アグネスデジタルはエイシンプレストンに案内されて部屋に入り興味深そうに辺りを見渡す。プレストンが学園を卒業して1人暮らしを始めてから遊ぶことは多々有ったが、大半は外の施設で過ごしていたので、部屋に入ったのは初めてだった。
フローリングに赤いカーペット、部屋の中央左側にソファー、対面にはテレビとPC、その間にテーブルが設置されている。奥にはベッドと姿見、ベッド付近に重量があるダンベルが数個置いてある以外は一般的な1人暮らしの内装と家具といえるものだった。だがその中で部屋の隅に一際異彩を放つ物が有った。
「これ何?」
デジタルはその物体を指さしながらプルストンに問う。木製の円柱に長さが異なった小さい円柱の木材がバラバラに刺さっていた。オブジェにしては前衛的過ぎる。
「ああ、それは木人椿、型の練習に使うの。こうやって」
プレストンは木人椿に近づくと小さい円柱に様々な動作で手足を打ち込む。プレストンは軽くやっているのだろうが、その動きは滑らかで素早くデジタルの目では動きを追うのがやっとだった。
「へ~、何かのオブジェかと思ったよ。もしオブジェだったらセンスを疑うけど」
「もしくは帽子掛けかハンガーラックとか」
「でも学園に居た時は無かったよね。置けばよかったじゃん」
「こんな大きいの置くスペースなかったでしょ」
「それはそうか」
「じゃあ、早速デジタルから貰ったケーキでも食べ……って麦茶しかない。ちょっとコンビニに行ってくる。デジタルは牛乳でいい?」
「それでお願い」
「じゃあ、少し待ってて」
プレストンは足早に玄関から外に出て行く。手持ち無沙汰になったデジタルは改めて辺りを見渡す。すると棚の一部に写真が飾られているのを見つけ、何気なく近寄る。
「懐かしい」
デジタルは思わず破顔する。その写真にはデジタルとプレストンとキンイロリョテイとトレーナー達が笑顔を浮かべ写っていた。
日本所属ウマ娘による香港国際競争3連勝を達成した歴史的な1日、プレストンと調子が悪くなって大変だったが、あの一件でさらに仲が深まった気がする。
他にもトブ―クとの香港カップも楽しかった。そしてサキーとも香港で初めて出会った。初めて会った時はジュニア級のウマ娘だと勘違いしてしまった。今思えばかなり失礼だった。
その隣の写真はクイーンエリザベス2世カップの時の写真だ、プレストンがレイを肩にかけながらデジタルと肩を組んで満面の笑みを浮かべている。
あの時も全力で戦うためにとプレストンが寮から出て行った。当初は真意を測れず戸惑ったが、今では懐かしい思い出だ。
その隣は2度目のクイーンエリザベス2世カップを制覇した時の写真だ、このレースではWDTを回避してまでこのレースに挑んだ。そのスタンスには多少なり賛否両論があり、負ければ批判は免れないというプレッシャーがかかるレースだった。
さらに他のウマ娘達もプレストンの実力を最大限警戒し、全員からマークされドスローに落とし込まれる苦しいレースであったが、最後は何とか差し切ったレースだった。
その様子は現地で見ていて、まるで年間無敗中長距離GI完全制覇が掛かった有マ記念に勝ったテイエムオペラオーのようで、思わず涙を流したのはよく覚えている。
デジタルは一通り写真を見た後にプレストンが帰ってくると予想し床に座る。その直後に帰宅し、テーブルにケーキと牛乳を置くとプレストンもデジタルの対面に座る。
「うん、美味しい」
「そうだね。流石有名店の人気メニューだけあるね」
「さて、何で家に来たのか聞かせてくれる?」
プレストンは紙パックの紅茶をストローで飲んだ後に切り出す。
現時刻は22時、完全に寮の門限を過ぎている。そして服装も部屋着にコートを着るという急ごしらえのものだ。突発的に何かが有って家に来た。緊急性がないと判断しすぐに訳は訊かなかったが、訊かない訳には行かない。
「アタシはこのままじゃあ、自分が嫌いになる。ウマ娘ちゃんが嫌いになっちゃう。だから暫くの間家に泊めさせて」
デジタルは今にも泣きそうな声で必死に言葉を紡ぐ。タップダンスシチーと口論した際に、寮長など何人かのウマ娘がその仲裁に来た際にデジタルは有る感情を抱いていた。
このウマ娘達には未来がある。日に日に希望を奪われていく恐怖を感じることなく、幸せに過ごしている。
