得意技は殴打、必殺技も殴打【リメイク前】   作:アッパーカット

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24 悪鬼(Ⅰ)

 

 

「……ところでクロウさんは、エウーリアさんが好きなのですか?」

 

 それはつい最近のこと──階王種に襲われる、たったの数日前の夜のことだった。

 狩りはもちろん食事やその他諸々のことも終えて、あとは寝るだけの時間帯。うつらうつらとしているクーの頭を撫でながら柔らかい声で古い唄を歌っていたミューは、ふと思いついたように、寝っ転がって茶をすするクロウに尋ねた。

 クロウは間延びした声で答えた。

 

「どうしたんだ、急に」

「いえ、大したことではないのですが……。そういえばそのあたりの事情をあまりよく知らないなぁと、ふと思い立ちまして」

「そうか」

 

 クロウは少し首を捻って、言う。

 

「うむ。おれはエウーリアを、惚れさせてみたい」

「もちろんクロウさんに、ということですよね?」

「ああ、そうだ」

 

 頷いたクロウに、今度はミューが少し思案顔をして聞く。

 

「……あの。それは、好きとは違うのですか?」

「んん? ……いや、おれはエウーリアのことが好きだぞ」

「ええと。一応聞きますけど、それはこう、いわゆる男女的な意味でということですよね?」

「……うむ? なんて言えばいいんだろうな。おれはエウーリアが、きれいだと思うんだ」

 

 クロウがそう言うと、ミューは脱力したように言った。

 

「……単純すぎてわかりづらいですよね、クロウさんは」

「何がだ?」

「んー……メイドという立場からマスターに向けて言うべきことでも無いような気がしますが……。……でも、言いたいので言いましょうか」

 

 ミューはゆるい口調で言った。

 

「多分ですけれど。クロウさんのエウーリアさんへの気持ちは、少なくともまだ、恋愛感情ではないのですよ」

「ふむ?」

「好意があるのは確かだと思います。けれどきっと、それは少しクロウさんの言うようなこととはニュアンスが違って……ようするにエウーリアさんは、クロウさんにとって『憧れ』なのではないですか?」

「……憧れ」

 

 その言葉を口の中で転がすクロウに、ミューは頷く。

 

「だって『惚れさせたい』ってきっと、『認めてもらいたい』ってことですよね? 無視できない存在になりたい、とかそういう感じの」

「……そうなのか?」

 

 そのクロウの声に、ミューは慌てて首を振る。

 

「あ、いえ。ごめんなさい、なんだかどうでもいいことを口にしちゃって。別にそれで、クロウさんがどうこうという話ではないのです」

「よくわからないが、結局どういうことなんだ」

「えぇと……そうですねぇ」

 

 ミューは多少まごついて、慎重に言葉を口にした。

 

「クロウさんのエウーリアさんへの気持ちがどんなものであれ、悪いものではないと思うのです。誰かを好きになることも憧れの人に追いつきたいと願うことも、どちらも素晴らしい想いだと思いますし」

「ふむ」

「ただ、それを混同するのはよくないと思うのですよ。自分がなにをどうしたいのか、それには正面から向き合うべきかなー、と。……なので結局、私が言いたかったのは……えーと、クロウさんの目的とか野望とか、願望とかを教えてほしい、ということなのでしょうか?」

「なんで疑問形なんだ」

「だって世間話のつもりでしたし。深い考えのある話でもありませんし」

 

 ミューはそんな投げやりなことをのたまい、向き直ってクロウに聞いた。

 

「では、改めて。……クロウさんはこの迷宮という場所で、どんな望みを叶えたいのですか?」

 

 クロウはその問いにじっと考える。

 そしてポツリと口にした。

 

「わからない。けど、そうだな……」

「はい?」

「たぶんおれは、昔には戻りたくないんだ」

「昔……というと、エウーリアさんと会う前ということですか?」

 

 聞くと、珍しくクロウは口ごもった。

 

「……」

「ええと……どういうことかよくわかりませんが、今が好きならそれはそれでいいのでは?」

「……そう、だな」

 

