勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者と漆黒の帝王#5

 

 学園の敷地内には並木道のような場所が存在し季節ごとに様々な景色が楽しめる。今の季節は紅葉や銀杏が咲き赤と黄色のコンストラストが見るものを楽しませ、学園のウマ娘達はそれらを見ながら昼食を摂るなど、人気のスポットの1つである。

 その美しい並木に目をくれず黙々と歩くウマ娘達が居た。チームプライオリティのウマ娘達である。チームの名物トレーニングであるウォーキングの最中で、並木道はウォーキングの進路上だった。

 動作に乱れはなく歩行音すら合わさり、周囲に響き渡る。その様子は集団行動さながらで、見る者に感嘆と威圧感を与えていた。

 その集団の先頭をシンボリクリスエスが歩く。後ろのチームメイト達に緩みが無いか神経を張り巡らしながら周りの様子にも気が配っていた。

 以前と比べ歩く様子を見るウマ娘から畏敬の念が弱まっている気がする。正確に言えばシンボリクリスエスに対する畏敬の念が弱まっていた。そしてその原因も分かっていた。

 

 6月に行われた宝塚記念、近年まれにみる豪華メンバーが集まったレースで、勝てば中距離最強の座は勿論名声も一気に高まるはずだった。

 だが戦前の評価で格下と目された同期のヒシミラクルに敗れ、年下の2冠ウマ娘ネオユニヴァースにも破れ評価は一気に下がった。

 その証拠に数週間後に行われる天皇賞秋での事前人気では1番人気だがその差は僅かだった。

 仮に宝塚記念前であれば人気は集中していただろう。それだけに宝塚記念での敗北はシンボリクリスエスの信頼を下げていた。

 

 実はたいしたことは無い、所詮中山専用機、器用さだけでタフな展開では脆い、

 

 周囲や世間からは様々な影口を叩かれるようになった。品性方向で自他に厳しい姿から帝王と呼ばれていたが、それがいけ好かないと一部から反感を抱かれ、宝塚記念の敗戦を機に、それ見た事かと陰口が一気に表に出てきた。

 シンボリクリスエスはその評価を甘んじて受ける。宝塚記念特有の淀みのないペースのタフなレース展開で勝てなかったのは事実で、GIに勝利したのは東京レース場の改修工事により、中山レース場で実施された天皇賞秋と有マ記念だけで、中山専用機と囁かれても仕方がない。

 

 藤林のトレーニングではリギルやスピカのような超1流のウマ娘は育てられない。所詮は平場で勝利数を稼いでいるトレーナー、張りぼてリーディングトレーナー。

 

 だがこれらの陰口は見過ごせなかった。自身が何を言われても構わないが、藤林トレーナーが罵倒されるのは許せなかった。

 この感情はシンボリクリスエスがトレーナーへの親愛や情によるものではない。契約を結んだプロとして雇い主の評判が下がるのが許せなかった。

 全ては宝塚記念で負けたことが原因だ、己の不甲斐なさに怒りが湧き、無意識に歩調が乱れていた。

 

「調子はどうだ?」

 

 トレーニングが終了し、制服に着替え寮に帰宅するゼンノロブロイに声をかける。ゼンノロブロイは体をビクリと震わせ振り向く。その目には不安と緊張の色が見えていた。

 

「問題無いです」

「世代の主役はネオユニヴァースではない。それを菊花賞で証明して来い」

 

 シンボリクリスエスは真剣な面持ちで励ます。ゼンノロブロイは今年の日本ダービー2着、菊花賞の前哨戦である神戸新聞杯に1着でネオユニヴァースに勝ったウマ娘である。

 その実力は世代屈指で、クラシック級だけで活躍する早熟タイプではないのは明らかだ。将来は業界を代表するウマ娘になると目にかけていた。

 ゼンノロブロイは一見おとなしめで、気負わず走れと言った方が実力を発揮するタイプに見えるかもしれないが、実は胸の内に熱いものを秘めているタイプで、多少発破をかけたほうが力を発揮するタイプだ。

 巷で藤林トレーナーは長距離を軽視しているという風潮があった。今は各路線が充実しているが以前は中長距離こそが絶対であり、それ以外は著しく下に見られていた。

 その名残かクラシック級のウマ娘は3冠レースに挑戦すべきという暗黙の了解があった。だがそれをチームプライオリティに所属していたバブルガムフェローが破った。

 当時は色々と批判されたが結果で黙らせた。それ以降もチームプライオリティのウマ娘は定期的に菊花賞ではなく天皇賞秋を走るようになる。その結果が長距離軽視しているという風潮だ。

