タブレットの画面にはエンドロールが流れている。映画館では本編が終わってもエンドロールまで最後まで見る者は多く、アグネスデジタルも映画館ではそれに倣い、タブレットで映画を見る時も変わらなかった。
面白かった、詰まらなかった。ここがイマイチだった。この時間で映画に対する感じた事や思ったことを纏める。
だがデジタルはタブレットを操作し映像を停止すると枕に向かって投げ捨てた。
「なにこれ!?すっごくつまんない!時間の無駄だった!これが名作扱いとか皆の目は腐ってんじゃないの!?」
デジタルはタブレットに向かって映画に対する罵倒の言葉を吐く。アカデミー賞を受賞したらしく、それなりに期待していたが完全な駄作だ。特にストーリーが酷い。これならずぶの素人の自分が考えたものでも幾分かマシになるだろう。
つまらない作品を見たせいか心が騒めきイライラが治まらない。ベッドの上で膝を抱え、無意識で親指を噛み貧乏ゆすりをしていた。
駄作を見た不快感を晴らせないかと棚に置いていた携帯ゲーム機を手に取る。
サブトレーナーの家に来て夜の暇つぶしは映画やドラマの視聴だった。それらは何もせず流れる映像を見る受動的な娯楽だ、一方ゲームは自分で操作し、展開を動かす能動的な娯楽、そちらの方が面白く気が晴れるかもしれない。
ゲームはそこまでしたことが無いが、物は試しと携帯ゲーム機の電源を入れる。
複数のタイトルが表示されるなか、画面に映る白い服の少女のイラストが好きだと、そのゲームを選択肢し、少しでも気分を紛らせてくれと、僅かな期待を抱きながらゲームをプレイする。
「クソゲーじゃん!」
プレイ開始から30分、デジタルの淡い期待は裏切られた。タブレットと同じように携帯ゲーム機を枕に向かって投げ捨てる。
デジタルがプレイしたのはメトロイドヴァニアと呼ばれる探索型アクションと呼ばれるジャンルのゲームで、アクションゲームをプレイしたことがない人にとって難易度は高かった。
だがこのジャンルにしては簡単な部類で、最初はすぐにゲームオーバーになるが、何度も失敗することで操作が上達し何れはクリアできるようになっている。
試行錯誤を重ねクリアする達成感とゲームの世界観とストーリーの良さに多くのプレイヤーが魅了された名作だった。
しかし今のデジタルの精神状態ではゲームの難易度に耐えられず、上達する達成感を感じることも苦労の果てに迎える感動のエンディングを見ることもなかった。
ベッドの上で膝を抱え無意識で親指を噛み貧乏ゆすりをする。その揺すりは映画を見た時以上だった。
サブトレーナーの実家の生活が始まって1週間が経過した。
数日の間は特に問題が無く、トレーニングも勉強も順調で、夜の自由時間でも名作と呼ばれる作品を素直に楽しめ、これからは他の娯楽に触れる機会を増やしてもいいかなと思い始めていた。
しかし日が経つにつれ、心の騒めきとイライラが膨れ上がり、娯楽作品を楽しめなくなっていた。
デジタルもトレセン学園での夜の自由時間はウマ娘分を補充するだけではなかった。
エイシンプレストンと一緒に香港映画を見たり武術の練習台になったり、タップダンスシチーの競艇ベストレースを見たりと他のジャンルの娯楽や体験を楽しめていた。だがそれは日頃からウマ娘分を補充して、心に余裕が有ったからに過ぎない。
ウマ娘は人生にとって無くてはならないものだ、それを断てば調子が悪くなるのは当然であった。
日に日に心が騒めきイライラとウマ娘に対する焦がれが増していき、今では毎晩のようにウマ娘が出てくる夢を見るようになっていた。
人生においてここまでウマ娘を求めたことは無い。そして夢でウマ娘を見ることで、焦がれを僅かばかり治めていたが、徐々に出てくるウマ娘のディティールが僅かに乱れていった。デジタルは確かな想像力を持っている。だがウマ娘を5感で感じられないことで確実に鈍っていた。
残り2週間で焦がれは確実に増していくだろう。果たして耐えられるのか?