 クロウは頷く。

 ──それは日常のひとかけら。なんてことはない、ある静かな夜のことだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 燐光が収まり、視界が開ける。そこに広がっていた光景に、ミューは──

 

「……〜〜ッ!」

 

 ──叫び出したいのを必死に我慢した。叫んでも何一つ状況は改善しない。……目の前にはまるで変わらない階王種の威容。そして無数の魔物の群れ。

 

 言うまでもない。──転移魔法は、失敗した。

 ミューは迫ってくる魔物たちを睨みつける。転移魔法失敗の原因は、この魔物たちだった。

 転移に失敗した理由は単純──魔力が足りなかった。

 無論、クロウとミューとクーを転移させるだけの魔力は、ギリギリとはいえ足りていた。ミューの描いた魔法陣にも綻びはなく、あとは起動させるだけ……のはずだった。

 

 だが、転移魔法陣に踏み入ってきた無数の魔獣の存在が全てを狂わせた。

 転移魔法においては、人二人を転移させる時の必要魔力が人一人転移させる時の二倍などということはない。使用する魔力の大部分は空間を繋げるために用いられ、転移の人数が多少増えようとも魔力消費はわずかに増えるだけだ。

 

 しかし本来はさほど気にする必要もなかったはずのそれが、今回に限っては最悪の形で影響した。魔法陣に踏み入ってきた魔獣たちは、泥でできた紛い物とはいえ個々が魔力を持つ存在だった。

 故に、それが群れをなして魔法陣に踏み入ってしまっていた時点で、魔力にそれなり以上の余裕がなければ転移など不可能。ましてや今回のようなギリギリの魔力量では、もはや転移は発動すらしなかった。

 

 精神が折れそうになる。何もかもが裏目だ。……ミューは心を奮い立たせ、叫ぶ。

 

「クーちゃん! クロウさんだけはなんとしてでも逃します!」

「……! ……!?」

「迷っている暇はありません! クロウさんにもすぐ起きてもらって──!」

 

 そう言って魔物から目を切り、クロウを見やったミューは硬直した。──そこには、上体を起こしてぼんやりとするクロウの姿があった。……無論、それだけならミューは驚かなかっただろう。

 

 ミューが驚いたのはクロウの眼だった。

 別に具体的に何がどう変化したというわけではない。数が増えているわけでも、瞳の色が変わっているわけでもない。

 けれど。開いているのに何も見ていないその瞳は、もはや感情が希薄などというものですらなく──

 

 ──どう見ても、無機物の眼だった。

 

「ク、クロウさん……?」

 

 呟くと同時──爆発的に舞い散る砂埃とともに目の前の少年の姿が消え失せ、ごうと一陣の風が吹き抜ける。

 

「っ……!?」

 

 ──まさしくそれは、一瞬だった。

 目の前に広がっていた魔物の群れ。数百もの、抗う気すらも根こそぎ刈り取られそうな数の暴力。それが、より巨大な個の暴力に食い荒らされる。

 屠られた魔獣は黒い塵へと還り、その鏖殺を成したものの周囲にまとわりつき、しかし風にさらわれて消えてゆく。──その渦から一人取り残された人影は、ゆらゆらと、奇妙に立っていた。

 

「え……?」

 

 ミューは呆然とする。

 ──なんだ、今のは?

 

 いかにクロウと言えども──否、拳しか攻撃手段を持たないクロウだからこそ、まさしく目に止まらぬほどの並外れた殲滅力など、持っていなかったはずではないのか……?

 

「……ク、クロウさん大丈夫ですか!? 身体はまだ治っては──!」

 

 自失から回復したミューが叫ぶが、しかしその人影は反応しない。魔物の群れの中でゆらゆらと奇妙に立ち尽くすだけだ。

 ──そして次の瞬間、自分たちのそばで無防備に存在している少年の姿に気づいた魔物たちが、唸りをあげ牙を剥き、殺到する。

 

「ッ! 逃げ──」

 

 ミューは言葉を失った。

 ──やはり一瞬だった。今度は注視していたはずの人影の動きは、けれどもミューには追えなかった。爆発的に広がった土煙が晴れると、群がってきていた数十の魔物たちは消え失せて黒い塵に還り、遠巻きに警戒する残りの魔獣と一つの人影だけが残る。

 人影はやはりゆらゆらと立ち、こきこきと関節を鳴らしていた。

 

「なん……ですか、これは……?」

 

 何か(・・)が起こっていた。だが、ミューにはその正体が掴めない。

 スキル? 魔法? ……クロウが? そんなことがあり得るだろうか?

