得意技は殴打、必殺技も殴打【リメイク前】 作:アッパーカット
──場面は数分前に遡る。
◇◇◇
「……あれ、どう見てもこの階層のボスですよね」
「ああ。そんな感じに見えるな」
「なんで勝手にボス部屋から出てきてるんでしょうか」
「狭かったんじゃないか」
「そんな気ままな感じで出現していいものではないでしょうボスって……!」
「怒られても困る。おれのせいじゃないぞ」
「私のせいでもないですよ」
木から降りたクロウとミューはそんな軽口を叩いていた。だがそこで会話が途切れ、クロウもミューも階王種に目を向けざるを得ない。
ちなみにもう一人、クーはひしっとクロウの背にしがみつき、絶対に離れない構えで怯えていた。その様子を見るに、どうやらクーの場合、単純に魔物としての野生的な鋭敏さを失ってしまったがために、階王種の出現に気づけなかっただけのようである。……吠えない番犬に意味はあるのだろうか。
それはともかくとして敵の観察に戻ると、階王種の身の丈はクロウの十倍……は無いにしても、軽く六、七倍はある。そしてその身長と比較しても腕や脚は太く、胸板が厚い。身体を覆う銀色の体毛を別にすれば、それはまるで……
「……ゴリラというか、コングというか」
「なんだそれは」
「見た目が似た動物ですよ。もっとも、背丈が全然違いますけれど」
「そうか。どうする?」
「逃げの一手です。流石にアレは、戦っていい相手じゃありません」
「うむ、おれもそう思う。だけどな……あれ、こっちに向かってないか?」
う、とミューは言葉に詰まる。クロウの言葉通り、階層獣は周囲を破壊しながら移動し、時折明後日の方向へ足を進めようとするも、しかし着実にこちらへ向かってきていた。
「今のうちに隠れますよ! まだ見つかっていない今なら……!」
「逃げるのは無理だと思うぞ」
「……え?」
その妙に冷静な言葉に、ミューは言葉を無くした。
クロウは淡々と言葉を続ける。
「なんとなくな、あいつは怒ってるみたいに見える。おれたちを探している。仲間をたくさん殺したから、その復讐なんじゃないか。だから、逃げてもいつか見つかりそうだ」
「復讐……クロウさんがこれまでに狩ってきた魔物のですか!? いえ……そもそも階層獣は普通、ボス部屋から出てくることのない魔物で……!」
「でも出てきたんだ。なら、なにか理由があると思うんだが」
「……!」
ミューは口ごもり、そして同時に思い出す。
階層獣は極稀に、ボス部屋から外へと侵攻してくることがあるという。それは、探索者たちが一つの階層にあまりにも多く流入したときに発生する現象であると言われている。……この階層にはクロウとミューとクーしかいない。故にミューは、それを聞いても自分たちには当てはまらないことだと思い、楽観視していた。
──けれど、本当にそうだろうか? 例えば階層獣がボス部屋から出てくる条件が、階層に侵入していた探索者の数ではなく、その行動の結果によるものであれば──?
