勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と宴#3

『さあスタートしました。先頭に立つのは……マイソールサウンド、1バ身差ほど離れてバランスオブゲーム、アサカデフィート、ストップザワールド、タップダンスシチーが先行グループ、2バ身開いてダンツフレーム、そして本日の1番人気のシンボリクリスエスは中団の位置だ。外にメジロランバート、1バ身差後ろにサンライズジャガーとヒシミラクル、さらにその後ろにダイタクヴァートラムにアグネスデジタルは後方グループ、イーグルカフェにスタートを失敗したかネオユニヴァースは後方から3番目の位置、そこから3バ身離れてツルマルボーイとファストタテヤマ。先頭から後ろまで10バ身以上、これは縦長の展開になった』

 

 17人がスタンド前を過ぎて土埃が舞う。観客はそれぞれ応援しているウマ娘に声援を送りその声は合わさり大歓声となる。

 

 タップダンスシチーは先行グループ、シンボリクリスエスとヒシミラクルは中団、ネオユニヴァースは後方グループと大方の予想通りの位置につける。

 そしてデジタルは後方グループに位置つける。先行もできるデジタルだが今日はこのポジションにつけた。

 

(皆予想通りの位置どりか)

 

 デジタルとしては出来る限り多くのウマ娘を感じる為に中団ぐらいにつけたいところであり、そこで他のウマ娘のロングスパートに付き合い一緒に上がっていくのがベストだが、今日の芝は開催から暫く経っているせいで荒れてパワーが必要になっている。

 この芝と淀みないペースで中団からロングスパートを仕掛ければ最後に力尽き垂れる可能性があると考えていた。

 ここは出来る限り脚を溜めて直線間際にスパートをかけて末脚勝負でいったほうがいい、その方が力尽きずウマ娘達を感じられると判断した。

 

 先頭が第1コーナーを曲がり第2コーナーに差し掛かり、デジタルの表情が僅かに渋る。出来る限り一団になってもらいたかったのだが、先頭のペースが落ちず淀みないペースを刻んでいく。

 先頭に付いていこうとペースを上げる者とペースを維持する者に分れ、その結果さらに縦長な展開になっていき、先頭から後ろまで15バ身差以上離れている。好ましくない展開だった。

 デジタルは最後まで走り抜けるようにペースを維持し、ダイタクヴァートラムやヒシミラクルとの差が徐々に開いていくが気持ちを落ち着かせ力を溜めていく。

 1200メートルの位置を通過し体内時計で大まかなペースを判断する。おおよそ1分ジャスト、先頭は10バ身差以上前と仮定すると59秒台ぐらい、芝の状態を考慮すれば速いペースだ。

 いつスパートをかけようと考えているとヒシミラクルの姿が目に入る。何か重大な決断を下したような表情に体の挙動、あれはスパートをかけた動きだ。

 ヒシミラクルはデジタルから3バ身前の位置、つまり約1200メートルの位置からスパートをかけたことになる。

 

(え?そこから仕掛けるの?それは流石に早いんじゃない)

 

 デジタルも思わず驚く。いくら天皇賞春を制覇したスタミナ自慢でもこの位置からは無謀だ。

 そしてズブい。ヒシミラクルの表情や動きを見ている限り全力に近い力で走っているのは分かる。だがそれに反して徐々にポジションを上げているに過ぎない。普通のGIウマ娘がスパートをかければ、もっとすんなりとポジションを上げていくはずだ。

 だがこれはヒシミラクルがズブいからだけではない。他のウマ娘もペースが遅いと判断したのか同じようにペースを上げていき、レースの流れは一気に激しくなる。

 ペースが上がるなかデジタルはギリギリまで足を溜めるべきと判断する。

 ポジションをズルズルと下げていき気が付けば後方グループの16番手ファストタテヤマと15番手ネオユニヴァースと同じ位置につけ、後方グループとそれ以外のグループとの差は20バ身差まで広がっていく。

 残り800メートルを切り前にいたネオユニヴァースが上ボジションを上げていくが、デジタルはまだ脚を溜める。

 後方グループを形成するデジタルとファストタテヤマとツルマルボーイと集団との差は広がっていき、集団グループと先頭との差が縮まっていく。

 残り600メートルをきり、先行していたタップダンスシチーが外側から捲り気味にコーナーに進出し先頭に躍り出る。

 シンボリクリスエスは4番手につけると内側にじっと構え、ヒシミラクルは8番手の位置まで上がりネオユニヴァースはその後ろにつけていた。

 デジタルはファストタテヤマのすぐ前の15番手につける。

 

──さあ!皆を感じさせて!

