勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と新世代#4

 9月中旬、今月船橋レース場では4日間レースが開催され、3日目にはGⅡ日本テレビ盃が行われる。JBCクラシックの前哨戦とされるレースで、各地方の強豪は勿論中央の有力ウマ娘も参戦し、レベルの高いレースになる。

 そして今日は開催2日目になる。地方重賞などは開催されないが多くの客が足を運んでいた。

 

「こちらで関連グッズを発売中で~す。総額2000円以上のお買い上げの方はアブクマポーロさんとセイシンフブキ選手とアジュディミツオー選手のうち1人のサイン会に参加できます。総額4000円以上お買い上げの方はサイン会とチェキ会に、総額6000円以上お買い上げの方はサイン会とチェキ会と握手会に参加できます」

 

 ボランティアスタッフの売り子が声を張り上げながら客達を整理していく。今日の客入りの多さの要因として3人のサイン会開催が挙げられる。

 アブクマポーロは船橋歴代最強の呼び声高く、現役時代では中央のウマ娘を次々と撃破し、ライバルのメイセイオペラと数々の名勝負を繰り広げてきた。その人気は現役を引退しても未だ根強い。

 セイシンフブキはダートプライドに参戦し善戦した選手として、ファンの間ではリビングレジェンド扱いされ、アジュディミツオーも若手のホープとして地方ファンには人気だった。

 他にも最終レース後に日本テレビ盃に出走する選手の決起会をするなどイベント盛りだくさんである。

 グッズを購入したファンはサイン会場に行き列を作る。その様子をアブクマポーロとセイシンフブキはサイン会場の後ろの控室で様子を見守る。

 

「凄い人気じゃないかフブキ。1番列が長い」

「アブクマ姐さんも一杯並んでるじゃないですか。根強い人気ですね」

「引退したウマ娘のサインを欲しがるなんて、物好き……いや、ここはありがたがるべきか、しかし、この歳になってアイドルの真似事をするとは夢にも思わなかった」

 

 アブクマポーロはクスクスと笑う。

 

 チェキとはアイドルと一緒にツーショットを撮ることで、写真は記念品としてもらえる。チェキ会や握手会はアイドルの文化であり、中央ウマ娘協会はサイン会を行ってもチェキ会や握手会はしてない。

 トゥインクルレースを走るウマ娘はアイドルではなくスポーツ選手である。

 ウイニングライブをしているので定義は難しい。だが中央ウマ娘協会はスポーツ選手という認識であり、他のスポーツ選手のようにサイン会はするが、チェキ会や握手会などのアイドル文化のファンサービスや企画はしていない。

 だが船橋を初めとする地方のウマ娘協会は積極的に導入している。そのほうがグッズの売り上げが上がるからである。

 

「しかしアブクマ姐さんが参加するだなんて意外ですね」

「まあ、予定が空いていたし、ファンの間では私とフブキとミツオー君は師弟関係で繋がっていると知られているみたいで、参加すれば売り上げが上がるから是非と懇願されてね。一応は船橋所属だった身だ、少しぐらいは付き合うさ、それを言うならフブキこそ珍しい」

「明日のレースにやれることは全てやりました。今更テスト前の一夜漬けみたいに詰め込む必要はない。まあ、昔だったら参加しないけど」

 

 セイシンフブキは自嘲的に笑う。昔は自分が勝ってダートを盛り上げようと必死で、周りに目を向けていなかった。

 だが一度勝負から降りて周りを見ることで、こういったイベントに参加することはダートを盛り上げるために必要であると知った。

 

「勝つか、聞いたよフブキ、明日のレースでアジュディミツオー君がフブキに先着されたら引退するんだって?」

「そうですけど、どこから聞いたんですか?」

「ミツオー君から、明日は見届け人として来て欲しいとさ。それでどうするつもりだ?」

「それは全力で挑みますよ」

「愛弟子を引退に追い込むことになってもか?」

「負けたらそれまでです。止めますか?」

「いや、ミツオー君の師はフブキだ。教育方針には口を出さない」

 

