古狩人ヘンリックが失せた後には、大橋の巨獣同様、夥しい血痕だけが遺されていた。
「……」
マミは、その血痕を見下ろしていた。
いや、見下ろす、などという次元ではなく、穴が空くほどに、凝視している。
異様な様子に、怪訝そうにほむらがその横顔を覗き込めば、慌ててマミは視線を血痕から逸らした。
その瞳は動揺に揺れている。まるで、
「……暁美さん、ひとつ聞いても良いかしら?」
何かを誤魔化すかのように、マミは唐突にほむらへと問いかける。
しかし相変わらず、その取り繕った表情の下から、心の震えが透けて見えた。
「なにかしら」
それには敢えて言及することなく、ほむらは極々平然と応じた。
巴マミという少女は、強いと同時に脆い。その脆さを、ほむらはよく知っている。
「あなたは……その……
「……」
そして巴マミという少女は、愚かであると同時に鋭い。
キュウべぇに騙され操られてこそあれ、決して白痴ではなく、むしろその真逆、確かな理知の持ち主なのだ。
だからこそ、魔法少女としてのマミは、ほむらにとって厄介な存在であり続けた。
真実を知らなければ、その実力がほむらの動きを阻み、真実を知れば、その実力で破局を誘う。
――だが、今やお互い狩人だ。
真実は、思考の瞳を啓きこそすれ、破局をもたらすなど最早ないことであろう。
「ええ。私はあなたを知っているけど、あなたは私を知らないわ。私は、あなたとは違う時間から来た暁美ほむらなのだから」
長い黒髪に蟠った、血を指で撥ね飛ばしながら、ほむらは真実を語る。
「……あなたは時を操る魔法少女。そして、時々、私達が知り得ぬことを語っていた。もしかしてあなたは、時を旅する魔法少女だったのかしら」
「……そうよ」
ああ、やはり。マミは鋭い少女である。
独り既に、真実へと思い至っていたらしい。
「……私たち、騙されていたのね」
「ええ」
キュウべぇの詐術を知り、陰鬱な表情で呟くマミに、ほむらは頷き言った。
「愚かね、巴マミ」
――言って、後悔した。
もう、ずっと前のことなのだ。彼女に殺されかけたのも。
それを蒸し返して、こんな皮肉を吐くのは、自分のなかにある
いずれにせよ、今、この場で言うべき言葉ではなかった。
「そうね」
しかし、巴マミは素直に首肯するばかりだった。
ほむらは気づく。彼女は、魔法少女を導く魔法少女であった。なればこそ、その慚愧の念は、自分の比ではないのかもしれないと。
「でも……ならばこそ、『淀み』を直視しなくちゃいけないのね。過去の過ちを繰り返さないためにも」
「……?」
『淀み』。
何やら、ほむらの知らない単語が、マミの口から飛び出した。
マミは、狩人としてもほむらの先輩である。それゆえに、知りうることもあったのだろうか。
「……夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず。名誉ある連盟の狩人よ。獣は呪い、呪いは軛。そして我らは、淀み断つ剣とならん」
謎めいた言葉を、マミは口走る。
自分に言い聞かせるように、小さく小さく呟く。
「――ごめんなさい。こっちの話よ」
ほむらが問う前に、マミのほうから、話は一方的に打ち切られた。
これ以上、何を訊いても答えないという様子であったので、ほむらは話題を転換した。
「佐倉杏子も、このヤーナムに迷い込んでいるわ」
「佐倉さんが!?」
マミの表情が一転明るくなるのに一瞬驚き、しかし即座にほむらは納得する。
杏子とマミの付き合いは、自分たちのそれよりも実はずっと長いのだ。彼女にとっても、杏子という存在は、ある種特別なものであるのだろう。
「今は別行動をとっているけれど、ゆくゆくは合流する予定よ」
「そう……佐倉さんが……」
マミは嬉しそうに表情を綻ばせ、はたと何かに気づいて、思案顔となった。
「美樹さんや、鹿目さんも……もしかしてこのヤーナムに――」
「……」
それは、ほむらにとっても懸案事項であった。
しかし、現時点では何一つ、それを知る情報はない。
残念ながら今の所は、あなたと佐倉杏子以外とは遭遇していないと告げれば、マミは残念そうな様子だった。
「ねぇ、この謎めいた街で、私達はどこまでも異邦人に過ぎない。互いに、協力し合うのが得策じゃないかしら」
――ほむらは出し抜けに、髪を掻き上げながら、提案をする。
本音だった。
マミは腕利きの魔法少女であったが、狩人としてもそうであるらしい。
魔法少女の時と違って、やたらと隠し事せねばならない訳でもない。
杏子と違ってやや理想主義者のきらいはあるが、話せば通じる理性もある。背中を任せるのも、悪くはない。
それに――ヤーナムの街は、異邦人が歩むには、やはり、あまりに陰気に過ぎる。
「そうね。佐倉さんとも会いたいし……助け合いましょう、狩人同士」
マミは心底嬉しいといった印象で、微笑む。
「私も佐倉杏子も、聖堂街への道を探しているわ。巴マミ、あなたはなにか知らないかしら?」
この問いにマミは、墓地の奥、階段の上を指差し言う。
「ここはオドンの地下墓。あの階段の先、鉄の扉の向こうにある梯子を昇れば、オドン教会に着く筈よ。オドン教会は人気のない廃教会だけれど、それでも聖堂街の中心に位置しているの。最も、今夜は獣狩りの夜だから、大聖堂への門はかたく閉ざされているでしょうけど」
――なるほど、ここまで来た甲斐が、あったというもの。
