勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と宴#1

「ありがとうございました」

 

 記者たちは一礼した後にトレセン学園にある談話室を出て行く。その姿をアグネスデジタルとトレーナーは見送り、完全に部屋から出たのを確認して深く息を吐く。

 

「あと残り何件?」

「3件や」

「あと3件も~。もう全部呼んで纏めてインタビューしてよ」

 

 デジタルはソファーの背もたれにだらしなくもたれ掛かりながら愚痴をこぼす。

 安田記念から翌日、待っていたのは大量の取材依頼だった。ダートプライドを走り、終わったと思われたウマ娘が勝利、さらに長年破られなかったオグリキャップのレコードを更新、これだけ劇的な勝利を飾ればメディアも放っておくわけもなく、レース後に大量の取材依頼が舞い込んできた。

 体調次第では断ってもよく、激走による反動が懸念されたが体調は思ったほど悪くはないので、全ての取材に応じた。

 デジタルは恐らく乗り気ではないだろう。だが活躍し業界の上に立つ者は世間に情報を発信するのは責務であり、好き嫌いで避けることは許されない。

 本当に乗り気でないのなら拒否するが、オペラオー達の教えを胸に渋々ながら受けると了承したので、オフ日にまとめて取材を入れておいた。

 

「しかし、無難に喋るな。いつもみたいに欲望全開に喋らんから、マスコミ達も困っとるぞ」

 

 過去のデジタルはサキーちゃんマジで最高!プレちゃん煌めきすぎ!という具合にレースで感じたことをテンション高めに喋る。最初はマスコミも若干引いていたが、次第になれてそっちの方が面白くなると興味津々に聞いていた。

 だが今回のデジタルは大人しく、道中は密集し直線で抜け出せるか不安だったなど、冷静にレースの様子を語っていた。

 

「じゃあ、アドマイヤマックスちゃんの為に走りましたとか、慈悲の心で勝てましたとか言う。頭おかしいウマ娘じゃん」

「いや、お前は頭おかしいやろ」

「言い方!まあそれは置いておいて、仮に思ったことや感じたことを正直に喋ったら、アドマイヤマックスちゃんに取材が行くでしょう。あの時の心境は多分知られたくないと思うんだよね」

 

 何故チームルイから離れたのか?何故自分の姿をイメージして走ったのか?デジタルも興味があるが、その背景については聞いていない。

 本人にとっては触れられたくない部分だと思う。ならばできる限り触れられないようにするのが思いやりだろう。

 

「じゃあ、前の壁を捌いたくだりぐらいは言ってもよかったんちゃうか?」

「あれはオペラオーちゃんがアタシとドトウちゃんに授けた秘技みたいなものだよ。それを喋るだなんてオペラオーちゃんに失礼だしアタシも嫌だし何より信じないでしょ」

「まあ、それはそうやな」

 

 トレーナーは思わず頷いてしまう。前に居るウマ娘達に右と左から追い越すという気を当て錯覚させて生じた間の隙間を抜ける。

 最初に聞いた時はにわかに信じがたかった、だがデジタルは真顔で喋り、オペラオーも同じ技を使えると言った。

 オペラオーは芝居がかり誇張した話し方をするが、こういった事では嘘をつかないウマ娘だ、何より走っているウマ娘にしか分からない技術は存在する。

 トレーナーはデジタルが言ったことを信じることにした。だが同じ話を聞いても大概の人間はウソと断定するだろう。

 するとトレセン学園の職員が扉ごしからノックして、次の取材陣が来ると伝える。

 

「ほれ、次のマスコミが来るぞ、しゃんとせい。終わったら甘いもん買うたる」

「子供じゃないんだからさ、まあ貰うけど」

 

 デジタルはめんどくさそうに背もたれから体を起こすと背筋を伸ばし取材陣が来るのを待った。

 

「う~ん、やっと終わった」

 

 デジタルは心底嬉しそうに体を伸ばし解放感を噛みしめる。これほどの大量の取材に応じるのは久しぶりだった。

 ワールドレーシングアワードのベストレース部門に受賞した時は大量の取材を受けて取材慣れしていたが、かきつばた記念に負けて以降は取材がめっきり少なくなり、心身の疲労が溜まっていた。

 

「デジタル、次走はどうする?」

 

 トレーナーはデジタルが体を伸び切り息を吸い込んだ瞬間を見計らって問いかける。

 取材の質問で次走について聞かれていたがデジタルは言葉を濁した。トレーナーも本人の希望を聞いていないので特に話せることはなかった。

 もし走るとしたら適性から考えて帝王賞だろう。他には海外に目を向けるならばイギリスのプリンスオブウェールズSなどマイルから2000メートルのレースはいくつかある。

 欧州の芝は洋芝で長さも若干長め、見た目以上に地下茎の密度が濃くてクッション性が高くパワーが必要になる。走ったことはないがダートを走れるデジタルなら対応できる可能性はある。

 他にもアメリカのダートに目を向ければさらに選択肢は広がる。アメリカのダートはドバイのダートと似ているので対応可能だ。改めてデジタルというウマ娘の適応力の高さに驚かされる。

 

「それは宝塚記念でしょ!まずはシンボリクリスエスちゃん!あの艶のある黒髪と抜群のプロポーション!堪らないよね!それにあの威風堂々した感じ!シンボリルドルフちゃんが皇帝ならシンボリクリスエスちゃんは帝王って感じだよね!自他に厳しく近寄りがたいオーラ!プレちゃんから話を聞いて感じたいと思ってたんだよね!

そしてネオユニヴァースちゃん!2冠ウマ娘が宝塚記念に殴り込みだよ!3冠がかかってる秋の菊花賞に影響が出るかもしれないのにだよ!証明するのは世代最強じゃない!現役最強だ!カッコイイ!ユニヴァース!」

 

 デジタルのテンションは一気にトップギアに入りながら語り始める。

 その様子を眺めながらトレーナーは思考を巡らす。デジタルの適性はマイルから2000と判断していたので、2200メートルの宝塚記念は意外だった。

 

 ウマ娘には距離の壁という概念が有ると信じられており、1200メートルで勝ったウマ娘が1400メートルになると途端に勝てなくなるという事例が有る。こういった事例は存外に多い。だがステイヤーではないウマ娘が長距離レースに勝つケースもある。

 それはペースによるもので、道中お互いが警戒した結果誰も仕掛けずスローペースになった結果、後半での末脚勝負、俗に言うよーいドンのレース展開になりスタミナよりスピードが勝るウマ娘が有利な展開になった。

 

 仮にデジタルも2200でも道中スローペースになり、よーいドンの直線勝負になればマイラーに対応でき勝機が出てくる。だが阪神レース場2200の宝塚記念は有利に働かない。

 高低差約2メートルの坂を2回超え、3~4コーナーは内回りで最後の直線も比較的に短いせいもあって、各馬の仕掛けは早めになる。問われるのは、瞬発力ではなく、末脚の持続力と底力、道中の流れが厳しい分淀みないラップが続くレースとなりやすく脚を溜めにくい。中距離での強さが求められるレースで有り、マイラー寄りのデジタルには分が悪い。

 さらに6月下旬に開催で夏のような陽気になることも多く、芝も開催4週目で比較的に荒れてパワーが必要になっていく。そしてこの時期は雨が降ることが多く、そうなればよりタフなレースになる。

 

「それにヒシミラクルちゃんでしょう。条件戦で負けながらトレーナーさんと模索し磨き上げた武器で波乱を巻き起こしてきた!奇跡は待つものじゃない!手繰り寄せるものだと言わんばかりのロングスパート!少し前までは少し元気が無かったみたいだけど今は生き生きしてる。きっと何かが有ったんだよ!そのエネルギーをレースで感じたいな!

