Magicaborne   作:せるじお

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chapter.1『一階病室』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ほう、青ざめた血、ねぇ。

 

 

 暗闇の向こうから、そんな声が響く。

 その主は、霞む視界の真ん中に居座った、朧な人影だった。

 

 

 ――確かに、君は正しく、そして幸運だ。

 

 

 声の主は男で、それもひどく年老いているらしい。反り返った庇の山高帽を被り、椅子に腰掛けている。こちらの方に向けられた相貌は、椅子に括り付けられたランタンの明かりを背にしたせいか、影になって明らかではない。

 

 

 ――まさにヤーナムの血の医療、 その秘密だけが。

 

 

 軋む車輪の響きから、男が車椅子に座っていたことを理解する。

 徐々に徐々に男は近づき、影に隠されていた顔が明らかになっていく。

 

 

 ――君を導くだろう。

 

 

 金の鎖で留められた、ケープ付きの外套を纏った男はやはり老人であり、伸び放題の髪も、手入れされていない口髭も顎鬚も、その全てが白くなっている。奇怪なことに、広い庇の下の双眸は全く白い包帯に覆われ、あれではまるで周りが見える筈もない。しかし男ははっきりと、包帯越しにこちらを見ているのだ。

 

 

 ――だが、よそ者に語るべき法もない。

 

 

 老人はさらに車椅子を寄せ、身を乗り出すようにしてこちらの顔を覗き込みながら言った。

 

 

 ――だから君、血を受け入れたまえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――うんざりするような悪夢の後に、目覚めはやってきた。

 

 脳裏で小人が鐘でも鳴らしているかのように、ぐわんぐわんと頭痛が走り、眼が霞む。

 背をゆっくりと起こし、両手で顔を覆いながら、何度も頭を左右に振る。だが、頭の震えは酷くなるばかりで、振り払うなど叶わない。たかまる嘔吐感を押さえ込み、何度も何度も荒い息を代わりに吐き出す。吐息には、胃酸の臭気と、それと微かに鉄錆びた匂いが混じっていたが、すぐさま、より濃厚な血の匂いによって塗りつぶされる。

 辺りから漂う、噎せ返るような血の香り。鉄錆た異臭は、しかし却って意識の覚醒を促した。頭痛は徐々にひき、視界はよりはっきりと拓かれる。

 

「……」

 

 頭痛が治まると同時に少女は、『暁美ほむら』という名の少女は、自身の顔を覆っていた掌を外した。

 

「――え?」

 

 そして絶句した。ようやく見えた辺りの景色に、困惑し、混乱し、言葉を失った。

 目に飛び込んできたそれは、余りに彼女の想定とは異なっていたから。

 血臭満ち満ちた部屋は病室と見えたが、それ自体は問題ではない。いつも、何度繰り返そうとも、目覚めの場所は常に病室であったのだから。真に問題であったのは、病室の様子が全く異なっていることなのだ。

 

「……」

 

 ――ただひたすらに、鹿目まどかを救わんがために、暁美ほむらは魔法少女となった。

 契約の魔法を用い、幾度もやり直した目覚めの場所は、白く清潔な病室だった筈だ。

 果たして暁美ほむらの紫の瞳にうつるのは、湿った空気の漂う、暗く、汚れた部屋なのだ。

 

(なに……? なんなの……これは?)

 

 胸中を晒すまいと表情だけは、今や彼女の常態となった鉄面皮を保つも、その忙しなく揺れる瞳に隠しきれぬ動揺が現れていた。しかしそのことでほむらを責めれようか。悪夢に囚われ、同じ時を無数に繰り返してきたが故に、それを外れた時の衝撃は、余りに激しく、深刻だ。

 

「――」

 

 ほむらは深く息を吸い込んで、心を落ち着かせようとする。

 心臓は相変わらず高鳴ってはいるが、彼女も歴戦の魔法少女だ。

 最初の衝撃の強さを思えば、驚くほどの速さで彼女の精神は平衡を取り戻した。

 

 ――思い出せ。

 

 血まみれの手術台の上で身を起こしながら、ほむらは右手を額に押し付けながら想起する。

 何があった? 