 

 そしてそれ以上に──。

 

 ……ミューは唾を飲み込む。

 アレは。そもそもあの人影は──本当にクロウか?

 ミューにはわからなかった。……見慣れた姿だ。だが、それにもかかわらず、その人影はまるでクロウには見えなかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 さて──ミューの直観はある面で正しい。その人影が、本当の意味でクロウと呼べるものかと問われれば、確かに首を傾げざるを得ない。

 

 彼のものの()は“悪鬼”。それは人の名ではなく、クロウという少年が持つ肉体の銘である。

 

 そしてまた、人影の成した暴虐がスキルや魔法によるものではないはずだというミューの洞察も正しい。

 何故ならばそれの正体は、厳密に言えばただの()()──身体の動かし方でしかなかったのだから。

 

 ──ミューは知らなかった。

 悪鬼と呼ばれる少年の、その通り名の由来を。

 ステータスが無い、モラルが無い……少年が鬼と呼ばれた理由は、()()()()()ではない。

 

 悪鬼には、悪鬼と呼ばれるだけの理由が存在する。

 年端もいかない少年(クロウ)が、見棄てられた領域に巣食う悪党どもにすら“悪鬼”と畏怖されていた絶対的な理由は、確かに存在する。

 

 ゆらゆらと立つ人影は、その無機物じみた眼で、敵だけを見る。

 

 

 

 

 

 踊れ、悪鬼。

 その四肢は何の為にある。

 

 

 

 

 

 どう、と土埃が跳ね上がる。悪鬼が躍動する。

 走った──違う。四足歩行──そうではない。

 悪鬼の動きはそんな動作よりも、はるかに合理的だった。

 

 馬鹿馬鹿しい話だ──何故、鬼が足で立つ必要がある。何故、鬼が地を這う必要がある。

 そんなくだらない動きは、動物や人間にでも任せておけばいい。四肢のうち一つで全体重を支え、その他全ての器官が破壊兵器たる悪鬼に、歩行などという非効率な動きは必要ない。

 

 ギャリギャリギャリ(・・・・・・・・・)と地を削る音。

 右腕を地に突き込むと同時、残りの四肢が──両脚が魔物を蹴散らし左腕が切り裂く。

 そして接地する一本の腕はスパイクのように地面を掴み、その体重に見合わない馬鹿げた膂力により強引に異常加速し、悪鬼はさらに速度を増す。

 

 次の瞬間にはまた四肢のどれかが地面を抉り、その他の四肢が敵を殲滅する。その度に魔物が弾け飛び、黒い塵へと還って悪鬼の暴虐の軌跡を辛うじて示す。

 その動きは酷くでたらめで、まるで規則性など無く、しかしてその無分別さこそが、肉体性能に枷をかけずに何の躊躇も無く使用する、悪鬼本来の動きだ。

 

 ──悪鬼は吼える。その叫びはまるで錆びた機械が哄笑するような、酷く耳障りな音だった。

 

 悪鬼の異形の進行はまるで勢いを落とさず、むしろその反対──秒を経るごとに、明らかに加速していた。

 触れるもの全てが四肢の前に脆く削り去られ、後方へと吹き飛ばされ、悪鬼が前進するための推進剤がわりとなる。敵が多ければ多いほど、破壊が甚大であれ甚大であるほど、加速は増大する。

 

 ──何も悪鬼を止められない。その跛行を妨げられるものはいない。悪鬼の侵撃は敵を全て殲滅するまで止まらない。

 

 その間近にいるはずのミューに理解できたことは、目の前の殺戮が人間によるものではないということだけだった。

 というよりも、それはもはや生物がもたらす破壊にすら見えず──いっそ自然災害や天災といった、矮小な生き物の生き死になど一顧だにすらしていない存在によるものにすら見えた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ……単純な一般論として。

 人はそう簡単に、鬼になどなれない。鬼とは魔性、相容れぬ異形……致命的なまでに人間と噛み合わない、分かり合う意味も努力も必要のない何かだ。

 

 人が人の形をしたものを、それでもなお『異形』と──鬼とみなす。それはもはや相手を絶対に理解できない何かとしか思えないときの、最後の手段に他ならない。

 

 ここに、かつて『悪鬼』と呼ばれた少年がいる。……では、なぜ彼は悪鬼と呼ばれたのか?