 アブクマポーロはセイシンフブキの様子を横目で見る。言葉や様子を見るからして本気で叩きつぶすつもりで走り、本気で引退に追い込むつもりだ。

 一見非情に見えるが、これはセイシンフブキなりの信頼だろう。誰よりもアジュディミツオーと長い時間を共に過ごし、誰よりもその才能と可能性を信じている。

 

「前走を見る限り大分厳しそうだが、ミツオー君は勝算が有るのかね?」

「さあ、でもアイツなりに色々とやっているみたいです。例えば最近になってボラスタとして働き始めて、今ここに居ないのもボラスタとして働いているからです。サイン会に来るのもギリギリじゃないっすか」

「レース前日までボランティアスタッフとして働くだなんて関心だね。いつからそんな献身性を身に着けたんだ?」

 

 アブクマポーロは孫弟子の変化に驚きの声をあげる。本当なら今日はセイシンフブキとナイキアディライトとアジュディミツオーの、日本テレビ盃に出走するウマ娘でサイン会などをする予定だった。

 だがナイキディアライトが拒否したことでアブクマポーロにお鉢が回ってきた。

 勝つために最善を尽くすのでファンサービスする時間はない。それはスポーツ選手としては間違っていなくて、船橋ウマ娘協会も認めているからこそ事態を容認した。

 そしてアジュディミツオーもナイキディアライトと似ている。セイシンフブキの弟子として自分の走りに拘るタイプだが、勝利への執念も大きく、出走相手の研究も入念にする。

 連敗で迎える初めてのシニア級との対戦、アブクマポーロが知るアジュディミツオーならイベントには辞退して、ギリギリまでトレーニングなり相手を研究しているだろう。

 

「心当たりは?」

「知らないです。でもアイツなりに考えがあるでしょう。好きにやらせます」

「放任主義だね」

「弟子の自主性を重んじるタイプですので」

「お待たせしました!」

 

 するとアジュディミツオーが息を切らせながら駆けつけてくる。セイシンフブキを一瞥した後、アブクマポーロの隣に座る。

 

「お疲れ様、直前までボラスタとして働くだなんて感心だね。いつからそんな殊勝な心掛けになったんだい?」

「別に殊勝になったつもりはないですよ。強くなるために変わるためにやっているだけですから」

 

 アジュディミツオーは力強く言う。その言葉にセイシンフブキはフッと挑発的に笑った。

 

 イベントは滞りなく進行する。場慣れしていないアブクマポーロとセイシンフブキは戸惑い、チェキでのポーズも少し恥ずかしながらも精一杯対応する。

 一方アジュディミツオーは完璧な対応だった。笑顔は崩さず握手会でも短いながらファンと言葉を交わし、チェキでもどんなポーズでも照れを見せずとる。

 まさに俗に言う神対応でファン達はみんな満足げな表情を見せ、アジュディミツオーの予想外の場慣れ感と対応の良さにセイシンフブキとアブクマポーロは大いに戸惑っていた。

 

 行列も少なくなりイベントも終わりが見えてくる。アブクマポーロとセイシンフブキは何とか笑顔を作るが疲労の色を隠し切れていなかった。そしてアジュディミツオーは疲労の色を一切見せず笑顔を維持する。

 セイシンフブキは弟子に負けるかと、意地を張り笑顔を作るとファンが目の前に立っていた。これで最後か、気力を振り絞り対応する。

 帽子を被ったピンク髪の小柄なウマ娘、中学生ぐらいか、サングラスにマスクと怪しさ全開の不審者スタイル、怪しいと同時に既視感を覚える。

 きっと花粉症なのだろう。このファンは確かアブクマポーロとアジュディミツオーの列に並んでいた、余程熱心なファンなのだろう。その熱意に既視感と怪しさは薄れていた。

 サイン色紙を渡すとファンは文字通り飛び跳ねて喜ぶ。そのオーバーリアクションにセイシンフブキの表情は自然に崩れていた。

 次に握手券をもらいファンの手を握る。その瞬間今までのファンとの違いに気づく。粘着質な情念が籠っている。

 

