11月を迎え冬の兆しが見える中トレセン学園は俄かに活気づく。この時期には毎週のようにGIレースが開催され話題が尽きない。11月のGIレースは全てシニアクラスのレースになり、話題もシニア路線が中心になる。
だがジュニア路線も12月に開催される。阪神JF、朝日FSステークス、ホープフルステークスに向けて前哨戦が行われ、未来の優駿たちが鎬を削っていた。そしてジュニア路線の主役候補筆頭はチームプレアデスに所属しているメイショウボーラーだった。
メイショウボーラーは坂路コースを駆け上がる。一緒に走るのは同じチームのシニア級ウマ娘アグネスプラネットである。先行していたメイショウボーラーをアグネスプラネットが追う。終了地点でアグネスプラネットがクビ差ほど前に出てゴールした。
「よし、私の勝ち。まだまだ若い者には負けないよ」
アグネスプラネットは膝に手をついて息を整えるメイショウボーラーの背中を軽く叩いて自慢げに勝ち誇る。メイショウボーラーは僅かに笑みを浮かべながら見上げる。だが笑みの中に悔しさが滲んでいた。
「アグネスプラネット、明らかにオーバーペースやぞ。まだレースは先なんやから、そんな気張るなや」
「でも、先輩としては後輩に負けたくないじゃないですか、それにアグネスデジタルさん以来のGIウマ娘が誕生するかもしれないから力になりたいんです。そこのところ分かってくださいよ」
アグネスプラネットはトレーナーの言葉に愛想笑いを浮かべ受け流し、トレーナーは仕方がないとため息をつく。
「まあ、気持ちは分からんでもないが、シニアクラスなんやから、気持ちを抑えてレースに調整せんと後輩にも示しがつかんやろ」
「まあまあ、いずれ追い抜かれるんですから、もう少し将来のGIウマ娘に先着したっていう勲章を貰わせてくださいよ。それに相手が強い方がトレーニングになるでしょう」
「それもそうやが、それで怪我したら元も子もないやろ。お前だって次に勝てばOP入りや、もう少し自分の事を考えろ?」
「分かりました。実は言うと結構無理してましたからね」
アグネスプラネットは手で自分を扇ぎ疲れたとアピールしながら移動していく。トレーナーはアグネスプラネットの後ろ見ながらメイショウボーラーの今後について考える。
元々素質は有ったがここまで成長するとは思ってもいなかった。1戦ごとに力を増していき、連勝を重ね今やジュニア級の主役だ。そして次走は朝日FSを走る。
GIを走るにあたって万全の状態で臨まなければならない。
メイショウボーラーは能力があるがまだ精神的に幼く、トレーニングで手を抜く癖がある。時が経てば癖は無くなるだろうが現状で解消されていなく、単走のトレーニングは出来ず、併せ中心でトレーニングしている。
今のところは順調にトレーニングできている。だがアグネスプラネットのように先輩の意地を見せ、メイショウボーラーの良いトレーニングパートナーになろうと無理に走っているからに過ぎない。
これが続けばチームのウマ娘に無理が生じる。今後はメイショウボーラーの練習相手になるのは、あのウマ娘しか居ない。
トレーナーは携帯電話を取り出し電話をかけた。
「模擬レース?」
アグネスデジタルは思わず黒坂に聞き返す。いつも通りトレーニング前のミーティングしようとした矢先に模擬レースをすると聞かされる。そんな予定は全く聞かされていなかった。
「先方からマッチレースをして欲しいと要望がありまして」
「コースと距離と相手は?」
「コースはウッドチップ、距離はマイル、内容はマッチレース、相手は…着いてからのお楽しみということで。嫌であれば断りますが」
「いいよ。やるやる。じゃあ先に行ってるから」
デジタルは二つ返事で了承し意気揚々と目的地に向かう。
マッチレースは文字通り自分と相手の2人のみで走るレースである。普段のレースでは最低でも5人の出走ウマ娘が居なければならない。
普段のレースでは仮にターゲットを1人に絞ったとしても他のウマ娘を感じたいと無意識に意識を向ける。だがマッチレースならば意識の全てを1人に向けられる。その分だけウマ娘を感じられ、普段より正確に深く感じられる。
そして相手は走るまで秘密というのがいい。コースについた先に誰が待っているのか?
