「勝ったのは中央のシャドウスケイプ!」
GⅢダート1200メートル、クラスターカップ。
盛岡レース場で行われる交流重賞は3レース、GI南部杯、GⅢマーキュリーカップ、そしてクラスターカップである。
中央の有名選手を見る為に、地元のウマ娘が中央を撃退する姿を見る為に、理由は様々だが交流重賞が行われる日は多くの観客がレース場に足を運ぶ。
レースの結果は中央のシャドウスケイプが1着で、2着3着も中央が独占、地方勢は地元のタイキシェンロンの4着が最高順位だった。
スタンドからは一瞬ため息が漏れるが、すぐさま励ましの声援が送られ、タイキシェンロンは負けた悔しさに歯を食いしばりながら声援に応える。
セイシンフブキやヒガシノコウテイなど地方出身でも中央と互角以上に戦えるウマ娘も居る。それは突出した個が現れただけであり、依然として平均での中央と地方の差は大きい。それが現れた結果となった。
やはり盛岡レース場は砂深くてパワーが要りそうだ。最終コーナーでは船橋で走る時より踏み込みを深くしピッチを速める。直線での進路は内ラチから5メートル離れたライン、いやまだ少し内を走れるか?自身が走るとしたらどう走るかのシミュレーションを始める。
アジュディミツオーは休みをもらい、盛岡レース場に足を運んでいた。
目的は2つ、1つはクラスターカップを観戦する為、盛岡レース場ではGI南部杯が行われる。いつかは走る舞台であり今後に備えて研究はしていたが、生で見るのと映像で見るのでは大きな隔たりがある。
いずれは生で見ておかなければと思っていたので丁度良かった。何よりダート愛好家としては是非とも足を運んでおきたかった。
別に見るのはどのレースでもよく、クラスターカップなのは偶々である。そしてクラスターカップを見るのは観光目的もあり、あくまでも主目的のついでだ。
アジュディミツオーはオーロラビジョンの時刻を見る。予定までまだ時間が有る。時間を潰すためにスタンドに向かって行く。
「失礼します」
アジュディミツオーはスタンドの3階に上がると応接室とネームプレートに書かれていた部屋の前で止まりノックする。どうぞと返事が返ってきたので失礼しますと一礼してから中に入る。
中に入ると作りが良さそうな机にソファー、そして壁紙も張り替えたのか真新しい。以前セイシンフブキに貧乏くさいと聞いていたが、船橋ウマ娘協会の応接室より明らかにグレードが高い。
「遠路はるばるお越しくださり、お疲れ様です」
ヒガシノコウテイがソファーから立ち上がり、柔和な笑顔を浮かべながら頭を下げる。スーツを着て前に会った時より大人びた印象を受ける。
「いえ、こちらこそ急な申し出に対応してくださり、ありがとうございます」
アジュディミツオーも同じように頭を下げ挨拶する。入室する前は少しばかり緊張していたが、ヒガシノコウテイの雰囲気で緊張感が解れていた。
「紅茶とコーヒーどちらが好きですか?」
「……紅茶で」
アジュディミツオーは数秒ほど考えたのち答える。正直どちらも好きではないが紅茶の方がまだマシだ。
ヒガシノコウテイは紅茶を淹れてカップとソーサーをアジュディミツオーの目の前に差し出す。アジュディミツオーはミルクと砂糖を大量に入れながら自分好みの味に変えていく。
「今日は残念でしたね。やはり中央の壁は厚いですね」
「はい。しかし全員勝ちにいっての結果ですので、そこまで悲観する内容ではないと思います。そしてファンの皆さまもそれを理解してくださります」
ヒガシノコウテイは僅かに口角を上げながら答える。今日のレースは岩手のウマ娘達は全て逃げや先行の脚質だった。
勝つ可能性があれば妥協せず前目のポジションをとることだ。だが中央勢も前目で勝負するウマ娘が多く、まともにやりあえば潰され着順を大きく落とす可能性が高い。
そうなれば印象が悪くなる。それを避けるために先行争いをせずに脚を溜めて、先行勢がやりあってペースが上がり脚を使って垂れたところを突っ込む。俗に言う着狙いという戦法である。
もし3着になれば賞金やレースポイントは手に入り、ウイニングライブ圏内に入って地方にしては頑張ったという評価を貰える。
だが岩手のウマ娘達は良しとせず、勝ちを狙いにいった。そしてファン達もその心意気を汲み、レースを走った彼女達に温かい声援を送った。