 

 デジタルは神経を研ぎ澄まし溜めていた末脚を爆発させる。

 

『直線に入ってタップダンスシチー先頭!タップダンスシチー先頭!このまま押し切れるか!?』

 

 先頭を走っていたマイソールサウンドとバランスオブゲームはタップダンスシチーを一瞥し即座に全ての力を解き放つ。マズい、タップダンスシチーは不調じゃない、このまま見過ごせば押し切られる。一方それを見てタップダンスシチーはほくそ笑む。

 今更気づいたな、そうだパドックでの姿はブラフで不調ではなく好調だ。

 余力は充分に残しこのまま押し切れる!多少ペースが速かろうが関係ない。行けると思えば早々に先頭に立ちそのまま押し切る。これが勝つためにトレーナーと作り上げたアタシ達のスタイルだ!

 タップダンスシチーは揺るがず迷わず己のリズムを刻み続ける。

 

『さあ直線に入り漆黒の帝王が内を割って一気にやってきた!』

 

 シンボリクリスエスはタップダンスシチーが外から捲って先頭に躍り出るのを横目に見ながら内に潜る。

 あれは不調の走りではない、体調は万全で宝塚記念に目標を定め、牙を研ぎ続けた乾坤一擲の走りだ、完全に騙された。このまま軽視して放置すればあのまま押し切られる。

 だが問題ない、不意打ち気味に外から捲っていったが競り合った分だけ遠心力で外に膨らむ。ならば自分は内を突く。

 前にマイソールサウンドとバランスオブゲームがいて壁が出来ている。だが問題ない。タップダンスシチーと競り合えば遠心力で膨れスペースが出来上がる。

 そして予想通りコーナーから直線に切り替わるポイントでマイソールサウンドとバランスオブゲームの間に僅かなスペースが出来ていた。

 シンボリクリスエスは最短距離を進むために躊躇なく割って入り、その雄大な体を生かし強引にスペースをこじ開け、マイソールサウンドとバランスオブゲームを弾き飛ばす。

 接触による転倒は頭に過りはした。だが仕事を遂行するために危険はつきものであり、リスクを取れない者はプロではない。自分はプロ選手であり雇用主の為にリスクをとるのは当然だ。

 

 タップダンスシチーはその様子を見ながら歯を食いしばり力を振り絞る。

 ファインモーションをねじ伏せ完全に勝利したと思った有マ記念、だが圧倒的な末脚で残り50メートルでかわされた。

 手中に収めていた勝利を強引に手から奪い取られた。もう2度と奪われないように自分の長所を鍛え上げた。先行力を生かし淀みないペースを作り、逃げが遅ければ一気に捲り強気に押し切る。これが自分達の走り、この走りで現役最強ウマ娘に勝つ。

 

(いいね!いいね!どけ下郎とばかりに2人を弾き飛ばしてわが道を突き進むシンボリクリスエスちゃんに、アタシ達の走りで帝王に挑むタップダンスシチーちゃん。バチバチじゃん!)

 

 デジタルは力を振り絞りながら意識を2人に向ける。2人の走りには一切の迷いが無い。それは実に尊くその断固たる決意が煌めきを生み出す。

 そしてデジタルは何かを感じ取り2人に向けていた意識を別のウマ娘に向ける。発生源はネオユニヴァースだった。

 

『ネオユニヴァースもやってきた!2冠ウマ娘がシニアの猛者達に襲い掛かる!』

 