何てずるいのだろう。理不尽に未来と選択肢を奪われた自分の苦しみを、この場に居るウマ娘は誰も理解してくれない。その思った瞬間に急激にウマ娘達への妬みと憎しみが膨らんでいき、その感情に気が付いた瞬間にデジタルは寮を飛び出してプレストンの家に向かった。
妬みと憎しみを抱いたと同時に湧いてきたのは強烈な自己嫌悪だった。自分が衰えているのも地方に行けなくなったもの周りは関係ない。全ては自分のせいだ。それでも到底納得できない。
何よりあれだけ尊く光り輝いているウマ娘が醜く輝きが鈍くなっていく。このままでは本当にウマ娘が嫌いになってしまう。その未来に耐え切れず逃げ出していた。そしてプレストンの家に足を運んだにも理由が有った。
プレストンは引退したウマ娘だ、引退したウマ娘にはレースにおける未来は最早ない。そして力の衰えに悩み恐怖し苦しみ続け引退した。そんなウマ娘には同情と共感を抱いていた。
デジタルはプレストンと一緒にいれば憎しみや妬みを抱かないと考えていた。それは予想通りで比較的に良好な精神状態を保てた。
プレストンはデジタルの様子を見て考え込む。あのデジタルがウマ娘を嫌いになるとは、天変地異が起こってもあり得ないと思っていた。だが現実には嫌いになってしまうと吐露している。これは非常事態だ。ここで力を貸さなければ友達ではない。
そしてその非常事態にトレーナーではなく自分を頼ったということは、何かしらの理由が有ると推理していた。
「分かった、気が済むまで泊ればいい」
「ありがとうプレちゃん…」
「それでトレーナーや学園に連絡したの?」
「まだ」
「じゃあ連絡しなさい。事後承諾でも申請しておかないと大事になる」
「分かった」
デジタルは渋々と言った様子でスマホを取り出し、トレーナーに休学してその間はプレストンの家に泊るとメッセージを送る。
「よし、何日泊るか知らないけど色々用意しないとね。これ食べたらコンビニ行こうか」
「うん」
プレストンは意識して明るい声で語り掛ける。デジタルもそれに反応するように少しだけ明るい声で返事した。
───
時刻は5時、11月の下旬になれば日が昇る時間は遅くなり、この時間でも日はまだ昇らない。河川敷ではランニングに勤しむ人たちが数人いる。その中にプレストンとデジタルが居た。
プレストンは白い息を弾ませながらデジタルの背を追う。プレストンは現役を引退したが学んでいる武術の世界大会に優勝することを目標にトレーニングを積み続ける。
早朝のロードワークもその一環で、1日も欠かさずやり続けた。それでもオーバーペース気味で走って、デジタルについていくのがやっとだ。
「むり~、ついていけな~い」
プレストンは弱音を吐くと同時に走るのを止め、膝に手をついて項垂れる。デジタルはその様子に気が付いたのか、方向転換してプレストンの元に向かう。
「ごめん、速すぎちゃったかな?」
「速いって。脇腹が痛い」
「じゃあ、ウォーキングに切り替えるね」
「そうして」
デジタルはゆっくりと歩き始め、プレストンも横に並んでゆっくりと歩き始めた。
デジタルがプレストンの家に泊って翌朝、2人は同時に目が覚めた。デジタルはトレセン学園での日々の習慣で、プレストンは日々の日課であるトレーニングするために。
デジタルはプレストンが着替えるのを見ながらトレーニングに同行すると提案する。現時点で能力は衰えている。そして日々のトレーニングを怠ればさらに衰える。現状では衰えを解消する方法は分からないが、どんな状況でも日々のトレーニングを怠ってはならない。
そしてデジタルはプレストンにジャージを借りてトレーニングに同行していた。
「そういえば、こうして朝にトレーニングすることなかったわね」
「そういえばそうだね。放課後では合同練習や併せで一緒に走ったことはあるけど、早朝トレーニングは個人かチームメンバー同士でやるから」
2人は川に薄っすらと映る月や向こう岸の道路を走る車を見ながらゆっくり歩く。朝の新鮮な空気を吸いながら、現役を退いた友人とトレーニングするのは中々に乙だ。デジタルは今この瞬間を楽しんでいた。
「朝のトレーニングはこれだけじゃないでしょ?アタシに気にせず走ってきていいわよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ここから1マイルってどこら辺?」
