Magicaborne   作:せるじお

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chapter.18『大聖堂―大橋/禁域の森』

 

 

 

 

 白い長毛を振り乱しながら、巨獣は吠える。

 顔を天井の方へと向けて、狼が月に吼えるように咆える。

 もとが女性であるせいだろうか、どこか甲高く、物悲しい咆哮は大聖堂の壁に反響し、ほむらの、そしてマミの耳朶を激しく打つ。

 

「――ッッ!」

 

 三角帽子とマスクの間で、ほむらは思わず表情を歪めた。

 遠吠えは空気を震わせ、鼓膜ばかりか狩装束やその下の肉体までもを揺るがせている。

 

 ――獣の病。

 

 ヤーナムを覆う獣達が、魔法少女が魔女と化すように、人だった存在が獣へと堕した存在であるとは、ゲールマンから既に聞かされていたことだった。

 しかしほむらにとっては、実際に目の前で人が獣と化す様を見るのは、実は初めてのことなのだ。

 まどかが魔女と化す様に出くわした時ほどの衝撃こそないものの、鉄面皮の下でほむらは動揺していた。

 

 加えて、巨獣の叫びの凄まじさ――思わず足を止めてしまいそうになるが、ほむらは堪えて前進を続けた。

 相手は今や獣だ。隙を見せれば、たちまちその餌食になってしまうだろう。前へ、攻め続けるしかない。

 魔女と化した魔法少女を救い得ないのと同じように、獣となった人は救えない。覆しえない。

 せめて、慈悲の刃で葬り送る他はないのだ――。

 

「暁美さん!」

 

 マミの警告を聞くよりも速く、ほむらの体は動いていた。

 巨獣が組んだ両拳を高く高く掲げている。マミは愚か、先行するほむらとも、あの巨獣の(かいな)を以てしても届き得ぬ、間合いの外側。

 警告か? 

 威嚇か? 

 ――否だ。これまでの経験で、ほむらは嫌というほど知った。ヤーナムの獣たちは、常の獣たちがするような動きはしない。何故ならば奴らは、害意、殺意、食欲に満ち溢れ、愚直なまでのストレートさで餌食へと向かってくる。

 だとすればあの構えは、間違いなく攻撃のためのもの!

 

「くっ!?」

 

 ほむらが右へと跳んだ直後に、塵埃と石片を巻き上げながら衝撃の波が走った。

 髪の毛が掻き乱され舞い踊り、直撃は避けたにも関わらず、体が吹き飛ばされるのを感じる。

 ノコギリ槍の鋭い切っ先を床へと引っ掛け、そこに刻まれた美しい装飾を削り取りながら勢いを殺す。何とか、壁に激突する前に体の動きを止める。見れば、マミもまた吹き飛ばされたのか、地面に跪くような格好をしている。

 

 ――巨獣は、ただ拳を組んで、それを振り下ろしただけなのだ。

 

 それでいて、この衝撃!

 ほむらは冷や汗が覆面の下で浮かぶのを感じながら、ノコギリ槍を構え直した。

 マミもまた、仕込杖の仕掛けを動かし、より間合いの広い鋼の鞭へと変形させる。

 大橋で戦った巨獣も恐ろしい相手だったが、この大聖堂の獣はそれ以上の驚異だ。いや、今の所、ほむらが遭遇してきた獣どものなかで最も強力な相手かもしれない。白く長い長毛を振り乱す姿は、一種幻想的ですらあるが、なればこそ、その姿の裏側に潜む凶暴さこそを恐れねばならない。

 

「来るわ!」

 

 マミに警告を発しながら、ほむらは床を蹴って前へと跳んだ。

 巨獣が、その巨大な脚に力を溜めるのが見えたからだ。果たして、ほむらの予想通り巨獣は跳躍し、ちょうどその下を潜り抜ける形で、少女狩人二人は大聖堂の奥へと素早く駆けた。

 背後で超重質量が着地に地面を揺らすのを足裏から感じながら、ほむらとマミは素早く身を翻す。

 巨獣は、着地の衝撃に動きが止まっている。好機!