相手を想像し楽しむのは好きだ。予想した理想の相手でも良いし、全く予想していなかった相手でもサプライズ感があり、見知らぬ魅力が分かるかもしれないとワクワクする。先方の指示か黒坂の考えかは知らないが気が利いている。
デジタルはコースに着いて周りを見渡しながら相手を予想する。
考えられるとしたらマイルCSかジャパンカップダートを走るウマ娘の調整相手か敵情視察だろう。もしくはジュニア級のウマ娘が胸を借りたいと要請したか。
するとデジタルはあるウマ娘の姿を確認する。黒髪でツインテールとポニーテールで纏めた特徴的な髪型、一瞬表情を顰めるが、直ぐに嬉しそうな表情を浮かべながら駆け寄っていく。
「もしかしてメイショウボーラーちゃんが今日の相手?」
「はい、そうです」
「そうなんだ、今日はよろしくね」
デジタルは声を弾ませながらメイショウボーラーに声をかける。隣にはトレーナーが居たが完全に無視していた。
メイショウボーラーの姿を見た時にデジタルは察する。今日のマッチレースの相手はメイショウボーラー、目的は朝日FSに向けてのトレーニング相手だろう。
正直に言えばトレーナーに対して良い感情を持っていない。そんなトレーナーに協力するというのは癪に障るのは事実だ、そんな感情がメイショウボーラーを発見した時に表情を顰めさせた。
だがチームに所属しているウマ娘は好きだ。彼女達の為なら喜んで協力する。そしてメイショウボーラーは特に気をかけていたウマ娘だった。
メイショウボーラーとはデビュー前に一度だけ併せて走ったことがある。その時は不良のダートを息絶え絶えで走り、ヘトヘトになりながらゴール板を通過したのを覚えている。その肉体と技術は微笑ましさを覚える程未発達で未熟だった。
そんなウマ娘が無敗のまま重賞に勝ちGIで恐らく1番人気で走るウマ娘になるジュニア級の主役だ。
デジタルはメイショウボーラーの活躍を見て、ある夢が膨れ上がっていた。
同門対決。
同じレースに同じチームのウマ娘が走る。同着でないかぎり1着以外のウマ娘は全て負ける。
同じ時間を過ごし夢を語り合ったウマ娘が争う。その残酷さは目を覆いたくなるが同時に儚く美しくときめかせる。それはグレードが大きくなるほど良い。
だが現実はデジタルが走れる最低条件のレースのOPクラスのレースへの出走資格を得られるウマ娘は全体の1割にも満たない。その結果デジタルは一度も同門対決をしたことがない。
さらに日本テレビ盃でのアジュディミツオーとセイシンフブキのレースを見て、同門対決するなら後輩とやりたいと思っていた。
可愛がったウマ娘と一緒に走る。その時後輩ウマ娘は何を思うか?先輩の夢を奪うことなど出来ないと手を抜いてしまうのか?それとも自分の夢の為に全力で打ち負かす事こそ先輩を喜ばせる方法だと牙をむくのか?考えただけでエモい。
幸いにもボーラーはマイルが走れるウマ娘で適性が似ている。いずれGIの舞台で同門対決が出来ると密かに期待していた。
「今日は目一杯胸を貸してあげる。寧ろ飛び込んできてもいいんだよ」
「いや、いいです」
デジタルはおどけるように手を広げるがメイショウボーラーはピクリとも表情を変えず素っ気ない態度を取ると、トレーナーの元に向かい打ち合わせする。その様子を見てデジタルは失敗したと額を叩く。
緊張しているので解きほぐそうと思ってフランクに接したが、ふざけていると思われて逆効果だったかもしれない。
だが前であれば多少なり慕われていたと自負し、もう少し友好的な反応を示していた気がする。
メイショウボーラーの態度が変化したのはいつ頃だ?デジタルは記憶を遡り検索する。恐らく天皇賞秋以降だ、何かしらの理由で好感度が下がったのだろう。
メイショウボーラーとトレーナーが打ち合わせをしている間に黒坂がコースにやってくるとトレーナーの元へ歩み会話する。
「黒坂君もトレーニングプランがあっただろうに、付き合ってくれてすまんな」
「いえ、アグネスデジタルも喜んでいましたし、良かったです」
「そうか、それにしても痩せたか?」
トレーナーは黒坂を見て尋ねる。記憶の姿より痩せていて顔色が悪く生気が無い。痩せたというよりガレたと形容した方が適切な様子だった。
「はい、少しだけ」
「デジタルの事で気が病んでいるなら気にするな。時には自分の指導は悪くない、ウマ娘が悪いと思うズブとさも必要や」