勝ちにいった姿勢を評価してくれるというのは重要だ。これで理解せずに結果だけ見てため息をつかれれば気持ちが萎えて、着狙いに切り替えてしまう。
着狙いの姿勢を否定するつもりはない。レースへのスタンスは個人の自由で尊重されるべきだ。だが着狙いを続ければ一生勝てない。
ウマ娘が勝ちにいくレースをする。それを見た観客達が心打たれ別のレースで、勝ちにいくレースをすれば称賛の声を送る。その声でウマ娘達は励まされ次も勝ちにいくレースをする。好循環だ。
観客達が強いウマ娘を育てる文化を作る。今後は盛岡のウマ娘達はチェックしておいたほうがいいだろう。
「参考までに聞きたいのですが、初めての盛岡レース場はどうでしたか?」
「え~、良いコースだと思いますよ。砂の手入れも良いですし、直線に坂があって砂厚も深くて、独自性が出て面白いです」
「えっと、今日はローカルヒーローと地元のプロレス団体のコラボレーションイベントがありまして、他にもわんこそば大食い大会もやっていたのですが、イベントについて何かありますか?面白そうだったとかここを改善してほうがいいとか?あとスタッフの対応はどうでしたか?」
「え~~~、スタッフさんの対応は問題なかったですよ。あとイベントですけど……着いてからはレースをずっと見ていて、レースの合間は自分ならどう走るかのシミュレーションしていて気づきませんでした」
アジュディミツオーは観念し、ヒガシノコウテイの反応を窺うように喋る。ヒガシノコウテイはアジュディミツオーさんらしいですと褒め言葉を言いながら残念そうな顔をしていた。
ヒガシノコウテイはレースを引退して岩手ウマ娘協会に就職していた。主な仕事はイベントの企画とレース運営である。
協会で働いている身としてはイベントへの満足度や興味、レース場に対する印象などに対する生の声は是非とも参考にしたかった。
だがアジュディミツオーはイベントの存在すら認知していなかったという答えだった。
悪い点なら改善すればよく貴重な意見だ。だが認知されていなければ意見すらもらえない。企画としては最も悪い答えだった。
「参考までに盛岡レース場でやってほしい企画とかは有りますか?」
「そうですね。コースを走りたいですね。あとは砂とか持ち帰りたいですね。あとはダートの整備記録とか詳細な情報を知りたいです」
ヒガシノコウテイは真剣に耳を傾ける。大概はダート愛好家としての意見で一般的な需要はないが、コースを走るというのはありかもしれない。
コースを走る機会は選手以外にしかない。そこでコースを解放して一般の方にも走れるようにする。ファンで有れば一度はコースを走ってみたいと思うはずだ、貴重な体験をする機会を与えることで顧客満足度を上げる。悪くはない企画だ。
「貴重な意見をくださりありがとうございます。帰って検討致します」
「よく分かんないですけど、参考になったなら何よりです。それでそろそろ本題に入っていいですか?」
アジュディミツオーは紅茶を一気に飲み干す。応接室内の空気がピリつく。
ヒガシノコウテイも空気の変化を感じ取ると同時にデジャビュを覚える。
あれは確かダートプライド前にセイシンフブキがトレーニング方法を教えてくれと頼み込んだ時だ。あの時の真剣な表情は今でも覚えている。
「どうぞ」
「どうやったらアナタのように地方総大将として強くなれますか?」
アジュディミツオーの切実な声が応接室に響く、盛岡に来た主目的はこの疑問を聞く為だ。盛岡レース場に来たのもヒガシノコウテイと一番早く会えるからにすぎない。もし他の場所の方が早く会えるとすれば此処には寄ってはいない。
一方ヒガシノコウテイは考え込む。何故師匠と仰ぐセイシンフブキではなく、自分に質問し自分を目指そうとするのか?その答えが分からなかった。
アジュディミツオーはヒガシノコウテイの疑問に答えるように喋る。
「ヒガシノコウテイさんは歴代でも屈指のダートプロフェッショナルだと思います。ですが師匠には及ばないと思っています。ダートプライドで師匠は最高の走りを見せました。ダートを走る技術では師匠の方がヒガシノコウテイさんより上、肉体ではヒガシノコウテイさんが若干上、ですが技術を上回れるほどではない。ならば師匠が先着するはずでした。ですが結果は同着、ヒガシノコウテイさんには師匠を上回る力がある。それが地方総大将としての力です」
全盛期のセイシンフブキに勝つにはどうすればよいか?
