尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~   作:丸焼きどらごん

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13,白羊宮

 アイオロスは想定外の事態に少々狼狽えたが、もとより彼は後々まで女神に情報を秘匿し、謀るような真似をする事には難色を示していた。そのため早々に情報を話す機会に恵まれたことは、幸いと言えるだろう。

 

 それにこれはチャンスではないか、とも考えた。

 何がチャンスなのかといえば、リュサンドロスに万が一にもアテナを裏切ることが無いように。……少なくとも今後息子と妻を天秤にかけるような事があっても、躊躇が生まれるようにするための。

 

 それもあって、自分は女神に求められても「沙織ちゃん」とは呼ばなかった。

 恐れ多く思う気持ちはあるが、アイオロスは同時に赤子の頃から知る故にそれこそ親のような庇護欲をアテナ、城戸沙織に向けている自覚もある。そのため呼ぼうと思えば彼は女神の事を"沙織ちゃん"と呼べなくもなかったが、「自分だけが沙織ちゃんと呼んだ」という事実をリュサンドロスに強く印象付けたかったのだ。そのことがきっかけで、何か特別な感情が芽生えるのではないか。それをアイオロスは期待したのである。

 

 具体的には、自分みたいに親が子に向けるような感情が芽生えたらよい。

 リュサンドロスは実の息子にとても弱いのだ。だから女神に対しても、娘のように思う感情が育てばあるいは。……本当に万が一、彼の都合で彼が女神を害する必要が出てきた時。止まってくれるかもしれない。

 

 ……長年、志を同じくして共にここまで駆けてきた友だ。できればその相手を殺すような事態にはなってほしくない。

 その可能性を極力少なくするためにも、今後も機会があれば積極的にリュサンドロスとアテナ沙織の疑似親子関係を深めさせよう。アイオロスは、ひっそりとそんな決意をしていた

 

 自分の考え過ぎならばそれでよいが、楽観的に考え過ぎて友と女神、両方を失うなどごめんだ。策略とも言えないささやかな誘導くらい、罪にはなるまい。

 

 

 

 

 

 しかし絆を深めさせようにも、現在少々頂けない事態になっている。それが何かといえば……。

 

 

 

 

 

「ふふふっ。星矢達には悪いですが、こういったことは初めてなのでちょっとワクワクしてしまいますね!」

「アイオロス、リューゼ。これはどういうことですか?」

「は、はは……」

「その……すまん」

 

 星矢達が第一の宮、白羊宮にて。修復師であるムウにこれまでの戦いで傷ついた聖衣を修復してもらったのち、通過したその後……。彼らはやってきた。

 その彼ら、リュサンドロスとアイオロスは、アイオロスのサングラスとリュサンドロスのトレンチコートで変装らしきものをした城戸沙織にそれぞれ手を繋がれた状態で、ムウに引きつった顔で曖昧な笑みを返した。

 

 ムウは現在ジャミールで面倒を見ている白銀聖闘士と暗黒聖闘士二名の世話を、比較的動ける者と貴鬼にまかせて黄金聖闘士(ゴールドセイント)牡羊座(アリエス)のムウとしてこの場に来ている。黄金聖闘士としてアテナの命運を担った青銅聖闘士達を見守り、その末にこれまで手が出せなかった巨悪がついに討たれるだろうことを考えれば、ムウとて緊張は禁じ得ない。

 だというのに、なぜ現在目の前の三人は仲良し親子のような様でのこのこと現れたのだろうか。それがムウには分からないし、出来れば理解したくない。

 彼らの背後にひょっこりと顔を出した伝説の白銀聖闘士についても聞きたくはあるが、害は無さそうなので今は放っておこう。

 

「安心してください、ムウ。事情は全て聞きました。……こうしてわたしは元気だというのに、星矢達に命をかけさせてしまうのはとても心苦しいです。ですが今後の戦いのためとあらば、今回だけはわたしも目を瞑りましょう。ですが被害を減らすための尽力は、わたし自ら惜しまないつもりです」