「そんな気になれませんよ。アグネスデジタルは超1流で必ず復活するウマ娘です。復活できなかったとしたら全ては私の責任です」
黒坂は棘のある声色で答える。トレーナーが気を遣って言ってくれているのは理解しているが、とても不調の原因をアグネスデジタルのせいにする気にはなれなかった。
「それで今日のレースはどう走ればいい?」
デジタルはトレーナーとの話し合いを終えた黒坂に尋ねる。個人的には自分の好き勝手に走りたいところだが、立場上黒坂に要望があれば無視するわけにはいかない。
「好きに走ってください」
「了解」
デジタルは返事をしながら準備運動を始める。メイショウボーラーも同じように準備運動を初め、暫くしてスタートラインに移動してゲートに入る。
ゲートが上がりスタートする。スタートから10数メートル、デジタルが半バ身程先行して外側メイショウボーラーの反則にならない程度に進路をカットして抑え込みにかかる。
メイショウボーラーは意図的に抑えた条件戦以外は全て逃げ、一度もハナを譲らず勝利してきた。このレースでもいつも通り逃げで走ろうとしたがあっさりハナを奪われていた。
レースにおいてスタートの重要性は高い。スタートに失敗すればそれだけで差がついてしまい、ポジション争いでも不利を被ってしまう。逆に言えばスタートが上手くいけばタイムのアドバンテージを得るだけでなく、ポジション争いで有利に立てる。
つまり殿一気でしか走れないというウマ娘以外はスタートが上手い事に越したことが無い。
スタートの上手さはゲートセンスと初速の速さで決まる。
一般的にはゲートが開いたのを視覚で確認してからスタートする。だがセンスが有る者はゲートが開く予兆、ゲートの音やスターターの雰囲気などを察知してスタートする。それを察知する力をゲートセンスと言われている。
デジタルは最初からゲートセンスが有ったわけでは無いが、長年のトレーニングとレース経験によってゲートセンスを養っていた。
一方メイショウボーラーは以前にスタートの訓練で予兆を察知せずに、そろそろゲートが開くだろうとギャンブルスタート気味にスタートした結果、ゲートに顔を痛打したことがあった。それ以降は視覚でゲートが空いたと確認してからスタートするようになった。
そして静止状態から力をロスすることなく一気に加速する技術、それが初速の速さに繋がり、これも長年の経験によって身に着けるものである。
最初から技術が備わっていた。あるいは技術すら凌駕する瞬発力が有れば別だがメイショウボーラーには備わっていなかった。
結果ゲートセンスと初速の速さでデジタルがメイショウボーラーを上回りハナを取ることに成功する。
メイショウボーラーはペースを上げて外側から前に居るデジタルを抜こうとする。
逃げをする為にはスタートの上手さは重要だが全てではない。スタートが遅れてもその差を補えるスピードが有ればハナをとれる。だがデジタルはメイショウボーラーの動きに呼応するようにペースを上げ、ハナを取れずにいた。
スタートから200メートルを通過しメイショウボーラーはペースを下げてデジタルの後ろ、スリップストリームの恩恵が預かれるポジションを取る。
メイショウボーラーは逃げウマ娘であると自覚し、是非とも逃げたかったがデジタルの後ろに控える。もしこのままハナを取ろうとペースを上げ続ければ自滅する。
マッチレースならタイムが遅かろうが相手より先着すれば問題ない。だが今回はトレーナーから本番を想定して走れと言われた。ここは無理に抜かずデジタルの後ろで脚を溜める。
一方デジタルも同じようにペースを下げていき、400メートルを通過した時点で、超ハイペースがややハイペース程度に落ちていた。
メイショウボーラーはデジタルの様子を見ながら思考する。今のペースならペースを上げてハナを奪うことが可能だろう、だがそれはしない。
朝日FSに出走するウマ娘には自分と同じような逃げウマ娘、それ以上に逃げに固執するウマ娘が居るかもしれない。もしいた場合はハナを取らせないとムキになってペースを上げる。そうなれば共倒れだ。
スタートから1000メートルを通過し、ペースは平均よりやや遅い程度まで落ちていた。その間に位置は変わらずコーナーを曲がり約300メートルの直線を迎える。
