――獣のむくろが、うず高く、山をなしている。
燃える大きな獣が、ひどく高い天井より鎖で吊るされた大広間の真ん中に、まだ
赤が、鮮血の赤色が、炎に照らされて煌々と輝いている。悪臭が、燃える肉と錆びた鉄と穢れた汚物の臭いが、これほどの広間にも関わらず息つまる程に充満している。
「……」
ほむらは、殆ど無感動にそれらを見つめた。既に、こうした地獄は見馴れたものになっているのだから。
ヤーナムでも、そして見滝原でも。ワルプルギスの通った後は、等しく惨憺たるモノゆえに。
デュラの塔を降り、先を進んでさらに階段を下って下って下ったほむらを待っていたのは、下ったぶんの高さを誇る大天井と、大天井から吊り下がった燃える大獣に、広い床の上に積み上がった獣共の死体の山だった。
(感じ取れるのは……獣の血の臭いばかり)
今のほむらの嗅覚ならば、この鼻を突くほどに充満する血の臭いのなかの、その微かな違いすら感じ取ることが出来る。しかし漂っているのは吐き気催す獣の血の臭気ばかりで、それ以外のものはまるで感じ取れない。つまりこの屍の山をつくった下手人達は、一滴の血も垂らしてはいないということなのだ。げに恐ろしきは、古狩人を討った古狩人三羽烏。いったいどれ程の力量を持つというのだろうか。
「……」
されど暁美ほむらは意に介すること無く先を目指す。
目指す先に何が待とうと、ほむらの為すべきことは変わらない。
聖杯を得る。狩りを全うするために。
狩りを全うする。青ざめた血に相まみえ、悪夢を破るために。
青ざめた血を求める、この獣の街を脱し、見滝原へと戻るために。
見滝原に戻る、鹿目まどかを救うために。
暁美ほむらは振り返らず、ただただ前へと歩み続けるのだ。
道なりに進めば、薄暗い辻へと出た。
道は正面と左に延びている。
そこで、黒獣の死骸二つと、狩人の亡骸に出くわした。
――壁を背にして、血溜まりに腰を沈めている。
黒いフードに、濡れたようなマントの狩装束。
デュラがそうだったように、腹に追った深い深い致命傷。
半ばでへし折れ、打ち捨てられたノコギリ槍。そしてその左手に握られているのは――。
(……ここにも)
つい先程、自分が回収したばかりのモノと、同じものが死せる狩人の左手に握られている。
ガトリング砲。それも、古狩人デュラに託されたものと違い、無理やり片手用に改造されたと思しき代物だ。
残念ながら、既に壊れているのは見るからに明らかである。しかし、装填された水銀弾のほうはどうか。
「やっぱり」
想像通り、弾丸のほうは無事であった。
ほむらは目を閉じて短く黙礼を告げたあと、放たれることもなかった弾丸の数々を受け継ぎ、盾の中へと仕舞い込んだ。恐らくは、彼が狙っていたであろうモノを狩るために。
――それは狩人の有り様である。すなわち血の遺志を継ぐ者だ。
ほむらは知らぬが、死せる狩人はデュラの仲間であった。仲間の内、もっとも若い独りであった。
悪夢に囚われ、それでもなお獣と化した人々のために戦った狩人より、ほむらは継承する。
この、忌まわしい夜を明けさせる為に。
まっすぐの道は、大扉に阻まれて進むことはできなかった。だとすれば左に向かうしか無い。
そこを進めば、燃える獣の磔が、林のごとく地面から生えている様に出くわした。
その向こうには、何やら教会めいたものが見える。
「……これは」
教会の入り口の前には、ズタズタにされた大きな獣の死体が転がっているのもだ。
灰色の血に塗れた獣は、手足を切り裂かれ、長い牙の生えた相貌は、生きていればあり得ぬ方向を向いていた。あからさまに、首の骨がへし折られている。
――古くはトゥメルの時代に生まれ、灰血病の時代、古狩人の時代を経ても尚、生き続けた血に渇いた獣。
ほむらはそれを知らぬが、しかし目の前に横たわった骸が、ただならぬ獣のものであることは即座に理解できた。
細長い鉤爪の生え備わる右手は半ばで斬り落とされ、左足は焼け焦げているばかりか殆ど肉は裂け骨は砕け、ほとんど千切れかかっていた。
例の三人組の仕業だ。やはり、辺りに漂うのは獣血の臭気ばかり。連中の流した血は一滴もないのは、明らかである。
「……」
最早、進むべき先は古びた教会と思しき建物しかない。その扉は、既に開け放たれている。
ほむらは意を決して、足を前へと踏み出した。ただし、気配を消した、忍び足で。
踏み込んだのは、ほむらは知らないが、『聖杯教会』と呼ばれるいにしえの伽藍であった。
あらゆるものが古び、朽ちつつある、かつての神の社。
敷石はずれ、歪み、オウトツを成し、隙間からは草すら生えている。
表面のあちこちが欠けた円柱が、縦二列に幾本も連なる、細長い構造をしている。いわゆる、バシリカ形式というやつだ。
細長いバシリカの奥には、古びた祭壇が見えた。
――同時に、祭壇の前に集った、三人の古狩人の姿も。
ほむは太い円柱の陰に、身を隠した。
まだ距離があるためか、古狩人達に気づかれた様子はない。
「……」
物陰から、静かに探る。
(……やはり数は3)
ここに至るまでに嫌という程見せられた獣の死骸や、灰狼の狩人の証言から相手の数は既に解っていた。