 ネオユニヴァースにとってレースとは相手との戦いではなかった。如何に自分の宇宙を表現して周りに見せるか、それは自分との闘いだった。

 いつも通り宇宙を表現しようと意識を集中する。だが前に居るダンツフレームの動きを見て蓋をしようとしているのを察知していた。

 ネオユニヴァースは一呼吸だけスパートのタイミングを早める。予備動作が一切ない急加速、それは惚れ惚れするように動作だった。

 ダンツフレームの左肩に衝撃が走る。長年の経験から仕掛けるタイミングを読み取り絶妙のタイミングで反則にならない程度に進路を塞いだはずだった。

 だが既にスパートを仕掛け、ぶつかった衝撃で弾き飛ばされる。

 ダンツフレームは反射的にネオユニヴァースを睨み慄く。その目には自分のことは欠片も映っていなかった。そしてその目には勝利への欲望も執念もなく、何か常人では理解できない別のものを見ているのかが分かった。

 

(ネオユニヴァースちゃんの雰囲気がさらに濃くなった!なにこれ!?今まで感じたことが無いタイプだ!もっと味わいたい!)

 

 デジタルはスパートを仕掛けたネオユニヴァースから未知の感覚を感じていた。

 負けたくないという刺々しいものでもなく、勝ちたいというマグマのような熱でもない。一種の温かみと懐の深さとスケールの大きさ、これがネオユニヴァースの宇宙なのか。

 

 ──もっと感じたい、もっと知りたい。

 

 デジタルは欲求という動力源からエネルギーを生み出し推進力に変換する。

 

『残り200メートル!シンボリクリスエスか?タップダンスシチーか?ネオユニヴァースも凄い勢いで来ている!そしてヒシミラクルだ!来る!来る!ヒシミラクルだ!菊花賞と天皇賞春を制したスタミナ自慢がジワジワと這い上がってきた!』

 

 どんなレース展開でも残り1200からスパートを仕掛けることは決めていた。

 自分でも中距離で勝つスピードとキレの無さとズブさは分かっていた。普通のレースをしていたら勝てない。ならばスタミナと長く良い脚を使えるという長所を生かし超ロングスパートを仕掛ける。

 超ロングスパートを仕掛ければ途中のコーナーでは遠心力によって膨れ上がり距離ロスする。だが自分にはそれを補えるスタミナがあり、何より運によって何かしらの追い風が吹き勝てると確信していた。

 

 残り1200メートルに差し掛かると予定通りスパートを仕掛け、自分の仕掛けに釣られるように他のウマ娘達もペースを上げていく。

 こっちはほぼ全力で走っているのに他は少しギアを上げた程度だ。改めて自分のズブさが浮き彫りになる。

 天皇賞春に勝った直後ならズブさに落胆し、気持ちが萎え宝塚記念に出走すべきでは無かったと思っていただろう。しかし自信を持って突き進む。何故なら反応の速さなんかより比べ物にならない程の武器が有るから。

 

 3コーナー、こっちは汗をかきながら必死こいて走っているのに、他のウマ娘達の表情はとくに乱れずついてくる。

 4コーナー、相変わらずキツく心臓がバクバクと脈打つ、そしてペースがさらに上がったせいか表情が険しくなる。

 直線に入り、他のウマ娘達の表情が歪み始め徐々に後退していく。それを尻目に先頭との距離を縮めていく。だがそれはジリジリと少しずつだ、さらに後ろから猛烈な勢いで突っ込んでくる気配を感じる。

 このまま差し切れない、後ろから差される。そんなネガティブな感情は一切湧いてこない。

 その背には確かに感じていた。神風という自分しか恩恵が預かれない強烈な追い風を。

 

(アタシの節穴!何で気づかなかったの!)

 

 デジタルはシンボリクリスエス達に意識を傾けていたせいか、ヒシミラクルがジリジリと上がってきているのに気が付いていなかった。

 残り1200メートルから持つわけがない。一か八かの賭けを挑むウマ娘も嫌いでは無いが、捨て鉢ではなく確固たる意志を持って挑むウマ娘を感じたいと無意識に意識を向けていなかった。そして己の節穴さを呪う。

 どこが捨て鉢だ!あれは自分の力を信じ、不器用に実直にロングスパートを仕掛け、自分に風向きが向くと信じ断固たる決意を持って走るウマ娘の姿だ!

