私の勤めるサファリに、トロピウスがやって来ることになった。
フルーツポケモン、トロピウスは、限られた地方にしか生息していない、珍しいポケモンだ。それがこんな片田舎のサファリに送られてくるというのだから、けっこうな話題になった。
私たちサファリの職員は、歓迎の垂れ幕まで作って、輸送されてきたトロピウスを出迎えた。
それから、私はトロピウスの世話係をやることになり、浮き立った気分で持ち場についた。
翌日、私はサファリゾーンの沼エリア、灌木の生い茂る湿原で、検査を終えたトロピウスと対面した。
ずんぐりした図体に、長い首。トロピウスは太古の昔からやってきたような威厳をそなえたポケモンだった。私は彼の世話をするということに多少なりとも誇りを感じていた。
私は、これからよろしくという挨拶のつもりで、トロピウスの喉元に垂れ下がった黄色いふさに、背伸びをして触れようとした。
するとトロピウスは、ぷいと顔をそむけて、私の手を取り払ってしまった。左を向いた横顔が、やけに細長く感じられた。
私は少々傷ついたが、それでもめげずに、環境の整備を始めた。
体の大きなトロピウスが楽に歩き回れるように、樹を伐採したり、えさ箱をつくって設置してやったりした。
作業が一区切りついたので、汗をぬぐいながら『おいしいみず』を飲んでいると、沼のほとりに立つトロピウスの姿が視界のはしに留まった。
何をしているのだろう、と気になって見てみると、トロピウスは平たい羽根をばさばさと揺すり、飛び立とうとしていた。
私は一瞬ぎょっとしたが、すぐに胸を撫で下ろした。
トロピウスは飛び立つことができなかった。勝手に逃げていかないように、羽根の一部をあらかじめ切ってあるのだ。
私は安心しながらも、必死に羽根を振って舞い上がろうとするトロピウスの姿がなんだか哀れに感じられて、午後の作業にはあまり身が入らなかった。
それから数週間。
はじめは何ともなさそうだったトロピウスの健康状態に、陰りがみられるようになった。
昼の間はほとんど寝転がってばかりいて、えさ箱のえさもほとんど食べようとしない。
せめて水だけは飲ませてやろうと、水を口に注いでも、すぐに吐き出してしまう。
このままではサファリの営業に支障をきたすということで、緊急会議が開かれた。
会議室に呼ばれた専門家の話によれば、元々トロピウスは南国に生息するポケモンなので、ここシンオウ地方の寒冷な気候自体が合わないのだという。
その話を聞いた園長は、すぐさま対策を練った。
ビニールハウスの温室を設置して、そこにトロピウスを住まわせるという案が採用され、実行に移された。
そして、私は、なんだか蚊帳の外に置かれたような気持でそれを見ていた。
温室の設置は、迅速に行われた。
ビニールで囲われた内部には、多種多様な植物が配置され、さながら植物園のような様相を呈していた。
数日後、麻酔で眠らされたトロピウスがそのなかに担ぎ込まれた。
甘ったるい匂いを発する花や果実に囲まれて眠りにつくトロピウスの姿は、まるで棺桶に横たえられた亡き骸のようであった。
夜。
私は、トロピウスの体調を検査するため、草叢を踏み分けながら温室へ向かっていた。
静寂の底を破って、ホーホーの鳴き声が聞こえてくる。薄暗い闇のなかに、温室の影がくっきりと浮かび上がっていた。
温室に近付くにつれて、ホーホーの鳴き声が次第に大きくなっていくような気がした。それに加えて、あの甘ったるい香りも強くなってきている。
私は温室の扉を開けて、なかに入った。
途端に、むせかえるような花の匂いと熱気にくらっときた。この匂いは尋常ではない。
ぱきぱきと、足元の枝や絡まりあった蔓を踏みながら、私は歩いていった。トロピウスの黒い影は、立ちつくしたままぴくりとも動かない。
まるで立ったまま寝ているようだった。時折、風に揺られて体ががさがさと動くが、それ以外には、まったく、微動だにしない。
私はだんだん気味が悪くなってきた。
そして、トロピウスに触れようと手を伸ばした時、妙なことが起きた。
私の手が触れたところから、トロピウスの体が、かさかさと崩れ落ちたのだ。
私は息がとまるほど驚いて、飛び退いた。
それからゆっくりと近づいていって、再びトロピウスの長い首に触れた。
すると、トロピウスの頭が、崩れて下に落ちた。
私はそこでやっと気付いた。これはトロピウスなどではない。
腕で体を薙ぎ払うと、トロピウスの体を形作っていたものが、ざざー、と砂のように流れ落ちていった。そのうちの一枚を拾って目に近付けてみると、それは、うす桃色の花びらだった。
無数の花びらが互いに重なり合って、トピアリーのようにトロピウスの形を組み上げていたのだ。
私ははっとして温室を見回したが、もう遅かった。
トロピウスの姿はどこにも見当たらない。
逃げられた。
直感的にそう思った。
そして、もう二度と戻らないだろうということも感じられた。