 あとはタップダンスシチーちゃん!アタシと同い歳で気性は荒いけど凄く情熱的なの!条件戦で自分の走りを模索し続けついに開花!タップダンスシチーちゃんを語るのに欠かせないのは有馬記念だよね!当時の1番人気のファインモーションちゃん!無敗で秋華賞とエリザベス女王杯を制覇!名家の生まれで名門チームに所属しているまさにお嬢様!その華の前には流石のシンボリクリスエスちゃんも1番人気を譲ってしまう!レースでもファインモーションちゃんがハナをきる!空気的に絡みづらく楽逃げされちゃう!そこに待ったをかけたのがタップダンスシチーちゃん!徹底的に絡んで一度は先頭を譲るけど第3コーナー前でのまさかの追い越しで一気に差を広げて先頭に!最後はシンボリクリスエスちゃんに差されるけどあれで差されたどうしようもないって!

 それでファインモーションちゃんのトレーナーちゃんがタップダンスシチーちゃんに苦言を呈す。あれは勝負度外視で潰しにきた。あんな強引なレースをしたらレースが壊れてしまうって!そこで一言!『知らねえ!勝つために最善手を尽くした!あれがアタシ達の走りだ!』って!アタシじゃなくてアタシ達だよ!トレーナーと作り上げた走りを大切に思っている証だよ!どれだけエモいんですか~!マジキュン!」

 

 さらにギアをさらに上げて喋り続けるデジタルを見ながらトレーナーは思案を続ける。

 これ以外にもイーグルカフェやダンツフレームなどのGIウイナーにバランスオブゲームやダイタクヴァートラムなど骨っぽいメンバーも参戦し、世間では史上最高の豪華メンバーと言われているがあながち間違ってない。

 

「はっきり言うぞデジタル、宝塚記念はかなり分が悪い。勝つ確率は……お前にはどうでもいいことか。シンボリクリスエスなどのウマ娘を感じるという点でもかなり分が悪いぞ。恐らく直線に入る前に置いてかれて千切られる。それだったら天皇賞秋のほうが合理的や」

 

 トレーナーはデジタルのトークを遮るように言い放つ。天皇賞秋ならば距離も2000メートルでコースの特徴として直線一気のスローペースになる確率が高く、デジタルの適性にあった流れになりやすい。

 宝塚記念を走ったウマ娘は天皇賞秋に参戦することが多い、ここで走るならば天皇賞秋まで待って走ったほうがいい。

 

「それは分かってるよ。未知の距離でレース展開的にアタシ向きじゃないことぐらい。でも素敵なウマ娘がいっぱい出てくるんだよ!待ってられないって!それに距離の壁なんてアタシの情熱が超えてみせるって!」

 

 デジタルはやる気を漲らせながら宣言する。もしこれが向こうみずで精神力だけで何とかなると思っていたならば止めていた。

 だが自分の不利を知り受け入れ敢えて挑む。知っていると知っていないでは大きな違いが有る。

 これはデジタルの挑戦だ。ウマ娘への愛が距離の壁に挑む意志を与えた。それならば止めるのではなく目的を達成できるようにサポートするのがトレーナーの役目だ。

 

「よし、なら宝塚記念に出走するぞ」

「流石白ちゃん、話分かる!」

「言っとくが宝塚記念は過去最大に厳しいレースになるぞ。覚悟せえよ」

「勿論!例え火の中水の中!」

 

 トレーナーの言葉にデジタルは鼻息荒く答える。安田記念は未知の出会いを楽しむことを目的とし、悪く言えば明確な目標はなかった。

 だが今回は明確な目標を定めてレースに臨む。そのスタンスはダートプライドの時に近く、あの時のように常識を超えた走りを見せてくれるかもしれない。様々な常識を打ち破ったデジタルが次は何を見せてくれるのか、トレーナーの中に密かな期待が芽生えていた。

 

───

 

「ヒシミラクルはどうした」

「裏でしょげてます」

「またか」

 

 ヒシミラクルのトレーナーは深くため息をつく。ヒシミラクルは宝塚記念に向けてトレーニングしているが全く身が入っていない。天皇賞春に勝って暫く表情は明るかった。だが徐々に表情が曇り始め卑屈で臆病になっていた。

 菊花賞と天皇賞春に勝利し実績は充分だが宝塚記念は挑む立場だ。

 天皇賞秋と有マ記念に勝ったシンボリクリスエス、クラシック2冠ウマ娘のネオユニヴァース、安田記念に勝利しGI6勝のアグネスデジタル、他にも多くの有力ウマ娘が参戦し、史上最高峰の宝塚記念と世間では騒がれているが、決して言い過ぎではない。

 正直に言えば勝算は少ない。だが挑戦することでさらなる成長に繋がると信じて出走を提案し、ヒシミラクルもやる気を漲らせて承諾した。だが今では当初のやる気は欠片も見えなかった。

 

 トレーナーはチームメイトの言葉に従ってチームルームの裏手に向かう。そこには灰色の髪のウマ娘が膝を抱えてすすり泣き項垂れていた。彼女がヒシミラクルである

 トレーナーは何も言わずヒシミラクルの傍に座り込む。2人の間にはすすり泣く声が響いていた。

 

「どうした?悩みごとがあるなら相談に乗るぞ」

「菊花賞に勝って、天皇賞春に勝って、私は強いって思いました。だから宝塚記念に走ろうと思いました」

 

 ヒシミラクルはポツリと語り始める。その声色は落ち着き僅かに覇気が有った。だがすぐに覇気は無くなる

 

「だけど違った。私は弱い、菊花賞に勝てたのはタニノギムレットもシンボリクリスエスも居なかったから、1番人気のノーリーズンが転んだから。天皇賞春も同じ、2人が居なくて、展開がたまたま向いたから勝てただけ。陰で自分はただ運がいいだけって陰口を叩かれているのも知ってます。ヒシミラクル、ミラクルだけで勝つ自分には相応しい名前ですよ」

 

 ヒシミラクルは苦々しく己の心情を吐き出す。

 

