエールを送る。

 安田記念を制覇した時の2着がダンツフレームだった。あの末脚はヒヤヒヤさせられ今でも思い出せる。一緒のレースに走った縁として好走を期待していた。

 

『勢いは出走メンバーで最もあります。遅れてきた天才がGIに帰ってきました。騎士道は逃げも隠れもしない正攻法で、4枠8番ローエングリン!』

 

 本日の1番人気というだけあってこの日1番の歓声があがる。

 ローエングリンも動じることなく威風堂々とした姿で声援に応える。クラシック級で重賞未勝利ながら挑んだ宝塚記念では3着と素質の高さは誰もが認めていた。

 菊花賞は惨敗するもマイルに舞台を移し連戦連勝、本命不在のマイル路線においての王者の誕生を期待していた。

 

『長期休養明けの復帰戦がこの舞台です。勝てばトウカイテイオーの休養明け最長記録更新です。奇跡を見せるか!?8枠16番アドマイヤマックス』

 

 10番人気だけあって声援は疎らだった。だがその理由は人気の低さによるものではない。

 アドマイヤマックスが発する異様で不気味な雰囲気は観客席にも届いていた。その怪しげな雰囲気に有る者は目を背け、有る者は魅入られるように視線を向ける。

 だが当人に観客の声援と熱気も出走ウマ娘の想いや熱が届かない。完全に自分の世界に入り込み、数分後に訪れる至福の時間に胸を躍らせていた。

 

『前哨戦ではかつての豪脚を完全に取り戻しました。末脚はメンバー随一!クラシック級マイル王の目には勝利への道筋は見えているのか!?8枠18番テレグノシス』

 

 テレグノシスは緊張した面持ちでターフをかける。NHKマイルでは1番人気のウマ娘の進路を塞いで審議対象になってしまった。

 結果は降着無しで1着、結果が出た以上はそれ以上でもそれ以下でもない。だが会場に包む後味の悪さはしこりとして残り続けていた。

 同じ舞台で誰にも迷惑をかけず勝利する。その時初めてあの時のしこりが消え去る。今度こそ純度100%の勝利の美酒を味わう。テレグノシスは目を閉じて観客達に祝福される映像を思い浮かべた。

 

「もしかして花言葉が関係しているかもしれません」

 

 本バ場入場が終わりドトウは唐突に呟く。本バ場入場の際もマックスが花を変えていた理由を考え、花ではなく花言葉に目を向けていた。そして自信がないのか最後はトーンダウンさせていた。

 アドマイヤベガとアドマイヤコジーンはそれぞれ紫陽花とカスミソウとヒマワリの花言葉を調べ始める。

 

「紫陽花の花言葉は団らん、和気あいあい、家族、って意味らしい」

「カスミソウは感謝と幸福」

 

 2人は花言葉を読みあげながら込められた意味は推理する。

 マックスはアドマイヤやチームという自分の周りを取り巻くコミュニティを好いて大切にしていた。それを家族に置き換えて、感謝と家族の幸福を願う。少し前のマックスが込めそうな意味だ。

 

 2人は次にヒマワリの花言葉を調べる。コジーンは寂しそうな表情を見せ、ベガは唇を噛みしめる。

 

──私はあなただけを見つめる、愛慕、崇拝

 

 マックスは理想の偶像を追い求め豹変した。そしてこれは理想の偶像を崇拝し、それだけを見つめるというマックスからメッセージであり、アドマイヤやチームとの決別の証であった。

 

 観客スタンド最上段からさらに上にあるスペース、そこにはトレーナーや出走ウマ娘の関係者が集まりレースを見学する。

 そこからアドマイヤドンは唇を噛みしめながらガラス越しにアドマイヤマックスを見る。他にもチームルイのトレーナーとチームメイトやアドマイヤのウマ娘達、そして親方も来ており厳しい表情を浮かべながら見下ろす。

 

「親方さん、マックスさんにもきっと事情が有ったんです。でなければあの人がアドマイヤから離れることはあり得ません。私が説得します。ですからもし戻ったら復縁してください」

 

 アドマイヤグルーヴは恐る恐る親方に語り掛ける。マックスの離反に一番ショックを受けていたのはグルーヴだった。

 チーム在籍時は姉のように慕い全幅の信頼を寄せていた。それだけにショックだったが、大半の者が見限ったなかマックスが戻ると信じていた。

 

「ならん。何かしら事情があるにせよ訳を言わず差し伸ばした手を全て払った」

 

 親方は冷徹に言い放つ。その隠し切れない怒気にグルーヴは会話を打ち切り即座に離れる。

 アドマイヤマックスの離反は周りに反響と混乱を与えた。

 アドマイヤドンを中心にしたアドマイヤのウマ娘達、チームルイのトレーナーや親方もマックスの行動が信じられず、何度も対話を試みたが最後まで対話に応じることなかった。その態度に激怒した親方はついにマックスと絶縁した。

 怒りが渦巻くと同時に今でも困惑していた。チームの為にアドマイヤの為にと行動していたマックスの心変わり。

 何がマックスにあったのか?キーワードはアドマイヤドンから聞いた理想の偶像という言葉、だがそれが何を意味するのか全く理解できなかった。

 マックスの行動は到底理解できず皆は落胆し失望した。本来ならレースなど見る義理はない。だがそれでも気が付けば東京レース場に足を運んでいた。

 アドマイヤから離れて何を失い何を得たのか?その結末を見届けなければならない気がしていた。それは親方以外の者も同様の気持ちを抱いていた。

 レース場では各出走ウマ娘がゲート入りを開始し、最後に大外枠のテレグノシスがゲート入りする。

 

『さあ、出走ウマ娘がゲートインします。混戦模様の春のマイル王決定戦安田記念。古豪か?新興勢力か?約1分30秒に培った心技体を全てぶつけます。さあ!筋肉を爆発する瞬間を見届けろ!安田記念、今スタートしました』

 


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