対神幻創市街・練馬 ~去りし楽園の開拓者~   作:笑う蕁麻草

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正義の味方

通常、魔術師と呼ばれる人種は自分や自国の立場を守るために魔術を使うことが無い。魔術は火をおこし、石を割る。大規模なものであれば地形を作り変え、生物の死骸から兵士を作り出すことも可能だ。

 しかし、火をおこすのであればマッチがあれば事足りる。石を割るにもクサビやセリ矢を使ったほうが容易である。ダンプとユンボを使えば山一つを平坦にすることは可能であるし、粗悪な死者の兵団に槍を持たせたところで爆撃機の砲火に耐えられるものではない。

 ましてや近代とは分業とマス・プロダクションの時代である。一般の大衆から見ればおよそ万能である魔術師個人よりも、誰もが容易に扱える道具や、それを取り扱う職人の専門性こそが社会全体の効用を高める。

 であるから、魔術を学ぶことが術者の世俗的な成功につながるということはきわめてまれである。彼らが生涯とその血肉を持って達成しようとするのは、ある意味では多くの基礎科学に携わる研究者と同様、真理の探究――彼らの言葉で言う根源への到達であった。

 しかし、王道があれば邪道もまた見出されるものである。魔術を根源への到達とは異なる目的のために取り扱う者たちは、強い侮蔑の対象とはなるものの、確かに存在していた。

 ある時代、ある業界においては畏怖の象徴となった「キリツグ・エミヤ」なる人物もまた、根源への到達とは異なるきわめて私的なモチベーションのために魔術を行使する「魔術使い」であった。半ば傭兵として働く彼は、多数の命を守るために、それを害する少数に銃口を向ける事を是とした。彼の行動に通底する理念は近代におけるヒューマニズムとは一線を画す。闘争の大義名分として在る正義という言葉は、彼が最も嫌うところであったが、その目指すところは「恒久的世界平和の実現」であった。

 

 そのキリツグ・エミヤの姿が、東京都練馬区のとある神社の境内にあった。両目を閉じ、境内に据えられた賽銭箱の横で居眠りをしている。約50年近くを生きた彼の体は、長い戦場での暮らしを経た結果、生物としても魔術師としても限界を迎えつつあった。見た目はむしろ40かそこらに見えるが、丸くなった背中には老いが見られる。

 ぎらぎらと輝く太陽のひざしを、ちょうど彼の頭上にある御神木の葉がさえぎっている。さほど広くはない木陰にぴったりと身を隠しながら、彼は夢を見ていた。

 

ーー夜、敷地内の見張り台の上に一人の少年が立っている。見張りの任にうんざりとした少年は、スケッチブックを取り出して絵を描き始めた。まばらな民家の灯りが暗い空をわずかに照らしている。どうやらその日は雲があるらしい。

 突如としてあたりにサイレンが鳴り響いた。キリツグは夢の中で、それが空襲警報だと悟った。

 見張り台の少年が狼狽する。普段なら空襲警報に先んじて、市民の避難を促す警戒警報が鳴るはずであった。少年の顔から生気が失われていく。遠方から夕立のような音がする。先程までまったき闇であった空が徐々に赤く染まる。雲の間から次々と敵機が現れる中、遠方からザアザアという音が響いてきた。

 いくつもの戦場を渡り歩いたキリツグであったが、それが焼夷弾の降り注ぐ音だと気づくのには少々の時間がかかった。

 辺りから人々の悲鳴が聞こえ始める。これが夢だと自覚しているために、キリツグはその言葉の端々に関西地方のイントネーションが混じっている事を観察する余裕があった。

「これが、あいつの記憶か……。」

 

 キリツグの視界にはすでに、見張り台の上に立つ少年の姿はない。夕立のようであった爆撃の音は、次第にガラスをひっかくような不快な音へと変じ、頭上へと近づく。近所で飼育されたものか、人に混じって牛のかん高い鳴き声が聞こえた。家畜が暴れることを気にするものは、すでにその街にはいない。平静を保っていたキリツグは、その夢の中で何か大きな声をあげた。

 同時に音と光の一切が消滅した。気づくとそこに、先程の少年の姿がある。

 夢の続きか、目が覚めたのか、判然としない。そこは狭いアパートの一室のようだった。先程の少年は、わずかに成長し、青年と呼べる年になっている。本棚には多くの本がならび、数冊の医学書も並んでいた。

 青年は机に向かって絵を描いている。キリツグは黙って、その様子を横から眺める。絵が何を描いたものであるかは分からない。しかし、机に向かう青年の真剣な姿から、それが勉強の合間の落書きではない事がわかる。

 青年は絵を描きながらコロコロと表情を変える。人物の表情を模索しているようであった。絵を描くという行為以上に、そこに向かう彼の表情に途方もない迫力がある。瞳の奥には先程の空で見た、赤く揺らぎない炎が宿っているようだった。

 