 フロック、メンバーが弱かった。マグレ

 

 周囲はヒシミラクルの勝利を運が良かったと判断した。最初は気にしていなかったが、周囲の声を無視できず耐え切れなくなり、己の勝利を誇れなくなり気を病んでいた。

 

「こんなんだったらGIに勝たなければ良かった!そしたら分不相応な立場に立たずに済んで!陰口を叩かれずに済んだのに!」

 

 ヒシミラクルの語気は徐々に強くなっていく。トレーナーはその様子を静かに見守る。GI2勝ウマ娘となれば上澄み中の上澄みであり、もっと誇り自信を持ってもいいはずだ。だがその勝利はたらればの要素が多い。そういった勝利は勝者を曇らせ傷つける。

 メジロマックイーンの斜行で繰り上げになったプレクラスニー、圧倒的1番人気のサイレンスズカが故障したレースに勝利したオフサイドトラップ、彼女らの勝利もたられば要素が有り、世間から純粋に祝福されてはいなかった。

 

「ヒシミラクル、レースに勝つ者はどんなウマ娘だと思う?」

「それは……強いウマ娘です」

「強いとは何だ?」

「それはスタミナがある。加速力が有る。スピードの持続力がある。ペースや展開を読める頭の良さがある。そういった要素を合わせて一番強いウマ娘です」

 

 ヒシミラクルはトレーナーの質問に答える。それは模範的な回答であり世間一般の意見であった。

 

「私の持論はそこに運の要素が加わった総合値の高さだ。私はそう思わないがヒシミラクルの世間一般が考える強さは菊花賞や天皇賞春に出走したメンバーの中では1番ではなかったかもしれない。だがタニノギムレットが居なかった、シンボリクリスエスが居なかった、展開が向いた。それらの要因はお前の運の強さがもたらしたものだ。運がいいだけ?結構じゃないか、フィジカルやメンタルはある程度鍛えることはできる。だが運だけは誰も鍛えることができない。運の強さは才能だ、そしてお前は強い」

 

 トレーナーは力強い眼差しを向けながら説得する。運も実力の内という言葉が有るが、それは言葉そのままの意味では捉えられることはなく、敗者や勝者が自分を自己肯定する為に使われることが多い。

 そしてトレーナーも世間一般の考えと同じように運の要素は強さに関係ないと考えていた。だが励ますためにあえて嘘をついていた。

 

「そんなわけないですよ……運は所詮運、誰も運を強さの要素に含めないですよ」

 

 ヒシミラクルは立ち上がるとそそくさと歩き始める。一瞬目の光が宿ったがすぐに光は失われていた。

 どうすれば立ち直られるか、トレーナーは重大な問題の前にして思わず頭を抱えた。

 

 ヒシミラクルは自室のベッドに身を投げ出して深くため息をつく。GIに勝つことは最高に嬉しいことだと思っていた。だがいざ勝ってみるとそんなことはなかった。

 常に運が良かったと陰口を世間から叩かれて気が滅入るぐらいなら、勝たなければよかった。こんなに辛いならいっそのこと走るのをやめようか、そんな極端な考えすら思い浮かんでいた。

 ヒシミラクルはスマホのバイブ音に気が付き手に取る。画面には電子書籍半額セールの告知文がのっていた。

 そういえば読みたい漫画があった。折角だし気を紛らわせるために買って読むか。そのまま購入ページに向かいシリーズ全巻を購入していた。

 ヒシミラクルが漫画を購入して数時間が経ったがいまだに読み続けていた。

 これは当たりだ、自分の判断を自画自賛しながら読み進める。この時は抱えていた不平不満を忘れていた。さらに数時間が経った際に思わず姿勢を正す。

 今読んでいるのは格闘漫画で、ある登場人物をAと呼称するとして、Aは登場人物BとCに比べて弱かった。そして柔道の日本代表決定戦でAはBに負けてBはCに負けて日本代表はCになった。

 だが事態は急変する。BとCからドーピングの陽性反応が検出され失格となりAが日本代表に繰り上がった。マスコミはAにインタビューする為に殺到し尋ねる。

 

──こんな形で代表に選出されましたが今のお気持ちは?

 

 ヒシミラクルの胸は締め付けられフィクションと分かっていながら思わず同情する。運によって分不相応の勝利を得てしまった。これから振りかかる非難や陰口はAの心を苛むだろう。

 

「はい、嬉しいです」

 

 Aは満面な笑みを浮かべながらインタビューに答えていた。その態度に反感を抱いたのかインタビュアーが『代表になれたのは運が良かっただけという意見もありますが、どう思われますか』と含みのある質問を投げかける。それに対してAは堂々と答える。

 

「強さとはフィジカルや技の切れや精神力だけで決まるものではない、運も実力の内という言葉がありますが、まあ、そういうのを含めて僕が一番強いって事じゃないですか」

 

 その言葉にヒシミラクルの中で雷に打たれたような衝撃が走る。運も実力の内という言葉を本気で信じている人間は居ない。Aも他の人間より弱いことは骨身に染みていた。

 だが一遍の曇りもなく一番強いと言い放った。心の底から運も実力の内という言葉を信じているのだ。

 もしこのAが現実に存在し、プレクラスニーやオフサイドトラップのような状況で勝利しても満面の笑みを浮かべながらインタビューに応え、周囲から非難の声を受けても構わずに喜びを爆発させながらウイニングライブで高らかに歌うだろう。

 何故ならそれがぐうの音が出ない勝利だから、例え世間がどう言おうが己のなかでは完全無欠の勝利である。

 

──強さとは運を含めた総合値、そういうのを含めて僕が一番強いって事じゃないですか

 

 ヒシミラクルの脳内でトレーナーやAの言葉がリフレインし自己肯定感が膨れ上がっていた。

 運が良い、展開が向いた、1番人気が転倒した、タニノギムレットやシンボリクリスエスが居なかったら勝てた。それは陰口ではなく全て称賛の言葉だったのだ。

 運が良かったから展開が向いた、1番人気が転倒した、タニノギムレットやシンボリクリスエスがレースに出なかった。全ては己の運の強さ、つまり強さが手繰り寄せたのだ。

 サイレンススズカやメジロマックイーンは運が悪くて負けた。運が良ければプレクラスニーやオフサイドトラップは勝てなかった。そんな理屈が通るなら2人がサイレンスズカやメジロマックイーン並みの走力が有れば勝てたと言っているようなものだ。

 そんな理屈は世間の誰も認めないだろう。そしてヒシミラクルも運が良ければ勝てたという理屈を決して認めない。

 そうだ自分は文句なしに強いのだ。この強さがあれば宝塚記念でもきっと勝てる!膨れ上がった自己肯定感は確固たる自信と化した。

 翌日のヒシミラクルは昨日の様子が嘘のように陽気に自信を漲らせていた。そして心境の変化はトレーニングにも現れ、併せのトレーニングでも相手を千切り、好時計を叩きだしていた。

