教区長エミーリア――
血を撒き散らし、青い光となって、嘘のように消えていく。まるで、大橋の獣を斃した時と同じであった。
「やったな」
「ええ」
「……」
その様に、杏子は犬歯を剥き出しに笑い、マミはおもむろに頷き、ほむらはいつものように黒髪の端を撥ねた。
『――かねて、血を恐れたまえ』
ただひとり、まどかだけは地面に跪くと、両手を握って、獣の失せた虚空へと祈りを捧げていた。
まどかが呟く警句に、ほむらは覚えがある。それは前に、ゲールマンもまた述べた言葉なのだ。
「まどか――」
そのわけを、ほむらは問おうとした。
「――っっっ!?」
問おうとして、絶句した。
まどかの体が輝いている。青白く輝き、そして朧になっていく。
――別れの時なのだ。
『獣を狩った以上、共鳴は終わり……ここで、いったんサヨナラだね、ほむらちゃん、みんな』
「まどか!」
「オイ!?」
「鹿目さん!?」
消え行くまどかの姿に、ほむらが泣きそうな声で叫べば、杏子もマミもまた驚きの声を挙げる。
『大丈夫。きっと、すぐにまた会えるから。だって――』
まどかは、最後にこう言い残して消えたのだった。
まるで、最初から全てが、長い夜の夢だったかのように。
『――狩人は、ひとりじゃないから』
「……」
まどかが消えた跡を、暫し呆然とほむら達は眺める。
もとより、共鳴による一時の共闘に過ぎないのは、ゲールマンより聞いてほむらもマミも知っていることだった。
しかし、懐かしい――ほむらにとってはそんな言葉だけであらわせるものではない――魔法少女の戦友の姿が、あたかも幻のように失せてしまったのには、言語化出来ない感慨というものがあるのだ。
「おい」
最初に自失より脱したのは、三人のなかで最もまどかとの繋がりの薄い杏子だった。
「なんか、落ちてるぞ」
そんな彼女が指差す先を二人が見れば、確かに床の上に転がる、光る何物かが見えた。
ほむらが歩み寄り、拾い上げてみる。それは、金のペンダントであった。
――血の秘儀を継ぐ者、血の施しの主たる者よ。
――祭壇の聖蓋に触れ、師ローレンスの警句をその身に刻みたまえ。
何故か、大聖堂の階段の傍らに、刻まれた走り書きを思い出す。
黒い長髪の少女狩人は、巨獣が祈りを捧げていた祭壇へと向けて、歩み寄る。
「あ、おい!」
無言で歩き始めたほむらに、杏子が追いすがる。何故かマミは、床をじっと見つめたまま、動かない。故に二人して、大聖堂の祭壇の間近までやってくる。
――祭壇には、謎めいた頭蓋が鎮座していた。
その大きさから見るに、人のものではない。
縦に細長い顎門は、明らかに獣のものである。口には鋭い牙も生え揃っている。
かつて左目だったであろう部分は大きく欠損し、血も肉も皮も失せているのに、黒い頭髪のみがまだこびり付いていた。
ほむらは、刻まれた言葉に従って、祭壇の頭蓋に手を伸ばし――見たのだ。
それは、頭蓋の主たる獣が、医療教会の始まりとなった男が見た、追憶の一景。
――ウィレーム先生、別れの挨拶をしにきました。
――ああ、知っている。君も、裏切るのだろう?
――相変わらず、頑なですね。でも、警句は忘れません。
――我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ。
――かねて血を恐れたまえ。
――かねて血を畏れたまえ。
――お世話になりました。
――恐れたまえよ、ローレンス。
「っ!?」
「わっ!?」
ほむらは現実へと舞い戻り、慌てて頭蓋から手を離し、殆ど飛び退くように後ずさる。
余りにもその勢いが強かったために、殆ど背後の杏子と衝突する間際で、彼女も思わず驚き声をあげていた。
(……今のは?)
