オリジナル念能力を考える企画で書いた短編です。
ヒソカ戦の前に流星街に帰ったクロロと女の子の話。クロロ視点。

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神様のいない街

 

 ――彼はこの世界に、”存在しない街”の出身だった。

 

 そういう書き出しで始まる小説を、クロロは未だに読んだことがない。

 しかしそういう小説があってもおかしくはないと思うし、現にそういう現実ならばここにある。久しぶりに訪れた街とも呼べないゴミの山は、それでも確かに今日も”存在していた”。

 

 

 この世の何を捨てても許される場所――流星街。

 星が流れつく街という幻想的な名前とは裏腹に、1500年以上も前から廃棄物の処分場となっている場所だ。

 そしてここに捨てられるのはなにも物だけではない。捨て子や犯罪者や住処を失った民族が流れつき、いわゆる人種のるつぼを形成していた。

 

 クロロはここの出身だった。

 クロロ以外の、蜘蛛の団員の多くもそうだ。

 社会的に存在しない人間が生きていくためには悪事に手を染めるのが最も手っ取り早く、流星街は犯罪の温床としても機能している。マフィアンコミュニティに対する人材の提供がそのいい例だろう。

 

 しかし、それでは流星街がどんな犯罪行為も許される無法地帯なのかというとそうではない。

 人が複数集まって生活していくにはルールが必要だ。他人から奪うことを良しとすれば、自分が奪われる側に回ることに許可を出したも同然だからである。

 そして幸いにも、人間という生き物には僅かばかりの理性と防衛本能が備わっていた。その2つが、こんなゴミしかない世界にも自治をもたらした。

 

 長老たちによる議会制度である。

 

 

「アンタが戻ってくるなんて、何年ぶりだろうね」

 

 そう言った男の顔は、クロロがここを出たときとそう変わってはいなかった。十数年の月日は子供にとっては急激な変化をもたらすが、成熟した大人にとってはそう大きな外見上の影響を与えないのだろう。クロロはゆっくりと辺りを見回して、それから興味を失ったようにすぐ目を伏せた。「さあな、覚えていない」ここでの生活は、感傷に浸れるほど決して穏やかなものではなかった。

 

「ヨークシンでは派手にやったらしいな。マフィアの奴らはすっかりうちと提携を結んだ気でいたみたいで、血相変えて文句を言いに来てたよ」

 

 必要のない案内役を買って出た男は、どこかクロロの帰還にはしゃいでいるように見えた。実際、それはクロロに対してというよりも”蜘蛛の団長”に向けられた感情なのだろう。クロロとしては迷惑な話でしかなかったが、一部幻影旅団を英雄視するような人間も少なからず存在していたのだ。

 

「関係が切れて困るのは向こうのほうだろう」

「あぁ、そうさ。そもそも流星街と蜘蛛は関係ない。アンタたちが何をしようと俺達には関係がないんだ。

 もちろん、アンタたちが誰かに害されたのなら話は別だけどな」

 

 男は嬉しそうにそう言うと「そんなことはまぁありえないだろうが」と付け加えた。流星街のいっそ病的なまでの仲間意識は、ちゃんと蜘蛛にも適用されているらしい。

 これ以上無駄話を続ける気のなかったクロロは、ここへやってきた本来の用事を切り出すことにした。

 

「で、わざわざ俺を呼びつけたご老体は?」

「あぁ、長老なら奥の部屋だよ」

「そうか」

 

 助かった、と形だけの礼を述べて、指し示された部屋のほうへと足を進める。まだ背中には男の視線を感じたが、クロロはそれを綺麗に無視した。幻影旅団は決して憧れられるような、そんな崇高なものではない。いくらたまに慈善活動をすると言っても所詮は人殺しの盗賊なのだ。どこの法律に照らし合わせても極悪非道な犯罪者集団であることに変わりはないし、旅団員の誰も持て囃されたいなどと思っていない。

 

「……ここも随分と住みにくくなったな」

 

 ぽつりとそう呟いたクロロは、流星街に対して特にこれといった感傷は持ち合わせていないはずだった。

 しかし先ほどの男の尊敬交じりの視線を受けて、昔ここで共に過ごした、一人の少女のことを思い出していた。

 