 

───

 

 トゥインクルレースの上半期を締めくくる宝塚記念、今年は例年以上に豪華メンバーが集まり少しでも盛り上げようとトレセン学園内の練習場には多くの取材陣が押し寄せていた。

 マスコミはそれぞれ有力ウマ娘やトレーナーを取材しようとトレーニング場の各地に散らばる。そして坂路コースの一角でマスコミ達が麦わら帽子にサングラスにアロハシャツを着た老人を囲んでいた。

 老人の名前は六平銀次郎、かつてオグリキャップや桜花賞を制したオグリローマン、朝日FSを制したエイシンチャンプを指導し、名伯楽と呼ばれたトレーナーである。

 自チームのウマ娘達3人が坂路を駆け上がると次のグループが準備する。それを見てマスコミ達が一斉に鹿毛のウマ娘にカメラを向ける。

 史上最高の豪華メンバーが集結したといわれる今年の宝塚記念、そう言われる最も大きな理由は彼女の参戦にあった。今年の皐月賞と日本ダービーを制した2冠ウマ娘、ネオユニヴァースである。

 2冠ウマ娘が宝塚記念に参戦するのは史上初であり、それは大きな話題を呼んでいた。

 ネオユニヴァースは2バ身前にウマ娘を置くと腰元まで伸びたウェーブがかかったロングヘア―を靡かせ追走し、半バ身差をつけてゴールする。仕上がりの良さにマスコミ達がどよめきが起きる。

 坂路を走り終えたウマ娘達が六平に指示を仰ぎに向かってくる。六平は1人1人に今の走りを見た感想とアドバイスを送り、最後にネオユニヴァースに指示を送る。それを見計らったのかマスコミ達はネオユニヴァースに質問を投げかける。

 

「ネオユニヴァース選手、次のレースでは宇宙を見せられますか?」

 

 宇宙、ネオユニヴァースというウマ娘を語る上でこの単語は欠かせないものである。

 

 ある企画でメイクデビューに勝利したウマ娘達にインタビューしたことがあった。それぞれ重賞に勝ちたい日本ダービーに勝ちたいと初々しく希望に胸躍らせながら語る。そんななかネオユニヴァースはインタビューを受けて答える。

 

「宇宙を見せたい」

 

 インタビュアーはその答えを聞いて思わず笑う。これが俗に言う不思議ちゃんと言うやつか、良くも悪くも杓子定規な答えが続くなか、ウケ狙いでも他人と違う答えが出てくるのは面白い。案外こういったウマ娘が大成するかもしれない。

 インタビュアーは一頻り笑った後再び尋ね、ネオユニヴァースは同じ答えを繰り返す。乾いた笑いをあげながら表情が引きつる。受け狙いや奇人変人を演じているわけではない、このウマ娘は本気で言っている。 

 それから宇宙とは何ぞやと聞いてみるとコスモなどチャクラなど聞き馴染みが無い単語を並べ説明するが理解できなかった。

 インタビュアーはインタビューを切り上げ足早に帰る。長年取材してきたがこんなウマ娘は初めてだ、こんな電波系をトレセン学園はよく入学させたものだ。

 

 そしてネオユニヴァースはデビュー戦に勝利した後OPレースで3着になるも、1勝クラスに勝利後GⅢきさらぎ杯に勝利し、クラシックの主役候補に躍り出ると勢いそのままに皐月賞、日本ダービーを制覇した。

 ネオユニヴァースは大いに注目を浴びる。それは成績もさることながら彼女のキャラクター性にあった。

 勝利者インタビューごとに『宇宙は見えましたか?』とインタビュアーや観客に問いかけていた。

 最初は世間も面白がったが次第に気色悪い不思議ちゃん気取りかよと批判を受けていた。

 極めつきには日本ダービーに勝った際のインタビューでも同じ質問を投げかけ、反応が悪いと不服と言わんばかりにインタビューを切り上げた。

 誰もが勝利を望む日本ダービーに勝利しながら喜びもせず不服そうにしている。その行動はファンの反感を買うと同時にその破天荒さが気に入ったとファンがついていた。

 

「宇宙は常に膨張し続けている。ならば私も膨張しなければならない」

 

 ネオユニヴァースはそう告げると足早に去っていく。マスコミ達はどう解釈するべきかと頭を悩ましながら、深く考えても仕方がないしこれでは記事にならないと取材対象を六平に向けていた。

 

「やっと終わったか」

 

 長時間におよぶ取材から解放され思わずため息をつく。

 ここまで注目されたのはオグリキャップが居た時以来か、オグリキャップもインタビューが得意な方では無いので代わりとばかりにこちらが話す事があった。だがネオユニヴァースはそれ以上にインタビューが得意ではない、というより言葉すら通じないことも有る。

 これからの気苦労を考えながら僅かに憂鬱になっていると地べたに座り夕焼けに染まる空を見上げるネオユニヴァースが居た。六平はその様子を黙って見つめる。

 

 ネオユニヴァースは暇さえあれば空を見つめている。正確に言えば空の上にある宇宙を見つめていた。肉眼で見えるはずもなくそれなら映像の宇宙を見ればいいのではと提案したことがあるが、それでも頑なに空を見続ける。

 常に真意が分からない彼女だが、最近は何か思いつめていることは理解できた。その証拠に宝塚記念に出走したいと進言してきた。

 出走レースは全て六平トレーナーが選択していたが初めて自分から出走レースの希望を伝えてきた。正直に言えば宝塚記念に出走するのは否定的だった。

 ローエングリンがクラシック級の時に宝塚記念に挑戦し3着と好走したがあくまでも一例であり、この時期のクラシック級とシニア級の力の差は大きいと考えていた。

 さらに宝塚記念のタフなレースを走れば疲労が蓄積し秋に影響が出る可能性も有る。ネオユニヴァースも3冠ウマ娘になりたいと思っているだろうし、六平も3冠トレーナーになりたいという想いもあった。

 六平もそのリスクについてネオユニヴァースに説明したがそれでも出走すると自分の意見を曲げなかった。

 宝塚記念に出走することは3冠以上に大切な事なのかもしれない。それがネオユニヴァースの宇宙についてなののか六平は問いただしたがネオユニヴァースは頑なに答えなかった。

 

「ほどほどにしたら帰れよ」

 

 六平は空を見上げるネオユニヴァースに声をかけて立ち去る。ネオユニヴァースは六平を一瞥しすぐさま空を見上げる。

 ネオユニヴァースには走ることを通していて宇宙が見えていた。宇宙とは何かとよく聞かれるが自身の語彙力では到底説明できるものではなかった。それは心地良く楽しく美しく素晴らしく、自分にとって必要で掛け替えのないものだった。

 そしてトレセン学園に入学してレースを走る理由は出来る限りの多くの人に宇宙を見せる為だった。

 この宇宙は自分で独占するのではなく他者に見せて共有すべきものと考えていた。その独自の使命感を胸にレースを走り続ける。

 どのレースに走るか興味はなかった。宇宙を他者に見せやすく多くの人に見せやすいレースを走った結果、クラシック路線を歩んでいたに過ぎなかった。

 そしてクラシック路線を歩んで迎えた日本ダービー、レースを通して今まで以上に宇宙を感じ伝えられたと自信が有った。1着でゴールを駆け抜けインタビューでいつもの質問で問いかける。

 

 私の宇宙が見えましたか?