ダートプロフェッショナルとしての技術は間違いなくセイシンフブキが上で、同じ土俵に立てば確実に負ける。
山島トレーナーの元でフィジカルやテクニックを磨く。東京ダービーに勝った時のアジュディミツオーならそう言うだろう。
しかし近走の2連敗で山島トレーナーに不信感を抱き、フィジカルとテクニックを磨くことに疑いを持っていた。そのような心境ではいくら鍛えても勝てない。
どうすればセイシンフブキに勝てるか苦悩する日々が続く。その日々の中ヒガシノコウテイの存在を思い出す。
セイシンフブキと互角の戦いを繰り広げたヒガシノコウテイ、その力の源は地方総大将の力だ。
ダートプロフェッショナルの技術と同等の力、その力は不可解であると同時に強く印象に残っている。ダートプロフェッショナルと地方総大将の力を兼ね備えた走り、それこそがアジュディミツオーが抱いた理想だった。
だがチームシェイクに入り、山島トレーナーの元でフィジカルトレーニングが一定の効果を見せたことで、すっかり忘れていた。
全盛期のセイシンフブキに勝つにはこれしかない。藁にも縋る思いでヒガシノコウテイと連絡を取り、自らが求める答えを聞く為に盛岡に来ていた。
「なるほど、ところでアジュディミツオーは船橋や地方は好きですか?」
ヒガシノコウテイはゆっくりとした口調で問いかける。声色は変わらないが目線は何かを吟味するように厳しかった。
「特に思い入れはないです。ダートを極められると思ったから船橋に来た。もしそれが中央だったら、中央に行っていました」
アジュディミツオーは正直に答える。セイシンフブキが居るから船橋に来た。もし別の地方や中央に所属していれば、そちらに所属していただろう。
「それならば貴女の言う地方総大将としての力は手に入れられません」
「何でですか」
アジュディミツオーは思わず立ち上がり手を机に叩きつける、地方総大将としての力を是が非でも手に入れなければならない。それを出来ないと切り捨てられ、焦りと不安が態度に表面化していた。
ヒガシノコウテイは怒りと悲しみが綯交ぜになった目線を受け止めながら淡々と答える。
「貴女が言う地方総大将としての力、それは『私達の』ウマ娘としての力と解釈しています」
「『私達』のウマ娘?」
「『私達』のウマ娘とは地方で生まれ育ち、他所からの力を借りず、地元の皆の為にと力を振り絞り、送られる声援や想いを力に変えられる限りなく純度が高い存在です。そしてそうなるには地方を好きでなければなりません。私は盛岡や地方が大好きでした。地方と言う存在に光を与えたい。活性化させて1つでも潰れるレース場を少なくしたい。その為に勝ちたいと思い走りました」
ヒガシノコウテイはダートプライドの時の心境を思い出す。愛する地方を守り明るい未来を創る為に全ての力を出し尽くした。
そしてレースでは地方を愛する人々の声援と想いを全て力に変えられた自負がある。あの時は紛れもなく地方にとっての『私達』のヒガシノコウテイだった。
「私は地方を愛するから勝ちたいと思っていました。ですが今のアジュディミツオーさんは地方総大将としての力を得て勝ちたい。勝ちたいから地方を愛そうとしている。手段と目的が逆です。それでは無理です」
アジュディミツオーはヒガシノコウテイの言葉に項垂れながら黙り込む。間違いなくその通りだ、地方総大将としての力は手段、ヒガシノコウテイの言う通り逆だ。それでは手に入るはずがない。
ヒガシノコウテイはその様子を見て心が痛む。相当切羽詰まって藁を縋る想いで会いに来た。それなのに無理だと断言された。そのショックは推し量れない。
だが無理なものは無理だ。下手に希望を見せるより未練を断ち切ったほうが相手の為である。