 常識外れのロングスパートのせいか尋常じゃない汗が出て周囲にまき散らし、周りは汗によってキラキラと輝いている。なんて尊みだ!こんな尊みを見逃すなど一生の不覚!早く追いついて感じないと!

 

 デジタルは末脚を繰り出しタップダンスシチーまで残り4バ身差まで詰める。だが残り200メートルの坂に差し掛かった瞬間に勢いが止まってしまう。

 宝塚記念の距離と淀みのないペースに対応するためにトレーニングを積み重ね、レースの流れを読み、脚を溜めて後方一気でウマ娘を感じようと最善を尽くす。それでも宝塚記念の距離と淀みのないペースは脚を想像以上に消費させていた。

 デジタルは押し寄せる諦めに必死に抗う。しかし横から吹き付ける一陣の風に焦りも諦めも忘れ去ってしまう。その一陣の風は猛烈な勢いで先頭に向かって行く。

 

『残り100メートル!ヒシミラクルだ!ヒシミラクルが抜け出した!いや大外からツルマルボーイもやってくるぞ!』

 

 ──地味に強い、名脇役

 

 それがツルマルボーイに抱く印象だった。宝塚記念で2着、重賞を2勝し中距離のレースではその能力の高さと確かな末脚を繰り出し常に掲示板圏内を確保する。

 容姿も地味で性格もいたって普通、勝負服も奇抜ではない、それらの要素も地味さ加減に拍車をかける。そんな現状に危機感を覚えていた。

 ツルマルボーイは主役になりたかった。このままでは脇役に終わってしまうと脇役から脱却するために様々な試みをした。

 容姿で目立とうと髪をレインボーカラーにしたが、校則違反かつそんな恰好でレースに出れば品位が落ちると元の色に戻させられた。

 思い切ってパリピにでもなるかとイメチェンを試みるが、心が拒絶反応してなれなかった。

 勝負服もド派手なものにデザイン変更したが、そのレースで11着と大敗したので元に戻した。

 

 様々な試みを経た結果、外面を変えても主役になれず、地道に鍛えレースで主役になればいいと初心に戻る。

 だが大阪杯2着、天皇賞春4着、金鯱賞2着とさらに名脇役という印象を強くする結果になってしまった。

 その結果に落ち込むツルマルボーイにトレーナーはあるアドバイスをした。

 

──外見ではなく、レース内容を変えてみたらどうだ?

 

 ツルマルボーイは後方一気で追い込むウマ娘だ。だが追い込みはレースの王道ではなく展開に左右されやすい。先行か好位差し、これがレースの王道だ。

 ツルマルボーイはその提案を拒否した。追い込みこそ自分の芯となる部分だ、それを変えてしまったら主役になれない気がする。だが提案は拒否したがトレーナーのアドバイスはヒントとなる。追い込みは変えないがもっと極端にしてみてもいいかもしれない。

 レース当日、ツルマルボーイは極端な位置取りでレースを運んだ。周りがペースを上げいつもなら同様にペースを上げる場面でも徹底的に脚を溜め、直線に全てをかける。それは一種の賭けだった。

 直線が比較的に短い宝塚記念で直線一気は明らかに不利な戦法であり、4コーナー手前である程度ペースを上げるのがセオリーである。

 だがそのセオリーを敢えて破り、このレースを通して殻を破ることに賭けていた。

 

 直線に入り溜めていた脚を一気に爆発させ出走ウマ娘最速の末脚を繰り出し、ネオユニヴァースを切り捨て、シンボリクリスエスとタップダンスシチーをも切り捨てる。猛然とヒシミラクルに襲い掛かる。

 デジタルは交わされる瞬間に目に焼き付けたのは目を見開き歯を食いしばるツルマルボーイの姿だった。

 脇役じゃない、GIを勝ち脇役から主役になる!多くのウマ娘が胸に宿す普遍的な情熱、それは決して珍しいものではないが、それはどんな時代でも色あせない尊さだった。

 

