勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者とラストダンジョン#3

 チームプライオリティのチームルーム、その奥にトレーナーがデスクワークに使う机と椅子がある。椅子も机も高級ブランド品ではなく、そこら辺の雑貨屋で売られているような質素なものだった。ウマ娘達以外には金をかけない、それがチームプライオリティのメイントレーナーの藤林の考えだった。

 藤林トレーナーは机で真剣な面持ちで書類に目を通し書類作成に追われていた。作成している書類はシンボリクリスエスの契約更新の書類である。

 

 シンボリクリスエスは藤林トレーナーに雇われているプロ選手である。当然だが雇っている藤林トレーナーから賃金が払われる。支払い方式は年俸制度で、本人の競争成績、チームに対する貢献度、様々な要素を加味して年俸が決まる。

 競争成績の項目ではレースを走った数と勝ち鞍が評価の対象である。レース数は去年が10、中々の数だが想定した数は7で残りの3走は取りこぼしによって走らなくてもいいレースを走った結果だった。だが想定した7走を全て走ったのは評価できる。

 一方今年の想定レース数は6だった。だが上半期は調子を崩した結果、有マ記念を走るとしたら年4走になる。これは評価を下げなければならない。

 

 次に勝ち鞍だが現時点ではGI天皇賞秋のみ、仮に有マ記念を勝利したとしても去年と同数。さらに宝塚記念とジャパンカップでは1番人気での敗北、特にジャパンカップでは1着に1秒以上の差をつけられての敗北は評価を下げなければならない。

 次にチームの勝利数は去年と同じく1位、チームのウマ娘やサブトレーナーからの聞き取りで勝利に繋がるアドバイスや振る舞いをしていたと把握し、これはプラス評価の対象だ。

 トレーナーは作成した書類を確認する。有マ記念に勝利した場合は現状維持、勝利できなかった場合は10パーセントダウン、レースの出走数や成績の低下は本人だけではなく、トレーナーの責任もある。

 心情的には年俸を上げても良かったが、プロ選手として見れば減額提示はやむを得なかった。

 

「失礼します」

 

 扉の外からノックの音が聞こえトレーナーは入室を促す。すると扉の外から制服姿のシンボリクリスエスが入室してきた。その表情は何か決意を秘めているようだった。

 

「トレーナー、今年の契約更新する前に相談したいことがあります」

「何だ?」

「もし許可していただくなら、私は今年の有マ記念を最後に引退します。そして来年からはスタッフとして雇ってもらうことを希望します」

 

 トレーナーは思わず立ち上がり凝視する。引退を望んでいるとはまるで思っていなく、まさに寝耳に水だった。

 

「引退を望む理由は何だ?」

 

 必死に動揺を抑え込みながら理由を尋ねる。怪我やモチベーションの低下か?だがそれらの予兆は全くなかった。シンボリクリスエスは高揚も悲観することなく淡々と理由を口にする。

 

「いくつか有ります。まず私は絶対ではないからです。絶対であればトレーナーの代表作になるために来年も再来年も現役で走り勝利を積み重ねてもよかった。ですがそうではない」

 

 シンボリクリスエスは無敗ではない。だが日々を重ねるごとに成長を感じ、どんな条件でも勝てる絶対的ウマ娘になれると仄かな自信が有った。だがシニア級になり宝塚記念とジャパンカップでの敗北でその自信は失った。

 宝塚記念では初の掲示板外の4着、しかもタップダンスシチーは1着の可能性がなくなったと明らかに手を抜いていた。あれが無ければ5着だった。そしてジャパンカップでは1着のタップダンスシチーに9バ身近くの差をつけられての大敗だった。

 宝塚記念ではペース判断を間違った。ジャパンカップでは重バ場適性、脚質の有利不利、枠の有利不利などの敗因があった。言い訳を挙げればいくらでも挙げられ、もう1回同じレースをすれば勝てる自信はある。

 だが絶対であればどんな状況でもバ場でも勝てるはず。つまり自分は絶対ではない。

 

「ゼンノロブロイ、その才能と潜在能力は私以上だと思っています」

 

