得意技は殴打、必殺技も殴打【リメイク前】 作:アッパーカット
1 プロローグ
「……おお?」
その出会いは偶然だった。
“見棄てられた領域”第五階層──ろくに整備もされていない路を大量の魔鉱石を背負ってのこのこと歩いていた少年・クロウは、横合いの藪から飛び出てきた少女に目を見張った。
この階層で初めて他人を見たというのがその理由の一つ。そしてもう一つクロウが目を引かれた理由は、少女そのものにある。
空中に広がる金糸の髪は繊細に宙を舞い、光を織った滝のようだ。身に纏う紅のコートはきめ細やかな刺繍が施されて、一目で上等なものだと見て取れる。
迷宮の中でも最も治安の悪いゴミ溜めのような街に住まうクロウには、二度と目にすることもないかもしれないような代物だ。
だがクロウの目を惹きつけたものは、そんな些細にしてどうでもいい少女の身なりなどではなかった。──少女の見せる、あまりにも不敵な表情。それこそがクロウを惹きつけた。
それは少女の持つどことない上品さや華奢な体つきにはひどく不釣り合いな、まるで獰猛な野生の獣が牙を剥くような、そんな表情だった。
そして数瞬後、十数メートル先に少女の後を追ってきたのだろう、少女の身の丈をはるかに越える巨大な魔獣──四足型のそれが木々を折り飛ばし蹴倒しながら森から飛び出し、地面を揺らしながら着地する。
少女に向かい合って唸り、二、三度蹄で地を掻いた魔獣は、ひときわ大きくいななくと、怒涛の勢いでこちらへと突進してきた。
少女は早口で詠唱する。少女の全身を淡い燐光が覆い、急激に冷やされた空気からはパキパキと音が鳴る。
氷を幾重にも織って目の前に現出した巨大な槍……クロウの胴体よりも太いそれを中空に掲げて、少女は叫ぶ。
「氷華・大葬槍ッ!」
少女の手の動きとともに前へと打ち出された大質量のそれは魔獣の加速度とも相まって、恐ろしい衝突音を立てた。
湾曲し、突き出した魔獣の巨大な牙に砕かれた氷の大槍は砕け、しかしその破片は何十もの槍へと形を変え、剣山のように魔獣へと突き刺さる。
「……氷華・冷血!」
少女が一瞬のうちに魔法を構築する。魔獣の肉体に突き刺さった氷槍が鈍く輝き、魔獣がビクンと大きく身を震わせ、動きを停止する。少女の氷槍を触媒とした氷魔法により、突き破った皮膚の下に存在する血管を通じて、体内に冷気を直接送り込まれているのだ。
だが次の瞬間、咆哮が轟く。空間の空気全てを震わせ、弾き飛ばすようなその咆哮により、少女の魔法は破られた。魔獣の行動はどこまでも単純──怒りに肉体を任せ、憤激する。
それによる筋肉の収縮で氷槍を砕いた。……魔獣としての圧倒的な身体スペックが、その冗談じみた力技での魔法破りを可能とする。
猛り、嘶き、目を濁らせてこちらへと突進する魔獣。少女はいくつもの魔法を並列展開し、矢継ぎ早に魔獣へと投げつける。
それらは足止めとして機能するが、しかしほとんどは分厚い毛皮に阻まれて、有効打とは言い難い。
少女は小さく舌打ちをした。
数分が経過しても戦いは拮抗していた。少女が魔獣へと初撃で負わせた傷は致命傷ではないにせよ、小さくはない。初撃と同クラスの魔法で魔獣を削っていくことができれば、時間はかかるが勝利を手にすることができるはずだ。
だが、それは必ずしも少女の有利を意味しない。魔獣は魔獣で少女の間断ない魔法により足止めされてはいるが、その巨大な牙を常に少女へと向けている。直撃すれば、それは容易く少女の柔肉を貫通し、致命の一撃となる。
少女の背後でその戦いをぼうっと眺めていたクロウは、なかなか戦いが終わりそうになかったので少女に話しかけてみた。