 ここに来る『前』に、いったい何があった?

 

「ッッッ!?」

 

 必死に、『前回』のことを思い出そうとすれば、刺すような激痛が頭蓋のなかを走った。

 思わず呻くのと同時に、見覚えのない記憶が唐突に脳裏に過る。

 

 ――よろしい。これで誓約は完了だ。

 自分の顔を覗き込む、眼を包帯で覆った奇怪な老人。

 

 ――輸血をはじめようか。なあに、心配することはない。

 

 老人はどこか、嘲りを声に滲ませながら言った。

 

 ――何があっても、悪い夢のようなものさね。

 

 そこで意識は一瞬途絶え、目覚めた時には老人の姿は失せていた。

 

 代わって見えるのは、まるで底なしの海のような血溜まり。

 

 血溜まりから這い出る、黒い獣。

 

 差し出される、獣の掌。

 

 燃え盛る獣。

 

 体の上を這い、取り囲み、視界を覆い尽くす、怖気催す白い小人達。

 

 そして最後に聞こえた、鈴の音のような女の声。

 

 ――ああ、狩人様を見つけたのですね。

 

「ッッッ!?」

 

 声と共に、唐突に頭痛は脳裏より去った。

 しかし、やはり追憶は戻らない。ここに来る前、時の砂時計をひっくり返した時の記憶が、全く抜け落ちている。

 茫然とし、その余り、手術台から落ちかける。

 とっさにその縁を掴んだ時、カツンと手術台に何かが触れる音がした。

 ほむらが左手を見れば、そこにはうんざりするほどに見慣れた、小さな盾がある。……証、ほむらが魔法少女であることの証である、小さな円盾。丸い蓋によって砂時計は覆い隠され、ほむらが廻さんと試みるも、盾はびくとも動かない。そのことに戸惑うほむらに追い打ちをかけるように、新たな異変を彼女は見出した。

 

「ソウルジェムが!?」

 

 左手の甲にあるべき、紫のソウルジェムが、その姿を消していたのだ。

 慌ててかざして見れば、本来ソウルジェムのあるべき部分には、刺青とも、痣ともつかぬ奇妙な紋様が赤く刻まれているのが解る。

 それは、ほむらがこれまで見たことのない、奇妙な図像だった。

 先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 

「……」

 

 何度も左の手の甲を擦っても、謎の文様は消えることはない。

 むしろ、その赤色が深みを増したようにすら見える。

 

「わけがわからないわ……」

 

 思わず漏れた言葉は、偽らざるほむらの心情であった。

 これまでも、数え切れぬほどの理不尽に身を晒してきた彼女にとっても、今起こっていることは異常過ぎる。

 

 ここが何処なのか。

 なぜこんなことになっているのか。

 どうやってここにやって来たのか。

 ここに来る前に何があったのか。

 

 その全てが謎なのだ。

 

「……」

 

 ほむらは手術台から降りて、改めて部屋全体を見渡した。

 暗く、湿っていて、そして不潔な部屋だった。天窓はあっても、そこから見える夕陽の紅は、何ら室内を照らすのには役立ってはいない。

 刺すような血臭に満ちてはいるが、それが余りに強いがために、ほとんどほむらの鼻の感覚が麻痺してくる程だ。

 手術台の横には点滴用のスタンドが立っていたが、そこに吊るされたガラス瓶の中身も、恐ろしく濃い赤色をした血であったのだ。

 

「ッ!?」

 

 その輸血瓶から伸びた管が、自身の右手に刺さっている。ほむらは慌てて点滴針を引っこ抜く。やはり右手に巻かれていた不潔な包帯も慌てて剥ぎ取り、そこで初めて、自分の格好に気がついた。

 白と黒と紫からなる、魔法少女の装束でもなければ、見滝原の制服でもなく、病室で纏っていた寝間着でもない。鎖で留められた外套(ケープ)に、白いワイシャツに縦縞のベスト、黒いズボンにはベルトが巻かれ、そこからはサスペンダーが垂れ下がっている。手術台に寝かされていたはずだが、足には頑丈な黒い革靴が履かされたままになっていた。

 見覚えのない、まるで異邦の装束ではないか――。

 