 

 女神……城戸沙織はそう言ってどこか浮かれた様子だった少女の顔を、高貴かつ気高い女神のものへと変えて宣った。

 そう言われてしまえば、ムウにはどうする事も出来ない。

 

「……分かりました。ここは何も言わず、通しましょう」

「ムウ、ありがとうございます」

「いえ。……ひとつ伺いたいのですが、偽装は何かしているのですか? 矢に穿たれたはずの女神が消えたとあらば、教皇も黙ってはいませんよ。ただ座して各宮にて黄金聖闘士達に星矢達を迎えさせることなく、階下に戦力を差し向けてくるでしょう。彼の目的は、貴女を亡き者にする事なのですから」

「問題ありません。辰巳を身代わりに置いてきましたから」

「……………………………………………………。ん?」

 

 やや長い沈黙をはさみ、発した疑問符。ムウは今しがた聞いた内容にひっかかりを覚えた。

 はて、辰巳とはだれの事だったか。記憶違いでなければ女神の周囲をちょろちょろしていたハゲがいたはずだが、まさか彼ではあるまい。ムウはうっかりハゲの大男が女装している姿を想像してしまい「やれやれ、私の記憶力も衰えましたね。……きっと別の人間でしょう」と、その可能性を否定した。が、すぐにその否定は否定されることになる。

 

「女神。あのハ……ゴホン。剃髪の大柄男性に女装させるなど、あれで本当によかったのでしょうか?」

 

 ハゲの大男の事だったらしい。ムウは軽く頭痛を覚え額を押さえた。

 

「あ、女神(アテナ)よ。オルフェの言う通りやはりいくら変装させたからといって、辰巳殿に身代わりをさせるのは無理があったのでは? 危険を承知で引き受けてくれた彼の心意気はあっぱれですが……その、せめて魔鈴に頼むべきだったのでは、ないかと……」

「それでは彼女が自由に動けなくなってしまいます。彼女には邪武たちが来るまでの間、辰巳を雑兵から守ってもらわなくては。……心配ありませんよ、アイオロス。辰巳はこれまで最もわたしのそば近くで仕えてきてくれた人間です。立派にわたしを、城戸沙織を演じきってくれるでしょう」

 

 ごく真面目な顔で宣う女神に、ムウは「これも女神のご判断だ」と納得することに決めた。言いたいことは色々あるが、きっとそれは目の前の三人が散々言ったのだろう。そして、その結果が今この場に居る女神ならば……ムウに言える事は無い。

 それにムウには、先ほどの会話の中でより優先して聞かなければならない事があった。

 

 ムウはテレパシーで胃のあたりを押さえているリュサンドロスに問いかけた。

 

 

『"事情は全て"の、事情とはどこまで?』

 

 リュサンドロスはビクッと肩を跳ねさせたあと、先ほど以上の引きつり笑いで肩をすぼめると、体の前で小さく丸を描いた。

 

『ムウ殿、すまない。……まるっと、全部だ』

 

 ムウの頭痛が、少しだけ増した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、白羊宮のすぐ下……闘技場にて。

 

 

「こ、この辰巳徳丸! 全力をもってお嬢様を演じさせていただきますぞー! なに、幼少のみぎりよりずっとそばで見守り、過ごしてきたのは俺なのだ。完璧に清楚で美しいお嬢様を演じきってみせてや……やるわぁン!」

 

 美しい亜麻色の髪の毛……のカツラと、まさに神話の女神が纏うにふさわしき純白のチュニックを身に着けた一人の男、辰巳徳丸三十二歳が全力で十三歳の少女を演じようとしていた。

 

「だったらまず喋るんじゃないよ! あとその気味の悪い裏声は、今後一切聞かせないでちょうだい」

「お、おうすまんな。……でも気色悪いか? 案外いい線行ってたと思うんだがなぁ……。いや、お嬢様の鈴が転がるような可憐な声には遠く及ばないのは分かっているが」

(なんで私がこんな奴の護衛を……。他の青銅(ブロンズ)共、来るんだったらさっさと来な!)

