「なんかこんがらがってきたんじゃがー……」
霞が関某所、古びれた職員用の体育館の地下室におかれた居室において、アーチャー織田信長と役人たちによる【軍議】が執り行われていた。
先日、調布市のハンバーガーショップにおいて信長の機嫌を大いに損ねたルーラーであったが、彼のもたらした情報は有益であった。いわく、練馬のバーサーカーはルーラー自身の知人である、と。
その振る舞いや言動より、ルーラーがかぎりなく現代に近い時代を生きた、おそらくは日本人の英霊であることが推測できる。であれば、彼の生前の知人であるという以上、バーサーカーの正体も現代人という事になる。
神代から遠く離れたこの時代においては、英霊として召喚しうる人物はそこまで多く生まれなくなっている。であれば、その特定は容易であるというのが信長の主張であった。
これを聞いた沙条は公安庁、外務省、防衛省、加えて文部科学省に要請し、現代の英霊たりうる人物の検索を開始した。
明治維新以降の日本において英霊たりうるであろう実績を持つ人物の数は二百七十人、この先の絞り込みは信長立ち合いのもと、彼女が招集した【軍議】の中で実施する。
まずは「家族が存命である者」という条件での絞り込みを行った。そもそも近現代の人物二百七十人を選び取っているのだあら、孫やひ孫はもちろん、甥や姪が存命の者がほとんどであるが、この作業により三十余名の名がリストから消えた。
次に【狂化】のスキルを有するに足る逸話を持つ者を絞り込んだ。
これが大変に厄介であり、天才や偉人とされる者の中には奇矯な行動を取ったり、あるいは合理性を追求するあまりに他者との協調を蔑ろにした逸話を持つ者も多くある。そもそもバーサーカーとしての霊器を得るにたる狂気がどの程度のものか、それを正確に推し量る事が難しい。周囲から可愛がられていた野良犬に虐待を加えて石川啄木の行動は常人の感性からすれば常軌を逸したものであるが、だから彼にバーサーカーとしての適性があると評価して良いものか。
ここまでの作業を経ても、リストには未だ百五十人超の人名が残されている。ここまでの絞り込みに約9時間を要した。
本来の仕事を押してこの場所に来ている各省庁の役人たちは大変に疲労していた。サーヴァントの身たる信長をしても、この成果の薄い作業には段々と嫌気がさしてきた。
「んじゃま、次は神性を持っていそうな奴を探してみるかの。」
若い女性の職員の顔が引きつった。彼女の出自は宮内庁である。
「と、殿、神性……と言いますのは……?」
「簡単じゃろ! 神の血が入っているであるとか……あ、あー……。」
リストに記載された人物の中には、「神性」という要件を満たす人物が数名存在する。
この国においてかつて主君であった人物、現代においては国体の象徴である、あるいはあった人物。信長の時代においても概ね不可侵とされていたその人々は、記紀神話に顕される神々の血統にある。
しかし、その系譜にある人々を「練馬区を封鎖した国家の敵」として容疑者に数え上げる事は、そこに集まった役人たちが持つ国家公務員としての職業的倫理観に外れる行為であった。
かつて神仏を焼き払い、時代の変革という偉業をその宝具にまで昇華させた信長としては、そこに思う所が無いではなかったが、しかし明らかに士気を損ねた役人たちの様子に対してただ作業を強引に進めるよう脅迫するのは得策では無い。
「お主ら、サルを知っとるか。サルを。」
沙条は恐怖した。
第六天魔王・織田信長が優しく微笑んでいる。
ちょうど親が子を見るような慈愛を含んだ目で、疲弊した役人たちを眺めている。それは短い時間とは言え行動を共にしている沙条が初めて見る顔つきだった。
他の役人たちも同じ不穏さを感じたらしい。背筋を正し、言葉を選びながら慎重に信長に応じる。
「羽柴秀吉様のことでしょうか。はい、信長様亡き後に……ええっと」
答えたのは文部科学省から来た職員だった。
しかし「信長亡き後に天下を取った。」という言葉が、目の前の少女の逆鱗に触れる可能性に気づき、語尾を濁すに至った。
「そうじゃ! わしの亡き後に天下に手を伸ばしたあいつの話よ。あやつな、どうも死んですぐにあちこちの神社で祀られるようになったらしいの。調子良いのぉ……。」
京都東山の豊国神社を筆頭に、太閤秀吉をその信仰の柱に据える神社は多く存在する。厳密には祖霊としての信長を祀る神社も国内に存在している。
役員たちの顔色がわずかに良くなる。国家のエリートたる彼らにとり、この場合の信長の意をくみ取ることは比較的容易であった。
「なるほど、死後に神仏と同等と見做された者もまた、候補たりうるというお話ですね。」