大いに不安を感じながらもう一度タブレットを手に取り気を紛らわせる娯楽作品を探した。
──
「いただきます」
デジタルと黒坂と両親は手を合わせて箸を伸ばす。黒坂と両親達は味噌汁に卵焼きなど一般的な朝食に対してデジタルは3人の食事とは別のメニューだった。これはトレーナー達がメニューを作成し、黒坂の母親に調理してもらっていた。
4人は黙々と食事を摂り、食卓には咀嚼音や箸が食器に当る音が響く。
デジタルが家に来た当初は適度に会話し、和やかな食卓だった。だが3人は言いようのない重苦しさを感じていた。
「黒坂ちゃん、あの映画なんだけどさ、ほら、アカデミー賞を受賞したやつ」
デジタルは黒坂にポツリと呟く。サブトレーナーは該当する映画を思い出し、正式なタイトルを言いなおす。
「マジでつまんなかった。黒坂ちゃんはあれが本当に面白いと思ったの?」
「まあ……」
「あれが面白いと思ったんだ。人の好みはわからないもんだね」
デジタルは皮肉っぽく言いながら目の前の卵焼きを口に放り込み咀嚼する。だが怒りがぶり返したのかさらに愚痴を続ける。
「あと、ゲーム機に入ってたあのゲーム、白い服を着た女の子を操作するやつ。あれもクソゲーだった」
「そうですか、アクションに慣れてない人には難しかったかもしれません。他にもゲームに慣れてない人にも出来るソフトもありますので、気が向いたらやってみてください」
「ふ~ん、でもあの映画が面白かったって言うんだから、期待できなさそう」
デジタルは嫌味っぽく呟き黒坂は思わず苦笑する。その様子を見て両親達は僅かに顔を顰めた。
「ご馳走様でした」
デジタルは手を合わせると挨拶すると、足早に自室に向かいリビングから去る。その数秒後3人は深く息を吐いた。
「私は面白いと思ったんだけど、アグネスデジタルさんには悪い事をしたかも」
「人の好みはそれぞれだから」
黒坂は落ち込む母親に慰めの言葉を掛ける。デジタルが見た映画は黒坂がタブレットに入れる映画を選定している際に、母親が面白かったと勧めた作品だった。デジタルの声のトーンからポジティブな話ではないと察し、咄嗟に自分が入れたとウソをついていた。
「しかし、あんな感じが悪い娘だったかしら、思いやりが足りないというか、人が勧めた物をあんな風に言うなんて」
「強いスポーツ選手は大概性格悪いと言うからな、スポーツ選手としては正しいのだろう、まあ人間的には好かんがな」
父親は母親を慰めながら率直な感情を呟く。対人スポーツでは如何に相手の嫌がる事をするかが重要だと聞いたことがある。
それでも人々がイメージする好漢を期待していたのだが格言通りだった。予想通りと納得しながらもデジタルへの好感度は下がっていた。
黒坂は2人の様子を見ながら言いようのない不安に駆られていた。
──
「デジタルさんどうしてるのかな?」
「ウマ娘断ちするからってトレセン学園を出て行くって、やることが極端だよね」
「そもそもウマ娘断ちって何?」
「ウマ娘を見ない聞かない嗅がない触らない」
「それ大丈夫?ウマ娘マニアのあの人が耐えられるの?」
チームのウマ娘達がクールダウンがてらの雑談でデジタルの話題が挙がる。学園から去って1週間が経過した。初めて休学理由をトレーナーから聞かされた時にはチームメイト達も大いに驚いた。
一見すると奇行に見える行動だがデジタルなりに至極真面目に行動しているのは知っている。
様子は気になるところだがスマホをサブトレーナーに預けているので、返ってくるまでは音信不通で連絡は取れない。電話ならともかく文字でのやり取りなら大丈夫そうだと思いながらも、その徹底ぶりに感心していた。
「トレーナーはデジタルの様子とか知ってますか?」
「ああ、黒坂君から毎日定時報告が来とるが、問題無しやと」
「そうですか、しかしトレーニングとかどうしてんだろ?ここでしか出来ないトレーニングとかあるけど」
「4000段の階段ダッシュしたり、室内で筋トレとかやな」
「4000段?そんなに?」
チームプレアデスのウマ達の雑談はデジタルから階段ダッシュに話題が移り盛り上がる。その様子を見ながらトレーナーはデジタルについて考える。