 

 漢、辰巳徳丸。彼は自分が敬愛する城戸光政翁の孫娘……城戸沙織お嬢様を守るために、いざとなれば影武者も辞さない覚悟をしていた。しかしその影武者用に準備していた特注サイズのチュニックとお嬢様カツラが、本当に日の目を見るとは思いもしなかったのも事実。

 そんな彼は現在、偽物の矢を胸にくっつけて矢に撃たれた城戸沙織として地面に横たわっていた。

 

 ……少々、この姿に妙な胸の高鳴りを感じているのは辰巳だけの秘密である。

 

 

 

 そして魔鈴は辰巳を守るべく護衛として残っていたが、それも邪武をはじめとした銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)で戦っていた他の青銅聖闘士が来るまでの間だ。

 アテナ沙織いわく、彼らは銀河戦争後……自らの修業地へ戻り、再び修業を積んでいるのだという。きっともうすぐ成長し強くなった彼らが駆けつけてくれるだろうと、沙織は信頼のこもった瞳で言っていた。

 

 

 しかしせっかく修業し直して駆けつけても、守るのはお嬢様ではなくお嬢様のコスプレをした辰巳である。

 

 

 魔鈴はほんの少し、後から来る青銅聖闘士達が不憫になった。

 

 

(シャイナにも話を通しておかなくちゃね……)

 

 シャイナは日本でアイオリアの拳を受けた後、そのアイオリア本人によって連れ帰られ現在療養中だ。弟子のカシオスが涙ぐましくも徹夜で看病を続け、遠目にだが大分回復した様子である。

 ……そしておそらく、彼女はカシオスによってアイオリアの事を聞かされるだろう。

 

(教皇め……。いや、双子座のサガ! 相手の精神をいじくる技なんて、やってくれるじゃないか)

 

 現在アイオリアはサガの放った相手の脳を支配するという伝説の魔拳、幻朧魔皇拳(げんろうまおうけん)によって精神支配を受けている。聖域に帰還し潜伏していた魔鈴もそれを知っているし、みすみすアイオリアが支配される場面を見送ってしまった事に歯噛みした。だからこそ早く自身も十二宮へと向かいたいのだが、その前にシャイナにある程度事情を話しておかねば彼女が無茶しかねない。

 なにせ、シャイナは星矢に惚れているのだ。その星矢が戦意の塊、悪鬼と化した黄金聖闘士の前に行くとなれば黙ってはいまい。怪我を押してでも、星矢を守ろうと動くはず。

 そのためリューゼからも、彼女に事情を話しておいてくれと頼まれている。

 

 ―――――― 私たちに任せてくれ。絶対に誰も死なせない。

 

 十二宮を上る直前に、リューゼが言った言葉がリフレインされる。

 

 

(本当に、頼むよ。アイオリアに誰も殺させないでおくれ)

 

 

 

 

 

 

 

 火時計の、一番目の火が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

「クククク……。女神の命も、あと十一時間。それまでに青銅ごときが、果たしてこの教皇の間にたどり着けるかな?」

 

 十二宮を抜けた先、アテナ神殿の前にある教皇の間にて。イスに深く腰掛けた男は、仮面の下でほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに火時計を消したのは白銀聖闘士、ケフェウス星座のダイダロス。

 手動である。

 

「ひっきし! くっ、瞬たちが頑張っているというのにクシャミなど情けない……! おっと、タイマーを一時間後にセットしなければ。怪しまれぬためにも、正確な時間に消さなければならぬからな……」

 

 

 

 偽教皇サガ。

 偽物の女神に、未だ気付かず。

 

 

 




火時計、一つずつ灯る方式ではなくついた火が一時間ごとに消えていく方式だったので修正しました。普通に間違えて覚えていた……(恥

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