勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と新世代#1

 8月上旬、船橋レース場ではレースが開催されていない日の日中は練習場として使用され、船橋ウマ娘協会に所属しているウマ娘が走る。

 ウマ娘達が大量の汗をかきながらトレーニングに励み、レース場に砂塵が舞うなかアジュディミツオーは1人ダートコースを走る。

 その姿は離れて見ればコースを走るその他大勢のウマ娘である。だが他のウマ娘と大きく異なる点がある。アジュディミツオーはレースシューズを履いていなかった。

 

 漫然と走るな、一歩ごとに神経を研ぎ澄まし砂を確かめろ

 

 セイシンフブキの教えを思い出しながら足裏に伝わる感触に神経を研ぎ澄まし、踏み込みや力の入れ具合を調整していく。少し前までは走る際にはセイシンフブキが近くにいたが今は居ない。かつての日々を思い出し一瞬寂しさが過るが、即座に掻き消し走りに集中する。

 

「よし、集合!」

 

 コースを離れたところで強面の男性が声をかける。彼はトレーナーの山島、アジュディミツオーが所属するチームシェイクを率いるトレーナーである。

 チームシェイクは南関東ではナンバーワンのチームで、特に怪我によって中央から移籍したウマ娘を復調させ活躍させることには定評がある。

 ダートプライドが終わるとセイシンフブキは怪我で長期療養することになり、1人でトレーニングする日々が続く。

 別に不安はなかった。セイシンフブキとの日々で自分が何をすべきか把握し、リハビリの合間を縫ってトレーニングを見に来てくれた。デビューに向けてトレーニングを続けていくなか、ある日アジュディミツオーは山島からスカウトされる。

 南関東ナンバーワンのトレーナーからスカウトされた。誰もが二つ返事で承諾するところだが、アジュディミツオーは拒否した。

 自分の師はセイシンフブキ唯一人、デビュー後もセイシンフブキが所属するチームに入り、共にダートを極めていく。そのことを伝えるとセイシンフブキはこう告げた。

 

 お前はチームシェイクに入れ、お前はチームシェイクで覚え身に着け改良したダートについての考え方や走り方、アタシが自分で考え導き出した走り方、その2つをすり合わせれば、よりダートを極められる。

 その言葉が後押しとなり、山島トレーナーの誘いに応じチームシェイクに入る。

 アジュディミツオーはウォームアップを終えて山島の方に駆け寄り、本日のトレーニングの内容の説明を受け、トレーニングを始める。

 

 夜になると船橋レース場は照明がつかず、数メートル先の人影が判別できないほど暗くなる。

 その闇の中でアジュディミツオーはスタート地点から走り始める。昼のウォームアップの時と同じように、シューズを履かず素足だった。

 服装も昼の時に着ていたトレーニングシャツではなく、ランニングシャツとショートパンツと露出が多い恰好だった。

 アジュディミツオーは昼のトレーニングでは他のチームより1時間早くトレーニングを切り上げていた。そして切り上げた分をこの夜のトレーニングに当てている。

 チームシェイクに入る際にある条件を提示した。それは1時間だけ好きにトレーニングする時間をくれという条件だった。

 トレーナーの山島も考えてトレーニングメニューを組ま、余計なトレーニングはしてもらいたくなく、特別扱いはチームに不和をもたらすと考えていた。

 だがこの条件が呑めなければチームに入らないと譲らず、結局は山島がアジュディミツオーの条件を吞むことになる。

 そしてこの1時間でダートの正しい走り方を磨いていた。

 

 アジュディミツオーは神経を研ぎ澄まし足裏から得る情報を拾い、歩幅や踏み込みの力などを調整し最適な走りを導き出す。

 ウォームアップの時とは違い、今は全力に近い速度で走っている。スピードが速くなればなるほど地面と接触する時間が減り、情報を感じ取る時間も最適を導き出す時間も少なく難易度が上がる。

 自分が出来うる限りの正しいダートの走り方を実践していく。レースでは当然ながらシューズを履く。

 その状態では肌から直接砂の状態を感じることはできず、靴底から伝わる感触を感じ取り実践しなければならない。素足で実践できないようでは本番では到底できない。

 このトレーニングはダートプロフェッショナルとしての技術を高めると同時に娯楽でもあった。

 新しい走りのアイディアが浮かび実行する時間は何よりも楽しく心を落ち着かせた。だが今は不安がその感情が薄れさせていた。

 

 山島トレーナーはダートについてそこまで意識を向けていない。セイシンフブキやアジュディミツオーとは違い、ダートの状態によって走りを変えることはせず、トレーニングで磨き上げた走りで走る。アジュディミツオー達がダートを上手く走る方法を模索し、山島トレーナーはレースを速く走る方法を教えている。