 残り100メートルになり勝者は抜け出したヒシミラクルと猛烈に追い込んでくるツルマルボーイに絞られる。後ろに居るウマ娘達も決して折れることなく懸命に前に進む。

 やはりレースを通してウマ娘を感じるのは最高だ。少しでも近づいて感じよう、他のウマ娘のように勝利は目指していないが、己の目的を果たすためにデジタルも懸命に前に進んだ。

 

『ヒシミラクルか?ツルマルボーイか?ヒシミラクルか?ツルマルボーイか?』

 

 残り50メートル、2人にとって大きな分岐点が訪れる。

 ヒシミラクルが踏みしめようとする先に踏み込みで抉れた穴があった。

 レースでは1レースごとにコースを整備し抉れた穴を埋め公平にレースを走れるようにする。だがこの穴はスタート直後の直線を走った時に発生した穴であり、埋めることはできない。

 もし穴に脚を踏み込めばタイムロスどころか、最悪脚を挫いて怪我することになる。この一歩で運命が決まると言ってもいい局面だった。そして抉れた穴から数センチ横の芝に足を着ける。

 ヒシミラクルは穴を察知したわけでもなく、無意識で避けたわけもない。寄れただけだった。

 無類のスタミナを誇るヒシミラクルでも残り1200メートルからの超ロングスパートは堪え、ほんの僅かだけ寄れてしまっていた。だがその僅かが救った。

 

「ヒシミラクルだ!またまたミラクル、ヒシミラクル!菊花賞も天皇賞春も伊達ではない!奇跡が3つ続けばそれは必然!このウマ娘は本当に強い!」

 

 ヒシミラクルがツルマルボーイの猛追をクビ差で凌ぎ1着でゴールする。

 史上最高の豪華メンバーが集まったGI宝塚記念はヒシミラクルの勝利で幕を閉じる。3着にはネオユニヴァース、4着にシンボリクリスエス、5着にタップダンスシチー、デジタルは8着に終わる

 一方阪神レース場はヒシミラクルがゴール板を駆け抜けてから暫くしても結末を受け入れがたいのかざわついていた。

 大方の予想は本命がシンボリクリスエス、対抗がネオユニヴァースだった。ヒシミラクルも実績としてはシンボリクリスエスやネオユニヴァースと同じGI2勝だが評価はされず、6番人気に甘んじていた。所詮は運が良いステイヤー、中距離のスピードにはついてこられない。それがヒシミラクルへの評価だった。

 だが蓋を開けてみればステイヤーという特徴を存分に生かしたロングスパートで漆黒の帝王も2冠ウマ娘もねじ伏せていた。

 ヒシミラクルは徐々に減速していき止まる。汗を滴らせながら俯き、暫くしてから顔を上げて着順掲示板を見つめる。燦然と輝く10番の文字、これこそが純然たる結果である。

 疲労困憊のなかで浮かべる小さな笑顔を浮かべていた。

 

「お疲れさん。良い感じにレース運びしていたが直線で足が止まったな」

 

 各ウマ娘は地下バ道から控室に戻っていく。その一団になかにデジタルも居りトレーナーは出迎える。

 もしかしてやってくれるのではと期待していたが現実は甘くなかった。だがある程度想定した結果だったのでショックは少なかった。

 

「坂で止まっちゃった。もう少し伸びると思ったんだけど」

「宝塚記念はやっぱり厳しかったが、やれると思ったが安田記念での見えない疲れがあったかもな」

「それよりヒシミラクルちゃん見た?最高だったよね!」

「ああ、正直過小評価しておったわ。自分の持ち味を生かした見事なレースやった」

「でしょ~!白ちゃん節穴~って言いたいところだけど、正直アタシもあまり意識を向けてなかった節穴です!あんな尊いウマ娘ちゃんを途中まで見過ごすだなんて一生の不覚!」

 

 デジタルはレースの興奮冷めやらぬのかいつも通り饒舌に喋る。今日のレースはどれだけ満足できるのかというのが焦点だったが、表情を見る限りそれなりに満足できているようだ。

 

「あ~、もう少し近づいて感じたかったな!己の無力が憎い!力が!力が欲しい!」

 