 

 △▼

 

 

「クロロ、」

 

 その少女はいつも、クロロの名をゆっくりと味わうように発音していた。まるで魔法の言葉を唱えるかのように、まるで甘いお菓子を舌先で転がすみたいに、ただの名前をそれはそれは大事そうに口にするのだ。

 

 少女――シェリルは、クロロよりも少し年下で、彼女が流星街にやってきたときは既に死にかけの状態だった。これは後から聞いた話だが、彼女は人身売買の業者から逃げてきたらしく、確かに商品として扱われていたのが頷けるような、とても綺麗な顔立ちをしていた。

 

 正直に言えば、ここでは死にかけの人間など珍しくもない。廃棄物処分場であるここの環境は劣悪で、人間が住めるというよりも住める人間だけが住んでいると言った方が正しかった。だからシェリルみたいに”逃げてきた”人間がここにやって来ても、ここで生きていけるかどうかは全く別の問題だった。

 

 クロロは読んでいた本から視線を上げると、どこかそわそわとした様子のシェリルを見つめる。彼女がここに来てからもう5年以上は経っていた。ほとんど気まぐれで助けたようなものだったが、どうやら彼女はここでの生活に”適応”したらしい。

 

「どうかしたのか」

 

 しかしこんなゴミだらけの世界にあっても、彼女の美しさは少しも損なわれていなかった。当時読んでいた神話の本からそのまま抜け出してきたような顔かたち。ここに落ちてきた天使はいったい何の罪を犯したのか、興味を持って拾ったのがきっかけだった。

 

「あの……さっき、みんなから聞いて。クロロ達がここを出ていくって」

「そうだ。お前にも前に少し話しただろう」

「うん、幻影旅団……そういう盗賊をやるんだよね?」

 

 シェリルは恐る恐るといった感じで”盗賊”という言葉を口にした。詳しくは聞かなかったけれども、彼女はもともと良いところの育ちなのだろう。没落したか誘拐されたか。いずれにしてもクロロ達とは違う出自を持つ彼女は、いくらここで5年間暮らそうと根本的には考え方が違う。

 しかしそうした”善性”も含めて、クロロは彼女を好ましく思っていた。”天使”という初めに抱いたイメージ通りのままの彼女が、いつまでたっても物珍しかった。

 

「あぁ、流石に本だけでは限界があるからな。見たい物も手に入れたい物も、外の世界にはたくさんある。シェリルはどうなんだ?」

「私は……私はやめとく。クロロ達と並べるほど力も能力もないし……」

「別に団員になれとは言わないさ。一緒にここから出てみないか?」

 

 クロロは何も一流のメンバーを揃えて、世界を震え上がらせるような盗賊団を作りたいわけではなかった。気の合う同郷の仲間と欲したものに手を伸ばしてみたかった、ただそれだけで、そこに崇高な理念もなければ明確な基準もまだない。シェリルさえ望むのなら、一緒に連れていくことに問題はなかった。「きっとここよりずっと楽しいだろう」むしろ、おっかなびっくり地上を歩く天使の手を引っ張って、そのまま地下深くへ攫ってしまうのも一興だと思っていた。

 

「ううん、私は行けない。クロロのことは好きだけど、私とクロロじゃ住む世界が違うもの」

「……」

「私はクロロみたいになれないわ。クロロはみんなに好かれてて、頭も良くってなんでもできるけれど、私じゃそうはいかないもの。私にはこのゴミの山がお似合いよ」

 

 シェリルは当たり前のことを言うみたいにほほ笑んだが、言われたクロロは驚いていた。彼女と住む世界が違う、というのはなんとなくわかる。実際、クロロも彼女に似たような感情を抱いていた。しかし今の彼女の口ぶりではクロロのほうが尊い存在のようで、一瞬何を言われているのか理解できなかった。

 

「別に……別に俺はそんな大した人間じゃない」

「いいえ、クロロはすごい人だわ。私、あなたに助けられたことすっごく感謝してるし、今でも初めて会った日のことを覚えてるの」

「シェリル、」

 

