得意技は殴打、必殺技も殴打【リメイク前】 作:アッパーカット
7 胡散臭い人物の胡散臭い提案
見棄てられた領域、第五階層──しかしこの場所は、クロウのいつも通っている魔鉱石の採掘場ではない。クロウも始めて踏み入る場所だった。
「……湖以外に何もないな」
周囲を見回して首を捻る。
クロウの目の前には小さな湖が広がっていた。対岸はクロウが本気で跳躍すれば届く近さで、むしろ泉か池とでも表現した方がいいかもしれない。
と、その瞬間にクロウは違和感に気付いた。
「いや。何もないのがおかしいのか」
そう──この湖の周辺には、あまりにも何もなかった。
人工物が存在しないのは当然としても、それまで散々に生い茂っていた樹木すらも生えていない。下草もほとんど生えず、湖の周囲だけがむき出しの土の色を見せている。
しかも妙に水が澄んでいることからして、藻や水草すらも棲めない場所なのではないか、と思わせる。あまりにも生命感の存在しないその様子は、まるで湖が生命にとっての毒でも放出しているのではないかという推論を抱かせるのに十分だった。
これは何かおかしい。クロウはそんなことを思いながら水に触れた。ゾクゾクするような冷たさだ。浸かれば容赦なく体温を奪うことだろう。
「だが親方は、湖の底と言っていたしな……」
中に入らないわけにもいかない。
クロウは親方の言葉を思い出す。それはたったの数時間前のことだった──
◇◇◇
「迷宮に? お前が? ……どういう風の吹き回しだ」
「だって親方、エウーリアは迷宮にいるんだ」
肉を頬張りながらそんなことをのたまうクロウの言葉に、親方はため息をついた。こめかみを抑え、天を仰ぐ。
「言ったろ。そのなんだ、エウーリア? は多分、お前にゃ靡かねえぞ」
「そうか。じゃあ確かめないとな」
「……随分とハマり込んだみたいじゃねえか」
「なんでだろうな。おれにもよくわからない」
親方はやれやれと肩を竦める。
「そんなもんに熱あげてどうすんだ。お前にゃいつも言ってるだろ? 恋愛ってのはよ、例えばある日空から落ちてきた女の子を、包容力たっぷりに優しく受け止めてやるようなものなんだぜ。それがお前ロマンスってもんだよ。わかるか?」
「それはあれか、つまり、おれはエウーリアを空にぶん投げて落ちてきたところを受け止めればいいのか?」
何も理解していない。酷い自作自演だ。親方は頭を抱えた。
……これでもそれなりの付き合いだ。親方にはクロウが本気で下層に行きたいと思っていることが分かった。今も間抜けな顔でもぐもぐと肉を頬張っているが、たぶん本気だ。たぶん。
しかしながら親方には、クロウの願いが……平たく言うなら女にモテたいという願いが叶うとはとてもではないが思えなかった。
それなりに人生を積んできている親方には、『外』の住人と“見棄てられた領域”の住人の違いが肌で感じられる。言語にはしづらいが、なにかこう、気質として根本的に異なるのだ。
そしてクロウは、総じてまともではない“見棄てられた領域”の住人の中にあっても、なおまともとは程遠い。これもまた客観的な事実だ。クロウは色々と、他人と関わるためには取りこぼしているものが大きすぎる。恋愛などしようものなら一時間で破綻することが目に見えている。だが……
「……そういう意味じゃ、お前にゃこれがチャンスなのか?」
「?」
親方はクロウを見遣った。この少年が何かに執着する様子を見せたことが、今までに一度でもあっただろうか? ……否、クロウは何にも、金にすら執着しない。
親方もこんな階層の住人であるからには少々クズなので、クロウの持ってくる魔鉱石をかなり安く買い叩いているが、しかし特に不満を言われたことはない。……そもそもクロウが魔鉱石の買い取り価格に注意を向けているかと言われれば、それはそれで定かでないのも確かだが。
そんなクロウがこうまで執着するからには、エウーリアという少女の存在はクロウにとっての唯一、こだわるほどの意味を持つものなのだろう。