「師弟対決メッチャ楽しみです!最高にエモい場面を見せてください!」

 

 握手している間にファン達は一声かけてきて、このファンは鼻息荒くしながら声をかけた。

 辛うじて言っている内容は聞き取れたが声はガラガラだった。というより意図的に声を変化させているような不自然さがあった。

 何よりこの声にも既視感を覚えていた。セイシンフブキの中で目の前のファンは熱心な人から怪しい人に変わっていた。

 最後にチェキを撮るのだが、2人でハートマークを作るポーズを注文する。何とも恥ずかしいポーズだと羞恥心を覚えるが、懸命に堪えてポーズを作り写真を撮られる。

 

「うひょ~最高!家宝にしよ~」

 

 ファンはツーショット写真を見て目を輝かせながら小躍りしている。その声と仕草を見て既視感の数々の正体に気づいた。

 

「アンタ、デジタルだろ?」

 

 セイシンフブキはファンに向かって話しかける。するとファンは体をあからさまにビクっと震わせると同時に尻尾をピンと伸ばす。

 

「アタシはアグネスデジタルじゃあないです。アタシは……マチルダアナログという唯のウマ娘ファンです」

「誰がアグネスデジタルだなんて言った?何で自分がアグネスデジタルと勘違いされると思ったんだ?」

「あ」

 

 ファンは思わず手に口を当てる。その仕草は正体を雄弁に語っていた。

 セイシンフブキは素早い手つきでサングラスを外す。そこにはアグネスデジタルの見知った顔があった。

 

「どうも……こんにちは」

 

 アグネスデジタルは気まずそうに低姿勢で周りに挨拶する。そして2人の様子を見ていたサイン会参加者は騒めき始める。

 

──え?本物のアグネスデジタル?

──間違いなく本物だよ

──何で日本テレビ盃に出走するウマ娘が船橋に来てるの?

──サインとかチェキが欲しかったの?

──そんなわけないだろう。きっと殴り込みにきたんだよ。皆に知らせないと!アグネスデジタルが殴り込みに来たぞ~!

 

 騒ぎは加速度的に広がり面白そうなものが見られると、レース場に居た人たちが瞬く間に押し寄せて周り囲み始める。デジタルはその様子を微動だにせず黙って見ていた。

 

(ヒエ~、何か大事になってる。アタシは普通にサイン会に参加しに来ただけなのに。どうしよう~、完璧に変装したはずなのに何でバレたの~?)

 

 正確に言えば予想外の出来事に動揺し、動けなかっただけだった。

 

 デジタルは日本テレビ盃に向けて情報収集するとネットで、アジュディミツオーがボランティアスタッフとして一生懸命働いているという記事を見る。

 画像に写る姿は実に良い表情していて、働いている姿を一目見たいと一気に興味が湧いていた。

 さらに当日はアブクマポーロとセイシンフブキとアジュディミツオーが握手会やチェキ会をするとの報せを聞いた。

 デジタルもウマ娘オタクとして奥ゆかしくあるべきと常に心掛けていた。友人としてウマ娘ちゃんと喋るのはよし、だが接触や記念撮影はダメというマイルールがあった。

 選手の立場を利用すれば接触や記念撮影を撮るのは可能だが、それは卑怯である。自分も1人のファンで有り同じ立場であるべきという考えだった。

 しかし主催者が機会を設ければ別だ、合法的に接触できるしツーショットも撮れる。これは問題ない。

 

