「はぁ……はぁ……はぁ……」
ほむらは荒い息を吐きながら、顔にべったりとついた血を拭おうとした。
しかし既に手も甲も袖も全てが血まみれで、ただ顔に血をさらに塗りたくったのみだった。
彼女の手には大きな斧があり、足元には3つの死体が転がる。いずれも背が恐ろしく高く、毛むくじゃらの、瞳の溶けた異相の持ち主ばかりで、ついさっきまで、ほむらへと呪詛を叫びながら襲いかかってきた連中だった。
――『
――『
――『
恨み言など、既に慣れたものな筈だったが、人の形をしたものにこうもあからさまな憎しみと殺意を向けられるとなると、ほむらと言えど多少は消耗する。それでも綺麗に三人とも斃しているのは流石は歴戦の魔法少女だった。
「……」
三人を仕留めた武器は、最初に襲いかかってきた男から奪い取った斧だった。
大きく頑丈なつくりの斧だったが、既に刃はこぼれ柄は折れかけている。所詮は血迷った群衆が手にした武器に過ぎない。魔法少女が用いるには、余りにも脆い。
ほむらは斧を投げ捨てながら、改めて三人の男たちの亡骸を観察した。
どう見ても、既に人の身ではない。かといって、魔女の使い魔とも違う。ほむらが連想したのは、病院の一階で遭遇した黒い獣のことだった。巨大化し、体毛が生え立ち、瞳が溶けたその姿は、獣化しつつある人間とでも評すべきなのだろうか。
「……なんなのよ」
ひとりでにつぶやきが漏れた。この街全体が、魔女の結界か何か、とでも言うのだろうか。
「……」
相手が魔法少女達ばかりとは言え、人殺しが初めてという訳でもない。
しかしほむらは、何度も何度も、ケープで血の汚れを拭った。既にケープ自体が血まみれで、取れることはなかったけれども。
(行き止まりね)
感傷を振るい捨て、ただ進むべき道を探す。
一方は行き止まり、道すがらの鉄扉は固く閉ざされて開くのは難しい。
屍が抱えていた火炎瓶――物騒なそれに見知ったものを見て、ほむらの心は不思議と安心した――を盾の内側にしまい込みながら、視線を巡らせれば地面に設置された大きなレバーが注意を惹いた。
引っ張れば、何かの仕掛けが動いて眼の前の建物にかけられていた金属製の梯子が降りてくる。
見上げれば梯子が恐ろしく高い所まで伸びているのが解った。一瞬迷って、手にかける。他に選択肢はない。
カツン、コツンと靴が梯子を打つ音を聞きながら、ゆっくりと慎重に登っていく。
魔法少女と言えど高所から備えもなく落ちれば怪我もすれば傷つきもするのだから。
――大きな遠吠え。
「っ!?」
驚いて、一瞬体が宙に舞いかける。慌てて力強く梯子を握り直す。
(今のは?)
ほむらは真っ先に魔女を想起した。あの怖気催す叫び声は、病院で戦ったような“小さな”獣のものではない。
より大きく、より恐ろしい何かのものだ。
「……」
気を取り直し、梯子を登りきる。
出た先には幸いにも獣もいなければ、あの獣じみた男たちもいない。
何故か道の真中に先にランタンを吊るした鉤棒が突き出している。
特に注意も払わず、ほむらは右手に伸びた道を進んだ。
何処かから、咳の声が聞こえる。酷いものだが、少なくとも獣の雄叫びでも呪詛の叫びでもない。
まともな人間もどこかにいるらしい。ほむらは、その事実に僅かに安堵した。
――『
――『
――『
そしてそんな小さな安堵などは、呪詛の洪水を前にすれば簡単に消え失せた。
斧が、鎌が、鉈が、熊手が、松明が、呪いの声とともに、ほむらへと次々と振り下ろされる。
あるいは盾でしのぎ、あるいは地を蹴ってかわし、血の雨に降られながら、ほむらは男たちを屠る。
屍の山を積み重ねながら、魔法少女は石畳の道を進む。
背の高い家屋は覆いかぶさるように少女の心を押しつぶさんとする。
空からは灰が溶けない雪となって舞い落ちてくる。独特の香の匂いが、焼ける肉の臭いや血の臭いと混じり合って、鼻を裏側から貫き、頭が震える。
『あんた、よそ者だろう? すまんが、関わり合いになりたくないんだ、帰ってくれ!』
人の気配を感じ、扉を叩けば、返ってくるのは拒絶の言葉。
『……よそ者が。獣狩りの夜だ、お前に開ける扉など無い。消えちまいな!』