階段ダッシュにウェイトトレーニング、トレセン学園の施設が使えない状態ではこれぐらいしか出来ず、トレーニングの強度不足は否めない。だが最高の設備があっても最高のトレーニングが出来るわけではない。
結局は工夫とトレーニングする本人次第だ、デジタルなら限られた環境でも、実のあるトレーニングを実行できる経験がある。それに限られた環境でトレーニングを工夫するという経験はトレーナーになるためには必ず役に立つ。
「トレーナーさようなら」
「ああ、また明日」
トレーナーはチームウマ娘達と別れてトレーナー室に向い、中に入るとPCを立ち上げてメールチェックする。
いつもなら黒坂から定時報告のメールが送られてくるのだがまだ来ていない。その代わりに新着のメールが届いていた。
トレーナーはメールをチェックし件名を見て顔を顰める。件名には天皇賞秋に関しての取材依頼だった。
デジタルがトレセン学園を休学したという情報は即座にマスコミに把握されていた。
休学しているのに天皇賞秋には出走表明している。普通ならば、休学しているウマ娘の次走は基本的に未定となる。その事実にマスコミはある可能性を思い浮かべていた。
アグネスデジタルは外厩でトレーニングしている。
外厩とはトレセン学園以外のトレーニング施設で、シンボリなどの名門と呼ばれる集団が保有していることが多く、トレセン学園以上の施設を保有している所も有る。中にはトレセン学園ではなく、外厩でトレーニングするウマ娘も居た。
近年では外厩で目一杯トレーニングしてから、レース直前にチームに戻り出走するという方法をとっているウマ娘も居る。
その方法だとトレーナーはウマ娘を育てられない。出来るとしたらレース前の軽い調整だけだった。
そのようなトレーナーは一部ではトレーニングを指導するトレーナーではなく、ウマ娘の世話だけをするお世話係と揶揄されることもある。
そしてどこの外厩でトレーニングしているかという話になり、中にはサキーと親交が有るので、コネを使ってゴドルフィンの外厩でトレーニングしているという説まで挙がり、ゴドルフィンに移籍するのではと飛ばし記事まで書かれていた。
デジタルにとってはどうでもいい事かもしれないが、このままウソの情報が発信され続けるのは問題で、この取材は事実を伝えるという意味では丁度良い。
だがウマ娘を断つためにトレセン学園を出たという事実は本人のプライバシーの為に隠したい。どのように隠して伝えるべきか、トレーナーは頭を悩ます。
すると新着のメールが送信され、メールを開き本文を読みさらに頭を悩ます。
メールは黒坂からでデジタルの様子の定時報告だった。さらにスマホから着信音が鳴りディスプレイには黒坂と表示されていた。
「もしもし、黒坂君か?」
「はい、メールは見ていただきましたか?」
「今見たところや」
そこにはいくつかの問題点が記載されていた。まずはトレーニングの質の低さ、ウマ娘断ちの為に極力ウマ娘に接触しない事を重点に置いている。
そうなるとトレーニングは例の寺での階段ダッシュと家での筋トレとメニューが限られてくる。
特に筋トレは機材もなく自重トレーニングしか出来ず、黒坂も工夫はしているが基本的に自重トレーニングでは、トレセン学園のような機材を使ったトレーニングより強度が落ちる。
そして一番の問題はウマ娘断ちを実行するにあたって最も懸念していたのが、デジタルに掛かる精神的負荷の大きさだった。
生き甲斐であるウマ娘を断たれれば何かしらの影響が出るのは目に見えている。その影響がどれ程でレースに影響が重大な影響が出るか否かが問題だった。
黒坂のメールには最近になって情緒不安定になり攻撃的になっていると書かれていて、このままの状態で居ればさらに精神的負荷が掛り、レースに重大な影響を及ぼすと記されていた。
「デジタルはどんな感じや?」
「練習中もかなり気が立っています。家に居る時も部屋から離れた場所から聞こえる程声を出し、言動も攻撃的になっています。先日もタブレットで見た映画や遊んだテレビゲームが楽しめなかったようですが、ストレートにつまらないと文句を言いました」
「それは確かにいつもと違うな」
トレーナーは思わず同意する。デジタルは基本的に温厚で大らかで気が立っておらず、イライラしていたのは勝利中毒に罹りプレストンとケンカした時ぐらいだろう。何より人が好きな物に文句を言う事は決してない。
