「私たちも、もうおしまいだね」
まどかは、自分の横で、自分と同じように横たわるほむらへと、そう話しかけた。
粉々に砕け散り、隆起と陥没でズタズタに引き裂かれた、かつてのアスファルトの上には、水道管が破裂したのか浅く水に覆われている。
空から涙のように降り注ぐ雨。雨雲はじきに晴れるだろう。雲間から、陽光が差し込んでいるのだから。
しかし今や晴れようとする空の下にあるのは、破壊しつくされた見滝原の街だった。
――『ワルプルギスの夜』。
空前絶後の、超弩級の魔女。
それは最早、意志を持った災害であった。
結界すら必要としない、生きる嵐に挑んだのは、まどかとほむらの二人。魔法少女が二人切り。無謀。その言葉以外、何を言えるだろう。それでも、やるしかなかった。
「グリーフシードは?」
だが、その結果は最初から解りきっていたものへと帰結した。
台風と洪水と大地震に同時に襲われたかのような、見滝原の惨状。二人の姿は、それと大差なかった。
魔法少女の姿を保つことが出来ず、傷んだ見滝原の制服のまま、水に身をなかば沈め、空を仰いでいた。
それぞれの掌のなかにある、彼女たちのソウルジェムは、共に黒ずみ、いつ魔女化が始まってもおかしくはない。
「そう」
まどかが、
「ねぇ……私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?」
その声には諦念と、その裏返しの暗い怨念が漂っていた。
「 嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……。 それはそれで、良いと思わない?」
まどかは、やけっぱちなほむらの、語りかけと言うよりはモノローグに近いそれに、言葉では応えなかった。
言葉で応える代わりに、最後に残ったグリーフシードを、ほむらの掌中のソウルジェムへと押し付ける。
「さっきのは嘘。1個だけ取っておいたんだ」
それは、死んださやかのグリーフシードだった。
「そんな……何で私に!?」
「私にはできなくて、ほむらちゃんにできること、お願いしたいから」
まどかは今や未来を失い、だが救いを忘れぬからこそ、思いをほむらへとに託す。
時間を巻き戻す彼女ならばあるいは、この世界の悲惨を打破できるかもしれないのだから。
「もう一つ、頼んでいい……?」
次なる時間軸に生きる、自分たちへの救いを託し終えてから、まどかはほむらへと言った。
それが、残酷な願いであると承知しながらも、これを託せる相手は、やはりほむらしかいなかった。
「私、魔女にはなりたくない。嫌なことも、悲しいこともあったけど、守りたいものだって、たくさん、この世界にはあったから」
「まどか!」
「ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね。嬉しいな」
せめてでも、ほんの僅かでも、自分を殺めるほむらの心が軽くなることを祈って、まどかは最後に告げた。
無論、その言葉は、言葉そのままにまどかの本音でもあったのだ。
――嗚咽。
ほむらは、黒光りする大きな拳銃を取り出し、まどかのソウルジェムへと突きつける。
眼鏡の少女が漏らす涙は、雨の中へと溶けて消えた。
自分の命も、すぐにそうなる。そう思うと哀しいが、まどかは敢えてほむらへと微笑んだ。
引き金に掛けられた指に、力がこもるのが解った。
まどかは祈った。
彼女が、愚かな自分たちをいつか救ってくれることを。
そして自分の魂が、せめてマミや杏子、そしてさやかの居る場所へと届くようにと。
銃弾が、まどかの
これで、彼女は確かに死んだ筈だった。
魔女となることなく、望み通りの死に方を、友の手で遂げた筈だった。
――しかし、運命の女神はどこまでも阿婆擦れで、悪意に満ちている。
「――え?」
死したまどかが蘇り目覚めた場所は、薄暗い、石造りの牢獄。
螺旋階段を軸に、うず高く、天まで伸びよと築かれた巨塔。
そこは狂気と熱意とが作り出した、歪んだ信仰の結実。人の業の結晶。
――『実験棟』
血を恵み、獣を祓医療教会の実態を、この上なく示す、魔女ならぬ、インキュベーターならぬ、他でもない人の作ったおぞましいビルゲンワースの末裔。
まどかはまだ、それを知らない。
地獄に迷い込んだことを、まだ知らない。
「まどか」
『――久しぶり、ほむらちゃん』
ほむらは、マミは、杏子は、目の前に突如現れた、見慣れぬ姿のまどかの姿を、まじまじと見つめた。
魔法少女としてのまどかは、白、赤、ピンクの三色を基調とした可愛らしいもので、おそらくは『魔法少女』という単語を聞いて、世の人が連想する姿に最も近いものだった。
所が、今のまどかの装束はどうだろう。全くもってほむらのなかの彼女のイメージと、相反するものではないか。
前は赤いリボンで二つにまとめてあった髪も、今は黒いリボンで小さく一筋にまとめられていた。その上に載るのは、小ぶりな、灰色がかった黒い
――いや、帽子以外の装束のすべてが、どこか貴族的な優美さを備えた作りになっているのだ。
黒、白、灰の三色に彩られた狩装束は、装飾的なマントを始め、翠のブローチに、灰色がかった白いネッカチーフに、銀糸の刺繍を彩った、ごく貴族的な衣装となっていた。ほむら達は知らないが、ヤーナムの、それも
右手に携えたのは、奇妙な波打つ刃を持った片手用に曲剣に、腰に負うのは、何やら日本刀めいた――それも双身刀という奇剣に類するたぐいの――異邦の息吹を感じさせる仕込み刀であった。