「おそらくじゃがの。わしもスキルというモノについては現界の折に押し付けられた以上の情報は持たんわけじゃが、しかしことこの国において神と呼ばれるヒト・モノの範囲は広い。英霊という存在が衆生の祈りによって形を得る以上、サルのような者が神性を宿したサーヴァントになる事もあるじゃろう。そもそもわしがあやつを呼ぶように指示したのもそういう思惑があってのことじゃ。」
神の血を宿す者だけではなく、信仰の対象となった者。そのように置き換えると、このリストの中には先にあげた不可侵の人々を除いても十余名の名が残る。近現代の戦争に関連して靖国神社その他に祀られた者たちである。
かくして、練馬のバーサーカーの真名候補と、それら人物が英霊化した際に有しうる宝具の想定が行われた。
軍議を終えた信長のもとには、沙条だけが残った。他の役人たちから宝具となり得る兵装や逸話に関する情報は入手していたが、それらが実際に神秘を得た場合の危険や効果範囲についての考証は、魔術師たる沙条にしかできない。
ぐだぐだとワインを開け始めた信長は、その様子を眺めながらぽつりと言った。
「そのな、悪いんじゃけど、宝具の想定はもうちっと多めにやっといてくれ。」
「それは……どういう意味でしょうか。」
「んー……。外した場合の保険じゃの。わしに直感スキルとか無いからのう。どこがって言われると困るんじゃが、なんか見落としとる気がするんじゃ。しかし今宵の軍議の手順に大きな落ち度はなかった。というよりもできる事はやったという感じじゃな。こういう事は力を尽くした家臣の前で言いたくないんじゃが。」
「?」
「英霊の力というのは読めないものじゃがの、しかし練馬のやつのように街を一つ隔離するというのは尋常のものではない。その力、その動機、どちらを取っても目録にある連中と印象が重ならん。」
沙条はしばし考え、ある疑問を口にする。
「印象、という事であれば、かのルーラーについてはどうお考えですか。」
そもそもが、ルーラーの真名さえわかればこのような手順を取らずとも、バーサーカーの正体に迫る事はできるはずである。しかし、現段階でルーラーの正体は不明。
同盟関係を結んで後、極秘裏に沙条が調査してきたにもかかわらずである。
「ハハ、それな。あの二百七十名の写真に目を通した時、わしが真っ先に探したのはルーラーの方だったんじゃがの、どうだったと思う?」
「やはり、いませんでしたか。」
「いや、似ている奴はおったぞ。」
信長がは無造作にリストを開くと、その中から3人の人物を指めす。土方歳三、そして若かりし日の福沢諭吉と藤博文。いずれも、精悍な美青年ばかりである。
「わしの目がおかしくなったのかもしれんの。ここにおる奴らが全員、あのルーラーに似て見える。しかし、それぞれに見比べても共通する点は見つけられん。」
沙条は写真を覗き込み、次にルーラーの顔を思い浮かべる。それ自体は難しい事ではない。それなりに鮮明に思い出す事ができる。特段に醜い容姿はしていないが、かといって決して美青年ではない。
そしてもう一度先の美丈夫三名の写真を覗き込むと、確かにルーラーは似ている……ような気がしてしまう。
「幻術か、あるいは固有のスキルによるものか。何にせよルーラーの正体に迫るのは難しいかもしれんの。次は携帯で奴の姿を写し取るぞ。えーあ……。人工知能と言ったかの。わしらの目ではなく、からくりであるあやつらに任せた方がよかろう。」
「過去、ルーマニアで行われた聖杯大戦において召喚されたアサシンが同種のスキルを持っていたと報告があります。」
「然様か。資料をワシのアドレスに送ってくれ。」
「カウレス様をお呼びいたしましょうか。当該のアサシンはジャック・ザ・リッパー。彼は直接対峙したはずです。」
「おー、あの眼鏡か……。わしは良いんじゃがの、わしは。」
信長は何やらブツブツと良いながら、グラスの中のワインを飲み干した。酔っている様子は無いが、何やら言いにくい事があるようである。
「殿、どうなさいましたか?」
「ゴルド……なんとかというのはともかく、あのカウレスと言う男自体は信用して良いじゃろう。しかし、奴のサーヴァントなあ……。」
アサシン・風魔小太郎。彼は武士が嫌いである。その頂点にあった信長に対しては明確な悪感情を抱いている様子がある。
加えて信長としても、小太郎は先兵として使い捨てるつもりであったから、ここしばらくは白壁の偵察ばかりさせている。
自業自得の面もあるが、信長からすれば当面は顔を合わせたくない相手である。
沙条の方は概ね信長の心中を察する事ができた。このサムライは他人の機微を捉える事に優れ、時にそこに浸け込んで人心を支配する事ができるが、だからといって他人との関係が悪化した時に、その内心が傷つかないというわけでは無いようである。後世において「身内に甘い」という評価を得るに至ったのはこのような性質によるものだろう。