些か単独で遠くに来すぎたかとも思っていたが、マミから得られた情報を思えば問題にすらなるまい。
「大聖堂への門とやらは……何か開くすべはあるのかしら」
「そうね……」
マミは若干思案し、推測を交えながら語った。
「今は殆ど壊滅状態だけれど、本来ならばこんな夜には、医療教会の狩人たちがヤーナムの街に繰り出していったの。そんな医療教会の狩人たちを率いていたのが『狩長』。この『狩長』の持つ特別な印だけが、大聖堂への門を開いたのだと聞いてるわ。狩長の帰還は、狩りの成就を意味するものだから」
また、新たなる有益な情報だ。
『狩長の印』とやらがあれば、大聖堂への道は開けるという。
ギルバートは言っていた。聖堂街の最深部には古い大聖堂があり、そこに医療教会の血の源がある――と。
「『狩長の印』……ね。わかったわ。私や佐倉杏子は、きっとそれを探すことになると思うけれど、あなたはどうするつもり?」
マミは少し考えてから、答えた。
「……私は私で、やらなくてはいけないことはあるのだけれど、それは急がなくてはいけないものでもないし。良いわ。しばらくは同行させてもらうわね」
先輩魔法少女の答えは、Yesだった。
杏子をここに連れてもう一度来るとほむらは告げ、同時にマミはどうするのかと問う。
「私は、ここで待つわ。少し……独りで考えたいこともあるから」
何気ない調子で言うマミの瞳は、またも揺れていた。
感づいたほむらが血痕のほうに視線を向ければ、誘われてマミもその方を見て、慌てて視線を逸らした。
ほむらは察した。マミは、あの狂った黄色い狩人の名を知っていた。彼女と彼の間には、なにがしかあったのだろうと。
「じゃあ、後で」
「ええ。また後でね、暁美さん」
別れ際、最後にほむらは問いを発した。
「巴マミ……『青ざめた血』という言葉を、聞いたことは」
「……いいえ。生憎だけど、覚えはないわ」
逆に、マミもまた別れ際の最後の問いを返してくる。
「……暁美さん。あなた、血の淀みに蟠った『虫』を見たことはある?」
「?」
当然、そんなものを見た記憶はない。
そう答えれば、マミは「そう……」と呟くばかりだった。
そして、魔法少女――今や、少女狩人と化した二人は、暫し別れるのであった。
「……」
独り、オドンの地下墓に残ったマミは、相変わらずヘンリックの、同じの『連盟』の狩人であり、彼女にとっては狩人の師とも言える古狩人の血痕を見つめていた。
見つめ、見つめ、見つめる。穴が空くほどに、瞳はおろか脳すら震えだす程に、凝視する。
それでも、見えるべきもの、淀みに潜む『虫』を、マミは見出すことができなかった。
「――ッ!?」
いたたまれなくなって、瞳を逸らす。
ヘンリックは確かに狂っていた。狂い、獣と堕っした同士を狩るのも、連盟の一員の務め。
それを知りつつも、それを認めつつもなお、虫を見いだせぬ事実に、マミのなかの罪悪感が疼く。
独り、ヤーナムへと迷い込んだマミを、連盟は受け入れた。
居場所を失い、使命を失い、生きる意味を失っていたマミに、連盟は、その長ヴァルトールは、使命を授けた。
『我ら連盟の最終目標は、すべての「虫」を踏み潰し、人の淀みを根絶すること 』
あるいは幻想とも、夢とも言える、不可解な使命。
『きっと、誰にも理解されぬだろう。だからこそ、俺は同士たちを愛するのだ 努々、忘れないでくれ』
だが幻想にこそ、誓いが必要なのだ。
マミは誓い、使命を受け入れた。それが、自分にとっての新たなる導きと思えたから。
『ほう、お前。どうやら、 「虫」 を潰したようだな。俺は連盟の長、そんなことは、目をみれば分かるものなのさ』
にもかかわらず、マミには虫を見出すことが出来ない。淀みはどこまでも淀みで、それ以外の何ものでもない。
それでも、連盟の長は、マミが既に『虫』を見出していると、そう言ったのだ。
『だが、よかったよ。これでお前も、本当の連盟の仲間――同士だ。さあ、この杖を貰ってくれ。我らの血塗れの使命、その誓いの証しだ』
長の鉄兜に空けられた、小さな覗き穴。その向こうの瞳は、マミから見ることは出来ない。
あるいは、ヴァルトールは気づいているのかもしれない。マミがいまだ、『虫』を見ることができないでいることに。
それでもなお、彼女に同士の杖を渡したのは、彼の慈悲か、それとも、かつての自分のように、仲間を求めてやまぬ寂しさが故か。
そんな長の想いに応えるためにも、マミは連盟の使命に励んだ。
師たるヘンリックが、古い相棒の死を知って狂い、淀みに落ちた時、長が同士を狩ると決めた時、だからこそマミは、血まみれの任務を志願したのだ。
だが、己の手を、かつての同士の血に染めてもなお、『虫』を見出すことはできない。
「――」
後輩の前故に、懐かしい魔法少女の前故に、取り繕っていた表情が崩れ、涙が溢れ出す。
しゃがみ込み、声もなく泣きはらす。
「――なんだい、一足、遅かったってわけかい」
唐突に、背中越しに聞こえた声に、マミは涙を拭いながら立ち上がり、身を翻す。
「古狩人ヘンリック……あれは、あたしの獲物、だったっていうのにね」
腕を組みながら、ハスキーな声で話すのは、その顔を奇妙な嘴をもった仮面で覆い、先の尖った黒帽子に、やはり黒い烏羽の外套を纏った怪しげな姿。
それは、烏羽の狩人、狩人狩りアイリーンに他ならなかった。