ヒガシノコウテイは膝をつきながらアジュディミツオーの肩に手を置き優し気に語り掛ける。
「焦らないでください。迷えば他のものが魅力的に見えることがあります。貴女にはセイシンフブキさんという素晴らしい先輩が居ます。先輩が示した道を信じて進む。それが一番強くなる近道です」
「私は……ダートプライドの時のヒガシノコウテイさんにも憧れてたんです。師匠と同等に走るその姿に、師匠は私の憧れで同じようになりたい。そしてヒガシノコウテイさんのようにもなりたい。2人の力を持った私が今の私の憧れなんです」
アジュディミツオーは現実を受け入れまいと、握りこぶしを作り絞り出すように喋る。
ヒガシノコウテイに言われて自分には無理だと受け入れてしまっていた。だが脳裏に姿が蘇る。
目的は強さを手に入れることだ。ならばヒガシノコウテイの強さを手に入れるのではなく、先着したアグネスデジタルでもティズナウでもサキーでもストリートクライでもいい。
だが自分はヒガシノコウテイに憧れた。これは理屈じゃない、あの4人の強さではなくヒガシノコウテイの強さでなければならないのだ。
「分かりました。ならばこれから私が言うことをやってください。貴女にとって無駄かもしれませんが」
アジュディミツオーは思わぬ言葉に動揺しながら小さく頷いた。
───
南船橋駅、船橋レース場からの最寄り駅の1つであり、近くに大型商業施設が建設されている。
船橋レース場でレースを開催されている時は駅から出る客は大型商業施設に向かう人とレース場に向かう人の2極化になることがある。実際は大型商業施設に向かう客の列が多い。
そして今は8月で夏休み真っ盛りである。多くの若者が施設に足を運び、今日はレースが開催されていなく大概の人は大型商業施設に向かう。
真夏の日差しから逃れて空調の利いた大型商業施設で涼もうと早足になる。
それを邪魔するかのように、船橋ウマ娘協会のシャツを着た人々が声をかけビラを差し出す。彼らは協会のボランティアスタッフである。そのなかにアジュディミツオーも居た。
「明日から4日間船橋レース場でレースを開催します。よかったらどうですか?」
アジュディミツオーは不慣れな笑顔を作りながら声をかけるが、若者はうぜえと小声で呟きながら素通りしていく。その態度に笑顔が崩れかけるが即座に作り直して声をかける。
「明日から船橋レース場でレースを開催しております~!農家の物産展や地元ダンスパフォーマンス、関東一ソフトウェアの最新作の先行プレイなどイベントが盛りだくさんです~!」
アジュディミツオーは炎天下の中声をかけ続ける。だが大半には無視され、時にはナンパされたり、あからさまに肩をぶつけられたりしていた。
「明日から4日間船橋レース場でレースを開催します。よかったらどうですか?」
「ネオユニヴァースとかヒシミラクルは来るの?」
「いや来ないです。でもセイシンフブキがレースに出走しますよ」
「誰それ?」
やっと足を止めて反応を示したが興味が失せたとばかりに足早に去っていく。
それから数時間ばかりビラ配りを続ける。所定の時間を過ぎてビラ配りが終わるが手元には半分ほどビラが残っていた。
ボランティアスタッフ達は休憩をとる為に近くの公園で涼んでいた。
「お疲れ様、疲れたでしょう」
アジュディミツオーはベンチに座って休んでいると、中年の男性スタッフが缶ジュースを渡して隣に座る。アジュディミツオーは礼を言って缶ジュースに口をつける。
「はい、暑いしあまりビラを取ってくれないし嫌な顔をされるし」
「まあ、10人に1人でも手に取ってくれたらマシかな」
「それに地方と中央の区別がついてない人も居るんですね。それにし……セイシンフブキさんを知らない人も居るし」