「すまないが、いいか」
「氷華──ッ!? ……人!? こんなところに!?」
「こんなところとは失礼な。ここはおれの仕事場の近くだぞ。ところで通ってもいいか?」
クロウの言葉に一瞬、少女はぽかんと口を半開きにして疑問符を浮かべる。それは張り詰めた弦が一瞬だけ緩んでふと柔らかい音を響かせるような、年相応の幼さを伺わせる表情だった。そして次の瞬間、魔獣に視線を戻した少女は慌てた口調で叫ぶ。
「……見ろよ! 今、戦ってるだろ!?」
「そうだな。大変そうだ」
今もいくつもの魔法を並列起動して手当たり次第魔獣に投げつけている少女は、イラッとした表情でクロウを見た。あどけない造りの顔であるのに、その表情には迫力がある。
クロウは弁解するように提案した。
「おれは別に、早く倒せと言っているんじゃない。通ってもいいか、と聞いているんだ。戦っているのを邪魔はしたくないからな」
「構わないが! だけどなぁ……っ!」
少女は短縮詠唱で創り出した氷柱で四方から同時に魔獣を打ち据えるも、サイズからして人間の何倍にもなるその魔獣には負傷を刻んだとしても決定打にならない。まだまだ決着には時間がかかりそうだった。
しかし当のクロウはそれに答えず、背に負っている巨大なカゴを下ろしてガサガサと探る。
取り出した手には、精錬する前の魔鉱石──控えめに言っても言わずとも、見た目上はやや黒っぽいだけのただの岩を持っていた。
「……それをどうする?」
クロウの手に持つそれをちらと見た少女の声には不信感が露わとなっている。見るからにみすぼらしいこの少年が、この取り出した石の塊をどうするのか。
その視線に頓着せずにクロウは魔鉱石を持ち上げ、宙へと放り──
「こうだ」
「ッ!?」
軋んだそれは、ごうと風を伴って尋常ならざる勢いで飛翔する。空間を散らばっていた破砕氷の粒をさらに細かく砕きながら、弾丸のような勢いで魔獣の片目に衝突した。破られた魔獣の角膜からは血煙が上がり、魔獣は頭部を僅かに仰け反らせる。
「……うむ」
クロウは頷いた。
魔鉱石を失うのは惜しいといえば惜しかったが、あのサイズでは結局、大した金額にはならない。それよりは、時間通りに魔鉱石を納入する方がクロウにとっては大事だった。これでもクロウは、仕事に関してはそれなりに真面目なのだ。
「じゃあ、頑張ってな」
絶句する少女にクロウはそう言って、魔獣に向かってのこのこと歩く。片目を奪われて狂乱する魔獣の動きは激しいが、しかしまるで柔軟性が無い。隣を通り抜けるクロウにも気付かず暴れるだけの、鈍重な動くオブジェに過ぎなかった。
クロウはそのままねぐらのある階層へと戻り、予定通りに魔鉱石を換金し、肉をたっぷりと食って寝た。ねぐらのボロ布に身を横たえて意識を手放す寸前、クロウは何故か、黄金と紅の少女の獰猛な笑みを思い出す。
思い出すと妙に目が冴えて眠れない。……なぜだろうか。あの少女のどこが気になるのか。クロウはそう自問して、答えを出した。
「そうだ。なんだか、楽しく生きてそうな顔だったな」
うむ、とクロウは頷く。人生、楽しいに越したことはない。クロウはなんの解答にもなっていないそんなことを思って、今度は一瞬で意識を手放した。
そして二日後、街をぶらついていたクロウは、この階層に住む人口の10分の9ほどの割合で存在するチンピラどもに絡まれている少女を見つけた。
面倒臭そうな表情をしていた少女は、しかしふと顔を上げてクロウを視界に入れると微笑んだ。その笑みはやはり、牙を剥く猛獣のような印象を与えた。
二度目の出会いは偶然ではなく、必然のようだった。