得意技は殴打、必殺技も殴打【リメイク前】 作:アッパーカット
「ッ! 何ですか!?」
突如として階層全体に鳴り響いた不協和音。そしてそれに続く、何かと何かがぶつかる巨大な衝突音。転移陣を構成し終えた直後のミューは、その音にとっさに振り向く。そして──目を見開いた。
「クーちゃん! 受け止めてください!」
「……!」
……それは冗談のような光景だった。宙を舞う人影。それは木々の頂に幾度も叩きつけられ、しかし勢いを衰えずこちらに向けて飛んでくる。見間違えようもはずもなく、それはマスターであるクロウの姿だった。
ミューの叫び声に、クーがミミック本来の影色の不定形を取る。そして背後の“扉”へ激突しようとしていたクロウを空中で抱きとめ、ミューの眼前まで運んできた。
「クロウさん! クロウさん!?」
反応は無かった。クロウは完全に意識を失い、身体の各部には裂傷を負っている。目にも露わな骨折は無いようだったが、口から吐いた血を見れば内臓を痛めていておかしくない。
「〜〜〜〜っ!」
俯瞰するかのように、ミューは自分の動揺を客観視した。
──いつの間に。いつの間に自分は、クロウを無敵だと勘違いしていたのか。
そこには確かに、無意識の錯誤が存在していた。クロウならば……数多の魔物を苦もなく屠るクロウならば、怪我すらもなくどんな強敵も打ち砕くのではないか。あの階王種を相手にしてすら、自分たちが足手纏いにならなければ十分に渡り合えるのではないか。
──そんなわけがないのに。
クロウは強い。ミューの知る誰より、クロウは強い。だが限界が存在することも事実だ。
だというのにミューは、最悪の場合クロウだけでもこの厄災をやり過ごせると安心し、無意識のうちにクロウの強さに甘えてしまっていた。
……その結果が現状だった。クロウは致命に至りかねない傷を負っている。ミューたちのために化け物を足止めし、その結果として死にかけている。
「あ、あ……!」
その光景を認識するやいなや、ミューの行動と存在意義の矛盾が荒れ狂う。
──本来ならば身を呈してもクロウを止めるべきだった。後から恨まれてもいい。どう罵られてもいい。それでもクロウが生き残ることだけがミューにとっての勝利だったはずだ。
だというのに自分はのうのうと動き、クロウはボロ雑巾のようになっている。それは、ミューという存在の基盤すら揺るがしかねない衝撃だった。
あの時──クロウがこの階層に閉じ込められたとわかった時にも、似た後悔をしたのではなかったか。そしてこの先の働きで失敗を取り返そうと思ったはずだ。
だというのに、また過ちを繰り返したのか──!
ミューは混乱の極みにあった。思考がぐちゃぐちゃともつれ、怯えた声を出す。
どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればクロウに償える? どうすれば自分の過ちを無かったことにできる? どうすれば自分は正しく──……!
そこでミューの思考は、唐突に途切れた。
──違う。違う、違う違う……!
そうじゃない。そうではない。
大切なことは
記憶が──この階層に転移してきてからの僅かな期間の、だが濃密な、クロウと過ごした記憶が河のように流れ、氾濫する。
別にいい思い出ばかりではない。クロウには随分と迷惑をかけられたし、ついて行くだけでも苦労したし、未だに理解できない部分もある。
けれど──その記憶の中でクロウの隣にいるのは、紛れも無い自分自身だった。生きた道具でもなく、敢えて言うなればメイドですらなく……己が、ミューがそこに居た。
──
それは一種の目醒めだった。……ミューを動かすものは、その身にもとより宿る存在意義だ。
言ってしまえばクロウに付き従うのはミューの本能によるものであり、ミューが何かをどうにかしたいから、クロウと一緒にいるわけではない──はずだ。そのはずだった。
──だが今、ミューはそれを世迷い言と断じる。
自分の存在意義? ……笑わせる、そんなことに悩むことが今の一瞬一秒よりも大切だろうか? 従者として失敗したという事実が、クロウが死にかけているという現実よりも重要だろうか?
……否。もちろん否だ。
今を切り抜けることを妨げるならば、己の在り方も存在意義も全て、ただの枷だ。
そして──枷とは、打ち破るものに過ぎない。
「──クロウさんを治療、意識が戻り次第転移します!」
おろおろとしているクーに向けて、言葉は自然と放たれた。
自分が何であるかとか、どうあるべきかとか。
そんなものは今のミューにとって、不純物でしかなかった。今できる最善を尽くすだけだ。
怯えはいらないし戸惑いはくだらない。
今はただ、クロウが目を開けてくれないという事実だけが酷く恐ろしいのだから──!