 トレーニングもあくまでも速く走ることを主眼に置き、鍛えぬいた肉体を技術と心がそれをサポートしレースに勝利するという理念である。

 アジュディミツオーもその考えは承知している。その教えを学び、自分なりにダートを探求するのがチームに入った目的だ。

 山島トレーナーの指導力は確かなもので、肉体面や走り方の技術は入団してから飛躍的に向上した。だがチームに入ったことへの後悔と迷いが芽生え始めていた。

 

 アジュディミツオーはデビュー戦に勝利した後、身体に不調をきたして長期休養に入った。

 本来ならばジュニア級ダート最強を決めるGI全日本ジュニア優駿に出走したかったが、回避することになる。

 セイシンフブキの後継者として足跡をたどりダートを盛り上げるために、セイシンフブキが勝利した全日本ジュニア優駿には是非とも出走したかった。

 一方山島トレーナーは本調子でなく出走すれば今後の競争生活に影響が出ると考え、出走は見送りたかった。激しい口論の結果、アジュディミツオーが折れ全日本ジュニア優駿に出走を見送った。

 

 年が明けて4月になり、クラシック級での初戦では5バ身差の快勝、そして次走のレース選択で2人はまた衝突する。

 山島トレーナーは地方重賞の東京湾Cから南関東3冠の2冠目の東京ダービーのローテ―ションを提案し、アジュディミツオーは南関東3冠の1冠目の羽田盃を走りたいと拒否した。

 山島トレーナーはアジュディミツオーがまだ本調子でないと判断していた。

 しかも羽田盃は中1週での出走、負ける可能性が高くそれどころか走れば怪我する可能性も有ると諭す。何より地方のトレーナーにとって東京ダービーは中央の日本ダービーと同等の価値であり、万全の調整で臨みたかった。

 一方アジュディミツオーとしては是が非でも3冠を取りたかった。セイシンフブキだけが唯一成し遂げた無敗での南関東4冠、今では東京王冠賞が廃止となり南関東4冠ではなく3冠となり、4冠は唯一無二の記録になった。

 セイシンフブキはダートプライドの敗北によって勝ち鞍から南関東4冠を消して、船橋ウマ娘協会も本人の意志を尊重し公式記録から抹消されている。

 公式記録からは抹消されたが、記憶をこの世から完全に消すことはできない。

 無敗の南関東3冠ウマ娘が誕生すれば、自分から関連付けてセイシンフブキの存在を調べその偉業は心に刻まれる。だがこのまま無敗の南関東3冠ウマ娘が誕生しなければ、いずれ記憶は風化され忘れ去られる。

 そうはさせない。弟子として同じ道を辿り思い出させる。そして地方の代表として南関東3冠は是非とも取りたかった。

 全日本ジュニア優駿の時のように激しい口論になったが、今度はアジュディミツオーが全く引かず、逆に山島トレーナーが折れた。そして強行で出走した羽田盃は敗北する。

 

 その後アジュディミツオーは山島トレーナーのローテーションに従い、東京湾Cと東京ダービーに勝利し、南関東のクラシック級のトップに立った。

 そして地方のトップとして迎えたジャパンダートダービー、そこで中央のカフェオリンパスに約3バ身差の差をつけられる。

 羽田盃は調子が悪かったとまだ言い訳ができた。だがジャパンダートダービーはベストの状態で言い訳ができない状態で完敗、アジュディミツオーにとってショッキングな結果だった。

 

 自分はアブクマポーロとセイシンフブキの薫陶を受けた後継者、日本で1番ダートを愛し勝ちたいと思っている。

 そんな自分が負けるわけが無く無敗で南関東3冠に勝利し、地方のトップとして秋では中央の強豪を撃退し、中央に殴り込み勝利することで注目を浴び、ダートの人気が高まると信じ込んでいた。

 アジュディミツオーは傍から見て落ち込み、このままでは今後に支障をきたすと判断した山島トレーナーは大井で行われる地方の世代重賞の黒潮盃に出走させる。

 山島トレーナーはアジュディミツオーが地方を背負って立つウマ娘に成長すると信じていた。ここでスッキリ勝ってもらい、自信を取り戻し中央の強豪を迎え打つ算段だった。

 だがアジュディミツオーは3着と敗れる。それは完全な誤算だった。

 