「……」

 

 盾は既に出ているにも関わらず、変身をしている時の感触がない。

 試みに、数度念じてみるも、変化は訪れない。だとすれば、今は生身に過ぎぬということか。しかし盾の『内側』へと手を挿し入れることは可能なのだ。繰り返しの中で溜め込んだ筈の武器弾薬は、一つとして残ってはいないにしても。

 

「……?」

 

 ズボンのポケットを探ってみれば、何か硬いものが指に触れる。

 

「ソウルジェム……」

 

 ようやく見つけ出した忌まわしい魂の宝卵は、今は全く輝きを失って、黒ずんだ紫を見せているに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 戸惑いを抑え込み、努めて冷静に病室を探るも、収穫はほとんどなかった。

 戸棚に並んだガラス瓶の中身は血か、さもなくば得体の知れない液体ばかりで、とてもその効用を確かめる気になどならない。ラベルに書かれた文字はアルファベットで、言葉は英語に似ているように思われたが、しかしほむらにはその詳細な意味を理解することはできなかった。それは、部屋の角にうず高く積まれた、ハードカバーの本の中身についても同じこと。

 唯一の収穫と言えるもの、この理解のできない状況のなかで、ただ一つほむらが理解し得たものは、椅子の上に置かれた紙切れに、書き殴られた一文だけだ。

 

 

 ――『「青ざめた血」を求めよ。さもなくば、夜はずっと明けない』

 

 

 間違いなくほむら自身の筆跡で書かれた一文は、そう読むことができた。

 相変わらず意味は解らないが、他ならぬ自分が書いたものであるならば、必ずや謎を解く鍵となる筈だ。

 

「青ざめた血、青ざめた血……」

 

 何度か声に出してつぶやいてみるが、思い当たるものはない。あるいは、『前回』に起こったことと何か関連があるのか。思い出そうとしても、やはり頭痛が生じるばかりで、何の役にも立ちはしない。

 

(前の、前はどうだったかしら……)

 

 意外なことに、こちらは全く問題なく思い出すことが出来る。その内容はうんざりするほどに、忌々しいほどに既に見知ったことばかり。

 何度も屠った魔女たちを斃し、巴マミの死を看取り、美樹さやかの自滅を知り、佐倉杏子の心中を阻めず……そして、鹿目まどかが魔法少女と化すのを、手をこまねいて見ているしかなかった。

 相変わらずの――その事実こそが心底おぞましい――、何度も相まみえた救いようのない物語の筋。その内容はほむらにはありきたりすぎて、現状を紐解くヒントとはならない。

 

 改めて、輝きを失ったソウルジェムを掌の上に載せ、見つめ、握りしめる。

 

 ――結局の所、自分のやるべきことなど変わりはしない。

 

 鹿目まどかを救う、ただその為だけに、何度でも繰り返してきた。

 ここがどこだろうと、同じこと。

 

 たったひとつの出口を探る。

 まどかを、絶望の運命から救い出す道を求めて。

 

 それは彼女だけの、密かに秘する導きなのだ。

 故に、暁美ほむらは心折れぬ。ただ「救い」の中でならば――。

 

 

 

 

 

 

 病室には二つの扉があったが、一方はかたく閉ざされていて通れない。蹴破ることも考えたが、やめて置いた。普段ならば盾のなかにしまってあるはずの散弾銃も無い今、余計なことをして体力を消耗するのは得策ではない。

 

(ずいぶんと頑丈につくってあるのね)

 

 ほむらは、その分厚い木の表面に触れながら、ふとそんなことを思った。

 病院の扉としては、むしろ強固過ぎると見えた。いったい、何のために、何を想定してこんな造りにしてあるのか。強盗か、あるいはそれ以外の何かか……。

 

「……」

 

 一方の扉も酷く重く、蝶番も錆びついているようにギシギシと鳴ったが、それでも開きはした。

 出くわしたのは相変わらず薄暗く、ひどく長い階段。ゆっくりと、慎重に降りる。

 響くのは、自分自身の足音だけ。人気はなく、酷く静かだ。

 階段を降りると、待合室のような小部屋と、さらなる病室にほむらは出くわした。自分が目覚めた場所よりも、遥かに大きい病室だ。手術台がいくつも並び、その傍らには必ず点滴スタンドが控えている。奇妙なのは、スタンドの鈎に吊るされているのは、なぜか全て輸血用の瓶だということだ。