それはほむらに対する侮蔑と嫌悪を全く隠すことがない、吐き捨てるような言葉だった。
まともな人間は確かにいた。しかし、その性根はまともとは程遠い。
ほむらは言葉の中身を努めて無視して、分析に集中する。
少なくともここは、魔女の結界のなかではないらしい。住民たちの言葉は、魔女の口づけを受けたものとは違う、確かな意志が感じられる。だからこそ、現状の謎は深まるばかりだ。
「……」
心をすり減らしながら、それでも道を進めば、やや大きな広場のような所に出た。
広場の中央では巨大な薪が焚かれ、空より舞い落ちる灰の源は、ここと知れた。
燃やされているのは、ほむらが病院で戦った、あの黒い獣。磔にされ、その身を炎に焼かれている。
焚き火の周りには、これまでほむらが遭遇した男たちとは桁違いの、夥しい群衆がたむろしていた。
『
『
『
『
群衆から漏れるのは、怨嗟ばかりだった。
ほむらは声を聞き流し、群衆の人数を探る。
焚き火の強い灯りのせいで、その向こう側の人数が把握できないが、少なくとも十人以上はいる。
こちらの武器は拾った火炎瓶が幾つかと、斃した相手から奪ったカトラス――刀身の分厚いサーベル状の剣だ――ばかり。
ほむらは別の道を探るのが得策だと考えた。この戦力では、あの数に挑むのは無謀以外の――。
『
ほむらの算段は群衆たちの側から突き崩された。
一人がほむらのほうを向けば、次々と、男たちは溶けた瞳で見据えてくる。
呪いの声が、折り重なり、斧を引きずる音が、松明の燃える音が、続いて鳴り響いた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ほむらは旧式の――巴マミが使うマスケット銃によく似ている――ライフル銃にもたれかかりながら、荒れた呼吸を何とか整えようとしていた。
ただでさえ血に穢れ、傷み始めていた衣服は、裂け、千切れ、穴があき、血どころか埃にもまみれている。
背中には鉈の切り傷が斜めに走り、脇腹と左足に銃創がひとつずつ。
盾より取り出した輸血液を右腿に刺し――ほむらは、最早ごくごく自然に、得体のしれぬ血を体内に挿れていた――何とか戦いの傷を回復させようとする。
急速に回復する細胞の熱さと、傷の痛みが重なり合い、凄まじい吐き気となってほむらを襲う。
何度も、何度もえずいた。胃の中身を吐き出さないのが、不思議なぐらいだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
どうやって死闘を切り抜けたのか、殆ど覚えてはいない。
斧を、熊手を、鉈を、鎌を次々と奪い取り、元の持ち主へと突き立て、切りつけた。
松明で顔面を焼き、奪い取ったライフルで心臓を、あるいは顔面を打ち抜き、銃床で頭蓋を砕いた。
銃は単発式で、撃つたびに装填しなくてはならない。その隙をつかれ、狂った犬が左足に噛み付いた。盾で首を殴り、骨をへし折って屠った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
満身創痍。襲ってきた群衆を残らず殺し、生き延びたのがほむら自身不思議なぐらいだった。
しかし代償は大きく、血を挿れてもなお、視界はかすみ、体は糸の切れた傀儡のように自由が利かない。
――哄笑、哄笑、哄笑。
不快感を催す、笑い声が、視線の先の扉から響いて来る。
ほむらは足を引き摺るようにして、その家へと歩み寄った。
拳で戸を叩きながら、懇願する。ほむらにはらしからぬ行動だが、それだけ彼女の消耗は激しかった。
「お願い……なかにいれて」
『なんだい……余所者じゃないか』
返ってきたのは、全くの拒絶の声。
「お願い……」
『獣狩りの夜にほっつき歩いて、可哀そうなことだよ』
「なかに……」
『ああ、可哀そうにねえ……アハハハハハハハ!』
嘲笑ばかりが響き、扉が開くことはない。
流れ出る血は体力を失わせ、扉の前で膝をつく。さらなる嗤いが、ほむらに浴びせかけられる。
「……」
唇の端を噛みながら、ほむらは立ち上がった。
誰にも頼れない。自分には、当たり前のことだった筈だ。
気を取り直し、進み続ける。小さな階段を降りて、噴水のある新たな広場に出た。
