――鉄塊が、墓石を粉微塵に砕いた。
僅かでも遅ければ、自分もそうなっていた所だと、ほむらは血避けのマスクの下で冷や汗を流す。
仕掛けを起動し、ノコギリを槍と変じて、その幅広く長い刀身を横薙ぎに振るう。巨躯に見合わない、青白く細長い足へ、その脛へとギザギザの刃が吸い込まれる。血が、肉が削られ、散らされる。
巨人は、呻きながらも今度は大斧を斜めに持ち上げた。足元のほむらを、薙ぎ払おうというのだろう。
「はっ!」
石畳を蹴り、斜め前方に跳び、地面を転がる.
真後ろを、重く分厚い刃が通り過ぎ、その風圧に舞い乱れる長髪の端がうねり、踊る。
「――ッ!」
転がる勢いで振り返りながら立ち上がったほむらの視界に飛び込んできたのは、今度は逆方向に斜めに構えられた大斧だった。もう一薙ぎして、今度こそほむらの体を両断するつもりだ。しかし、激しい動作の直後の若干の硬直故に、即座に地面を蹴って逃れることができない。
――マズイ!
「暁美さん!」
巨人の背中、大きな白マントが雹の雨でも受けたかのようにはためく。
呻く巨人の注意は背後へと向けられ、その黒帽子の下の顔面へと新たな散弾が叩きつけられる。
マミだ。自分の標的であった巨人を仕留め、援護に駆けつけたのだ。
「こっちよ!」
三度目の散弾の直撃に、巨人の殺意は完全にほむらからそれ、マミへと向けられている。
マミの作ってくれた隙を逃すまいと、ほむらは巨人の右側、巨人が大斧を構えているのと反対側へと回り込む。
その間にも、巨人は大斧を大上段に構え、思い切りマミへと振り下ろしていた。
「遅いわよ!」
大斧が捉え得たのは、マミの残像だけだった。
巨人の左側、ほむらとは反対側に跳び込み、仕込み杖を鞭と変じる。振り下ろし攻撃に合わせて下がった巨人の頭部目掛け、マミは鋼の鞭を振るう。
呻き、ならぬ、叫び。鞭は、巨人の右目を薙ぎ、切り刻んでいたのだ。
「たぁぁぁっ!」
マミは瞬時に鞭を杖へと戻し、その持ち手を指の間で挟み込むようにして構えると、残る巨人の右目目掛けて思い切り突き出した。鋭い杖の尖端は、茄子のように真っ黒な眼球を潰し、貫く。
叫び、ならぬ、慟哭。巨人は痛みに震える。
「今よ!」
マミが叫ぶより前に、既にほむらは動いていた。
ノコギリ槍を両手で脇に構え、踏み込む勢いに乗せて刃で弧を描く。
三日月のような剣閃、ならぬ槍閃は巨人の背中をえぐり、肋骨を断ち切り、臓腑を切り裂いた。
致命傷である。
巨人は、よたび、光の奔流となって消えた。
「……はぁ……はぁ」
「……やった……わね」
二人の少女狩人の息はともにあがっていたが、既に辺り一帯の敵は斃し尽くされていた。
大聖堂の円形広場を占拠していた二人の巨人も、ほむらとマミの手になればご覧の通りだ。
『狩長の印』をかざせば、確かに鉄扉は開いた。
快哉し、さぁいざ大聖堂へ――と喜び勇んだ二人に、今までは死体でしかお目にかかってこなかった大男たちや、つい数分前に斃したばかりの巨人と同じ巨人がさらに二体、立ちふさがってくる。
大男の放つ火炎放射に、長い黒髪の先を焼かれながれもこれをしとめ、先の鋭い杖を振るってくる大男にはマミが散弾をお返しし、動きが崩れた所で内臓をえぐった。
巨人は二体もいたために、ほむらとマミ、それぞれが一体ずつ請け負ってこれを斃す。だが実際には、先に一体を斃したマミと、残りの一体を共闘して仕留めた形だ。
「ヤーナムの獣達は、恐ろしく素早いわ。狩人の装束が、速さを意識して防御よりも軽さを重視しているのもそのせいよ。だからこそ、一撃を避けたからといって油断しちゃだめよ」
「……」