 彼女は大きな誤解をしている。命の恩人というのが、今更こうも重くのしかかるとは思ってもみなかった。しかし彼女に向かって伸ばそうとした手は、不可思議な反発によって遮られる。そしてクロロが驚いているうちに、彼女は眩しいばかりの笑顔で微笑んだ。

 

「私、クロロのこと神さまだって思ったの」

 

 その瞳には熱っぽい憧憬の色が浮かんでいて、偽りなき言葉であるということは一目瞭然だった。しかしだからこそクロロは何も言えなくなる。彼女がまさか、そんな風に自分のことを見ていただなんて思いもしなかった。これはクロロがシェリルを”天使”のようだと思っていたのとは次元が違う。

 

「私は一緒に行けない。でも、クロロのことはずっと忘れないし、あなたのことを想って毎日祈るわ」

「そうか……」

 

 神話の世界の神たちは恋多く、時には人間の娘さえも愛したという。

 けれども人間から神に向ける感情は、愛は愛でも純粋に相手を欲しがるような愛ではなかった。

 崇めて、敬って、感謝してそれで終わり。

 

 知らない間に彼女と隔たりができていたことを知らされ、まだ若かったクロロは苦い喪失を味わうことしかできなかったのだった。

 

 

 

 

「クロロ、」

 

 名前を呼ばれて、クロロはゆっくりと瞬きをする。「あぁ」どうやら自分はしばしの間、郷愁に耽っていたらしい。

 目の前で床に伏せる老人は、そんなクロロを見て少し呆れたように笑った。

 

「……やれやれ。少しはしっかりしたかと思ったが、お前さんも相変わらずだな」

「人はそう簡単には変わらない。アンタの憎まれ口も直っていないようで安心したよ」

 

 枯れ木のようにやせ細った老人は、クロロが物心つく前からこの流星街の長老を務めていた男だった。長老と言ってもここでは一人の人間を指すわけでなく、あくまで政治に携わる議員のような役職ではあったが、その中でもこの老人が最古参であるということには変わりがない。

 彼は気丈にもにやりと笑って見せたものの、実際にはもう会話をするのも辛いようであった。

 

「魂は変わっとらんが、肉体の方はもう限界でな。わしはもうすぐ死ぬだろう」

「あぁ」

「わしの能力は見たことがあるな?質問もされたし、それに答えた記憶もある」

「悪いがそれはもう時間切れだ。すべての条件は1時間以内にクリアする必要がある。老体に鞭打つようですまないが、もうひと頑張りしてもらわないとな」

「……はぁ、面倒な念を作ったものだ」

 

 老人は大きなため息をつくと、ゆっくりとその両手を挙げる。彼の左手には太陽、右手には月の刻印がはっきりと浮かびあがっていた。

 

「”番いの破壊者(サンアンドムーン)”」

 

 威力を抑えるためか、彼は手近にあったガラスのコップにほんの一瞬だけ左手で触れた。そして残った右手は、その隣の水差しへと伸ばされる。

 

「もっと他にあっただろう」

「文句を言うな、あまり遠くのものに手を伸ばすのは疲れる……」

「……」

「いいから、早く刻印を重ねんか」

「はぁ、呼びつけただけでも大概なのに、人遣いの荒いジイサンだな」

 

 クロロは小さく肩をすくめると、言われた通りにコップと水差しの刻印を重ねた。太陽がプラスで、月がマイナス。その二つが重なった時、小さな爆発音を立ててガラスが割れる。

 足元に広がってきた水たまりを避けつつ、クロロは老人の方へと向き直った。

 

「発動条件と威力の調整は?」

「対象に一瞬触れるだけで刻印は押せる。が、威力を最大にするには最低でも3~5秒は触れ続ける必要があるな」

「じゃあこれを。あぁもちろん、その物騒な念はしまってくれ」

 

 老人の手から刻印が消えたのを確認し、クロロは代わりに”盗賊の極意(スキルハンター)”を差し出す。最後に彼が本の表紙と手のひらを合わせれば、それですべて条件はクリアだった。

 

「これでいいか」

「あぁ、完璧だ。あとはアンタが死ななければ最高なんだがな」

 