「そんなもんだよ。世間にとってはレース=中央だから、それにセイシンフブキが走ったダートプライドだって話題になっても1年以上は経ってるし、過去の出来事になっていてもしょうがない。興味がないことの記憶なんてすぐ消えるもんだ」
「それにレース前にビラ配りしてるだなんて知らなかったです」
「少しでもファンを集めないとね。それにしても急にボランティアスタッフの活動をしたいだなんてどうしたの?」
「色々思うところがあって……」
「でもこうして今年の東京ダービーウマ娘にして船橋のホープとお喋りできるからいいか。普段じゃ喋る機会なんて無いしな。ハッハッハ」
中年の男性は豪快に笑い、アジュディミツオーはハハハと愛想笑いしながら考える。
地方のレースが、セイシンフブキがここまで認知されていないこと、そしてレース前にボランティアスタッフがレース場に足を運んでもらおうと、ビラ配りをしているのを知らなかった。
「よし、休憩終わり。アジュディミツオー君にはレース場でもまだまだ頑張ってもらわないと」
「はい。レース場では何をするんですか?」
「ボラスタがやっている大概のこと、頑張って」
「うへ~、忙しそう」
「この4日間は目一杯こき使うから、覚悟しておいてね」
「はい、頑張ります!」
「冗談冗談、未来のエースをこき使うなんてとんでもない。トレーニングに支障がきたさないようにほどほどにね。おっ、お客さんこってるね~」
「そんなに凝ってます~?」
中年の男性はアジュディミツオーの肩を揉みながら親し気に声をかける。思わず払いのけようとする手をグッと堪えて調子を合わせる。
ヒガシノコウテイはアジュディミツオーに対してボランティアスタッフとして働くように助言を与えた。
ボランティアスタッフとはレース場でレースを運営できるように手伝うスタッフで、その存在について全く知らなかった。
手伝いをすることで、どのような効果で地方総大将の力を習得できるかは分からない。だがヒガシノコウテイは嘘を言うウマ娘ではない。自分次第で習得できるはずだ。
アジュディミツオーは絶対にものにすると意気込んでいた。
入場ゲート
「本日はご入場ありがとうございます。こちらが入場記念品になっております」
アジュディミツオーは笑顔を作り明るい声で入場客に声をかける。もう1時間は笑顔を作り声を出し続けている。表情筋が攣り始め声も若干枯れ始めている。
「アジュディミツオーだ、こっちむいて」
入場客がアジュディミツオーに気づきスマホを向け、職務の妨げにならないようにポーズと表情を作る。
インフォメーションセンター
「おか~さ~ん~!どこ~!?」
「お母さんはもうすぐ来るからね」
アジュディミツオーは幼児を抱きかかえながらあやす。ボランティアスタッフが巡回中に見つけてきた迷子である。
「すみません。落とし物したのですが」
「はい、どのようなものですか?」
「スマホです」
「色とか機種の特徴は分かりますか?」
アジュディミツオーは幼児を片手で抱きながら空いた手でノートを開き、落とし物の特徴を確認する。
「はい、こちらのスマホがお客様のものですか」
「そうです。ありがとうございます」
「おか~さ~ん!おか~さ~ん!」
すると幼児がさらに大きな声で泣き喚く。なんとかあやそうと変顔などをしながら悪戦苦闘する
物品販売所
「新商品アブクマポーロマスコットフィギア発売中です~!他にも関東一ソフトウェアの商品も発売中です~。船橋ウマ娘協会の関連グッズを買えば半額で買えま~す。他にも船橋のマスコットキャラクターのギャロッタ君と関東一ソフトウェアのマスコットキャラクターのペリニーのコラボグッズはここでしか買えませ~ん!激レアですよ~!」