 

「ハッ!」

 

 それは余人がいれば、黒い影のように見えたかもしれない。

 それ程に、ほむらの動きは素早く、未だ振り向かぬ巨獣の臀部目掛けて肉薄していた。

 立て一直線に、ノコギリ槍を振り下ろす。鈍い肉の感触が、長い柄を通してほむらの掌に伝わる。

 

 ――絶叫。

 

 痛みに湧き出る叫び声すら、その大きさにほむらは頭蓋が揺さぶられる心持ちだった。

 大橋の時は開けた場所での戦いだったが、ここは大聖堂とは言え閉所だ。

 獣の大音声は反響し、空気はおろか狩装束すらをも震えさせている。

 当然、それは鼓膜を、頭脳を揺さぶるが、ほむらは強い意志で耐えた。

 

「はぁっ!」

 

 さらに踏み込みながら仕掛けを起動、槍をノコギリへと戻しながら、より近い間合いでの二連撃を放つ。

 さらなる血が、さらなる肉が吹き出し散らばり、巨獣の白い毛が真っ赤に染められていく。

 

「!」

 

 巨獣は、その巨体に見合わぬ恐ろしい速度で跳んでほむらから距離をとり、着地すると同時に振り返った。

 白布で覆われているために双眸は見えないが、その耳まで裂けた口の端が吊り上がり、牙が剥き出しになっている所を見ると、相当に怒っているらしい。今やほむらは、この巨獣の標的となったのだ。殺意溢れる咆哮こそが、その何よりの証拠だった。

 

「――こっちよ!」

 

 だがすかさず、マミの攻撃が巨獣の無防備な背部へと向けられる。

 撓る鋼の鞭は、ほむらが攻撃し傷ついた臀部をさらに削り、巨獣は不意打ちに呻いた。自身の背部へと身を捻りながら左手を振るうが、マミは素早く退き、むしろ退きながらも眼の前の横切る左手へも鞭を振るった。絶妙なタイミングで差し込まれた反撃に、巨獣は左手に深い傷を負い、大きく大きく哭く。

 

 マミが作り出した攻撃のチャンスを、逃すほむらではない

 

 盾の中へと手を突っ込み、火炎瓶と油壺を取り出す。

 攻撃目標をマミへと変えた巨獣の背中では、先端が血に濡れた長毛がさざなみのように動いている。あれならば、よく燃えそうだ。

 油壺を、次いで火炎瓶とを投げ、短銃を抜く。前に大橋の巨獣に向けてやった時と、同じ要領。

 片目を瞑り、引き金を絞る。水銀の銃弾は、油壺と火炎瓶とを、相次いで射抜き、これらを割り、巨獣の背中へと内容物をぶち撒けさせる。

 

 ――絶叫。

 

 白く美しい毛は今や枯草の叢のように、瞬く間に火を燃え広がらせ、巨獣の体を焼く。

 血が、肉が焼ける嫌な臭いが大聖堂に充満し、その神聖な気配を容赦なく汚す。

 

「巴マミ!」

「ええ!」

 

 ほむらは槍と化したノコギリ槍を、マミは鞭と化した仕込み杖を、それぞれ大きく構えながら疾駆する。

 速力と、最大に勢いを溜め込んだ一撃を向けるのは、今や臀部ではなく、無防備なその左右の脚だ。

 

「貰ったわ!」

「行くわよ!」

 

 ほむらは巨獣の左足首を、マミは右足首を、それぞれ薙ぎ払う。

 背中の猛火に気を取られていた巨獣にはこれを避ける術はなく、哭き喚きながら体勢を崩し、崩れ落ちる。

 ちょうど跪くような格好になり、その大きな顔が低く降りてくる。

 

「一気に決めさせて……もらうわよ!」

 

 マミは素早く鞭の先を地面へと突き、仕掛けを解除して杖へと戻す。

 一瞬で握り方を変えれば、目の前へと突き出さされた巨獣の頭、その首元へと思い切り杖を突き立てた。

 人ならば、否、人ならぬ獣といえど、普通であれば必ず致命傷になる箇所への、鋭い一撃。

 

 これでトドメ、マミはおろか、ほむらですらそう思った。

 ――思っていた。

 

「っ!?」

「まだなの!?」

 

 巨獣は怒りの咆哮とともに暴れまわる、両手を激しく振るい、掌を床へと叩きつける。 

 ほむらは即座に飛び退き、マミもぎりぎりの所で脱出に成功し、転がるようにして間合いを取る。

 

 巨獣は満身創痍だった。

 ようやく鎮まった火に美しい体毛は焼け焦げ、あるいは血に赤黒く汚れ、体中傷だらけになっている。

 それでも、獣はまだ行きている。普通ならば致命傷の傷を負いながらも、間違いなく生きている。

 嗚呼、恐るべきかな、畏るべきかな、ヤーナムの獣よ。――そして、聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる。

 

 間合いを取り、次の手を考えていた二人の少女狩人達の前で、巨獣はまるで獣らしからぬ構えをとった。

 膝立ちのまま、背筋を正し、両掌を組んで、顔を俯かせる。まるで、祈ってでもいるかのように。

 