 

 観客達はこの言葉を切っ掛けに宇宙を見た感動と興奮を表現するように声を上げ歓喜するだろう。だが観客達はネオユニヴァースが望む反応を示さなかった。

 確かに興奮の声を上げた。だがそれは宇宙を見たことに対してではなく、良いレースを見て2冠ウマ娘が誕生したことによる歓喜と興奮だった。

 何故誰も宇宙を感じられない。ネオユニヴァースに日本ダービーに勝利した喜びはなく、抱いたのは疎外感と孤独感と周りの鈍感さに対する怒りだった。

 日本ダービーが終わってから一晩経って己の過ちに気づく。宇宙を感じられないのは自分の能力不足、決して他者が悪いわけではない。もっと成長しなければならないと考え宝塚記念出走を決意した。

 宝塚記念にはシニア級の強豪が出走し中距離現役最強と称されるシンボリクリスエスが出走する。彼女らに挑戦し勝つことで成長すれば自分の宇宙は膨張し、皆に見せられるかもしれない。

 そしてアグネスデジタル、自分が出走を表明した後に宝塚記念に出走を表明した。デジタルには己独自の世界観、自分が見ているような宇宙とは違う宇宙が見えている気がする。

 それを取り込めば宇宙はさらに膨張する。そうすれば皆に自分の宇宙が見えてくるはずだ。

 ネオユニヴァースは空の上にある宇宙に想いを馳せながら日が沈むまで空を見続けた。

 

 

──

 

 日本で一番優秀なトレーナーは誰か?

 その質問にレースファンはこう答えるだろう。チームリギルを率いている東条ハナトレーナーであると。

 シンボリルドルフやナリタブライアン等の数々の名選手を育て上げ、過去には勝率、勝利数、獲得賞金などをポイント化し、ポイントを最も多く獲得した者に授与される最優秀トレーナー賞を何度も受賞している。

 そんな名トレーナーの指導を受けたいと東条トレーナーが率いるリギルの入団テストには多くのウマ娘が押し寄せる。

 だがそれは過去の話になりつつあった。

 

 ここ数年東条トレーナーが率いるチームリギルの選手は多くのGIを勝利し、獲得賞金と勝率の部門はトップだった。だが勝利数の部門ではトップの座を明け渡していた。

 去年は、勝率の部門で1位だったが、勝利数と獲得賞金の部門でポイントが取れず最優秀トレーナーを受賞できなかった。

 そして東条トレーナーは上半期を終えようとする現時点で去年と同じように勝率では1位だが、獲得賞金と勝利数で後れをとり総合部門で2位に甘んじていた。

 

 日本で一番優秀なトレーナーは誰か?

 今その質問をすればレースファンは東条トレーナー以外にもう1人の名をあげるだろう。

 

 チームプライオリティの藤林トレーナー。

 

 去年の最優秀トレーナー賞の受賞者にして、現時点の勝利数、獲得賞金の部門でトップを走るトレーナーである。

 そして藤林トレーナーのチームプライオリティに所属しているのがシンボリクリスエスである。

 

 チームプライオリティの面々はコース前に集合し円になりウォームアップし、藤林トレーナーは円から離れた場所で様子を見守る。

 チームプライオリティのトレーニングの特徴は2つ。1つはウォームアップにかける時間、その時間は他のチームと比べて約2倍である。もう1つとして周りの空気である。

 ウォームアップする際は談笑などをして和やかな雰囲気で行われるものだが、チームプライオリティでは和やかな雰囲気は一切なく誰もしゃべらず呼吸音だけが響く。

 その様子を厳しい顔つきでトレーナーが目を光らせている。その空気はまるでレース直前のようなひりつき具合だった。

 そしてトレーナーと同じように目を光らせながらウォームアップするウマ娘がいた。漆黒と呼べる艶がある黒髪のロングヘア―、身長170cmを超える恵まれた体、耳の先が細く尖った特徴的な形。 

 彼女はシンボリクリスエス、中距離現役最強と呼ばれているウマ娘である

 

「ボールドブライアン、息を吐くのがワンテンポ速い」

「はい」

 

 シンボリクリスエスはストレッチをしながらボールドブライアンに声をかける。ボールドブライアンは体をビクリと震わせながら指示に従い、ワンテンポ遅らせて息を吐く。

 ストレッチでの息を吐くタイミングの僅かなずれ、そんな細かいものまで判別できるのか、その観察力の高さに感嘆する。

 だが相変わらず気後れしてしまう。体罰やしごきを受けているわけではないがその威圧感の前にどうしても委縮してしまう。

 

 シンボリクリスエスはチームプライオリティのボスである。

 チームにはシンボリクリスエスより年上のウマ娘も居る。だが誰もそれについては異議を挟まずボスの座に収まっていた。寧ろチームに入った瞬間からボスの座に収まっていたと言っても過言では無かった。

 アメリカから留学生としてチームに入団しての初日からチームの先輩に意見を言った。それはミスと言うには厳しすぎる僅かな緩みだった。そしてそのミスは当時のリーダー格が犯した事だった。

 普通なら気づくことなく気づいたとしても気後れして言うことはできない。だがクリスエスは見逃すことなく気後れすることなく進言した。

 その態度にリーダーは不快感を示しながら言葉では気を付けると言いつつ敵意を隠すことなく睨みつける。しかしクリスエスは一向に意を介さない様子を見て、チームメイト達はただの新人では無い事を認識した。

 

 それからもクリスエスはチームメイトの細かいミスや気の緩みを指摘し続ける。そんなことを続ければ不興を買っていく。だが孤立することはなかった。

 人にも厳しいが自分にはそれ以上に厳しかった。妥協を一切許さず己を高めていく。その姿勢にチームメイト達は少なからず感化されていた。正確に言えば感化されるように強制された。

 己に着いていくように背中を押すのではなく、首に根っこを掴まれて強引に引っ張られるような感覚、それがクリスエスのリーダーシップだった。

 感化されるウマ娘は次第に増えていき、クラシック級に上がる頃にはチームのウマ娘は口にはしないがボスはクリスエスだと認め初めていた。

 先輩たちも口では否定していたがボスであることを認めていた。

 しかし感情がそれを許さない。クリスエスはデビューしてまだ重賞すら勝っていない。そんな実力が無いウマ娘をボスとして認めるわけにはいかない。それが唯一の拠り所になっていた。だがクラシック級で天皇賞秋に勝利したクリスエスに先輩たちは平伏していた。