 クロロは”盗賊の極意(スキルハンター)”を開いて老人のページが確かに記載されたことを確認すると、まるで何事もなかったかのように本を消した。今回の帰省の目的は老人の念を奪うことであり、それは老人自らが望んだことであったが、残念ながら術者が死ねば”盗賊の極意(スキルハンター)”から能力は消える。

 帰ってきて初めて老人の状態がここまで深刻であると知ったとはいえ、クロロにしてみればこれまでの流れはすべて茶番でしかなかった。それでも律儀に付き合ってやろうと思ったのは、やはり感傷の成せる業だったのかもしれない。

 

 しかし老人はまた笑った。苦しそうだが、それでも満足げな笑みだった。

 

「死なないことは無理だが、念を遺してやることはできる」

「……死後の念の話か?アンタの執念深さは知っているが、コピーにまで影響できるとは思えないな」

 

 念能力者が強い執着、深い恨みや未練を持ったまま死ぬと、その念は憎悪や執念により恐ろしく強く残ることがあるらしい。残された念は時に行き場を求め、時に増幅し、術者の死後も作用し続けるようだが、その仕組みについては未だきちんと解明されたわけではなかった。

 

「例えば、生前アンタが押した刻印が、死後も消えないというのならまだわかる」

 

 敵に刻印をつけるところまでは上手くいったが、反対に返り討ちにあって殺されてしまった。そういう場合なら、悔しさと未練から死んだ後も対象の身体に刻印が残るということもあるかもしれない。しかし実際にそんなことが度々起こるようでは、恐ろしくて念能力者を殺せない。

 死後の念を発動させるには、並大抵の執念では無理なのだ。それこそ狂人になる一歩手前のような、全てを投げ出す覚悟と執着がなければ。

 

「我々は何者も拒まない、だから我々から何も奪うな」

 

 不意に老人は、歌うようにお決まりの文言を口にした。

 

「わしが何かを奪われて、報復しなかったのはお前さんが初めてだ」

「……」

「いや、奪われたのなら報復しただろう……わしはお前さんに託したんだ。わしの、この街に対する想いと理念を」

 

 流星街の住人達の仲間意識は、人に恐怖を与えるほどだった。特にその異常性を世間に知らしめたのは、徹底的に個を排したうえで行われる、死をも恐れぬ自爆テロだろう。クロロの記憶にある限り、流星街は初めからそうした仲間意識のもとに成り立っていたが、ではその”初め”とは一体いつのことだったのか。

 クロロは今更ながら、目の前に横たわる老体が酷く禍々しい物のように思えた。

 

「わしの念は消えないだろう。この街が消えぬ限り、わしの想いは決して死なぬ」

「それは俺としては有難い話だが、流星街まで背負ったつもりはないぞ」

「ふ……別に構わん。お前さんが望もうが望むまいが世界は回る」

 

 それは一種の予言のようで、クロロは珍しく眉をしかめた。「騙された気分だ」やはり、らしくないことはするものではない。

 不服そうに呟かれたクロロの言葉に、老人はまた笑った。今度は愉快そうに、そして未来ある若者を慈しむように、彼はゆっくりと目を細めた。

 

「タダより怖い物はない。

 お前さん、ここで長年暮らしていて、そんなことも知らなかったのか」

 

 

 △▼

 

 

 クロロが老人の部屋を出た後、程なくして彼は息を引き取ったらしい。それを聞いてあまりのタイミングの良さに驚いたが、クロロは”盗賊の極意(スキルハンター)”を開いてすぐに納得した。

 

 なるほど、あの男の執念深さには恐れ入る。きっととっくに身体の方は限界を迎えていただろうに、彼はクロロに念を渡すまではと常軌を逸した執着で持ちこたえていたのだ。

 そしてそんな恐ろしい老人の念能力は、本人が言った通り、彼の死後も本にしっかりと残されていた。

 

 クロロはページを確かめながら、人間とはやはり面白いものだなと思った。彼にとってこの街はなんだったのか、聞いておけばよかったと少し後悔がよぎる。

 疑念も抱かず爆弾として散っていく同胞を見て、老人が彼らの神なのだと思っていたが、当の老人こそが最も理念という神に殉じた敬虔な信者だったのかもしれない。

 神を持たないクロロからすると彼らの生き方は酷く愚かに見えたが、同時に少し羨ましくもあった。

 

