勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と漆黒の帝王#1

(待って!置いてかないで!)

 

 直線に入りアグネスデジタルとアドマイヤドンとの距離が見る見るうちに離されていく。もっと感じたいと懸命に追いつこうと足を動かす。しかし砂が絡みつき全く足が抜けない。

 まるでコールタールの中を走っているように推進力を奪っていく。

 今まで追いつこうとして追いつけなかったことは何度もあった。だがその時とは比べ物にならないほどの絶望感を味わっていた。

 目の前の遥か先に1着でゴールを駆け抜けたアドマイヤドンがスタンドに向かって勝利をアピールする。その様子はひどく現実味が無く、同じ空間で走っていたはずなのにモニター越しで見ているような空虚感だった。

 

 デジタルは勢いよく体を起こす。目に映るのは自室の風景に隣で眠るタップダンスシチー、肌から感じる布団や寝間着の感触、先ほどのものは夢か。思わず大きな安堵のため息をつく。

 船橋レース場で日本テレビ盃を走った後、次走は盛岡レース場で南部杯を走った。

 アドマイヤドンとの初会合、レースではどんな姿を見せてくれるか楽しみで仕方がなかった。いつも通り感覚を研ぎ澄ましゲートに入り、アドマイヤドンや他のウマ娘に想いを馳せる。

 スタート直後前目の位置につけようとするが、行き足がつかなかった。

 これ以上足を使えば直線で絶対に力尽きると感じ後方の位置につけ末脚に賭ける。だが直線に入っても末脚は全くと言っていいほど爆発せず、アドマイヤドンに1秒離され5着で終わる。

 レースでは己の不調に動揺しアドマイヤドンは勿論、他のウマ娘を感じられなかった。

 競技人生でワーストレースを挙げるとしたら即答でこの南部杯と答える。そしてワーストレースは悪夢として苛む。

 デジタルは悪夢を忘れようと勢いよく布団に入り込み目を閉じた。

 

──

 

「おう、入れや」

 

 トレーナーは扉の向こうからデジタルの声に向けて入室を促す。デジタルはトレーナー室に入室し、来客用のソファーに座る。その顔はいつもと比べ明らかに神妙だった。

 

「どないした。今日はオフやろ。部屋でウマ娘分を補充しとるんやなかったんか」

「ちょっとね。それで何見てんの?って先週の京都大賞典か」

 

 デジタルはトレーナーのPCを覗き込む。そこにはゴール前で争うヒシミラクルとタップダンスシチーが映っていた。

 

「2人とも夏を超えてさらに力をつけてきたな。タップダンスシチーはいつもの淀みないペースで後続をすり潰しての勝利、ヒシミラクルも先行策と意外やったがハンデ1での2着、タップダンスシチーとほぼ差はない。宝塚記念での勝利はマグレやないと証明したな」

「でもファンの人達は残念がっているけどね」

「そうみたいやな」

 

 トレーナーはPCから漏れる観客のため息に苦笑する。ヒシミラクルは元々人気だったが、今やトゥインクルレースの枠を飛び出した人気を博していた。

 切っ掛けは真サマージャンボとキャリーオーバーしていたスポーツ振興くじを当てたという男性のワイドショーだった。

 その男性は宝塚記念でヒシミラクルの応援券を購入していた。当選したのはヒシミラクルのご利益だとインタビューで力説し、その男性はヒシミラクルおじさんと呼ばれるようになった。

 今までその手の話はいくらか挙がっていたが、ここまで運に恵まれると、迷信ではなく本当に幸運を与えてくれるのではと周りも思い始めていた。

 それ以降は一種のブームとなり、ヒシミラクルグッズがネット通販で再版されると、数分後に売り切れになるほどで、その日の京都レース場でも一目ヒシミラクルを見ようとGI並みに人が集まっていた。

 

「しかしタップダンスシチーちゃんも前哨戦とは思えないほどに力が入ってたな。運を喰ってやるって」

「なるほど。それは必死になるわ」

 