 

 チームプライオリティは元々力のあるチームで名門チームの厳しさは備わっていた。だがクリスエスが加入して以降より厳しく妥協を許さなくなっていく。

 その空気に付いていけないと何人かのウマ娘は移籍したが、大半はチームに残った。そして勝利数は全チーム1位となり、チームを率いた藤林トレーナーは最優秀トレーナー賞を受賞した。

 

 ウォームアップが終わるとトレーニングを開始する。他のチームは強めや一杯と呼ばれる全力で走るトレーニングが多い。だがチームプライオリティではウマなりのトレーニングが多い。ウマなりとは一杯とは反対に全力で走らず余力を残して走ることである。

 このトレーニング方法にそんなトレーニング方法では強くなれない。チームに居るウマ娘が気の毒だと多くの批判や苦言を受けた。

 だが藤林トレーナーには確固たる信念がありウマなりトレーニングをやり続けた。そして次々と勝ち星をあげるウマ娘達を見て外野は批判しなくなった。

 そして他のチームのウマ娘がトレーニングしているなかチームプライオリティのメンバーはコースを離れ、トレセン学園敷地内をウォーキングで移動する。

 ウォーキングはトレーニング前のウォームアップやクールダウンで取り入れているチームもある。だが特筆すべきはかける時間であり、チームプライオリティでは寮の門限ギリギリまでウォーキングを行う。

 

 レースを走るウマ娘が強度の少ないウォーキングをしても何の意味が無い。そんな批判も当初は受けていた。だがウマなりトレーニングと同じように外野の意見を無視し続ける事で結果を出していた。

 日が傾きかけた頃チームプライオリティのメンバーはチームルームに戻り帰り支度して寮に戻る。

 門限ギリギリまでトレーニングするので無駄口を叩かず着替えていく。チームプライオリティに入ると早着替えが上手になるという軽口が叩かれるほどだった。

 

 シンボリクリスエスはトレーニングが終わり寮の自室に戻るとパソコンを起動しソフトを立ち上げる。画面には藤林トレーナーの顔が映っていた。それを確認するとヘッドフォンを耳につける。

 

「あ~あ、聞こえてます?」

「聞こえてる」

「それでは、今日のトレーニングですがまずは……」

 

 シンボリクリスエスは藤林トレーナーに向けた報告を開始する。チャットを通してトレーニングの報告はシンボリクリスエスに課せられた日々の日課だった。一頻り報告が終わると話題は次走の宝塚記念に移る。

 

「トレーナーは誰が怖いと思います?」

「やはりネオユニヴァースが一番の脅威だろう。あの重バ場のダービーに勝つパワーと末脚のキレ。ダービーを走っての宝塚記念だが、お釣りも残っているし充分に対応できるだろう。そして精神面に関しては六平トレーナーが宇宙人と称するだけあって私にも分からない。本番では思わぬ作戦を取ってくるかもしれないので臨機応変に対応しろと言うしかない」

「臨機応変か、あのお嬢ちゃんの思考回路は一生理解できなさそうです」

「次はタップダンスシチーだろう。有マ記念の走りはマグレではなかった。金鯱賞でもツルマルボーイに勝っている。あの先行力とスピードが作る淀みのないペースは宝塚記念に合う、あのウマ娘が居る限りよーいドンの展開にはならない。ある程度厳しい流れになるが頑固なところありペースが速くなりすぎれば自滅する可能性は有る」

「それは期待しないでおきます。タップダンスシチーは放っておけば厄介になる」

「あとはアグネスデジタル、基本的にはマイラーで2200の宝塚記念は適性外だと思うが、あのウマ娘は常識外れのウマ娘で何をしでかすか分からない。あとよーいドンになった場合、その時はネオユニヴァース並の末脚で突っ込んでくる可能性がある」

「気を付けます。だがタップダンスシチーが居る限りその展開はないでしょう」

「私もそう思うが気にするに越したことはない」

「あとはヒシミラクルとダイタクヴァートラムの天皇賞組、ダンツフレームやイーグルカフェの安田記念組、というより全員の勝ち筋を見つけてください。それを全部潰しますので」

 

 シンボリクリスエスは睨みつけるようにモニターを見据える。その目つきに画面越しの藤林トレーナーは身震いしていた。

 

「確かに豪華なメンバーだがクリスエスが全力を出せば勝てる。だから気負うな」

「気負いますよ。本当なら大阪杯に勝って香港のクイーンエリザベス2世Cに勝って貴方に勝ち星と賞金を与えるはずだったのに、体調不良で上半期は宝塚記念にしか出走できない。ここに勝って貴方をリーディングトレーナーに押し上げる。それがプロとして雇われた私の仕事ですから」

 

 藤林トレーナーはシンボリクリスエスの呟きを聞きながらクリスエスとの出会いを思い出す。

 

 藤林トレーナーはレースの本場イギリスで数年間留学した後日本でトレーナーになった。夢は日本一のトレーナーになることである。

 その後は留学で得た知識を生かし勝ち数を増やしていく。成績は順調に伸びていくなか限界が来ていることに気づいてしまう。

 チームプライオリティはリギルのように少数精鋭ではなく、所属できる最大数のウマ娘が在席し、サブトレーナーを雇い可能な限り目を配っている。だがどうしても目が行き届かず、そしてウマ娘達が緩んでしまうことがある。

 さらに緩みや欠点に気づきトレーナーが注意しても言うことを真剣に受け止めない事が有る。

 選手と指導者は限りなく歩み寄れるが、その距離をゼロにすることはできない。どうしてもレースを走ったことがないトレーナーに指示されるのに抵抗感を覚えるウマ娘も居る。

 必要なのは選手たちと同じ立場に立ち、僅かな緩みを見逃さず締めれれるリーダーシップを持ち、自分の意志を汲み取り全て伝えらえるウマ娘の存在、そんなウマ娘が居ればチームプライオリティは常勝軍団となり、己も日本一のトレーナーになれる。

 しかしそれは無い者ねだりであり、そんなウマ娘は3冠ウマ娘になる能力を持った者を探すより難しい。

 そんなウマ娘が居ないかと僅かな希望を抱きながらアメリカに足を運んだ時に、幼いシンボリクリスエスに出会った。

 

 一目見た時にこのウマ娘はGIを取れる器であると確信できた。だが特筆すべきはそのリーダーシップだった。

 アメリカでもトレセン学園のような機関に入る前にジムでトレーニングすることがある。

 そこで走るウマ娘は幼いウマ娘達とは思えないほど緩むことなく真剣にトレーニングを繰り返していた。そして集団を引き締めているのはクリスエスであることはトレーニングの様子を見てすぐに分かった。