「ここから2本先ぐらいの橋超えたぐらいじゃない?デジタルならどれぐらいの力で走れば1マイル何秒ぐらいで走れるか分かるでしょ」
「まあ大まかにね。プレちゃんも一緒に走る?」
「冗談、今のデジタルがウマなりで走っても付いていけるかどうか?型の練習でもして待ってるから」
「分かった。ちょっと1往復ぐらいしてくる」
デジタルは軽く屈伸運動して走っていく、そのスピードは先程より明らかに速かった。プレストンはその後ろ姿を一抹の寂しさを覚える。
トレーニングを始める時は現役時代のライバルとして張り合うつもりだったが、ジョギングの時点でその気は失せた。現役と引退したウマ娘の差を明確に分からされていた。
プレストンはスマホの録画ボタンを押して適当な場所に置くと、目を瞑りながら型の動きを始めた。そして10分後にデジタルの元に戻ってくる
「おかえり、約2マイルにしては遅かったわね」
プレストンは何気なく呟く。レースでは1マイルのタイムは1分半程度、この河川敷の地面の様子や全力を走らないことを加味しても3分ぐらいで走れるだろう。そしてインターバルを2分しても往復で8分ぐらいだ。デジタルにしては少し遅い気がしていた。
「遅くないって!走ったのも物凄いウマなりだし、距離も長かったし、こんな地面じゃタイムが遅くなるのも当然だよ!」
「ゴメンゴメン、そんなに怒らなくてもいいでしょ」
プレストンはデジタルの反応に僅かに驚く。まさかここまで怒るとは全く予想していなかった。
「それでどうする?まだ走る?」
「今日はいいよ。家に帰ろ」
「さっそく我が家気分か、別に良いけど」
デジタルとプレストンは体を冷やさないようにと、ウォーキング程度のスピードで歩きながら家路に向かう。その途中でランニングをしているウマ娘集団を見つける。ジャージのデザインからしてトレセン学園のウマ娘だ。
プレストンは朝のトレーニングで学園のウマ娘を見かけるが、密かに楽しみだった。
夢や目標に向かって邁進する姿、現実に打ちひしがれても自分に出来る最善を目指す姿、それらのウマ娘の姿は見ていると活力を貰えるような気がした。
現役を引退して別の道を歩み始めた今だからこそ、デジタルの言う尊いという感情を少しだけ理解できたような気がした。
きっと隣に居る友人も同じような感情を抱き、いやそれ以上に共感しときめき、締まりのない顔をしながら妄想の世界に飛び込んでいるのだろう。何気なくデジタルに視線を向けるが予想とは全く違っていた。
目を背け視線を逸らす。その表情には苦悶や葛藤など様々な感情が綯交ぜになっていた。その本音は正確には把握できないが断言できることがある。それは決して良い感情を抱いていないということだ。
これはウマ娘が嫌いになってしまうという言葉と関係あるのだろうか?とりあえずは学園のウマ娘と出会いないようにルートを変更するか。
プレストンはデジタルの心情と今後の予定を考えながら家路に着いた。
───
「いただきます」
「いただきます~」
デジタルとプレストンは手を合わせてテーブルの上にある食事に手を付ける。メニューは生姜炒め、筑前煮、キュウリとワカメの酢の物である。
「うん、自分で料理したご飯はいつもより美味しい気がする」
「料理したって、米炊いて、肉焼いたぐらいでしょ。野菜切ったり、味付けとかめんどくさい作業は全部アタシ、比率で言えば8対2、よくて7対3ぐらいでしょ」
「それはプレちゃんが任せてくれないからでしょ」
「デジタルに任せたらあと何時間後に食事にありつけるか」
「しょうがないじゃん、料理なんてやったことないし」
「本来なら居候が作るべきなんだけど、手伝ったアタシに感謝して食べなさい」
「プレちゃん、感謝しています。ありがとうございます。この御恩は忘れません」
「よろしい」
2人は気が置けない会話をしながら食卓を囲む。朝のトレーニングの後2人は別行動をとった。
プレストンはジムに行ってウェイトトレーニングや道場での稽古していた。一方デジタルだが午前中はトレーナー試験の勉強、午後は自主トレをしていたがプレストンに呼び出され道場で1日体験稽古をしていた。
「アタシをボコボコにした後の食事は美味しい?」
「すっごく美味しい」
プレストンはデジタルの皮肉を込めた言葉に満面の笑みを浮かべて返事する。道場でデジタルはプレストンと試合形式の稽古を行った。