オタク気質であるが故に他人の好きな物を尊重する。仮につまらなくても自分には合わなかったと、オブラートに包むだろう。映画やテレビは黒坂選んだ物と知っていて平時なら絶対に言わない言葉だ、つまり今は通常状態ではない。
「僭越ながら今からでもアグネスデジタルをトレセン学園に戻すべきだと思います」
黒坂トレーナーは真剣みを帯びた声で提案する。このまま精神に負荷が掛れば、天皇賞秋では本調子で走れない可能性が高い。
「トレーナーもこのままではマズいと分かっているでしょう」
「黒坂君の言い分は充分に分かっとるつもりや、だがこのトレーニングはデジタルが提案したもの、本人が悩み考え抜いて提案し、本人しか分からない効果があるかもしれん。それに失敗したとしても糧になる」
トレーナーは諭すように話す。黒坂が言うことは正論だ、だが思いついた方法の成果が出る前に他者が中断すれば成果を知る機会を失う。たとえ失敗しても本人が納得しなければ意味が無い。そしてその失敗は成長の糧になる。
耳元から黒坂の悩まし気な声が聞こえてくる。
「いや、やはり中断すべきです。確かにトレーナーの言う事は大切です。だが明らかに失敗する道をサブトレーナーとして進ませるわけにはいきません。アグネスデジタルをトレセン学園に戻すのがベストです。本人だって最初は不平を言うかもしれませんがいずれは納得してくれます」
黒坂は毅然と言い放つ。サブトレーナーとして大人としてチームの教え子が失敗しようとするなら、手を引いて止めるのが役割だ。
トレーナーは黒坂の言葉を聞き静かに息を吸う。ここまで食い下がるとは予想外だった。
「黒坂君、デジタルは今までに見たことが無いウマ娘や、その精神性や考え方は時にオレでも理解できず、時に常識外れの力を見せる。そんなウマ娘にはセオリーで測らないほうがええ場合もある」
トレーナーも毅然と言い放つ。デジタルはメンタルで走るウマ娘だ。
そういったウマ娘はフィジカルやテクニックより、いかにメンタル面を充実させるかが重要だ、たとえトレーニング強度が足りなくとも、今回のトレーニングでデジタルの言うウマ娘への飢えを募らせたほうが、本人の為になると考えていた。
「しかし、私はやはりトレセン学園に戻したほうがベストだと思います」
耳に黒坂の息遣いが聞こえてくる。これは一旦納得しかけたがやはり認められないという感情が読み取れる。この様子では中々に折れないだろう。トレーナーは観念したかのように息を吐き話す。
「俺はこの決定を変えるつもりはない。もし不服なら俺がデジタルについて、黒坂君がチームの指導にあたってもらうことになる」
トレーナーの耳に息をのむ音が聞こえる。日頃から他者の意見に耳を傾け尊重したいと思っている。
だが曲げられない考えは存在し、意見が割れて相手が納得しないならば、最高責任者として他人の意見を却下し自分の意見を押し通すしかない。
「分かりました……今回は引きますが今後のアグネスデジタルの様子次第では再度提案、最悪は独断でトレーニングを中断させていただきます」
「そんな事態にならないことを切に願う」
トレーナーは背もたれにもたれ掛かり天井を仰ぎ見る。周りから見ればこの方法は間違っているだろう。自分は本当に正しいのだろうか?思わず自問し。数秒後に脳内で自答する。
この選択は正しいと信じる。時には間違うことがあるが、自信なさげに選べば周りも自分自身も納得しない。大切なのは選択に自信を持つことだ。
トレーナーはデジタルの考えと可能性に賭けることにした。
黒坂は深くため息をつく。トレーナーの言葉には一理あり2人にしか分からない事柄もあるだろう。だがそれはデジタルに近くにいない者の考えだ。
デジタルに掛かる精神的負荷は想像以上に大きい。このままにしておけば重大な悪影響と及ぼす。トレーナーは失敗しても糧になると言っていたが、デジタルに与えられるのは糧ではなく致命傷だ。
今後は様子をつぶさに観察し少しでも本人の為にならないと思えば躊躇なく介入しウマ娘断ちを中断させる。
黒坂は決意を新たにし、今後のデジタルのトレーニングプランを考え始めた。