 早速デジタルは電車に乗って船橋レース場を目指す。一応は有名人の区分に属するウマ娘なので入念に変装する。

 道中はサングラスにマスクという怪しさ全開の格好に多くの人々は怪しんだが、正体はバレることはなかった。

 レース場に着くと、働いているアジュディミツオーの姿をたっぷりと鑑賞する。情報通り懸命に働く姿にデジタルの好感度は爆上がりしていた。

 それからレースを走るウマ娘を観戦し思う存分船橋レース場を満喫する。

 暫くするとアジュディミツオーはサイン会に参加するために、ボランティアスタッフの仕事を中断して移動し、観客達もサイン会場に向かう。

 だがデジタルは慌ててサイン会の列に並ぶことなく、レースやパドックでウマ娘達を見つめる。

 

 サイン会は何回も参加している経験から会場の規模やおおよその参加人数を見れば、あと何分後に向かえば並ばずにサイン会に参加できるか判別できた。

 デジタルは頃合いを見て列に参加する。既にそれぞれグッズを6000円以上購入していた。今日はグッズを多く買えば握手会の時間は伸び、撮れるチェキも増える。その気になれば全てのグッズを買うことは可能で3人を独占できる。

 だがそれは奥ゆかしくない。推しは独占するのではなく分け与えるものである。

 サイン会の対応の良さに好感度上がり、リピーターになる可能性も有る。1人で独占するよりファンを増やした方が長期的には良い。

 デジタルはアブクマポーロとアジュディミツオーとサインをもらい握手してチェキを撮る。

 アブクマポーロは明らかに馴れていなく、たどたどしかった。だがそれが初々しく良かった。

 アジュディミツオーは完璧な対応でどうすればファンが喜ぶか分かっているようだった。ジュニア級でこれ程の対応ができるとは末恐ろしさすら覚える。

 そして最後はセイシンフブキ、少し前ならこんなイベントに参加しなさそうだが、人は変わるものだと感慨深い。何より知り合いではなく、ファンとして対応されるのは新鮮だった。

 滞りなくチェキなどを撮り今日のイベントを思う存分満喫し、残りのレースを見ようと移動しようとした際にセイシンフブキに声をかけられ正体がバレた。

 

 デジタルはどんどんと騒ぎが大きくなる様子を見ながら思考を巡らす。逃げる。事実を釈明するなどの選択肢が浮かび上がるが却下する。

 周りの人たちは妙な期待感を抱いた目をしている。これでこの場から逃げたり事実を釈明すれば、何だつまらないと落胆する。そうなれば明日のレースの盛り上がりに影響する可能性がある。

 明日のレースを盛り上げる。それが出来れば船橋所属のセイシンフブキやアジュディミツオー、そして地方を愛するヒガシノコウテイが喜んでくれる。

 デジタルはウマ娘達の為に盛り上げるために行動するという方針に切り替える。ではどうやって盛り上げる?今までの人生経験から最適な方法を模索する。

 

『ちょっと、用事があったから寄ってみたけど、相変わらずしょぼくれてるな~。中央のレース場とは大違い~』

 

 デジタルは左右に泳いでいた目が一転し、覚悟を決めたような目に変わり、太々しい態度を取り周りに聞こえるような挑発的な声色を発する。周りの雰囲気も期待感から不穏なものに変わりつつあった。

 

『それにチェキ会に握手会~?何アイドルの真似事してんの~?悲しいな~アタシ達は同じアスリートだと思ってたけどな~。こんなウマ娘ちゃん達と同列扱いされたくない~。だから地方は中央の……中央の……中央の……』

 

 デジタルは手に持っていたサイン色紙を叩き割ろうとする。しかし何度試しても一向に割れる気配がない。

 割ることを諦めたのか色紙を地面に叩きつけ踏みつけようとする。

 だが地面に叩きつけるというより、置くと表現したほうが適切なほどやさしい手つきで、いざ色紙を踏みつけようとしても、足が色紙を何度も踏み外したり、足が色紙の手前で止まっていたりしていた。

 デジタルの様子を見て周りの剣呑な雰囲気は瞬く間に緩み、一部から失笑の声が聞こえてくる。

 