しかし、実は姿を隠した四人目が、伏兵がいないという保証もなかったのだ。その可能性は、今ようやく失くなった。
(それにしても……)
実際に見れば、あれほどの所業をやってのけたのも納得な連中である。
薄汚れ、所々朽ちた、古臭い狩装束に身を包み、ともすれば乞食のように見窄らしく映ってもおかしくはないその姿は、全身には満ち溢れた殺気と威容故に、まるでそうとは見せない。手にした得物も、ことごとく血まみれで、肉がこびり付いているのだ。
あるいは三日月状の湾曲する大刃を畳まれた、一見ノコギリ槍にも似た形の曲刀。
あるいは硬い獣肉をすら断ち切るであろう、キザキザ生えた分厚い鉄の鉈。
あるいは何故か撃鉄のようなものが備わった、殺意が具現化したかのような巨大な金槌。
一人目は、庇の小さな帽子に、短い裾の爛れたケープを負った狩装束。
二人目は、庇の大きな帽子に、裏地の赤も鮮やかなロングコートの狩装束。
三人目は、冗談のような大きさの大トップハットに、コートにマントの仰々しい狩装束。
一人目は、左手に何も持たず。
二人目は獣狩りの散弾銃を。
三人目は燃える獣狩りの松明を、それぞれ携えていた。
三人の古狩人達はほむらに監視されているとも知らず、無防備な背中を向けて、全員祭壇へと向き合っていた。何やらゴソゴソと、祭壇に向き合って、妖しげな動きを見せていた。
「……」
ほむらは砂時計の盾の時間停止を駆使し、少しづつ一本ずつ、柱の陰を移動し、前へ前へと進む。
足音ひとつない移動に、三人の古狩人も気づいた様子はない。
ほむらは、より間近で、三人の様子を探ることができた。
だからこそ、見ることができた。
「!?」
声もなく驚愕すれば、見えたものはなんであろう、右手に曲刀を構えた狩人が、空いた左手で何かを握りしめ、掲げているではないか。それは、どう見ても、金属で作られた杯と見えた。
――『聖杯』。
間違いない。色は鈍くくすみ、あからさまに古びた姿だが、見る人の眼を惹き付ける妖気が漂っている。
渡すわけには、いかない。狩りを全うし、悪夢を破るためには。
ほむらは、盾を廻し、砂時計を止める。
同時に、時間が止まり、その中で動きうる者はただ暁美ほむらだけとなる。
狩人の力を全て込めて、地面を蹴り飛ばして跳ぶ。
向かう先は円柱の一つで、ちょうど三角跳びの要領で、柱の表面を踏み台に、さらにさらに宙へと飛び上がる。
ほむらは古狩人の一人、右手に曲刀を、左手に聖杯を持った男の頭上へと至った。
ちょうど、時間停止の限界が来る頃合いだ。
ほむらは、ノコギリ槍の仕掛けを動かし、刃を展開し槍状とした。両手で構え、ギザギザの刃を古狩人の左腕へと向ける。時間が再始動すると同時に、自分の体は落下を開始する。その勢いで古狩人の左腕を切断し、泣き別れの腕ごと聖杯を奪取する。これが、ほむらの思い描いていた絵図。
果たして砂時計は戻り、時の砂は再び落ち始める。
同時に、ほむらの体もまた重力に従って落下を開始する。
全くの不意討ち。
常ならば、この攻撃を避けることなど不可能である。
ああ、いったい誰が、音もなく気配もなく肉薄した相手の、それも意識の普段向かぬ直上からの攻撃を避けることなどできようか。常ならば――。
「っ!?」
――不可避のはずの一撃は、空を切った。
ノコギリ槍の刃は、虚しく石畳をたたき、鋭い切っ先に石片が四方へ散る。
標的の古狩人は、十メートル近く離れた場所に居た。
目測を誤った訳ではない。狙いを間違えた訳でもない。
古狩人は、ほむらのノコギリ槍がその身に触れる一瞬前、ほんの一瞬前に、その姿を掻き消したのだ。
(時間停止!?)
ほむらは真っ先にそのことを疑ったが、即座に違うと気がついた。
何故ならば、彼女の網膜は確かに、地面を蹴り飛ばして後方へと跳ぶ古狩人の残像を留めていたからだ。
すなわち、恐ろしいほどの加速。残像すら残るほどの加速。
それは恐ろしく厄介だった。狩人としての力量が、単純に段違いであることの証左に他ならないのだから。
『Bloooood!』
『Beaaaaasts!』
左右二人の古狩人が、その間に現れたほむらへと得物を振るう。
迫る鉄塊二つに対して、ほむらは時を止める暇もなき故に、身を沈め、転がるようにして何とか逃れる。
迫る追撃には、盾より出した火炎瓶で応じ、燃え盛る炎を囮に、ほむらはさらにまろび距離を取った。転がる勢いで立ち上がれば、一列を成し、殺気も剥き出しに歩み寄る三古狩人の姿が見えた。
――『悪夢の古狩人』
――『悪夢の古狩人』
――『悪夢の古狩人』
瞳の溶けた、血走って煌々と輝く真紅の双眸をほむらへと向け、獣じみた臭い息を吐きながら狩人達は迫る。 恐らくは、ほむらに姿も獣としか見えていないのであろう。その姿、その気配から血に酔い、狩りに呑まれたのは明らかであった。
――不意討ちは失敗した。
ならば正面切って戦う他あるまい。
ほむらは改めて、迫る強敵へとノコギリ槍を構えるのだった。
オリジナルボス戦
狩人の悪夢の赤目狩人達と同時に戦います
ちょうどヤーナムの影戦みたいな感じです