 ダートは果てしなく奥深い。天候、風向と風速、湿度、様々ものを加味し一秒ごとに走りの最適解が変化する。

 その最適解を導き出すのがダートの正しい走り方であり、出来るのがアブクマポーロやセイシンフブキやアジュディミツオーが目指すものだ。

 それは究極の技術であり、それさえ身につけば多少の身体能力差を覆せるようになる。

 極まった上手い走りは速い走りを凌駕できる。それが持論だった。

 ジャパンダートダービーと黒潮盃での敗北により持論は揺らぐことはない。

 だが肉体や技術を鍛えるのではなく、ダートプロフェッショナルとしての技術を磨き続けた方が良かったのではという後悔が日に日に増していた。

 

 アジュディミツオー第4コーナーに入った瞬間に顔を顰める。左足の踏み込みが3センチ浅く力の比重が親指に偏り過ぎた。そのミスを引きずったのか足を踏み出すごとに最適から遠い走りを繰り返して徐々に失速していき、ゴール板前で足を止める。

 

「クソ!」

 

 アジュディミツオーは叫びながら砂を蹴り上げ、蹴り上げた砂は宙を舞い頭上に降り注ぐ。

 ダートを走っても心が落ち着かず楽しくない。後悔不安焦燥、それらの感情が走りと心を曇らせる。

 

「おうおうおう、久しぶりに見たと思ったら荒れてんな」

 

 アジュディミツオーの背後から突如声が聞こえてくる。後ろを振り返り暗闇に映るシルエットに目を細める。自分と同じくランニングシャツとショートパンツに裸足のウマ娘、その存在を見て唇を噛みしめる。

 

「師匠ですか」

「まあ、スランプは誰にも来る。壁を乗り越えられるかはお前次第だが」

「何でスランプだって分かるんっすか?もしかして別のことでイライラしてるかもしれないっすよ。それ以前にこの暗さじゃ走りは見えない」

「音を聞けば分かる。いつもと違ったからな」

 

 アジュディミツオーは僅かに目を見開きセイシンフブキを見つめる。

 いくら長い時間共に過ごしたといえど音だけで走りの調子が分かるものなのか、ダートの技術に関しては自分より上のステージに立っていると実感していた。

 

「まだ走るのか?」

「これで終わるつもりです」

「じゃあ、クールダウンがてらアタシのスクーリングに付き合えよ」

「はい」

 

 アジュディミツオーは数秒ほど間を開けて返事すると、セイシンフブキは横に並びコースを歩き始める。

 2人は視線も言葉を交わすことなく歩く。アジュディミツオーはある時を境にセイシンフブキ距離を置き、2人で肩を並べて歩くこの状況に気まずさを覚えていた。

 暫くして気まずさに耐え兼ねてセイシンフブキをチラリと見る。ランニングシャツにショートパンツ、これは出来るだけ肌を露出することで、風や踏みしめた際に舞う砂に少しでも触れられるようという考えで着ている。 

 それは真冬でも変わらず今の同じ格好をしているのはセイシンフブキの考えを真似しているからだ。

 

「そういえば、日本テレビ盃では一緒に走るな。レースで走るのは初めてか」

「はい」

「アタシがどれだけマシになったのか確かめてやるよ」

「はい」

「あとアグネスデジタルも出てくるな。一応はダート世界一だ、その力を経験しておくのは悪くはない」

「はい」

 

 セイシンフブキはアジュディミツオーに気軽に話しかける。アジュディミツオーは緊張で一瞬体が硬直するが落ち着くと同時に落胆の念を抱く。

 以前はもっと空気がひりついて、居るだけで独特の緊張感を抱いて気が休まなかった。だが今はそれを全く感じない。

 

「師匠」

「何だ?」

「日本盃では全力で走ってください。アタシは全盛期の師匠と走りたいんです」

「悪いが無理だ。もう勝負に拘る気がおきない」

 

 セイシンフブキは半笑いで返事する。その反応にアジュディミツオーは無意識で小さく舌打ちをする。

 

「逃げる気かセイシンフブキ」

「あ!?」

 

 挑発的な言葉に和やかだったセイシンフブキの雰囲気が一気に殺気立ち目を見開き凄む。

 アジュディミツオーは思わず唾をのむ。大人しくなったが挑発すれば必ず反応する。予想通りの反応だったがその威圧感に無意識に半歩引く。

 だが目的の為には臆するわけにはいかない。今は目を晒さず真っすぐ見据えていた。

 

 セイシンフブキがダートプライドからの長期休養から帰ってきた時は心から歓喜した。

 ダートプライドで見せた走りを見せてくれる。レースに勝ち続け頂点で自分を待ち構えて、東京大賞典で走ってくれる。そんな理想の未来を信じて疑わなかった。

 だが待っていたのは厳しい現実だった。セイシンフブキは出走するレースに負け続けた。まだ調子が悪いだけだ。歯車がかみ合えばダートプライドの時のような走りを見せてくれると信じ続けた。