直線に入った瞬間にデジタルがスパートをかけ、ボーラーも同じようにスパートをかける。
出来る限りスリップストリームの位置を維持しながら足を溜め、ゴール板間際で一気に差し切る。それがメイショウボーラーの描いたプランだった。
ゴールまで残り200メートル、メイショウボーラーの表情が険しくなる。差が縮まらない。結局デジタルを差せずゴールする。着差は1バ身差だった。
メイショウボーラーは減速しながら項垂れる。チームの先輩と走る際に先着されることもあるが、次は勝てるという自信が有った。だがデジタルには現段階ではどうやっても勝てない。己と相手の差を痛感させられていた。
「さてと、じゃあ今のレースを振り返ろうか」
横を向くとデジタルが居て同じペースで歩いていた。その息遣いは疲労で大きく乱れていたボーラーと違い、ある程度しか乱れていなかった。こうしてクールダウンをしながら反省会が始まった。
「まずはスタートしてアタシがハナをきった。メイショウボーラーちゃんはどうしようと思った?」
「それは……ハナを奪い返したいと思って……外に出しました」
「何で外に出したの?」
「それは内に突っ込めば蓋をされると思って……だったら外から抜こうと」
メイショウボーラーは息を整えながら質問に答えていく。レースを走った直後で思考するのは予想以上に疲れる。
「正解、もしメイショウボーラーちゃんが内から来たら蓋をするつもりだった。それで外から抜こうとしてペースを上げたけど、途中で止めてペースを下げたのは何で?逃げたかったら妥協しちゃダメだよ」
「……今回は本番を想定して走れってトレーナーから言われて……あのペースで走ったら自滅する……だから後ろについて前を風よけにして足を溜めようと……」
「すごい!正解!あのペースでアタシを追い抜こうとしたら多分直線で力尽きちゃうと思う。逃げでは時にはハナを譲っちゃいけない場面もあるけど、今回は譲る場面だね。そしてすぐに風よけにして足を溜めるという選択も正解」
デジタルは答えを聞いて嬉しそうに手を叩く。
「それで中盤らへんでアタシはペースを下げたけどハナを奪わなかったのは何で?メイショウボーラーちゃんなら奪えたよね?」
「加減速を繰り返すと足を使っちゃいますし……それだったらペースを上げずあのまま足を溜めたほうがいいと思いますし……」
「半分正解、ペースを上げ下げするとスタミナを消費するからね。中にはスタミナがあるウマ娘ちゃんはあえてペースをアップダウンさせてスタミナを使わせようとするウマ娘ちゃんもいるけどね」
「残りの半分はなんですか?」
メイショウボーラーは思わず尋ねる。先程までは問題に正解する親のように嬉しそうにしていたが、これは仕方がないとほんの僅かに残念そうな表情を浮かべていた。
「あの時のアタシは今のレースの2番人気で末脚が武器のウマ娘ちゃんと同じチームのウマ娘ちゃん、2番人気のウマ娘ちゃんをスゴイスエアシちゃんと呼ぶとして、スゴイスエアシチャンは体が弱く病院に通っていました。そこで同じぐらい歳の男の子と知り合い仲良くなりました。その男の子は重い病気でどんどん体が悪くなります。心配になったスゴイスエアシちゃんは男に言われました。『ねえ、次のレースに勝ってよ。勝ったら元気になるからさ』スゴイスエアシチャンは奇跡を信じ必勝を誓います。実はスゴイスエアシチャンは男の子が好きでした。そしてアタシはその様子を実は見ていました……」
「すみません……要点だけ言ってもらえますか」
「あっ、ゴメン。そうするにスゴイスエアシチャンに勝ってもらうために1番人気のメイショウボーラーちゃんを勝敗度外視で潰すつもりでいたの。だからもしハナを奪いにきたら全力で競りかけるつもりだった。その気配を察知して控えたら花丸だったけど、流石に難しかったよね」
「そんなウマ娘が存在するんですか?」
メイショウボーラーは思わず聞き返す。自分の価値観では決してあり得ない行動だった。
「居るんだよ。皆は怒るかもしれないけど」
デジタルは複雑な表情を浮かべながら答える。脳裏に浮かんだヒガシノコウテイに負けた南部杯での光景だった。
あの時岩手のウマ娘達はヒガシノコウテイを勝たせるために、少しでも自分の脚を削るために自滅覚悟で並走し続けた。