◇◇◇
クロウを治療する傍ら、ミューはじりじりとしながら周囲に広がる森を見ていた。
ミューの転移魔法はマスターの意識がなければ行えない。その意味でも、クロウの治療が優先だ。……敵がここに到達するまでに、間に合わせなければならない。
使えるのはメイドとして備える基本の治療魔法と、折に触れて集めていた薬草だけだ。基本的に日常の怪我を治すことを前提としているミューの治療魔法は効果が低い。
魔法陣を描く場所と時間、魔力があれば再生魔法の使用も可能ではあったが、その全ての条件が満たされていなかった。
治療魔法をかけながらクロウを揺する。だがクロウは一向に目を覚まそうとしない。と、その時──巨大な物体が地を踏みしめる音がした。
「……やはり、追ってきましたか──!」
それは当然、階王種だった。クロウを一撃で数百メートルも吹き飛ばしただけでは満足せず、その息の根を止めるために執念深く追ってきたのだ。
巨体が草木をへし折りながら、ミューが転移魔法陣を描いた“扉”の近くから数十メートルまで迫る。ミューはその気圧されそうなプレッシャーを感じながらクロウの治療を続けるが……
「……近づいて、こない?」
階王種は明らかにクロウの姿を視認しているというのに、それ以上に近寄って来ようとしなかった。周囲に陣取り、時折苛立ったように地を殴りつける。
その様子からミューは、あることに気づいた。
「いえ……近づいて来れないのですか!」
原因は一つ……“扉”しか考えられない。“扉”の周囲にはそもそも、クーのような従魔は例外として、魔物が近寄ろうとしない。
それは魔物が勢い余って“扉”を破壊しないようにという意図なのだとミューは考えていたが、それが階層の主たる階王種にまで適用されるというのは意外であり、同時に嬉しい誤算だった。
このままならクロウが目を覚ますまで時間を稼ぐことができる──ミューがそう考えたのも無理からぬこと。……しかしそれが間違いであるということを、ミューは数分後に思い知らされることになる。
◇◇◇
「クーちゃん、あちらもお願いします!」
「!」
既に“扉”の周囲は、数百匹の魔獣に取り囲まれていた。階王種が足をふみならすたび、土がボコボコと音を立てて歪な獣を形成し、その数はさらに増えてゆく。
狡猾な敵が、黙ってクロウの回復を見過ごすはずが無かったのだ。階王種はクロウが“扉”の側にとどまると理解するやいなや、魔物を召喚し始めた。足をふみ鳴らすたびに一匹、その数は際限なく増えていく。
厄介なのは、こうして召喚された魔獣は“扉”に近づくことができるらしいことだった。
……否、召喚の様子を見るにそもそも本当に魔獣であるかすら疑わしい。魔力で動く泥の人形──造形の正確さを除けば、そう表現するのが正しい存在なのかもしれなかった。
今もまた、群れを成す魔獣たちはクロウを目指して接近してくる。
「……!」
それを追い払うのはクーの役目だった。……とはいってもそこは弱小魔物たるクーのこと、多少のカラクリがある。
クーは今、クロウの姿を真似ているのだ。階王種も自身でなければクロウには勝利できないと理解しているのか、クロウの姿のクーが近づくだけで魔獣を退かせ、自身の方へと釣り出そうとしてくる。
それ故にクーは戦わずとも、威嚇だけで魔獣を追い払うことができていたのだが……限界が近かった。
「……! ……!!」
「持ちこたえてください、あと少し……!」
──単純な、数。
クーには魔獣を倒すことはできず、魔獣の総数は巨大な足が踏み鳴らされるたびに着実に増えていた。
今では百をはるかに超えるその数は追い払うだけでも容易ではなく、散発的に襲いくる今は何とかなっていても、一度に来られたらひとたまりもない。
そしておそらく──その時は遠くない。
「あと少し、あと少しですから……!」
ミューによるクロウの治療は確かに効果を発揮していた。出血は収まり、未だ傷だらけの身体にはそれでも血の気が戻っている。だが、肝心のクロウの意識が戻らない。
「……これ、で!」
ミューは乾燥させたクセの強い薬草を収納魔法から適当に一掴み混ぜ合わせたものを水に溶き、即席の気付け薬としてクロウに飲ませた。クロウは呻き、薄っすらとその眼を開こうとする。
「……! 起きました! クーちゃん……っ!」
ミューのその言葉に反応してクーが変身を解き、戻ってくるのと、痺れを切らした階王種が吼え、魔物が一斉に侵攻してきたのは全くの同時だった。
ミューはあとは発動だけという段階にまで作り上げていた転移陣を起動させる。辺りには魔石から溢れる燐光が舞い、その光景に一瞬だけ魔獣たちは足を止める。
その隙にクーが自分の胸に飛び込んでくると同時──ミューは転移魔法を発動した。