 長距離に強いウマ娘を育てられなければ1流ではない。一部ではそんな意見を持っている関係者が居る。その評価を覆すために、ゼンノロブロイには勝ってもらいたかった。

 

「そういえば次巻は返却されたか?」

「はい、丁度昨日返ってきましたよ。よろしければ借りていきますか?」

「ああ」

 

 ゼンノロブロイは声を弾ませ、シンボリクリスエスを先導するように図書室に向かって歩き始める。以前に交流を深めようとゼンノロブロイにお勧めの本を訊き、勧められたのが、今読んでいるシリーズ本で共通の話題となっていた。

 

 シンボリクリスエスは図書室で本を借りると家路に帰りながら、チームのウマ娘達へのアドバイスを纏める。

 常にチームのウマ娘の全てに気をかけ、未勝利のウマ娘でも積極的にアドバイスする。それはサキーのように全てのウマ娘が幸せになってもらいたいという慈愛の心からではない、全ては打算だった。

 1人でも着順を上げ勝ち星をあげる。それが藤林トレーナーの獲得賞金と勝利数となり、リーディングトレーナーの道に繋がる。全ては藤林トレーナーを日本一のトレーナーにさせるという契約の為に。

 シンボリクリスエスは他のウマ娘達のようにチームメイト達に情は抱いていない。出来る限り親密度を上げるように心がけているが、契約を遂行するために必要なだけでチームメイトは駒である。それは自身も含めていた。

 

 寮の自室に帰ると図書室で借りた本に目を通す。面白くは無いがゼンノロブロイとの会話し親密度を高める為、そうすれば今後色々と便利だ。

 読みながら話の内容を記録し、話が弾みそうな感想を脳内で作り上げていく。読み終えた頃には藤林トレーナーへの定時連絡の時間に迫っていた。急いでPCの電源を入れソフトを立ち上げる。

 

「トレーナー、こっちは映ってますか?」

「映っている。こっちはどうだ?」

「映ってます。では定時報告で、まずは……」

 

 シンボリクリスエスは脳内でまとめた報告を読み上げる。報告は詳細で多岐に渡っていた。

 

「以上で今日の報告は終わりです」

「そうか、気になった点は?」

「ゼンノロブロイはまだ自信が持てないようです。一応檄を飛ばしましたが、トレーナーからもお願いします」

「分かった」

 

 藤林トレーナーが了解すると会話が途切れ、数秒ほど沈黙が訪れる。そして沈黙を破るように藤林がシンボリクリスエスに語り掛ける。

 

「天皇賞秋についてだが、明日からは坂路で追切り本数を増やそうと思う」

「それはチーム全体ですか?」

「いや、お前とゼンノロブロイだけだ。他のメンバーはいつも通りのトレーニングする」

 

 シンボリクリスエスの眉がピクリと動く。基本的にチームプライオリティは坂路を使用することは無い。そしてウッドチップなどで実施する追切りの本数も一定で、トレーナーが言ったメニューは極めて異例だった。

 

「何故今更トレーニングを変更するのですか?」

「天皇賞秋に勝つためには今のままではトレーニングの強度が足りない」

「トレーナーが言うなら従います。但し、100パーセント本心で言っている場合ですが」

 

 シンボリクリスエスは画面越しで藤林トレーナーの目を見据えながら喋る。

 目線、声量やイントネーションで言葉に自信を持てないのを察していた。藤林トレーナーは目を逸らすと深く息を吐いた。

 

「100パーセント本心かと言われれば噓になる。条件戦や重賞では今までのトレーニングで間違いないと思っている。だが最近はGIにおいて、今までのトレーニングでは取りこぼすかもしれないという想いが過る。宝塚記念でも違うトレーニングをすれば勝てたかもしれないと」

 

 藤林トレーナーにも周囲の噂は耳に届いていた。いつもなら気にも留めなかった。だがシンボリクリスエスの評価が日に日に下がっていく現状に揺らぎが生じていた。

 シンボリクリスエスは歴代でも屈指の逸材だ、そのポテンシャルは歴史的名選手に負けてはいない。

 これ以上負けさせるわけにはいかない。その責任感から自信が揺らぎ、過去の名トレーナーが成果を出した方法に手を伸ばそうとしていた。

 