その行為を世間は認めないだろう。だがデジタルは決して否定したくなかった。勝ちたいという欲求を抑えてまで相手の為に頑張る気持ちはそれで尊い。
「それで、直線に入るまでは何を考えていた?」
「道中は風よけを使いながら足を溜めようと思いました」
「それが勝つための最善だと思ったの?」
「はい」
メイショウボーラーはきっぱりと答える。だがデジタルの表情が僅かに落胆の色が浮かぶのを見て、自信が揺らいでいた。
「もしかして間違っていました」
「そうだね。でもこれはかなり難しい問題だから分からなくても仕方がないよ」
「それで正解は何ですか」
メイショウボーラーはデジタルのフォローを無視するように問いかける。勝つために最善を尽くしたつもりだ。正直あれ以外正解があるとは思わなかった。
「じゃあ直線に入る前までのペースはどれぐらいだったと思う?」
「え~、ハイペースではないと思います。平均より速いぐらいだと思います」
「アタシも詳しくは分からないけど、平均よりちょっと遅いぐらいかな。それでアタシはこう見えても結構末脚が凄いって言われてるんだよね~」
デジタルはチラチラと意味ありげに視線を送る。その視線に何かを察したのかメイショウボーラーは思わず手を叩く。
「そうか、今のレース展開はよーいドン寄りの展開だった。なのにアグネスデジタルさんの後ろについていた。それじゃあ勝てるわけが無い」
逃げの戦法を取るウマ娘は気質の問題もあるが、スピードがあるが瞬発力に欠けるウマ娘が取る戦法である。その為に瞬発力があるウマ娘の猛追を凌ぐために直線までにリードを取るのが定石である。
そして逃げウマ娘も後ろから差されるのを恐れ、できる限り力を残しておこうと力を抑え、結果そこまでペースが速くならない展開もある。ペースが遅くなっての瞬発力勝負、このような展開は俗によーいドンと呼ばれ、基本的に瞬発力が勝る者が勝ちやすい。
これで逃げウマ娘と後ろの差が大きければ瞬発力に劣っていても勝てる。だが後方との差が小さいほど逃げは負ける可能性が増える。
今回はデジタルとメイショウボーラーの差は1バ身差で瞬発力に勝るデジタルが前に居た。明らかに不利な条件だった。
「そう、メイショウボーラーちゃんが勝つにはスピードと持続力を生かして早めにスパートをかけるべきだった。別に前に居るのがアタシだったから差せなかったわけじゃないよ。本番であの展開なら後ろのウマ娘に差されていた可能性が高いと思う。風よけで足を溜められて安心しちゃったかな?」
メイショウボーラーはデジタルの問いに頷く。風よけを使って足を溜めるのはレースの基本とトレーナーに教わった。そして上手く足を溜めたことで安心してしまった。
「そんな落ち込まないで、今のレースはジュニア級のウマ娘ちゃんにとっては超難問だったよ。メイショウボーラーちゃんは100点中85点取ったようなもんだから、充分凄いって」
デジタルは明らかに落ち込んでいるメイショウボーラーをアタフタしながら励ましていた。
「アグネスデジタルさんってメチャクチャ凄いですね!」
模擬レースを走り終えると其々は別々にトレーニングを始めた。そしてトレーニングのインターバル中にメイショウボーラーは嬉々としながらトレーナーに話しかける。
天皇賞秋のレース後に惨めに敗戦の言い訳を喋るデジタルを見て尊敬や憧れを失っていた。だが今日の模擬レースで実力を感じ取っていた。
もし本気で走ればもっと楽に走り着差も広げていただろう。だが自分の為に今後はこんなレースがあると例題を作り上げた。完全に手のひらの上だった
ある意味練習相手ではなく格下として扱われた。だが怒りは一切湧いていない。それどこらか以前抱いていた尊敬と憧れが戻っていた。
「まあ、あいつも仮に1流と呼ばれるウマ娘や、あのレベルのウマ娘ならジュニア級のウマ娘を転がす事なんて容易い。あれは余興の手品で本番では使えん」
「いや~、アグネスデジタルさんはフィジカル頼みのウマ娘だったと思ったけど、あんな頭脳もあったなんて!マジでかっけえ!」
メイショウボーラーはトレーナーの言葉を聞かず1人で興奮して盛り上がる。トレーナーはその様子を見て思わず吹き出す。
負けた悔しさを微塵も感じていない。あそこまで手玉に取られればそんな気は失せるどころか、逆に心地よさすら覚えているのだろう。