……親方も人の子である。クロウから搾取する程度にはクズだが、クロウが変わろうとする唯一のチャンスまでわざわざ潰そうとするほどクズではない。これまで散々に美味い汁を吸わせて貰った恩とそれなりに仲良くやってきた友情は、確かに感じているのだ。
親方はクロウに、眉唾ものだが確実に嘘とも言い切れない、ある噂話を教えることにした。
「俺がこの話を聞いたのは、もう随分と昔のことなんだが……」
◇◇◇
──さて、その話によれば。
世に言う『階層転移』──その鍵が、此処に存在するらしいのだ。
迷宮での移動手段は限られている。階層内であれば徒歩が基本だ。特定の飼い慣らしやすい獣が生息する階層ではそれらを利用して移動することもあるらしいが、しかしそれもあまり多い例ではない。迷宮に暮らす時点で図抜けた力を持つ人間が多いので、徒歩であろうと然程の不便は存在しない。
これは階層内のことだけではなく、階層と階層を渡る時にも適用される。階層と階層は常に徒歩で行き交うほかはなく、離れた階層を行き来しようと思うならばそれだけの距離を自分で歩かねばならない。
しかし非常に稀な現象として、『階層転移』が発生することがある。特殊な魔獣の攻撃や、或いは未発見の遺物に偶然に接触してしまったか……理由は様々だが、まるで神隠しのように、気がつけば違う階層に佇んでいるという事例が確かに存在する。
無論ほとんどは法螺話か、或いは酒に酔った探索者が我を忘れたまま気がつけば階層を渡っていたなど、そういった事例がほとんどだろう。だがそれで片付けるには難しい事例も存在するわけで──嘘か真か、この湖もそんな階層転移が発生したことのある場所の一つだという。
「……潜るか」
迷っていても仕方がない。クロウは湖に足を踏み入れる。
どうやら底に泥が溜まっているということもなく、少々沈み込む程度でしっかりと足で踏み込めた。クロウは二歩、三歩と足を進める。
水深が胸より上に来たので思いきって顔を水につけて潜る。水の澄みようは恐ろしいほどで、かなり先まで苦労なく見渡せる。同時に、少なくとも視界には生物の姿が一つもなく、ますますどこか妙な湖だという気が収まらない。
湖の中心部まであと少し。特に何が起こる様子もない。何も起こらないことに若干の落胆を覚えつつ、クロウは足を踏み出し──何かに足を取られそうになった。足元を見る。
クロウが躓いたそれは鎖だった。底の砂に紛れて視認できていなかったが、一度気づいてみれば、湖の中央あたりを中心にして何本かの鎖が伸びている。……よくよく観察すれば、それはまるで、何かを封じているかのようにも見えるのだった。
クロウは悩む。こんな鎖が何の意味もなく、自然にこんな湖の中へと沈められているわけがない。そのくらいは理解できる。ならば、どうするべきか──?
──うむ。引きちぎろう。クロウは数秒悩んでそう決定した。どうせそのうち錆びて自然に切れるのだ。今切っても何かが変わるとは思えない。
クロウは腕に力を込め、鎖を引きちぎろうとし──鎖が勝手にバキンと砕けた。
「……──っ!?」
クロウは本能的な危険察知から後方へと跳ぶ。纏わりつく水の抵抗が邪魔だった。
つい一秒前までクロウが佇んでいた場所に、辺り一面を照らすほどの莫大な魔力を内包する燐光が集中していた。外から見れば、湖が光っているようにも見えたことだろう。膨大なそれは水底より溢れ、揺らぐ。
──集中する燐光に見惚れて動きを止めたその瞬間、虹色の光が弾けた。
それは水中の小さな空気の粒に乱反射し、煌めき、踊る。同時に、静かだった湖に水流が生まれる。クロウはその乱水流により水面へと運ばれ、空気を肺いっぱいに吸い込む。そしてもう一度潜ろうとし……気付く。何か、水底より浮かび上がろうとしている。
潜る。空気の泡に阻まれていた視界が一気に開ける。
クロウは手に触れたそれを掴み、水を蹴って水面へと浮かび上がった。
頭を振るって水滴を飛ばす。クロウは、腕に抱いていたソレに話しかけた。
「誰だ、おまえ」
「あ、はい」
けほけほと咳き込んでいたソレ──エプロンドレスに身を包んだ黒髪の少女は、目を擦りながら自己紹介した。
「私は精霊制御型生体機-23……ええと、個体名はミュールリーハです。ミューとお呼びください」