 

「クロロ!」

 

 いつものように思考の海に沈んでいたクロロは、またもや自身の名を呼ぶ声によって現実に引き戻された。「……シェリル」こちらに向かってきていた様子の彼女は、クロロが気づいたとわかるや駆けてくる。

 

「あなたが帰ってきてるって聞いて、私それで……!」

 

 一体、別れてからどのくらいの月日が経ったのだろう。

 息を弾ませてそう言ったシェリルは、相変わらず絵画の中から抜け出てきたみたいに美しかった。

 

「まだここにいたんだな」

 

 久しぶりの再会は、どこか現実味に欠けていた。もちろん帰省を決めた時点で、彼女のことを思い浮かべなかったと言えば嘘になる。しかし実際に彼女を目の前にすると、感傷よりももっと強い感情がクロロの中で渦巻き始めていた。

 

「ええ。私には他にいくところなんてないもの。

 それより本当に久しぶりね。噂には聞いていたけど、元気そうでよかったわ」

「シェリルのほうも相変わらずか」

「そうね。私自身は特に変わり映えのない生活だわ。でも最近の流星街はあの頃よりもずっと余裕が出てきて、とうとう孤児院みたいなことも始めたの。私はそこで今、お手伝いさせてもらってるわ」

 

 変わりがないとは言ったものの、昔の彼女はもっと口数が少なかった。久々の再会で興奮しているというのもあるだろうが、少し快活さが増しているようにも思う。経歴が経歴だから仕方がないが、昔の彼女はもっと他人を恐れているようだった。

 

「それは何よりだな。街が良くなれば死んだあの男も満足だろう」

「……そういえば、長老がさっきとうとう亡くなったって聞いたわ。もしかしてクロロは最期に長老に会いに?」

「あぁ、死神がいないと死ねないと我儘を言われてな」

「まぁ、死神だなんて……」

 

 昔彼女に言われた”神さま”という言葉も、”死神”ならばわりとしっくりとくる。けれどもそれを聞いた彼女は、自分が貶されたかのように眉をひそめた。

 

「きっと長老は、クロロにこの街を託したのね」

「……なぜそう思う?」

「だって、クロロは昔から私たちと違って特別だもの」

「呆れた、まだそんなことを言っているのか」

 

 根拠の欠片もない彼女の言葉は、実際それなりに的を得ている。クロロは彼女の変わらない一面に安堵したものの、同じくらいがっかりもしていた。

 

「たとえ頼まれたとしても、この街を背負うつもりは毛頭ないな」

「でも、旅団結成のときもそう言って、結局あなたは望まれてトップに立ったじゃない」

「……面倒事を押し付けられやすいんだ」

「いいえ、あなたは特別な存在で、皆から愛されてるのよ」

 

 シェリルは当たり前のことのようにそう締めくくると、「それで、ここにはいつまでいるの?」と話題を変えた。正面から向き合った彼女の瞳には、口調の軽さとは裏腹に憧憬が色濃く浮かんでいる。

 しかし今のクロロはもう、ただ苦い喪失を舐めるだけの若造ではなかった。

 

「シェリルこそ、いつまでここにいるつもりなんだ?」

「え……?」

「前は神さまだのなんだので誤魔化されてやったが、俺は諦めが悪いようでな。久しぶりにお前の顔を見たら、また欲しくなった」

「……」

「今度こそ、俺と一緒に来ないか」

 

 手を差し出せば、今までの笑顔が嘘のように彼女は硬直した。しかしその表情に嫌悪はない。ただひたすらに戸惑いと、隠しきれない恐れがちらりと垣間見えた。

 

「駄目、か……。やはり、避けられているというのは俺の勘違いではなかったようだな」

「違うわ、そうじゃないの」

「シェリルは俺が皆に愛されていると言ったが、肝心のお前はどうなんだ」

「もちろん好きよ。会えない間もずっとあなたを忘れたことなんてなかった!」

「だったら、」

 