――呻きと、殴打。
聞こえてきたのは、先の焚き火の広場でも聞こえた異音だった。
噴水の向こうに、大きな木の扉を叩く、新たな人影が見える。
いや、果たして人影と呼んで良いものか。身の丈は2メートルを超え、3メートルはあるかもしれない。肩は盛り上がり、体は膨れ上がり、それは殆ど羆のようであった。
「……」
ほむらは、やはりやりすごそうとしたが、やはりそれは叶わなかった。
この街の連中は、揃って勘がいいのか耳が良いのか、人影がほむらのほうを振り返る。
なるほど、大きさを除けば、一応は真っ当な人型を保っている。その異常過ぎる大きさを除けば、だが。
手には何処から持ってきたのは、ほむらと同じ大きさはありそうな石像を、まるで鈍器のように構えていた。
(残弾は……装填済みのを入れて三発)
斃した群衆から奪い取った、ライフル用の弾丸を数える。
弾丸は、この街の全てがそうであるように奇妙な造りをしていた。
鉛ではない。鋼でも、鉄でもない。どうやって個体化しているか解らないが、どうも水銀であるらしい。しかも濃厚な血の臭いを放っている。なぜこんな奇妙な弾丸を使っているのかは知らないが、威力は確かにある。
ほむらは近づく大男へと向けて、ライフル銃を構えた。
ようやく手にした、使い慣れた武器の感触が、彼女の心に落ち着きを取り戻させる。
「止まりなさい」
意味があるかは解らないが、一応警告だけはした。
だが銃を向けられているにも関わらず、大男は何の恐れもなしに、ほむらへと近づき続ける。
「……」
大男の心臓に照準を合わせ、引き金に指をかけ、ほむらはそれを素早く弾いた。
ほむらが引き金を弾くのと、大男がほむら目掛けて走り出すのは、全くの同時であった。
「!?」
弾丸は大男の肩の分厚い肉に吸い込まれ、肉を砕き血を飛び散らせるも、その動きを止めるに至らない。
ほむらは慌てて跳び退こうとするが、大男の動きは、その巨体に似合わず俊敏であった。
巨大な肩が、大きな石像が、ほむらの体に叩きつけられる。
「が――っ!?」
ほむらの小さな体は、重さなどないかのように吹き飛び、噴水へと叩きつけられる。
銃は掌からこぼれ落ち、石畳の地面に落ちて音を立てながら回り、遠ざかっていく。
「かはっ――」
全身がバラバラになったかのような衝撃。呼吸が止まり、口から出てくるのは意味のない喘ぎだけ。
もしもほむらが魔法少女でなかったなら、即死してもおかしくないほどの衝撃。
震える手足で藻掻き、何とか立ち上がろうとするが、力が入らず崩れてしまう。
その間にも、大男は間近まで迫っていた。
ほむらは何とか顔だけ上げて、大男を見た。両手で石像を掲げ、振り下ろそうとする、まさにその寸前だった。
「あ――」
何とか、しなくては、ならない。
しかし意識ばかりが素早く廻って、体は全く動けない。
今はソウルジェムがない。ソウルジェムがない今、肉体に致命的なダメージを負ったらどうなる?
死ぬ? 死ぬのか? そのままここで? 死んでしまうのか?
「――」
石像が、石像が、振り下ろされようとしている。
なのに、体が動かない。
視界が真っ暗になり、ただ映るのは、桃色の髪をした少女の姿だけ。
(まどか――!)
絶望。絶望が胸を満たし、情けも容赦もなく、石像は振り下ろされ――銃声。
「!?」
大男の頭に、銃弾が突き刺さり、その体が大きくよろめく。
ほむらの視界を過る、黒い影。
不思議な刃鳴り。空を裂く流れ星を思わせる、鋭い音が響けば、大男の胸には二枚の刃が突き立てられ、石像を掲げたまま、仰向けに斃れる。
「――なんだい。こんな夜に、お嬢ちゃんが独りで出歩いてるから、何事かと思えば」
大男を一撃で仕留めた影が、ほむらを見下ろす。
瞳のない、黒い陰になった双眸が、魔法少女を見下ろしている。
「この月の香り……アンタ、狩人かい? それも、外から来たみたいだね」
木彫りの、まるで鳥のような嘴を持った仮面が、ほむらを見下ろしている。
その両手には歪んだ刃の短剣が各々握られ、不意に吹いた風に、烏羽の外套が音立てて舞う。
――鴉羽の狩人狩り、アイリーン。
血のような夕陽の下、暁美ほむらは彼女とこうして出会った。