「……衛宮さん、ダメだよ? こんなところで寝てると頭痛くなるよ。」

 キリツグは神社の境内で目を覚ました。日が傾き、木陰の位置が移動していた。ラフなTシャツ姿で散歩をしていた彼は、この木陰で休むうちにすっかり眠ってしまったようだ。

 頭を上げると、そこには特撮ヒーローのお面を被った少年の姿があった。網を握っており、足元の虫かごではジィジィとセミが鳴いている。

「やぁ。ここは秘密の場所だと思ってたんだけど、君たちがいたのか。」

 この子供は誰だろうか。そんな事を考えながら、キリツグはできるだけ柔和な表情を浮かべた。普段の顔つきであれば、怖がらせてしまう。

「クワガタがいるんだってよ。でもね、ここは神様がいるから、大きな声を出すと怒られるの。」

「そうかい。じゃあ静かにしていた僕は怒られずにすむかな。」

 少年はニカリと笑い、手を振りながらその場を後にした。ヒーローのお面を外さなかったため、結局彼とどこで出会ったのかを思い出すことができなかった。

 

 境内を見渡すと、真夏の太陽が石畳をジリジリと焼き陽炎を生じている。

 多少日が傾いたとしても、こんな場所で居眠りをしていては熱射病になるじゃないか。そんな事を考えながらキリツグは境内を後にした。神社と違い、練馬の街は人の姿で賑わっている。遠くから太鼓の音が聞こえる。どこか近くでお祭りがあるのだろうか。そういえば、子供の姿を多く見かける。夕食の支度だろうか、民家の前を通ると、魚や焼く匂いや、カレーの香りがした。

 公園のベンチの前に灰皿があるのを見つけると、キリツグはのんびりとした調子でそこに腰を掛け、タバコを取り出して火をつけた。

「僕は、こんな穏やかな日常を求めていたのだろうか。」

 独り言を吐き、苦笑する。この街が穏やかであることは事実だが、それを「日常」と呼ぶのは不適切だと気づいた。この練馬は今まさに、「異常な事態」の最中にある。

 民家の間で、傾いた太陽が赤く赤く染まっている。風は湿り気をおびて生ぬるく、公園には夏草が茂っていた。

 この日は12月の半ばであるのに。

 

「この場所に来て、もう何度目の夏になるんだろう。」 

「現在の市街は2003年のものだね。だいたい15年ぐらいは戻ったんじゃないかな。」

 気づくと、キリツグの横に初老の男が座っていた。メガネをかけ、ニコニコと笑っている。なんの先触れもなく現れたその男に、キリツグが動揺を見せることはなかった。

「バーサーカー、別に急かす気は無いが、やけにのんびりしているじゃないか。壁の外では、すでに他の六騎が出揃っている。」

 バーサーカー、聖杯戦争において召喚される七騎の一つ。狂化というスキルが付与されることにより、筋力や耐久力に底上げを受けるクラスである。その代償に理性的な判断力や言語能力を喪失するのが常であるが、眼鏡の男は特に問題なくキリツグと会話をしている。

「まあ焦るなよ。作家の仕事を待つのが今の君の仕事だ。その間は君も、休暇だと思って日本での生活を楽しむと良い。」

「僕だって暇なわけじゃないが、しかしそうさせてもらうよ。存外この街は居心地が良いんだ。」

 そう言うと、キリツグはベンチから立ち上がった。彼が滞在する民宿でも、夕飯の用意が整っているはずだ。このところ和食ばかりであったから、たまにはハンバーグなど食べたいと考えていた。

 彼がこの練馬にやってきたのは先月のことだ。約一月の間に、この街は際限なく形を変えていた。時間の逆行とは異なり、「現在」を足がかりにした「過去」の再構築。バーサーカーの第三宝具による作用である。人々の肉体もある程度若返るが、五歳前後になると効果が薄まり、受精卵以前にまで肉体が戻ることはない。また、死者を蘇らせることはできない。しかし街並みや人々の暮らしについては、いずれは昭和期のものへと変じ、食卓で洋食が食べられる機会も減るだろう。

 

 キリツグは公園を後にした。手を振るバーサーカーを、一緒に行こうと呼ぶことは無い。召喚に応じたサーヴァント・バーサーカーの真の力は、キリツグを含む特定の人間が見ている場所では発揮されることがない。その活動はこれからの時間、すなわち夜に本格化する。

 季節はゆっくりと逆行する。先程まで青々と茂っていた木々に、気づけば桃色の花が咲いていた。

 

 道すがら、電柱にひっかけたまま忘れられたものだろうか、キリツグは一つのお面を見つけた。先程の少年が被っていたものではなく、同じシリーズのさらに古い特撮ヒーローのものだった。

 少年時代の長くを海外で過ごした彼にとり、そのヒーローに対する特別の愛着は無い。ただ、少年時代という記号を通じ、彼の脳内では簡単な連想が行われた。「正義の味方」。かつての彼が憧れて、今は忘れかけた理想の形。

 

 

「クゥァァアァ……、シゴトォ、シゴトヲォォォォ!」

 

 背後で獣が唸るような奇声が響いた。キリツグの目から離れ、狂気を取り戻したバーサーカーの雄叫びだ。まだ街には人の気配があり、バーサーカーは理性と狂気の狭間を行き来することになるだろう。

 キリツグの脳裏に、先程夢に見た光景、おそらくはバーサーカーの記憶であったものが浮かぶ。そこに同情や憐憫を抱きはしたが、この状況に躊躇する気持ちは無かった。

 

 

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