 訝しみながらも、ほむらは部屋の奥へと進む。

 部屋の奥には、仄かなランタンの灯りが見える。今どき電灯で無いのは不思議だが、それでも灯りはほむらの心に若干の安息をもたらし――それは即座に破られた。

 

「っ!?」

 

 灯りに近づくにつれ、大きくなる異音。ほむらの意識は、すぐさま戦いに臨むものへと転じた。

 鮮烈な、真新しい血臭。咀嚼音。人ならぬうめき声。

 すぐに魔女の使い魔のことを疑った。恐らくは、誰かが既に犠牲になっている。

 

「……」

 

 手近な手術台のそばの、施術道具が置かれた金皿の上から、メスを何本か拾う。

 役に立つかは解らないが、何も無いよりは遥かにマシだ。

 足音を殺し、影に隠れながら、音の源へと歩み寄っていく。

 

 ――柱の陰から見えたのは、人を食らう黒い獣だった。

 

 その見た目は狼に似ているが、しかし蜥蜴のように地面に這いつくばるようにする様は、正常な四足獣とはまるで違っている。爛々と、白味がかかった黄色に輝く眼には、なぜか瞳を見出すことはできない。鋭い爪で餌食を抑え込み、牙で裂いて喰らっている。その餌食とは、双眸を包帯で覆った、大柄な男であった。傍らにはもうひとつ、別の男の亡骸も転がっている。

 

(大きいわね)

 

 だが今更、目の前の光景に驚くほむらでもない。魔女と戦う中で、目を背けたくなる光景など何度も見てきたのだから。むしろほむらの注意が向けられたのは、この黒獣の大きさだった。目測でも、ほむらの体の二倍以上の大きさがあるのが解る。鉤爪は恐ろしく長く、牙も鋭い。銃も爆薬もない今、挑むのは得策ではない。

 

(今はやり過ごすしかなわいね)

 

 どうも感覚的にここは魔女の結界のなかではないようだが、しかし使い魔は通常、結界の外に頻繁に出るものでもない。犠牲者二人には悪いが、すでに事切れているようであるし、静かにここを脱し、武器を入手してから戻ってくる他はなさそうだ。

 

(……やっぱり動かない)

 

 盾の時間停止を使おうと思ったが、廻るべき盾はびくともしない。

 もっと明るい所で詳細に確かめる必要がある。やはりいつまでもここにとどまってはいられない。

 ほむらは忍び足で、獣の背後をまわってやりすごそうと考えた。

 幸い、黒い獣は新鮮な餌食に夢中でこちらには――。

 

「ッ!?」

 

 獣は振り向いた。

 そしてほむらを見た。瞳なき眼でほむらを確かに見た。

 

 咆哮。

 

 メスを逆手に構えるほむらへと、獣は両手を振りかざして飛びかかってきた。

 

 

 




【ほむらのソウルジェム】:キュウべぇと契約した、魔法少女の証
――――――――――――――――――――――――――――――

上位者インキュベーターと契約した少女が手にする、輝く宝玉
これは暁美ほむらが契約した際に手に入れたもの

その実態は契約者自身の魂を具現化したものであり
濁りに満たされ、輝きを失った時、魔法少女は魔女と化す

だが血が肉体へと戻った今、ただの虚ろな容れ物に過ぎない
あるいは血の意志で満たすことで、かつての輝きと力を取り戻すかもしれない







【砂時計の盾】:暁美ほむらの「魔法少女武器」、輸血液と水銀弾の上限をなくす
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

暁美ほむらの、魔法少女としての武器
時を操るそれは、副次的な機能として、内部に無限に物資を詰め込める

本来であれば内蔵された砂時計は、一月分の時間の流れを操作し
自在に時の流れを止めることができる筈だ

今は砂時計の蓋はかたく閉じられ、廻すこともできない
人ならぬ者たちの業で造られた武器故に
再び機能させるには啓蒙を要するであろう



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