 

 少年が人とは思えぬ姿形であったから? ──否、彼は少なくとも、見た目はただの鈍そうな少年だ。とても魔性とは程遠い。

 では、人と思えぬ非道であったから? ──否、彼は善でなくとも悪でもない。“見捨てられた領域”の悪党どもが少年程度を非道と非難するなど、笑い話にもならない。

 

 ならば──なぜ少年は悪鬼と呼ばれたのか?

 

 答えは簡単だ。酷く簡単な事実だ。……少年が理解不能に強く、厄災の如く恐れられ──その戦い方が、文字通りに(・・・・・)人のものではなかったからだ。

 

 “悪鬼”は知っていた。

 人の形をしているだけ(・・・・・・・・・・)の肉体に詰め込まれた膂力や耐久力、その強靭さ。ただの腕の一振り足の一振りが必殺となる、超人と呼ぶにも生ぬるい尋常ならざる肉体性能。

 

 ──そしてその肉体の動きの最適解が『人の動き』ではないこと。人間の動きを半端に真似たところで、肉体が本来持つ力の発揮を阻む枷にしかならないこと。

 人ならざる力を人ならざる形で(・・・・・・)存分に振るうための最適解──悪鬼の戦い方を、肉体に棲む本能は理性以前に知っていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 それ一個が破壊意思の塊となり、縦横無尽に躍動し魔物を屠る悪鬼。その無形の動きには、何も追随できず、反応すらもおぼつかない。

 その無様に階王種が吼える。

 アレを放置してはならない。開かれるその巨大な口蓋より放たれる咆哮に、周囲の空気が爆ぜた。

 

 ──爆音、咆哮。それは人体であれば停止せざるを得ない、平衡感覚の一切を奪う、まさに人なる種の天敵たりうる能力だ。

 事実クロウもまたこの咆哮により停止を余儀なくされ、そのために致命に至りかねない一撃を喰らった。

 

 無論、悪鬼もまたその影響を受けて平衡感覚を消失した。もはや立つこともままならず、無様に地を這うことしかできない……はずだった。

 

 だが──悪鬼は止まらない。

 

 平衡感覚、前後左右──くだらないくだらない。なんだそれは。それが何の役に立つのか。

 

 ……根本的に前提が間違っていた。感覚が狂い、消失したにせよ──そもそもそれを頼りにしていないものが、いったいどう影響を受けるというのか。

 平衡感覚などという曖昧有耶無耶なものに頼らなくとも、悪鬼にはより間違いのない標があった。

 

 そう、それは例えば──ほら、敵を潰せばその感触が、四肢を通じて伝わってくる。

 恐怖、憎悪、悔恨、殺意──“敵”を構成する情報が、こんなにもありありと。

 

 それ以外の感覚などハナから使っていない。手の触れる範囲、足の届く範囲、殺気を向けてくる敵を斃し続ければ、いつか全ての敵を屠る──それが悪鬼の戦い方だ。

 

 分別も、理性も。

 選択も、善悪も。

 その全てが、完結した破壊現象たる悪鬼には不純物だ。

 

 群れを成していた魔物が全て黒い塵に変じ、風に攫われて吹き消える。

 僅か数十秒──それが、悪鬼が全ての魔物を屠るのに要した時間だった。

 

 悪鬼はやはりゆらゆらと立っていた。……敵はあと一つ。とびきり巨大な相手だ。だが──その程度の事実など、悪鬼の戦いにはまるで関係がない。

 

 悪鬼はその光の灯らない瞳で、最後の獲物を見つめた。

 

 

 

 

 

 

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