プレストンはデジタルに対して好きに攻撃していいと言う。デジタルも最初は戸惑ったがプレストンがどうしてもと言うので仕方がなく攻撃した。だが攻撃は何一つ当たるどころか掠ることすら叶わず、何回も転がされ何回も寸止めされた。
「素人をボコボコにして悦に浸るって最低だと思わないの?」
「今日の朝のトレーニングでデジタルと走力の差を分からされて、現役時代のライバルとしては悔しいでしょ?だから得意分野でボコボコにすることでスッキリする。アタシは精神衛生に良い。デジタルも素人の分野で負けても特に気にしない。これがウィンウィンよ」
「まあプレちゃんが良いなら良いけど」
デジタルは僅かばかりの敗北感を押し込めて箸を伸ばす。生姜焼きを食べた時点で敗北感は跡形も無くなっていた。
「プレちゃんっていつもこんな感じなの?朝も昼も夜もトレーニングして」
「まあね、他の人は仕事とかしているけど、レースで獲得した賞金があるから仕事しなくていいし、強いて言うならば稽古するのが仕事、ニュースでなら職業武術家のエイシンプレストンさんってところ」
「それちょっとカッコイイかも、あっ、9時からオペラオーちゃんが出るドラマ有るんだ。テレビつけていい?」
「どうぞ」
デジタルは許可を得るて電源をつけると、映像が見られるようにとプレストンの隣に座り、食事を摂りながらテレビを見る。ドラマが流れている間はオペラオーを早く出せとデジタルが喚き、出ても出番は僅かで不満を垂れると騒がしかった。
ドラマが終わり後番組でスポーツ番組が流れトゥインクルレースのコーナーになる。内容は今週末に行われるマイルCSの特集だった。
「マイルCSか、デュランダルの末脚がマイルで発揮できるかがレースのポイントだと思うな。個人的にはイーグルカフェに頑張ってもらいたいけど、デジタル?」
いつもならレースの話題を振ればデジタルが姦しく語るはずだった。だが今は視線をスマホに移しイヤホンをつけていた。
最初は自分と話したくないのかと思ったが、ドラマを見ている際はちゃんと会話していた。だとしたらマイルCSについて嫌な感情があって番組を見たくないということだろうか?
プレストンはテレビの電源を消すと、木人椿に向かい打ち込みを始めた。
───
プレストンは目を覚まし反射的に傍にある目覚まし時計を手に取る。時刻は1時、起床時間の5時まであと4時間もある。中途半端な時間に起きてしまった。2度寝しようと目を瞑るが何か音が聞こえてくる。体を起し耳を澄まして音源を辿る。
「なん……アタ……もっ……りたい」
今にも消えそうなか細い声、それはすぐ横の布団で眠っているデジタルが居るあたりから聞こえてきた。
「どうしたのデジタル?」
「え?あっ起こしちゃった?ゴメンね。ちょっと怖い夢見ちゃって……大丈夫だから……」
「そう……何かあったら起こして」
「ありがとう、お休み」
「お休み」
プレストンは心配そうにデジタルを見つめながら寝転がり目を瞑る。
デジタルの目の下に泣いた跡があった。幼い頃は怖い夢を見て泣きながら目を覚ましたことはあった。だがデジタルの年齢でそれはほぼ起こらない。余程の悪夢だったのか?そして泣くほどの悪夢を見るということは精神が弱っているかもしれない。
デジタルがプレストンの家で共同生活を始めてから1週間が経った。その期間でプレストンはデジタルの変化と異変に気が付いた。
まずウマ娘を避けるようになった。正確に言えば現役のウマ娘を避けている。
引退したウマ娘のチャンネルやSNSは見るのだが、現役選手の情報を意図的に遮断している。そして夜になると泣いているか悪夢にうなされている。
プレストンはスマホを取り出すとデジタルの様子をメッセージでデジタルのトレーナーに送る。
密告しているようでデジタルには気が引けるが、今のデジタルの状態は自分の手には余る。トレーナーなどの専門家に様子を報告して判断を仰いだほうがいいと判断した。
そしてトレーナーからは静観してくれと指示を受ける。プレストンもトレーナーが直接顔を合わせて話を訊いたほうがいいと言ったが、今の自分は相当嫌われているので心を開かなく逆効果という答えが返ってきた。
何を悩んでいるのか詳細は分からない。ただ時が解決してくれるのは祈るばかりだ。