アジュディミツオーは喉を気にしながら声を張り上げる。
その声を聞いたのか客達は物品販売所に寄って、アジュディミツオーの前で写真を撮る。
今のアジュディミツオーは全身にグッズを身に着けていた。その恰好は珍妙で客達は面白がって撮っていた。
───
ボランティアスタッフの控室、シフト制で交代を取り、休憩時間のものが備え付けの場内TVで今日行われているレースを見ている。アジュディミツオーはその輪から外れて疲れ切った様子で椅子にもたれ掛かれていた。
チケットもぎり、入場者配布物の受け渡し、迷子落とし物対応、各種イベント受付インフォメーション、物品販売の売り子、レースをしているなかでこれだけの職種の人達が働いているとは思わなかった。そしてそれらの仕事をやることになるとは思っていなかった。
普段なら研究の為にレースを見ているがそんな気が起きない程疲れていた。もしウマ娘でなければ疲労で倒れているだろう。そして1つの業務でも中々の仕事量だ。
「どうしたアジュディミツオー君、これでも飲んで元気出して」
公園で缶ジュースをくれた中年男性が横に座るとエネルギー飲料を手渡す。アジュディミツオーは礼を言って口につける。
「ありがとうございます。みんな毎回こんなに忙しいんですか?」
「交流重賞なんてもっと忙しいぞ。まあアジュディミツオー君は走る側だから関係ないがね」
中年の男性はガッハッハと笑うなか、アジュディミツオーは忙しさを想像し思わず気が滅入る。
「みんなは何でボランティアなんてやっているんですか?こんなの無給でやる仕事じゃないですよ。それに働いている時はレースも見られないし、わざわざボランティアで働くぐらいだからレースも好きなんですよね?」
アジュディミツオーは思わず問いかける。ボランティアスタッフはレース中も仕事をしているのでレースをじっくり観戦することはできない。
そしてスタッフは学生から70代までと幅広い、学生や老人はともかく30代や40代の人達は働いているだろうし、休みを潰しているか有給休暇を取ってボランティアスタッフをやっているのだろう。とても考えられない。
「う~ん、それは好きだからかな」
「好きだからですか?」
「そう、まずレースは好きだし生で見たいと思ってるよ。でもそれ以上にレースや船橋の魅力をもっと知ってもらいたいし、楽しんでもらいたい。その為に手伝いが必要なら喜んでやる。それに今はネットでレースが見られるからね。昔は録画なんて無いから、生で見ないと見られないってレースがいくつもあった」
中年男性は笑い話のように気軽に言う。だがアジュディミツオーには見たいレースが見られない辛さは充分に理解できた。
「次にボランティアでやる理由だけど。生臭い話になるけど金だね。まあ昔の船橋はドがつくほど貧乏だったからボランティアで運営をやってたんだ。だが少しずつ上向きになって企業に任せようって話になったけど、ボランティアが止めるように言った」
「何でですか?」
「企業に頼めば運営費がかかる。だがボランティアでやれば金が浮いて、それをウマ娘達に回せば色々とできる」
アジュディミツオーの胸が締め付けられる。トレーニングの機材、レース用具、食費などレースに臨むにあたって様々な経費が発生する。
不自由なくトレーニングしてレースに臨めているのは少なからず経費の一部をボランティアスタッフの献身によってだ。それに対する感謝と申し訳なさを抱いていた。
中年の男性はしんみりしているアジュディミツオーの背中をバシバシと叩く。
「そんなに感謝すること無い。何度も言うけど好きでやってることだし、与えられているのはこっちだし」
「与えられてるって?」