 デジタルは芝居がかった言葉で愚痴をこぼす。勝利の為ではなくウマ娘をより近くで感じられない無力さを嘆く。

 一見ふざけているようだが、本人にとっては真剣な問題で、勝てなかった他のウマ娘と同じように悔しさを抱いていた。

 着順が確定するとウイナーズサークルでヒシミラクルのインタビューが始まる。

 

「菊花賞と天皇賞春を勝ったのに上位人気ではない、内心ではやってやるという気持ちはありましたか?」

「はい、ですが中距離は少し分が悪いと思ってましたけど、何とかなって勝てると思いました」

 

──マグレ~マグレ~展開が向いただけだよ、前総崩れで後ろは仕掛けが遅れただけから勝てただけだよ。

 

 インタビューを遮るようにファンからヤジが飛び、レース場は俄かにざわつく。

 同時に中継していたレース番組でコメンテーターや解説の元現役選手が今のレースを分析し語っていた。

 道中のペースが明らかに速くなったことでスタミナ勝負になりヒシミラクルに有利な展開になり、前に居たシンボリクリスエスとタップダンスシチーはハイペースに巻き込まれた。

 3着のネオユニヴァースは比較的に後ろにいたがハイペースの影響か集団に付いていったことで道中で脚を使ってしまい、直線での末脚を発揮できなかった。

 2着後ろに居たツルマルボーイはハイペースの影響を受けることなく脚を溜めることで末脚を発揮できたが、直線一気に全てを賭けようと足を溜めることに意識を向けすぎた結果仕掛けが遅れてしまった。普通に仕掛けていれば勝っていたのはツルマルボーイだった。

 その言葉は即座にネット上に拡散され知れ渡り、観客達にヒシミラクルの強さに対する疑念を植え付けていた。

 

 インタビュアーはそのヤジに反応せず質問をするが、ヒシミラクルは手で制しマイクを近づけるようにジェスチャーでお願いする。

 

「確かに改めてレースを見ましたが、ペースは速くなりステイヤーである私に向いた流れになりましたし、ツルマルボーイがもう少し仕掛が早ければ差されていたかもしれません。もう1回レースをすれば同じような結果にはならないでしょう。ですが、そのステイヤー向きの流れになったのも、仕掛けが遅くなったのも全て私の運が招いたものであり、私の実力です!」

 

 ヒシミラクルは自信満々に言い切る。全ては運という自分の最大の武器を生かして勝ち取った勝利である。

 一方観客はその言葉にざわつく。運も実力の内という言葉が有るが本気で信じている者は少なく所詮勝者を慰める言葉にすぎない。

 現状業界では明らかに不利を受けたウマ娘が1着と僅差で2着になれば殆どが2着のウマ娘の方が強いと認識する。

 

「なるほど、運も実力の内ということですね」

 

 インタビュアーは上手くインタビューを進行しようと話の流れに沿った質問をする。

 

「はい!例え確勝と評価されたウマ娘がゴール手前で2着と大差をつけた状態で怪我して競争中止になっての勝利でも、大差をつけた1着が斜行で降着になったレースで繰上りでの勝利でも私は本心で喜びます!なぜなら私の運が招いた結果ですから!」

 

 レース場の騒めきはどんどん大きくなる。最初はヤジに反応した強がりだと思っていた。だがこのウマ娘は本心で言っていると理解し始める。

 そんな勝利では誰も喜ばないはずだ、何故そんな自信満々に言い放つことができる?観客達はヒシミラクルというウマ娘に得体のしれない恐ろしさを覚えていた。

 

「では最後に一言お願いします」

「レースの強さはスピード、パワー、器用さ、思考力判断力、勝負根性の総合値で決まるわけではありません!そこに運が加わった総合値が強さです!だから運が良くてレースに勝った私はこのレースで最も強く!この1着は完全無欠の勝利です!」

 

 観客達は疎らに拍手を送る。だがその拍手は次第に大きくなっていく。

 レースが始まる前にヒシミラクルの言葉を聞いても極論であると一笑していただろう。

 だがこうして負い目もなく偽りのない本心で持論を言い放つ姿にに価値観が大きく揺さぶられていた。

 運とは世間が考える以上に重要な要素ではないのだろうか?その意見に同調するように拍手はどんどん大きくなった。

 