「藤林トレーナー、私は貴方の作品で確固たる理念で作り上げたウマ娘でなければならない」

 

 シンボリクリスエスは感情を込めることなく淡々と思いを打ち明ける。

 

 トゥインクルレースにおいて数々の名選手が生まれた。その中でこのトレーナーでなければ大成できなかったと呼ばれるウマ娘が居る。

 例を挙げればスピカに移籍したサイレンススズカは大逃げをすることで実力を発揮し始めた。

 正攻法ではない大逃げをするように助言したチームスピカのトレーナーが居なければ、大成できなかっただろう。

 そのようなウマ娘のなかにはトレーナーの作品と称されることもある。だが自身の考えとは若干異なっていた。

 それらのウマ娘は自分の強さを最初から備えていた。その強さをトレーナーが見つけ、ウマ娘と一緒に磨き育てあげた。

 極端な意見を言えば、他のトレーナーでも育て上げることは可能で全てトレーナーの手腕によるものではない、それが持論で望む強さとは違っていた。

 

 望む理想の強さは、トレーナーにゼロから作り上げられたもの、何一つ自分の強さを備えていないウマ娘がトレーナーの手によって、ゼロから作り上げられ数々のGIを勝利する。 

 それは全てトレーナーの手腕によるもので、そのウマ娘の実績も栄光も全てトレーナーの手柄になる。

 そんなウマ娘が歴史に刻まれるような成績を残せば、トレーナーの地位は一気に高まり、誰もが日本一と認めるようになる。それこそが理想だった。

 だがゼロから作り上げられたという定義は難しく、一見何も備わっていなかったウマ娘が強くなったとしても、潜在的に強さを備えていて、トレーナーはそれを見つけ磨きあげたと言われれば否定できない。

 ゼロから作り上げられた強いウマ娘は存在しないかもしれない。だがそれに限りなく近づきたかった。そこに自分の強さは必要なく、寧ろ不必要な物だった。

 そして作品とは、トレーナーの確固たる信念と理論を注ぎ込まれた存在、だが今のトレーナーは信念と理論に揺らぎが生じている。

 

 様々な経験を経て心から納得し、坂路で本数を増やした方が強くなると確信してウマ娘に指示を与える。それは確固たる信念と理論の基で実施され、トレーナーの作品でいられる。

 しかし迷いを抱いている状態でトレーニングすればトレーナーの作品としての純度が下がる。

 レースを走るウマ娘のなかには勝利の過程に拘る者も居る。デジタルのようにウマ娘を感じたいという過程を、結果より重視する者は稀だが、多かれ少なかれ過程を重視する。

 サキーならば如何に出走ウマ娘の全力を引き出し、見る者を魅了するレースにするか、他にも奇策や出し抜けを使わず、真っ向勝負でなどウマ娘それぞれが理想の過程を求める。シンボリクリスエスの場合は如何にトレーナーの作品として勝つか。

 自分のエゴは要らない、自分だけが持っている先天的な身体能力も技術も心構えも要らない。トレーナーの指導によって作り上げられた肉体と技術と心構えを発揮して勝利する。それが求める過程だった。

 

「私は貴方の信念と理論に基づいたトレーニングで天皇賞秋に勝つ。自分を信じて欲しい」

「だがこれ以上お前を負けさせるわけにはいかない」

「私とて負けるつもりはないし負けたくもない。だが矛盾しているようだが今のトレーニング法で負けても不満はない。勝てばそれで良し、負けたとしても今の方法が間違っていたと理解し改良する。そうなればトレーナーはさらに成長できる」

「負ければ史上初の天皇賞秋連覇の機会を失う。歴史に名を残すチャンスを失うのだぞ?」

 

 藤林トレーナーは思わず問いかける。シンボリクリスエスは、名トレーナーの条件である名選手になるために勝利を求めていたはずだ。

 だが今は負ける可能性が有る選択肢を選ぼうとしている。それは不可解な選択だった。その質問に穏やかな顔で語る。

 

「無論貴方に作られた作品として、名選手になることを諦めたわけではない、だが私の目的はトレーナーが日本一になること。その為に必要なのはトレーナーの成長、負けたとしても成長できればそれで良い」