 そしてジム同士で交流レースをすることがあるが、クリスエスが所属しているウマ娘の勝ち数がダントツに多かった。

 藤林トレーナーはクリスエスには周りのウマ娘を勝利に導く才能が有ると確信する。これこそ探し求めていたウマ娘だった。

 早速チームに勧誘したが異国に行くことに抵抗が有るらしく首を縦に振らなかった。そんなクリスエスに藤林トレーナーはある提案をする。留学生としてチームに所属してもらうのではなく、プロ選手として雇いたい。

 契約内容は一年契約で年度末ごとに契約を更新、報酬は年俸制でインセンティブを設定し達成ごとに追加報酬を支払うというものだった。

 1人のプロ選手として招集する。それが藤林トレーナーに出来る最大限の誠意だった。

 シンボリクリスエスはその契約に応じチームプライオリティに所属した。

 

 シンボリクリスエスは頃合いを見て藤林トレーナーとのチャットを打ち切るとベッドに入り就寝する。目を閉じながら藤林トレーナーについて考える。

 勝利数を増やす為にトレーナーの意志と意図を全て汲み取りチームのウマ娘達を従わせるウマ娘が必要だと言った。なら過去の名選手でもサブトレーナーで雇えばいいはずだ。その経験があれば有用な意見を出し、実績があればチームのウマ娘達も従うだろう。

 だが藤林トレーナーはどこのウマの骨か分からない自分とプロ契約を結びその役割を自分に託した。はっきり言えば正気の沙汰ではない。だがそれは自分に対する最大限の信頼の証でもある。その誠意に心打たれ日本に来た。

 

 それから日本語を学び藤林トレーナーと夜が更けるまでトレーニングの理論についてはもちろん主義主張まで語り合った。

 その結果他のサブトレーナーと同等には藤林トレーナーの意図を汲み取れるようになった。

 藤林トレーナーは日本一のトレーナーになるために力を貸して欲しいとプロ契約を結んだ。日本一になるためにはチームの勝利数を増やし賞金を得ること、だがそれだけでは足りない。

 

 必要なのはそのトレーナーが育てた代表的なウマ娘の存在である。

 東条トレーナーでいえばシンボリルドルフやナリタブライアン、スピカのトレーナーでいえばスペシャルウィークなど有名なトレーナーには多くのビッグレースに勝ったウマ娘がいる。だが藤林トレーナーにはそれがいない。

 スピカのトレーナーや東条トレーナーは少数精鋭に対して、藤林トレーナーは数の利を生かして勝利数と賞金を獲得してきた。

 世間は勝利数より多くのGIに勝った選手を育てたかに注目し評価する。ならば自分が多くのGIに勝ち代表選手になってやる。そうなれば名実とともに日本一のトレーナーに押し上げられる。

 シンボリクリスエスはクラシック級で天皇賞秋と有マ記念に勝利し名選手としての道を歩めている。そして今年も目ぼしい中距離GIに全部勝ち、勝利数と賞金をトレーナーに与え世間から名選手と呼ばれるウマ娘になるつもりだった。

 だが今年の上半期は大阪杯と香港のクイーンエリザベス2世Cに出走するつもりだったが、体調不良で宝塚記念にしか出走できなかった。プロとして恥ずかしい限りである。

 もし大阪杯とクイーンエリザベス2世Cの賞金の差で藤林トレーナーがリーディングトレーナーになれなかったら悔やんでも悔やみきれずプロ失格だ。

 何としても宝塚記念には勝たなければならない。賞金は勿論のこと、出走メンバーも豪華で勝てば評価はあがる。

 

 シンボリクリスエスにとってトレセン学園での生活は仕事である。勝ち星を重ねる為に己を鍛え、チームメイト達に目を光らせ、緩んでいたら締め上げ研鑽させ勝たせる。

 他のウマ娘のように夢を叶えたいレースに勝ちたいという熱はさほどない。藤林トレーナーとの契約がなければレースに負けてもいいと思っている。

 だが仕事としてチームメイトを勝たせ己も勝たなければならない。仕事を請け負ったからには全身全霊でおこなう。

 自分以外のウマ娘は全てアマチュアだ。例え勝とうが負けようが自分以外に迷惑がかからない。だが自分は労働契約を結んだプロである。課せられた仕事をこなさなければ雇用主である藤林トレーナーが損害を被る。

 もはや自分だけの問題ではない。絶対に勝たなければならない。そのプロとしてのメンタリティは誰よりも勝利への執念を募らせた。

 

───

 

「いけー!差せ!差せ!」

「そのまま!そのまま!」

 

 辺りにはエンジン音が響き渡りスタンドでは観客達が声を張り上げレースの行く末を見守る。

 多摩川ボートレース場、公営ギャンブル競艇が行わるレース場の1つであり、今日は日曜日ということもあってか多くの客が訪れていた。そしてその観客のなかに30代のジャージを着た男性と1人の鹿毛のウマ娘が混じっていた。

 

「よし!そのまま!そのまま!いやお前は来なくていいからな!」

「いや来い!来い!来い!」

 

 2人は他の観客と同じように声を張り上げながらレースを見つめる。その様子は完全に周囲に溶け込んでいた。

 

「よし!ハナ差残した」

 

 男性は大きくガッツポーズする。一方鹿毛のウマ娘はお気に入りの選手が負けて残念そうに項垂れる。

 

「あ~あ、負けたよ。あとちょっとだったのに、で当ったの?」

「2連単、3連単だ!」

「マジで!2着は穴だから、かなりつくんじゃね!」

「ああ!事前オッズで3連単は万舟券だったのは確認済みだ」

「マジで!いくらだ!?いくらだ!?」

 

 鹿毛のウマ娘はお気に入りの選手が負けたことをすっかり忘れ、このレースの配当に興味が移っていた。

 そして掲示板にレース結果と配当が表示され、パーカーの男性は100万円以上の配当を得る。それを見て男性とウマ娘は思わず抱き着いた。

 鹿毛のウマ娘の名前はタップダンスシチー、そしてパーカーの男性はタップダンスシチーのトレーナーである。

 

「予想が完璧に嵌った時のこの快感、これだから競艇は止められない」

 

 バスの車内でトレーナーはタップダンスシチーに嬉しそうに語る。最初はよく当てたものだと感心していたが、あまりにも自慢し続け段々と鬱陶しくなりはじめていた。

 

「それでそれで、大予想家のてっちゃん様のトータル収支は?」

「……トントンかな」

 

 タップダンスシチーの言葉に嬉々として話していたトレーナーの表情が曇る。大半の者はこの言葉を言えば黙る。

 しかし今日のプラス分でもトータル収支でプラスにならないとはどれだけ賭けているのだ?トレーナーの行く末に少しだけ不安を抱く。

 

「しかし、あのレースは惜しかったな。あともう少しだったのに」

「まあ、今回は相手が上手だったな」

 