狩人としも、ほむらにとってマミは先輩である。
彼女もそうと知った今、こうして助言をしてくれるわけだが、それが何ともほむらにはこそばゆいような、妙な気分にさせられるのだ。ほむらにとって、マミを魔法少女の師として仰いだのは、もうずっと前のことなのだから。
「……まぁでも、お互い無事で良かったわ」
ほむらの無表情をどう受け取ったのか、マミは少し寂しげに微笑みながら言った。
「――それで、どっちに行くべきかしら」
ほむらが言っているのは、円形広場の半ばと、その入口近くにそれぞれある横道のことだ。
円形広場から、恐らくは大聖堂に通じているらしい大階段への道は、新たなる鉄扉に閉ざされてしまっている。
こちらは、狩長の印をかざしても、開く様子はない。だとすれば、二人が進むべきは横道のいずれかだ。
「二手に分かれる……のは、得策じゃないわね」
マミの言う通り、この未知の領域で別行動をとるのは愚の骨頂だ。互いに歴戦の魔法少女とは言え、獣が相手では勝手も違う。ここは安全を期し、多少時間を食うことになっても、二人で動くほうが安全だろう。
「それじゃあ、入り口近くの道から二人で行くべきね」
「なぜ、そっちと選んだのかしら?」
「別に。ただ、あそこから例の大男達が出てきたから、どこかに通じてるかもと思っただけよ」
結局の所、勘で選ぶしか無い二者択一だ。マミは、ほむらの提案に従った。
「……なんだか、きな臭いわね」
「そうね」
霧だろうか、蒸気だろうか。
とにかく、視界を遮るような白い靄が道を進み、階段を降りるたびに厚みを増していく。同時に、湿った臭気も増していく。端的に言うと、実に生臭い。
「巴マミ」
「なにかしら?」
「あなた、辛くはないの?」
ほむらが言うのは、臭いのことである。
顔の半ばを覆う血避けのマスクが臭気もある程度防いでくれるほむらと違い、トップハットを被ったマミの鼻を遮るものはない。マスクを通してもこの臭気だ。マミはさぞかし辛いはずだと、ほむらは思うのだ。
「……確かに臭いわ。それでも、私は
マミは、広い庇の縁に人差し指を這わすと、敢えて作ったらしい気取った笑みをほむらに返す。
その様は、様式美を好む実に巴マミらしい仕草だった。
――悲鳴。
「!?」
「!?」
取り留めのない戯言を中断し、ほむらもマミも共に走り出す。
今聞こえた悲鳴は、女性のものだった。それも、理性を感じさせる声だったのだ。
まともな生存者だ。助けないわけにはいかない!
大急ぎで階段を二人は駆け下り、間一髪で間に合った。
獣化が進み、毛むくじゃらの怪物と化したかつての群衆の一人が、ちょうど手にした農具のようなものを、躓いて転んだと思しきに女性に、今まさに振り下ろそうとしている所だったのだ。
「マミ!」
ほむらがノコギリ槍を構えて突っ込むのと同時に、マミが背後で長銃を放った。
大口径弾は螺旋軌道を描きながら獣の背中に突き刺さり、その注意を女性から無理やり逸らさせる。
臭い息を吐く、獣の顔面目掛けて、ほむらは至近距離で短銃を撃つ。弾丸は眼と眼の間に辺り、獣は得物を取り落とし、長く伸びた手で顔を掻き毟る。
「ふっ――!」
ノコギリの刃を、がら空きの土手っ腹へと体ごとぶつかるようにして叩き込む。
ギザギザの生えた刃は、柔らかい腹の肉を破って、容易く腸へと達し、これをずたずたに引きちぎる。
ばっくりと開いた傷口目掛けて、短銃を手放した左手を突っ込んだ。手袋越しに、肉と血の熱さが指へと走るや否や、ほむらは思い切りはらわたを鷲掴み、勢いよく手を左へと振るった。