「であれば、その場にはランサーにも同席してもらいましょう。いずれにせよ近日のうちにランサーとアサシン、可能であればセイバーも交えて白壁の攻略の手筈を伝えなくてはいけません。」
「うむ……確かに、ランサーを交えた場であれば不要の衝突は避けられるじゃろな。まあ、そのような手筈はお主に任せるぞ。」
その頃、新宿の某ホテルにおいてゴルドルフ・ムジークは怒声をあげていた。
「セイバー! なぜ貴様はそう何もかも派手にぶっ壊さんと気が済まんのだ!」
セイバー源頼光は部屋の調度を眺めていた。その面持ちには少々の困惑が見られるが、怒声に委縮する様子はない。
「面目もございません、マスター。しばしお時間をいただければ、取り逃したルーラーは必ず討ち果たしてみせましょう。」
「そうじゃないセイバー! そうじゃないだろ。まず私がいつ戦えと言った? ルーラーはまだしも、カウレス兄さんのサーヴァントに手を出していたのか? ああ……確かに今回の戦いにおいても聖杯の使用が可能かもしれないとは言ったのは私だよ。聖杯戦争に備えろとも言ったな。しかし、今だとは言っとらんだろ。」
「マスターのお心を裏切ってしまったことはとても悲しく思います。ですが、『いつか』や『もしも』の機を待つうちに敵を逃すこともありましょう。いずれ相対する者同士であるならば、まず手近な者から、そして徹底的に討伐するのが常套でございます。」
ゴルドルフは頭を抱えた。
慎重さゆえに優柔不断となるゴルドルフと、従順ではあるが即決即断を良しとする源頼光。その性格や方針があまりに相容れない。
頼光は平安期を代表する神秘殺しであり、生粋の武人であるが、その生涯において戦場に立ったことは一度も無い。戦う事には慣れており、また部下や軍を率いる事には得手があるが、敵対する勢力との結託や離反といった謀略は、不慣れどころか、そもそも彼女にとっての「戦略」には含まれていない。常在戦場の姿勢が、そのままに浮世離れした精神性と結びついている。
ゴルドルフは自らの左手に表れた2画の令呪を指先でなぞった。ルーラーではなく、ユグドミレニア一族に与した実父から譲り受けたものである。
よもや仕方ない。サーヴァントを従えるためにコレがあるのだ。
「セイバー、お前はもう……。」
そこまで口にしてから、ゴルドルフは口をつぐんだ。かつて聖杯大戦に参加した彼の父は、最高峰のサーヴァントとして竜殺しの英雄ジークフリートの召喚に成功した。しかし、浅はかな令呪の使用によって英霊との信頼関係を損ない、最優のサーヴァントを得たにも関わらず大戦のごく序盤でリタイアする事となってしまった。
今ここで令呪を消費し、頼光に無断での戦闘を禁じる事は可能だろう。その行動を制限し、都合に合わせて使役すれば良い。
しかしその一見すると合理的な判断は、サーヴァントとの主従関係を決定的に損なう。
しばらく悩み、ゴルドルフはこう告げる。
「あのなセイバー。まずは私の作戦を聞いてほしい。今は他のサーヴァントを葬るよりも、バーサーカーのいる場所に到達する事の方が重要なんだ。そのためには手順を追って行動せにゃならん。私に協力しろ。お前が聖杯を得るための最善を講じてやる。」
さて、セイバー源頼光の願いは「平穏な世界の訪れ」であるという。それが具体的にどのような方法で成立するものであるかはゴルドルフも理解していない。しかし、そのような平凡で純粋な願いのために、何のためらいもなく闘争に身を捧げてしまう姿には、ゴルドルフをしても何かしら感じ入るものはあった。
日本政府の要請によってこの東京に滞在している手前、まずは練馬の一件を解決するために行動するが、それとは別に頼光が聖杯を得る事も支援したいという思いが彼の内心にはわずかに生じていた。
この時点で日本政府は、アーチャー、アサシン、セイバー、ランサー、計4体のサーヴァントを対バーサーカーのカードとして揃えたことになる。必ずしも味方とは言いがたいが、在野の魔術師が召喚したルーラーもまた、大枠ではバーサーカー討伐に寄与する戦力であろう。
現界を維持しているサーヴァントは、練馬のバーサーカーを含めて6騎。まるで本来の聖杯戦争のように、クラスの重複なく英霊の召喚が行われている。
そしてこの夜が明けた頃、東北地方の山村において1体のサーヴァントが召喚されることで、この一連の異変に関連した7騎が出揃った。
日本政府の預かり知らぬ場所で召喚された最後の一騎は、ライダー・悪路王。
召喚直後、彼の赤々とした瞳はまっすぐに東京の方角を見つめていた。そこに明らかな憎悪の色を湛えながら。