 デジタルにとって最も盛り上がったエンターテイメントはダートプライドだった。

 そして盛り上がった要因は煽りだ。自分とセイシンフブキとヒガシノコウテイがゴドルフィンにダートプライドに出走しろと煽りの動画を作り、  

 ティズナウもアメリカでゴドルフィンの人間を煽り倒した。

 煽ることで刺激的な展開になり注目が集まる。煽りこそエンターテイメントの神髄であると認識していた。

 

 デジタルはティズナウをイメージする。BCクラシックでのマイクパフォーマンス、言葉の1つ1つに観客達は感情を動かされ、会場は興奮の坩堝と化した。あの様子は心に刻まれていた。

 ティズナウはゴドルフィンを敵とみなし、自身は善玉的なポジションの位置に立ち喋った。

 今回は逆だ。自分が敵となり船橋の人々を徹底的に煽り挑発しこき下ろす。それで怒りが向きレースで憎きアグネスデジタルを船橋のウマ娘達がコテンパンにしてくれと期待を寄せて会場に足を運ぶ。

 手始めに船橋のレース場を貶し次にイベントを貶す。本音はこんなイベントを開いてくれてありがとうございますと土下座して運営に感謝するだが、ここは周りが怒りそうなことを言っておく。

 さらに怒りを買うためにサイン色紙を叩き割り、写真をチリ紙代わりにして鼻をかむパフォーマンスをしようとする。

 しかし体が強烈な拒絶反応を起こし手が止まってしまう。思いが籠ったサイン色紙や写真を破壊することはキリシタンの踏み絵と同等の行為だった。

 もう後に引けない。これも地方の為に、セイシンフブキやアジュディミツオーの為なのだ。何度も言い聞かせデジタルはサイン色紙を破壊しようとするが何度も手が止まってしまっていた。

 

 一方周りの人々はデジタルの様子を生暖かい目で見つめる。

 恐らく何かしらの理由で悪役的な行動をしようとして、その一環としてサイン色紙を叩き割ろうとしているのだろう。

 だが本人の優しさかのせいか分からないが、いつまでもサイン色紙を叩き割るどころか踏みつけずにいた。

 その様子はひどく滑稽でまるでコメディでも見ているようだった。

 

「それで偉大なるアスリートのアグネスデジタル様はこんなしょぼくれた場所に何の御用でしょうか?もしかしてアイドルの真似事をしているウマ娘のサインやツーショット写真が欲しかったのですか?何なら特別衣装でも着て写真でも撮られてやろうか?」

 

 セイシンフブキが半笑いを浮かべながらおちょくるような口調で話しかける。デジタルは本当に?と嬉しそうに欲望全開に反応してしまい、周りは爆笑していた。

 

「オホン!え~っと今日来たのは友達にど~してもって、たまたま誘われてきただけです。それで……サイン会に参加するはずだった友達が急用が出来たっていうから、そう!仕方がなく!もったいないから参加しただけ!本当はサインもチェキも欲しくはなかったんだからね!勘違いしないでよね!」

「もうツンデレとか古いぞ~!」

「SHUTUP!黙って名産のりんごでも収穫しててよ!」

「りんごは青森で~す。千葉県の名産は梨で~す。ちゃんと勉強してくださ~い」

 

 野次馬とデジタルのやり取りに周りから笑い声が湧き上がる。

 ティズナウのようなマイクパフォーマンスで煽り盛り上げようとしていたデジタルだが、想定とは全く違う展開になっていた。

 何とか軌道修正しようと精一杯の罵倒を考えて言ったが、間違いを指摘されおちょくられてしまう。

 そのやり取りにセイシンフブキはさらに笑みを零し、アブクマポーロは顔を背け笑いを堪える。だがアジュディミツオーだけは笑みを見せず真顔だった。

 

「アグネスデジタルさん!明日はガチンコで来てください!」

 