斃れる獣が女性を押し潰さないように、わざわざ左の家屋の壁へと叩きつけられた獣は、臓物と血を撒き散らしながら絶命する。ほむらが掴み獲った獣の内臓を忌まわしげに投げ捨るのと同時に、短銃が石畳に落ちてカランと音を立てた。
それは、ほむらの背後から襲いかからんとした新手の獣を、マミの仕込み杖が刺し殺したのとも同時のことだった。
「ありがとう。あなた達のおかげで助かったわ」
最初は恐怖故か、喘いでばかりで話すこともおぼつかなかった女性も、暫時すれば落ち着きを取り戻し、艶のある感謝の笑みをほむら達へと贈った。
胸元の大きく開いた、仕立てのよいえんじ色のドレスに、白い可愛らしい靴。
肩口までの長さの金髪に、線は細くとも充分に成熟し、色気づいた大人の美貌。
一見して、『夜の女』と解る女性だが、しかし彼女の物腰には不釣り合いな優雅さがあった。
「私はアリアンナ。見ての通り、この通りで男を相手に商売をしているの」
「ほむらよ」
「マミです。よろしくおねがいします、アリアンナさん」
無愛想なほむらに対し、大人の女性が相手とあってかマミは礼儀正しく名乗った。
「……それにしても、こんな小さなお嬢ちゃん達が狩人とはね。助けてもらっておいてなんだけど、世も末ね」
「全くだわ」
「ちょっと」
アリアンナの皮肉っぽい言葉に、ほむらは即応し、マミは嗜める。
「でも、あなた達がいてくれて良かったわ。さもなきゃ私、今頃獣の胃袋のなかだもの」
「なぜ、こんな夜に外に出ようなんて思ったのかしら」
ほむらの、当然過ぎる問いに、アリアンナが返した答えは意外なものだった。
「こんな夜だからよ。獣避けの香も、もうなくなりそうだったから、不安になってた所で、あなたたちとは別の狩人が、安全な避難所を教えてくれたのよ」
ほむらとマミは顔を見合わせる。
「彼女、『ヨセフカの診療所』が安全だって教えてくれたの。だから、残りの香で焚いて何とかそこまで行こうと思ったのだけれど……まさか扉を開けたすぐその先で獣と会うとは思っていなかったわ」
「『ヨセフカの診療所』?」
「ええ。ヤーナムの街の南の端にある、医療教会の診療所なんだけれど」
「!」
ほむらには覚えがあった。
それは恐らく、自分がこのヤーナムの街で初めて目覚めた、あの病院のことではあるまいか。
「……そこよりももっと近くて安全な場所があるわ。オドン教会よ。あそこには狩人がいて、そこを守っているわ」
「本当!?」
アリアンナが喜んだのは、オドン教会の場所を知っているからだろう。あの病院に比べれば、確かに遥かに近い。
「あなたをそこまで案内するわ。その代わり、あなたに教えてほしいことがある」
「何かしら?」
「あなたに、ヨセフカの診療所のことを知らせた、狩人についてよ」
マミもほむらと同じことが気になっていたらしく、横で静かにアリアンナの答えを待っていた。
アリアンナはちょっと思案してから答えた。
「扉越しだったけれど……あなた達と歳のころは同じだったわね。医療教会の黒装束を着て、黒い色の髪の、琥珀色の眼をした片目の女の子よ。右目は、黒い眼帯が覆っていたわ。手には、何かこう、獣の爪みたいな武器を持ってたいたわ」
「――ッ!?」
アリアンナの答えに、マミは首をかしげるばかりだったが、ほむらは違っていた。
彼女の語った狩人の特徴は、ほむらに否応なく、思い出したくもない忌まわしい記憶を想起させるものだった。
黒い髪。
黒い装束。
隻眼、眼帯。
琥珀色の瞳。
爪のような武器。
そうした特徴から、ほむらが思い起こすのは、ただ一人の魔法少女。
――呉キリカ。
あの忌まわしい、まどかを殺した最悪の女、『美国織莉子』のしもべとも言える少女を、ほむらは想起していた。