 ある日、セイシンフブキに呼び出されると自らの心境を語った。

 

──今のアタシは勝つことより、ダートへの探求にのめり込んだ。恐らくレースに勝つことがないだろう

 

 それは信じられない言葉だった。ダートの地位向上のために全ての障害を薙ぎ払い、後に続く者達のために道を切り開くと言ったダートの鬼はもういない。そんな腑抜けた姿に失望を覚え自然に距離を置いていた。

 その証拠に先ほどアグネスデジタルの話題が出た時は以前なら、芝ウマ娘には死んでも負けるな、ボコボコにして芝で走るようなら挑発して、ダートに引き込んで何度でもボコボコにしろぐらいと言っていただろう。

 

「暫く会わないうちに随分と調子づいた口を叩くようになったじゃねえか」

「今の師匠に勝っても師匠を超えたことにならない。ダートプライドの時の師匠に勝って初めて師匠越えだ」

「アタシを笑い殺す気か?黒潮盃での走りを見たぞ、まるでなってねえ。あんな走りなら勝負に拘らなくても勝てる。生まれ変わらない限りアタシには勝てねえよ」

「だったら変わってやる!変わったアタシが日本テレビ盃に勝って!JBCに勝って!ジャパンカップダートに勝って!東京大賞典に勝って!勝って勝って勝ちまくって!師匠が出来なかったことをやってやる!」

 

 アジュディミツオーはセイシンフブキを睨み高らかに宣言する。

 それは自分がダートプロフェッショナルとしてダートの地位を高めると言ったと同じ意味だった。その態度にセイシンフブキは鼻で笑う。

 

「口だけなら何とでも言える。今のお前には一生無理だ」

 

 セイシンフブキは冷たく吐き捨てる。ダートプロフェッショナルとして勝ち続けダートの地位を高める。その野望を胸に秘め挑み破れた。

 周りは世界の頂点に手が届きかけたと称賛するが、確かな壁が存在していた。身内贔屓無しでアジュディミツオーにはダートプロフェッショナルとしての才能と情熱がある。いずれはダートの代表として走る日が来るだろう。だが今はその日ではない。

 未熟な走りでダートプロフェッショナルの代表として、セイシンフブキの夢を果たすという言葉は神経を大いに逆撫でさせた。

 

「無理じゃない!ダートプロフェッショナルとして師匠が出来なかったことを出来るって証明するために本気で来いって言ってんだろ!」

「じゃあ、アタシに負けたら引退しろ」

 

 生まれ変わる。ダートプロフェッショナルとしてダートを引っ張る。口だけでは何とでも言える。重要なのは覚悟だ。

 アジュディミツオーはスランプだ、だがスランプを乗り越えれば大きな成長に繋がる。他のトレーナーなら優しく教え導くだろう。

 だが自分は優しくない。ギリギリまで追い込んで成長を促す。そこで変わらなければそれまでだ。

 今の自分に勝てないようでは日々進化していく中央や世界に勝ち、ダートの地位を上げることは無理だ。

 

「やってやるよ!」

 

 アジュディミツオーは即答し、セイシンフブキは内心で感心する。勢いや破れかぶれで発した言葉ではない、明確な意志を持って発した言葉だ。

 

「なら次は勝ちに拘る。死ぬ気で変われ、でなきゃアタシには勝てない」

 

 セイシンフブキは冷淡に吐き捨てるとコースを去っていく。アジュディミツオーは背筋を伝う悪寒に耐えながらその後ろ姿をじっと見つめる。あの身がすくむような闘争心、あれはダートプライド前の姿だ。

 アジュディミツオーは漠然とした不安を覚えていた。何かをしなければダートプロフェッショナルとしてセイシンフブキを超え、自分の夢であるダートの地位向上を成し遂げられないと感じていた。

 何か切っ掛けがないかと考えていた時にセイシンフブキが現れ、話の流れを利用し背水の陣を敷いた。退路を断つことで土壇場の底力を期待していた。ある意味他力本願と言えるがそれしか思いつかなかった。

 何より本気のセイシンフブキと走りたかった。ダートプライド以降の成績は芳しくないが、原因は衰えではなく心構えの問題だ。もし心構えが変ればきっとかつての強さを取り戻す。

 セイシンフブキは情けをかけることは絶対にせず、全力で叩きつぶしてくる。

 

 次のレースが競技生活においてターニングポイントになるだろう。

 進むべき道に迷いがある自分にとっては分が悪い勝負だ。だがこの逆境に打ち勝ちダートプロフェッショナルとしての道を歩む。

 アジュディミツオーは決意を新たにしクールダウンを続けた。

 


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