銃は、一切に身に帯びてはいない。
『ほむらちゃん、眼鏡とったんだ』
「え……ああ、そうよ」
まどかが微笑みながら言うのに、呆然としていたほむらは、慌てて返答し、同時に急遽思考を廻し始めた。
眼鏡をかけた自分、まだ幼く、未熟だった自分。そんな自分を知るまどかは、無数の巡回を経てもなお、限られている。それは、極々最初の、ほんの数回の繰り返しかのいずれかである筈だ。
『ごめんね。あの時は、ほむらちゃんに、嫌な想いをさせちゃって』
「!?」
マミと杏子は、まどかの言う意味が解らず顔を見合わせているが、ほむらには違う。
彼女には瞬時に解った。今、自分の眼の前にいる彼女は、他でもない、自分が殺めた――。
「――」
『ほむらちゃん?』
ほむらが、顔を俯かせ――三角帽子と覆面故に、顔を僅かに下げれば表情は見えない――た為に、まどかはほむらに言葉で問うた。ほむらは、しかし答えることはない。答える代わりに。
「まどかぁぁぁぁぁっ!」
『わ!? わ!?』
ほむらは、まどかの胸元へと跳びつき、その体を抱きしめた。ほむらは泣いていた。泣くより他なかった。眼の前の彼女は、間違いなく、自分がその手にかけた彼女であったのだから。
抱きついた勢いは凄まじく、まどかはよろよろと倒れそうになり、ほむらの被っていた帽子は外れて地面の転がってしまっていた。
『……』
しかし、まどかは言葉もなく、ただほむらを抱きしめ返し、嗚咽する彼女の頭を撫でた。
その様に、マミと杏子は言葉を無くすと同時に、この上ない奇妙さを抱いていた。
ほむらの頭を掻き抱くまどかの姿。それは彼女らの知るまどかの姿――マミにとっては後輩の魔法少女、杏子にとっては素質備えた一般人――とは、余りに違っているものであった。
慈愛に満ちた、その視線は同時にひどく達観していた。いかなる揺らぎも見られぬ、優しくも乾いた双眸。
まるで
『落ち着いた?』
「ええ」
ほむらは落ちた帽子を拾い、埃を叩いて払ってから被り直す。
まるで何事もなかったかのように、一転、普段の鉄面皮へと戻ったほむらは、黒髪の端を撥ね上げる。
「どうということはないわ」
――目を真っ赤にして大いに泣きはらした後で、どうということはないわはないだろう。
マミも杏子も内心そう思ったが、二人共、敢えて言わないことにした。
「鹿目さん……あなたも、今は狩人ということなのかしら?」
敢えて言わない代わりに、マミは気になっていたことを目の前のまどかへと問う。
青色がかったおぼろの姿のまま、まどかは頷いて肯定した。
『見ての通り鐘の音を通じての、遠く離れた場所からの
「その……ファントムってのは何なのさ」
今度は杏子が問えば、まどかは即座にこれに答える。
『鐘の音は次元を跨ぐから、
「……杏子ちゃん?」
杏子にとっては、まどかはさやかの一友人であり、魔法少女ではない一般人であった。
彼女の時間軸では、最後の最後こそ、さやかの為に協力し合った間柄とは言え、然程親しかった訳ではない。
ちゃん呼びは、別に嫌な気もしないが、なんともこそばゆい。
『ごめんね? なれなれしかった、かな?』
「まぁ別にかまやしないけど」
慌ててまどかが謝ってくるのに、杏子はそっけなくも優しい調子で返した。
そんな二人の姿に、マミもまた何とも形容しがたい、微妙な表情を見せている。
彼女にとってのまどかは同じ魔法少女の戦友であり、大事な後輩であり、同時に杏子とも仲間同士であった筈なのだ。だからこそ、互いに出身の世界が違うというのを頭で理解していても、心理的には違和感を覚えてしまうのだった。
「鹿目さんは……見滝原では、その……」
『はい、魔法少女でした』
「!」
まどかの返事に、マミの心がくしゃりと歪む。
魔法少女は、魔女になる。だとすれば、そんな道に彼女を誘った自分は――。
「ごめんなさい、私――」
まどかは、マミの言葉を手で制して、首を横に振った。
『いいんです、昔のことは。ここはもう、見滝原じゃないですから』
そうなのだ。今や、ここは血の匂い立つ街、ヤーナムなのだ。
自分たちももはや、魔法少女ではなく、獣の狩人なのだ。
『それよりも、こうして私が呼ばれたってことは……いるんですね? みんなの手にも余る、獣が』
そして、そんなまどかの言葉が、三人の意識を現状へと向き直させた。
『狩りましょう。そうするしか、ないのなら』
まどかは言った。
その瞳は、間違いなく歴戦の古狩人のそれだった。
「……いるわね」
大聖堂の重い扉を再びくぐれば、奥の方から確かに獣の呻きが聞こえてくる。
まだ、動かずに、居座っている。だがそれも、
ひとたび動き出せば、オドン教会の安全も保証はない。
一刻もはやく、狩るしかないのだ。
四人となった少女狩人は、静かに大聖堂の奥へと進む。
その最中、一番右を歩いていたほむらは、ふと、石に刻まれた言葉を見留た。
――血の秘儀を継ぐ者、血の施しの主たる者よ。
――祭壇の聖蓋に触れ、師ローレンスの警句をその身に刻みたまえ。
意味深な言葉である。故に、一瞬、ほむらも立ち止まる。
『ほむらちゃん?』
急に足を止めたほむらに、まどかが問いかける。
「……なんでもないわ」
ほむらは正面に向き直って、再び歩き始めた。
意味深な言葉だが、今は重要ではない。
『狩りましょう。そうするしか、ないのなら』
まどかの、言った通りなのだ。
今は獣を、狩るしかないのだから。