しかしほむらは、そんな杏子を意に介することなく、たった今、自分自身が見たものについての思索に囚われていた。彼女が見た
(ウィレーム……)
――ウィレーム先生
追憶の中の、安楽椅子の老人は、確かにそう呼ばれていた。
その佇まい、その呼称から、から、老人は学者の類であるらしい。
(ローレンス……)
追憶の主が、老人より呼ばれていた名前。
大聖堂階段脇に刻まれた一文にもあった名前である。恐らくは、この頭蓋骨の獣が、人だった頃の名前。
――『聖堂街の最深部には古い大聖堂があり、そこに医療教会の血の源がある――という、噂です』
かつてギルバートがほむらへと語ってくれた言葉が脳裏で反芻される。
だとすればこの頭蓋骨、かつてローレンスと呼ばれた男の成れの果てこそが、血の源だというのだろうか。
その名には『師』と冠されていたことから察するに、このローレンスこそが医療教会とやらの開祖なのだろうか。
(ウィレーム、ローレンス……)
ほむらは二人の名を繰り返し、同時に、その二人が同時に発した、同じ警句を想起する。
『かねて血を恐れたまえよ/かねて血を畏れたまえよ』
二人の微妙な語調の違いから、それぞれが発したニュアンスは異なったものであるように、ほむらには思えた。
しかし、今ほむらの注意を惹くのは、その事ではない。
ウィレームとローレンス、二人の発した警句と、全く同じフレーズを呟いた二人のことだ。
『――かねて、血を恐れたまえ』
一人はまどか。
『宇宙は空にある。空を見つめたまえ。君もいずれ、青ざめた血の空を見出すだろう。故に……かねて、血を恐れたまえよ』
そして、もう一人はゲールマン。
二人は、間違いなく何かを知っている。特にゲールマン。彼にはより一層の注意を要するだろう。
(何を……知っているというの)
あの夢の老人は、元より妖しげな人物ではあった。ほむらのなかで疑念が一層確かなものになる。
問い詰めねばなるまい。無論、それは困難なことであろうけど。
「――それにしてもさぁ」
杏子の声に、ほむらはようやく思索の海の底から舞い戻った。
「この様子じゃぁ、医療教会が完全にくたばってるってのは間違いないみたいだな」
「……ええ」
杏子の言う通り、このヤーナムでは特別な地位を占めていたらしい医療教会とやらは、既に組織としての体をなしてはいないらしい。医療教会所属の狩人組織が壊滅したとは既にマミから聞き知っていたことだが、その母体自体が、既に死に体であったようだ。
「期待外れだったけど、まぁ結局は避難所自体は見つかったから、結果オーライ、かな」
もとより杏子は、あの黒いリボンの少女の安全のために聖堂街へとやって来たのだ。
ほむらとしても、大聖堂で得た収穫は大きい。
「もうここに長居する理由はないようね」
「だな。一旦、帰りますか」
ほむらと杏子は、祭壇に背を向けて、大聖堂の入り口へと向けて歩き出す。
「……」
そこで二人は初めて、マミがずっと黙して、床をじっと見つめていたことに気づいた。
「マミ?」
「……」
杏子が呼ぶのにも、応えない。
「マミ」
「……」
「マミ!」
「……」
「おいマミ!」
「っ!? え、えと、何かしら、佐倉さん」
何度もその名を呼ばれて、マミは初めて杏子のほうへと振り返った。
「いや、なんか床をじっと見つめてるからさぁ。どうしたもんかねと」
「……何でもない。何でもないのよ」
全くもって、『何でもない』ことはないであろう表情でマミは呟く。
杏子も、ほむらも深くは尋ねなかった。
今やマミは『連盟の狩人』。見滝原には無かった新たなナニカを、今のマミが背負っていることは、二人にも察することができたのだから。
「行くわよ」
「だってさ。戻ろうよ、マミ」
「……そうね」
三人の少女狩人は、連れ立ってオドン教会へと戻る。一行の最後尾をなすのは、巴マミだ。
「……」
二人に遅れてくるマミに、ほむらが振り返る。
マミは、教区長エミーリアだった獣が失せたあと、残った血痕の上に足を置いていた。
そして踏みにじった。何かを、踏み潰すように。
ほむらには奇妙だった。何故ならば、ただ血痕が広がるばかりで、そこには踏み潰すようなものは丸でなかったのだから――。
――まどかは、薄暗い部屋の中で目を覚ました。
「マミさん、杏子ちゃん、ほむらちゃん」
今や懐かしい戦友親友達の名前をまどかはつぶやき、そのつぶやきは沈黙のなかへと溶ける。
共鳴が解かれた今となっては、まどかは再び独りだ。
「……」
背中を預けていた壁から身を起こし、立ち上がる。
辺りを見渡せば、哀しいほどに何一つ変化はない。
薄暗さも、うず高く積もった埃も、祭壇に捧げられた、へその緒のような、しかしそう非ざる異形も
そして――。
「ただ今、マリアさん」
まどかが呼びかけたのは、師とも言える古狩人――の姿を模して造られたと見える、大きな人形。
――『捨てられた古工房』
悪夢を抜け出したまどかの身は今、この打ち捨てられた小さな牢獄のなかにあった。
今回は繋ぎなので短め
アメコミ(正確にはイギリスだけど)版ブラッドボーン買いました
実に良かったです