 今まで静観していたアジュディミツオーが突如デジタルに向かって叫ぶ。その声量とピリついた雰囲気に場の空気が緩んだものから一転しひり付く。

 

「叩きだから、前哨戦だからって言い訳なしのベストの状態で臨んでください。貴女はダート世界一になった。そして明日は世界一の貴女を超える!」

 

 アジュディミツオーの啖呵に周りから感嘆の声と拍手が起こる。

 若きホープの勝利宣言に周囲は沸き立つ。そして話を終わらせずセイシンフブキを指さす。野次馬達も指の動きに釣られ、セイシンフブキに視線を向け言葉を待つ。

 

「明日は変わったアタシの姿を見せます!セイシンフブキが目指す理想の走りではない、アタシの理想の走りで勝つ!そして勝つのは今のセイシンフブキじゃない、全盛期のセイシンフブキだ!師匠を超えるのが弟子に出来る最大の恩返し、明日は最高の恩返しをしてみせますよ師匠!」

「やってみろ」

 

 セイシンフブキは獰猛な笑みを見せながらアジュディミツオーに近づき睨みつける。

 アジュディミツオーも全く臆することなく睨みつける。結果お互いの額がぶつかる距離での睨み合いになる。その光景に周囲のボルテージは最高潮となり野次馬達は両者に声援を送っていた。

 

「しゅてき……」

 

 デジタルは目を全開に見開き、脳内の記憶領域に映像を刻み込みながら2人のやりとりを堪能していた。

 

──

 

 デジタルは鼻歌を歌いながらスキップ交じりで駅に向かう。サングラスにマスクの不審者スタイルのウマ娘がルンルン気分でスキップする姿は不気味で、通行客は自然に避け人込みは割れていた。

 中央でもチームの先輩と後輩が同じレースに出走することはある。それはライバルや友人と一緒に走るのとは違った趣がある。そして明日のレースはそれとも違った趣を見せてくれるだろう。

 お互いを憎んでいるわけではないだろう。だが強い情念をもって相手を叩きつぶそうとしている。なんて尊く素敵なのだろう。

 明日のレースは石にかじりついても2人を感じないと。脳内で加速度的に2人の心情の推察、いや妄想が展開されていく。

 その結果、乗り換える駅の乗り過ごしを数度繰り返し、帰宅する頃には寮の門限を完全に過ぎ寮長にしこたま怒られていた。

 

──

 

 アジュディミツオーは布団に寝転がり、天井を見つめながら明日のレースについて考える。地方総大将としての力を手に入れる。ヒガシノコウテイから助言をもらってからずっと考えていた。

 ボランティアスタッフとしての仕事を全力で取り組んだ。トレーニング時間は減ってしまったが、多くの人に支えられているおかげでレースを走れることを知り、見ている人が何を想い、何を期待しているのかを知れて有意義だったと思う。

 今まではファンという一括りで見ていたものが、肉付けされ個人として見るようになっていた。

 他にもヒガシノコウテイからファンサービスする機会があると思うが、その際はファンの皆さまが最も喜ぶ対応をしなさいと、膨大な資料を参考にして自分なりに実践した。

 その結果今日のサイン会の振る舞いは好評で神対応と評判で、ヒガシノコウテイからラインで賛辞の言葉が送られた。

 他にもセイシンフブキとのやり取りも盛り上がって良いのではと好意的な意見が送られていた。

 だがあれは場を盛り上げ、ファンを喜ばせるために発言したのではない、あれは焦りから生じたものだった。

 

 今日までヒガシノコウテイに課せられた課題はしっかりこなした。だが地方総大将としての力を手に入れた実感はない。

 このままではセイシンフブキに恩返しもできず引退することになる。その考えを払拭しようと公共の場で宣言することで決意表明と同時に自分を奮い立たせた。

 

 アタシなら出来る!ダートプロフェッショナルと地方総大将の力を持った理想の走りができる!

 

 アジュディミツオーは何度も言い聞かせ眠りについた。

 


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