 トレーナーは思わず身を乗り出す。ゼンノロブロイは精神面ではまだ改善の余地があり伸びると思っていたが、上だと断言するほどの能力が有るとは思っていなかった。

 

「チームは企業でトレーナーはオーナー、そしてサブトレーナー達は従業員、オーナーは利益をあげ従業員に多くの収入を与える」

 

 シンボリクリスエスは話題をゼンノロブロイからチームについて変える。その言葉はまさにそのとおりだ。

 トレーナーは中央ウマ娘協会から得る固定給以外にもウマ娘が獲得した賞金の何割かを得られる。小さいチームならともかく大きなチームには多くのスタッフが所属し、もはや会社である。

 その従業員を雇うには金銭が必要であり、条件が悪くなれば別のチームのスタッフになる。それは転職のようなもので良い条件に働くのは当然の権利だ。

 日本一になるためには多くのレースに勝利しなければならない。多くのレースに勝つには多くのウマ娘を指導する優秀なサブトレーナーやスタッフが必要だ、

 そして優秀な人材は金が多いところに集まってくる。やり甲斐やトレーナーの人柄に惹かれて働くという例は比較的に少ない。

 

「利益を出すためにはより上のステージで好成績を残すウマ娘を育てる必要があります。そして意識的にあるいは無意識に強いウマ娘に意識やリソースは向けられます。チームに居るウマ娘には平等に接しなければならない。ですがチームは会社と考えれば利益を出すウマ娘を優先するのは仕方がないと考えます」

 

 トレーナーは感情が表に出ないように唇を噛みしめる。全員を平等に指導したいというのは本心でもある。だが人のリソースは無限ではない、であれば日本一のトレーナーになるという目標のために優秀なウマ娘にリソースを割かなければならない。

 この感情を知られればチームの何人かのウマ娘が少なからず落胆するのは分かっている。だからこそ決してこの考えを悟られないようにしていたが、完全に見破られていた。

 

「そして本題ですが、私とゼンノロブロイは中長距離が得意のウマ娘です。もし現役を続ければ来年は同じレースを走る事になるでしょう。ベストはワンツーフィニッシュを取ることですが、私は絶対ではないですし、今のゼンノロブロイも同様です。1着賞金は2着と3着より多い」

「つまり、シンボリクリスエスに割くリソースをゼンノロブロイに全て注げばレースに1着になり私がリーディングトレーナーになれる可能性が増えるということか?」

「そうです。そしてゼンノロブロイは私より絶対的なウマ娘としてトレーナーの代表作になる可能性が有ります。以上が私が引退する理由です」

 

 トレーナーは意見を整理する。つまりは日本一のトレーナーの称号を得る為にゼンノロブロイにかけた方が良いと判断したのだ。

 

「能力の衰えはないのか?」

「今のところ自覚症状は全くありません」

「それでいいのか?衰えが無い状態で引退すればもっと走っていれば良かったと悔いが残るぞ」

「私はトレーナーを日本一のトレーナーにするためにトレセン学園に来てレースを走っています。全ての行動はトレーナーが最優先です。そして後悔が有っても墓場の下まで持っていきます」

 

 トレーナーは腕を組んで思案する。ここで現役を続行しろと命令すれば来年も現役で走るだろう。衰えていないなら走らせるのが正しい。だがそれで良いのかという思いもある。

 彼女はプロとしてベストと考える選択肢を提示した。それを拒否するのは本人の気持ちを蔑ろにすると同じかもしれない。

 プロとしてゼンノロブロイを育ててくれると信頼してくれている。これに応えるのが彼女の矜持と信頼に応える最善の行動だ。

 

「分かった。引退することを許可する。今までありがとう。そして来年はスタッフとしてよろしく頼む」

「ご理解いただきありがとうございます。来年はスタッフとしてトレーナーの日本一になるために尽力いたします」

 

 トレーナーは立ち上がり手を差し出し、シンボリクリスエスも手を伸ばし握手を交わした。

 

「よし、契約に関する話は終わった。ここからは雑談とするか、スタッフを知ることはトレーナーとしては重要だからな」

 

 意図的に軽い口調で話しかけ、それに応じるようにシンボリクリスエスも僅かに弛緩し、部屋の空気は緩む。

 