 トレーナーは納得気に頷き、デジタルはその様子に首を傾げる。

 趣味で麻雀をすることがあるが、偶にやけにツキが回っている者が現れる。その者からあがると不思議とツキが回ってくるという事がある。

 完全にオカルトだがタップダンスシチーも似たような体験を経て、同じようにヒシミラクルに勝利し強運を奪おうとしたのだろう。

 あとは考えられるとしたらヒシミラクルとの格付けだろう。タップダンスシチーは一度ヒシミラクルに先着されている。

 仮に実力が同じ場合、精神的優位不利は重要だ。自分は不利に思っていなくても相手が勝ったという自信は力になり勝負を左右する。

 このレースで勝利しヒシミラクルが抱く精神的優位に楔を打った。

 逆にヒシミラクルが精神的不利を感じているかもしれない。着差は1バ身差だが差し追い込みで差を詰めての着差ではなく、直線に入り2番手で追い続けて逃げのタップダンスシチーと差が詰まらなかった着差だ。このような差は精神的に堪える。

 

「もしタップダンスシチーが天皇賞秋に参戦したら厄介やな、デジタルとしたら嬉しいところか」

「そうだけど、次走はジャパンカップだって。万全の状態でボリクリを潰すって息巻いてたよ」

「そうか、そういえば天皇賞秋を走る前提で話を進めたが、次走は天皇賞秋でええのか?ダメだったら変更するが」

「うん、シンボリクリスエスちゃんが出るからね。宝塚記念では不覚を取ったと思っているから、天皇賞秋は死に物狂いで勝ちに来るよ。どんな表情を見せてどんな感情を見せるのか、是非とも感じたい……」

 

 デジタルは意気揚々と語るが声が尻つぼみになっていく。もし南部杯のように不調だったら同じようにウマ娘達を感じられない。そんな不安が頭を過っていた。

 

「それならまずは南部杯と日本テレビ盃の反省や、敗因は主に2つ、1つはバ場状態。お前はダートでは時計が掛かるバ場には向かん」

 

 トレーナーはデジタルに言い聞かせるように大きめな声で喋る。

 一般的にはダートに勝つにはパワー、芝に勝つにはスピードが必要と言われている。デジタルはオールラウンダーとして両方で勝っていたが、どちらかと言えばパワーよりスピードに富んでいるウマ娘である。

 盛岡レース場は地方でも一二を争うほど砂厚が深くパワーを要する。

 南部杯を勝利しているので克服できると思っていたが、その時の勝利は様々な要因が味方したにすぎず、不利な条件であることは変わりなかった。

 そして日本テレビ盃も船橋レース場は基本的に砂厚が薄く時計が出るコースだ、しかし天候による砂質の変化か風による砂厚の変動か分からないが、当日に限り時計が例年と比べると遅かった。

 

「2つ目は体重、ベストやと思ったんやが、やはり少し重かった」

 

 トレーナーはデジタルに頭を下げながら謝罪する。トレーナーは海外でのスカウト活動でトレセン学園に居ないことがある。そのような場合には雇っているサブトレーナーの黒坂に指示書を渡し、ウマ娘の指導を任せている。

 日本テレビ盃ではデジタルの調整については意見が割れたが、海外に行く直前にデジタルの動きでこの調整で大丈夫と思い、現場の判断を信じた。

 だが日本テレビ盃のレース内容を見る限りやはり絞った方が良かった。これは黒坂のミスではなく、見抜けなかった自分のミスだ。

 その反省を生かして南部杯に向けて絞ったが、レース内容を見る限りではもう少し絞っても良さそうだった。

 

「あと日本テレビ盃ではフラフラしすぎや。お前にとってウマ娘を感じる為にやっただろが、あんな走りすれば着差が広げられるのも当然や」

 

 トレーナーはやや呆れ顔を浮かべながら告げる。

 日本テレビ盃での道中はアジュディミツオーの隣を走っていたが、直線では一旦大外を回したセイシンフブキに体を寄せ、暫くして内側のアジュディミツオーの傍に体を寄せて走っていた。完全に斜行である。

 チームに入ったウマ娘に最初に教えることは真っすぐに走る事である。

 どんなに疲れても真っすぐに走る。それが出来なければどれだけ能力があってもレースに出走させない。これはレースに走るための絶対条件だ。

 勝てないだけならまだいい、斜行することで他のウマ娘に迷惑をかけ事故に繋がる可能性が一気に増える。

 トレーナーも斜行についてデジタルから話を聞き、絶対に他のウマ娘の迷惑にならないと確信して、体を寄せたと証言していた。

 それを聞きトレーナーは注意だけに済ませておいた。もし安全を確保せずに斜行だとしたら、南部杯への出走を取り消していたかもしれない。

 