「凄いよ!ミラクル!」

「よっ!現代の現人神!」

 

 インタビューを終えて引き上げるヒシミラクルをチームメイト達が改めて歓迎し祝福する。GI3勝、それは最早歴史に名を遺すほどの偉業だ。

 周りはこの勝利すらフロック扱いするかもしれない。だがチームメイト達はヒシミラクルの努力と力を知っている。決して運だけのウマ娘ではない。それに運でも他のウマ娘達より遥かに強い。

 

「これが奇跡のウマ娘の汗です。受け取れば幸運を授かるでしょう」

「いや、要らないから」

「新興宗教でも起こすつもりかよ、調子乗んな」

 

 ヒシミラクルは汗を拭いたタオルを尊大な態度で渡すがチームメイト達は雑に払いのけ、そのやり取りの後ヒシミラクル達は大笑いした。

 

「ミラクル、おめでとう。本当によくやった」

「ありがとうございます。運の強さも才能だ、お前は強い。この言葉で私が持つ運を肯定できました。今日の勝利はトレーナーのお陰です」

 

 ヒシミラクルは屈託のない表情を浮かべながらトレーナーに礼を言う。一方トレーナーは顔を伏せ重々しく言葉を紡ぐ。

 

「運の強さも才能、本当はそんなこと信じていなかった。ただ励ますための噓だった。今日のレースも実力では分が悪いと思って勝つとは信じきれなかったし、展開が向いてどこか運に恵まれた勝利だと思って胸を張れなかった。だが今のインタビューを聞いて今更理解した。運は紛れもない実力で有り、ミラクルは本当に強いウマ娘だと」

 

 長年のトレーナー生活の中で何人も大きなレースに勝った後に活躍できず、その勝利はフロックだと言われた教え子達を見てきた。

 その度にヒシミラクルにかけた言葉を言ったが教え子の表情は晴れることはなかった。

 それは運も実力であると心から信じきれなかったからだ。だが今なら断言できる。運は正真正銘の実力だと、それを教えてくれた。

 

 ヒシミラクルはトレーナーの言葉に胸を張って応じていた。

 

 

「運も実力の内か、案外そうかもな」

 

 タップダンスシチーは感心した素振りで呟く。勝負とは己を高め敵を知り欺いた結果の優劣で決まると思っていた。

 そして自分も含めて多くの者は運という要素を軽視していた。勝利の為に運という不確定要素を排除し、運で勝ったと言われないように日々研鑽を積んでいく。

 だがヒシミラクルは運という要素を拒絶せず受け入れ慈しんだ。もし幸運の女神が居るとしたらどちらに微笑むかと言われれば自分達ではなくヒシミラクルだろう。好意を与えない者に好意は返ってこない。

 それに運は時に実力を容易に覆す。蹄鉄が外れた。転倒に巻き込まれた。抉れた芝が顔面に当った。こういったことで実力が発揮できず負けた例は多くある。

 それ以外にも事故に巻き込まれた。食べ物があたってレースにすら参加できないということもある。レースに参加できなければいくら実力があっても意味が無い。

 かつてマルゼンスキーは日本ダービーに出走できれば確実に勝てると言われながら、中央ウマ娘協会の規定により出走できなかった。

 仮にヒシミラクルがマルゼンスキーに出走できなかったダービーに勝利したとすれば恐らくこう言うだろう。

 

 マルゼンスキーが規定によって出走できなかったのは自分の運が招いたもの、このレースは文句なく実力で勝ち取った完全無欠の勝利である。

 

 確かに今日のレースは前の流れが速かった。4コーナーで捲るのではなくもう少し脚を溜めれば勝ったかもしれない。

 だがそれは無意味な過程だ。この結果はヒシミラクルの運に自分の運が飲み込まれただけだ。

 今日のレースで勝負師として大切なことを教わった気がする。今度からは運という要素を排除せず受け入れる。そうすれば幸運の女神が微笑んでくれるかもしれない。

 取り敢えずとばかりにご利益に預かろうとヒシミラクルに向かって手を合わせて拝んだ。

 