 彼女に近づこうとして、クロロはまたあの不思議な反発に弾かれた。今ならわかる。これは明らかに念能力だ。彼女自身、無意識のうちに発動しているかもしれないが、おそらく操作系。相手の行動を――この場合は彼女への接近や接触を妨げる能力なのだろう。

 クロロはシェリルに近づける限界ぎりぎりまで進むと、落ち着かせるように彼女の名前を呼んだ。

 

「そうだシェリル、ひとつ面白い話をしてやろう。角の生えた子供の話は知っているか?」

「え?」

 

 唐突にそんなことを言ったクロロに、シェリルはわかりやすく目を丸くする。心なしか反発も和らいだので、この能力は彼女の意識の矛先とも関係しているらしい。「知らないけど……」首を振ったシェリルは怪訝そうな表情をしていたが、クロロの話に興味を持ったようでもあった。

 

「とある民族の村には、何十年かに一人、角の生えた子供が生まれるらしい。その子供は神として人々に崇められ、それはそれは大事に育てられるんだそうだ」

 

 古来から子供を宝として、村ぐるみで面倒を見るのはそう珍しいことではない。けれども角の生えた子供の扱いは、そうした子供を可愛がる類のものではなかった。常に村で一番高級な絹の衣裳を纏い、他の人間とは違って必ず清められた豪勢な食事を口にする。その特別な扱いは、災害や日照りで村が窮状にあったとしても変わらない。角の子供は神聖で、崇められるべき存在なのだ。

 

「だがその子供も、13歳になれば村を出る決まりになっている。行き先は村から大人の足で3日もかかる霧深い山で、彼らのような神の住処とされている場所だ。

 これを聞いてシェリル、お前はどう思う?」

「……どうって、神さまの世界に帰るのならそれは別に悪いことではないわ」

「もちろん、その子供が本当に神で、山にも他の神々が存在するならばそうだろう」

「どういうこと?」

「俺からすればこれは、体の良い厄介払いでしかない。異質な人間を徹底的に排除するための、古くからのよく出来た仕組みさ」

 

 角の子供は小さい時から生みの親と離され、自分が他の人間とは違うのだと教え込まれて育つ。だから自分に友人ができなくても、13になって村を追いだされても不満に思わない。もしかすると、角の子供は何か特殊な力を持っていたのかもしれなかった。だから単純な力による排斥ではなく、こうした敬して遠ざけるような手段がとられた可能性は大いにある。

 人間が何かを迫害するときには、攻撃的になることだけが方法ではないのだ。

 

 クロロはそこまで話すと黙って彼女を見つめた。シェリルは決して馬鹿ではないので、クロロがこの話で何を言いたいかくらいはわかったはずだった。

 

「私が……私がクロロを拒絶しているというの?」

「結果的にはそうだな。その目的が何にせよ、行き過ぎた崇拝は拒絶になりえるという話だ」

「……」

「もちろん、シェリルが本気で俺のことを嫌いだとは思ってはいないさ。だが、お前の好きは俺と同じものではないだろう。

 今になってわかった……俺はとっくに失恋していたらしい」

 

 シェリルがクロロを”神”だと崇めたように、クロロもまた彼女に”天使”の幻想を重ねた。しかしそれは初めだけのことで、結局クロロはシェリル自身に惹かれていたのだ。「お前のことが好きだった」あの日彼女から神格化されて、自分が彼女の対象にはなりえないと知った。

 それこそが苦い喪失の正体だったのだ。

 

 もっと早くに気がついていれば、と思ったが、気づいたところでどうなるものでもなかっただろう。何年越しかに自身の感情を言語化できたクロロは、自嘲の笑みを浮かべて彼女に背を向ける。近づけないのだから仕方がなかった。

 

「待って!」

 

 しかし、いくらも行かないうちに後ろから彼女が追いかけてくる。「違うの!」振り返って見たシェリルは今にも泣きだしそうだった。

 

「クロロを拒絶したいわけじゃなかった、傷つけるつもりもなかった。私はただ……臆病だから。遠くから見守ってるだけで満足だって思いこもうとしてた」

「……」

「あなたは私に優しくしてくれたから、だからこそその優しさに付けこんじゃいけないって思ったの。あなたに愛想を尽かされて、失望されるのが怖かった」

 