 トレーナーが敗因を述べていくなか、デジタルに僅かに安堵の表情が浮かぶ。敗因が分からなければ対処のしようがない、だが分かりさえすれば対処できる。

 デジタルはここ最近の凡走によりナーバス気味で、原因を話すことで不安を解消するという狙いがあった。

 

「それで天皇賞までに体をある程度絞っていこうと思う。ベストな体重になれば南部杯みたいにはならん。今後のトレーニングについて意見はあるか?」

「じゃあ、1つ」

 

 デジタルは手を挙げる。その表情は先程見せた安堵感はなく、より神妙で切羽が詰まっていた。トレーナーはその表情に思わず唾をのむ。

 

「アタシは天皇賞秋までに……ウマ娘ちゃん断ちをしようと思う」

「ウマ娘断ちって何をするんや?」

 

 トレーナーは思わず首をひねる。ウマ娘断ちとは聞きなれない言葉で、おおよその意味は察せられるが詳細は分からない。

 デジタルは覚悟を決めるように息を吐き喋る。

 

「言葉のそのままの意味だよ。まずはネットやテレビを見られない環境に行って情報を一切遮断する。あとは天皇賞秋までトレセン学園を休学する。ここは意識しなくてもウマ娘ちゃんに溢れているから、どうやってもウマ娘ちゃんを感じちゃうし」

「ほんまか?」

 

 トレーナーはその言葉にこれ以上ないほどに目が見開く。デジタルのウマ娘好きは筋金入り、ウマ娘を愛でる為に日々を過ごしていると言っても過言ではない。そのデジタルがウマ娘断ちをすると言った。

 かつて教え子のダンスパートナーのゲート難を克服する為にゲートに括りつけたことがあった。当人にとって苦痛だったが、デジタルが味わう苦痛は遥かに凌ぐ。もし実行すれば拷問レベルの苦痛だ。

 

「やろうと思った理由を訊いてええか?」

「アタシは満たされてた。トレセン学園で生活して毎日素敵なウマ娘ちゃんに囲まれてこれ以上ない幸せだった。でもそれじゃあダメなんだって思ったの。シンボリクリスエスちゃんは本当に強い。その強いシンボリクリスエスちゃんを感じる為にはどうするべきか?悩んで悩んで思いついた」

 

 デジタルはぽつりぽつりと思いの丈を語る。シンボリクリスエスとは宝塚記念で初めて一緒のレースで走った。

 全てを勝利に向けるそのストイックさと執念、それは自分の為ではなく、他人の為に走るという想いから発せられるものだった。しかし親愛や感謝という暖かい感情ではなく冷ややかさすら感じ、それは今まで感じたことが無い感情でデジタルの興味を大いに惹いた。

 そして宝塚記念を負けて迎える天皇賞秋、どれほどの執念を宿し挑むのか、あの冷ややかなものがどのように変化するのか、是非とも間近で感じたかった。

 だが南部杯の時のアドマイヤドンのように全く感じられなかったら?そんな不安が押し寄せていた。

 デジタルは無意識に危機感を抱いていた。このままではダメだ、何かをしなければシンボリクリスエスを感じられない。

 トレーナーに南部杯などの敗因を聞かされても不安と危機感は拭えなかった。自分を追い詰めなければならない、そんな強迫観念に迫られていた。

 

 トレーナーは腕を抱えて考え込む。デジタルは悩み考え抜いて提案したのだろう。だがこの提案は効果的だと思えなかった。

 まずはトレーニング環境の問題、トレセン学園はウマ娘が強くなるために最適な環境で、そこを離れれば練習効率は一気に落ちる。他にもジムや河川敷など工夫すればトレーニングは出来なくはない。

 だがデジタルの望みはウマ娘との接触を断つことである。そういった場所には少なからずウマ娘が居る。それすら避けるとなると、トレーニングする環境は相当制限される。

 次にウマ娘を断つことに対するやり方の危険性、たばこの禁煙でも一気に吸うのを止めたりせず、徐々に本数を減らしていき、体を慣れさせるというのが一般的だ。

 だがデジタルのやり方は一気に止める方法と同じだ、それをすれば何かしらの不調をきたす。

 さらに言えばウマ娘を断つことがどれだけ影響を及ぼすのか未知数である。影響が低ければいいが、影響が高い場合に生じる害がどれだけのものか予想がつかない。

 