「そういえば以前トレーナーが話していた理想の走りがあると話していましたよね?」

「ああ」

「その走りは取っ掛かりは掴めましたか?」

「ほんの僅かだがな」

 

 トレーナーは充分な間を置いてから返事する。トレセン学園に来る前、お互いの相互理解を図るために多くのことについて語った。

 その際に育てたい理想のウマ娘の話題になり、そこでトレーナーは最強のウマ娘と答え、最強の定義という問に対して最もGIで勝利したウマ娘であると答えた。

 強さを測る基準としてタイムと着差の大きさが挙げられる。だがタイムはバ場状態レース展開によって大きく変わる、そして着差もそれらの要素に相手の力量さも加わる。

 仮にAのレースで実力が100のウマ娘が居たとして、2着のウマ娘は80として着差を3バ身つける。

 そしてBのレースで実力が150のウマ娘が2着の140のウマ娘に着差を1バ身差つける。2つの走破タイムはAのレースが速いとする。どちらが強いと尋ねたとして正解を言える者はファンは勿論トレーナーですら多くはない。

 数値化されればBのレースの勝者が強いと分かる。だが強さを正確に数値化するのは相当困難で強さを判別するのは難しい。だからこそファンの間で最強ウマ娘論争は起こり、未だに答えは出ないのだ。   

 強さとは不明確で測りづらく不確定なものだった。だからこそ勝利は絶対的な指標と考える。例え相手が弱かろうがタイムが遅かろうが、勝利という事実は決して揺るがない。

 仮にGI4勝で全ての勝利がコースレコードのウマ娘とGI6勝のウマ娘がいれば、トレーナーはGI6勝のウマ娘を評価する。それだけ勝利に価値を置いていた。

 

 そしてどうすれば勝利を重ねられるか?それは無駄な力を使わないことである。レコード記録で走ったとすればそれなりに力を使わなければならない。それが積み重なれば怪我を引き起こし、疲労で出走回避になる可能性も出てくる。

 最小限の力で勝てば怪我をする可能性も減り、疲労もたまらず多くのレースに出走できる。究極的の理想は全てのレースにおいて1センチ差で勝ち続けることだった。

 ならばどうすれば力を使わずに済むのか?それは90の力に対して100の力でねじ伏せるレースでなく、相手の力を1まで削り自身は2の力で勝つことだ。

 

「相手を徹底的に研究する。出走ウマ娘の全ての勝つ可能性を把握し握りつぶす。そして相手の力が発揮できないレース展開にする。それを実行する為には相応の地力と対応力が必要とするがな」

「でしたら、有マ記念にその走りを私に叩き込んでください」

 

 シンボリクリスエスは引退を決意してから考えていた。現役としてトレーナーのためになるにはどうすればいいのか?思案の最中にかつて語った理想のウマ娘と理想の走りを思い出す。

 あの時は理想に過ぎなかった。だが経験を積んだ今なら何かしらの案がトレーナーにあるのかもしれない。それを確かめるために雑談を装って状況を確かめ、僅かだがアイディアがあると口にした。

 ならば試す価値はある。試すことでトレーナーの理想の走りは実現不可能なのか、傑出した能力が有るウマ娘しか実現できないのか、トレーナーの教えを受ければ誰でも実現できるのかが判別できる。そしてもう1つの狙いがあった。

 将来トレーナーが自分にはない絶対的な強さを持った作品を作ってくれると信じていた。だが万が一それができなかったら、その最悪の想定を考慮し次善策を考えていた。

 人は能力の平均値より最大値を重視する傾向がある。仮に最大の能力が100のGI4勝ウマ娘と最大能力が150のウマ娘のGI3勝ウマ娘が居たとすれば、多くは150のウマ娘を強いと評価する。