「地方に来るのは中央に受からなかったか、怪我か衰えで通用しなくなったウマ娘だろう。言い方は悪いが弱者だ。私も派閥争いで閑職に追い込まれて弱者として腐ってた。そんな時にフラっと船橋レース場に運んで頑張っている彼女達と境遇を知って力を貰った。ここに居るみんなも同じような理由だよ、勝手に自己投影しているだけ。だから気にする必要はない」
中年男性は気軽な口調で語る。だが言葉と裏腹に当時は相当ショックで生きる気力を失っていた。
その時に奮い立たせてくれた船橋のウマ娘達には感謝の念を抱いていて、一生尽くそうと誓っていた。
「あとはそうだな、雑草の地方ウマ娘達が中央のエリート達をバッタバッタとやっつける。その姿に自己投影して気持ち良くなって、自分が頑張った分が強いウマ娘を育てたって悦に浸りながら酒を飲む。それがまた美味いんだ。勝ちウマ娘に乗るってやつだな」
「なら良かったですね。メイセイオペラとアブクマポーロ、セイシンフブキとヒガシノコウテイが中央を何度も倒しましたから」
「ああ、大分美味い酒を飲ませてもらったよ。だがもっと美味い酒があるのを知ったからな。それを飲むまでボランティアで頑張るさ」
「何なんですか、美味い酒って?」
「それは世界一だよ。ダートプライドで地方のウマ娘が日本を飛び越えて世界の頂上まであと数センチまで近づいた。世界一は決して夢じゃない、世界一になった時の酒は格別だろうな」
声を弾ませながら語る姿を見てアジュディミツオーの表情に影が差す。
私が世界一の酒を飲ませてやりますよ。
ジャパンダートダービーに負ける前のなら豪語していただろう。
だが連敗で目指すべき道を見失い、藁を縋る想いで地方総大将としての力を得ようとしている今の自分では口が裂けても言えない。
「どうした?船橋のホープなら『私が世界一の酒を飲ませてやりますよ』と豪語しないと!」
「そうですね。私が世界一の酒を飲ませてやりますよ!」
「それだよ!その意気だ!」
アジュディミツオーは中年男性を喜ばせるために精一杯の虚勢を張る。中年男性はアジュディミツオーの心中を察することなく豪快に笑っていた。
──
ヒガシノコウテイはツイッターの検索欄にアジュディミツオーと打ち込む。すると今日の日付の書き込みや写真が多くなっていた。
内容としてはボランティアスタッフとして働いていることだった。呟きを見る限り精力的に働いていることが分かる。
アジュディミツオーが手に入れようとする地方総大将としての力は心技体で言えば心の部分と言える。
強靭な肉体を身に着ける為には長い時間がかかる。高度な技術を習得するには、強靭な肉体を身に着けるより時間がかかる。そして心のありようを変えるのはさらに時間がかかる。
心とは日々の生活で感じ培ってきた主義主張や感性や価値観などの全てだ。
アジュディミツオーの生活の全てがダートへの強烈な愛と憧れを養ったように、地方総大将としての力は強い地方への愛が必要だ。
そして今まで地方に対する想いが芽生えなかったアジュディミツオーに手に入れることは難しい。
だが心とは強烈な体験やふとした些細な切っ掛けで変化することがある。
ボランティアスタッフは地方を愛し尽力する者達だ、それらの人達と触れ合うことで、それが強烈な体験やふとした切っ掛けになればアジュディミツオーの心に変化を促し、地方総大将としての力を得られるかもしれない。
もし力を得れば盛岡にとって強大な敵となる。少し前までの自分なら助言はしなかっただろう。だがそんな小さい考えは昔に捨てた。
地方で走る者は所属関係なく大切な後輩だ。出来る限りの望みをかなえてもらいたい。
そして地方を走るのなら、地方に愛着が無い者より愛着が有る者に勝ってもらいたい。それは自身の願望だった。