 

 最近になって心境に変化が生じた。トレーナーを日本一にするために、必要な条件である名選手の輩出、それは自分が成らなければと思っていた。だがそれは間違っていた。

 トレーナーが成長していけば、より良い作品を作れる可能性が高まる。つまりは自分が名選手になれなくとも、後のウマ娘が名選手になれば条件は達成できる。優先すべきは自分の勝利ではなくトレーナーの成長だ。

 

「それでいいのか?名誉は欲しくないのか?勝利への欲は無いのか?勝てば賞金だって手に入る」

「私はプロ契約を結んだプロ選手です。そして契約内容は貴方を日本一のトレーナーになる手助けをすること、その為なら自分の感情などは2の次です」

 

 シンボリクリスエスは見くびるなと言わんばかりに、睨みつけらながら語る。

 日本一のトレーナーの条件はそれぞれに有り、明確に定義するのは難しい。

 そして自身が考える日本一の条件は通算最多勝利と通算獲得賞金と通算勝率にトップになる事だと考えていた。

 その為にはトレーナーの成長が必要不可欠で、全ての行動の目的でもあった。その為なら実験台でも喜んで引き受ける。

 もしプロ契約を結んでいなければトレーナーのトレーニング方法に異論を挟んでいただろう。人並みの名誉欲も物欲も有り、トレーナーの作品でなくてもいいと思っていた。だがプロ契約を結んだ際に自分を捨てていた。

 仕事を請け負ったからには自分を押し殺しても達成に向けて努力する。それがプロである。自分の欲で走る他のウマ娘とは立場が違う。

 

 藤林トレーナーは無意識に唾を飲み干す。多くのウマ娘は夢を抱いてトレセン学園に入学しレースを走る。

 だがシンボリクリスエスはトレセン学園での生活もレースに出走することも完全に仕事と割り切っている。何というプロ意識だ。

 末恐ろしさと頼もしさを覚えると同時に罪悪感を抱く。もし自分が契約を結んでなければ普通のウマ娘のように自分の為に走っていたのではないだろうか。

 

「シンボリクリスエス、もし辛ければ契約を解除……」

「それ以上言わないでください。何も成していないのに仕事を放棄するわけにはいかない。契約解除するのは私が貴方にとって不利益がある場合だ、憐憫や哀れみで契約解除されたくはない」

 

 シンボリクリスエスは藤林トレーナーの弱気を切り捨てるように言い放つ。

 こちらはプロとして行動している。無能が故の契約解除なら納得するが、自分を押し殺していることへの憐みは認めない。契約解除することで他のウマ娘のように自分の欲で走った方が幸せだと思っているのなら、それは侮辱だ。

 

 藤林トレーナーは天井を仰ぎ見る。これほどまでの覚悟を持っているとは知らなかった。プロとして自分を日本一のトレーナーにしようと行動している。同情も憐みもいらない。

 向けていた視線を天井から画面に移し、シンボリクリスエスの姿を見据え話す。その目には決断的な意志が籠っていた。

 

「分かった。トレーニングは変えない。だが能力不足故に間違っていて、天皇賞秋に負けるかもしれない。恨むなよ」

「無論です」

「そして、その失敗は次に生かす」

「分かりました。最後に確認しますがこれでいいのですか?」

 

 シンボリクリスエスは自信なさげに問いかける。トレーナーの作品として天皇賞秋を走る。それが日本一のトレーナーになるために必要であると判断した。

 だがそれは自分のエゴで、本当は何が何でも天皇賞秋に勝ちたかったかもしれない。顧客が望む行動を取るのがプロとして正しい選択なのかもしれない。

 

「問題ない。迷いが晴れた」

 

 トレーナーは不安を払うように明るい声色で喋る。年下のウマ娘が高いプロ意識を持って走ってくれる。ならばそれに応えるのがプロの仕事だ。

 本人が望むように自分の持つ理念と信念を持って自分のとして育て、歴史に残るようなウマ娘にして見せる。

 

「ありがとうございますトレーナー」

 

 シンボリクリスエスは深々と頭を下げた。

 




シンボリクリスエスの実装が発表されました。
この作品でもシンボリクリスエスが登場しますが、紹介文を読んだだけでも大分キャラが違っています。
別のキャラクターだと割り切って読んでくだされば、ありがたいです

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