「……多数の探索者が存在するということは多数の魔獣が狩られるということで……侵入者の数ではなく、狩られた魔物の数に反応して出てくる、ということですか!?」
「なんだかわからないが、そんな気がするな」
クロウの返事はともかく、それは十分にあり得ることのように思えた。
ミューはクロウの客観的な実力を知っている。それが図抜けた、まさに一騎当千とでも言うべきものであることを。並みの探索者数百人の働きを一人で凌駕しうる、規格外であることを。
……ならば仮にクロウが言うような“復讐”によるものではなくとも、あの階層獣は確かに、自分たちを見つけ出すまで止まらないかもしれない。その目的は少なくとも、生じた不均衡を正すこと……魔物の急激な減少の原因を取り除くことなのだから。
つまり、ただ逃げることに意味は無い。故に今、取るべき行動は──。
「転移です」「転移だ」
ミューの声とクロウの声が重なった。ミューはこちらをやや引き締まった表情でこちらを見るクロウに確認を取る。
「すぐに転移します。行き先が多少危険だろうと、あのどう見ても強いゴリラと戦うより何倍もマシです。準備が整い次第、すぐに転移を。──いいですね?」
「おれもそう思う。だけどなミュー、転移って結構時間がかかるんじゃないのか」
「それは……」
ミューは必要な時間を考える。魔石を配置する時間、魔法陣を描く時間……転移は大魔法だ。それなりの準備を行わなければ、そもそも発動すらしない。
──どう考えても時間が足りない。あの階層獣がこちらに辿り着いて蹂躙にかかる方が早いに決まっている。
しかも魔法陣を描くにはそれなりのスペースがいる。見つからないはずがない。
「おれが行ってくる」
前へと踏み出す音がした。
慌てて顔を上げると、クロウは背中にしがみついていたクーを引き剥がし、ゴキゴキと肩を回しながら、歩き出そうとしていた。
「……な、何を考えているのですか!?」
「だって、時間がないなら稼ぐしかないだろう」
「論外です!」
ミューはクロウの前に回り込んで道を塞いだ。
「クロウさんが死ぬかもしれないことを私が許せると思っているのですか!? ……いいですか、私の存在はマスターであるクロウさんあってのものです。クロウさんの存在は私にとって、世界の全てに優先します。……確かに危機的状況です。けれどそれをマスター自身の身を危険に晒すことで解決するなんて、選択肢にすらあり得ません!」
「おれはずっと戦ってきたぞ」
「獲物の狩りと、敵との戦いは違います! ……その違いを、クロウさんは私よりもよく理解しているでしょう?」
「そうだな」
クロウは構わずミューに近づき、ミューの目の前で止まった。
「……通しませんよ」
「おれは行く、と言っているんだ」
「正直なことを言いましょう。おそらくクロウさん一人でしたら、あの階王種から逃れ続けることは難しくないはずです。……仮に私やクーちゃんという足手纏いがいなければ、という話ですが。違いますか?」
「そうだな。逃げることはできると思う。けど、どう考えてもあいつはおれを追いかける前に、お前たちを踏み潰したがるような気がしてならない」
「ですから最悪、それでいいのだと……!」
「そうか。でもな、おれは嫌なんだ」
クロウはミューに手を伸ばす。改めて見てみれば、ミューの身長は自分よりも低い。そのまま、その黒絹のような髪を触ってみる。
「な、何を……」
「最近わかったんだけどな……おれは意外と、働くのが嫌いじゃないんだ。ここに来てから知ったんだ。おれが拳を振るうことに意味があるなんて、おれはいままで知らなかった」
「……はい?」
「つまりな、ミュー。そういうことだ」
クロウはミューの頭を触るのをやめて、するりと横を抜けて前へ進む。
そして小声で呟いた。
「……おれは、おれのためには命を賭けたことなんてないんだけどな」
たったの二度……それが、クロウが自分よりも強いと分かりきっている相手に挑んだ回数だ。一度は一ヶ月前にエウーリアと、そして二度目は今。今回はクロウが単独で立ち向かわなければならない。しかし──クロウの進む足取りは、思いのほか軽かった。
「うむ。……悪くない」
◇◇◇
そして──現在。
「でかいな、お前」
感心して発せられたクロウの声には返答される様子が無い。……それも当然、相手は獣だ。もっともただの獣ではなく、『その階層における最強種としてデザインされた魔獣である』という点で数多の有象無象と圧倒的に一線を画してはいたが。
クロウを視認した階層種は雄叫びをあげる。
咆哮はビリビリと大気を叩きつけ、物理的な圧すら伴う。
「……っ!」
巻き上げられた土埃を突き破り出現した巨影が地を蹴り、コマ飛びしたかのようにクロウの眼前へと……否、頭上へと迫る。
──巨体の割に、速い。
目の前に迫る強大な肉塊は恐ろしい速度と質量を伴い、狂った距離感は空気すらも歪めるようだ。
クロウはミシミシと音がなりそうなほどに固く握り締めたその拳を、突進の勢いそのままにこちらへと突き出されるその巨大な拳に真正面から打ち付ける。
衝突、轟音。
巨大な二つの暴力の接触が、その衝突面より爆風を生む。──それが、戦いの始まりを告げる狼煙だった。