今回の模擬レースはメイショウボーラーにとって大きな刺激となると同時に貴重な経験だった。逃げウマ娘がペースを読めずよーいドン勝負になって負けることは珍しくない。
トレーナーの予想通りとしてデジタルは普通に走り普通に先着すると思っていた。だがメイショウボーラーの成長させるために幾つもの罠を仕掛けて、見破れるか試すテストのようなレースを作った。その心遣いには少なからず感謝していた。
これぐらいならある程度のレベルなら出来るとトレーナーは言った。
だがデジタルはレースにおいて策略を巡らすタイプでなく、学園に入学した当初はこのようなレースを作れるようになるとは夢にも思っていなかった。本来ならば教え子の成長を喜ぶべきである。だがその表情は険しかった。
「う~ん、上手く走れて良かった」
デジタルはメイショウボーラーと別れると上機嫌で黒坂の元に向かう。模擬レースを走る前と後ではメイショウボーラーが自分を見る目線が明らかに変わっていた。好感度を取り戻せたようだ。
デジタルはメイショウボーラーの好感度が下がったのは天皇賞秋で惨敗したからと仮説を立てる。ならばあれは本当の実力ではなく、いかに自分が強いかということを見せる必要があると考えていた。
普通に走って勝つだけではダメだ。メイショウボーラーの為になると同時に、実力を見せるレースをしなければならないと普段とは異なり色々と策略を巡らせて走った。
結果自分を認めてくれた。メイショウボーラーは師弟対決するかもしれないウマ娘だ、どうせなら好感度マックスで走りたい。
「お疲れ様です。見事な指導レースでした」
トレーナーはデジタルにタオルを渡しながら褒め、デジタルも満更でもないという表情を浮かべていた。頭を使って走ったレースだ、その意味を理解し評価されるのは悪くはない。
「それは大切なチームの後輩ウマ娘ちゃんだからね。メイショウボーラーちゃんの為になるレースをするのが先輩の役目でしょ」
「複数の罠を仕掛けることでレースでの経験値と思考力を養わせる。さらにあのペースの落とし方も絶妙でした。あれではジュニア級のウマ娘は気づくわけがありません」
「慣れない事したから苦労したよ。でも上手くいってよかった」
「それに最後は敢えて手を抜いて1バ身程度の差でゴールした。本来ならもっと着差がついていましたし、メイショウボーラーの心が折れていたかもしれません」
「本気で言ってんの?」
デジタルは黒坂を睨みつけるように上から見上げる。先程まで上機嫌だった雰囲気が剣呑なものと変化し、その急激な変化に黒坂は思わず唾を飲み込む。
「アタシが手を抜いたように見えた?メイショウボーラーちゃんは強いよ。よーいドンだったらそこまで差がつかないのは常識だよね。展開と実力を考えればあの着差は妥当でしょ」
「いや…それは……」
「黒坂ちゃんは白ちゃんと比べて見る目が有ると思ったんだけどな~」
デジタルは露骨なため息をつく。その目はかつてトレーナーに向けた落胆の目線と同じものだった。すると踵を返し歩き始める。
「どこに行くんですか、次はこのコースで単走ですよ」
「気分が萎えたからウマ娘ちゃんを見てくる。暫くしたら戻って練習するから、いいよね?」
「あっ、はい」
黒坂は思わず了承してしまう。トレーナーとしてはウマ娘の勝手を見過ごすわけにはいかない。だがデジタルの不機嫌さと気迫に押されてしまっていた。
黒坂は思わず頭を抱える。レース展開と2人の実力差を考えればもう2バ身差がつくのが妥当だった。だからこそ最後は手を抜いたと判断したがまさか間違っていたのか。
黒坂はもう一度レースを振り返り検証する。だがどう考えても1バ身差で済むわけがなかった。
デジタルの言う通りウマ娘を見る目がないのか?
黒坂はその結論にいたり大きく打ちひしがれていた。
「あの展開でメイショウボーラーちゃんにあれ以上差をつけられるわけないじゃん」
デジタルは愚痴を吐きながら歩く。周りのウマ娘はその様子を見て距離を取るが気づいていなかった。
トレーナーといい黒坂といい、どうして周りのトレーナー達は節穴ばかりなのだろう。早くウマ娘を見てこのイライラを解消しなければ。
デジタルは目ぼしいトレーニングコースに足を運ぶ。その後戻って練習することなくウマ娘達を眺め続けていた。