「白ちゃん、アタシがGIを何回も勝てたのは何でだと思う?何でサキーちゃん達みたいな世界トップクラスのウマ娘ちゃんに勝てたと思う?」

 

 デジタルは腕を組み考えこむトレーナーに問いかける。トレーナーは姿勢を維持しながらデジタルの案への代案ではなく、質問への答えを導き出すために思考を費やす。

 

「精神力、ウマ娘への愛とか執着とかやろうな。それが常識外れの力を生み出す」

 

 キレのいい末脚、様々なバ場に対応する適応力、先行や差しを出来る自在性、長所を挙げようとすれば両手でも足りない。だがそれらの長所を上回っているウマ娘は歴代でも何人も居るだろう。

 ならばデジタルが多くの強敵に勝利し、トゥインクルレースで歴史的な成績を残せた要因を挙げるとすればウマ娘への愛や執着だろう。その一例がトリップ走法だ。

 あれはウマ娘への大きな執着がなければできない。トレーナーが今まで見てきたなかで使えたのはデジタルとアドマイヤマックスの2名のみだ。

 

「アタシもそう思う。ウマ娘ちゃんを愛でたい感じたいって気持ちは世界中の誰にも負けないつもり」

 

 デジタルはトレーナーの正しい分析に僅かに声を弾ませながら喋る。

 自分の武器は何か?ウマ娘達を感じる為により速く走るためにはと自己分析を始めた際に考える。

 フィジカルもテクニックも決してナンバーワンではない、頭脳だって優れていない。そんな自分が多くのGIに勝利し、ダートプライドに勝てたのは精神力、つまりウマ娘への執着だ。レースを通してウマ娘を感じたい、その想いが力を与えてくれる。

 

「速くなるためには鍛えるのはフィジカルでもテクニックでも頭脳でもない。ウマ娘ちゃんへの気持ちなんだよ。だから飢えなきゃいけない。飢えれば飢える程アタシは感じたいと思って速くなると思う」

 

 デジタルは静かに語る。その声量は小さいが決意の強さがハッキリと感じられた。

 ウマ娘への執着をより強くしていけば速くなれる。そして強くする方法は飢えることだ。

 人は抑制されれば反動で執着がより深まる。ダイエットでのリバウンドも食事制限によって、食事への欲が高まり爆発した結果だ。

 それを自分に置き換えればいい、ウマ娘を一切感じずに抑制し、レース当日で爆発させる。そうすれば今まで以上に執着し求め速くなるかもしれない。

 非常に痛みを伴う案だが、それぐらい覚悟が無ければシンボリクリスエスを感じられないと思っていた。

 

「しゃあない。分かったわ。デジタルのやり方でやればええ」

 

 数秒の沈黙ののちトレーナーが観念したとばかりに両手を挙げ許可する。

 デジタルの目から決断的な意志が感じ取れた。このまま承認しなくとも勝手に実行するだろう。それならば1人でやらすより出来る限りサポートしたほうが効率的だ。

 やらない後悔よりやる後悔という言葉があるように、やらないで満足できないより、やって満足できない方が精神的ダメージは少ない。それに失敗しても他の方法を試せばよいだけの話で、失敗は糧になる。

 

「ありがとう白ちゃん。ウマ娘ちゃん断ちをするにあたって色々プランを考えてみたんだけど」

 

 デジタルは自分のスマホをトレーナーに渡す。画面にはウマ娘断ちをするにあたっての行動計画が何通りも記されていた。

 

「随分と用意がええな、いつの間にそんな手間が良くなった」

「断られた時の為に説得材料を用意してたんだよ。まあ無駄だったけど。それで白ちゃんとしてはどれがいい?アタシはこれだけど」

「それは人手がかかるし不慮のアクシデントでウマ娘を感じてしまう。ここはプランBやろ」

「なるほど、じゃあ場所はどこがいいかな?」

「ここは微妙やな」

 

 トレーナーとデジタルはスマホを見ながらウマ娘断ち計画の話し合いを始めた。

 

 

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