 シンボリクリスエスは唇を噛みしめ鬼の形相でヒシミラクルを睨みつける。

 勝利とは自分で決めるものではない。他人が決めて評価するものだ。運の要素が多く絡んだ勝利など世間は認めず自分自身も認めない。その暴論に怒りすら覚えていた。

 だが結果はヒシミラクルの勝利という純然たる結果に終わる。確かにハイペースに巻き込まれたのはペース判断を誤った。巻き込まれずレースに立ちまわっていれば勝っていたかもしれない。

 だがこれは自分の未熟が招いた結果であり、断じてヒシミラクルの運が招いたものではない。何よりプロとして勝利を献上できなかった自分に一番腹が立つ。

 運に左右されない圧倒的な強さを身に着けなければならない。プロとしてより一層の精進を誓った。

 

 ネオユニヴァースはヒシミラクルの姿をじっと見つめる。今日のレースは完敗だった。

 それは3着という結果によるものではない。今日のレースではいつも通り自分が感じる宇宙を表現し周りに伝えた。だがより強大な宇宙によって飲み込まれていた。

 ヒシミラクルの運を重要視する主張、それには興味が無いがその信念が宇宙となり己の宇宙を飲み込んだ。

 もっとより深く宇宙を感じ強固にしなければならない。とりあえず3冠ウマ娘になれば宇宙は広がるかもしれない。新たな目標を胸に宿しレース場を去っていく。 

 

「うわ~素敵すぎる~!」

 

 デジタルは尻尾をブンブンと左右に振り目を輝かせながらヒシミラクルの姿を見つめる。

 己の力と運をどこまでも信じもぎ取った勝利、一片の曇りもなく自分の勝利を誇るその姿には後光が差しているように見えていた。

 

「あそこまで言い切れば大したもんや。ぐうの音も出ない勝利や」

 

 トレーナーは拍手をしながら賞賛の言葉を述べる。

 ヒシミラクルの勝利は地力もあったが運に恵まれた勝利というのがトレーナーの見解だった。

 だがそれは自分の運が招いた結果であり、この結果は完全な実力であると言い放った。

 その考えはトレーナーの頭にはまるで無く衝撃的な言葉だった。ある意味運の要素は走力以上に生まれ持った資質が左右するかもしれない。

 ヒシミラクルの言葉はトレーナー達に一石を投じるものとなるだろう。今度から選手をスカウトする際は運の要素を加味してみるのも良いかもしれない。

 

「さて良いもん見れたところで先の話をするか、予定は未定で暫くレースは走らず休養や。異存は有るか?」

 

 今日のレースは凡走に終わったが初の距離と厳しい流れで予想以上に疲労が溜まりお釣りは全くない。

 デジタルがどうしても走りたいレースがあれば考えるが、体調を考えて暫く休養したほうが良い。

 

「ないよ。ゆっくり休みながら予定を考える。それで話はもうこれでいい?早く場所を確保しないと良い位置でウイニングライブが見られない。じゃあね」

 

 デジタルは一方的に言い放ち急いでこの場を後にする。相変わらずの切り替えの早さだとトレーナーは表情を崩す。

 他のウマ娘ならすぐに反省会をするところだが、今反省会しても言葉が右から左だろう。とりあえずライブを存分に楽しんで気分を切り替えてから反省会をしたほうが効率的だ。

 トレーナーはデジタルの反省点を纏める為に映像を見始めた。

 

宝塚記念 阪神レース場 GI芝 良 2200メートル

 

 

 

着順 番号     名前       タイム    着差    人気

 

 

1   10   ヒシミラクル    2:11.8         4       

 

 

2   9   ツルマルボーイ   2:11.8   クビ    10  

 

 

3   6   ネオユニヴァース   2:12.0   1.1/2    2

 

 

4   5   シンボリクリスエス  2:12.1   クビ     1

 

 

5   16   タップダンスシチー 2:12.1   クビ     4

 

 

8   2   アグネスデジタル   2:12.9   3.1/2     3

 

 

 


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