 タップダンスシチーとトレーナーは今日行われたレースの回顧を始める。

 入学前までは競艇には全く興味が無かったのだが、過去に気分が落ち込んでいた時にトレーナーに誘われてから競艇の面白さを知り、舟券は買えないが自分で予想し、トレーナーと一緒に地元や遠征先のレース場に足を運ぶまでになっていた。

 競艇談議は無料の送迎バスから降りて電車に乗っても続いていた。タップダンスシチーにとって競艇の話をできるのはトレーナーだけだった。

 

「しかし、もしトゥインクルレースも競艇みたいにギャンブルになってたらどうなってるんだろうな」

「それは今とは違うだろうな。負けたら金返せとか下手くそとか、小倉から走ってトレセン学園に帰れとか言われるだろうな」

「それはある。ちなみにアタシが負けたら何て野次飛ばす」

「競艇を勉強する暇があったらレースの勉強しろとか」

「あ~、言いそう」

 

 タップダンスシチーは競艇場で聞いた野次を思い出して思わず頷く。野次でも選手のプライベートな事を絡ませたものがあり、1着になれなかった選手に『新婚の嫁さんにブランド品買えねえぞ』等の野次があった。

 

「それだったらアタシも走り方を変えてたかもな。今までは1着以外は価値が無いって一か八かの作戦立てて、1着になれないと分かったら手を抜いてた。でも競艇みたいに賭けの対象になってたら、3着までには残ろうと頑張るな。でないとアタシを買ってくれたファンに失礼だし」

 

 競艇場では金という人生にとって大切な物を賭けている。まだ若くその価値と重さを本当の意味で理解していないかもしれないが、少しぐらいは理解しているつもりだ。それが時にはレース場に来る観客達以上の熱を生む。

 

「けど、トゥインクルレースは賭博じゃない。だからアタシは今まで通り1着以外になれなかったら手を抜く」

 

 タップダンスシチーは悪びれることなく言い放つ。勝負とはオールオアナッシング、1着以外は全て負けというのが己の主義だった。

 トレセン学園にはレースに勝つためにやってきた。2着や3着が踊れるウイニングライブは欠片も興味が無かった。

 レースでは1着か大敗かという作戦を選び、1着になれないと分かった瞬間明らかに手を抜いた。2着になる為に全力で走って疲労を溜め怪我するぐらいなら、力を温存して次に備えた方がいいと考えていた。

 もし競艇であれば大問題になるが、レースでは2着だろうが最下位だろうが全て自分の問題であり他人には被害を与えないので問題ないと思っていた。

 だが世間や周囲はそれを許さなかった。どんな状況でも夢を追い求めひたむきに走る、それが世間の求めるウマ娘の姿であり、タップダンスシチーの走りと主義は不快なものだった。

 それはトレーナーや他のウマ娘達にとって同様であり、レースを穢していると思われ誰もタップダンスシチーに関わろうとは思わなかった。

 チームには入れず1人で走る日々が続くなか、今のトレーナーが声をかける。

 

──レースは1着とそれ以外、2着も最下位も全部同じってか、その勝負師気質気に入った。よかったら俺のチームに入らないか?

 

 トレーナーはタップダンスシチーの主義主張を理解し手を差し出し、応じるようにしてトレーナーのチームに加入した。

 それからは試行錯誤の繰り返しだった。勝つためのレーススタイルを模索しレースを走り続け、勝てないとわかれば次に備えるために手を抜く。その走りは常に非難を受けたがその度にトレーナーが矢面に立って受け止めていた。そしてついに見つけた。

 淀みのないペースを刻み続け後続に脚を使わせ、ペースが遅ければハナをきり、ある程度流れれば先頭にプレッシャーを与え続け緩んだところを3コーナーでも一気に捲ってそのまま押し切る。トレーナーと作り上げたアタシ達の走り。

 

 この走りを確立させて迎えた有マ記念、最初にハナに立つが1番人気のファインモーションがハナを奪い返したところにプレッシャーを与え続け、途中で緩んだところに一気に抜き去りそのまま押し切る。

 まさに理想的な走りだった。直線に入って残り100メートルをきったところで勝利を確信していた。だがシンボリクリスエスの鬼脚に差し切られる。

 あそこまで完璧なレース運びで勝てなかった。この走りは間違っていたのか?GIには勝てないのか?

 心が挫けかけるが即座に活を入れる。アタシ達の走りは間違っていない。もっと磨き上げれば勝てるはずだ。その想いでトレーニングを重ね前走の金鯱賞では1着になった。

 そして宝塚記念にはシンボリクリスエスが出てくる。有マの雪辱を果たしアタシ達の走りを証明する舞台に相応しい。

 電車は府中駅に着くとタップダンスシチーはトレーナーと別れてトレセン学園の寮に帰っていく。

 

「ただいま」

「お帰り」

 

 寮の自室に帰るとルームメイトのアグネスデジタルがPCのモニターから視線を外し出迎える。一時期は別の部屋で暮らしていたが、問題が解決したということで戻ってきた。

 周囲にはグッズが置いてあり、府中レース場に遊びに行っていたのが分かる。

 

「今日も府中に行ってたのか、熱心だな」

「それは府中の最終日だしね。タップダンスシチーちゃんも競艇?好きだね」

「ああ、レースとは違った非日常感がたまらん」

「そんなに面白いの競艇?」

「事前に情報を集めて検証して推理する。予想がバッチリ当たった時の快感は病みつきになるぞ。それに応援している選手が勝つと嬉しいしな」

「それは分かる。推しが喜ぶ姿は嬉しいよね」

 

 デジタルはタップダンスシチーとの会話を止め、PC画面に視線を移しウヒョーと奇声をあげながら今日のメインレースのエプソムカップのウイニングライブを堪能している。

 今では馴れたがデジタルがルームメイトになった当初は全く馴れず困惑していた。

 エイシンプレストンから貰ったデジタル取扱書がなければいざこざが起きていただろう。しかしこのウマ娘オタクが世代のトップであることが時々信じられなくなる。

 

 タップダンスシチー達の世代の代表は誰かと訊かれれば大概のファンはアグネスデジタルと答えるだろう。

 普通ならクラシックを勝ったウマ娘が代表となり、皐月賞と菊花賞を勝ち日本ダービーでは7センチ差の2着のエアシャカールがその筆頭だろう。

 だが積み上げた実績や話題性を含めて気が付けばアグネスデジタルが世代の代表と認識され始めていた。

 ジュニア級で重賞に勝ち、クラシック級でマイルCSに勝つなどして早期から活躍した異能の勇者、一方タップダンスシチーはシニア級になっても条件戦で走り続けた。2人の距離は途方もなく開いていた。だが自分達の走りを確立し力をつけその距離は縮まった。そしてついに同じ舞台で走れる。

 世代のトップであるアグネスデジタルに勝利し、自分こそが世代の主役であると証明したい。それはシンボリクリスエスに勝利したいという気持ちと同等の熱量だった。

 




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