 震える声はやがて涙声へと変わり、彼女の大きな瞳からはらはらと雫が零れ落ちる。それを拭ってやろうにも、クロロはこれ以上シェリルに近づくことができなかった。

 

「そうか、シェリルの気持ちはわかった。だが、俺から近づくことはできない」

「……そうよね。今更こんな……ごめんなさい。私のせいであなたを傷つけてるなんて思わなかった」

「そうじゃない、よく聞け。”近づかない”じゃなくて、”近づけない”と言ったんだ。シェリルの念のせいだ」

「念?私が?

 でも修行なんてしてないわ。そもそも昔みんなと一緒に精孔を開こうとしたけど、私だけずっと何も起こらなかったもの」

 

 当時のことはよく覚えている。シェリルがクロロとは住む世界が違うと言ったのも、念のことが関係していたのだろう。しかし本来念能力とは、ゆっくりと時間をかけて習得する物である。他のメンバーほど早い成長でなかったために見逃したが、別れ際に感じた反発は既にシェリルの才能の現れであった可能性が高い。

 シェリルはまだ涙が止まらないまま、どうしたらいいの?と途方に暮れたような声を出した。

 

「これまでの経験上、お前が俺を褒めるほど俺はお前に近づけなかった。となると、その逆を試してみる価値はある」

 

 考案者本人も無自覚となると推測は難しいが、もしかすると繰り返される”神さま”というフレーズも鍵になっているのかもしれない。念能力というのは個人の性格や性質を良く反映している。シェリルの先ほどの告白と合わせれば、相手を神格化することで自分から遠ざける念であるのはほぼ確定だった。

 

「私にクロロを貶せって言うの!?」

「それもたまには新鮮だろう」

「……」

 

 普段あれだけ恥ずかしげもなく褒め讃えてくるくせに、その逆となるとシェリルは言葉が出ないようだった。しばらく視線をさ迷わせて、ようやく意を決したのかぼそぼそと話し出す。

 

「クロロは……クロロの周りにはいつも誰かがいて、私のことなんてちっとも見てくれなかった。優しかったけど、マチちゃんやパクちゃんにするみたいに仕事も頼んでくれないし、いつまでも子供扱いだった」

「それは中傷ではなく嫉妬だな。悪い気はしないが」

「っ、クロロのばか!」

「いいぞその調子だ。だがどうも解除方法は貶すことではないようだ」

 

 嫉妬だと指摘され、真っ赤になる彼女はいじらしかった。クロロはだんだんと愉快な気持ちになってもう少し遊ぶかと考えたが、彼女に触れられない現状をもどかしく思っているのも事実である。「大丈夫だ、もう一つ試してないことがある」シェリルはそれを聞くとわかりやすく顔を輝かせた。

 

「どうすればいい?」

「俺から近づけないのなら、シェリルから近づけばいい」

「そんな簡単なの?」

「簡単だと思うのなら、やってみればいいさ」

 

 そう言って、クロロは身体の前で両手を広げる。その意味するところを察したシェリルは、先ほど以上に真っ赤になった。

 

「え……」

「どうした?神さまに抱き着くのは信条に反するか?」

 

 わざと意地悪く笑ってやれば、シェリルはごし、と涙を拭う。

 それから天使もどきりとするような笑顔を浮かべて、クロロの胸に飛び込んでこう言った。

 

 

「神さまなんていなかった!」

 




過ぎたる尊崇(オーバーアイソレーション)

操作系の念能力。
対象を言葉に出して褒めたたえることで、対象者の接近や接触を制限する能力。強制力は褒めた回数と対象者に抱く尊敬の度合いによって左右される。
ただしこれは自己と相手の心理の両方に働きかけ操作する能力であるため、無機物や言語の通じない者に対して使用することはできず、独り言や相手が聞いていなかった場合も発動しない。
解除するには術者本人の意思で対象者に触れる必要がある


本文中に名称は出ませんでしたが、念の内容はこんなものをイメージしています。


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