 ――獣の体が、白く光り輝く。

 

「!?」

「!?」

 

 ほむらもマミも驚きにその動きを一瞬とは言え止めてしまったのは、目の前にした怪異の故だ。

 美しく光り輝く獣は、まさかその祈りが通じたとでもいうのか、みるみるうちの負った傷を回復し始めたのだ。

 毛が生え変わり、傷が塞がり、血が失せていく。大きく切り裂かれていた両足すらもが、既に殆ど治っている。

 

「――ッッッ!」

「暁美さん!?」

 

 ほむらはこうしてはいられないと、焦りながら駆け出した。

  マミが制止するが、聞き入れない。これ以上回復させるために、カタをつけねばならない! 一挙に獣を屠るべく、殆ど飛ぶ勢いでほむらは跳ぶ。

 

「相手は獣よ! 深追いしちゃだめ!」

 

 マミの言う通りであった。

 相手が魔女ならば、逃げられる前に一気に決着をつけるのも誤ってはいない。

 何故なら傷ついた魔女は逃げ出すし、逃げだのびた地で傷を治すべく余計に人を喰らうからである。

 しかし、今、ほむらが相対しているのは獣なのだ。ヤーナムの獣は逃げない。どこまでもどこまで、食欲と殺意の赴くまま餌食へと食らいついてくる。迂闊に仕掛ければ、反撃は必至なのだ。

 

 

「!?――ガハッ!?」

 

 果たして、マミの警告通りになった。

 祈りを解いて振るわれた横殴りの一撃は余りに素早く、直線的な動きのほむらに避けるのは無理だったのだ。

 強烈な一撃にほむらの小さな体は紙くずのように吹き飛び、石壁へと叩きつけられる。ぐしゃりと嫌な音が鳴り響き、壁にぶつかった左肩がへし折れたのが解った。拳を受けた右側も殆ど感覚が失われている。それでも、崩れ落ちて起き上がれないなかを必死に藻掻き、震える右手で輸血瓶を盾より引っ張り出す。

 

「暁美さんから、離れなさい!」

 

 回復をはかるほむらにトドメを刺そうとする獣を、マミは長銃の銃撃で撹乱する。

 散弾と大口径弾とを使い分け、頭や腕や脚など、様々な所を狙うことで獣の注意を引きつける。

 ほむらが輸血液を右股から針を通じて体に注ぎ入れるなか、マミは銃撃を続け獣を誘い続ける。あるいはそれは、罪悪感からの行動だったのかもしれない。一度は手に掛けようとしたほむらのことを、今度こそは救わねばならないと。――だが、想いは時に焦りを生むものだ。

 

「巴マミ!」

「え――って、しまった!?」

 

 ようやく立ち上がったほむらの警告は遅きに失していた。

 巨獣の誘導に熱中していたマミは、背後に柱が迫っていたことに気づかなかったのだ。

 退路がないと彼女が悟った瞬間、動きを止めたマミの体を、巨獣は掴み取り、持ち上げる。

 

「あ――」

「待って!」

 

 意味がないと心のどこかで知りつつも、ほむらは思わず獣へと叫んでいた。

 当然、聞き入れられるわけもなく、巨獣はマミの首目掛けて大きく開いた顎門を閉ざした。

 

 ――細い少女の首には鋭い牙が何本も突き刺さり、容易く噛みちぎられる。

 

 頭と泣き別れになった体が床へと転げ落ち、落ちると同時に青白い光の霞となって消え失せる。

 ちょうど、古狩人ヘンリックが斃された時と同じように。 

 

「くぅぅぅぅぅ!」

 

 激痛に耐えながらほむらはノコギリ槍を構え、例え独りでも、なんとか巨獣と対決しようとした。

 しかし輸血液の力で何とか折れた骨をなおしたばかりのほむらの動きは鈍く、逆に巨獣は追い詰められていたことが嘘のように、殆ど完全にその体は回復しきっていた。

 

 動きの差は、歴然としていた。

 だから、巨獣が地面を蹴って跳んできた時も、ほむらは反応することができなかった。

 

「あ――」

 

 振り下ろされる、指組まれた掌に、ほむらは目を見開いた。

 視界はいっぱいになり、衝撃が走った。

 

 ほむらの瞳には、青白い燐光が、小人のように舞い踊るのが見えた。

 意識は途絶え、真っ暗になり――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『大橋』

「……え?」

 

 

 ――『禁域の森』

「なんで? 私、死んで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ほむらとマミは、それぞれ灯りの傍らで目覚めた。

 これまですべてのできごとが、まるで悪夢であったかのように

 

 

 

 

 

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