彼女の細い髪からは煙草のにおいがした。
風が吹いた。
風が細かい髪を揺らして、私にかおりを運んだ。いや、臭い。
思わず振り返り、彼女を見た。
いつもと変わりない顔。ふとした瞬間に見るといつもすました顔をしている。誰かに見られている心配もしないのか、彼女はその瞬間別人みたいになる。
「──霊夢」
私を呼んだ彼女の表情は少し力が入って、ほんのりと笑みを浮かべていた。嬉しそうに笑っているのが、嘘か本当かも分からない。
「……あ」
目が合った。
「どうしたよ、暑さでイカれたか」
「……そうかもね」
彼女は鼻で笑うとマジかよ、と言った。
私は笑われたことよりもさっき嗅いだ臭いのことの方が気になっていた。身近なものではないけれど、どうしようもなく気になる臭いだった。
ちらりと彼女を見る。
「あんた、なんかしてる?」
彼女が私をじっと見た。
あの顔。ふとした瞬間に見るあのすました顔。多分、彼女は私が思っている程幸せでもないのかもしれないし、本当に笑った顔も何回見られたかなんて分からない。
その顔で正面から見られるのは初めてではなかった。言える、と思った。
深呼吸をする。
「例えば──煙草、とかさ」
彼女は笑った。
「臭いがしたか?」
「うん」
「……参ったな。消したつもりだったのに」
「やっぱり」
また風が吹いて、彼女の細い髪を揺らした。今度は煙草のあの臭いに混じって微かに香水の香りがした。打ち消すにはちょうどよいくらいの香り。
サッと新たな考えが浮かんだ。
「私と会ってた時は?吸ってたの」
彼女は私の様子を見てクスクスと笑った。彼女が悪戯に微笑んだのを見て、冷静になる。
私はなにを思って、彼女が、魔理沙なら私といる時はなにも変わりなどしないと確信していたのだろう。時間は過ぎていく。人も変わっていく。誰かに期待しても、私だって変わってしまうのに。
なのに、なぜだろう。
「いいや、霊夢と会う時に吸ったことは一度も……今日を除いて。ごめん、我慢出来なかった」
「我慢出来ないんじゃない」
私は、どんな顔を、しているんだろう。
「これでも我慢してるさ」
「変わらないわ」
魔理沙から目を逸らした。
魔理沙が動揺しているのが分かったからだ。謝っている。自分の行動を私の正しさの規定に合わせている。
変わらないの?私と。
「……変わらないか?もう、だめか」
「……臭いがするの。嫌な臭いよ」
「これでも我慢してるんだ」
振り絞るような声を聞いて、私は振り返った。
魔理沙はあの顔のままだった。もしかしたら、苦しそうな顔をしているんじゃないかと思った。でも、魔理沙はあのすましたようで寂しそうな顔のままだった。
「初めて吸ったのはキセルだったんだ。家を出てくる前に親父から盗んだ」
な、最近のことだろう、と魔理沙は付け加える。確かに最近のことだった。
魔理沙は少しずつだが家出の準備を始めていたし、何度も里の外にも行っていた。二ヶ月前についに家出をして、勘当までされた。想像する。荷物をまとめた魔理沙が、魔理沙のお父さんのキセルの前で立ち尽くす。想像できる。
「親父の真似をしたつもりだったんだ。でも、上手くふかすことさえ出来なかった」
なぜ魔理沙がお父さんのキセルを盗んだのか。
分かる気がする。いつもお父さんがふかしていたキセル。嫌な臭いがしていた。煙は部屋中に広がって、どんなに嫌な臭いがするか。いつもお父さんからはその臭いがしていたに違いない。
「今は」
私の言葉に魔理沙が私を見る。
「今はやめらんないよ」
笑った。
「我慢出来ない」
あの日。魔理沙が里を出ていった日。
私は魔理沙が家に選んだという魔法の森の空き家へ出掛けていった。なんと声を掛けていいのかも分からないまま。
魔理沙は家の前に座ってキセルを手にしていた。
「もうしない。だから軽蔑しないでくれ……里の子だって」
魔理沙はポケットから小さな箱を取り出すと私に投げた。受け取ったそれには数本の煙草が入っていた。人里では煙草よりキセルが主流で滅多にない。これはきっと、魔理沙が自分で調合したに違いない。
「……軽蔑なんて」
「お前が言うことなんて誰が信じるか」
なにも、言えなかった。
言葉の衝撃が大きすぎて、耐えられなかった。
「じゃあな、
彼女は笑っていた。なにも言えない私に手を振って、魔理沙が居なくなる。
肩の力が抜けなかった。“巫女様”という言葉は人里の人間が私を呼ぶ時の言葉だ。たまに“人里の人間”としか呼ばれないあの人たちを不幸に思ってしまう。
お話の中の背景にしかなることがない人。
──不幸ね、あんたも。
「軽蔑なんて……」
私は手の中にある煙草ケースを見た。
まだ数本残っている。
魔理沙がキセルを盗んだのも、ふかしてみたのも、私は最初から分かる気がした。だから私もやってみたい、火を点けてみたいと思った。
火を点ける。
あの子のにおいがする。