 能力が有るのに勝てないのはそれだけの理由が有る。だが想定で走らせる場合は常に最大値を基準にする。

 そして強さを決める基準は着差とタイム、着差を開きタイムが速ければ速いほど評価する傾向にある。ならばそれを利用する。

 自分が絶対的な強さを持っていなく、いずれ現れる絶対的なウマ娘に劣ると自覚している。

 だが次の有マ記念で大差のレコード勝ちをすれば、過剰評価し、絶対的なウマ娘であると勘違いしてくれるかもしれない。

 そうなれば絶対的なウマ娘を作り上げた優秀なトレーナーとして名を残す。その為に必要なのがトレーナーの考える理想の走りだった。

 本来は無駄な力を使わないための相手の力を削る。しかし有マ記念では力を1まで落とし2の力で勝利するためではなく。1まで落とし100の力を発揮する。それなら大差をつけられるかもしれないと考えていた。

 

「そしてその走りを実現するためにリソースを私にください」

 

 シンボリクリスエスは深々と頭を下げ、一方トレーナーは葛藤が浮かび表情が歪む。その心境は充分に理解していた。

 

 レースに勝つために相手の研究はどのレースでもやっている。だがトレーナーの理想の走りをするためにはもっと深く研究しなければならない。

 そして相手を深く研究し、研究の成果を理解できるように伝え、相手のウマ娘の勝ち筋を全て封じ込めるやり方を模索する。

 それをしようとすれば多くのリソースを割かなければならず、他のウマ娘の指導をせずに自分だけに全てのリソースを割けと言っているようなものだった。

 

 決しては思い付きで言ったわけではない。トレーナーの現在の勝ち数と獲得賞金、他のトレーナーの勝利数と獲得賞金と勝率、自分に付きっ切りになることによる指導の質の低下、サブトレーナーやチームスタッフの手腕、チームのウマ娘の実力と走るレースとの相手関係、それらを全て吟味した結果、自分に付きっ切りになったとしてもリーディングトレーナーの座は揺るがず、トレーナーの利益になると判断する。だがこれには問題があった。

 トレーナーは表向きチームのウマ娘に平等に接している。だが理想の走りを実現しようとすればそれを破ることになる。それを含めて利益があると判断したが、それを認めるか否かは判断次第だ。

 

 トレーナーは椅子にもたれ掛かり天井を仰ぎ見る。その提案は自分の利益を尊重しているのは理解できる。だが周りから見たら完全な依怙贔屓だ、そうなれば波紋を呼ぶのは確実である。

 その状態を維持しながら思案し続ける。シンボリクリスエスも答えが出るまでじっと待ち続けた。

 

「悪いが、全てのリソースを割くわけにはいかない」

 

 トレーナーは姿勢を戻しシンボリクリスエスを見つめながら結論を出した。

 

「俺の利益を尊重して言ってくれたのは充分に理解しているつもりだ。だが俺がシンボリクリスエスにリソースを注ぎチームのウマ娘への指導が疎かになった結果、レースに負けるかもしれない。そのレースに勝とうが負けようがそれはリーディング争いには関係ないかもしれない。だが本人にとってその1勝が人生のターニングポイントになるかもしれない」

 

 ポツリポツリと心情を吐露していく。チームのために強いウマ娘にリソースを割くと認めながら提案を認めない。これは矛盾しているように見える。

 確かにリーディングトレーナーにはなりたい。歴代で最高のトレーナーと呼ばれるために実績を積み上げたい。だが同時にチームに居るウマ娘も大切にしたい。

 比重は確かに傾いてしまう。それでもトレーナーには線引きがあり、提案は線引きを超えるものだった。

 

「分かりました。言葉に従います。可能な限り自分でトレーナーの理想の走りができるように尽力します。ですが自分の思考や解釈が入りますので、例え出来たとしてもトレーナーの指導があれば出来るかは判別できず、実現可能か否かだけしか分からない可能性が有ります。そこはご了承ください」

 

 シンボリクリスエスは感情を見せず淡々と喋る。案に賛同するか否かで嬉しさや悲しさを抱くことは無い。トレーナーはその言葉に静かに頷いた。

 

「だがリソースは全て割かないが出来る限りの協力はする。時間が惜しい早速始めよう」

 

 ノートPCを取り出すとシンボリクリスエスに近づくように手招きする。画面を見ると有マ記念に出走予定のウマ娘のレース映像が網羅されていた。

 そして2人は門限ギリギリまでレースを見て意見を交わした。

 

 

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